暗雲──アンクリア・セレナーデ
ベルチェの魔術で彼女の宿泊するホテルの一室まで吹き飛ばされた小夜とアヴェンジャー。
聖杯の魔の手を逃れた彼女たちは、呑み込まれた同盟相手の帰りを待つしかなかった。
理由は単純だ。小夜の体調が優れず、とても外を出歩ける状態になかったからである。
小夜の脳裏には恐怖と不快感がこびりついていた。眠ろうとすると、聖杯にされた子供たちの腕が迫ってくる悪夢を見た。
耳鳴りや頭痛や倦怠感も当然のように付き纏ってくる。アヴェンジャーと出会う以前からそのような兆候はあったにしても、ここまでのものじゃなかった。
──それでも、あの地下空洞で感じた、地獄を味わったかのような感覚よりはまだマシだけれど。
そのまま夜が訪れ、また去っていき、朝になった。ベルチェとは連絡がつかないまま、聖杯戦争はついに五日目へと突入する。
「
「……えと、だいぶ、楽になりましたよ」
アヴェンジャーは心配そうに付き添って、健気に看病してくれている。今だって汗を拭いてくれているし、助けてもらってばっかりだ。
そんな彼女に対して苦しいと答えるのは、とっても申し訳なくて、小夜は嘘をついた。
──その時、いきなり部屋の扉が開く。
「ただいま帰還致した」
「戻ったぜ……っ!?」
現れたのはずっと待っていた相手──ベルチェとセイバーだ。小夜はその姿を見るなり安堵して、胸を撫で下ろす。
しかしその時やっと気がついた。小夜は体を拭かれている真っ最中。つまり、下着しか身にまとっていない、ということに。
この場にいる唯一の異性であるセイバーは慌ててそっぽを向き、顔を隠した。慌てて普段着を着用しようとし、よろめいたのをアヴェンジャーに支えてもらったりしながらも、改めてふたりを出迎える。
「え、えと、おかえりなさいです……」
「お、おう、戻ったぜ」
なんだか気まずい空気になってしまった。
シスター同士の共同生活に慣れていたぶん、小夜の警戒心が足りていなかったかもしれない。セイバーはなにも悪くないのだ。
「えっと、その、なんかいろいろあったみたいですけど、そっちは大丈夫だったんですか?」
「ま、まあ、なんとかな。ベルチェに助けてもらったからな」
話題を変えようと、セイバーと互いにぎこちない会話を交わす。
そんな小夜のことをじろじろ見回して、ずっと黙っていたベルチェが口を開いた。
「小夜。体調は大丈夫?」
「え、あ、はい。その、動けないほどではないので」
「……あのジジイが置き土産になにか仕掛けていったかもしれない。私も腕がいいほうではないが、診察させてくれないか?」
また上辺を取り繕った小夜だったが、善意の提案は断りきれない。隣にいるアヴェンジャーの顔を見ると、やはり心配そうな表情だった。
「……お願いします」
「お願いされた。では、少しお風呂場を借りようか──」
◇
ベルチェの提案による診察を受け入れた小夜。どうしてお風呂場に行く必要があるのかと、彼女に言われるまま服を脱ぎながら考えていた。
すると、気がつけばベルチェも服を脱いでいる。金属のアクセサリーが擦れて高い音を立てながら籠に収められていき、彼女の素肌が露わとなっていく。
ベルチェは小夜より年上らしいが、発育の面ではやはり年端もゆかない少女にしか見えない。
だけど、魔術師らしく、一般人とは少し違うこともあった。
背中に不思議な紋様が描かれており、それを取り囲むように縫った跡があるのだ。
「ベルチェ……さん。それって」
「ん? あぁ。これは魔術刻印で、このへんは手術痕だな。ここからも出せるぞ」
じゃらりと音を立て、不思議な紋様から十数センチぶん鎖が飛び出した。彼女に促されて触ってみると、人肌に温まっている。
このように、ベルチェの魔術は鎖を用いたものだ。これらは武器や拘束具としてだけでなく、センサーとしても使用することができる……らしい。
そこまで聴いて、小夜は素朴な疑問を口にする。
「それで、どうして裸になる必要が……?」
「鎖と素肌を密着させた方がわかりやすい……あと、疲れたからシャワーを浴びたかっただけともいう。
なにより──」
ベルチェはわざとらしく言葉を溜め、小夜が尋ねるのを待っているかのようだ。
「なにより……なんですか?」
「日本の漫画作品曰く、女子の友達同士では胸の揉み合いっこをするらしい。
というわけで、裸の付き合いを所望する!」
なにが「というわけ」なのかはわからないが、真剣な顔でびしっと指をさすベルチェを前に、ここまで来て断れない。
小夜が言い淀んでいる間に、さっきの人肌に温まっている鎖が伸びてきて、全身に絡みついてくる。
「さっきのは冗談だったんだが……まあ、こうした方が早く済むのは事実だから安心してくれ。
さて、申し訳ないが、少し我慢を頼む」
そう言って目を閉じた彼女は、よくわからない英語やドイツ語らしいことをいくつも呟き始めた。
これが詠唱というやつだろうか。なんというか、とてもそれっぽい。
だけど、それがずっと続いていると、なんだか葬式のお経みたいにも聴こえてくる。
やがてベルチェがお経を唱えるのをやめると、小夜の体に巻きついた鎖が外れる。魔術による診察が完了したようだ。
「ど、どう、でした?」
「……自律神経の一部がうまく機能していないな」
診断結果には、まずよく聞く言葉が出てきた。確かに、自律神経が狂っていると耳鳴りや頭痛や倦怠感といった症状があらわれるらしい。
「ストレスですかね、あはは……」
冗談めかして言ってみる。けれど、ベルチェは乗ってこなかった。代わりに神妙な顔をして、躊躇いながら続きを話す。
「これは……貴方に告げるべきではないのかもしれない。けれど、己の体がどうなっているのか、知りたいならこのまま聞いてくれ」
彼女がそう言うのなら、ただストレスでやられているわけではないのだろう。
だけど、きっとこれは知っておかなければならないことだ。これからも、誰かの役に立ちたいんだと思い続けるのなら。
少しの沈黙の後に、少女はまた口を開いた。
「結論から言おう。貴方の体は、恐らくもってあと数日だろう」
その言葉を聞いても、小夜はあまり驚かなかった。心のどこかで薄々勘づいていたんだと思う。
「そうですか」
「……やけに反応が薄いな。もっと驚いたっていいのに」
「なんとなく、わかってましたから」
笑ってごまかす小夜に、ベルチェは悲しそうに目を逸らした。
「えと、その、それで、私が死んじゃうのはどうして……ですか? こう、病気とか、あったり?」
「……いや。そんな生物学的な話じゃない。貴方の体内に聖杯の器が溶けているからだろう」
彼女は彼女なりの推測を語った。
小夜は七歳までを過ごした病院で、恐らくはソラナンによって、聖杯の器となるものを埋め込まれた。
器とは、大聖杯に繋がる端末であり、脱落したサーヴァントの魂を回収し保管するものだという。
その機能を補助するため、聖杯と繋がり器が起動した瞬間から、徐々に生体機能が奪われていくのではないか。
──ベルチェにそこまで話してもらって、なんとなく理解した。
「私……あの子たちと同じになるって、ことですよね」
小夜もまた、聖杯にされた子供たちの一人だったんだろう。夢の中で、彼らが『小夜も同じ』だと言っていた意味がやっとわかった。
それは杯になって死んでいく、その運命のことを言っていたんだ。
「……どうか、悲観しないでくれ。私は聖杯にされた彼らを、願望器の力で救えるはずだと信じている。きっと小夜もなんとかなるはずだ」
ベルチェは小夜の手を握り、そう言ってくれた。だけど、小夜の手よりも、彼女の小さな手の方が震えていた。
小夜は幸せ者だ。出会ったばかりの彼女に、そんな感情を抱いてもらえるんだから。
「シャワー、浴びませんか? 裸の付き合い、してみたいです」
「……すまない。これじゃあ、私の方が慰められてしまっているな」
小夜がハンドルをひねると、シャワーヘッドから冷たい水が降り注ぐ。
まるで、空を閉ざす暗雲から降り注ぐ冷たい雨に打たれているみたいだった。