──明日菜の意識は薄れゆく。痛みの中に沈んでいって、流れる血を止める術もなく、ただ深くへと落ちていく。
「っ、は、早く、治療を……!」
駆け寄ってきたのは明日菜に楯突いた少年で、どうにか明日菜の胸の傷を治そうと尽力しているようだった。
自分だけでも逃げればいいものを。このまま明日菜なんかに構っていれば、二人仲良くルーラーの宝具で消し飛ぶことだろう。
「なんで……」
「あっ、しゃ、喋っちゃだめですよ。傷が……」
「どうせ傷だけ治したところで……私、もう、死ぬんだけど」
それに──ルーラーが吸い上げている魔力は、蟲が明日菜を貪って作り上げるものだ。
彼女の第二宝具が完全に解放されようという今、明日菜は体内の蟲たちによって自分が喰われているのがよくわかる。
治療なんてしたところで、意味が無い。すでに筋肉組織や神経が食い尽くされはじめており、四肢はまるで動かなかった。
「でも……まだ、助かるかもしれませんから」
事実を教えられたはずなのに、少年は治療を続けている。拙い医療魔術で、どうにか明日菜の命をこの世に留めようとしている。
本当に、意味がわからなかった。
「なんで……そんなこと、できるの。
このままここにいたら、貴方も……」
「これが僕のやりたいことだからです」
──たった、それだけで、他人のために自分を危険に晒せるのか。
瀬古春も、女神アナトも、レイラズ・プレストーンも、ベルチェ・プラドラムも。
みんな、誰かのために命を賭けていた。
彼らも同じように、自分のやりたいことに従ったのだろうか。
だとしたら。
「……羨ましいなあ」
最後にそう呟いて、少女は親の言いつけを守ることを諦めた。そうして、肩の荷が降りたように安らかに目を閉じて、そのまま再び開くことはなかった。
◇
傷を受けた主の名を叫ぶ間もなく、セイバーの目の前には災厄が形作られつつあった。黒く渦巻く力の塊が徐々に膨れ上がっていき、1体の大蛇になろうとしている。
それを目にした途端に、彼の人間観察スキルは確かにその情報を手に入れる。
それはEXランク──即ち規格外の、対星宝具。
「第二宝具、完全解放──」
死に瀕した明日菜の命令を受け、動き出すルーラー。真名を告げない限定展開であれば、セイバーでもどうにか死なないことはできた。だが、マスターの生命にすら構わず魔力を吸い尽くして放たれるこの一撃は、消えずにいられるかどうかさえわからない。
放たれる前、今のうちに決着をつけるしかないだろう。
そう判断して、アサシンとともに彼女に接近戦を仕掛ける。真っ先に繰り出した突きは空を切った。アサシンの爪は彼女には届かなかった。ルーラーはひらり、ひらりとかわし続け、反撃にセイバーを蹴り飛ばした。
「がッ……!」
耐えきれず、大きく吹っ飛ばされるセイバー。彼の行き着く先は、奇しくも傷ついたマスターのすぐ傍であった。
セイバーもボロボロだったが、人はサーヴァントよりずっと脆い。ましてや、心臓近くに穴を開けられ、どくどくと血液を溢れさせている彼女は、とても戦える状況には見えなかった。
委員長は必死で治療に当たっているようだが、傷は深く、ベルチェの息は荒い。
セイバーはそんな彼女の傍らで、聖剣オートクレールを杖に立ち上がる。
「……
彼は叫び、もう一度ルーラーへと向かっていく。だが剣はルーラーには届かないまま、時は過ぎていく。あのエネルギー塊から溢れ出た稲妻に体が焼け焦げ、ルーラーの拳に片目を潰され、それでもセイバーは立ち上がろうとしていた。
そんな彼の姿に呼応するように、ベルチェは己のコートの内側から、誰かが呼ぶような魔力の波長を感じ取った。
うまく動かせない手で掴んで、引っ張り出す。
「どうしたのよ、って……笛?」
委員長は治療を続けつつも、ベルチェの取り出したものに首を傾げた。
姿を見せたのは、きらびやかに装飾の施された、象牙の笛だ。セイバーに預けられた第三の宝具である。
状況を打破できるかはわからない。だが、それはセイバーの戦友が、かつて窮地に立たされた時に吹き鳴らしたもの。今は、他の誰でもなく、ベルチェが使うしかない代物だった。
「……お願いだ。セイバーを、助けてくれ……ッ!」
祈りをこめ、傷口が開くのも構わずに、力いっぱい音色を轟かせる。牙笛の音は戦場を満たし、重く響き渡った。
だが、それまでだ。それ以上何かが起こる気配はなく、どころか、その残響をかき消すように、ルーラーの手の上で黒の渦がバチバチと音をたて始める。
「時は来ました。此処に、審判を下します。
星間飛行装置、駆動。
登録終着地点、削除。
──『
ルーラーの頭上に再現された神代の怪物。それは太陽神と月女神の母たるレトを喰らおうとした大蛇・ピュートーンの現世への再誕だ。
全てを飲み込む黒き破壊の渦となり、天へと昇り、そして地へと迫り来る。
周囲の空気は震え、余波だけで瓦礫はさらに砕け、満身創痍のサーヴァントは立ってすらいられない。
そんな存在が轟音を放ちながら、上空より向かってくるのを、その場の少年少女たちは呆然と見つめるしかできなかった。
だが──突如現れた一人の男が、それを迎え撃った。
輝きを放つ剣が振り上げられ、大蛇と激突を始める。莫大な破壊なエネルギーを持つはずのピュートーンと接触しながらも、彼が手にした剣は傷つかない。彼の体は引き裂かれず、鎧が砕け、金色の髪がなびくだけ。
刃は突き進む大蛇の首を逸らし、その進路を変え、青空へと打ち返す。
軌道を狂わされたピュートーンは、空中を暴れ狂い、やがて連なった裏山のうち1つへと着弾すると、その全てを覆い尽くすほどの衝撃波を放ち、山ひとつを消し飛ばした。
周囲の山々も木々を焼かれ大きく削られており、直撃した山の跡地はクレーターと化している。
大蛇を迎え撃った青年はその様を見届けると、何事も無かったかのように着地した。
セイバー・オリヴィエの前に現れたのは、懐かしい顔。聖剣デュランダルを手にし、上半身になにも纏っていなくても涼しい顔をする、そんな男。
「悪いなオリヴィエ、遅くなっちまった」
「……ったく。美味しいとこ持っていきやがって……ローラン」
彼の手を借りて、オリヴィエは立ち上がった。
一方で、目の前で起きた出来事を理解出来ず、呆然とするベルチェたち。そんな彼女の傍らに、鎧の足音を立てながら、新たな人影が現れる。
桃色の髪を結んだ可憐な姿の騎士。
輝く盾を携えた女騎士。
そして、聖杯の内側で出会った、あの時の爽やかで、カッコいい王様。
「貴方、たちは……」
「確かに聞き届けたぜ、『
さあ──援軍、シャルルマーニュが到着だ!」
「ボクとブラちゃんもいるよ! さあ、ボクは勇士がひとり、アストルフォ! 反撃開始だ!」
「王の騎士として、このブラダマンテ、全霊を尽くさせていただきます!」
ベルチェが吹き鳴らした牙笛の宝具『
その力は4人の騎士へと仮初の肉体を与えたのだ。
「なんだかよくわかんないけど、賑やかなフェスになってきたじゃない。飛び入り参加も歓迎してあげる。
……アイドルは、そろそろ休憩ね。いい加減、踊り疲れたわ……」
纏う鉄処女の鎧が破損しているため、不格好な歩き方になりつつも、アサシンは笑顔を見せ、マスターたちの待つ場所に撤退していった。
よって、5騎のサーヴァントがここに集い、並び立つこととなる。いずれもシャルルマーニュの伝説に語られた、高名な聖騎士である。
対峙するはルーラーだ。彼女は予想外の援軍に対しても驚く様子はなく、ただ再び拳を構え、飛び込んでくるのみ。
その様を見たシャルルマーニュはオリヴィエに視線を送り、彼もそれに頷いた。
「一気に決めるぜ、みんな!」
オリヴィエの指示に、勇士たちは一斉に動き出す。竜の怪物たるルーラーを倒し、主に勝利を齎すための、騎士の戦いが始まった。
真っ先に迎え撃つのはブラダマンテだ。拳を振り上げるルーラーの前へ立ちはだかると同時に、その輝きを解放する。
「先陣を切らせていただきます──螺旋交錯、全身全霊ッ!
『
光はルーラーの視界を奪い、がむしゃらに振り下ろした拳は空を切る。直後、襲い来るのはブラダマンテの突進だ。魔盾が直撃し、ルーラーは耐える間もなく押し返される。
「アーちゃん! 次、お願い!」
「オーライ、オーライ! 次は大蛇捕りの時間にしようか!
行っくぞー! 『
その先で待ち構えているのは、鞭剣の包囲網だった。縦横無尽に張り巡らされた刃の中へと放り込まれ、ルーラーの全身を斬撃が襲う。
竜鱗と言えど、度重なる攻撃によって次第に傷つき始めていた。ルーラーはそんな状況に、焦るでもなく、愉しむでもなく、ただ冷徹に魔力を集中させる。
「……第二宝具、再充填──」
「──させるかよ。
永続不変の輝き、千変無限の彩り! 我ら騎士の伝説を、栄光を此処に!
『
ルーラーの宝具の威力は知っている。であれば、彼女に反撃に出るだけの息をつかせるわけがない。アストルフォの繰り出す斬撃が止む頃には、既にシャルルマーニュの周囲に十二の輝剣が展開されていた。
彼が真名を開放するとともに、ジュワユーズと輝剣からは光波熱線が迸る。聖騎士帝の一撃がルーラーを焼き、魔力を集中する隙を与えない。
それは光が晴れても同様だ。ルーラーは瞬時に、右手の先にいずれ破壊の渦となる小さな魔力塊を展開するが、騎士はそれを見逃さない。
「『
真っ直ぐに投擲された一振の聖剣が、その右腕を切り落とす。切り離された細腕は地に落ち、魔力塊は宙に放り出される。
ルーラーの血液が溢れ出し、彼女はその瞬間だけ目を丸くした。
しかし、ルーラーも、その戦意の炎まだ消えていない。その小さな球を尾で受け止め、再び宝具の展開を試みている。
その様を前に、騎士たちの視線は一斉にオリヴィエへと向いた。
「最後はお前が決めろ!」
「あぁ……!」
勇士たちが繋げたバトンを受け取るように、少年は刃を構える。その輝きは、漆黒でも、純白でもない。いつか訪れる落陽、黄昏の輝きであった。
「栄光に花束を。騎士道に永遠を。そして人の旅路に──どうか終末の祝福を!
『
ルーラーが最後の抵抗に放った黒の渦を呑み込んで、黄昏は彼女の体を包む。それは物語の終わりを示す光だった。
「……申し訳、ありません、クロノス様、ヘラ様……テュポーン、様。私は、命令を、ひとつも──」
虚空になにかを呟こうとしながらも、ルーラーの体は粒子へと還元され、消滅してゆく。オートクレールが放つ浄化の輝きに身を任せ、彼女の聖杯戦争は此処に終わりを告げた。
その静かな最期を見届け、辺りには静寂が立ち込める。
「勝った、のか……?」
ベルチェがぽつりと呟くと、アストルフォはブラダマンテとハイタッチしてみせて、シャルルマーニュやローランは彼女に微笑む。
そして、オリヴィエは彼女の元へと駆け寄って、傍らに屈んだ。
「セイ、バー。よく、やったな……カッコ、よかった、ぞ」
「あぁ。ありがとよ、マスター」
セイバーは、微笑むベルチェの口元の血を拭い、様々な感情の混じりあった目で彼女の姿を見ていた。委員長の必死の施術の甲斐なく、夥しい血が流れ出ており、もはやベルチェの生存は絶望的であった。
「なあ、少年……明日菜は、どうだ……?」
ベルチェは明日菜の治療をしようとしていた生き物係にそう尋ね、彼が首を振って答えると、そうか、とだけ返す。
「あぁ……すまないな、セイバー。もう、なにも、成し遂げられそうにないぞ」
「……十分だろ。ルーラーを倒せたのは、アンタがみんなを呼んでくれたお陰だ」
「ふ、ふふ。そうか……あぁ、貴方に言われると……そんな気が、するな」
「間違いないさ。アンタは、カッコよかったぜ」
目を閉じ、脱力するベルチェ。冷たくなりゆく彼女の手をとり、跪くセイバー。
その光景は穏やかで、静かな最後だった。