霜ヶ崎市内某所、教会にて。シスターの小夜は昨日の不調が嘘のように回復し、元気にお勤めを果たしていた。
アヴェンジャーを追いかけての全力ダッシュで体力を使い果たしたことにより、寮に戻ってからは悪夢を見る暇もなくグッスリだったからである。
よって、元気になった小夜は、いつもと同じかそれ以上に張り切って、お祈りから掃除までてきぱきこなす。
小夜は、自分で言うのもなんだがまあまあ要領がいいほうだった。先輩シスターからはいいお嫁さんになると言われた。
シスターは恋愛禁止だが、寿退社するぶんには祝福してくれるらしい。それ以前に、小夜はまったく男性に縁がないのだが。
夜になって部屋に戻ると、アヴェンジャーがにこにこしながら待っている。ほかのシスターたちに気に入られたらしく、いつの間にかボロの布ではなく少しサイズの大きいお下がりを身にまとい、丁寧に梳かされた金髪はきれいなウェーブを描いていた。
「お帰りなさい、
「えっと……た、ただいま」
小夜が使徒職をこなしている間アヴェンジャーはどうしていたか聞くと、絵本を借りてきて、一日中読んでいたらしい。
そのラインナップは、人魚姫、雪の女王、はだかの王様……と、アンデルセン童話ばかり。
彼女曰く「あの人らしいお話でいっぱいね」だそうだ。彼女がマッチ売りの少女本人だというなら、アンデルセンとも知り合いだったのだろうか。
同室の友人とともに自分のホームに帰り着き、小夜はシスター服を脱いでいく。その最中、話好きなルームメイトがアヴェンジャーについて話しかけてきた。
「ねえねえ小夜っち! あの子、どこで拾ってきたの? 産業革命期のヨーロッパ?」
「え、た、タイムトラベルはしてませんけど……!?」
「冗談だよ、冗談。でも大切にしてやりなよ〜、私たちも協力するからさ」
「そう、ですね」
「しっかし、体温高いんだねあの子! お風呂に入れたらお湯がどんどん温度上がってってさ……」
それは体温が高いの範疇には収まらないと思うのだが。やっぱり炎を出せるから、深部体温が数百度とかあったりするんだろうか。
とはいえ、彼女が
溶け込めているなら、小夜も気にしないことにする。
たぶん、この街になぜかやたらと多い捨て子や孤児のうち一人だと思われているんだろう。嫌な街だが、出身不明の幼子は溶け込みやすい。
「あ、そうだ。小夜っち、誕生日五日後だったよね。プレゼント、なにがいい?」
「えっ? あ、うん。えっと……」
──そういえば、もうすぐ小夜は二十歳になる。
嬉しいとは思わない。その日が来るたびに、小夜はそれまでの一年で自分がなにも成し遂げていないことを痛いほどに感じてしまう。誕生日は毎年憂鬱だ。
それに、今年は特に──。
そうして言葉を詰まらせる小夜よりも、目を輝かせたアヴェンジャーが反応をみせた。
「
「い、いや、私、そんな大層なもんじゃないですし……」
「私はそんなことないと思うわよ。あなたもいつか、このために生まれたんだって思う時が来るはずなんだから」
アヴェンジャーが見せるのは、炎みたいに明るい笑顔。小夜には眩しすぎて、だからこそ見捨てたくない輝き。
誰からも見放され、最期には打ち捨てられて死んでいった童話の少女の言葉は、小夜には理解しがたいものだった。
「あの、どうして、そんなに信じていられるんですか?」
「あら?」
「だって……」
マッチ売りの少女は報われない。打ち捨てられて死んでいく。一度死んだ少女を聖杯がこの世に呼び出したというのなら、その死を彼女も知っているはず。
だったら、どうして瞳に炎を宿していられるのか。それがわからなくて、小夜は思わず尋ねていた。
「どうしてでしょうね。けど、信じることも許されない世界は、悲しすぎるわ」
アヴェンジャーの考えていることは、よくわからない。いきなり炎を出しながら突っ込んでいったり、かと思えば希望に満ち溢れたことを言い出したり。彼女だけじゃない、聖杯戦争なんてものにもわからないことが多すぎる。
「それになにがあっても私が守るもの。安心してほしいわ」
「おっ、かっこいいこと言うね〜! 小夜っち、アヴェちゃんと結婚しちゃえば?」
辛く苦しい世界を生きたアヴェンジャーと、何にも知らないお友達。明るくて、小夜の心をわかってくれそうにもない二人についていけなくて、黙りこくるしかなかった。
◇
──その晩、小夜は夢を見た。
いつもの、自分が薄れていくような悪夢ではない。それは忘れかけた過去であり、記憶の奥底にある光景だった。
場所は病院だったのだろうか。
それは、幼かった小夜よりもずうっと背の高い棚が立ち並び、知らない器具が無造作に散らばった場所。
その中央にある簡素なベッドで微睡んでいた小夜は、誰かに揺り起こされて目を覚ました。
「七歳のお誕生日おめでとう、お嬢さん」
聴こえてくる低い声。目を開くと、そこにいたのは初老の男性だ。医師の格好はしておらず、ごつごつとした手で小夜のことを撫でてくる。
ここはいったい何処なのか、自分は何者なのか。聞きたいことはたくさんあっても、うまく言葉が出なくて、呻き声だけが彼の耳に届いた。
「ぁ……あぅ、うう」
「君は確か……雪村さんちの子どもか。名前はどうしようか……そうだ、この曲からもらって『小夜』にしよう。
おはよう、雪村小夜」
「さ、よ……?」
その部屋に流れていたのはモーツァルトの小夜曲、アイネ・クライネ・ナハトムジークだった。その時、小夜は初めて『雪村小夜』になったのだ。
名付け親となった彼は話を続ける。
「君を外に出すことが決まってね。あとは自由に生きるといい。金は儂が出す、成長も普通にするだろう。
来るべき
その時は、意味がわからないまま頷いた。十三年が経とうとしている今でも、彼がなにを言いたかったのかわかっていない。
ベッドから起き上がり、言われるがままに飾り気のないワンピースを着せられ、背中を押されて、覚束無い足取りで外の世界を目指す。
その施設の扉をくぐり、外に出た時、青い空に感動したのを覚えている。
──そこで、記憶の再生が終わる。気がつくと、小夜はなにもない空間に浮かんでいた。
そうだ。小夜の中には、不明瞭な闇ばかり。
先程の病院の景色が小夜の中にある最古の記憶だ。七歳以前のことは不思議なくらいに一切覚えておらず、あの初老の男に会ったことなどまったくない。
高校の時に調べてもらったが、霜ヶ崎で唯一の若い雪村夫妻はすでに他界していた。
そんな小夜は、どうやって自分のたどり着く場所を探せばいいのだろう。
夢の中だというのにひどい頭痛がして、このまま割れてしまいそうで。
そうやって苦しんでいるうちに、闇ばかりの空間が大きく揺れ始めた。
小夜は現実に引き戻される。意識が浮上していって、その目蓋を開く。
視界に飛び込んでくるのは、見慣れた天井と──金髪の女の子。
「おはよう、
傍らにはアヴェンジャーがいて、くすりと笑う。寝室は真っ暗で、一昨日泥棒と出会った時刻と似たような深夜だった。
「……アヴェンジャーさん、ずっと起きてたんですか?」
「いつサーヴァントに襲われるかわからないし。えぇ、今もあなたを起こしたのは、他のサーヴァントの匂いがしたからなの」
曰く、彼女は文筆家の気配に敏感らしい。それを追いかけていけば、あのエプロンドレス少女ことキャスターに出会えるようだ。
「ごめんなさい。私、あの人だけは燃やさないといけないの……一緒に来てくれる?」
小夜は逡巡ののち、頷いた。アヴェンジャーを見捨てないと誓ったのは自分自身だ。けれど、わけのわからないことだらけなのも本当だ。
だったら、彼女の言う『このために生まれたんだって思う時』まで、歪な炎を追いかけ続けるしかないのかもしれない。
ベッドから起き上がり、飾り気のないワンピースに着替え、小夜はアヴェンジャーとともにこっそり寮を抜け出した。
頬を撫でる夜の冷たい空気は、いつもより背筋の凍るような不快感を孕んでいるようにも思えた。