Fate/Kindergarten   作:皇緋那

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心音──ブレイク・ザ・サイレンス

 レイラズと交戦した後ゆっくり眠っていた明日菜は、朝になってようやく自分のベッドから起き上がった。寝惚けた目を擦りながら、リビングへと歩き出す。

 

 そうして辿り着く先に、明日菜のことを待つ人間はいるはずがなかった。目に入る人影は、黙って部屋の隅に立っているルーラーだけだ。

 

「……ねぇ、バーサーカーは?」

 

「消失したと聞きました。昨夜、他でもない貴方から」

 

 そういえば──彼女に繋いでいた魔力のパスは、昨日の時点で切れていたんだったか。

 家に戻ってから彼女の消滅に気がついたものの、一度眠って起きたら忘れてしまっていたらしい。

 

「まぁ……元から手駒として期待なんてしてなかったし。もっと嫌がることしてやろうと思ってたのにってくらいの感想かな」

 

 誰に聞かれているわけでもない明日菜の呟きに、ルーラーからの反応はない。そのせいで自分への言い訳みたいに聞こえて、明日菜は居心地の悪さを感じた。

 明日菜が認めていないだけで、本当はその通りただの言い訳だったけれど。

 

 彼女は雰囲気に耐えかねてソファに座る。部屋には相変わらず静寂が立ち込めていた。

 家具は一昨日の戦闘でほとんど壊れており、その静寂を紛らすものはない。

 

「いってきまーす!」

 

 割れた窓に応急処置のためにカーテンを貼り付けた向こうからは、登校中の小学生の声がする。静まりきった部屋には、無邪気で甲高い声がよく響く。

 

 それを聞く明日菜はと言えば、聖杯戦争が始まってから一切学校には行っていない。無意味な外出は危険を招くからだ。

 なにも知らずに外をふらふらと歩く相手とは違う。明日菜は学生などである以前に魔術師。しかも、今となってはルーラーのマスターだ。これでいい。

 

 自分に言い聞かせても耳に入ってくる声に、やがて明日菜は思い切って立ち上がる。

 しかし、その瞬間に目の前が真っ白になって、脚から力が抜ける。昨日の戦闘で虫に血を食われすぎたのが、まだ回復しきっていなかったのだ。

 

 そうして抗えずに倒れこむ明日菜を、なにかが受け止めた。

 花のような、太陽光にさらした布団のような、不思議と甘い香りが鼻腔を満たす。

 

「……ルー、ラー?」

 

「はい、ルーラーです」

 

 視界が晴れると、自分が彼女の胸に受け止められていたことがわかる。明日菜の頬にはちょうどルーラーの胸の感触が伝わっていて、その膨らみかけで未成熟な柔らかさが手に取るようにわかってしまった。

 

 そして離れる間もなく、立ちくらみで倒れかけた明日菜のことを、ルーラーは抱きしめてくる。

 彼女の体温が高いのか、鱗に覆われた腕は意外にも暖かかった。

 

「……貴女の心音が聴こえます。少し乱れているようですね。命令外ですが、休まれた方がいいと判断します」

 

 明日菜にもルーラーの心音が聴こえる。どくん、どくん、と力強く脈打っている。これがサーヴァントの……竜の心臓。皮と肉と骨で隔てた先に、強大な魔力炉が存在するのだ。

 なんて心音に気をとられていると、彼女は明日菜を抱きしめたまま歩き出し、そのままソファに座ると、赤ん坊にするように頭をゆっくり撫でてくる。

 

「ね、ねぇ、あのさ」

 

「貴女は休んでいるといいでしょう。私にも子供がいましたから、こういうことに抵抗はありませんし」

 

「えっ、子供いたの……っていや、そうじゃなくて……」

 

 幼い姿とのギャップに惑わされ、遠慮する間もなく明日菜はあやされ始めていた。そして、それが想像していたより心地よく、彼女に身を委ねてしまいそうになる。

 

 密着していると聴こえてくるルーラーの心音は、明日菜の意識から外の雑音を忘れさせるには十分だった。

 

 もう少しくらい、こうしていてもいいだろうか。虫たちを住まわせているこの体には、常人より休息が必要なんだから。

 

「……汝を縛る臍の緒は砕け散る。汝が去ったその後に」

 

「え?」

 

「占いのようなものでしょうか。私にできることは、このくらいしかありませんので」

 

 意味深で、しかしその真意のわからない発言だったが、預言のようなものだろうか。一度首を傾げたあと、明日菜はまた体をルーラーに委ねた。

 

 ──そんな明日菜を聖杯戦争へと引き戻すように、彼女を抱えたままのルーラーが突然跳躍する。慌てて目を開くと、窓代わりに張ってあった布が破られ、そこからいくつかの触手が顔を出して蠢いている。

 直後、触手たちは布を容易く引き裂き、その向こうにいた少女を室内へと招き入れた。

 

「あなた……キャスター……?」

 

 顔立ちに彼女の面影はあるが、服装もエプロンドレスではなくおぞましい肉塊で、肌は蒼白、瞳は赤い。

 

「えぇ、元々は。ですが、私はもはやキャスタークラスではありません。フォーリナーとお呼びください」

 

「フォーリナー……?」

 

 彼女が名乗ったクラスの名を、明日菜は知らなかった。三騎士でも四騎でもなく、例外である裁定者や復讐者でもない。

 

 警戒を兼ね、明日菜はポケットに手を突っ込んで、しまい込んでいたハーモニカを掴む。

 これはレイラズがドロレスを材料に作り上げた、彼女たちの共有意識にアクセスするための礼装だ。ドロレスはキャスターのマスター。彼女の残った一画の令呪を使えば、キャスターに自害を強要することすら可能のはず。

 

 しかし、ドロレスのネットワークに接続した瞬間、明日菜の脳に異常なまでの負荷がかかる。痛覚や不快感や快楽が一斉に押し寄せ、彼女の思考を破壊する。

 

「──ぁ、っく、や、やめ……な、なに、これ……ぇえっ……!?」

 

 脳の処理能力を超えた感覚に、頭を押さえて苦しむしかできない明日菜。

 彼女に知る術はないが──この時、ドロレスたちはすべての感覚を彼女にリンクさせ、刃物や薬品による自傷、果ては性的な行為まで思いつく限りをばらばらに行っていた。彼女の支配から脱する、この瞬間を待っていたのだ。

 

「る、ルーラー……ッ、それ、壊して、おねがっ、お願い……!」

 

 明日菜はハーモニカを投げ捨て、呻きながらもルーラーに指示をする。彼女が言われるままに踏み壊すと、押し寄せていた感覚から解放され、やっと息をつく。

 だがその瞬間を待っていたのはフォーリナーだ。即座に触手を操ってルーラーを攻撃させ、その腕の中の明日菜を狙う。

 

 対するルーラーが家具を障害物として利用し回避を繰り返す中、フォーリナーは話す。

 

「どうやらマスターの作戦はうまくいったようですね。

 ……明日菜さんには私から謝罪いたします。苦しい思いをさせてしまい申し訳ない」

 

「どの口がそんなこと……! ルーラー、私を地下室に連れてって!」

 

 この家の地下には、ドロレスのうち目の前のフォーリナーのマスターである個体が監禁されている。彼女を直接殺せば、この襲撃も終わるはず。

 

 命令の通り、ルーラーは明日菜を地下室へ続く階段の方へ放り投げた。

 受身をとるのには失敗し、体を強かに打ち付けるが、先ほどのオーバーフローで痛覚が麻痺しているのか、痛みは感じない。脚にもうまく力が入らないが、できる限り素早く起き上がり、駆け出した。

 

 そんな明日菜の脚を絡めとる、冷たい金属の感覚。足を掬われ、またしても転倒した明日菜が目にしたのは、小柄で桃色の髪をした少女の姿。

 彼女は確か、セイバーのマスター。ベルチェといったか。

 

「こ、この三流魔術師っ! 私の邪魔をしないでよ!」

 

「悪いが三流でも譲れないものはあるのでね。魔術対決にでも付き合ってもらおうか」

 

 袖やスカートの内側から複数の鎖を伸ばすベルチェ。明日菜も体内から戦闘用の刻印蟲を解放し、彼らが皮膚を突き破るのを感じながら、目の前の敵を見据える。

 

 そうして互いの魔術の結晶が狭い廊下を埋め尽くし、戦いの幕が上がろうとしていた。

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