ベルチェたちが行動を開始してからたった数時間のうちに聖杯戦争は急展開を迎えた。
ルーラーによるアサシンの襲撃。
バーサーカーの孤児院強襲。
強大なサーヴァントが双方共に動き出し、一気に勝負へと乗り出した。その結果として、たった数時間のうちにいくつもの脱落者が出たのだった。
ベルチェとの同盟を拒絶し、マスターを失ったアサシン。暴虐の限りを尽くし倒されたバーサーカー。そして、生き物係を守ったランサー。
3つもの陣営が消え、残ったのは4つだけだった。この調子なら、明日にも聖杯戦争が決着するのかもしれない。
そんな激動の時間が終わり、街に静穏が戻った午後4時ごろ。ホテルの一室にて、ひとりの少女が目を覚ました。
「ここって……ホテル、よね……?」
ソファの上に寝かされていた彼女は、起き上がると、おぼろげな記憶を辿りながら周囲を見回した。
すると安心したような顔で立っている人影が二つ、目に入る。
「っ、委員長! よかった……!」
彼──生き物係が安堵の表情になって、胸を撫で下ろしたのを見て、委員長は思い出した。
自分はずっと、ランサーのサーヴァントに脳と体の主導権を奪われていたんだと。
ランサーが体を使っていた間の記憶も、しっかり残っている。使っていたのはあくまで同じ脳だったということだろう。ランサーが生き物係のため必死に戦っていたのが、鮮明に思い出せる。
──ミストルティン。それは北欧神話において、盲目の神ヘズが投げ、光の神バルドルを殺したというヤドリギだ。ミストルティンは幼さゆえに、世界で唯一バルドルを傷つけないという誓いを結べなかったという。
人々に愛された光の神を害するために利用された彼女だからこそ、同じように幼さから利用され続けた生き物係の元に召喚されたのだろうか。
そうして委員長が自分の中の自分ではない記憶を思い返していると、今度は生き物係の隣にいた少女が歩み寄ってくる。それに伴って、彼女の体から伸びた鉄製の鎖がじゃらりと音をたてた。
「はじめまして、委員長。私は……」
「知ってるわ。ベルチェでしょ。ランサーの記憶も残ってるから、セイバーのマスターだってことも知ってるわ」
「そうか。なら話が早い。体は大丈夫?」
「……えぇ。なにも、おかしいところはないわ」
体に異常はなく、むしろ調子がいいようにさえ思える。寄生植物に奪われていたのが嘘のようだ。
いや。記憶を辿ればむしろ、ランサーはそうなるように尽力していた。委員長の体を勝手に奪った罪滅ぼしとして、彼女は魔力を治療に用いていたのだ。
それを理解した時思わず、彼女は少年のことを呼んだ。
「えと、生き物係」
「……? なんですか、委員長」
「ランサーはきっと満足しているわ。私も貴方も、こうして無事でいるんだもの」
痛みも辛い記憶も楽しい思い出も、彼女の紡いだ全部を知る身として、そう伝えておかなければならないと感じた。
少年は驚きの表情を見せ、それから急に微笑んで、頷いた。そうだったらいいと、座に還った1本のヤドリギに思いを馳せながら。
「さて、と。私たちは今日、これ以上は行動しないことにしよう。小夜とアヴェンジャーにもそう伝えてある。君たちもゆっくり休んでくれ」
そう話すベルチェの体に、彼女の周囲にある鎖が吸い込まれていく。やがてその全てが体内に戻されると、ベルチェは二人に背を向け他の部屋に赴こうとする。
「……待ってください」
そんなベルチェを、生き物係が引き止めた。
「ベルチェさんも小夜お姉さんも……明日になったら、また戦うんですか」
「……あぁ。私はセイバーのマスターで、小夜の友達だ。彼にも彼女にも叶えたいことがある。だから、それを手伝うまでだ」
ベルチェの答えは、背を向けたまま振り向かずに告げられる。いつもの彼女とは違う、落ち着き払った声色だった。
けれどそのすぐ後、さっきまでの落ち着きが嘘のように朗らかな彼女の声が響いた。
「ふたりとも、魔術師としてやっていく気はあるか?」
「私は続けたい、けれど……どうしてそんなことを聞くのかしら?」
「いやなに。全部終わったら、一緒にロンドンへ行こうというお誘いだ。魔術協会なら、正しく研究に打ち込むことができるだろう」
孤児院はすでになく、二人にこの先の行き場はない。ベルチェが一緒なら、ロンドンまで飛んでしまったって、誰も止めやしない。
そしてなにより、その約束は戦場へと赴く彼女を繋ぎ止める鎖になるはず。
生き物係と委員長は顔を突き合わせ、互いに頷き、彼女の提案を呑んだ。
「約束ですよ、ベルチェさん」
「あぁ。お姉さんとの約束だ」
ベルチェは再び歩き出す。生き物係と委員長から離れ、壁に寄りかかりながら待つセイバーの方に。
合流した二人が肩を並べる後ろ姿は、委員長からはどうしてか、とても遠くにいるように見えた。
「……アンタを嘘つきにはしないぜ、マスター」
「あぁ、信じてるとも。貴方が私を信じてくれるように」
◇
バーサーカーを消滅させた後、フォーリナーは特に行き場所があるわけでもなく、路地裏でひとり座り込んでいた。
人から逸脱するほどの蒼白の肌の少女がそうしている光景は異常だが、人通りもほとんどなく、路地を覗き込む物好きもいない。誰も彼女に気が付かないまま通り過ぎていく。
そんな雑踏から離れた場所で、フォーリナーはひとりの女性のことばかり考えていた。
アヴェンジャーのマスター。名前は確か──雪村小夜。
この感情は、恋煩いや敵視から来る警戒ではない。
彼女の体に触れたとき、魔術の素養があるフォーリナーは気がついてしまったのだ。
彼女の体内には小聖杯が存在している。脱落したサーヴァントたちの魂を受け止める、大聖杯と繋がった器が体に溶け込んでいる。
そのうえ、小夜の体はただの人間とは異なっていた。その器がサーヴァントで満たされていくたび、肉体を徐々に魔術回路へと変換していく構造になったいるのだ。
すでに神経系や筋系の多くが機能しておらず、常に魔術を行使して強引に補っている状況だ。
このまま他のサーヴァントの魂が彼女の中に入っていったなら、やがて人間としての機能は全てが魔術回路に還元され、人格も魔術礼装の一部となるだろう。大聖杯にされた子供たちと同じように。
「……いけませんね。こんなことを考えていても仕方がないことくらい、わかっているつもりなんですが」
これは聖杯戦争だ。誰もが笑顔でいられるはずがない。願いを叶えるためには、他人を蹴落とす必要がある。
すでにバーサーカーを消し去った。どころか、助けられなかったものは数え切れないほどあるし、聖杯そのものだって苦しむ子供たちだ。
今更、たったひとりの犠牲を躊躇う必要があるだろうか。
けれども、フォーリナーの脳裏には笑顔にできなかった少女のことがちらついて仕方がなかった。
かつて自分のことを守り、光の中に消えた少女──アーチャー。死にゆくとわかっていながら突き進んだ彼女の勇姿を思い起こすと、どうしても小夜のことを捨て置けない。
「あぁもう、よくない傾向だ。こんなとき、アリスはどうすべきなのでしょう」
フォーリナーに宿った神性には人格などなく、虚空に祈っても問うても答えは得られない。
大きなため息をついて、薄暗い路地裏で、灰色の世界を見上げる。
そんな時──いきなりマスターの声が頭の中に響いた。
『明日こそ決着をつけるのです。準備をしておくのです』
聖杯戦争は終幕へと走り出す。果たして、フォーリナーは最後に笑っているだろうか。それとも──。