美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きたい! 作:紅葉煉瓦
──私は未だ嘗てないほど緊張していた。
コインパーキングからマンションまでの短い距離は、思いの外私たちの身体を雨濡れにするには充分すぎた。
……まあ、今宵が走っているはずなのに凄い遅くて、その上何度も転びそうになるから予想外に時間が掛かったのが最大の原因だと思うけど、さ。
全身に張り付くシャツとパンツはただただ不快感の塊だった。
これが自宅なら玄関で全部脱いでお風呂に直行出来ただろうけど、流石に人の家でそんな事はできないよね。
今宵がとたとたと持ってきてくれたバスタオルで髪と服を簡単に拭きながら、さてどうしようと考えてみる。
「お、お風呂、用意するから入って」
「お風呂沸かせるの……?」
「で、できらぃ! ピピって押すだけじゃん!」
若干の心配を懐きながら後ろから観察していると、少し戸惑いながらもなんとかお風呂を沸かすことに成功していた。
ほっ、いくら今宵でもそれぐらいできるよね……。
それからしばらくして、電子音声がお風呂が沸けたことを知らせる。
問題はどっちが先に入るかだけど……。
「今宵が先入っていいよ」
「えっ、けどみーちゃんもずぶぬれ……」
「私はいいから。ほら、今宵のお家なんだし先に入りなって」
渋る今宵の背中を押しながら脱衣所へ放り込む。
あんなちっちゃい子が雨に濡れて雷に怯えて震えているのだ、一刻も早くお風呂に入れて少しでも落ち着かせたいと思うのは普通の事だろう。
濡れたままで家中を彷徨くのは躊躇われるので、脱衣所の扉前に立ってボーッとする。
手持ち無沙汰に天井を眺めてこの1週間をふり返っていると、背後からしゅる、しゅる、という衣擦れの音が聴こえてきた。
今、扉の向こうでは今宵が服を一枚一枚脱いでるのかぁ、と考えたところで。
ちょっと待て。
なんだか最近、今宵に毒されて感覚が麻痺してきていたけど、実は今トンデモナイ状況なんじゃないだろうか?
夏コミ終わりに大胆な宣戦布告をして、そこから一切のコンタクトを断って今日久々に会って、一緒にデートして最後は引き留められて全身ずぶ濡れで家にお邪魔して、向こうは扉一枚隔てて裸になって私はその音を聴きながらドキドキしている。
わ、私は年下の女の子相手に何してるのかなぁ……!?
こ、これ犯罪じゃない!? もしも警察に今見つかったら私お縄にならないかな!? 言い逃れできない現行犯だよね!?
そんな感じに頭を抱えながら悶々と悩んでいると、
「あの、みーちゃん」
「こ、今宵!? ど、どうかしたの?」
「ぇと、やっぱり、その……一緒に入らない?」
「へ?」
一緒に入る?
何処に?
決まってる、お風呂に。
「な、なにいってんのよもう! 大人をからかうのもいい加減に」
「だ、だって、濡れたままじゃ風邪引くよ?」
うっ、あまりの純粋な言葉に思わず言葉が詰まる。
そ、そうだよね。
一緒に入るって別にやましい意味じゃないし今宵の性格を考えたら自分だけ先に入って雨濡れ女を一人寂しく放置するなんて出来ないに決まってるもんねだってあの子不器用だけど根は凄い優しいしいい子だからそれに──
「先、入って待ってるから……」
「へ、あ、うん!」
し、しまった!
勢いに任せて流れで返事をしてしまった!
ここは大人として自制を効かせて断る場面だったのに!
けど返事をしちゃったものは仕方ないよね。
だって約束破ったら今宵ってば絶対に泣くし不機嫌になるし……。
浴室の扉を閉める音とシャワーが流れる音を聞き届けてから、そ~っと脱衣所の扉を開けてコソコソと中へ入る。
な、なんだかイケないことをしているみたいですごく緊張しちゃうなぁ。
浴室のくもりガラスを見ると小柄だけど出るところは出ているシルエットがシャワーを浴びているのが分かる。
籠を見れば最後に脱いだであろうびちょ濡れの下着の上下と、その下に今日の服と、朝に脱いだパジャマが雑に放り込まれていた。
……私はほぼ無意識に下着を手に取っていた。
いや、弁解させてください。
これは決して下心ありきの行動じゃないんです。
濡れたままの衣服をそのまま放置すると生地が悪くなるし、匂いも悪くなるし、一番下に敷かれた乾いたパジャマにも悪影響を及ぼしてしまうから、下着は洗濯ネットに入れて洗っておこうと思ったのだ。
だから、勘違いしないで頂きたい。絵面は年下の美少女の下着を両手で掴んでいる不審者かもしれないけど、本当に下心はないんです……!
……ふーん、ピンクねぇ。
「みーちゃん、まだー?」
「ひゃぅん!? も、もうイくから!」
今宵の急かす声に背を押されるように服を脱いでいく。
肌に張り付いた衣服はなかなか脱ぐのに苦労するなぁ。
そうだ、どうせだから私の服も洗濯しちゃおう。
今宵の下着と私の下着を一緒に洗濯機へ入れて回す。
こういう時、下着と服を一緒に回せないのが面倒だと思うけど仕方ないよね。
回すのは服が先でも良かったんだけど、やっぱり帰る時のことを考えるとまずは下着が優先と判断した。
まあ、明日までには全部回して乾いてるだろうし、杞憂だと思うけどね。
裸になって浴室の扉に手を掛けいざ参らん、と意気込んだところで再び私はやっぱりトンデモナイことをしているんじゃないだろうかと冷静になった。
今まで今宵の裸は何度か見てきたけど、それはあくまで事故だったりお風呂上がりにそのまま髪を乾かすとかなんてことない状況だった。
けど、扉の向こうにはお風呂に入っている今宵がいるのだ。そして私も裸だ。
お互いが全裸の状況って初めてでは……、と思うと途端に恥ずかしくなってきた。
あー、うー、やっぱりやめようかな。
いやいや、けど女の子同士でお風呂に入るのなんて普通のことじゃん!
と言っても、私の女の子同士の経験なんて姫穣さんぐらいしかないけども!
どうせ私は学生時代も表面上の付き合いしかしてこなかった女ですよーだ!
うぅ、急に惨めになってきた。
もうなんだか全てがどうでも良くなってきたので諦めて扉を開ける。
湯気がボワッと漏れ出して全身を包む。
「みーちゃん、おそー、い……」
「ごめん、洗濯機回してたから」
「………」
「今宵?」
お湯に浸かっていた今宵はほんのり上気した顔でポカーンとこちらを眺めてきた。
な、なんだろう?
自分と比べて小さい胸に呆然としてるのかな。
そ、そりゃあ今宵に比べたら小さいけど、決して私は女性全体で見ると小さくないと思うんだけどなぁ。というかこの子からすれば殆どの女性が小さい扱いだよね……。
「あ、えと、なんでもないデス……」
「そう? じゃあシャワー借りるね?」
「ど、どぞ」
湯船にブクブクと沈んでいった今宵を不思議に思いながら、シャワーで体を流す。
はー、雨のベタベタが流れていってきもちー。
シャンプーやトリートメント、ボディソープも借りて丁寧に洗っていく。
「………」
その間も今宵はじーっとコチラを観察していた。
う、うーん。ずっと見つめられるのは流石に恥ずかしいんだけどなぁ。
話題の一つでも振ってくれると助かるんだけど、流石に今宵にそこまで求めるのは酷かな?
もういいや、こっちから聞いちゃおう。
「さっきから何見てるの?」
「おっぱい」
「え」
「あ、や、ちがっ、ぁぅぅ……」
思わず胸を抱いて隠すようにしてしまった。
そ、そうだった。
一週間ぶりで今日の今宵はおとなしかったからついつい忘れていたけど、この子はこういう子だったね。
きっと一緒に入ろうって言葉は下心無しの優しさだったんだろうけど、それはそれとしてえっちなのが黒音今宵という女の子だった。
裸を見せ合うのはまだ早かったんじゃないだろうか、と背中にツーっと汗が伝う。
キュッとシャワーを止めて、さてどうしよう。
見ると浴槽の縁を掴んで顔を真っ赤にした今宵が、前のめりに食い気味に何度も頷いていた。
いや、なんの頷きよ。
「えっと、入っていいの?」
「うん、うん。隣、隣どぞ」
「じゃあ失礼して」
浴槽は2人並んで多少余裕がある広さだ。
元々一般家庭にしては広めな浴槽に、今宵が小柄なのが拍車をかけている。
私たちはなんとなく気恥ずかしくて横向きに三角座りで並んで浸かり、ぼーっとくもりガラスを眺める。
「ぁの」
「ねえ」
「ぁぅ……」
気まずさに負けて声を掛けると見事に被ってしまった。
今宵がまたブクブクと湯船に顔半分を沈めた。
「ごめんね。先いいよ?」
どうせ私はこの後どうしようか、みたいな中身のない話題だし。
「じゃ、じゃあ。ぇと、みーちゃん、夏コミからなにか怒ってる……?」
それを聞いた瞬間、私はチクリと胸の奥が傷んだ。
彼女が何を言いたいのか、そしてその原因が何なのか、辿々しい言葉でも私には理解できてしまった。
この1週間は結局、全部私の醜い嫉妬心が生んでしまった歪だ。
以前のような穏やかな関係を保ちたいのに、それで満足かと囁くもうひとりの私がいるのだ。
だからあんな挑発をしたり仕事に関する話もあるのに連絡を断ったりしてしまった。
正直、後悔はしていないけど今宵を不安にさせてしまったことだけは可哀想だと思っている。
「怒ってないよ」
「ウソだ、絶対怒ってる」
「嘘じゃない。ただ嫉妬してるだけ」
「嫉妬?」
小首を傾げる今宵は可愛らしかった。
そんな純粋な瞳で私を見つめ返してきて──あぁ、いつの間にか私とこの子の視線が何秒経ってもブレないことに気づいた。
その事実に気づいてしまって、私はほとんど無意識に今宵の耳元へ顔を寄せて、
「全部、わかってるから」
囁きに弱いことを理解しながら、必死に声を漏らすまいと我慢するその反応が楽しくてつい意地悪したくなる。
「立花アスカ、可愛いもんね」
「ゃ……」
「先輩たちみんなにも大好きって言ってるもんね」
「ぁ、みなと……」
息が掛かる度にぴくん、と跳ねる肩と吐息が可愛くて、次第にとろんと焦点を失っていく瞳が段々と私から理性を奪っていく。
あぁ、やっぱり、この子は魔性の女だ……。
「ねぇ、今宵」
「ん、んんぅ……」
「私だけを見て」
いつの間にか体勢は横並びから向かい合う形に、そして覆いかぶさる形で、押し倒すように、私が上から今宵を見つめ下ろしていた。
いくら広い浴槽でも向かい合っていればそれなりに窮屈で、お互いの足や腕が絡み合う。
それが余計に私の中から理性という理性をすべて蒸発させていく。
白磁のように滑らかな首筋を見ていると、私の中の独占欲がまた鎌首をもたげ始める。
このまま、私という存在を刻みたい。
既に理性はなくただの本能で、その首筋に顔を寄せ──、
「お前達、一体何をしているんだ」
「へ?」
「ぅぅん……ママ!?」
心臓が止まる音がした。
◆
つまりは今宵のお母さんである。
眼の前にはダイニングテーブルの椅子に腰掛けた千影さん。
うぅ、無言の空気がとても重いよ。
「で、これはどういう状況だ」
千影さんが口を開くたびに隣で縮こまる今宵がビクビクと震えている。
娘には凄く甘くて優しいお母さんとは聞いていたけど、同時に怒ると凄く怖いとも聞いていた。
ぽわぽわした瞳と下ろした髪の今宵と違って、千影さんはキリッと鋭い瞳に長い髪を結い上げているせいで気の強そうな印象を受ける。
それでも今宵が1万年に1人の超美少女であれば、その母の千影さんは1万年に1人の美人と言っても遜色ない美貌をしていた。
「ママ帰ってくるの早い……」
「強烈な雷雨でな、帰宅命令が出たんだよ」
「そっか」
正座をしていた今宵はいつの間にか足を崩していた。
足先を擦っている辺り、数分と持たずに痺れたんだと思う。
腕を組んでいる千影さんはそれを気にした様子もなく私を見ろしている。
確かにこれは娘に甘い母親だ……!
「暁湊、だったか」
「は、はい! その、今宵さんとは仲良くさせて頂いてます!」
「ああ、よく見させてもらった」
それが何を指しているのか分からない私ではない。
……隣の今宵は頭に疑問符を浮かべているけど。
「その、いつも勝手にお家に上がらせて頂いてるのに、何のお礼もできずに申し訳ありません」
「ああ。いや別に気にすることはない。私も今宵に年上とはいえ友だちが出来たことは喜ばしい。色々と世話を焼いてくれているみたいだしな」
「いえいえいえ! 私のほうがお世話になってるので!」
きっと黒猫燦とコラボをしていなかったら、私は今頃Vtuberを続ける意味を見出だせていなかっただろうから。
だから今宵には本当に感謝していた。
千影さんはフッ、と表情を崩して笑うと、
「これからもよろしく頼む」
「も、もちろんです!」
「だが、それとこれとは話が別だ」
一転、再び鬼も震え上がる表情で睨みつけてきた。
お、怒ってる、めっちゃ怒ってるよ!
「別に女同士であることに異を唱えるつもりはない。だがあれはどう見ても貴様が今宵を襲っていた。違うか?」
「はい、仰る通りです……」
「そして今宵、この女と付き合っているのか?」
「え!? や、あの、えと、みーちゃんとはお友達です、はい」
「さて、言い残したことはあるか?」
「ほんっとうに申し訳ありませんでした!!!」
勢いよく土下座で謝る。
額をグリグリとカーペットの上にこすりつけながら、誠心誠意謝り倒す。
そうだよね、やっぱり傍から見たらあれは犯罪だよね!
それから5分間土下座を続けていると千影さんはふぅ、とため息を1つ吐き、
「顔を上げろ」
と、ようやくお許しが出た。
隣の今宵を見ればオロオロと涙目で視線が行ったり来たりしている。
……かわいい。
「お前も分かっていると思うが、今宵は無防備でおバカだ」
「はい」
「にゃ!?」
「警戒心は人一倍強いクセに少し懐に入り込めばすぐに気を許すし、簡単に騙されるぐらいザル警戒だ」
「知ってます」
「ひどい!」
「だからこれからも今宵のことを頼んだぞ」
千影さんの瞳には確かな信頼が宿っている、気がした。
「あの、初めて顔を合わせるのにどうしてそこまで……」
「今まで誰にも懐かなかった今宵が毎日お前の話をするんだ。信じるのにこれ以上の理由があるか?」
「あっ」
「それにいくら私が家を空けがちでも、信頼できない人間に合鍵を預けたりはしないさ」
最初はポストに入っていた『今宵が外で鍵を落としたとき用』の合鍵を毎回借りて、寝ている今宵を起こしていた。
しかし家にお邪魔するようになって数回目で、本人から無言で合鍵を押し付けられたという経緯がある。
そっか、あれは千影さんの差し金だったんだ……。
それから、私達は千影さんが作るご飯を食べて──手伝おうとする今宵を必死に宥めて、代わりに私が手伝った──日付が変わる前に寝落ちした今宵をベッドへ運んで、2人でお酒を傾けていた。
「いいか湊。そういうのは最低でもあの子が高校を卒業してからだ」
「はい。あ、いえ、何もしませんけど!?」
「煩い、今宵が起きるだろ」
「すみません……」
「それで、あの子は元気にやれているのか?」
「はい。今日もスタジオで頑張って撮影してましたよ」
「そうか……。あの子は人見知りだからな、湊がいて良かったよ」
「そんなことないですよ。きっと今宵なら私がいなくても別の誰かが手を差し伸べていたと思います。それに私は最初は下心で近づいたので……」
「だとしても、だ。最初に寄り添ったのは湊だった。だから私は母親として感謝する」
「……ありがとう、ございます」
その言葉に、ずっと心の中にあった後悔や罪悪感のようなものが、少しだけ救われたような気がした。