目の前でマスターが苦しみ、そして卑しい女の手で胸を刺し貫かれたのを、バーサーカーは自らの目で確かに視認した。
「お兄様──」
彼女にとって、敬愛する兄を害する者は最優先で排除しなければならない。そのために体の向きを変え、脚に一気に力をこめる。
だが、先程まで戦っていた相手も健在である。すでにバーサーカーを倒せとの命令を受けているルーラーが、背を向けて無事で済ますはずがなかった。力のこめられたふくらはぎを踏みつけ叩き折って、ルーラーが攻撃を仕掛けてくる。
小細工の一切ない右ストレート。単純な破壊力がバーサーカーの頬を襲い、防御が間に合わないまま衝撃をくらう。
「……っ、私の邪魔をするなんて……!」
バーサーカーは先の拳で欠けた奥歯の破片を吐き出しながら、ルーラーを睨みつけた。彼女がその眼光に怯むことはない。
「私はまだここに立っていますよ。よそ見は、しないほうがよろしいかと」
むしろその口から飛び出すのは挑発だった。バーサーカーは脚部を最低限修復しつつ、歯を食いしばり、殴りかからずにはいられなかった。
「うるさい……ッ!」
どこの誰とも知らぬ
衝動的に繰り出した拳を三度続けて受け流され、苦し紛れの回し蹴りも叩きつける竜尾がへし折ってくる。応急処置でくっつけただけの脛骨は簡単に壊れ、機動力は奪われる。
「くっ、この、どきなさい……ッ!」
すぐ隣にあった棚を引っ掴んで、咄嗟にルーラーへ向かって投げつける。乗っていた花瓶が割れ、おさめられていた書籍がばらまかれる。
ほんの少しでも目くらましになればいい。ルーラーが飛来物を尾で払っている間に、折られていない脚で床を蹴って、マスターのもとへと急いだ。
ルーラーは、追いかけては来ないらしい。
「お兄様……?」
「……バー、サーカー、か」
「えぇ、私よ、お兄様」
バーサーカーは己の手が血に塗れることも気に留めず、マスターの上体を抱き起こした。
出血量や体温から判断するに、もう長くはないだろう。バーサーカーのスキルによって軽減されていようが、恐らくこれは内側から作動して自壊をもたらす術式だ。ただの人間を殺すには十分にもすぎる。
彼自身もそのことを理解しているのか、彼は助けを乞うことはなく、死にゆくことを受け入れている様子だった。
ただ、彼に心残りがあるとすれば、やはりあの卑しい女のことだろう。霞む視界でしきりにそちらを気にしており、バーサーカーは不快に思った。
「未練かしら、お兄様」
「……あぁ、まあ、そうなんだろうな」
自分を殺した相手のことなど、案ずる必要があるはずがなかろうに。バーサーカーは無意識のうちに顔をしかめていた。そして、それを隠すように、彼のことを抱きしめた。
彼の肉体はもう温度を失いつつあるというのに、どくどくと流れ出る血は生暖かかった。
「もういいのよ。お兄様は、戦わなくて」
もう、妹のことを守ろうとする必要も無い。だって、彼はこれから死ぬのだから。
彼は答えない。代わりに、震える右手をか弱く動かした。
手の甲に刻まれているのは、まだ消費されていない紋様。サーヴァントへの絶対命令権──令呪だ。
「……令呪を以て命ずる」
「はい、お兄様」
兄だった男が紡ぐ最期の願い。女神として、それを聞き届けてやらないわけにはいかない。どうせバーサーカーとて、このままマスターを喪い消滅するのだから。
けれど、彼はそれを否定するように呟いた。
「明日菜と契約を結べ」
「──はい?」
意味がわからなかった。サーヴァントの譲渡? まさか、自分を殺した相手に?
バーサーカーが理解出来ずに呆然とする中、令呪は輝き、確かに魔力の流れを変革しようとする。
「重ねて令呪を以て命ずる」
「……待って、待ちなさい」
「明日菜に、従え」
「待ちなさいと、言っているでしょう……!?」
体が言うことを聞かない。二画もの令呪を構成していた魔力がバーサーカーを縛り、振り向かせる。その先で、明日菜もまた驚きの表情を見せている。
だが、やがて男の言葉の意味を理解し、にたりと笑った彼女は、手を伸ばしてきた。
抗えないまま、バーサーカーはその手をとってしまう。それはまるで、今までの主従を塗りつぶす行為のように見えた。
「……これが、最後の令呪だ。
──明日菜を、よろしく頼む」
バーサーカーの精神に生じた嫌悪感など露知らず、男は最期にそう言い残した。律儀にも全ての令呪を使い尽くし、最後の一画がほどけて宙に消えていくと、役目を終えたかのようにその生涯を終えていた。
彼との契約が消失し、魔力のパスは忌まわしき女からのものに変わる。その瞬間、バーサーカーを縛り付けていた令呪の重圧が軽くなった。
戦闘による破壊の爪痕が残る室内に、静寂が満ちる。バーサーカーは言葉を喪い、ルーラーは敢えてなにも話そうとせず、やがて沈黙を破るのは明日菜だった。
「──あは、あははっ、あっはははは! まさか、こんなことになるなんて! 本当に、本当に馬鹿なお兄ちゃん!
あはははっ、あはっ、ひぃ、ひぃ……はぁ、お腹いたいくらい笑っちゃうわ!」
腹を抱えて笑いながら、明日菜はソファに寝転んだ。すかさずルーラーが動き出し、明日菜の体にブランケットを優しくかける。
「こちらをどうぞ」
「はぁ、はぁ……ありがと、ルーラー。ついでに、床の片付けもやっておいてくれない?
あと、死体の処理も」
「かしこまりました」
メイドは淡々と業務をこなすのみだ。もはやバーサーカーを敵と認識していない。明日菜の護衛として警戒を敷く気配もなく、その明日菜もソファを堂々と占有するのみだ。
その隙だらけの姿を前にしても、バーサーカーはその首を狙うことすらできない。バーサーカーの霊基に刻まれた『兄に従う』という行動原理が、その思考の邪魔をする。
「あ、そうだ、バーサーカー」
「……なに、よ」
「いくらいっぱいいるとはいっても、私の魔力も虫の数も有限だから……ルーラーの分から少しを回して、そこにおまけをつけたくらいで現界してもらおうかな」
契約が成立した時点から、明らかにバーサーカーに供給される魔力は少なかった。
恐らく、現在バーサーカーとパスが繋がっているのは一部の蟲どもだ。これでは十全な戦闘能力を発揮できず、その辺のサーヴァントでさえ殺しきれない。
それも当然。本来、複数体のサーヴァントを一人のマスターが従えるなど、悪手にほかならない。供給できる魔力に限りがあり、必然的に出力が低下してしまうからだ。
けれど、明日菜の場合はすでにルーラーという最高戦力が存在する。バーサーカーはあくまで、兄の置き土産に過ぎない。
戦闘行動もろくにできないような魔力量で現世に縛り付ける。なるほど、女神に対する冒涜としては上出来だ。
「この私を……使い捨てる気……?」
明日菜は首を振った。
「そう簡単には捨てないよ。今まで私を見下してきたぶんは返してもらうんだから」
女神と人間ではランクが違うだけのことだというのに、どうやら彼女はそれを根に持っているらしい。
──けれど、その矮小な人間の、ただ一人を殺せないのが今のバーサーカーであった。それがどうしても歯がゆく、明日菜が笑う度、拳を強く握ることになる。
「あははっ、その顔……私が見たかった顔だよ、それ。
あ、もしかして……あなたを好き勝手できるなら、お兄ちゃんも少しは役に立ったってことになるのかなぁ?」
なんて首を傾げ、おどけてみせる明日菜。
しかし、ふとその体がぴくりと震える。体内の刻印蟲の蠢動だ。肉体に彼らを住まわせる明日菜の皮膚は、不自然に隆起したり、ぎちぎちというおぞましい音を鳴らしている。
それは明日菜にとってはとうに慣れた苦痛だろう。だが、大きく魔力を消費されるなどの刺激がなければ、蠢動は起こらない。
突然のことに周囲を見回し、彼女はその原因を探る。
「っ、いったい、なにが」
「第二宝具、限定展開。真名封鎖、目標固定、終着削除──」
「ちょっ、ちょっと待って、ルーラー! な、なにしてるの!?」
見回すとすぐに、黒い光球が視界に飛び込んでくる。メイド服の少女が、今まさに大量の魔力を消費せんとしているところである。
慌てて尋ねる明日菜に対し、ルーラーは宝具の限定解放を止め、マスターに視線を向けた。
「なに、と言われましても、死体処理ですが」
「なんで宝具を?」
「近隣住民に不審がられないためにどうすべきかと考えました。
結論として、遺骨も残らぬほどの火力で焼けばいいかと。ついでに家庭ゴミや瓦礫も一気に飛ばせますよ。
そう考えると、炎ってすごいですね」
「……メイドの格好の割には、パワー系なんだね、ルーラー」
「私のクラスは
では、燃やしても?」
「あ、うん、それはいいよ」
ルーラーは詠唱に戻り、直後、暗黒の球が男の遺体と、周囲に集められた木片やガラス片たちのもとに放たれる。
ごく小規模に限定された展開ではあれど、宝具には間違いない。圧縮された高エネルギーが一斉に照射され、あたりに衝撃波が迸り、照明の明るさを掻き消す暗黒の光で満たされていく。
「きゃっ!?」
出力の落ちているバーサーカーでは、耐えきれずに尻もちをついてしまった。明日菜も同様で、衝撃波によってソファが倒れ、そのまま投げ出される。
だが暗黒が晴れた時、確かにそこには集積された破片の群れも男の遺体も存在しない。そこにいるのは、自慢げに胸を張るルーラーがいるのみだ。
「ふふん、どうですか、この素晴らしい仕上がりは!」
肝心の本人は、衝撃波が周囲を荒らして、結局掃除の手間を増やしていることは、まったく眼中に無いらしかった。