美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きたい!   作:紅葉煉瓦

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#170 他人の言葉

「あ」

 

 ソファに座りながら旭くんを待つこと十数分。

 そろそろ待ち続けるのも疲れてきたなぁ、とうつらうつらし始めた頃にようやく彼は自販機の前を通りがかった。

 まさか数十分前に最初の会議室で別れたわたしがいるとは思っていなかったのか、驚いた表情を浮かべている。

 

「や、やあ。奇遇? だね。いや別に全然待ってたとかじゃなくてさ、あのあと九条さんと打ち合わせしてたら結構長引いちゃって今終わったとこで一休みしてただけで」

「……いや先輩、今船漕いでましたよね」

「ふ、船を漕ぐ!? ここ陸地だよ!? まさか船なんて漕げるわけ」

「俺が声出さなかったら絶対寝てましたよね」

「ま、まさかぁ! 旭くん待つのは良いけどお説教で疲れた後にミルクティー飲んだせいで眠くなってたとかあるわけ無いじゃん!」

「はぁ、まあ別に何でもいいですけど。とりあえず口元のよだれは拭いたほうがいいですよ」

 

 そう言って、旭くんは綺麗に折りたたまれたハンカチを差し出してきた。

 

「あ、ありがと……」

「それ、予備のハンカチなんで先輩に差し上げます。いらなかったら後でゴミ箱にでも捨ててください」

「いやいや、ちょっとよだれ拭いただけだから大丈夫だよ!? ばっちくないって!」

「……逆に自分のよだれが付着したハンカチを異性に渡すって、先輩のほうが嫌じゃないんですか」

「あ、たしかに」

 

 美少女が出した体液なんてそれだけでマニアには垂涎ものだろう。旭くんには申し訳ないけど一旦持ち帰って、ちゃんと洗濯してから返そう。

 それにしても、こうして目の前にいる旭くんはネットの彼とは違い落ち着いているというか、気が回るというか、やはり別人のように物腰が丁寧だった。

 以前、四期生のみんなと事務所にいたときはもう少し粗野な感じがしたけど、あれもキャラ作りの一環だったんだろうか。

 

「それで、先輩は俺に何か用ですか?」

「あー、えっと……」

 

 こうして面と向かって何か用? と言われると少し臆してしまう。

 いや、用事があるから待っていたのはその通りなんだけど、少し冷静になった頭で考えてみると他人の引退云々なんてわたしが口を出していい領分ではない気がしてきた。

 それこそ、彼には彼の事情があるんだろうし、いつかの引退騒動のときとは違ってわたしが渦中にいないなら、そこへ安易に踏み込むわけにもいかない。

 

「まあ、先輩からすればいきなり俺が引退って言い出したわけですし、経緯くらい聞きたいですよね」

 

 わたしの心の中の葛藤を見抜いたのか、旭くんが話を進めてくれた。

 この察しの良さはどこぞの我王を相手にしているようだ。

 

「ちょうど俺も同じ配信者の人に吐き出したいと思ってたんで、先輩が迷惑じゃなければ少し話しませんか?」

「あ、うん。だいじょうぶだけど……」

「じゃあ会議室……、は勝手に使うわけにはいかないし。休憩室は誰か来るかもしれないんで、どっか個室のある喫茶店とか行きましょうか」

 

 そんなわけで、我々は場所を移すことにした。

 と言っても、密談にピッタリの個室がある喫茶店なんて急に探したところで見つかるはずがなく。

 どうしようかと悩んだ末に思いついたのが、

 

「カラオケって……、なんか締まらないなぁ」

 

 そう、A of the G本社ビル近くにある、全国チェーンのカラオケだ。

 

「すみません。ここの料金は俺が出すんで……」

「いや、カラオケの部屋代くらい別に自分で出すから」

 

 そんな奢って奢られてに固執するほどお金に困ってないし。

 とはいえ、カラオケの個室は大声で歌うことを目的にしているから、防音対策がしっかりしていて話し声程度なら漏れる心配がない。あとはモニターから流れてくるCMさえ気にしなければ、これ以上ないほど密談にはもってこいの場所だ。

 

「さて」

 

 ワンドリンク制の飲み物が店員によって運ばれてきたのを見届けてから旭くんが口を開く。冗談でも「折角カラオケに来たから一曲どう?」なんて聴ける雰囲気ではない。

 

「俺が急に引退するって言ったせいで、先輩は何がなんだか分かってないと思います」

「それは、まあ」

 

 九条さんからある程度の話は聞いたけど、それは内緒ということになっている。

 それに、あれはあくまでも九条さんがマネージャー視点で客観的に把握している事情とそこから導かれる推測であって、実際に旭くんが何を考えて感じているかは本人の口から聞いてみないことには分からない。

 ここへ来る前に色々と吐き出したい、と言っていたからおそらく不安や不満、愚痴がこの場のメインテーマになるんだろうけど……。

 

「結論から言うと、俺、VTuberするのがしんどくなりました」

「………」

「もともと自分でも配信とか向いてないなって思ってたんですよね。それでもちょっと無理して数ヶ月やってみたんですけど、やっぱ俺なんかじゃ荷が重いなって思って。ほら、そろそろ年末ですし年明けたら心機一転したいじゃないですか。だからちょうど良いからあの場で引退を口にしたんですけど……、後先考えない発言で先輩には迷惑かけました。改めてすみませんでした」

 

 そう語る旭くんの表情は言葉とは裏腹にどこか明るい、或いは吹っ切れたものだった。

 担当マネージャーと話し合いをして、既に自分の中で結論が出たから……? いや、どうしようもない現実を前に空元気を振り絞っているだけ……。

 違う、これはわたしに心配を掛けまいと努めて明るく振る舞っているだけだ。

 

 そもそも、わたしはあの場に居合わせただけで旭くんがわたしに対して引退の理由を説明する必要や義務なんて最初からない。にも関わらず、こうして個室まで用意して会話の機会を設けてくれているのは、彼がこちらの事情を知りたいという気持ちを察してくれたからに他ならない。

 

 そんな気遣いの出来る人間がバカ正直に自分から愚痴を言うはずがないし、だからこそわたしがいるのに引退を口にしたあのときは、それだけ精神的に余裕がなかったことの裏返しになり得る。彼の素の一面に触れた今なら、それがなんとなく理解できた。

 

 なら、この言葉はきっと彼の本音ではなく、わたしに負担を掛けないための上っ面の言葉に違いない。その気持ちはありがたいけど、でもわたしはそんなものを聞くためにここへ来たわけではない。

 わたしが聞きたいのはわたしのために用意されたそれっぽい説明ではなく、旭くんの本音の部分だ。

 考えが纏まると同時に、今まで迷いから定まらなかった視線を、はじめて旭くんと合わせた。

 

「じゃあ、旭くんはどうしてVTuberをやろうと思ったの?」

「どうして、って……」

 

 旭くんの視線が何も無いところへ逃げる。

 

「自分は配信に向いてない。でも無理して数ヶ月やってみた。なんて言うけどさ、うちは基本的に応募型のオーディション形式の事務所だよね。なのに自分が向いていないってそこまで分かってるのに応募するのはおかしくない?」

「いや、別に、俺は……」

 

 彼の性格から考えて最近流行ってるから、とか、楽して稼ぎたいから、とか、友達が応募したから仕方なく、とか、そんな適当な理由で応募したとは考えられない。

 おそらくわたしと同じ、何かしら明確な目的があってVTuberになろうと決意したタイプだ。

 だったら同じVTuberを志した人間として、ここで彼が諦めてしまうのを黙って見過ごすわけにはいかない。

 

「旭くんがVTuberを辞めたいと言うのなら止めはしない。人それぞれ事情があると思うし、そこは他人のわたしが踏み込んじゃいけない部分だから。でも、自分が向いてないって分かってるのに、それでも応募してデビューできたVTuber。本当に辞めたいの?」

「それは……」

 

 わたしだって自分が配信に向いていないと理解しながら、それでもノリと勢いで応募したから分かる。

 ネットで応募するときに何度も吐きそうになりながら、必要な情報を入力して自己PR動画を撮って、それらを何度も何度も読み直して撮り直して、震える手でクリックしてようやく応募出来た。

 動機は不純で行動は勢い任せだったとしても、そこに至るまでの覚悟と最後の勇気は紛れもない本物だった。

 だからこそ、わたしたちVTuberが、そんななんでもない風に、ちょうど良いからって、軽々しく引退を口にできるわけがない。

 

「だから聞きたいんだ。キミの本当の言葉を」

 

 たとえ出来ることがなかったとしても、同じVTuberとして彼の悩みを聞いてあげたい。

 そんなわたしの言葉は、

 

「すみません」

 

 申し訳無さそうに伏せられた目が、明確に彼の拒絶を伝えてきた。

 

「先輩は俺なんかにも親身になってくれる良い人だと思います。でも、そんな良い人が俺の個人的な問題に関わるのはただ時間を無駄にするだけなんで、止めたほうがいいです。気持ちだけ、ありがとうございます」

 

 結局、彼とわたしの間にはこれと言って深い関係があるわけでもない、言ってしまえば他人同士だ。

 会話をするようになってからまだ二週間も経っていないし、コラボだって二回しただけ。

 同じ箱の先輩後輩という肩書がなければわたしたちは他人と変わらないくらい薄っぺらい関係性の上に立っていて、そんな人間がちょっと格好つけてよく分からないことを語ったところで相手に響くわけがない。

 かつてお互いに憧れあった友達でもなければ、奇妙な因縁によって意識する間柄でもない、ただの他人。

 仮にわたしが同じ立場だったとしたら、一年と少し先にデビューした年下のガキが妙に語ってきてウゼーとしか思わないだろう。そんな感情を抱かないだけ、彼は人間が出来ている。

 

 だから、そう、これは仕方のない結果だ。当然の帰結だ。

 

 ギリッ、と奥歯が軋む。行き場のない無力感と悔しさが心のなかで混ざり合い爆ぜる。

 これが配信上の黒猫燦なら叫んで無茶苦茶にして、なんだかんだと最後はオチが付いたり締まったりするんだろう。

 でも、現実の黒音今宵はどこまでも無力だった。

 何も持たない黒音今宵はそれ以上、他人の、悩んでいる後輩にかける言葉を持たなかった。

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