霜ヶ崎市のとある教会に勤めるシスター、
自分が自分ではない誰かと混ぜ合わされて、意識が薄く伸ばされて、自分が消えていく。そんな夢だ。
体も心も、魂までもが引き裂かれる感覚。それは現実世界でも思い出しては立ちすくみ冷や汗をかいてしまうほど恐ろしく、気味の悪いものだった。
「……うわ、寝汗やば」
小夜はその日もその夢を見て飛び起きていた。この頃寝付きが悪く、深夜に目が覚めた挙句二度寝も出来ず、頭を抱えながら歩くのはよくあることだ。
時計を見ると、針が指しているのは午前2時。朝のお祈りまではまだ時間がある。
小夜は他の修道女たちを起こさないようそっと行動を開始した。
着替えの途中で寝汗を拭き取り、部屋を出ようとし、そういえば返し忘れていたものがあったと机の上の絵本を手にとる。
題名は「マッチ売りの少女」。使徒職の一環で幼稚園へ読み聞かせに赴いた際に持っていったものだ。教会の本棚に置いてあったのを借りていた。
子供たちに聞かせるにしては悲しすぎる。けれど、昔から小夜はこの童話を嫌いになれない。
誰からも助けられず、誰にも知られず、ひとり凍えて消えていった女の子。
シスターになったのも、彼女のような子どもに手を差し伸べられるように、なんて動機だっただろうか。
そんな感慨を抱きながら、絵本を片手に部屋を出る。
まだ19歳でしかない小夜が、まだまだ暗い時間帯に独り出歩くのはよろしくない。それは本人も理解している。
だが、自然にでも触れていないと、夢のせいで気が狂いそうだった。
「最近ただでさえ体調よくないのに追い討ちかけないでほしいですよ、ほんと」
誰に聞かせる訳でもない嘆きをため息まじりに吐き捨て、やる事もないので花壇の花に水をやり、あとは気分を紛らすための放浪だ。
花を眺め、月を眺め、さすがに夜は寒いので屋内に戻る。
無論、教会には誰もいない。小夜が幽霊を信じていたとしても、ここは教会で彼女はシスターだ。悩みを聞いて成仏させる努力はするだろう。
けれど、相手が生きた人間で、かつ道徳を持ち合わせていないのならそうはいかない。
そして最悪なことに──この日、偶然にも教会は無人ではなかった。
礼拝堂に人影があることに気がつき、小夜は怪しみながら影から様子を見た。人影は男性、それも金髪で外国人だろうか。少なくとも小夜の知っている人物ではないことは確実だ。
不法侵入者。こんな深夜に、泥棒にでも入ったのか。それなら、ここはシスターとして注意しなければ。
小夜は頭痛を覚えつつも、礼拝堂へと足を踏み入れようとした。
「──何者だ!?」
なにか見えない膜に触れて破ってしまったような感覚がして、小夜は驚き目を丸くする。と同時に、男は振り向き構えた。
「あ、えっと、待ってくださいね。私、ここのシスターなんですけど、なにも盗らなかったら警察に通報まではしないっていうか」
「シスターだと? 人払いの結界を施しておいたはずだが……まさか、貴様聖堂教会の!?」
「えっ、なんの話ですか? 泥棒用語?」
小夜には男の言葉の意味がわからなかった。彼が慌てている理由も、泥棒行為がバレたからだと思っている。
だがそうではない。
足元には首をはねてあるニワトリが数羽ほど転がっていて、床になにかしらの魔法陣が書いてある。
実の所、この教会は霜ヶ崎の中でも龍脈がある程度集まっている土地に建っていた。男の正体とは、そこへ忍び込み、サーヴァント召喚の儀式を行おうとしていた魔術師である。
そんなことをただの一般シスターである小夜が知るはずもない。首を傾げるばかりだ。
だが魔術師の参加しようとしている儀式──聖杯戦争には目撃者の抹殺というルールが存在していた。神秘の秘匿のため、一般人は殺さなくてはならない。
ゆえに男は腕を構え、魔術を放った。小夜が避けられるはずもなく、それは銃弾めいて彼女の胸を貫いた。
「──え?」
手足に力が入らなくなり、痛みに叫ぶ間もなく小夜は倒れ伏した。
穿たれた心臓は経験したことのないほど脈動し、そのたびに孔から大量の鮮血が溢れ出ているのがわかってしまう。
それは夢の中で見た自分が消える感覚のようで、痛いよりも不快だ。
──私、ここで死ぬのか。
霞む視界に映る絵本は、彼女の運命を象徴しているようにも見えた。
誰にも助けられず、誰にも知られず、ひとり凍えて消えていく。
──それが雪村小夜という女の運命なら構わない。けれど、最後に幸せな幻影くらい、見せてほしかったな。
そんなふうにかすかな願いを抱き、小夜は瞼を閉じようとした。
直後、その願いが聞き届けられるとは知らずに。
「な、なんだこれは!? 馬鹿な、私はまだ詠唱もしていないんだぞ、なのになぜ起動している!?」
男が鶏の血で描いていた魔法陣より、突如炎が噴き上がる。赤く、赤く、生命を肯定するように輝き、渦を巻く。
その内側より現れたのは少女だった。
ぼろぼろの服を身に纏った、小柄で痩せた哀れな童女である。
「──あなたが私の
炎が晴れ、彼女は幼く無邪気な笑みを見せた。
魔術師は問いかけが自分に向けられたものだと気がつくと、大きく頷きながら答える。
「そ、そうだ! おまえは私のサーヴァントだ、ほら、ここに令呪が」
だが、彼が答えたその瞬間だ。炎の群れが右腕を包み込み、焼き尽くした。一瞬にして炭化した腕は崩れて地面に落ち、もはや痛覚が作用することもなく、また彼の魔術回路に根付いていた聖痕はもはや跡形もない。
「あら? 嘘はいけないわ。令呪なんてどこにもないじゃない」
遅れて状況を認識した男だったが、すでに
「嘘つきさんにはおしおきしなきゃ、ね?」
「待っ──」
言葉を遮って、彼は熱に呑まれ、瞬間的にその生を終える。残るのは灰になって崩れ落ちる肉の成れ果てだけ。
そうして一仕事を終えた少女は、無邪気な笑顔を崩さないまま、倒れている小夜に歩み寄った。
「幸せな
小夜は目の前の少女がなにを話しているのか聞き取れないまま、目を閉じて意識を手放した。
◇
小夜が目が覚めすと、すでに日が昇っていた。天井は見慣れた自室のもので、寝転がっているのもベッドで間違いない。
今までなにをしていたのだろう。うまく思い出せず、小夜は自分の胸を確認した。いつも通り、傷一つない綺麗なEカップである。
「ということは、夢オチか。最近悪夢続きでほんと嫌になる──」
「あら、目を覚ましたのね、
「──っ!?」
視界に飛び込んできたのは破けたフリルや傷んだ金髪だ。それは夢の中で炎より現れ、不審者を燃やして助けてくれた女の子だった。
「えっ? ちょ、あれって現実だったんですか? だったら私、もう心臓ぶち抜かれて死んでるはずじゃ」
「そこはよくわからないわ。私も魔術には詳しくないもの。でも、
「魔術? え、私、魔法使いなんですか?」
あの男もこの少女も知らない言葉をたくさん使ってくるな、と小夜は思った。聞きたいことは山ほどあり、言い出せばきりがないだろう。
でも何よりも気になるのは、少女の正体であった。炎の中から出てきたと思ったら炎を操ったり、彼女も魔法使いなのか。
そのことを聞くと、女の子はくすくす笑い、その場でくるりと回ってみせた。
「私は
「サーヴァント? アヴェンジャー……?」
事情は不明ながら、あだ名で呼んでほしいなら小夜もそうしよう。首を傾げつつ、頷いた。
ふと時計が目に入る。時刻は朝8時。すでにお祈りの時間を過ぎている。
「あ……私、お勤めが」
「あなたがあまりにも辛そうだったから、今日はゆっくり休んでいいことにしてもらったわ」
「あ、えっ、ありがとう、ございます」
実際、体の内側が熱く、凄まじい疲労感もある。さらには四肢を動かそうとすると少し違和感を覚えてしまう。
これだと使徒職は満足にこなせそうにない。誰かが代わってくれたのだろう。
ここは恩情に甘え、お休みさせていただこう。
小夜はそのままベッドに入り直し、アヴェンジャーの視線を感じて落ち着かないながらも、なんとか眠りにつく。
『
彼女はベッドの傍らで、眠る小夜を眺め、やがて小さな声で呟いた。
「待っていてね、
──巻き込まれたシスターと、かわいそうな少女。ふたりが織り成す運命は、幸せな夢か、それとも凍える破滅か。