いつもと何も変わらない朝。日が昇る頃に起床し、定められた朝の支度を終え、少年はいつものように登校する。
ここは霜ヶ崎市の北部に位置する児童養護施設の一つだ。出生のわからない子どもたちを引き取り、学校というていで育てている。
少年はそんな施設で暮らす生徒のひとり。彼の役割からとって『生き物係』と呼ばれている。進んで立候補した役職でなく、余ったからそうなっただけの役割だったが。
付属の寮にある自室から、いつも授業の行われる教室までは遠くない。今日も到着は5時半ぴったり。1分の遅れもない。
「おはよう。今日もちゃんと来たわね、根暗。さあ、行くわよ」
教室にたどり着いた彼を真っ先に出迎えたのは、艶のある黒髪をくるくると巻いたツインテールにしている十歳前後の少女。子供たちのリーダー的存在である『委員長』だ。
彼女は元々クラスの全員を指揮する役割で、生き物係にとっては遠い存在だった。
以前なら、こんなふうに朝出迎えて挨拶をしてくれることがありえないくらい。
そのため生き物係が呆気にとられていると、脛に痛みが走った。委員長に蹴られたらしい。
「なに呆けてるの? 私を待たせる気?」
生き物係はそう言われ、今日まだ一歩も踏み込んでいない教室に背を向けた。委員長は機嫌がよくない様子で、普段より歩調が早い。
「なんでこんなやつに令呪が渡されるのよ……なんで優秀な私じゃないの……」
委員長が勝手に歩いていく途中、ふたりの間に会話はない。恨み言に近い呟きを委員長が繰り返すだけだ。
委員長の言う令呪とは、どうやら生き物係の手の甲に刻まれた紋章のことを指している。
何の説明もないまま不思議な少女から渡されたため、生き物係には令呪という言葉の意味も、委員長の嫉妬の理由もわかっていなかったが。
「あんたみたいな根暗にも役割を与えてあげるなんて、先生方は優しいわよね」
これまでに何度も言及してきたが、この教室において『役割』は絶対である。
大人たちに与えられたそれぞれの生活、振る舞いを徹底しなければ、役割を剥奪されるのだ。
クラスに役割のない人間は、つまり必要が無いということになり、不要品として廃棄されてしまう。廃棄になった者に再会できた者はいない。
外部から見たなら、それはあまりに異様。管理者は気がふれているに違いないと思うことだろう。実際ふれているのかもしれない。
しかし、檻の中の
委員長は中でも優秀だと大人に認められていて、生徒たちの中では最高の権力を持つ。生き物係のような下っ端を手足のように使うことも、当然できる。
彼女は少年を中庭のウサギ小屋の前に連れてきた。そして、彼の背中を蹴って中に入らせ、次の命令を下す。
「ウサギを2羽……そうね、ピョン太郎、ウサのすけあたりにしましょうか。これで殺しなさい」
委員長の手で、ウサギ小屋の中にナイフが投げ入れられた。先日授業で使われた儀礼用のものだ。刃は落としてある。
それでも尖端は充分鋭利で、小動物くらいなら簡単に殺せるだろう。
「でも……」
「早くしなさいよ。先生が来るまでまだ時間はあるけど、授業に遅れるなんてありえない。あんたはともかく、委員長に遅刻は許されないわ」
苛立つ委員長が小屋を叩き、木が軋む音がした。生き物係は躊躇いつつも2羽のウサギを取り押さえ、もがく彼らの首を突く。
可哀想だったけれど、少年は委員長には逆らえない。逆らってはいけないのだ。
今までずっとお世話をしてきたウサギたちの命は、この日委員長の役に立つためなんだと自分に言い聞かせ、次の命令を待った。
「なにを泣いてるの? 自分の涙に価値があるとでも思って?」
「そんなこと……」
「委員長の命令に従えない生徒は私のクラスには必要ないの。わかったら黙ってウサギの血を採っておきなさい。血で魔法陣を書くわ」
言われるままに、採取したウサギの血液を用いて魔法陣を描いていく。生き物係はその意味を知る由もないが、それは英霊を召喚するための陣だ。
委員長は令呪が聖杯戦争への参加資格だと知っている。ゆえに、先生に選ばれたのが自らではなかったことに憤り、またこうして生き物係を使ってサーヴァントを召喚させようとしているのだ。
そんなことは露知らず。生き物係は委員長に詠唱のメモ書きを渡され、その通りに儀式が始まった。
生き物係の魔力回路が脈動し、大気のマナを大量に巻き込み、魔法陣が光を放つ。その感覚は異様で痛みを伴ったが、命令に逆らわないため、生き物係はどうにか耐えて詠唱を続けた。
委員長は儀式の進む様を見て頬を上気させている。生き物係などは眼中になく、彼女が光の向こうに見ているのは、自分が大人たちに褒めちぎられる世界だった。
「えぇ……そう、これよ、これだわ! 間違いない、サーヴァントの召喚儀式! これを成功させたら、私は先生にもっと認められ──」
その瞬間、魔法陣の中央よりこの世ならざる者が姿を現す。少女の胸を貫きながら。
生き物係が召喚したそれは人の形をしていなかった。鋭く尖った植物の蔓であり、少女の血を啜り蠢いていた。
「──かはっ、な、なによ、これっ……? いやっ、やだっ、はいってこないでよ……いやっ! 私を、私をとらないで……!」
蔓の群れがひとりでに動き、彼女の体に空いた穴へと飲み込まれていく。委員長の懇願も虚しく、植物は止まらない。先生に助けを求め、必死で掴んで引きずり出そうとし、だが抵抗は意味をなさなかった。
やがて少女は白目をむいて立ったまま痙攣をはじめ、悲鳴をあげることもしなくなった。そのころには、怪植物は彼女の体内への侵入を終え、視界から消えていた。
魔法陣の傍らには生き物係と、胸にぽっかりと穴の空いた委員長だけが残る。その断面からは骨の白や肉の赤が見えていたが、不思議と出血していなかった。
「……委員長?」
不審に思って話しかけると、彼女は振り返り、胸の穴など全くないかのように平然と答えた。
「えぇ、私は委員長よ。なにかおかしいかしら?」
そのつんとした表情も、気の強そうな声も、紛れもなく委員長のものだ。しかしそれはどこか無機質で、まるでビデオを再生しているような感覚に陥る。
だがいずれにしても、相手は委員長に相違ないのだから、異論を持てばまた蹴られるかもしれない。生き物係はそう判断し、目の前の少女の問いかけに首を振った。
「それならよかったわ、マスター……いえ、生き物係?
少し長い呼び名ね。頭文字をとっていっちゃんでいいかしら?」
今までになかったほど親しげに話す委員長。
彼女の姿を見て、生き物係の脳裏には見たことも無い表示が現れる。
それは目の前の少女がサーヴァント、ランサーであることを示すもの。だが、聖杯戦争のことなどなにも知らない彼は、理解が追いつかないまま呆然とするしかなかった。
「嫌だったかしら?」
「う、ううん、全然そんなことないけど」
「じゃあいっちゃんって呼ぶわね。よろしく、いっちゃん」
至近距離で覗き込まれ、彼は驚きながら委員長の振る舞いに違和感を覚えていることを隠した。
先の儀式の意味も尋ねたりはしない。彼はそれよりも、ふと視界に入った中庭の時計に対して反応を示した。
「あ、も、もうこんな時間……僕、水やり、しなきゃ」
気がつけば朝日が昇り、役割に定められた時間通りの行動から外れるところだった生き物係は、慌てて如雨露を取りに行く。
だが、死んだウサギや中庭に作ってしまった血の魔法陣の後始末も必要だと気が付き、足を止めた。
「大丈夫よ、こっちの処理は私がやっておくから。いっちゃんは自分の仕事をやりなさい」
彼は頷き、委員長の命令に従った。再び自らに与えられた仕事を行うべく動き出した。
それを見届けた
少年はまだ知らない。目の前のものはすでに委員長などではない、別のナニカになってしまったことを。