小夜が目を覚ますと、そこには知らない天井が広がっていた。それは出鱈目にはめたジグソーパズルみたいな、ぐちゃぐちゃの光景だった。
まず目を擦り、ごみが入ったわけでないことを確認する。次に周囲を見回し、床もまた天井と同様に様々な絨毯がパッチワーク状態になっているんだと認識する。
ここまでくると、独創的を超えて悪趣味の領域にある。そんな不気味な建造物の中に、小夜はひとり倒れていたようだ。
小夜はひとまず立ち上がった。不思議と体が軽い。先程目眩で倒れたばかりだったのに。
「……あれ? そういえば、みんなは?」
周囲には誰もいなかった。あるのは静寂と、小夜を誘い込むように奥へと続く継ぎ接ぎの道だけ。歩き出すしかなく、恐る恐る踏み出す。
芝生を踏みしめ、大理石で靴音を立て、コンクリートに足を滑らせかけながら、果てがあるのかもわからない道をゆく。隣には誰もおらず、聴こえるのは自分の足音と呼吸音ばかり。そんな心細い中を歩き、やがて暗く大きい広間に着いた。
広間は真っ暗でよく見えないが、高い棚が立ち並び、なにに使うかわからない器具がたくさん転がっている気がする。
意を決し、小夜は広間へと踏み込んだ。その瞬間に明かりがつき、暗くて見えなかった棚の間がよく見えるようになる。
そこには大勢の子供たちがおり、一斉に小夜のほうを振り向いた。
「来た」
「やっと来た」
「おかえりなさい」
「また会えたね」
口々に呟き出す子供たち。視界に映るどの顔にも、耳に入るどの声にも、まったく覚えがない。それなのに、彼らは小夜を知っていて、出迎えるように手を差し出してくる。
やがて子供たちは立ち上がり、手を伸ばしたまま押し寄せてくる。おかえりなさい、また会えたね、と機械的に繰り返しながら、生気のない目で迫ってくる。
その光景はこの世のものとは思えないほどおぞましかった。いつも見る悪夢ともまた違う、未知への恐怖。思わず後ずさり、広間から出ようとするが、いつのまにか来た道は消えている。
そこにあるのは白い壁。縋っても出口は現れず、手を伸ばす子供たちの声が迫り来る。
「ひっ、い、いやっ、やめて! 来ないでぇっ!」
小夜の悲鳴に、子供たちの歩みが止まる。一斉に首を傾げ、小夜に不思議そうな目を向ける。
「どうして?」
「なんで?」
「あなたはわたしたちと同じなのに」
「同じ存在」
「帰っておいでよ」
「帰っておいでよ」
話が通じない。小夜は耳を塞いだ。
「聞きたいのはこっちなのに……貴方たちのことなんて知らないのにっ、なんなの、なんで私がこんな……っ!」
抓った頬は痛い。引っ掻いた手首は血が滲む。ここは夢なのか、夢じゃないのかさえもわからない。
だけど、小夜にはひとつだけ確信があった。
小夜からあの子たちに触れたら、誰のところにも帰れなくなる、と。
「お姉ちゃん」
誰かが袖を引っ張った。その声には聞き覚えがあった。確か、生き物係たちと同じ孤児院にいた子の声。
振り向くと確かにその少女に違いなかった。眼鏡をかけていて、抱えている冊子も、あの時の計算ドリルだ。
あぁ、でも。あの子はバーサーカーに殺されたはず。
「一緒に行こう?」
それがどういう意味なのか、小夜には嫌でも理解出来た。衝動的に少女を振り払い、拒絶する。
「……ごめんね。まだ死ねないの」
まだ、小夜はアヴェンジャーになにもしてやれていない。ベルチェとセイバーにもお返しができていない。生き物係とランサーを慰められていない。
──そしてなにより、夢が見つかっていない。
「来るべき日はすぐそこなのに?」
「……知らない、そんなもの」
「お姉ちゃんは私たちと同じものなのに?」
「わかんない、そんなこと言われたって」
小夜は小夜だ。平坦な人生を送り、なにも成し遂げてこなかった人間だとしても、それなりやり残しがある。
だから、まだ死にたくない。
──そう願った時、小夜は頭上から、僅かに吹き込む熱風を感じた。
上を見ると、空から小さな手が伸びている。細くて、ぼろぼろの服を纏った、焼けるように熱い手。
小夜は迷わずその手を掴む。引っ張りあげてくれる力を信じ、ぎゅっと握りしめる。
そうして、そのまま体が浮く感覚がして──小夜は夢から目を覚ました。
「……大丈夫?
「アヴェンジャーさん……っ!」
気がつけばホテルのベッドの上におり、広間や子供たちは影も形もない。時計は午前の三時を指し、とうに日付が変わっている。
そして傍らには、手を握ってくれているアヴェンジャーの姿があった。その手が自分を引っ張りあげてくれたんだと思うと、抱きつかずにはいられない。
「あちっ!?」
「あらあら。私に抱きつくと火傷しちゃうわよ?」
思わず熱いと口から出てしまったけれど、その熱もまた、夢の中で感じた感覚のままだ。噛み締めていると、アヴェンジャーはなにかに気が付き、小夜の腕を指した。
「いつ怪我したのかしら。手首から血が出てるわよ」
「え? あっ、本当だ。ってことは、あれは夢じゃなかったのかな……?」
よくわからない。夢の中にしては、感覚がリアルだったし、自分につけた傷がそのまま残っている。
ソラナンが小夜にかけた魔術だったんだろうか。そもそも魔術とはなにかを知らない小夜に、考えても答えは出ない問題だった。
そんな小夜のもとに、ベルチェとセイバーが姿を見せた。
「……ん。目覚めたか、小夜」
「あっ、ベルチェ、さん」
「呼び捨てでいい。ま、年上だということは忘れないでほしいけど」
むすっと頬を膨らませるベルチェ。とても年上には見えないが、可愛らしいのは確かだ。
「……あっ、ごめんなさい、こんな遅い時間まで」
「構わない。どうせ眠れなかったし」
「サーヴァントは眠らなくていいからって花札に付き合わされたからな、オレ」
「ノリノリだったくせに」
どうやら眠れずにセイバーと花札に興じていたらこんな時間になっていたらしい。ものすごい夜更かしだ。
「それはそれとして……小夜。なにがあった? なにか見たか?」
「あ、えっと……はい」
小夜は見た夢のことを説明する。セイバーもベルチェも真剣な顔つきになり、アヴェンジャーは小夜のことを心配そうに見守ってくれていた。
話終えると、ベルチェは顎に手をあて、考え始める。
「なるほど。白い広間に知らない子供と死んだはずの子供、か。
私には見当もつかないが、それがただの嫌がらせでなくなにかのヒントだったなら、小夜の訪れたことのある場所かもしれないな」
ベルチェの呟きに、小夜はふと引っかかりを感じた。
小夜ではとても手の届かない高い棚に、散乱する知らない器具。白い壁と床。
もしかして、あの広間の光景は、十三年前のあの場所ではなかろうか。
「あ。えっと、私が覚えてる一番古い記憶の場所に、夢の中の広間が似てるかもしれません。
病院みたいなところで、外国人の初老のおじさんに名前をつけてもらったんですけど」
「……なに? それはいつの話?」
「十三年前です」
「その頃、ソラナンは時計塔講師をしながらもよく日本に通っていた。
男の髪は赤かったか?」
「……はい」
ベルチェは慌ててノートパソコンを電源につなげ、起動する。霜ヶ崎市内の病院を調べ、その中のひとつの情報を目にした時、ベルチェの目の色が変わった。
「創立者、シヴェール・ハイジット。こいつは当時のソラナンの協力者、魔術師だ」
「ってことは……?」
「ソラナンは小夜の名付け親と同一人物かもしれない。奴らは小夜の記憶を利用し、ここへ誘導しようとしていたのだろう。
──夜が明けたら打って出る。それまで小夜は休んでおいてくれ」
あの男が小夜の名付け親であり、記憶にない小夜の過去を知る者なのだろうか。だとしたら、ソラナンとの因縁はベルチェだけでなく、小夜にもある。
小夜は傍らのアヴェンジャーと視線を合わせ、頷きあった。