美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きたい! 作:紅葉煉瓦
それから本当に十分後。
唐突にスタジオの防音加工が施された重い扉が開いて、旭くんが出てきた。
「先輩……」
旭くんは気まずそうに、なんでここにいるんだと問いかけるような目でわたしを見た。悪意を向けられているわけじゃないのに、そういう目はお腹の奥がキュッとするからやめてほしい。
「あー、えっと、奇遇だね」
「……前もそう言って俺のこと待ち構えてましたよね」
「そ、そうだっけ」
ボキャブラリーが少ないから、こういう場面ではとりあえず奇遇って言っちゃうんだよ。
「はぁ……。それで、先輩はまだ俺に何か用があるんですか」
その物言いは、まるでわたしに対して何も興味がないようだった。いや、実際彼はわたしという人物に対して興味なんて欠片もないのだろう。
前回はあくまでも直前まで関わりがあったから、義理で経緯を教えてくれただけだ。
その経緯を語り終えた今となっては、わたしたちは他人も同じ。
同僚。先輩。それだけの関係性で、彼がこれ以上踏み込むことはない。踏み込む必要がない。
だから、彼はわたしに対して何も言わない。語らない。
でも、こうなることは既に予想していた。
わたしたちの間の話し合いは既に一昨日の時点で終わっているから、彼が今更それを自分から掘り下げる訳がないのは、百も承知だ。
だったら、この会話はいつもみたいに受け身で喋っていたら駄目だ。主導権を渡した瞬間、先日の二の舞いになるだけだ。彼の心をこじ開けるには、こちらから攻めるしかない。
わたしは緊張でカサついた唇を、舌先で少し湿らせてから口を開いた。
「わたしは、旭くんに引退してほしくない」
あの日、わたしは他人という関係性を言い訳に、彼の事情に深く踏み込むことを恐れて大事な言葉を失念していた。
──引退してほしくない。
そんなわたしの本音をぶつけずに、辞めたいなら止めないとか、他人が踏み込んじゃいけないとか。
聞こえのいい言葉を並べて、先輩風だけは吹かせて、寄り添ったつもりになって、ただ彼の本音を暴こうとした。
それで歩み寄りなんて、笑わせる。
わたしはわたしを知っている彼女たちにしてきたように、他人の旭くんに接してしまったのがそもそもの間違いなのだ。
だから、まずはわたしの言葉を、気持ちをぶつける。
歩み寄りの第一歩は、そこからだ。
だが、
「……俺は引退するって決めたんですよ。今更考えは変わらないです」
彼にとって歩み寄りは意味を成さない。
わたしだからとか、我王だからとか。そんなことは関係なく、誰に対しても自分の本音を見せることを恐れているからだ。本音という、弱さを曝け出すことを恐れているのだ。
だとしても、前回のようにわたしは今ここで止まるわけにはいかない。諦めずに攻め続ける。
「そんなことは分かってるよ。旭くんがいろんなことを考えて、考えて考えて考え抜いた結果が今だってことは分かってる。でもね、旭くんには悪いけど、わたしが嫌なんだ。せっかく仲良くなった後輩が、VTuberしんどいから辞めるなんて、そんなの悲しいじゃん」
「俺には向いてなかった。それだけです」
「何度でも言うよ。わたしはキミにやめてほしくない。一度結んだ縁を簡単に諦めたくないから。でも、それでも、どうしても、どーしても引退したいんだったら、ちゃんと自分の言葉で本当の気持ちを教えてよ」
「……無理ですよ。俺の言葉なんて、聞かせるもんじゃないです。前も言いましたけど、この問題は時間の無駄なんで先輩は俺なんかに関わらずに、自分のことだけを考えるべきです。だから、俺のことは放っておいてください」
やはり、彼は頑なだった。
この場に我王がいれば、その心はさながら中世の堅牢な城門とか、余裕を演出するために敢えて格好つけて言っていたかもしれない。
いると煩いやつだけど、あの煩さを知ってしまうといないと心細くなる。いてもいなくても迷惑なんて、なんて面倒くさい男なんだろう。
しかし、これでは懸念した通り平行線だ。
いくらこちらが本音で歩み寄ろうとしても、向こうがそれを望んでいない。どころか踏み込むことを恐れ、遠ざかり続けている。
なら、どれだけ言葉を重ねたところでお互いの歩み寄りが成立しないことには、本音の話し合いなんてのは実現しないだろう。
そもそも、これはわたしの我儘で一方的に彼の方へ踏み込んでいるだけで、本来であれば彼は別に本音を見せる必要なんてどこにもないのだ。この場に付き合う必要すらない。
故に本音を見せることを、弱さを曝け出すために一歩踏み出すことを恐れている彼は何も悪くない。
悪いのは、諦めきれないわたしたちだ。人の引退を大人しく受け入れられず、足掻こうとするわたしと我王だ。
だから、彼の心をこじ開けるために。
悪いついでに、少し卑怯な手を取らせてもらう。
「そういえば、旭くん。わたしたちってまだ自己紹介してなかったよね」
「は……?」
唐突な、今までと一切関係のない話題に旭くんが戸惑いを見せる。
それに構わず、わたしは続ける。
「わたしの名前は黒音今宵。あと10日もすれば18歳になる女子高生だよ」
「先輩、何を」
「身長は145cm! スリーサイズは上から97、56、89! 好きな食べ物はジャンクフード! 嫌いな食べ物は苦いやつと辛いやつ! 趣味は睡眠と読書! 漫画とラノベを読書と言い張る系オタクです!」
「あの」
「好きな色は黒! イメージカラーも黒! 下着の好みはフリフリしたやつよりセクシーな方が好きだけど、自宅ではジャージとかパジャマで過ごすことが多いです!」
「ちょ」
「VTuberになったのは小中高とぼっち生活を送ってコミュ障こじらせて流石にやばいと思ったから! 配信活動を始めてからはクラスメイトから話しかけられることも増えて最近は友達出来ました!」
「一旦やめ」
「地元は見境市で住所は──」
「ストップ! ストップ! それ以上の個人情報いらないんで! やめてくれ!」
無理やり口を抑えられて言葉を遮られる。見る人が見れば完全に事案だ。
とはいえ、こうなることは予想していたのでジタバタと暴れまわることもなく、彼が落ち着きを取り戻して手を離してくれるのを大人しく待つ。
やがて、
「はぁ……。先輩、マジでやってくれましたね……」
旭くんが心底疲れ切った様子で言った。
「お互いを知るためにはまず自己紹介が大事だよね」
「自己紹介って、知りたくもない個人情報を一方的に押し付けられただけなんですけど」
「本音のぶつかり合いに隠し事はなしだから」
「いや流石にセンシティブな部分は隠してくれ……」
悪いとは思っている。でも、悪びれた顔は見せない。
すると、旭くんはようやく観念した様子で、
「あぁもう。ここまで赤裸々に情報渡されると、俺も自分のこと話さないとフェアじゃなくなるじゃないですか……」
と言った。
古のインターネット文化の一つに、インターネット上の付き合いで個人情報を知ったら自分も個人情報を教える、というものが存在する。
本名を名乗られれば自分も本名で返し、住んでいるところを教えられたら自分も住んでいるところを教える。
一見するとこれは意味不明な行為だが、インターネットの付き合いにはこうした個人情報の教え合いが往々にして存在したのが事実だ。
わたしとあなたはお友達だから、あなただけにプライベートな情報を晒させませんよ、という信頼の保証。同時に、牽制の意味も込めて。
もしも個人情報がネットに漏れれば自分が漏らしたと疑われる。だから今ここで担保として自分の個人情報を教えておこうという、ネットという薄い関係性だからこその読み合い。
インターネットが普及した現在では、そんなことをしない人だってたくさんいる。
でも、我王と九条さんは旭くんを真面目な人物と評した。
付き合いの短い旭くんのことはまだ信頼できなくても、我王と九条さんの人物評なら信頼できる。
そんな真面目な人間がここまで一方的に個人情報を教えられて、ハイそうですかと黙っていられるわけがない。
何より、引退を表明している旭くんは来年にはVTuberを辞めて一般人になる。
もし仮に彼が引退した後に黒音今宵の個人情報がネットに流出することがあれば、真っ先に疑われるのは直近で個人情報を知った旭くんだ。
未成年の個人情報が流出したときに、企業から自分に向けられる疑惑の目を、メンタルが弱い旭くんが耐えられるわけがない。
だから、彼ならわたしの個人情報に対して自分の個人情報を担保にして、関係性をフェアにする。
そう考えたからわたしは、自分の個人情報を担保に、彼が真面目な人間であることに賭けた。
歩み寄りとか色々言ったけど、結局最終的には彼の真面目さに付け込んだ、手段を選ばない打算込みの作戦しかなかった。
でも、彼の心を強引にこじ開けて話をするなら、これが一番確実だと思った。
良識のある大人が知れば、何を馬鹿なことをと怒るかもしれない。自分でも、また馬鹿なことしてるなぁという自覚はある。
とはいえ、彼の気持ちを聞いてどうにかしてあげたいと思ったんだから仕方がない。最初に語った言葉もわたしの本心だ。
もうわたしたちの間に隠すような情報はなにもない。いわゆる無敵のフィーバータイムが始まった。
だから、諦めて本音を吐き出してくれ、旭くん。