Fate/Kindergarten   作:皇緋那

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転調──シスターズ・ホーミング(後)

 グロテスクな虫の群れが押し寄せ、春の風の魔術が押し返されていく。明日菜の小柄な体内に収まりきるとは思えない物量を前に、彼の苦し紛れの抵抗は敗北を迎える。

 術式が崩壊し、生成されていた風の刃が消え去ると、同時に羽虫の大群が春の体を包む。数え切れないほどの羽音に、気が狂いそうになりながら、必死に手で振り払って明日菜を呼ぶ。

 

 その様を、滑稽なダンスを眺めるように見ていた明日菜は、やがて口を開いた。羽音に掻き消されつつも、その声はかすかに耳に届く。

 

「そんなので私を守るなんて言ってたの? お兄ちゃん、お父様がなにをしてたのかも知らないくせに」

 

「父さんが……!?」

 

「いまから教えてあげるね。はい、どうぞ」

 

 明日菜の指示を受け、羽虫の群れが一斉に春から離れた。そして下着姿の彼女がくすりと笑うと同時に、傷口から一匹の虫が飛び出した。

 それは春の元へと飛来して、口の中に潜り込んでくる。そうして喉の奥へと進んでいこうとする虫の存在に胃の中身を吐き戻しそうになるのを抑え、強引に飲み下した。

 

 その瞬間から、春の脳裏に景色が流れ始める。

 それは春の知らない瀬古家の歴史。そして、知ることのできなかった、明日菜の歩んできた人生だった。

 

「いってらっしゃい、お兄ちゃん。たくさん……味わってね」

 

 ◇

 

 ──この霜ヶ崎市で聖杯戦争が行われると決定されてから、瀬古家の人間たちは冬木で起きた聖杯戦争のことを調べあげていった。

 中でも先代の当主──春と明日菜の父である男は熱心に記録を漁った。必ずや聖杯を手に入れ根源へと至るため、勝利のための手段を手に入れようと考えたのだ。

 

 そして辿り着いたのが、冬木の御三家のひとつ『間桐』である。彼らは虫の使い魔を用いる魔術を専門とする家だった。刻印蟲と呼ばれる虫を体内に宿し、擬似的に魔術回路として扱わせることも可能としていた。

 残念ながらその虫魔術の使い手は断絶していたが、瀬古の当主はその秘法に目をつけた。

 

 魔術回路の多くない瀬古家の人間がより確実に勝つために、刻印蟲を用いて魔術回路を増設する。強力なサーヴァントを扱うための体に作り替えるのだ。

 

 そして4年前。明日菜がまだ8歳の時だった。彼女を地下の工房に連れ込んだ当主は、妻と共に、ついに娘に施術をすると決めたのだった。

 

『や、やだ、なに、するの? お父様……』

 

『いいか明日菜。耐えるんだ。お前は聖杯戦争に勝たなければならない。そのために、どれだけ苦しくても耐えなさい』

 

 春の脳裏に流れる景色は明日菜の記憶。即ち、彼女の感じた恐怖の再演だ。

 

 目を血走らせた父親に、眼前に突きつけられるおぞましい虫。手足は縛り付けられ、衣服は剥ぎ取られ、虫どもは周囲を取り囲んでいる。

 

『お母様……? お父様はなにをしているの? 私はどうなるの? ……ねぇ、どうしてなにも言ってくれないの? ねぇ!』

 

 母は見ているだけで、どれだけ呼んでもなにもしてくれない。

 

『すべては勝利のためなんだ……!』

 

 魔術も常識も習い始めたばかりの明日菜には、それがなにを意味しているのかも理解できなかった。わからないまま、肌に冷たいメスが突き立てられた。

 

 明日菜の体には虫が縫い込まれていく。魔術による痛覚麻痺を受け、自分の皮が、肉が切り開かれて、そして異物がねじこまれるのを呆然と眺めた。

 父の言うことを聞いて、それが必要なことなんだと、歯を食いしばって耐えた。

 

 ──それからというもの、明日菜は数日ごとに両親による施術を受け続けた。

 体中が縫い跡だらけになって、体内は虫に埋め尽くされて、時に虫の死骸によって鬱血し腐り落ちた部位や器官ができると、ホムンクルスのものと強引に入れ替えて生存させられた。

 日に日に体が自分のものではなくなっていき、それがどうしようもなく怖くって。

 

 なのに、傍らにいたはずの兄は、なにも気が付かないままだった。

 

 そして2年ほどの時が経って、10歳になった時。明日菜は恐怖から、ついに行動を起こす。

 いつものように手足を縛り付けられ、両親が施術を行おうとするその瞬間、自分の意思で虫を動かしたのだ。

 施術に集中していたふたりの不意をつき、追い詰めるのは簡単だった。虫たちに命令すれば、簡単に人の腕も脚もちぎれてしまったし、枷を外させることも出来た。

 

『や、やめなさい、やめるんだ明日菜……我々はまだ死ぬわけには……根源に、根源に至らなければ……』

 

 なんて喚き散らして、両親は明日菜に殺された。最期まで明日菜のことなんて、心配してくれないままだった。

 彼らにとって、明日菜はその程度の存在だったんだろう。

 

『……あーあ、やっちゃった』

 

 そうして、瀬古家の魔術刻印は明日菜に受け継がれた。彼女に残ったのは、虫がもたらす苦痛と、聖杯戦争への参加という使命だけだった。

 

 ◇

 

 ──春の意識が現実に戻ってくる。視界には、目の前に立つひとりの少女が映っている。その体には、先程見た記憶の中と同じ、痛々しい縫い跡がいくつも刻まれていた。

 

「……嘘、だろ」

 

 明日菜のことを守っているつもりで、まるで守れてなんかいなかった。彼女のことをなにも知らないまま、のうのうと生きていた。

 それがどうしようもない後悔の念となって春に襲いかかる。自分は明日菜にどれだけ憎まれても仕方がないと思ってしまうほどに。

 

 崩れ落ちる春を前に、明日菜は優しく声をかけてくる。

 

「これでお兄ちゃんにもわかったでしょ?」

 

 少女は歩み寄り、その縫い跡だらけの体で、春のことを抱きしめた。

 

「……ご、ごめん、明日菜っ、俺は、俺は……!」

 

「ううん、いいの。謝ってもらおうと思って見せたんじゃないから。

 私の体は傷だらけだけど、蟲たちだって魔術の手助けをしてくれるし、痛いのももう慣れたし……もうサーヴァントだって手に入れたんだよ。

 お兄ちゃんが無理しなくたって、私は勝てるよ。大丈夫」

 

 その声色はとっても優しくて、その手はとっても温かくて。なんだか、聖杯戦争が始まる前の明日菜が帰ってきたような気分になれる。

 彼女はこれで許してくれるのだろうか。あれだけ辛いことがあって、春は支えることができなかったのに。

 

「明日菜は、優しいな──」

 

 だけど、呟いたその直後。春の胸に鋭い痛みが走る。

 

「──え?」

 

 刺突と同時に起動し、脈動する術式。春の胸に突き立つ小さなナイフの刀身には黒魔術らしき魔法陣が刻まれ、被害者自身の血を媒介として臓器の破壊を開始する。

 

「がっ、ァ、ぁア……ッ!?」

 

「よかった、通じた。お兄ちゃんを殺すにはバーサーカーのスキルが邪魔だったんだけど……さすがレイラズさんの魔法陣。ちゃんと準備すれば、加護を貫通してくれたね」

 

 全身の内臓が鈍い痛みで危機を訴えている。しかしそれに為す術はない。小さなナイフが起こした魔術式は、その役割を淡々と遂行する。即ち、春の殺害という役割を。

 

「お兄ちゃんが悪いんだよ。私、別にお兄ちゃんを恨んでたわけじゃないんだから。その証拠に、お父様もお母様も殺したけど、お兄ちゃんは生かしてあげたでしょ?」

 

「っ、だったら、なんで」

 

「聖杯戦争の邪魔をするから。私は勝ち抜いて、聖杯を手に入れなきゃいけないの。その邪魔をするなら、お兄ちゃんだって、消すしかないよね」

 

 彼女は優しい声色のまま、雄弁に語った。それは自分に言い聞かせるようでもあり、それが心からの本音なのかは、わからなかった。

 

「……さようなら、お兄ちゃん」

 

 春の脚から力が抜ける。彼は床に倒れ伏し、そのまま四肢を動かせず、胸からどくどくと血が流れ出るのを感じているだけだった。

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