「……ちっ」
レイラズは曇り空を見上げながら、恨めしげに舌打ちをした。視線の先にはカラス1匹すらいない。敵は空中へ脱出してしまい、とうに見えなくなっていた。
聖杯戦争六日目にして、レイラズとアサシンが拠点としていた民家に、サーヴァントが現れた。クラスは……もう覚えていない。どうでもいい。
抱えられていたマスターの名前も、覚える必要もない。どうせ知らぬ魔術師だ。
それより、敵陣営にこの場所を知られたことが問題だった。せっかく今までずっとエリザベートと過ごしてきたのに、離れなければならないなんて。
「ご、ごめんね、エリザベート」
エリザベートはこの家にあったライブDVDなんかが気に入ってる様子だった。
それにレイラズにとっても、初めてエリザベートと体を重ねた場所だ。半ばこれだけ見つからなかった場所だけに、思い入れも生まれてしまう。
元々すぐに捨てられるように民家を選んだというのに、この調子では意味がない。はやく切り替えて、礼装と材料をさっさと整理してしまわないと。
屋内に戻ろうと、扉に向かって早足で歩き出す。そんなレイラズの袖の端を掴んで、アサシンが引き止めた。
「えっ、エリザベート……?」
首をかしげるレイラズの墨色の髪を、アサシンの青白い手が撫でた。驚いて彼女の顔を見ると、優しく、微笑んでいる。
きっと、慰めてくれているのだ。その理由までは理解していないかもしれない。幼い少女が、泣いている妹をあやすように。
それがアサシンの──今のエリザベートの見せる、優しさなのだ。
もう少しだけ、甘えていてもいいだろうか。結界により往来に人はなく、さっきのサーヴァントは、またしばらくここには現れないだろうから。
レイラズは屋内へ戻るのをやめ、アサシンの華奢な体を抱きしめた。冷たくて、鉄のにおいがする。色の抜けた髪が顔をくすぐって、それだけで、昨日の鮮烈な初夜が思い出された。
その青ざめてなお瑞々しい唇に触れたい。また、あの夜のように、彼女に溺れたい。
レイラズはそのまま、アサシンの唇と自分の唇を重ね合わそうと、顔を近づける。柔らかな彼女の体と自分が触れ合って、彼女の感触のことしか考えられなくなって──
──その時、わずかに風を切る音がした。
直後、アサシンがレイラズを押し退ける。突然のことに驚くレイラズをよそに、彼女は己の左腕で飛来する存在を受け止めんとする。
それは敵対者の蹴りの一撃だ。彼女の細腕は簡単にあらぬ方向へと折れ曲がり、肉は弾け飛んでしまう。
露出する白い骨はどこか綺麗で、飛び散る肉片と血液の紅はエリザベートを彩った。そんな眼前の光景を、レイラズは少しの間理解できないでいた。
ふたりだけの静かな花園に現れる異物。それは蒼い鱗のしなやかな尾を生やした少女──ルーラーと、そのマスターである明日菜の姿だ。
不意の一撃でアサシンの左腕を破壊したルーラーは、明日菜が現れると彼女の傍らへと跳躍していった。そのメイド服の裾とパンプスはアサシンの返り血に染まり、しかし涼しい顔で明日菜の隣に立っている。
ようやく状況を飲み込んで、レイラズは敵襲に怒りを燃やした。上着の内側に手を突っ込んで、拳銃を掴み、身構える。
「ッ、あ、貴女……わ、私の、アサシンを……!」
「ごめんね、邪魔しちゃったよね。せっかくサーヴァントとイチャついてたのに」
「ふ、ふざけるな……ッ!」
激情のまま、レイラズは躊躇いなく引鉄を引いた。しかし銃弾は明日菜に届く前に、割り込んだルーラーが踏みつけ、強引に止める。当然、仕込まれた誰かの起源は発動しない。
そのままセミオートによる連射を行い、六発の弾丸を使い尽くしても、明日菜もルーラーも一滴の血すらも流さぬままだった。
銃声が止んで、硝煙が立ちのぼる中、住宅街は沈黙に包まれる。そして互いの陣営ともに動きを見せないまま数秒の時が流れ、やがて明日菜が口を開く。
「これで終わり? あぁそう。じゃあ今度はこっちの番ね。
ルーラー。アサシンを殺しなさい。彼女の目の前で、呆気なく」
今まで利用されていたことへの意趣返しとして、明日菜が選んだのはアサシンを脱落させることだ。他ならぬレイラズの目の前で。
命令を受けたルーラーは動き出す。対するアサシンも、眼前の彼女が拷問対象であるという認識より、再構成させた腕に大斧を握り締め、飛び出していく。
「だ、だめ……っ!」
「安心して。アサシンを殺すまで、あなたは殺さないから。私を使い潰そうとした報いを受けるまで……ね」
ただでさえ直接戦闘に向かないステータスのアサシンでは、ルーラーには勝てない。それは大空洞の戦いで思い知らされている。
だからこそ、明日菜はこうして、わざわざマスターを見逃すような真似をしているのだ。
引き留めようとするレイラズの声は届かない。戦闘の開幕を告げたのは、ルーラーの回し蹴りであり、アサシンの手にあった斧の刃が砕けて宙を舞っていた。
残った柄で殴り掛かるのを、ルーラーは素手で掴み受け止める。そしてその瞬間に腹部への膝蹴りが放たれ、アサシンの体に突き刺さる。
その瞬間、彼女は咄嗟に己の腹に何重にも巻き付けられた荒縄を生成する。縄を衝撃を抑えるクッションとし、反撃にその両端をルーラーの脚に巻き付けるのだ。
一瞬動きを止めることに成功はしても、ルーラーには竜の尾がある。尾で体を支えれば、片脚が封じられていても、ハイキックを放つことは可能だ。
アサシンの端正な顔が、頬に叩きつけられるパンプスのつま先で歪む。砕かれた歯の欠片が血液とともに地面に散らばった。
だが、アサシンは痛みでは止まらない。ルーラーに掴まれていた柄を手放し、次の瞬間にはすでに次の凶器を握っている。ルーラーが振り上げた脚の太ももへ、下方から何本もの釘を突き刺し、貫かせる。
そしてもう一方の縄が絡まった脚は、その縄に締め上げられ、そのうちアサシンが上からバットで殴りつけたことによって大腿骨がへし折られる。
両脚の傷ついたルーラーは不利だ。折られた脚を縛る縄に手をかけ、力任せにひきちぎるが、その間にアサシンの振るった大型の鉈が頭蓋を襲う。破壊には至らずとも、頭皮が切れ、血液が額を伝う。
そして縄が千切られた直後、ルーラーは自分の体を尾で支えるのをやめ、地面に寝転がった。馬乗りになって頭部を狙おうとするアサシンに対し、ルーラーは単純な殴打で迎撃する。
そして、彼女の胸元に叩きつけられた正拳突きはアサシンを後方へ仰け反らせ、その瞬間ルーラーは下半身の霊体を再構成する。すぐさま尾をバネにして飛び上がり、上から尾を叩きつける。
先程頭部に振り下ろした鉈を受け止めるために用いるアサシンだが、簡単に破壊され、衝撃を食らう。バランスを崩し倒れかけたところへ、休む間もなくルーラーのパンチが襲ってくる。
凶器を盾に使って凌ぎ、反撃で傷を与えても、ルーラーの肉弾攻撃はいくつも襲い来る。それはアサシンの側も同様だ。いくらダメージを食らおうと、相手に傷を負わせようと刃を振り下ろす。
だが身体能力の差は歴然だ。アサシンが必死に食らいつこうと、ルーラーの肉体は人間のそれよりも頑丈である。
霊体の再構成では見た目と筋肉機能が繕われるのみでダメージは蓄積しているはずだが、彼女にはその蓄積も見られぬままだ。
互いの血液が飛び散り、傷ついていく中で、やがてアサシンが押されはじめ、傷の増える速度も上昇してゆく。
そんな状況を打破するため、そのうちにアサシンは打って出る。
ルーラーの胸を蹴りつけて瞬間的に距離を取り、魔力をかき集めて真名を叫ぶ。
「はぁ、はぁっ……!
『
発動するのは彼女の宝具。監獄城が顕現し、凶器の雨が降り注ぐ。それに対し、ルーラーは眉ひとつ動かさず、彼女もまた真名を告げる。
「第一宝具、解放。
──『
溢れ出る怨嗟と拷問死の具現すら、ルーラーが虚空に召喚した孔に飲み込まれ、消えていく。どれだけ降らせようと、結果は同じだった。やがてアサシン側が力尽き、監獄城は消失し、洞窟はその口を閉じる。
「嘘っ……!?」
目の前の光景に、驚きを隠せないアサシン。倒れ込んだ彼女のもとへルーラーが迫り、拳は振り上げられた。
「さて。終わりに、しましょうか」
その言葉に、戦闘を見届けていた明日菜はにやりと笑い、レイラズは──思わず、駆け出していた。
「だめ……まって……や、やだ、私の、私のエリザベートを……とらないで……!」
──その言葉を、命令と捉えたのだろうか。ルーラーは、わざと構えたまま一呼吸置いた。そして、駆け込んだ彼女がアサシンとルーラーの間に割り込んだ瞬間、その拳はレイラズの腹部を貫いた。
「か、はッ──」
大量の血液を吐き、口元を赤く染めながら、倒れる少女。幸運にも、彼女は想い人に向かって倒れ、受け止められた。
レイラズの視界に、血で汚れたエリザベートの顔が映る。それでも彼女は美しく、彼女の腕の中で死ねるのなら、それでいいかとさえ思えた。
けれど、レイラズは欲張りだ。せっかく死ぬのなら、もう一つだけ、願いがあった。
彼女の右手の紋様──令呪の最後の一画が輝きだし、彼女のその願いは、エリザベートへと届けられようとする。
「れ、令呪をもって、命ずるわ……エリザベート・バートリー……私を、殺して……?」
令呪を構成する魔力は、死に瀕するレイラズを眺めたまま黙っていたエリザベートを兇行へと走らせる。
少女の衣服は剥ぎとられ、少しだけ膨らんだ胸には長い爪が突き立てられた。
それから、裂いた肉の向こう、肋骨を剥がした先にある、まだ拍動している心臓が、彼女のその手で掴み──引きちぎられる。
大量の血液が流れ出る中、まだ動く新鮮なソレを、エリザベートは迷わず口に入れる。舌で触れて、動きが止まってしまう前に飲み下して。レイラズの心臓は、エリザベートの体に収められる。
「……ふ、ふふ……これで、私の全部……ココロも、カラダも……イノチさえも……
そんなふうに言い遺し、少女は息絶える。その死に顔は、これ以上ないほど幸福に包まれたものであった。