美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きたい! 作:紅葉煉瓦
「ッ………」
その言葉にわたしは何も返すことが出来なかった。
本当は色々言いたいのに、何も考えが纏まらなくて頭の中をぐるぐると言葉が浮かんでは消えていく。
残ったのは手足が冷たくなって痺れる感覚。それだけがわたしを支配する。
そして六花ちゃんはたった今運ばれてきたコーヒーに口を付けながら、
「本当はずっと立花アスカとして続けたかったんだよ。HackLIVEから誘いが来たときも最初は断るつもりだったし」
過去を振り返るように、それでいて語るように。
「でもね、もう限界なんだ」
しかし返事は期待していないように、言う。
「立花アスカは黒猫燦に釣り合わない。個人勢のくせに企業勢と仲良くするな。そもそも面白くない。それが、インターネット上の私の評価。だから、もう限界なの」
くしゃりと、力なく六花ちゃんが笑う。
「………」
ずっと目を逸らし続けていた。
でも、本当は知っていた。知らないふりをしていた。
わたしはエゴサをよくするし掲示板だってまとめサイトだって頻繁に目を通している。
そこでわたしや周囲の人たちがどういう評価を受け、どういう風に呼ばれているか、どんな目で見られているか。
知っていた。
黒猫燦と夏波結が営業と呼ばれたり、黒猫燦と立花アスカがリスナーを度外視した自己満足コンテンツだという評価も。
全部知っていた。
でも、そんなことはわたしたちには関係がないから何も気づかないふりをして、今まで通り普通にやりたいように活動を続けてきた。
匿名の誰かなんていうのは好き勝手に言って欲望を満たしているだけの存在だから、言いたいやつには言わせておけばいいと思っていた。
でも、立花アスカにとっては違った。
「この前の学力王のときだって裏で一番叩かれてたのは私だったんだ。黒猫燦に構い過ぎとかわざと点数調整してるとか、周りを見てないとか。ふたりのコラボのときもリスナーを置いてけぼりとか、話が面白くないとか」
指折り数えるように、六花ちゃんは言う。
活動者はインターネットの掲示板で自分の評価を見てはいけない。
掲示板に書き込まれる言葉なんて悪意にしか満ちていないのだから、そんなものに目を通していたら心が病む。
それはVTuberに限らずあらゆるクリエイターにも通ずる鉄則だ。
でも、六花ちゃんは見てしまった。人の悪意を。
「正直、私自身舞い上がってたから反省するところはあったと思うよ。でも、そんなつもりがないことも全部真実みたいに書かれて……」
「六花ちゃん……」
「マシュマロだって去年からずっと心無い言葉が送られてきていて、もうどうしようもないんだ」
立花アスカは黒猫燦とコラボしたことで爆発的に人気が伸びた個人VTuberだ。
そういうVTuberドリームを掴んでしまった者は有名税とでも言うべきか、他のVTuberに比べてアンチの対象になりやすい。
中にはかつての立花アスカと同じように日が当たらず燻っている個人VTuberが、シンデレラストーリーを駆け上がった彼女に嫉妬して同業者叩きをしている場合だってある。
度々の失言や問題行動でアンチを抱える黒猫燦も大概だが、企業VTuber主義のアンチや同業者のアンチがいる立花アスカはわたしと比べても更にどす黒い悪意に塗れているのは想像に難くない。
なのに、わたしはそれを心の底では理解しながら今日まで呑気に過ごしてきた。
「みんなは黒猫燦のことを弱い弱いって言うけど、そんなことはないよ。みんなより先にデビューしたのにちょっと伸び悩んだだけで引退を考えたり、アンチコメントの一つ一つに傷ついたり、でも言い返したり誰かに打ち明けることも出来なくて、全部抱えて、最後には挫ける私なんかと違って、燦ちゃんはとっても強いよ」
わたしが耐えてこられたから、きっと立花アスカも平気なんだ。
やっぱりわたしが好きな立花アスカはすごい。
そんな気持ちがなかったと言えば嘘になる。
何も言ってこない彼女の優しさに甘えて、何より今の関係性を壊すのが嫌でそういう繊細な話題を避けてきた。
六花ちゃんだって人の悪意に弱い、ただの普通の女の子だっていうのに。
だから、これは全て、わたしの自業自得。
「でもね、燦ちゃんは眩しすぎるよ。まるで本物の太陽みたいに、近づけば燃えちゃう。立花アスカなんかが黒猫燦に近づくなんて分不相応の身の程知らずだったんだ」
「そんな、の──」
人が人と仲良くすることに資格なんてない、そう、言い返したかった。
でも、彼女はそんな誰でも思いつくような浅い言葉、既に理解しているはずだ。それでも、だとしても、彼女はそれを是としてこの結論に至ったのだ。
ならわたしが今思いつく限りのどんな言葉を投げ掛けたとしても、彼女には届かないのかもしれない。
そんな思いがわたしの口を再び閉じさせる。
「だから立花アスカは引退します。夢に向かって引退して、HackLIVEの新人VTuberとしてイチから頑張ろうと思うの。今度は個人じゃなくて、企業として。黒猫燦と対等に、並び立てるように」
確かに、立花アスカが誹謗中傷の的になるのは個人VTuberが企業VTuberと仲良くしているのが気に食わないアンチがいるからだ。
そういう連中は大抵が個人勢を下に見て何を言っても許されると思っている。だから個人から企業になればある程度の文句は封殺されるかも知れない。
でも、たとえ葉桜六花が企業所属になったとしても、名の知れたVTuberの転生はすぐに身元が割れるから固定のアンチは変わらず攻撃をしてくるだろうし、根本的解決にはならない。
それを分からない六花ちゃんではないはずだ。
それでも、そうせざるを得ないほど、愚の選択でも縋るほど、彼女は限界なんだろう。
企業という肩書を欲するほどに。
「HackLIVEが出してきた条件はひとつだけ。今の名前を捨てて新しいVTuberとしてデビューすること。それ以外は自由に活動していいって言ってくれた」
それに、と彼女は言う。
「グループに所属してる人たちもほとんどが元々個人か企業の人たちなんだよ」
「知ってるよ……」
有名VTuberを簡単に生み出す方法は前世が強い人を引っ張ってくることだ。
素人の伸びるか分からない人を採用してイチから育て上げるより、配信経験や動画投稿の経験がある人をスカウトするのが圧倒的にコスパが良い。
だから今ではかなりの数の企業グループは元ニコ生主やストリーマー、個人VTuberの人たちが数多く所属している。
かく言うあるてまも未経験者歓迎と謳いながら、しかし中には応募してきた歌い手やストリーマーの人を何人か採用しているのだからそういう戦略が悪いことだとはわたしは思わない。
ある種、HackLIVEの前世持ちで固めるやり方は時代に適応した究極の合理主義とも言える。
「本当は立花アスカのままが良かったけど、それが企業側の条件だから仕方ないよね。向こうだって自分たちが用意した身体で伸びるほうが企業としての箔が付くから。私もクリエイターだから気持ちは分かるもん……」
少し寂しそうに、六花ちゃんは言った。
立花アスカは彼女がイチから手掛けた身体だから、思い入れだって人一倍あるに違いない。
それを手放すということは、それだけ覚悟が堅いということだ。
「きっと、燦ちゃんとすぐには仲良く出来ないと思う。でも私、頑張って燦ちゃんのところまでいくから。それにほら、私が居なくなったりこよちゃんと不仲になるとかそういう訳じゃないんだし。だから、燦ちゃんは心配しないで」
「でも……」
「これが私の幸せだから。ね?」
言葉は、出てこなかった。
彼女の転生してでも黒猫燦と並び立ちたいという覚悟に気圧されてしまったからだ。
「チープな言葉になっちゃいますけど、立花アスカは燦ちゃんの心のなかで生き続けますよ」
たとえ転生するとしても、VTuberの引退とは死と同義だ。
心のなかに生き続けるなんて綺麗事をいくら言っても、もうその人には出会えない。
次に会う彼女は「はじめまして」の誰かなんだ。
リスナーにとっては夢に向かう感動の引退でも、友だちであるわたしにとってその引退は立花アスカの死に変わりない。
それをわたしは
だから、否定しなきゃいけない。
でも、わたしは──。
「………」
やはり、言葉は出てこなかった。
彼女が選択した結果を否定するなんて、そんなのわたしのエゴでしかないから。
友だちではなく、ファンとして、立花アスカが夢に向かって引退するなら応援しなきゃという、自分の心を押し殺した感情が優先されてしまった。
或いは、友だちとの関係をこれ以上壊したくないという、わたしの臆病な心だったのかも知れない。
だからこの場における正解とは、笑って見送ること。応援してあげること。
それが友だちとしての優しさ。
唯一の正解。
「こよちゃん、泣かないで」
わたしはいま、泣きそうな顔をしているんだろうか。
指を頬に当てても、涙の痕はなかった。
じゃあ、きっと上手く笑えているんだろう。
六花ちゃんは伝えたいことを全て伝え終えたのか、しばらく無言の時間が流れた。
それからゆっくりと残りのコーヒーを飲みきった六花ちゃんは立ち上がり、
「じゃあ、今日はもう帰ります。雨、まだ降ってるから気をつけてね」
このとき、去りゆく背中に向かって感情に身を任せて声を上げれば良かったのに、やはりわたしには出来なかった。
代わりに精算してくれている彼女に追いつくのは容易なのに、背中が縫い付けられたようにソファから離れない。
やがて、カランコロンと扉から出ていく彼女を見送って、ようやく緊張の糸が解けた。
身体が動く。もう遅い。
とうの昔に空っぽになったクリームソーダのグラスを呆然と見つめながら、いったいどこで間違えたのか自問自答する。
いや、きっと全てを間違えてしまったんだろう。
もしかしたら、出会ってしまったことが……。
嫌な考えが頭を
もうこれ以上ここにいても仕方がない、早く帰ろう。
腹が立つほど軽快な鐘が鳴る扉を開け、外に出る。
軒先の傘立てから自分の傘を抜こうとして、しかし来たときには確かに置いたはずの傘がなくなっていることに気づいた。
「喫茶店で傘泥棒って……」
若干呆れながら、とはいえ元より傘を差す気力も残っていなかったので好都合と濡れて帰ることにした。
トボトボと歩きながら、既に緊張で冷え切っていた身体が全身を打つ雨によって更に冷える。
その刺激がきっかけだろうか。今までどこかふわふわしていた立花アスカの引退が、ようやく実感を帯びてきた。
あぁ、なんだろう。
こんなに身体は冷え切っているのに、妙に熱いな……。
行き場のない悲しみを洗い流すように、雨はまだ降り続けている。
「黒音さん?」
嫌な奴の声が聞こえた。