生き物係は暗い部屋で目を覚ました。瞼をこすって、硬い床から起き上がろうとして、左脚の太股に力をこめたとたん、痛みが走った。
そこには矢傷があって、幸い血は止まっていたけれど、生き物係は片脚を引きずらなければならないらしい。
改めて、周囲を確認する。ここはずっと生き物係の通ってきた教室だ。血痕や破壊の痕跡が色濃く残り、死臭が立ち込めている。
けれども、そこがバーサーカーにより壊滅した孤児院だと、生き物係にはすぐにわかってしまう。
生き物係の記憶では、先程までは昼間の草原の中で、アサシンと委員長とともに行動していたはずだ。
だが、時刻はとうに夜で、ここは屋内だ。アサシンの姿もどこにもなく、結界の中からは脱出できているみたいだ。
背中と腰が少し痛いのは、目覚めるずっとこの硬い床に寝ていたからだろうか。
それから月明かりを頼りに周囲を見回すと、割れた窓の傍らで、夜空を眺める少女が佇んでいた。少年はひとまず、彼女のもとへとよろよろと歩み寄った。
けれど、その最中でバランスを崩し、受け止めてもらうことになってしまう。
「……っと、これでセーフね。いっちゃん、大丈夫?」
「う、うん」
「よかった」
抱きとめてくれた彼女の瞳には、下弦の月の影と、生き物係の姿が映っている。
生き物係は彼女の声に頷いて答えた。彼女は安心してくれたらしく、胸を撫で下ろす。
──そうして動いた腕に視線が行って、違和感に気がついた。その腕は植物が絡み合って作られており、人肌のものではない。そして、胸元には生々しく風穴が空いている。
「あら、ここ、怪我してるじゃない。応急処置だけでも、やっておかなくちゃね」
そう言って、彼女は体から生えた植物から葉っぱをちぎって傷に当て、伸ばした蔓を巻き付けて包帯代わりとした。
そうして処置を終え、委員長はまた空を見上げる。雲の切れ間から、下弦の月が顔を出している。
「気がついたらこんな時間になっちゃってたわね。門限、とっくに過ぎちゃってるわ。
ま、もう私たちを縛る先生はいないから、関係ないけど」
すでに月が傾くほどの時間帯だった。こんな時間に起きているなんて、生き物係にとっては初めての経験だ。規則に従っている生きてかぎり、夜更かしなんてありえなかったから。
生き物係は少女の隣に立つように、窓辺に近寄った。叩き割られた窓からは、夜の風が吹いてくる。冷たくて、夜闇がまとわりついてくるみたいだった。
空では、月を隠そうとするようにゆっくり雲が流れている。その光景を見ていると、なんだか不安になって、生き物係は呟いた。
「みんな、まだ、戦うのかな」
「えぇ。聖杯戦争はまだ終わってないもの。夜が明けたら、また戦いが始まるでしょうね」
小夜も、マチも、ベルチェも、セイバーも、みんなまた武器を手に取るんだろう。断末魔が響いて、刃が降り注ぐ、そんな戦場に戻るんだろう。
そう思うと、夜明けなんて来なければいいのに、と思ってしまう。
「心配なの?」
「うん」
バーサーカーに自分と同じ孤児が死んでいくのを目の前で見た。
大空洞で、得体の知れない構造物にされた子供たちのことも見た。
今の生き物係が抱いているのは、大切な人たちにはそうなってほしくない、という気持ちだ。
「……ふぅん。やっぱり、人間ってそうなのかしら」
何気なく少女がこぼした言葉。それを聞いて、なにかがひっかかって、少し考える。
やがて、無意識のうちに呟いてしまった。
「あの。委員長はどこ、ですか?」
ふと口に出してしまった言葉に、目の前の少女は笑顔のまま、動きが止まった。
──でも、話していてわかったことがある。結界の中で出会った委員長と、今こうしてここにいる彼女とは、きっと違う心を持っている。
少女が、一拍おいてから口を開く。
「どうしたの?
「あ、えっと、そういう意味じゃなくて……その、また別に委員長がいたような気がして……」
「それは──」
少女にとって答えたくないことだったのか、彼女は言葉を一度詰まらせ、深呼吸をしてから続きを口にした。
「──そうよね。あなただって、聖杯戦争を戦っているんだもの。話さないのは、おかしいわね」
植物に覆われた少女は、自分を嘲るようにくすりと笑ってから、話を始めようとする。
「まず、だけど……こうして話してる『私』は人間じゃあないの。なんというか、植物の幽霊……みたいな?」
生き物係は首を傾げた。人間ではないような発言は、時たましていたように思うけれど、植物の幽霊ってどういうことだろう。
「いきなりここから入るべきじゃなかったわね。えーと、どこから話せばいいのかしら」
それからしばらく、生き物係は黙って彼女のする話を聞いていた。時々相槌をうつ程度で、深く聞こうとは思わなかった。
彼女の口から飛び出すのは、生き物係の知ることの出来なかった事柄ばかりだ。
彼女の本体は体にまとわりついた植物のほうで、それが『ランサー』のサーヴァントであること。
召喚された瞬間、委員長の体を奪ってしまったこと。委員長の意識は、体の主導権を奪われて奥底に追いやられていること。
そして、彼女は誰かの体を借りなければ、サーヴァントとして成立していられない、ということ。
思い返せば、委員長に違和感を覚えるようになったのは、あの儀式をやらされた時だ。血で描いた魔法陣から飛び出した植物が委員長の胸を貫いてから、彼女は
「それを伝えたら、あなたがどう思うのかわからなくて……その、ずっと黙っていて、ごめんなさい。
やっぱりこんなの駄目よね。体はちゃんと治して委員長に返すわ……約束する」
そう言いつつも、ランサーは視線を落としていた。
委員長に体を返すということは、ランサーが体から出ていくということ。ランサーのサーヴァントはいなくなり、生き物係も聖杯戦争からは脱落することになる、
だけど、彼女をこのままにしていいのだろうか。
生き物係は咄嗟に彼女の手をとった。植物に覆われたその腕に体温はないけれど、どこか暖かかった。
「その、うまく言えないけど……僕も、小夜さんやベルチェさんたちの力になりたい。僕には戦えないけれど、ランサーにはそれができる……でしょ」
ランサーは目を丸くして驚いた様子を見せながら、小さく頷く。
「聖杯戦争とか、願いとか、まだよくわかんないけど……きっと、また委員長に会った時、僕が戦ったって胸を張って言えるようにしたい。
だから、手を貸して、ランサー」
思うままに感情を吐き出した。泣きながら謝ってくれたあの子に、僕は誰かの命令じゃなく、自分の意思で戦ったんだって言えるように。
すると、ランサーは目元から涙をひとすじ零しながら、嬉しそうな顔をして、返答を口にする。
「えぇ。サーヴァント、ランサー。この枝はあなたのために振るいましょう。
──あ、そうだわ。忠誠のあかしに、真名を教えておかないとね」
返答の後、思いついたことを話すランサー。すると彼女がいきなり顔を近づけてきて、生き物係は少し驚いた。そして、耳元で彼女が囁く。
「……いい? 私の名前はね──」