開戦──トゥ・ザ・ビギニング(前)
霜ヶ崎市の中心街には、一帯の支配者であるかのように建つ豪邸がある。西洋風の古屋敷で、一般人はおよそ近寄らない。否、魔術的な防御により近寄ることができない場所である。
それはドロレスの造り主である魔術師──稀代の
そういった経緯もあり、ドロレスは現在、そのまま師の屋敷を根城としている。
そこにはドロレスたちだけでなく、彼女のサーヴァントもまた潜伏していた──否、させられていた。
「あの。私そろそろ外に出たいのですが、構いませんよね、マスター」
ソファに佇むドロレスに話しかけているのは、リボンのついたカチューシャが特徴的な金髪碧眼の幼い少女。
サーヴァント、キャスターである。
彼女はインターネット環境や作業部屋を与えられ、この屋敷から出ないように言いつけられていた。
「駄目なのです。インターネット上で知り合った人間と簡単に会ってはいけないと知らないのですか」
「でも私美少女ですし、少しくらいちやほやされに行っても問題ないのでは?」
「聖杯戦争が始まろうとしているのに、何を言っているのです」
ドロレスは聖杯戦争の主催者にして、参加者である。
師の願いを叶えるため、他の魔術師に令呪を与えつつ、勝利のために水面下で動いている。
元より殺し合いは聖杯起動のための下準備に過ぎない。そのための生贄として外部の魔術師をかき集めるのがドロレスたちの仕事だった。
だがそれはすでに完遂済みだ。
令呪は七人全てのマスターに渡った。霊器盤にもすでに七つの反応がある。
最後の一騎についてはイレギュラーが発生した。
だが、アヴェンジャーは消滅しておらず、他のマスターを見繕ったようだ。
儀式には影響ない。これはドロレスたちが師の願いを叶える戦いだ。
ゆえに、師が敬愛する人物であったキャスターを選んだ。なのだが。
キャスターはそのクラスの特性上、自陣に籠り迎撃するやり方が基本になる。彼女もそれを理解していることだろう。
そのうえで外出したいと言い出す。なぜかというと、男に囲まれて褒められたい、そして同年代の女の子と仲良く遊びたい、だそうだ。
ドロレスには、その思考がどうしても理解できなかった。
「では写真! 君の写真を撮らせてくれませんか!?」
「またヌードモデルなのですか。五百八十七号の写真はすでに八枚ほど存在するのですが……」
キャスターの要求に呆れるドロレス。だがそれで欲望を抑えてくれるのなら、限られた令呪を浪費するよりは得だろうか。
そんな思考を巡らせ始めたところで、駆け足で部屋に入ってくる少女が現れる。ドロレスと瓜二つの容貌で、髪型をお団子ヘアにしていた。
「四百九十二号ですか。どうしたのです?」
「ソラナン翁から連絡でございます」
運ばれてきたのは受話器である。魔術師は科学技術を嫌うが、必要とあれば使用する。回線直前の今、少しでも魔力を節約するために採用されているのだ。
ドロレスはお団子少女より受話器を受け取り、電話の向こうの相手と話を始める。キャスターを無視して。
「こちら五百八十七号なのです。ソラナン翁、ご用件は?」
『七騎揃ったそうじゃないか。まずはおめでとう』
通話の相手はしわがれた声の老人である。ドロレスがソラナン翁と呼ぶ彼は、師の旧友の一人であり、心強い協力者だ。
『さて本題だが、これより開戦と洒落こもうと思うのだ。
先陣の誉れ、儂とアーチャーが貰うが、いいかね?』
「勿論なのです。こちらはキャスター、仕掛けるには向かないのです」
『うむ。では、健闘を祈ってくれ』
電話がぷつりと切れて、ドロレスは深く息を吐いた。
これより聖杯戦争が開戦する。聖堂教会への情報を遮断しているため、監督役は存在しない。ゆえに、夜の闇の中で静かに戦いが始まる。
「キャスター。執筆に戻るのです」
「えっ、私まだ写真も撮っていないしオフ会もしていないんですが」
「いいから。締切は今日中とするのです」
「そんなぁ……」
内心、ドロレスの胸は高鳴っている。聖杯戦争が進められるたび、師の夢が実現へと近づくのだから。
◇
サーヴァント・セイバーを召喚したベルチェ。これより聖杯戦争が始まり、熾烈な魔術戦も予想される──のだが。
「観光に行こう」
『は?』
「せっかくの日本旅行。サムライニンジャ探しはやらないと後悔する」
思い立ったら即行動を開始するのがベルチェであった。最小限の荷物と称して財布だけを小さなバッグに移し、ホテルを飛び出して街へ繰り出していく。セイバーによる制止は、聞こえていないふりをしているらしかった。
『もうこの街にはサーヴァントもマスターもいる。こんなふうに出歩いてたら格好の的だぞ』
「引きこもって自信満々に作った工房をホテルごと爆破されるより、お散歩中に出会った敵と大立ち回りの方がカッコいい」
『あー、それはそうかもしれないが、にしても対策もなにもしてないじゃないかよ』
「まずはセイバー用の服を買おうと思う。サムライより先にうさみみパーカーを探そうか。
あ、セーラー服がいい? それともバニー?」
『どういう思考で絞られた選択肢だよそれ! つーか話聞いてる!?』
念話で声を荒らげるセイバー。ベルチェは彼の不満にも構わず、堂々と道の真ん中を歩いている。
こうしてセイバーに対して念話でボケてはいるが、傍から見ればちょっと不思議な外国人の女の子だ。桃色の髪のベルチェは美人なのも相まってどうしても目立つ。
そうして視線を注ぐ街ゆく人々の中にほかの魔術師がいたらどうしようと、セイバーは心配で気が気でなかった。
当人はまったく気にしていない様子だが。
ベルチェはホテル周辺のお土産屋集合地帯を抜けて、見かけた服飾店に迷いなく入店した。
そのときセイバーはこいつマジかと思ったが、どうやらうさみみパーカーなどではなく、普通に男物の衣料を買うつもりのようだ。
ベルチェの趣味か、少しサブカルチャーにかぶれている気がするが、現世で行動していても馴染めるだろう。
『おい、いいのか、こんなことに金使って? 聖杯戦争の間だけの仲だってのに』
「セイバーにも日本を楽しんで欲しい。貴方となら、二人旅も楽しいだろうから」
『アンタ、オレを口説きたいのか?』
「オンナノコが騎士様に憧れて悪いことはない。では、人目のないところへ行こう」
ベルチェはそのまま少し歩き、誰もいなさそうな雑木林を見つけると迷いなく踏み入った。少し奥まで行けば、木々により視界が遮られるうえに薄暗い。外からはまず見えないだろう。
どうやら、そこで着替えろ、ということらしい。セイバーは言われるがまま実体化したが、野外かつ女性の前で裸になるのはどうしても抵抗があり、無意識のうちにマスターに視線を向けていた。
「大丈夫。ローランなら脱ぐ」
「やめろ! 服装でアイツと同列は嫌だ!」
「それは置いといて。私に少年の着替えを監視する趣味はない。向こうで待っているから、終わったら──」
そう言って振り返るベルチェの目の前を、なにかが高速で横切っていった。一歩踏み出すのが早ければ、脳天を貫かれていただろう高速の襲撃。木に突き刺さったそれは一本の矢だ。
だが攻撃は終わりではない。むしろここからだ。鏃は急速に膨らみ、轟音を放ちながら爆散する。
鼓膜が破れそうなほどの絶叫。人ならざる者の断末魔、とでも形容すべきだろうか。魔術刻印による強化魔術が間に合わなければ、ベルチェの脳天は割れていたかもしれない。強化がかかっていても割れそうだった。
だが、あの攻撃は、敵にこちらの居場所が知れているという証明だ。
まだ轟音のダメージの残るベルチェは身構え、セイバーは腰に携えた剣に手をかける。
あたりに緊張が走った。
相手の獲物は矢、つまり敵は弓兵か。
ふたりは神経を研ぎ澄まし、周囲の状況を探る。ここは森であるがゆえに隠れる場所ならいくらでもある。だが、アーチャーのサーヴァントならばどれだけ先からの射撃でもおかしくない。
──来る。
サーヴァントの知覚により、セイバーは主よりも早く第二波を察知し動き出した。
そのたった数歩、瞬くよりも短い時間にて、セイバーはどうベルチェを守るのか思考を巡らせ、結論に至る。
彼は飛び出し、腰の魔剣を引き抜いた。鞘から抜き放たれる瞬間より黒い霧が漏れ、光の斬撃となって木々ごと鏃を吹き飛ばす。
そうして瞬く間に出来上がった破壊の跡がベルチェに認識される頃には、彼女の視界には臨戦態勢となったセイバーの後ろ姿があった。
「セイバー……!?」
「言っただろ、アンタの剣になるって」
「言った。とても頼もしいしカッコイイ」
「ありがとよ。さて、お喋りの続きは戦闘が終わってからだ。まだ相手はこっちを狙ってる」
木々の消えた一画に向け、セイバーは構えている。ベルチェは頷き、周囲の魔力を探知しようと術式を行使した。
真っ先に引っかかるのは、特大の魔力反応。サーヴァントだ。急速にベルチェたちの方へと近づいてくる。
否。既に、目の前にいる。
「もう、お話は終わり?」
そのサーヴァントは、探知を行ったベルチェがセイバーに気をつけてと語りかけるよりも先に姿を現した。
雪のような白の髪に、透き通る空色の眼。手にしているのは市販の蒸留酒の瓶だ。
彼女は幼い容姿でありながらその中身をひといきに飲み干し、あたりに投げ捨てた。
「じゃあ、殺すね」
少女は残酷な笑顔を浮かべながら、手元に大振りの杖を出現させ、振りかぶる。セイバーは大きく踏み込み、迎撃に魔剣による逆袈裟斬りを放った。そして彼は一瞬ベルチェへと目配せをし、敵サーヴァントとの戦いに意識を戻す。
ベルチェは自分は逃がされているのだと認識し、木々の陰に慌てて隠れた。その心臓は、死の恐怖と、目の前で行われる神話の戦いにどくどくと高鳴っていた。