ここ数日、霜ヶ崎市ではガス爆発や行方不明事件、または殺人事件が相次いで発生している。
それらが聖杯戦争によって引き起こされたことなど知らぬ一般人たちにとって、それらは日常を乱す異常な出来事に違いない。しかも頻発していると来れば、偶発的では済まされないと感じる人間もいるだろうか。
だが、それでも人通りの多い場所には変わらず人々集っており、賑わいを見せていた。
多様なジャンルの娯楽に関する店や喫茶店などが立ち並ぶこの通りも、またその一つだ。
自分には関係ないと思うのが人間の心理なんだろう。家族連れからチャラ男まで、さまざまな人々が行き交っている。
そんな街の通りを、たったひとりでとぼとぼと歩く女の子がいた。
リボンのついたカチューシャを身につけて、エプロンドレスに身を包み、しましまのニーソックスを履いた、金髪の女の子。まるで絵本から飛び出してきたかのような、大衆的なイメージの『不思議の国のアリス』そのものといった格好だ。
──その正体は、サーヴァント・キャスターにほかならない。
彼女は令呪により大空洞から脱出した。しかし、それからはマスターからの連絡もなく、辛うじて魔力供給でその生存が確認できるのみ。
同盟相手も失い、頼れるアテはない。彼女は途方にくれていたのである。
「はぁ……」
いつもの彼女なら、道を歩くだけでも、己の整った容姿をこれでもかと見せつけるように振舞っていただろう。
しかし、現在はその真逆である。周囲の空気が淀んで見えるほどの暗い表情で、頼りなくよろよろ歩いている。
「あの、大丈夫ですか?」
「……ご、ご心配なく」
心配して話しかけてくれた女性に対しても、この通りほとんど反応を示さない。
ここでどれだけ褒め言葉を投げかけたとしても、きっと同じように短い返答しか返さず、会話を続けようとしないだろう。
そして万が一、偶然通りがかったチャラ男が顔見知りだった場合も、彼女の沈んだ表情に変わりはなかった。
「おいお前、この間の生意気なガキじゃねぇか」
彼は、かつてアサシンにナンパを仕掛け、キャスターに阻止されたチャラ男の片割れだった。
容姿が整っている上に非常に目立つ格好のキャスターが、姿を覚えられていないはずがなかったのだ。
「一昨日はよくも邪魔してくれたな」
「はぁ……そっ、その節はどうも……」
「どうもじゃねえ! 俺に顔面殴られたの忘れたのか!」
「い、いえ、覚えていますが……その、ちょっと、今そういう気分じゃないので……」
そう言って、キャスターはこの日幾度目かのため息をついた。自信満々だったあの時とは事情が違う。守るべき女の子もいないし。
それをチャラ男もなんとなく察しただろうか。彼の視線は好戦的なものから、心配を含むものになった。
「まさか……お前、あの女に逃げられたのか?」
「な、なんでそうなるんですか。た、確かに逃げられましたが、そっちは別に堪えてませんよ」
発想がチャラ男らしいというかなんというか。言われてみればアサシンの写真を撮れなかったのは未だに後悔があるが……。
「ならどうした? 俺でよければ話聞こうか?」
彼がかけてきたのは予想外に優しい言葉だった。もっと面白がったりするかと思いきや、相談に乗ろうとしている。
彼が実は優しい人だというのなら、少しくらい話してしまってもいいかも──なんて、危うく乗っかりそうになったところで踏みとどまった。
待てよ、こいつは見知らぬ女の子にいきなり声をかけるような男だぞ。これも手口のひとつに違いない。
「……な、ナンパですか? あらやだ、いくら私が金髪美少女だからって」
「いや、普通に親切心だけど。ガキが落ち込んでたら見てて気分悪いだろ」
「あっはい、そうですか」
そこまで親身になれるのに、なぜ初対面の子どもを殴ったのだろうか。目の前の男の二面性を垣間見た気がして怖くなりつつ、ふと、キャスターは己の精神状態が少し回復しているのではないかと気がついた。
元々キャスターは社交的な人物だ。人と話した方が楽になるのは自然な流れである。
せっかくチャラ男が優しさを見せたのだ。いっそのこと、ここはナンパにひっかかり、相談事してやるのも悪くない。
結局のところそういう結論に至って、キャスターは路肩の縁石に腰掛け、全部は無理でも、一部だけ吐き出すことにした。
「私、仲良しの相方がいたんです。私に負けず劣らずの美少女だったんですけどね」
アーチャーのサーヴァント──真名はイリヤ・ムーロメツ。真っ白で無垢な、小さな英雄。
キャスターが引きずっているのは彼女のことだ。
彼女はルーラーと戦い、そして散っていった。圧倒的な強さを誇る相手を前にして、キャスターを庇って、である。
──散ってしまったことが悲しいのではない。人はいずれ死ぬし、サーヴァントだっていつかは消えていく存在だ。
だけど、だからこそ、キャスターは彼女に笑っていて欲しかった。心から、楽しいと思ってほしかったのだが。
「私、誰かの笑顔を見るが好きなんです。そのためにお話を書いたりなんかしちゃったりして……。
だから、彼女の笑顔もいつか見られたらいいなと思っていたんです。
でも、それはもう叶わない。だって、あの子はもう……」
聖杯戦争やサーヴァントなどといった具体的な語句を避けながらも、キャスターは男に心中を語った。
すると彼はやがて目頭を押さえて震えだし、やがてポケットから取り出したハンカチで涙を拭うようになっていた。これまた予想外の反応だ。
「うぅっ……お前、生意気だけど、健気だな……! ごめんな、一昨日は殴ったりして……さっきも喧嘩売るようなこと言って」
「えっ、そうやって謝られると、なんか、その、逆に気持ち悪いっていうか」
わからせてやる、とか言ってた一昨日の彼はいったい何処へ行ってしまったのだろう。
──とはいえ、こうして言語化すると、確かに心も軽くなる。落ち込んでいても仕方がない、なんて気分になってくる。
なら、今ここで決めよう。アーチャーのぶんまで、子どもたちを笑顔にするんだ。
それがキャスターに与えられた使命であり、これからはそのために戦う。
「えぇ、そうしましょう。あの子のためにも、笑顔に満ち溢れた世界を作らなければ」
キャスターはおもむろに立ち上がって、頷いた。
それから傍らにいる、いまだハンカチで涙を拭いている男に礼を言う。彼のおかげで、色々と楽になったのだ。
「え、えっと、ありがとう、ございました?」
「おう、頑張れよ。えっと……そういや、名前聞いてなかったっけな」
そういえば、お互いに名を名乗ってすらいなかった。しかしクラス名でキャスターと答えるのも変だ。
そうなると、ここはやはり、こう答えるべきだろう。
「私は──『不思議の国のアリス』。アリスって、呼んでくださいな」
ふわりとエプロンドレスの裾を翻しながら名乗り、そのまま男の反応を窺うことなく、キャスターは歩き出す。
そうだ、これがやりたかったのだ。
彼はどんな風に感じただろう。やっぱり見惚れていただろうか。それを想像しながら歩いていると、街ゆく人々の視線も心地いい。
──思い出した。これが、正しい自分の在り方だ。
愛嬌を振り撒いて、みんなを笑わせる。自分がアリスになっていたのには、きっとそういう意味がある。
自分でもなんだか本調子が戻ってきたような気がして、キャスターの足取りはとっても軽かった。
マスターの安否は未だ不明で、すでに同盟相手は脱落してしまった。孤立無援の窮地状態だ。
だがそれでも、やるべきことは決まっている。これより始まるのは、笑顔のための聖杯戦争である。
「まずは……そうですね。奥の手は用意しておきましょうか。使わずに済むことを祈りますが、私より強いサーヴァントはたくさんいますからね。そうと決まれば、さっそく書斎にこもって執筆作業に入らねば!」
先程までの暗い表情とはうってかわって、明るい陽の光を受け、少女は通りを歩く。