美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きたい! 作:紅葉煉瓦
静かな、車内だ。
開場まであと1時間と少し。喫茶店で暇を潰すには微妙な時間であり、かといってただ待つには長すぎる時間を
と、言ってもふたりは本来の仕事を中断してやって来た身である。
手に持っているスマホでは今も部下へ業務連絡を行うために忙しなく指を動かしている。それでも手持ち無沙汰、と感じるのはそれだけ余裕があるからだろう。
「ところで湊さん。貸しひとつですよ?」
「……休ませてくれたのは感謝してるけどそれはあんまりじゃない?」
「こういうところで貸しを作らないと、湊さんはなかなか作らせてくれませんからねぇ」
「それを言ったら貴女は私に何個借りがあるか覚えてる?」
「んー。たくさん、ですね」
一見刺々しい言葉の応酬だが、それはよく聞けばお互いに気心が知れたものだから叩ける軽口だ。
暁湊にしてもその表情はやれやれ、と呆れたものだが、最近親しくしている黒音今宵と遊んでいるときのような、どこかリラックスした雰囲気があった。
「それにしても黒音さんがメイド喫茶とは、大丈夫ですかねぇ」
「頑張ってたし大丈夫でしょ」
「おっと、厚い信頼ですね」
「あの子はデビューしてからずっと私たちの無茶振りに応えてきたから。最後は絶対に出来る子よ」
「まま……」
その言葉には無言の手刀で返事をした。
◆
「そろそろ、ですね」
腕時計を確認しながら神代姫穣が言った。
「思ったんだけど、あんまり早く行くと迷惑じゃない?」
「どうでしょう。私たちの時の文化祭は外部から人を呼べなかったですからね」
学校から少し離れた駐車場に車を停めているので今から歩けばちょうど開場の時間だろう。
周りにもお洒落をした父母の姿が見える。だがスーツに身を包んでいるのはこのふたりぐらいのもので、少し浮いている感じがした。
「着替えてから来ればよかった」
「会社から直行したせいでそんな暇なかったですもんね」
まあ、昔からふたりで歩いていると人から見られることが多かったので、今更視線を集めたところでどうってことはない。
あの子に迷惑掛けちゃうかな、という罪悪感はあるのだが同時に頭の隅では周りにアピールしたい、というある種子供じみた思いも抱いていた。
やがて豪華な装飾が施された校門が見えてきた。
もう既に開場は始まっているのか、人だかりが出来ていることはなくスムーズに入れそうだ。
校内からは既にガヤガヤと盛り上がっている喧騒が聞こえるため、開始間もなくでも入は盛況といったところか。
「盛り上がってますねぇ。こういう雰囲気はこっちまで楽しくなります」
「あんまりキョロキョロしないでよ」
「とか言いつつ、内心はうきうきな湊さんなのでした」
ぺしぺし、と神代姫穣の腕を無言で叩いて抗議する。
どんな言葉で言い返してもこの女はひらりと躱すから、こうやって物理に訴えたほうが早いというのは長い付き合いで充分理解している。
校門をくぐると校舎までの少し長い道のりに学生主体の出店が並んでいた。
焼きそば、焼き鳥、綿菓子、といった定番から野外でよくわからない研究発表を行っているところと多種多様な出し物がある。
それらを横目に見ながら、事前に聞いていた教室目指してはふたりは歩く。
道中、文化祭でちょっとテンションの上がった学生がナンパまがいのことをしてきた程度のイベントはあったものの、暁湊が冷たくあしらっただけで逃げ出したので特に語ることもなく教室へとたどり着いた。
「ねえ、緊張してきたんだけどどうしよう。どうしたらいいかな」
「どーしても文化祭行きたいって言ったのは湊さんでしょう。覚悟決めて愛しのメイドさんに会いに行きましょーね」
「いとっ!?」
「はいはい後がつかえるから入る入る。すみませーん」
一歩も動こうとしない暁湊の背中を押しながら、教室の前で客引きをしているメイドに声を掛ける。
一瞬。スーツ姿の大人の女性がやって来たことにフリーズしたメイドさんだったが、すぐさま思考を切り替えて誘導をはじめた。
学生にしてはしっかりしてますねぇ、と神代姫穣は感心してるがその隣で暁湊は絶賛フリーズ中である。思考は完全に真っ白、後少しで黒音今宵のメイド姿が見られるということに軽くパニックを起こしていた。
先程ナンパを冷たくあしらった女性とは思えない姿だ。
「開場したところなのにお客さんがたくさんいますね。あ、席は空いてるらしいですよ。ほら、いきますよー」
返事をしない暁湊の手を引っ張りながら、先導するメイドさんに付いていって勉強机をふたつくっつけた座席へ座る。
簡単に店内を見渡した感じだと、細部は学生仕事だが大凡学生にしてはなかなか凝ったことをするなぁ、といったところだ。
白を基調にして派手すぎず地味すぎず、いい感じに飾り付けがされている。目の前の勉強机にしても真っ白のテーブルクロスをシワひとつ無く綺麗に敷いているおかげで、元が勉強机だという忌避感を抱くことはない。
「すみません。黒音さんを指名出来ますか?」
「ちょっと、」
「……黒音さんのお知り合いの方ですか?」
「深い仲の友達、ですかねぇ」
どこで知り合ったのか、黒音今宵のような大人しい学生には似つかわしくないミステリアスな大人の女性の意味深な発言にメイドさんが言葉無く色めき立つ。
すぐに呼んできますね! という威勢の良い言葉とともにメイドさんが教室後方、仕切りがされているところへ入っていった。
「……面倒事は起こさないでって言ったでしょ」
「あれぐらい普通ですよ?」
「わざと面白そうな方向へ言ったくせに……」
「人生面白い方が楽しいでしょう?」
「はぁ……」
だから連れてきたくなかった、と思いながら暁湊はテーブルに置かれたメニュー表を手にとった。
本来のメイド喫茶はクオリティに比べてボッタクリ価格とよく耳にするが、ここは学生の催し物ということもあって良心的価格で表示されていた。
「やっぱりオムライスが定番ですよねぇ。あとはこのじゃんけんするだけなのに500円も取られる萌え萌えじゃんけんとかいいですねー」
良心的価格である。
「よくこれ教師の許可降りたわね……」
「チェキとかないんですね。メイド黒音さんと撮りたかったなぁ」
「いやいや、流石にそこまで変なメニューはないでしょ。……じゃんけんでも大概だと思うけど」
ふたりでメニューを見ながらあーだこーだと語り合っていると、テーブルに影が差した。
思った以上に熱中していたな、と顔を上げるとそこには、
「お、おかえりなさいませご主人さま」
「おぉー」
「………」
そこに居たのは天使だった。純白のメイド服に黒髪が栄えた天使だ。
少しスカートの丈が短いせいで屈めば見えてしまいそうな危うさはあるものの、それを気に留めさせない容姿の良さがそこにはあった。
だと言うのに、もじもじと恥ずかしそうにスカートを押さえているから否が応でもそこを意識させられる。
端的に言って蠱惑的な魅力に溢れていた。
「な、なんか言えよぉ」
「あ、や、可愛いと思う。すごく、うん」
「お似合いですよー」
先程までどこか不安そうな瞳をしていた黒音今宵だったが、ふたりの口から褒め言葉が出ると一転、花が咲いたようにパッと笑顔を浮かべる。
仕切りの向こう側で何か呻き声みたいなものが聞こえた。
「そ、そっか。ま、まあわたしってば美少女だし、似合うのは当然だよね!」
「そーですそーです。よっ美少女!」
「ふふん、さあご主人さま。好きなものを頼むと良い!」
「え、あー。……じゃあ萌え萌えじゃんけん」
「正気!? それ完全にネタで採用したやつなんだけど!」
普段ならそんな冷静を欠いた行動に出ない暁湊の発言にとても心配そうな表情で、黒音今宵が顔を覗き込んできた。
──顔が良い! 顔が近い!
突然の出来事に思考回路を完全にショートさせた暁湊があたふたとしながら神代姫穣にアイコンタクトを投げる。
「ッ!」
受け取った神代姫穣は任せろとばかりに大きく頷いて、
「さっきチェキ欲しいって話してたんですよ!」
「言ってない!?」
「黒音さんと撮りたいって」
「待ちなさい!」
慌てて止めに入るが時既に遅し。
またもや顔をりんごのように真っ赤に染めた黒音今宵はぼそり、と、
「写真ぐらい、後でいくらでも撮れるじゃん……」
ガタガタンッ、と仕切りの向こう側で音が響いた。
「あ、あー。じゃあオムライスちょうだいオムライス。あとコーヒーも。姫穣さんはサンドイッチと紅茶でいいでしょ。はい、お願いね!」
「お、おう、かしこまりました?」
イマイチ何も理解していない様子の黒音今宵。
伝票に注文を書き込んでいるのを見届けて、仕切りの方へ歩いていく背中へ向かって暁湊は一言。
「ライスはちゃんと入れてね」
「当たり前だが!?」