美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きたい! 作:紅葉煉瓦
「せ、せんぱい!」
「ん?」
名前を呼ばれたわけではないがなんとなく自分を呼んだ気がして振り向く。
無駄に長い廊下の先で肩で息をしている女性は……、三期生の神々廻ベアトリクスだ。
彼女は見ているこちらが大丈夫か? と心配になるような息切れを起こしながら、ヨロヨロとこちらに一歩ずつ近づいてくる。
こわ……。
「世が世ならゾンビじゃん……」
「何か言いましたか?」
「あ、いや。なんでもない」
危ない危ない、口を衝いた独り言が聞かれるところだった。
ようやく目の前までやって来たベア子はすぅ、ふぅ、と深呼吸で息を整えると、
「あ、遊びませんかこれから!?」
「え、なんで」
「っ!?」
まさかそんなことを言われると思っていなかったのか、驚愕の色を顔に染めてベア子が固まる。
いや、急に誘われたらそりゃ疑問に思うでしょ。
「うぅ……」
別に普通に説明してくれればいいのに、ベア子はまるで心が折れたかのようにズーンと暗い顔で俯いてしまった。
……コミュ障とは違うけどメンタルが弱い子だなぁ。
まあ、わたしも似たような経験あるから人のこと言えないんだけどさ。
仕方ない、ここは先輩としてわたしが手を差し伸べようじゃないか!
「わたしも丁度暇してたところだからさ、よかったらどっかいく?」
「!!」
ぱぁ、とまるで花が咲いたみたいに表情が明るくなった。
うーん、見てて飽きないな……。
ということでふたりで並んでビルから出る。
A of the Gって無駄にデカイから出るのも地味に大変なんだよなぁ。
わたしとしてはもっとこぢんまりとした雑居ビルでいいのに、なんでこんな本格的なところ借りてるんだろうね。
てかVTuber事業ってこんなにデカイ建物いる?
……あ、レッスンとか3D用のスタジオが全部併設してるせいか。
「ベア子も今日は打ち合わせ?」
「は、はい。帰ろうと思ったら先輩の後ろ姿が見えたから慌てて追いかけました」
「あー」
だから息切れしてたんだ。
「えーっと、うーん、あ、最近どう?」
「最近、ですか?」
こういうとき悲しいかな、未だにコミュ力を鍛える身のわたしにはいい感じの話を振るスキルはまだ備わっていなかった。
これでも以前に比べたらだいぶ改善したと思うんだけどね。
「そーそー。もう一年経つしさ、この前は四期生もデビューしたし。なんか思うところある?」
「思うところ……。正直、わたしたち三期生は先輩たちが作ってくれた道を歩いてるだけで、まだまだ先輩になるには荷が重いなと思います」
真面目か。
いや、でもわたしも三期生がデビューしたときはこれから先輩かぁって緊張したなぁ。たぶん。
なんか気がついたらあれよこれよとここまで来たけど、わたしもVTuberになってもう一年以上経つ。
この一年で沢山のVTuberがデビューして事務所も増えた。
たかが一年と少しとはいえ、この業界の中では殆どのVTuberが黒猫燦の後輩に当たるわけだし、よく引退せずにここまでやって来れたと我ながら感心する。
「一期生は箱庭先輩を筆頭に今でも前線で活躍をしてますし、二期生だって先輩を中心に常に話題の的にいます。でも、わたしたち三期生はこれといって目立った実績はないです。だから後輩にどういう姿を見せればいいのか、分からなくて……」
「わたしの話題って炎上が多いから見習ってほしくないんだけど」
「黒猫燦は燃えて輝くので」
「うーん明るく輝きたいなぁ」
というか、ベア子ってやっぱりクソ真面目だなぁと思う。
配信ではなんかツンデレっぽいキャラでやっているというのに、裏ではこうやって年下のわたしに対しても敬語で接してくるし。かと思えばポロッと出てくる素が可愛い。
わたしからすれば充分ベア子もキャラ立ちしているし、目立った実績がないとか言うけどそれは三期生が堅実に頑張っている証拠なんじゃないかな。
だって正直、一期生は特化型が多いし二期生もその傾向があるから、特に炎上することもなく活動できる三期生はあるてまにとって安定剤みたいなものだ。
まあ、だからこそそういう無難なポジションに落ち着いているのが不安になる、という本人の気持ちも分かるけどね。
VTuberは下手に安定している人より炎上でも起こしている方が注目を浴びる、というのはわたしが身にしみて理解してるし。
「何が言いたいかと言うと焦る必要はないってことだよ」
「? 何がですか?」
「え、心の声伝わってなかった?」
「まったく」
「そっかぁ」
改めて口に出して説明するとなんか恥ずかしいし、この話はここまでにしようと思う。
あれ、でも後輩の不安を聞きながらロクなアドバイスもせずに放置したらそれって悪い先輩じゃ……?
「えっと、ベア子はベア子のままでいいと思うよ」
「?」
「ほら、なんか、なんていうか、あれだよあれ、素材の味が生きるってやつ?」
「はぁ」
う、うぉお、一回思考を中断したせいで言葉が完全に出てこなくなった!
わたしの中ではもう終わった話扱いだから考えてたことも全部するりと抜け落ちちゃった!
「そ、そうだ! 敬語! 敬語やめよ! ほら、リスナーとか同期にしてるみたいにもっとフランクに!」
「で、でも先輩だし」
「そっちのほうが年上じゃん!」
「う、うぅ」
唸りたいのはこっちだよ!
「じゃ、じゃあ、猫ちゃんって呼んでいいですか?」
「いいけど。てかオフだったら別に本名でいいけど」
「こ、こよちゃん!?」
「わぁ、距離感三段飛ばしぐらいしてきたね」
「ご、ごめんなさい……」
「いや謝らなくていいよ。好きに呼んでいいから」
「でも……」
うんうん、最初は躊躇っちゃうよね。
わたしも祭さんとか相手に覚えあるなぁ。
「あだ名の候補が多くて悩むわ」
「そっち!? あだ名で呼ぶのは確定なんだ!? というか候補そんなにあるの!?」
「黒ちゃん。くーちゃん。くーやん。くー子。こよちゃん。こよちん。今宵」
「多いな!? そこまであだ名にこだわってきたやつはじめてだぞ!?」
「わたしがはじめて!?」
「お前真面目かと思ったらやっぱバカだろ!」
途端にIQが下がった気がするし、さっきまでのベア子を返して欲しい。
はぁ、とため息を吐いていると隣にいたはずのベア子がいつの間にか立ち止まっていた。
「どうかした?」
「くーちゃん。わたしとんでもないことに気づいたわ」
「なに?」
「これどこに向かってるのかしら」
「あてもなく歩いてたの!?」
遊びに誘うぐらいだしどっか目的地があって歩いてると思ってたんだけど!?
「てっきりこーちゃんが行きたい場所があるのかと思って」
「わたしも同じだよ! てかあだ名ブレまくりだな!?」
はぁ、やっぱりこいつバカだわ。
いや、そりゃぁどこに行くか相談せずに歩いてたわたしも悪いけどさ、普通お互いに同じ考えで歩いてると思わないじゃん?
こっちからしたらベア子が誘ってきたわけだし。
……待てよ、ベア子からすれば一度断られてるしわたしから誘っているように見えなくもないのか。
うーん、これはコミュ障と他人任せが生んだ偶然の悲劇。
「はぁ、じゃあどこ行く? アニメイト? メロブ?」
「ど、どこでも!」
「一番困るやつきたねぇ。そもそも何して遊びたかったわけよ」
「一緒にいられればそれで満足よ」
「だから距離感めっちゃ飛ばしてくるじゃん。もうそれは恋人とかそういう関係で言う言葉!」
配信でもこういう面をちゃんと出せたらきっと今以上に注目されると思うぞ。
「とりあえずカラオケでも行こっか」
「生歌!?」
「そりゃカラオケなんだから当たり前でしょ」
「メン限でもないのに聞いていいの?」
「お前メンバーかよ!?」
神々廻ベアトリクスはメンバーシップ入ってないから別アカで入ってるなこいつ。
「うっ、べ、別にコメントとかしたことないわよ」
「目を逸らすな。絶対あるだろそれ」
「ぷ、プライベートは勝手よ」
そうだけども! そうだけどなんか目の前に純粋なメンバーいるの恥ずかしいじゃん! しかも知らずにコメント打ってるとか気になるじゃん!
てか、うわ、そっか、てことはあるてまの人に見られてないと思って気を抜いてるメン限とか全部見られてるってこと……?
うわ、マジで恥ずかしい。
「パシャ」
「何撮ってんの!?」
「ご、ごめんなさい。赤面が可愛くてつい」
「やばいやばいこいつやばい人だって」
「ホーム画面にするだけだから! ちゃんとロックも掛けてるから安心して!」
「何を!? 不安しかないが!? 頭大丈夫か!?」
他人だったら普通に犯罪だぞ!?
いや、でも他人だったら流石に勝手に撮らないし身内だからできることか……。
って、なに冷静に納得してるんだよ。
「あー、もうわかったわかった。この話終わり! ほら、カラオケいくぞベア子!」
なんだって路上でこんなやり取りしないといけないのか。
さっきからちょくちょく通りかかるサラリーマンが変なものを見る目でこっち見てきてすごい胃がキリキリする。
これじゃ喫茶店とかで一般客がいるのにヤバいヲタトーク繰り広げたり同人誌広げる痛いオタクと変わらないじゃん……。
「あ、待って!」
近場のカラオケボックスの場所を思い浮かべながら、再び歩を進めようとしたらベア子が急に呼び止めてきた。
なんだなんだ、また変なことを仕出かさないだろうな。
「その、えっと、出来れば、ほ、本名で呼んで欲しいんだけど」
もじもじとうつむきながら、赤面したベア子が遠慮がちに言う。
あー、たしかにベア子があだ名として定着してたけど本名で呼ぶほうがいいか。
まあ、ベア子ならよくあるハンドルネームっぽいし身バレはしないだろうけど、やっぱりメリハリって大事だし。
って、そういえばわたしってベア子の本名知らない気が……。
「アリア。
迷いとか、羞恥とか、全てを振り払うように天然の金髪を掻き上げながら名乗る彼女は、不思議とさっきまでのバカキャラとは打って変わって様になっていた。
「穂波、アリア……」
わたしとはまた違う、ハーフ特有の美しさとでもいうか。
思わず、その姿に見入ってしまった。
「今度の案件、一緒に頑張りましょうね」
三期生がデビューしてから一年経っても、VTuberとして黒猫燦のほうが先輩でも、わたしはこの後輩のことをこれっぽっちも理解していないんじゃないだろうか。
そんな不安に駆られた。