美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きたい! 作:紅葉煉瓦
こういう仕事柄仕方ないことではあるけど、平日に学校を休んで朝からスタジオ入りってなんだか自分が芸能人になった気分になってしまう。
いや、確かに何度かテレビで自分の配信を取り上げてもらったり雑誌のインタビューを受けたことはあるから芸能人といえばそうなのかもしれないけど、日頃配信をしているだけだとそういう意識っていうのはなかなか身につかないものだ。
最近は他所のVTuber事務所だと所属しているライバーのことをタレントと言ったり配信よりもメディア露出がメインになっていたりするし、わたし自身少しずつ今風のVTuberとして意識のアップデートが必要なのかも知れない。
とはいえ、一年前の今は配信のやり方すら覚束ないド素人だったわけで、それが一年掛けてVTuberであるという自覚を持って日々頑張っているんだから、わたしにしてはよくやっている方だと思う。
まあ、何が言いたいかと言うとね。
「ほんっとに信じらんない!」
「ごめんってぇ~」
「一周年の大事な日に寝坊とか本当にあんたは……、もう!」
運転席でさっきからぷんすこしているのは暁湊だ。
助手席ではわたしのマネージャーである九条兎角が無言でタブレットを操作していて、今はその静かさが逆に恐ろしい。
事の経緯を簡単にまとめてしまうと、わたしは朝の9時からスタジオで最終調整やリハーサル、その他打ち合わせがあるにも関わらず湊に起こされるまでベッドの上でスヤスヤと夢の中にいた。
そこから大慌てで支度をして、今は制限速度ギリギリで本社ビルに向かっているのだが……。
いや、言い訳をさせて欲しいんだけど、わたしだって今日は絶対に寝坊は出来ないな、遅刻なんてもってのほかだな、と重々承知してスマホのアラームを何重にも掛けていた。
でも、本番ということもあってあまりの緊張から三時頃まで目が冴えてしまい、気持ちを落ち着けようとしたエゴサで更に緊張が高まり、気分転換に零時に更新されたソシャゲのデイリーを消化しようとして……、気がつけばスマホを片手に眠りに落ちていた。
しかも最悪なことにスマホを充電せずにソシャゲを起動したまま寝落ちしたものだから、アラームをセットしていた時間には電源が落ちていて、迎えに来る予定だった湊に起こされるまでわたしは一度たりとも起きることなく熟睡していたのだ。
これはどう考えてもスマホが悪いね、わたしは悪くない。
……まあ、いい加減スマホのアラームじゃなくて物理的な目覚し時計を買えって話なんだけど。
「黒音さんには後日会社の経費で目覚まし時計を送らせていただきます」
それまで無言だった九条さんが口を開いた。
「今回はもしもの可能性を考慮して暁さんに付いてきて正解でした。これなら車内で打ち合わせが可能なので遅れを取り戻せます」
バックミラー越しに九条さんの眼鏡がキラリと輝いた。
そして助手席越しに振り向いた九条さんは、先程まで操作していたタブレットを渡してきた。
「他のライバーの皆さんは今頃本社会議室で担当マネージャーを交えて会議をしている頃です。黒音さんは唯一の3D配信ということもあって他の方より綿密な打ち合わせが必要になります。当然、リハーサルも」
「は、はい」
「今は21時の配信まで一分一秒も無駄には出来ません。ここで打ち合わせを開始しても、いいですね?」
流石曲者ぞろいのあるてまでも有能マネージャーと名高い九条さんだ。有無を言わせない圧を感じる。
前科数犯のわたしが当日にポンすることも前提で動いていて、まさか移動中の車内で打ち合わせをしようなんて。
しかしわたしとしてもこの提案を断る選択なんて端からなかった。
「はい!」
大きく元気よく返事を返す。
車の中で大声を出したものだから自分で自分の声を煩く感じるが、前の二人は少しも不快な顔をせずに寧ろ笑ってさえいた。
「では、暁さんも大丈夫ですか?」
「どうぞ」
と言っても、既に何度も前々から今日の流れについては話し合っていたので今更留意するような情報はなかった。
せいぜいが時間配分だけはしっかり守るように、というもので、それもオーバーする分には良いけど尺が余ると配信がグダグダして間延びするってだけの理由なんだけど。
「着いたわよ」
湊が運転する車が緩やかに停止する。
それと同時に九条さんとの打ち合わせも一段落した。
到着と同時に終わるように計算されたスケジュール、流石九条さんだ。
「そろそろ他の皆さんは打ち合わせが終わっている頃だと思います」
腕時計を確認しながら九条さんが言う。
ま、まあ、わたしも打ち合わせは今終わったとこだし? 合流すれば実質遅刻も打ち消しみたいなとこあるよね?
「ないわよ」
「平然と心読むの止めてもらっていいですか」
「わかりやすい顔してるから」
「ぐぅ……」
自分的には結構ポーカーフェイス決め込んでるつもりなんだけど、身近な人にはよく分かりやすい表情をしていると言われる。
でも個人的には深窓の令嬢みたいなミステリアスでクールなキャラのつもりなんだけどな……。
九条さんを先頭に地下駐車場から本社ビルのエントランスホールを抜け、エレベーターに乗って会議室へ向かう。
同期の皆は別にわたしが遅刻したからって怒ることはないだろうけど、代わりに盛大に弄ってきそうでそれはそれとして気持ちが重かった。
絶対に後日雑談配信とかで遅刻したこと触れられてなんかリスナーからも弄られるやつじゃん……。
「あ、黒猫さん」
エレベーターから降りると、ちょうど会議室からぞろぞろと出てきた同期たちと鉢合わせた。
「もう会議終わっちゃったよ」
「こっちも終わってるんだよなぁ」
「遅刻したのに張り合わないの」
駆け寄ってきた柳にドヤ顔で返す。
しかし後ろから
「べ、別に売り言葉に買い言葉ぐらいいいじゃん……」
「はいはい、ちゃんと反省してね」
「はぁい」
「ふふっ」
柳が口元を抑えながら小さく笑う。
「な、なに?」
「いや、別に? ただ迷いは吹っ切れたみたいだね」
「………」
その言葉に、思わず顔を逸らしてしまった。
それは後ろめたさとかではなく、純粋な気恥ずかしさから。
あの時、弱っていた自分と本音を曝け出してしまったのが今更ながらに恥ずかしくて。そして柳の言葉に発破をもらったことをキッカケに今の自分と状況があることに感謝と、何よりそれを言い出せない恥ずかしさから。顔を逸らしてしまった。
「何の話ですか?」
「あぁ、黒道さん。秘密だよ。僕と黒音さんだけの、ね」
そう言って、柳がウィンクをする。漫画ならハートのエフェクトとかこっちに飛んできそうだ。
なんか素直に受け取るのも癪だったので右手でペシッと払っておく。
「でも、打ち合わせが済んでるならよかったよ。僕らは歌枠リレーと告知だけだから時間まで暇だけど、黒音さんはこの後リハーサルがあるもんね。……頑張ってね」
「……うん」
ぽんぽん、と頭を撫でられる。
唐突過ぎて思わず振り払おうかと迷ったが、その手はまるで壊れ物を扱うように、それでいてわたしの不安とか緊張をなんとか解そうと気を遣ったような手付きで。
今回だけは、その不器用な優しさに免じてされるがままに身を任せてあげた。
そして時間にすれば数秒、たったそれだけで満足したのか柳がそっと離れる。
若干、名残惜しそうな目がコイツって凄い不器用なんだなぁ……と感じさせた。
「あの、柳さん!」
「ん?」
でも、不器用と言えばそれはわたしも同じなのかも知れない。
あの日、言おうと思って言えなかった言葉がある。今日だって本当なら会ってすぐに言うべきだった言葉だ。
それを、勇気を持って絞り出す。
「ありがとうございました!」
気持ちは伝えないと伝わらないから。
言えるときに言わないと、もう二度と言えなくなるかも知れないから。
わたしの言葉に少しだけ意外そうな表情を浮かべた柳だったが、しかしすぐに笑みを浮かべて、
「やっぱり、黒音さんはその表情が一番だよ」
と言った。