『お父様、お母様、どうぞよろしくお願いいたします』
少女が笑顔を浮かべてお辞儀をすると、目の前の“両親”は両手を叩いて拍手をした。
いや素晴らしい!こんなに小さいのに、何と礼儀正しい良い子なのだろうか!
そう言って満足そうに、少女の腕についている“バーコード”を読み取らせると、隣に居たガラの悪い男に金貨を握らせ“買い物”を済ませる老夫婦……。
ほっと、緊張が解かれたのは一瞬で、“母”に突然骨ばった手で痛いほどに手を握られると、その顔は歪んだ笑みを浮かべる……。
あなたには、期待をしているのよ?“グラベル“?
「寒いわねぇ……」
降り注ぐ雪を眺めながら、血だまりの中で思い出したのは幼少期の事だった。
走馬燈と呼ばれるものだろう。
いくつもの出来事が浮かんだと思っては、まるで霞のように消えていく。
“両親の助け”もあり、あたしはついにはカジミエーシュにおいて、最も高い身分とされる騎士になることが出来た。騎士階級のランクは4と決して高くはなかったが……騎士であるということそのものがステータスであるこのカジミエーシュにおいては誇るべきことだろう。
目が霞んできた。
騎士になるのは、決して、綺麗ごとばかりの道ではなかった。
卑しい身分から這い上がってきたのだから、後ろ指をさされた回数など数えることすら面倒なほどで、中には倫理的に問題のあるような任務を行ったこともあった。
しかし、それが“グラベル”にとって、生きるということであった。
誰が何と言おうと、それ以外の道はなかったと言えるし、ここまで上手くやってこられた自分を寧ろ褒めてやりたいくらいだ。
血に浸かった自らの身体は、次第に寒さを忘れはじめた。
指の先一つ、動かなくなっている。
「…………!」
ピクリと、何者かの気配に身体が反応すると、続いて微かに、声が聞こえた。
ここまでかと……瞼を閉じた。
長いようで、短い人生だったと思う。
残念なことがあったとすれば……自分は一度も人を愛せなかったことだろう。
家族、友人、恋人……愛を与えられたことがなく、果たして、どうして人を愛せようか……?
……中々襲ってこない白刃に、痺れを切らして眼を開けると……
あたしの手を握り、温めようとしているフード姿がぼやけて映る。
「…………――――?」
聞こえてきたのは、自分を心配したような早口で、優しい声音……
瞼を閉じると、今度こそあたしの意識は血の底へと沈み去った。
目を覚ますと、見慣れぬベッドの上であった。
流石に体はピクリとも動かなかったが、全身を襲っていた耐えがたい痛みはなくなっている……。
身体を見下ろすと質の良い毛布が掛けられており、随所に包帯やガーゼが……適切な医療処置を受けたらしい……一体誰が?
コンコンと扉が叩かれる。
かろうじて動く左腕を伸ばし付近に何か武器になりそうなものがないか探るが、見つけることが出来ないままベッドの縁を握ると扉が開く。
……目が覚めたか。
「えぇ~おかげさまで……あなたはだぁれ?」
そう警戒しなくていい、皆からはドクターと呼ばれている。
ドクター……?
そう言ってゆっくりとした足取りでドクターは近くの椅子に腰を下ろすと、手に持っていた器をあたしに見せる。中身は……ミルク粥?
まぁ、まずは食べることだ。そうしないと、治るものも治らない。
「……そのまえに、いくつか質問しても良いかしら?」
粥が冷めるまでなら構わない。
「……ふふ、ありがとう」
そう笑顔を浮かべながらもじっと、目の前の人物を観察する。
深々と被ったフードに、こびれついた医療薬の匂い、そして、ほんのりと香る……戦場の匂い。
少なくとも、あたしを助けたことも含めてまともな人間でないことは間違いがない。
「ドクターさんはどうしてあたしを助けたのかしら~?」
命を救うのに理由が要るのか?
「え」
目を見開いて面食らっていると、はい、と口元までスプーンを近づけられる。
反射的に口を開いてそれを受け入れると、何度か咀嚼をして飲み込んだ。
……甘いような苦いような……食べたことのない味がする……。
「……ここはどこ?」
ここは自分の宿泊所だ。まぁ、ほとんど使っていなかったがね。
そう言うと、再びスプーンに粥を掬って、ふぅふぅと何度か冷ましてから粥をあたしの口元へと近づけられる。黙ってそれを口に含んで、再び飲み込むと相手が次の粥をスプーンに掬う前にすかさず質問を挟む。
「ということは、ドクターさんが、あたしの身体をじ~っくりと“視て”くれたのね?ふふふ、照れちゃうわ~」
そうだ。数十にも及ぶ矢創に刺創、君の身体はボロボロだった。あと少し遅ければ、手遅れだった。
と、そこで、はい、あーん。とスプーンを向けられて、こちらも慌てて口を開く。
……飄々とした態度には自信があったはずなのに、ペースを完全に相手に握られている。
「あなたって、変わった人ね……今まで会ったことのないタイプだわ」
よく言われるよ。
カチャカチャと粥をかき集めたスプーンを再び口へと入れる。
流し込むようにそれを飲み込むと、たったこれだけ動いただけなのに、瞼は重く、そして体は言うことを聞かなくなってきた。
目を閉じていると、ドクターは、あたしの毛布をそっと首元まで直して空になったお椀を持ったまま、静かに部屋を出て行った。
もはや記憶にはない"誘拐される前の両親"の……後姿が重なった。
最近、忙しい日が多かったために、ベッドの上で寝たきりの生活は存外に退屈であった。
窓から眺める空は、曇り空にシンシンと雪が降っていて。
部屋の中にはパチパチと音を立てる暖炉くらいしか物音がしない。
ドクターはここにずっといるわけではなかった。いつもどこかに出かけていて、ここへとやって来るときには何度も嗅いだことのある……死の匂いを運んでくる。
やることもなく、ぼーっと窓の外を眺めていると、コンコンと扉が叩かれたので、慌てて布団から体を起こして衣服の乱れを整えると、どうぞ~と声をあげる。雪をかぶったドクターが、ぱっぱと衣服とフードについた雪を払いながら中へと入ってくる。
「ふふ、おかえりなさ~い」
……ただいま。
おふざけ半分でそう挨拶をしていたつもりだったのに、今ではドクターが帰ってくるのが待ち遠しくて仕方がない。じっと、ドクターのことを観察していると、何を見ているんだと不思議がられてしまったけれど、自分でも不思議なほどにドクターを見ていると飽きが来ない。
?観察を続けているといつもとは少し違った所作がある、ドクターは少し頭の裏を掻くと、あたしの前にやってきてごそごそと懐から包みの入った袋を取り出した。
「あらぁ?何かしら?」
開けてみてくれ。
そう言いながらもドクターは夕食の支度をするために台所へと向かう。
……突然の不意打ちに心臓が高鳴る。言われた通りに包みを開けると、中に入っていたのは1冊の赤い本……表紙も綺麗で……巷で流行りの恋愛小説のようであった。
「これは……あたしに?」
興味がなければ、読まなくていい。一応人気があるらしいが……
「う、あ、い、いいえ!そんなことはないわ……天井のシミも数え飽きていたところだったの」
カラカラと笑うと、ドクターは暖かい飲み物の入ったマグカップを持ってあたしの近くに腰を下ろす。そして、そのままその大きな手をあたしのオデコへとくっつける……ひんやりとしていて、気持ちいい。
「顔が赤くて熱い?それは……」
あなたが……
ドクターの献身的な介護もあって、何日か経つと次第に身体の傷は癒えていった。ドクターは驚異的な回復力だと驚いていたが、それ以上にあたしも自分の身体に起きた変化に戸惑っていた。
確かに、体は丈夫な方だったけれど、ここまで治りが早いなんてことはなかった。もしも、心当たりがあるとすれば、それは……一つしかない。
「これで、ドクターとの約束通り一緒に“外出“をしても良いでしょう?」
そう言うと、ドクターは困ったような顔をした。
黙って後をつけるか、ここを出るなりしても良かったのだが、そうしなかったのはここまでしてくれたドクターの厚意に反すると思ったから。
ドクターと出歩く為に、1日でも早く治りたかった。
「もう一人で歩けるくらいには回復をしているし、リハビリを兼ねて歩くのは悪くないと思うの。それとも、ドクターは患者との約束を破るようなつれない人なのかしら~?」
しかし……
と迷っているドクターの目をじーっと見つめる。
きっとあたしの顔も赤くなっているけれど、それでも、おねだりをするようにドクターのことを見つめ続ける。だって、そうすればきっとこの人は……
……はぁ、わかった。しかし、決して楽しいものではないぞ?
「えぇ、もちろん!」
必ず、そう答えてくれるから!
ドクターに優しさを注がれて、それは何時しかあたしの中で“信頼”となっていった。そして、もっと信頼し合いたいと、少しづつでも良い、心を通わせていきたい。
いつの間にかそんな気持ちが生まれていた。
ドクターが昼食にと今日はビーフシチューを出してくれたようだけれど……あたしは、再びドクターの顔を見つめて、今度は口を開いてあ~んと声を出す。
「ん~?もう一人で食べられるんじゃないかって?ふふふ、まだまだ腕は上手く動かせないの~。だから……ね?ドクター」
そう言うと、ドクターは仕方がないと、シチューをスプーンで掬って、それを冷ましながらあたしに食べさせてくれる……。
「うふふ、あ~ん……えぇ、とっても美味しいわ~。本当、今までで一番」
……レトルトだ。とそう言いながらも照れている優しい人。
こんなに優しくされたのは初めてで……この人といると、時間が経つのを忘れてしまう。
嬉しくて、楽しくて、初めて心の底から誰かに甘えた。
顔を隠すと良い。
そう言われてドクターのパーカーを被せられる。ドクターの匂いがする、大きなパーカーだった。
その匂いを堪能したのも束の間、ドクターについていき宿場を抜けると、慣れた足取りでやってきたのは人通りの少ない貧民街……。
確か、ここには……
「あ、ドクターだ!」「ドクター!!」
そう言ってねこじゃらしをもったまま近づいてきたのは小さな少年と少女……。
むき出しとなった肘や膝にはっきりと“鉱石”が浮き出ていて……彼らが感染者であることを証明している。そして同時に、彼らのような存在がこのカジミエーシュでどのような生活を強いられるかをこの寂れた貧民街は如実に物語っているようだった。
「ドクター。今日は何して遊ぶ!」
今日は、他の人を診に行かなければならない。
「ちぇー」「……あー!」
小石を蹴ってふくれっ面を浮かべたかと思えば、少年たちとにバッチリと顔を見られてしまう。
「ドクターが女の人つれてる~!」「だれだれ~!?」
彼女はと、ドクターがあたしを紹介をする前に、膝を屈めて二人の耳元に囁いた。
「うふふ。初めまして」
「「わぁっ!!美人さんだ!!」」
二人の子供は顔を見合わせて目をキラキラとさせる。
「わかった!ドクターの彼女だ!」
「ううん、奥さんかも!」
「えぇ!?」
私がドクターの彼女!奥さん!?
そ、そう見えるのかしら…?
子供たちはみんなにも知らせなきゃ!と一斉に走り出してしまい、もう止められない。
取り残されたドクターは、目をパチパチとして不思議そうにしている。
「ふふふ、困ったことになったわぁ……ねぇ、あなた?」
私は顔を真っ赤にしながらそうからかうように、ドクターに微笑んだ。
陽が沈み、貧民街を後にしてドクターとあたしの二人の影法師が伸びていく。
あそこでドクターが行っていたのは、想像していた単なる医療ボランティアではなかった。
鉱石病や様々な患者を診察することのほかに、生活の苦しい彼らのためお金を稼ぐのに必要な一意なスキルを身に付けさせ、教養と知恵を授けているようだった。おかげで、彼らは貧しいながらも確かにそこには幸福と希望をみいだしている。本来はカジミエーシュ当局が解決すべき問題……
しかし、受け入れられるだけではない。
中にはそれを快く思わずに、拒絶したり、言いがかりをつけたり、時には暴力に物を言わせる人たちもいるという。
「どうしてそこまでするのかしら?……彼らは、あなたとは何の関係もないのでしょう?まして、感染者なら……」
きっと長くは持たないのに。
そんなあたしの考えを読み取ったかのようにドクターは首を振った。
彼らの病気は“治す“ことが出来るよ。
「……どうかしら、鉱石病は不治の病……人から人へと感染するって聞くわ~」
それは、間違った知識が広まっただけで、“生きた人間”から鉱石病が感染することはない。
「……」
彼らに必要な治療はもっと根本的な所にある。
「それって……」
遠くを見つめるドクターの瞳に、クシャクシャと、心の奥が揉まれて熱くなってくる。
あぁ……この人はなんと純粋で尊い人なのだろう。
遥か先を見据えているのに、その行動原理は私を助けた時と同じ、ただの一つしかない。
単純で、困難で、馬鹿げてる。
でも、だからこそ、そんなあなたがこんなにも愛おしい!
もしも、もしもこんな人が”主”であったのならば……あたしは、喜んでこの命を燃やすというのに……。
…………向かい側から、不自然な影が夕日の奥で揺らめいていることに気が付いていた。
影は5つ。いずれも血の香りを漂わせている。
「……ドクター。ここでお別れみたいね~」
取り出したのは隠し持っていた刃の欠けた双剣。
相手は、いずれもカジミエーシュの騎士たちで間違いがないであろう。
歩けるほどに回復したとはいえ、流石に5人もの騎士を相手に今の自分が勝利する自信はない。
利己的で、騎士道も何もない本当に腐りきった組織……けれどせめて、ドクターだけでも……?
「ドクター……?」
ぐっと肩を引き寄せられると、力強い眼差しでこちらを射抜くドクター。
「あたしと一緒に戦う……の?自分の指示に従えば、必ず……勝てる……!」
そうだ。と力強く頷く。
それは、初めて見るあなたの新しい一面。ずっと嗅いでいた戦場の匂い。
勝利を確信している頼もしくも、危険な指揮官の眼……
あぁ……あなたは何度あたしを喜ばせるのか!
その言葉には何も根拠はないけれど
あなたを信じて戦いたいと、全身が震えている。
勝てるのではという希望が鼓舞となって駆け巡り
守り抜きたいと、忘れかけていた騎士の誇りが叫んでいる!
「えぇ、なら……我がカジミエーシュ騎士の名において、あなたに……勝利を!」
剣を抜くと、ドクターの指示を受けて廃墟へと走り抜ける。
あなたの為であれば、どんなに深い傷を受けようと、この命がある限り何度でも立ち上がってみせる!!
「ねぇ、ドクターまた……会えるかしら」
騎士にも様々な派閥がある。
今回、追手だと思っていた5人のうち、2人はこちらの派閥の騎士であった。
二人の裏切りもあり、ドクターの指示のもと状況を打開することに成功したまでは良かったが……迎えが来た以上、もうこの地にとどまる理由もない。
また、ドクター自身もロドスという組織に戻るようで……ここに戻ってくることはないという。
……それは二人の長い別れを意味していた。
「騎士なら……一緒に居るべきではない……どうして?」
君は君の世界で生きるべきだろう。今まで君の“生きてきた努力”を無駄にすることはない。
「……」
確かに、そうだろう。
騎士という破格の地位を捨ててまで、出来たばかりという怪しい製薬会社に入るなど正気の沙汰ではない。
「早くしろ。置いていくぞ、グラベル」
後ろで声を荒げる派閥の騎士を無視すると、ドクターのすぐ近くまでやってきて貸してもらったフードを返そうとする……しかし、ドクターは首を振って、
君のものだ、風邪を引くなよ。
……また、そんなこと!!
そんなことを言われたら、あたしは…………
「……ねぇドクター……なら、約束をしましょう?」
約束?
「そうよ。ふふ、次に会うときはね……」
トンと更にもう一歩足を進めて顔を上げると、ドクターの顔が文字通り目と鼻の先まで迫っていた。
クシャクシャの目でドクターと見つめ合う。
ドクターは、あたしのことを理解しかけていたようだけど、まだ完全には理解していないようだった。
確かに、普通に考えれば騎士の地位を捨てることはあり得ない……並大抵の努力ではここまで上り詰められなかったという自負もある。
だけど
「ドクター。いつか、必ずあなたに会いに行きます。その時は患者ではなく……あなたに仕える1人の騎士として……」
驚くドクターを尻目に、ドクターの首へと腕を回す。
命を懸けてでも守りたい人に出会ってしまった。
それは虚栄と欺瞞に満ちた騎士の地位なんかよりもよっぽど魅力的で得難いもので……
それに例え騎士の地位を捨てたとしても、いままでの"グラベル"の生きてきた価値が無駄になるわけではない。
だって、こうしてあなたに巡り合えたのも……"グラベル"として生きてきたおかげなのだから。
だったらあたしはその全てに胸を張って……あなたの剣となり、影となって生きよう!
それは、小さなころからの憧れ、騎士に行われる叙任式よりも……もっと美しい愛と忠誠の儀式。
つま先立ちをすると、そっとその頬に口づけを落とす。
次に出会うその時には……
「ドクター……あなたに……"私"の永遠を捧げる口づけを……」
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