スカジさんの件は予想外でした。
だってスカジさんは普段、「そう」とか、「わかったわ」くらいしか言葉を交えない方でしたから。あれほどドクターと仲良くなっていたなんて、思わぬ伏兵です。
「それでも」
現状、私がドクターの一番近しい人物であることに揺らぎはありません!
今日も、山積みの書類を持ってドクターの執務室へとやってきました。そこにはいつも傍にいるスカジさんやグラベルさん、シルバーアッシュさんの姿は確認できません!
この部屋に、私とドクターと二人きり……!
「お疲れ様です。ドクター。追加の書類を持ってきましたよ」
絶望したような顔をしてこちらを見るドクター。ここまでは計算通りです。
「ふふ、ドクター。安心してください。私もお手伝いしますから」
そう言うと、おぉ!とドクターが嬉しそうな声を上げる。
するとどうでしょうか、私はさりげなくドクターの机の近くに座り、雑談をしながら、お仕事までできるのです!まさに一石三鳥です!
「ドクター。そういえば、明日は有給の申請を出していましたね」
書類に取り掛かりながら、ドクターと他愛のない話をする。
ドクターがお休みを申請することは少なくはないですが、そのほとんどが私とケルシ―先生によって否認されています。だって、お仕事が片付いていませんから。でも今回は……
「今はドクターも頑張っていますし。お仕事もそれほど溜まっていませんから、有給は受理しますよ」
ドクターはさっきとは比にはならないほどの笑顔を見せてガッツポーズをとりました。私が手伝いを申し出たときより嬉しそうなのは気になりましたけど、何だか子供っぽくて可愛らしい。
「……じ、実は、私も明日はお休みを頂こうかと思っていて、それで、ドクターさえよr」「ドクター!明日のことだけど!」「え?」
バンと扉を開けて入ってきたのは、ふわふわの茶色いツインテールに、ダボっとしたコート、快活な雰囲気から健康的な印象を受ける少女。
「あ、アンジェリーナさん……!?……ということはドクター。まさか明日の有給は……」
「うん!……えへへ、実は明日……ドクターと一緒にデートに行くの!」
ドクターのことを見つめて、顔を赤くしながら照れくさそうにはにかむアンジェリーナさん。なんとも可愛らし……。
「えッ!!???」
で、デデデ、デートッ!!?
File2 安心院アンジェリーナ
「これは、仕方がないことなんです。ドクター……」
有給は否認されました。
理由としては、急遽、大量の事務仕事が舞い込んできたからです。
偶然、本当に偶然です。偶然なんです。やることが、急に増えてしまったんです……。
ドクターもアンジェリーナさんも大変残念がっていましたが……これは、仕方がないことなんです。医療に戦術指揮、モチベーターの役割まで担っているドクターを一個人が占有するというのは、とてもとても、いけないことだと思うのです。ですから、私はこれで良かったと……。
良かったと……
「……」
こんなこと、いけないことですよね。
アンジェリーナさんは、とても明るくて、優しい人です。
彼女自身、突然鉱石病感染者になってしまったという不幸な生い立ちを持つというのに、笑顔を絶やさず、他者の笑顔のために運送屋(トランスポーター)というお仕事までしている尊敬できる方です。ロドスでこなしてもらった重要な仕事も、一度や二度ではありません。
ですが、彼女はもともと普通の女子高生です。
戦闘経験はありませんし、レユニオンとの戦いは、彼女にとってあまりにも残酷で。受け入れがたいものでしょう。
そんな、彼女を支えていたのもきっと、ドクターだったのでしょう。
彼女はドクターの前では特別な笑顔を見せている気がします。それはオペレーターやトランスポーターとしてではなく、年相応の普通の少女としての……。
……精神的なケアの意味もかねて、今度ドクターと3人で昼食でも……?
「あれ?ドクター?」
執務室へとたどり着くと、そこにはドクターの姿はなく。なぜかドクターの席で仕事をする……シルバーアッシュさんの姿が……
「……シルバーアッシュさん!あの、ドクターは……」
「盟友か、盟友なら……今日は暇を貰っている」
「え!?」
「……あまり、あいつを虐めてやるな。盟友を重用しているのはわかっているが、たまには、羽を休めさせてやれ」
そう淡泊に告げると、ドクターにお任せしていた事務仕事を黙々と処理し始めるシルバーアッシュさん……。何だか、いつもは厳しいシルバーアッシュさんが、ドクターには甘いような……
っは!ということは……
「今、ドクターは……!?」
「良かったの?お仕事抜けて来ちゃって?」
代役を頼んでおいたから大丈夫だ。
そう自信満々に言うドクターに、心の隅にあった申し訳なさは消え失せていって、段々と嬉しいという気持ちが膨らんでいく。
今日はあたしとドクター、初めてのデート!
行き先は頭が痛くなるほど悩んだけど、やっぱり映画なんてベタで良いかなーって思った。そこからのプランは流れでカフェに行って映画の感想を言いっこして、雑貨屋でお互いに似合うグッズを選びっこして……それで夜にいい雰囲気になったりして……!?
「えへへ……あれ?ドクター?」
眼を離すと、いつの間にかドクターが居なくなっていた。どうしたのだろうと思い振り返ってみると、ドクターは小さな子供の前にしゃがみこんでいるようだった。
「ぐぅ、うええええ!」
子供はその場で泣きじゃくっており、言葉の代わりにしゃくりを上げている。ドクターも、なんと声を掛けるべきか考えている。よ~し!
「チャオ―。どうかしたのかな、ボク?」
「う、ぐす、おがあざんと、はぐ、ぐれて!ぐす」
「お母さんと?それは……困ったね」
うん、困った。チラと端末で時刻を確認すると、既にチケットを取っていた映画の時間は差し迫ってきている。この子の母親探しに付き合う暇はなさそうだ。
まぁ、だけど……
ドクターはお母さんを一緒に探そうと言って、子供の手を引いた。
子供の手はぐちゃぐちゃの鼻水で糸を引いていたようだけど、ドクターはそれでも手をしっかり握ってあげているみたいで……。
あぁ、もう、本当にどうしようもなく、この人は!
子供が安心したように泣き止むのを見て、あたしは、まるで自分のことのように嬉しくなった!
「じゃ、お母さんのこと探そうか。大丈夫!この辺りは……あたしたち運送屋(トランスポーター)にとって庭みたいなものだから!」
ビルの隙間を縫って跳ぶ!飛んで、走って、また宙に跳ぶ!
「すっげー!!」
あたしがお姫様抱っこしたドクター、そのドクターにしがみついた迷子の男の子。
軽さと重さを操って、今のあたしたちは綿毛みたいにふわふわと宙を跳ぶことが出来る。
ここからなら、この子のお母さんも見つけられるはずだ。
男の子は、目をキラキラとさせて街の景色を見下ろしている。けれど、この高さ、まだ怖いのかドクターに必死にしがみついていて……その小さな手は未だにドクターにしっかりと繋がれている。
……あたしがドクターに手を取ってもらった時も。
すっごく心強かったのを覚えてる。
突然、鉱石病の感染者だなんて言われて、もう、目の前が真っ暗になった。
体に、見たことないカチカチの鉱石みたいなのが生えてきて、まるで自分の身体じゃないみたいな、そんな息苦しさと痛みがその日を境に頻繁に私を襲うようになった。
……しかも、現代の医療では治らないらしい。
鉱石病の感染者はこの世界では迫害されて生きている。
国によっては、感染が拡大しないように感染者たちを隔離して、そして……命を絶つことも珍しくはないという。だから、あたしは当然、感染者であることを隠して生きることになった。
ずっと部屋に籠っていたけれど、お母さんに勇気づけられて……何とか運送屋の仕事をまた手伝うくらいには元気が戻ってきた。
身体に感じる違和感と新しい力に戸惑いながら、私は運送屋(トランスポーター)としての仕事を続けた。
がむしゃらに仕事をして、その時だけは自分が感染者だってことを忘れられたから。
そうしているうちに、ロドスからスカウトが来て……あたしはそこでドクターと出会った。
「あぁ!ありがとうございます!なんとお礼を言って良いやら……」
「すげーのかーちゃん!!お姉ちゃんとビューンってお空を飛んで、ボク、町を見下ろして!」
「はいはい、ほら、あなたもお礼を言いなさい」
「ありがとうお姉ちゃんたち!!」
「もうはぐれちゃだめよ~」
母親と再会した子供に手を振ると、再びドクターと二人で街の中を歩き始める。
さっきまで元気に騒いでいた男の子もいなくなり、人通りも少ないからか嵐が去ったかのような気分。それに、映画はとっくに始まってしまっている。
「子供の扱いが上手いって?えへん、すごいでしょ!……あと、映画ごめん?……ううん、良いよ。もっといいものが見られたし!」
そう言って、子供たちと別れた方を振り返ると、ドクターも同じように振り返って、今度は自然と顔が向き合って、笑顔がこぼれる。確かに心が通じ合ったのを感じて……。
あったかいなぁ。って思う。
けどすぐに失敗したことを思い出した。
だってビルの上を飛び回った後だったから、髪が変になっていたかもしれなかったから。どこかで確認したいな……
「え?今からでも映画を見に行かないかって?……うん!じゃあその前に」
「動くな!そこのお前たち!!」
怒声のした方を振り向くと。そこには顔をマスクで覆った人たちが……!
あれは……れ、レユニオン!?
まさか、ドクターと二人しかいないときに限って、こんなことって……
いくつもの足音が響き渡り、武装をした集団が次々と奥から現れる。
右も左も、武装兵だけじゃなくて唸り声をあげる犬まで……も、もう取り囲まれてる!?
このままじゃあたしも、ドクターも……!?
「ど、どうしよう、ドクター……」
「……」
……逃げるが勝ちだ!
そういうとドクターはあたしの手を取って走り始める。あたしもすぐに能力を使って、ドクターと自身の重さを制御すると一緒に跳びながらその場を離脱し始める!
「待て!」
何発か銃声が聞こえて、近くの建物に弾が当たった音がする。
今、少しでも遅かったら死んで…!!
「ど、ドクター……」
トランスポーター。安全なところまで運んでほしい。
そうドクターに言われて、信頼しきった目を向けられて、はっとする。
そうだ、あたしはトランスポーター。だけど、それ以上に、ドクターを支えるって決めた、一人のオペレーターなんだって。
なんだか先ほどまでの恐怖が消え失せて、胸の奥から力が沸き上がってくる!
だって、ドクターがこんなにもあたしを信じてくれているから。
「……オッケ~!このピンチを乗り越えよう!ドクター!!」
「待て!!!くそ、逃がすな!」
「チッ、なんだか身体が重いな……」
「へへ、だが今がチャンスらしいからな、あのオペレーターは戦闘経験が乏しいらしいし、今のうちにあのターゲットをやっちまえば!」
「くくく……ん?なん……」
『(エーギル語)……もう喋るな』
「な……!?ぎゃあああ!!」
深海に近い暗闇から、姿を現した一対の大剣。
一振り振るっただけで、隊長だったものを削り切る。
「た、隊長……!?っく、ここは迂回して……」
「逃げていいわよ~?……さて、どこまで逃げ切れるかしら」
「へ、うわあああああ!!」
眼にもとまらない『白い騎士』の早業に、次々と悲鳴が上がる。
そこは阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
鉄球が、弓が、大剣が、鳥が、そして、アーツと呼ばれるエネルギーの塊が次々に彼ら(レユニオン)に襲い掛かり、断末魔を上げながらその場に倒れ始める。
「……ドクターには指一本ふれさせませんよ」
「ば、馬鹿な!罠だったのか?ターゲットは弱い感染者と二人で行動していたんじゃないのか……!どうして、どうしてロドスの部隊がこんなところに!!!ぎゃああっ!!!」
「……こ、ここまでくれば大丈夫、だよね?」
力をめいいっぱい使って、やってきたのはとあるビルの屋上……。
大丈夫、追手は撒いたみたいだ。
とのドクターの言葉に、興奮して忘れていた疲労感が一気に押し寄せてきて、体はへなへなとその場に崩れ落ちて行った。
「えへへ、あたし、役に立ったかな?」
ああ。おかげで助かった。
そう言ってドクターはアタシと同じようにしゃがみこむと、あたしの髪をそっと撫でた。
あたしはそれが、なんだかくすぐったくって、愛おしくって……。
溢れてきた感情に、目元から涙があふれてくると、ドクターはそれを指で拭って、ほら、と何かを指さした。
「あ、わぁ……っ!」
ちょうど黄昏時の眼下には、ライトアップされた町と薄暗い空とが交差して、見たことがないような美しい景色を生み出していた。
「ドクター、見てみて、すごく綺麗だよ!」
見えているよ。というドクターの手を引いて、ビルの縁までやってくると、あたしは、勇気を出してその手をもう少しだけ強く握った。すると……ドクターもギュッと握り返してくれた。
……ドクターと手を取り合っていると、あたし、無限に強くなれる!
ドクターはあたしの特効薬だった。
鉱石病の治療をしてくれて、感染者としての新しい生き方を教えてくれて、まだまだ生きられるかもしれないという希望をくれて……!
でも、それだけじゃなくって……
「ドクター!」
ぐいっと、ドクターの手を引くと、腕を組んで、カシャリと持っていた端末のシャッターを切る。ドクターは、ちょっと落ちそうになっていて慌てているが……
「こんなところで撮る必要あったのかって?もっちろん!これも思い出だからね!」
端末に映った驚いた顔のドクターと、満足そうに笑うあたしの写真。
真っ暗で、見えにくい写真だけど、そこには思い出があって、記憶を失ったドクターにとっても、しっかりとした今の記憶になっていく
……あたしにとって、かけがえのない一枚。
「ドクター、その……」
と、話を続けようとした時だ。
くぅ~と、ドクターのお腹が鳴った。それに共鳴するようにあたしのお腹もキュルキュルなった。
一瞬で顔は熱くなったけど、あたしもドクターも大笑いして……
「えへへ……何か食べに行こ!ドクター!だって「デート」はまだ、始まったばっかりだから!」
そう言って、ドクターの手を握る。
記憶のないドクターにも、思い出がたくさんあれば、きっと……寂しくないよね?