瀬古家の地下には、魔術工房が広がっている。無論魔術による防護も幾重にも行われている。例えば、触れれば弾き飛ばされるような加工とか、見えない壁だ。
それらを、自分に宿る大量の魔力を流し込んで強引に突破し、小夜は地下室に足を踏み入れていた。
水槽やよくわからない器具がいくつも並び、ときおり虫がカサカサと音を立てて通り過ぎていく、薄暗い空間。
以前の小夜ならば、こんな場所には寄り付きたがらなかっただろう。今ここにいるのは、ドロレスの救出作戦のためである。
「ここに、いるんだよね……?」
サーヴァントたちとベルチェが囮と足止め係になっている間に、小夜はドロレスを見つけないといけない。
あの雪のような白い姿と、お人形のような端正な顔立ちは、簡単に思い出せる。見つかったらすぐにわかるはずなのだが。
薄暗い空間に目を慣らしながら、奥へ奥へと歩いていく。
「……やっと、来たのですね」
やがて見つけた女の子は、手錠で柱に繋がれていた。小夜は手錠にかかっていた魔術を壊して解錠し、彼女を自由の身とする。
「よかったのです。これで、五百八十七号はここを出られるのですよ。ありがとうなのです」
「いえ、私は大したことは……それより、早く逃げなくちゃ!」
小夜はドロレスの手を引いて、来た道を戻って地下室から出ようとする。
けれど、ドロレスは彼女を引き戻しながら、にやりと笑う。
「お礼を受け取るがいいですよ、雪村小夜……いいえ。小聖杯さん!」
ドロレスの白い肌に魔術回路が浮かび上がり、脈動を開始する。小夜の視界は光に沈み、意識は薄らいでいく──。
◇
サーヴァントたちが交戦する一方、地下室へと向かう廊下では少女同士が睨み合っている。押し通ろうとする明日菜。その前に立ちはだかるベルチェ。
互いに敵対する魔術師であり、聖杯戦争のマスターだ。
すでに廊下には鎖と蟲の群れが展開され、状況は一触即発。張り詰めた空気の中、ふたりの少女は視線を交わし、そして明日菜が痺れを切らして叫ぶ。
「お願い、私の蟲たち……あいつを殺して……喰い尽くして……ッ!」
礼装をレイラズから奪い、ルーラーを手にして、せっかく聖杯に近づいていたというのに。これ以上邪魔されてたまるかと、明日菜は叫ぶ。その叫びに呼応し、蟲の群れが奮い立ち、ベルチェ目掛けて羽音を響かせる。
対するベルチェは表情を変えないまま、呼吸を整え、行動を開始した。
くるくると踊るように駆け回り、迫り来る敵襲をくぐり抜け、なびく鎖で敵を打つ。
だが、それだけではキリがない。蟲の数は視界に映るだけでも無数。明日菜の中にあとどれだけ巣食っているかもわからない。
ベルチェは刻印を励起させ、鎖に新たな指令を下す。
「──拘束無くして自由無く、自由無くして拘束無し。雨は天に昇り、花は天より地へと咲く!
今まで彼女が振り回していた鎖たちは、起動された術式によって主の両腕に巻きつき、その姿を変える。ベルチェが両腕に輝かせるのは、鈍色の手甲と白銀の刃だ。
飛来していた数匹を一振で裂いて落とし、仕掛けられる針や角の攻撃をかわし、そのまま軽やかに明日菜の方へと向かっていく。
倒す蟲は最小限でいい。狙うのは本体だ。彼女がマスターである以上、その令呪を切り落とせば、ルーラーは止まるはずだ。
明日菜もベルチェの狙いに気がついたのか、次第に蟲を防御に回し始める。狭い廊下を塞ぐように蟲を配置し、両腕の刃だけでは対応しきれない壁を作る。
「これなら……合わせて3メートルもあれば足りるか」
対するベルチェは、スカートの内側から鎖を飛ばした。わずかに眉間へ皺を寄せながら、やがて腕の刃でそれらを切り離し、今度はまた異なる魔術の行使にかかる。
「
鎖は再び姿を変える。赤熱し、膨れ上がり、炎と衝撃波を放ちながら破裂する。爆炎に蟲たちは焼け尽くされて、衝撃に明日菜は吹き飛ばされ、床に背中を打ちつける。
そしてベルチェは炎の中を突っ切り、崩れゆく蟲の壁の向こうへと飛び込んでいった。煙の中を抜けて目に映るのは体勢を崩した明日菜だ。焦る彼女に先んじて鎖を放って拘束し、刃の切っ先を突きつける。
「……っ、こんな三流に、私の蟲が……!」
「あぁ、そうだ。貴女の魔術は突破された。観念して令呪の場所を教えるといい。命までは奪わないさ」
四肢の自由を封じるように縛り上げられており、明日菜はもがいても脱出は叶わない。ベルチェの不意を突き殺してしまおうと残っていた蟲に指示を出すも、察知した彼女の刃の一閃に斬り捨てられる。
これで、明日菜が飛ばした蟲は爆発と斬撃により全滅状態。体内に残ったものもわずかでしかない。
もう無理だと悟り、明日菜は奥歯を強く噛み締め、感情を吐き出すしかなかった。
「……何が、命は奪わないよ。もうお兄ちゃんも、お父様もお母様もいないんだ……私が殺したから。
令呪なんてどこにもない。あいつが従順じゃなかったら、私はただの魔力袋。
それなのに、聖杯戦争にも敗けて生きていろって……?
ふざけないでよッ! なにもないのに生きていたって、辛いだけなのに……!」
感情を吐き出す少女を前に、ベルチェは用意していた脅迫の言葉を噛み潰した。刃を下ろし、彼女の傍らに屈んで、明日菜に向けた言葉を返す。
「……なおさら殺せなくなった。代わりに少し、話をしようか」
「はぁ……!? なに言ってるの、あなた?」
ここは戦場。リビングでは、いまだにサーヴァントたちが刃を交わしているだろう。明日菜が令呪を持っていれば、この瞬間にルーラーを呼び寄せていたに違いない。
けれど、ベルチェは急に深呼吸をして、喚く明日菜にも構わず話し始める。
「プラドラム家はベルチェで三代目。新興の一族だった。貴族に交渉したんだかなんだか知らないが、分けてもらった破片で威張ってた弱小錬金術師だ」
己の家に誇りがないかのように話すベルチェ。その態度が気に入らず、明日菜は自分がこんな相手に負けたのかと苛立った。もっとも、苛立ちを表に出したところで状況は好転しないのだが。
「だが、いくら貰った元が偉くとも、残念ながら最初から向いていなかったんだろう。二代目、私の母の時点で、魔術回路は減っていた。
……それを知って、母上もお爺様も焦っていたんだろうな」
ベルチェは寂しそうに呟いた。その横顔は隙だらけだったが、明日菜は不思議と、体内の蟲を不意打ちに遣わすことも忘れて、それの姿を見つめていた。その、どこかで見覚えがあるような表情を。
「先代は私に新しい魔術を試そうとした。魔術回路の強引な増設のためにホムンクルスの体を移植したり……名門から生殖用のホムンクルスとか持ってきた時もあったな。とにかく、そこに私の意思が反映されるわけもなかった。
だから私は逃げ出した。調整中の刻印を背負って、宛もなくな」
──その話を聞かされて、明日菜は気がついた。ベルチェの表情に覚えた既視感の正体は、他でもない自分自身だったんだと。
明日菜は体に蟲を縫い込まれた。きっと明日菜の方が痛かったし、苦しかった。ベルチェは親を殺していないし、兄弟も殺していない。苦しみは明日菜がずっと上だ。
「……なにが言いたいわけ。不幸自慢がしたくて、こんなことしてるの?」
「まさか。まず、貴女の人生の方が凄惨だ。私の人生じゃあ不幸自慢になっちゃいないくらい、目を見ればわかる。
だけど……なにもないと思い込むのはよくない。私もそうだったからな」
そう言ってベルチェの向けてくる視線に、明日菜は思わず目を逸らし、歯を食いしばる。
思い出したのは兄の瞳。明日菜を解放する気配も、己の目的を譲る気もない。それなのに、明日菜をじっと見つめてくる。
それは温かくて、温かいのに邪魔で仕方がなくて、気持ち悪い。
明日菜は不快感を表情に露わにしながら、抵抗は諦めていた。
そんな彼女の耳に、風を切る音が届く。
顔を上げると、ベルチェの腕の刃が、針金細工の猛禽を両断したところであった。
猛禽は息絶え、一本の白髪となってばらばらになる。
「え、私を、助け……?」
「殺すわけにはいかないと言ったろう。それはそれとして……ドロレス。これはなんのつもりだ? 作戦が完遂するまでは同盟ではなかったのか?」
ベルチェが睨む先に、ひとりの少女の人影。白髪で赤い瞳、小柄な体躯。間違いなくドロレスだ。
しかし、右手に令呪はなく、手首には己でつけただろう切り傷がある。なにより、髪型がロングヘアだ。監禁されている個体とは別個体だろう。
「あらあら。お二人が仲良くなった、そのお祝いですわよ。
せっかくですもの、仲良し同士、ここで消えていただくというのはどうでしょう」
「やはりこうなってしまうわけか……残念だが、その提案は却下だ」
ドロレスがまた己の髪を介して魔術を発動し、ベルチェは腕に装着された刃を構える。
ふたりは互いに集中しており、また、ベルチェによる拘束も緩んでいる。
──今しかない。
明日菜は自分に絡みつく鎖を、蟲のうち複数匹を使い、一斉に壊させた。
無論、気がついたベルチェは振り向くが、その隙を狙ってドロレスの攻撃が開始された。彼女の毛髪は長剣を形作り、それをベルチェへと振るっている。
ベルチェの鎖は防御に回され、明日菜は拘束から解き放たれて走り出す。残っている手札は、ルーラーしかない。彼女のもとへ急がないと。
背後でベルチェとドロレスが得物をぶつけあう音を聞きながら、明日菜は必死に廊下を駆けていく。
最後に残った聖杯の夢と、自分の手駒に縋りつくために。