妹君の誕生日に際する貴重な触れ合いのひとときがぶち壊しになったばかりか、紅美鈴の鍛え上げられたその肉体の内、頭部と首と腹と腿が貫かれ、十六夜咲夜の右腕が欠損したという余りの惨事に流石のレミリア・スカーレットも憤りを感じ、彼女は今、東風谷早苗と共に妖怪の山のある区画に潜んでいた。犯人はふわふわと宙に浮かぶ烏賊だった。一般的な人間より二回りほど大きく、三匹程度が共同的に存在している。月明りに照らされたその姿は、海底から空を見上げたような呑気な詫び寂びをも感じさせる処が却って薄ら寒く目障りだった。紅魔館の誇る、幻想郷全土でも上から数えた方が早いであろうその総戦闘力によって相当の負傷を与えた筈のその海産物共は、ブロッコリーでも食べるかのようにその辺の緑を犯すのと引き換えに全快したようだった。
茶番じみた強さだな、奴らは。とレミリアは忌々しげにぼやく。奴らが紅魔館の領域圏外まで逃げ出してから、半刻程しか経っていない。その半刻の間にあったことと言えば、怒髪天を衝いた彼女が即座に館を飛び出し、気配を追って妖怪の山まですっ飛んでいって、それを止めに来た懲戒天狗を腹いせとばかりに殆どブチのめし、早苗の調停術式によって漸く落ち着いて、事の顛末を話合ったくらいだ。雑魚天狗はレミリアと烏賊によって壊滅状態になったので、今は戦闘力に特化した別部隊を作成中らしい。それを聞いてレミリアは呆れた。
「緊急事態で化物三匹の相手をしている最中であっても、明らかにそれを斃しにきた私をも止めねばならず、新しい部隊の作成や出撃の指示などに一々会議を挟まねばならないとはな。妖怪の山の連中の愚鈍さには憐れみさえ覚える。なあ守谷の」
「東風谷早苗です。これで三度目ですよレミリアさん。貴方が敷いている独裁によって得られる即断即行は所詮、貴方の持つ強大な力と魅力に依ります。共同体の強固性をシステムに頼る以上仕方のないことです」
「フン。褒め言葉と受け取っておくとするが、口の聞き方には気をつけろ。平時ならその程度の軽口に眉を潜める事もないが今の私は虫の居所が悪い」
「心中お察ししますと言うと同時に、腸が煮えくり返っているのはこちらも同じだと主張させて頂きます。あの烏賊が出した損害の中には私の友人諸子も含まれていますのでね」
「そういうことじゃあないんだよ」
「え?」
「いや、いい。すまない」
烏賊は地に伏せ休息を取ると言ったことはない。ただ浮いている。海の中を揺蕩うように。幻想郷に海はないし、烏賊は漁獲とされる中では初見がそこそこグロテスクで、わざわざ人里に入荷されるような事は少ない。故に幻想郷の住人の殆どには全く未知の化物で完全な恐怖の対称だ。しかしレミリアや早苗からすると、それは未知への恐怖と言うよりは寧ろ、妙なシュールさを感じさせつつも、日常に異常が侵食してくるような悍しさがある。なにせあのすっとぼけたような外見はそのままにひたすらデカい。矢よりも早く空中を泳ぎ、更に体表を任意に硬質化出来る為、移動そのものが攻撃となる。吸盤の歯はぎしぎしと音を立てて回転し、大凡何もかもと言って差し支えなく刮ぎ取る。どんなものでも食べ、すぐに自らの細胞へと変じさせる。分裂もする。大きさと個体数は決まっているようで、今以上に厄介なことにはならなそうなのがせめてもの救いか。度し難い。とはいえ、レミリアにとっては嬉しい誤算もある。早苗の補助術式は攻撃性能に特化したレミリアとは相性がいい。彼女は自分一匹でも十分に殺しきれると踏んでいるが、念の為の保険としては此れ以上無い人選だ。
「はあ。物も考えられない畜生が生きる為にした行動にブチ切れていても栓の無いことだ。判ってはいる」
「私の知っている通りならあれらには人並みの知能がありますし、愉快犯的に人を殺します」
「なんだと?君は奴らの何を知っている?」
「あっやべえ目があった」
「オイオイ」
烏賊共に存在を気取られてしまった二人だが、それですぐさま襲ってくるような事はない。何せレミリアの放つ圧を紅魔館にて一度体感している。そもそもこいつらは美鈴と咲夜の後にこんな化け物の相手は出来ないからという事で逃げ出している。蛇の特性を降ろしている早苗はともかくあの烏賊共、夜目まで効きやがるよとレミリアは石を蹴った。不意打ちを敢行する為森の下を這って動いていたが、相手は空中に大きな視界を持って存在しているので目が合ったのはたまたまだし、早苗の責任とは言い難い。二人は警戒する敵対者に対する認識系の力に長けていない。
「仕方ない。手筈通り私が先に突っ込む。我が下僕共がアレされた相手な手前油断はしないが、そもそも私一人でも十分に燼滅出来る相手の筈だ。心配はしなくてもいい。守谷の、君は戦局を見て術を張れ。動きを鈍らせるようなものが良い」
「東風谷早苗。私の事は東風谷早苗と。四度目です。判りましたが、あれらは貴方よりも明確に創作設定に縛られた存在です。現状、力量の上では勝っていても『ノートの上から書き足される』様な事態にならないとは限りません」
「君の言っている事はさっきから随分確信的だな。後で詳しく聞かせてもらえるのだろうね?」
「ああ…まあ、はい、良いでしょう」
「結構」
結構の「う」の発音が終わるのと同時に、レミリアの姿は既に三匹の烏賊と共にあった。早苗は直ちに愚鈍付与術式と脆弱化術式と生命吸収術式を同時に詠唱した。