ドクターが記憶喪失になったので攻略します!   作:雨あられ

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File9.アズリウス

誰も居ない厨房に、一人の少女が立ち尽くす。

ピンク色の髪に、青いパーカー、手に持っている大皿には、独特な青と紫の配色が施されたホールケーキ……。

 

 

『ケーキ?……い、いや結構です。今は、お腹がいっぱいですから……はは』

 

『え?…………すみません今ダイエット中なので……』

 

そうですか。では、またの機会に……

 

『……ふぅ、危ない危ない。あんなもの食べさせられたら、一体どうなるか……』

 

『あなたも知ってるでしょ?あの子がなんて呼ばれてるか…………そう』

 

 

“毒物”

 

 

それが少女の通り名であった。

“毒”とは、生物であるならば誰もが恐れ、無意識的に忌避するもの。

本来ならば、天敵や外敵から自らの身を護るために必要な自衛手段であるはずなのに……少女にとっては他者を遠ざける“呪い”に他ならなかった。

 

死んだ目をした少女は歩みを進める……

やがて、生ごみの入ったゴミ箱の前に辿り着くと……

 

ボスっと

 

鈍い音とともに、ごみ袋に吸い込まれていくケーキだったもの。

 

こんなもの、作ったところで……。

"毒物"であるという事実が消えるわけではないのに……。

 

 

少女の視界が滲む。

この"毒"の苦しみに耐えられずに、その場にうずくまってしまう。

痛みはちっとも収まらなくて……持っている毒理学の知識を全て用いても、解毒薬など作り出すこともできなくて……。

 

 

 

 

これは、もういらないのか?

 

 

 

 

?……誰……?

ばっと少女が顔を上げると、目に入ったのは、先ほど捨てた……!?

 

「!な、なにをしているんですのっ!?」

 

何って、勿体ないじゃないか。

 

そう言って、袋の中から手づかみでケーキを拾い上げると……ぱっぱと他のゴミを払ってケーキを頬張り始める……黒いフード姿の人物。

 

いつの間に、そんなところに?

呆気に取られている間も、その人物はケーキをバクバクと食べ進める……。

 

これは美味い!

 

そういって笑顔を浮かべると、更にゴミ袋に右手を伸ばし始めたので、少女は慌てて腕を掴んでそれを止める。

 

「こ、こんなもの、食べてはいけませんわっ!?」

 

……そうか。こんなにも美味しいのに。

 

「お、お腹を壊してしまいますから……」

 

残念だ。と本気で、肩を落として落ち込むその姿を見て……先ほどまで、あんなにも苦しかった毒が、自身の身体から引いていくのを感じた。

いや、むしろ悪化していた。

 

少女の胸の中には激しい感情の嵐が吹き荒れ始める。

 

困惑、感謝、怒り、焦燥、悲しみ、期待……幸福感。

 

突如去来した数多の感情に処理に追い付かず、腕を掴んだまま固まっていた少女であったが、じっとこちらを見つめる視線に気が付いて慌てて手を離す。

 

「ご、ごめんなさい。私なんかが触れてしまい……?」

 

ポンと、ケーキを掴んでいなかった左手が少女の頭の上に乗った……。

 

ご馳走様。とても美味しかったよ。

 

背を向けて、厨房を去っていくと閉まってしまう自動ドア。

少女は触れられた頭に手を乗せると、そのまま閉まったドアを見つめて立ち尽くす。

 

彼女の"毒"の疼きは収まっていた。

代わりに少女の胸の内では花が咲き誇り、止めようのない鐘の音がいつまでも響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

File9 アズリウス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロドスにも、梅雨の季節がやってきました。

 

空はのっぺりとした重たい雲に覆われていて、雨がいつまでも降り続いています。

湿気の籠った暑さがロドスの艦内を支配していて、心なしか耳もしっとりとして垂れています。

 

暑くてジメジメとした嫌な季節ですが、雨には雨の良いところがあります。

窓の外は、小さなコンサートのように縁や甲板に当たって音を鳴らしていますし、排水管を通って流れる水音はどこか心地がよいです。それに、コーラスをするようにドクターも、潰れたヒキガエルのような声を上げていますから。

 

ぐぅ、アーミヤ、そろそろ休憩を……

 

「駄目ですよドクター。まだ、お仕事が片付いていませんよね」

 

ドクターの前には山のように積まれた書類。日頃、お仕事をサボりがちなドクターにとって、雨の日は最適ともいえるお仕事日和なんです。

 

野球で遊びたがるクオーラさんに、デートに連れ出そうとするアンジェリーナさん、山狩りに誘うシルバーアッシュさん等々、雨の日はドクターを妨げる不安要素の多くが排除されているんです!

 

「ですから、ドクターは何も不安に思うことなく事務仕事に集中してください」

 

ニコニコと笑顔が漏れてしまいます。

えへへ、だって少なくとも仕事中は私とドクター、二人きりですから!

 

「……」

 

ばっばっばっと、周囲を見回します。

 

いえ、私もそろそろ学習していますよ?

 

ぱかっとロッカーを開けると、きゃ、えっち~♪なんていって当然のように不法侵入していたグラベルさんを見つけたので摘まみだし、天井裏にいたシラユキさんにお饅頭をちらつかせて退散させ、その隙に堂々とドクターの膝の上に座ろうとしていたスカジさんの背中を押して部屋から追い出して、素早く部屋の鍵を掛けます!

 

……完璧です!

 

パンパンと手を払うと、自らの額の汗を拭いとる。

……まだ影のあたりに誰か居そうな気がしますが、これでドクターと私を邪魔する人は……「あの……」

 

「きゃ!?」

 

「あら、ごめんなさい。ドクターに、差し入れをお持ちしたのですが……お邪魔しても?」

 

青いパーカーから桃色のおさげが2つ垂らりと下がり、透き通った青い目はまるで水晶玉のよう……上品なお辞儀をしたこの女性はアズリウスさんっ!?

毒性の薬剤の扱いに長けた、ロドスの射撃オペレーターの一人ですが……一体、いつの間に部屋の中に……。

 

アズリウスさんの小さな手には、長方形のトレイを持っていて、甘い香りの漂うシナモンティーの入ったポットに銀色の食器、それから……妙に毒々しい緑色のフルーツケーキ……。

 

「こ、これは……」

 

アズリウス!ささ、こっちに来て一緒に休憩にしよう。

 

「あら、私などがご一緒しても……?」

 

当たり前じゃないか。さぁ。

 

「……ふふ、では失礼いたしますわ」

 

「あ、ドクター!まだお仕事が……」

 

見ると、いつの間にか作業机を離れて来客用のソファに腰かけ手招きをするドクター……。

そして、対面が空いているにも関わらず。トレイを机の上に置くとちょこんとドクターの隣をキープしたアズリウスさん……!?

 

「ドクター、今回のケーキは自信作ですのよ?」

 

そう言って、見たことがないほど乙女な表情で上目遣いにドクターを見つめるアズリウスさん!?

 

……ドクター!

アズリウスさんのその穏やかな笑顔に騙されてはいけません!

 

アズリウスさんはこう見えて……危険人物です!

毒物?いえ、そんなことは関係ありません!

だって、手作りケーキを持ってきて、疲労のたまったドクターをお茶に誘って好感度稼ぎなんて…………卑しすぎるじゃないですかッ!

 

「……わー、美味しそうなケーキですね。アズリウスさん」

 

「ふふ、もちろん、アーミヤさんの分もご用意していますからご安心くださいまし……」

 

「ありがとうございます」

 

ポスンと腕を組んで大人しくドクターの対面に腰を下ろします。

良いでしょう。戦いましょう。アズリウスさん。

 

「では、ドクターの分のケーキは私が取ってあげますね。ドクターの好きなフルーツを、私は把握していますから」

 

「なら、私はその間にお茶のご用意を……ドクターのお入れになる砂糖の数を掌握しておりますので」

 

てきぱきと準備をするアズリウスさん……今のところ互角の動き。

ですか……ですが、負けません。

 

どちらが、より高い正妻パワーを持っているか……今日こそ決着を付けますっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アーミヤさん……ケルシ―先生に急に呼び出されるなんてついていませんわね」

 

全くだ。と、ドクターは私の淹れたシナモンティーに口を付けて満足そうに頷きます。

アーミヤさん、よほどケーキをお召し上がりになりたかったのか、レッドさんに呼び出されると目が虚ろになって歯を食いしばってとても悔しそうにしていました。少し残しておいてあげないと……。

 

私がケーキを取り置いている間も、ドクターは自身のケーキに手を付け始めます。

一口切り分けたそれを口に運ぶと、幸せそうな顔を見せてくれて……私は、それだけでお腹が満たされたような錯覚を覚えます。

 

「ふふ、お口に合いましたこと?」

 

ああ、とても美味しいよ。流石はアズリウスだ。

 

……えぇ、だって、あなたを想って作ったものですもの。

 

その言葉は、そっと胸の内にしまっておく。

なぜならそんなことを口にして……ドクターとの関係が変わってしまったら……怖いから。

 

もしも、ドクターに拒まれてしまったりすれば……優しいドクターの事、態度こそ変わらないとは思いますが……お互いにどこか気まずくて、まともに顔も合わせられない灰色の日常……想像するだけで息が苦しくなり、吐き気がする。

 

そんな状態で生きるくらいなら、私は、自らの毒を飲んでこの命を絶つでしょう。

 

 

けれど、

或いは、

もしかしたら……?

 

 

ドクターが私を受け入れてくれる可能性も……?

 

 

シナモンティーをスプーンでかき混ぜ、香りを楽しんだ後に口を付けるドクター。

こういった景色が、当たり前になったら……そうなったら……そうなったらどんなに幸せでしょう。

 

恋人のように手を繋いで歩き、二人だけの記念日を作って、朝焼けが来るまで抱きしめ合う……。

 

嬉し過ぎて、秘蔵の毒薬を飲み干してしまうかもしれない!

 

……ふふ、どちらにしろ死んでしまいますのね。

 

アズリウス?

 

「!あら、ごめんなさい。ぼーっとしていましたわ」

 

いや……それより、何かないか?

 

「何かとは……?」

 

アズリウスにはいつも美味しいケーキを作ってもらっているから、何かお返しがしたいのだけれど。

 

「……お返し」

 

そんなもの……もう十分に貰っていますのに。

ですが、せっかくドクターがご厚意で提案してくれるのであれば。

 

「では一つ……私のわがままを聞いていただけないかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ケルシー先生……」

 

「アーミヤ…………何をそんなに膨れている」

 

ケルシー先生の診察室はいつも薄暗い。

Mon3trがケルシー先生の助手を務めるように器具の設置を終えると、私は言われるまでもなく服をまくり上げ、ケルシー先生は手にした聴診器で私の心臓の音を聞き始めます。

 

「ケーキを食べそこなってしまいました」

 

「今日は定期健診だと伝えてあったはずだが?」

 

「それでも、食べたかったんです。アズリウスさんのケーキを……」

 

「フ……」

 

聴診器を耳から外すとカタカタとパソコンを動かすケルシー先生。

正確にはドクターと一緒に食べることが一番重要なことでしたが、実際、アズリウスさんの焼いてくれるケーキは絶品でとても美味しいです。ふわふわのスポンジに滑らかなクリーム、乗っているフルーツが良いコントラストになっていて……少し配色に難があることを除けば、これほど美味しいスイーツは他にありません。

 

「あれ?ケルシー先生。そこにあるのは……」

 

「…………食べたければ食べると良い」

 

「いえ、それはケルシー先生の頂いたものですから。ですが、ケルシー先生も頂いていたんですね、アズリウスさんのケーキ」

 

机に置かれているのは先ほども見たアズリウスさんのケーキ。改めて見ても、個性的な配色がされています……。初めて食べるのであれば、遠慮したくなってしまうかもしれませんが、もう彼女のケーキの味は知れ渡っていますから。

確か、このケーキが美味しいと知ったのは……

 

「…………最近は少しマシな色になった」

 

「え?そうなんですか?」

 

「腕も上げた……恐らく、食べてほしい人がたくさん居るのだろう」

 

「それは……」

 

「……」

 

カタカタと、キーボードの音だけが響きます。

ケルシー先生との会話が途切れることは珍しくありません。

ですが、いつも難しい顔をしているケルシー先生が……いつもよりほんの少しだけ優しい表情をしているような……そんな気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなもので良かったのか?

 

「えぇ…………嬉しいです。本当に……。大切にいたしますわね、ドクター」

 

やってきたのは町の小さな雑貨屋さんであった。

そこでドクターに買ってもらったのは菓子パンと同じくらいの値段しかしない青いへアゴム……。

早速身に着けてみると、ドクターも、似合っていると忌憚のない言葉をくれる。

 

着飾ることが楽しいと、教えてくれたのはあなただった。

ケーキの作り甲斐を教えてくれたのも、美味しいお茶の淹れ方を教えてくれたのも……全部が全部、あなたがきっかけだった。

 

 

 

 

『彼女のケーキは、とても美味しいよ』

 

 

 

「…………」

 

雨粒が、ドクターと私の間に差した、傘の上で飛び跳ねている。

ドクターは、私が濡れないようにと気を使って雨だれから零れ落ちた滴や風が運んだ飛沫をたくさん肩に浴びていて……

 

「ドクター。あまり私に気を使わないでくださいまし」

 

早なる鼓動を隠したまま、そっと身体を寄せると傘は、ちょうど二人の間に……見上げると、ドクターの優しい顔……。

 

 

私に触れてくれる人。

 

 

私が触れてほしい人。

 

 

 

 

 

私が、触れたいと想う人……

 

 

 

 

 

 

「あら、雨が……」

 

あれほどまでに主張していた雨音は静かになり、気が付くとぱったりと止んだ。

雲の合間からは太陽の光が差し込み始める……。

 

傘を閉じようとしているドクター……。

 

このままでは、終わってしまう。

 

この気持ちが伝えられなくても、せめて、せめて……!

"毒"の疼きを抑え込み、かすれた声を絞り出すと、恐る恐る、ドクターの手に触れる。

 

「あの、ドクター……少しだけ……ほんのもう少しだけ……回り道を致しませんこと?この雨が……降り止むまで……」

 

 

 

 

 

濡れた髪をかき分けて微笑む少女。

雨は……まだ降り続いていた。

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