対峙──チルドレン・アートグラフ(前)
おそらく夜が明けただろうことを、書斎にこもっていたキャスターはパソコンのデジタル時計で認識した。書斎には窓がなく、廊下に出てやっと明るくなっているのがわかる。
今日は決戦の日である。
ドロレスたちはセイバー及びアヴェンジャーと真正面から激突することを決定し、キャスターの休暇は終わりを告げた。
そこは別に構わない。これは聖杯戦争だ、休暇が一日あっただけでも幸運なくらいである。
問題は、写真を満足するほど撮りきれていなかったことだった。せっかく己が己であるための趣味を満たそうと思っていたのに、まさか謎のサーヴァント相手に翻弄されてしまうとは。
キャスターはそのぶん、アーチャーを撮ってやろうと考えていた。夜更けまで似合いそうな衣装を模索し、考案したいくつかの全身セットを手押し車に乗せ、彼女が待機している部屋へと運んでいく。
「アーチャー、入りますよ?」
扉をコンコンと叩き、返答がないのでそのまま開ける。すると途端に鼻につくアルコールの匂いが漂い、キャスターは思わず顔をしかめた。
「うわ酒臭っ!? どれだけ呑んだんですか……!?」
「なんだ、キャスターか……関係ないでしょ」
「この部屋でマッチ擦ったら大爆発しそうですね」
「その時はあなたも道連れね。あなた、マッチに狙われてるもの」
アーチャーの部屋には飲み干した酒類の缶や瓶が散乱していた。彼女がお酒好きなのは知っているし、サーヴァントが現世の酒で酩酊しないのは間違いない。
キャスターはそれより衣装に酒の匂いがつくのを嫌がり、アーチャーを部屋の外へと誘った。
「今度はなに? ヒトの部屋を覗きに来ただけじゃなかったの?」
「いえ、むしろこっちが本命というか。いろいろ着てみて欲しい衣装がありまして。ぜひ撮影会をしたいといいますか」
「……あなた、変なサーヴァントね。私たちはマスターに従っていればいいだけなのに」
アーチャーから帰ってきたのは了承でも拒絶でもなく、悲しげな瞳だった。その目がどうも引っかかって、キャスターは誘い文句よりもかけるべき言葉を脳みその中から探り、見つけ出そうとする。
「……君にも召喚に応じた理由があるでしょう。聖杯は願いを持たない英霊を呼び寄せません。どこかで、なにかを願っているのではありませんか?」
「願い……?」
「あ、えと、迷惑だったら申し訳ございません。ですが、あなたにも笑顔でいて欲しくって」
「そう」
アーチャーの答えは短かった。しかし、その瞳にもう諦めたような悲しさはなく、キャスターの言葉を胸に留めてくれているらしい。
胸を撫で下ろし、キャスターはもう一度本題を呼びかけた。
「それでは撮影会をしたいのですが──」
「だめ。相手はいつ来るかわからないんだから」
「そんなぁ」
結果は拒否されてしまったのだが。
◇
「──さて。到着だ」
日が昇るまで休息をとり、ホテルを出発したベルチェたち。向かった先は小夜の生まれた場所かもしれない総合病院だ。
病院は霜ヶ崎で最も高い山にほど近く、住宅街の外れに突如現れるように佇んでいた。
到着したついでにベルチェが少し調べたところ、どうやら格のある霊脈の上に建っているらしい。
創立者の名が魔術師のそれであり、建物は霊脈の上。ドロレスやソラナンの魔の手が伸びているのはほぼ間違いない。彼らはそこで待ち受けているだろう。
ベルチェは深呼吸をして、周囲の面々に問いかけた。
「準備はいいか?」
頷きが五つ返ってくる。ベルチェもまた頷きを返し、病院の中へと踏み込んだ。
ロビーには誰もいない。受付の看護師の姿すら見えず、照明となるべき蛍光灯が軒並み壊れており薄暗い。不気味な雰囲気に包まれており、警戒しながら進むしかない。
どうやら病院としての機能は停止しており、魔術回路が持たない人間が近づかないよう人払いの魔術がかけてあるらしい。
誰もいない病院は静寂に包まれており、恐怖を煽る。
「……ん? 少年、どうかしたか」
道中、生き物係がベルチェの袖を引き、廊下の一部を指差した。
見ると、どうやら幾重もの魔術式とかなり強固な結界が仕掛けられているらしい。人払いをしたうえで隠匿するとは、余程決闘を邪魔されたくないらしい。
それをランサーが枝の一突きで破壊し、結界が解けたことで現れた階段を降り、地下通路へと潜っていく。
同時に、迷宮めいた構造の先にいったいなにが待つのかと不安が膨らんでいく。
中でも小夜はひときわ嫌な気配を感じているらしく、冷や汗までかいている。
「あ、あの、余計なこと言ってることになるかもしれませんけど……その、地下に降りてからの道のり、一緒なんです。私がきのう見た夢の、ぐちゃぐちゃな風景の迷路と」
「では、正解に間違いないということだな。ありがとう小夜、自信が確信に変わった。
さっさと終わらせて、美味しいスシでも食べに行こう」
ベルチェはわざと前向きに取り繕った。小夜の夢がヒントになっているとしても、待ち受けるものまで同じになるはずがない、と。
小夜も生き物係も、少なからず不安を覚えているだろう。ベルチェ自身も、サーヴァントたちだってそうだ。それが少しでも和らぐといいのだが。
警戒しつつ先行するサーヴァントたちとともに、やがて大きな広間にたどり着く。
そこは真っ白で高い棚の部屋などではなく、岩に囲まれた風景だ。どうやら、ここは山の内側にできた大きな空洞らしい。どこかに穴があいているのか、風のような音が絶えずしている。
一般人が寄り付くはずもなく、他のサーヴァントでさえも探知するのは難しいだろう場所。
なるほどここが決闘の地か。ベルチェは息を飲み、広間へと足を踏み入れる。
「──ようこそ、セイバーにランサーにアヴェンジャー! これで一度に五つもの陣営が一堂に会するなんて圧巻だよ」
「御託はいい、ソラナン。姿を見せろ」
「あぁ見せるとも。その前に、決闘場は明るくしないとな」
ソラナンが指を鳴らしただろう音が広い空洞に響き渡る。すると、壁に取り付けられた無数の松明が一斉に炎を灯し、視界は明瞭になった。
大空洞の全貌。待ち受ける二騎のサーヴァントと、そのマスター。そして──目に映してはいけないモノ。
「……おい、なんだよ、アレは」
大空洞の中央に鎮座するモノ。それは神々しく輝く杯でなく、おぞましく忌まわしい存在だった。
数十メートルはあろうかという巨大な物体でありながら、その全てを構成する要素が人体である。数多くの人間を繋ぎ合わせ、強引に一つにしてあるのだろう。
──風の音は吹き込む空気ではなく、あの人体どもが苦しげに呼吸する音だったのだ。
肉塊は絶えずどくどくと脈動し、吸気により無数の小さな肺を膨らませる。その光景は、ベルチェも、小夜も生き物係も、決してこの先忘れることのできないだろうものだった。
或いは、これがただの悪趣味なオブジェであったなら、憤るのみであったかもしれない。
だが、ソラナンは誇らしげに話してみせる。あの肉塊がなんなのか。
「見るがいい。あれが聖杯──我々が作り上げた、万能の願望器」
「なッ──」
「冬木の聖杯とは、第三魔法を再現したホムンクルスの魔術回路を置換したものだ。我々には一生かかっても到達できない代物さ。
だが、このやり方ならできる。良質な回路を持つように弄った子供を何世代にも渡って大量に用意し、集合的無意識のかたまりを作り上げ、増幅した魔術回路でこの空洞すべてを覆い尽くす。
これが、わずか数十年で完全な聖杯戦争を模倣するやり方よ」
あろうことか。数え切れないほどの子供たちを生け贄──否、生け贄すら生温いほどの責め苦に晒しておいて、あれが聖杯だと。あんなモノに願いを託していたのだと。
突きつけられた現実はあまりにも凄惨で、サーヴァントもマスターも、皆が立ち尽くす。
そして、最初に異変が起きたのは小夜だった。頭を抑え、膝から崩れ落ち、苦しみに喘ぎはじめる。
「……っ、ぅあ、あぁっ、な、なにっ!? や、やめて、来ないで、来ないでよ……っ!」
「
アヴェンジャーの言う通りであれば、最悪の正夢だ。彼女が寄り添っていなければ、小夜はきっと耐えられない。
この場での復帰はおそらく不可能であり、戦力を一騎ぶん失うことになる。しかし、ここでケリをつけなければ、いつチャンスが巡ってくるかもわからない。
「アヴェンジャー。小夜を連れて下がって。アイツらは私たちでやる。
セイバー、ランサー。お願い、アイツらを倒して」
「あぁ……!」
「もちろんよ」
セイバー、ランサー、アーチャー、そしてキャスター。四騎のサーヴァントが前へと出て、剣を抜き、矢を手にし、互いに対峙することとなる。
そして──どくん、とひとつ、聖杯が大きく脈動したのを皮切りに、英霊たちは動き出す。