Fate/Kindergarten   作:皇緋那

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監獄──ブラッドレッド・ハート

 ──閉ざされていた目を開き、レイラズが最初に見たのは汚れた天井だった。天然の洞窟とは違う人工物の質感で、なにかの液体がこびりつき変色している。

 恐らくは乾ききった血液だろう。それもひとりぶんではなく、(おびただ)しい量だ。

 

 さらに視界の端には鉄格子が映り、レイラズはこの場所が地下牢だと理解した。

 さらに、一昨日夢に見た景色と一致していることも認識する。ということは、ここはエリザベートの居城、チェイテ城なのだろうか? 

 

 レイラズは自分の手を握っては開き、それから上体を起こし、自分の体がしっかり動くことを確認する。

 着ているコートもそのままで、衣服は乱れていない。仕込んだ礼装はいくつか紛失しているが、最低限戦闘を行えるだけは残っている。

 残念なのはドロレスたちを従えられる自信作がなくなっていたことだが、それを悔やんでもしょうがない。

 

 ついでに、儀礼用のナイフで少し腕を傷つけ、夢でないことも確かめる。切りつけた瞬間鋭い痛みを感じ、しっかり出血している。これは夢ではない。

 

 しかし、ここはどこなのだろう。レイラズは大聖杯から伸びた触手に飲み込まれた、ような。

 

「ようこそ、チェイテ城へ。歓迎するわ、レイラズ・プレストーン」

 

 振り向くとそこにいたのはひとりの少女。赤い髪をした、見知らぬ女の子だった。

 

「こうして顔を合わせるのは初めてだね。なんだか少し嬉しいかも」

 

「……あ、貴女は……?」

 

「うーん、名前は自分でも忘れちゃった。

 そうね……『ローラ』としておきましょうか。えぇ、それがいいわ」

 

 偽名として、彼女はローラを名乗った。そんな名前の知り合いは心当たりがなく、レイラズは懐疑の視線を向ける。

 

「……どうして、私の名前を知ってるの?」

 

「あの子の()で聞いていたの」

 

「……ここがチェイテ城って、本当?」

 

「正確には、当時を再現した結界ね。聖杯の中だもん、魔力をつぎ込めばどんな景色だって再現できちゃう」

 

 周囲を見ても、レイラズとローラはともに牢に入れられていることくらいしかわからない。

 濃密な魔力の気配は確かに感じるが、一方でアサシンの姿はどこにもなかった。

 

「そうピリピリしなくていいのに。ただ、あなたとお話したいって思っただけなんだから」

 

「……お話?」

 

 こんな初対面の人間と話すようなことはないはずだ。そう思いつつ、半ば睨むようにローラの顔を見た。薄暗いせいか、その姿は少しぼやけ、細部はよく見えなかった。

 レイラズは彼女が何者か、まだ掴めずにいる。

 

「──ねえ、レイラズ。エリザベートは可愛いでしょう?」

 

 そんなローラから放たれた言葉は、予想外のものだった。敵意の表明でもなければ、交渉を持ちかけているわけでもない。彼女はただ、彼女の抱く感情を言葉に乗せているだけだ。

 呆気に取られ返事をせずにいたレイラズに対し、ローラは続ける。

 

「だって、あの子はね。

 子ブタのように盲目で、子リスのようにがむしゃらで。

 子イヌのように道を間違えて、子ジカのようにか細く泣いて。

 そして、ドラゴンのように激しくて美しい。

 あんなに完全で不完全な女の子、わたしたちは他に知らない」

 

 ローラはその不明瞭な目を輝かせて語っていた。それは殺人鬼エリザベートへの恋情だ。愛を歌うには血に汚れすぎた監獄城の地下に、少女の感情たちが響く。

 そして──その感情の群れは、レイラズにも理解出来るものだった。思わず小さく頷いたのを、ローラは見逃さない。にこにこと、同意を求めてくる。

 

「そうでしょう、そうでしょう?」

 

「……う、うん。た、確かに、彼女は可愛らしいって、思うけれど」

 

 レイラズはエリザベートに憧れて彼女を召喚した。彼女の在り方は、レイラズの傀儡みたいな人生からは輝いて見えた。てらてらと光る、生暖かな鮮血の色に。

 

「ローラ、貴女は、エリザベートのなんなの」

 

 少しばかりの嫉妬を込めた問いに、目の前の少女は楽しそうにくるくる回って、レイラズから儀礼用ナイフをひったくると、自分の腕を傷つけてみせた。奇しくも今のレイラズと同じ傷だった。

 

「わたしたちはあの子にたくさんお仕置きされた。召使いだったわたしたちは、ある日エリザベートの折檻で血を流したの。こんなふうに。あぁ、もっと勢いよくなくちゃ。

 こうすれば、いいかな?」

 

 ローラは躊躇いなく、もっと深く傷をえぐった。わざわざ己の出血を悪化させるような真似をして鮮血を飛び散らし、レイラズの手の甲に付着させる。

 すると、彼女はまた嬉しそうに、その返り血をちぎったエプロンの裾で拭う。

 

「ほうら、綺麗になったでしょ?」

 

「……まさか、これって」

 

「そう。わたしたちはエリザベートの侍女で、農民の娘で、貴族の娘でもあるわ。

 彼女に殺された被害者の誰か。彼女に恋をしてしまった無名の犠牲者の成れの果て。

 それがわたしたちだもの」

 

 折檻した侍女の返り血により、エリザベートは処女の生き血こそが美貌を保つために必要なモノだと思い込んだという。ローラが実演してみせたのはそのエピソードに違いない。

 それはつまり、目の前にいる存在──幻霊『ローラ』とでも称するべき存在が、エリザベートの被害者の集合体であることを示している。

 

 なるほど。とすれば、ローラは小説『カーミラ』の主人公の名であろう。作品においてローラは、女吸血鬼に恋をした少女だ。

 同じようにエリザベートを恋慕する彼女たちが名乗るにはうってつけの名だといえる。

 

「……と、いうことは……あの子の霊基に混ざってるのは、あ、貴女たち、なのね」

 

 彼女の言動から判断すると、エリザベートの意識が混濁しているのは、大量の人間の集合体であるローラが入り込んでいるからだろう。

 そしてその予想が正しいかはすぐにわかることとなる。腕から流血したままのローラが答えを述べるからだ。

 

「そうよ、わたしたちの仕業。

 あの子が罪に向き合わないための枷なんだから」

 

 その答えを聞くや否や、レイラズは衝動的にローラへと詰め寄っていた。彼女が振り上げる前にナイフを奪い返し、エリザベートがそうするようにその胸に突き立てた。

 

「っ、痛い──」

 

「わ、私もたぶん、貴女たちと同じ、だと思う。あの子に恋をしてしまった、哀れな子ヤギ。

 だ、だからこそ……私は、貴女たちを、こうしなくちゃ」

 

「痛いわ……また、殺される、のね、わたし……」

 

 胸にナイフが突き刺さったローラは、血の海を作りながら倒れる。

 

 苦しむ彼女は本当のエリザベートじゃない。混濁も幼児退行もしていない彼女に会いたい。レイラズの中に浮かび上がったのはそういう衝動だった。

 元々、エリザベートから混濁の原因となるスキルを引き剥がすために聖杯を起動したのだ。こうするしかない。

 

 それに何より──ローラのことが羨ましかった。殺人鬼じゃなかったころのエリザベートを、レイラズが知らない彼女を、ローラの中の誰かは知っているんだから。

 

 けれど、ローラの声は今度は背後からも聞こえて来る。その細部のぼやけた姿が現れる。

 

「わたしたちをどれだけ殺しても無駄だよ。わたしたちはもうエリザベートに殺されているもの。

 この体だって誰かをベースにしただけの仮初なんだから」

 

 レイラズにも、それが無意味な行動とわかっていた。だけれど、目の前に転がる犠牲者の残りかすは、彼女に覚悟をさせるには十分な光景だった。

 

「……私も、貴女たちみたいになりたいな」

 

 ──その歪みきった呟きを以て、聖杯はローラの願いは叶えたと判断する。チェイテ城を模していた空間は崩壊し、魂の海がレイラズを再び飲み込んで、今度はどこかへ吐き出していく。

 

 もはやその最中に脳裏へと響いてくる、聖杯にされた者共の怨嗟の声など、レイラズにとっては雑音に過ぎない。

 彼女の目蓋の裏には、アサシンの姿ばかりが浮かんでいるのだから。

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