「十六夜さん、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」
朝食の後にリコが休憩スペースに入ると、後ろから声をかけられた。振り返ると小百合の姿があった。
「なにかしら?」
「勉強を教えてほしいの。魔法界はナシマホウ界と文字が違うでしょう。魔法界の文字を着くまでに一通り学んでおきたいのよ」
「それはかまわないけれど、お友達に教えてもらった方がいいんじゃないかしら?」
小百合はリコに近づいてその肩を抱いてある方向を指した。小百合のきれいな顔が急に近づいたのでリコは少しドキッとしてしまった。
「あれで人にものを教えられると思う?」
小百合が指さす休憩スペースの奥の方にみらいとラナ、それにぬいぐるみ達があつまっている。
「リリンは羽があって空が飛べてうらやましいモフ」
「モフルンは飛べないデビ?」
「飛べないモフ、飛びたいモフ!」
「モフルンだって飛べるさ~」
ラナはモフルンの頭の上に乗せると猛ダッシュ。
「ラナジェットーっ!」
「すごくはやいモフ~」
「待ってデビーっ!」
頭にモフルンの乗せたラナとそれを追うリリンがリコと小百合の目前を過ぎり、ラナはレストランを一周して部屋の前を通って戻ってくる。
「スーパーラナジェットーっ!」
「楽しいモフ~」
「早すぎるデビ―っ」
ラナはまたリコと小百合の目の前を通り、息を弾ませながらみらいの元に帰った。
「ただいま~」
「おかえりなさい」
「本当にお空を飛んでいるみたいだったモフ」
「よかったね、モフルン」
それを見ていたリコはいった。
「……ちょっと難しいかもしれないわね」
「そんな気を使ったいい方しなくてもいいのよ、絶対無理だからね」
そういうわけで、リコと小百合は一緒に勉強することになった。その時にリコは思った。
――もし彼女がダークネスでわたし達の正体にも勘づいていたとしたら、こんな気軽に接触することはできないんじゃないかしら?
リコはそういう考えで割り切ることに決めた。小百合の親しみのある態度に安心した事もあるが、もし小百合とラナが敵だったとしても、狭い電車の中で密に生活している今の状況では知らない方がよい事だった。
小百合が自分の部屋からノートを持ってくると、二人で寄りそってテーブルの前に座った。
「十六夜さん、せっかくの電車の旅なのに悪いわね」
「いいのよ。それと、リコでいいわよ」
リコがいうと、短い間があった。小百合はみらいやリコと親密な関係になる事は避けたかったが、これからリコに勉強を教えてもらう手前そういうわけにもいかない。
「じゃあ、わたしのことも小百合と呼んで」
「そうさせてもらうわ」
そしてリコの授業が始まった。まずは数字からであった。
その夜、小百合はソファーに座ってため息ばかりをついていた。ベッドでゴロゴロしていたラナが下りてきて小百合の目の前に座る。
「さっきからため息ばかりでどしたの? こんなに楽しい旅なのに~」
「この電車をカタツムリみたいなのが牽いてると思うと憂鬱になってくるのよ。カタツムリニアっていうネーミングもねぇ……」
「そっかぁ。じゃあ、こう考えたら。カタツムリニアじゃなくて、実はナメクジリニアなんだって」
「止めて変なこといわないで! 想像しちゃうでしょ!」
ラナが余計な衝撃を与えて、小百合はさらに気分が悪くなった。そんな時に何者かがドアをノックする。
「はいはい」
小百合は怠そうに立ち上がって行ってドアを開けた。すると目の前には渦巻殻の上に品物が入ったかごを乗せているカタツムリのようなものがいた。
「カタカタ~」
「ひいっ!?」
小百合は鋭い悲鳴と一緒に誰かに突き飛ばされでもしたように尻餅をついて、その後すごい勢いで後ずさった。
「あ、エスカーゴだ!」
小百合の恐怖など気にも止めずにラナが籠を乗せたカタツムリに駆け寄る。
「冷凍ミカンがあるよ~。これちょうだい!」
「お代はいりませ~ん」
「おお、校長先生ありがと~」
ラナは遠くの校長先生に感謝してからソファーに戻って冷凍ミカンをテーブルの中央に置いた。エスカーゴの姿が見えなくなると、小百合は心を落ち着けてから立ち上がる。まだ足が少し震えていた。
「売り子までカタツムリなんて悪夢だわ……」
「ねぇ小百合、一緒に冷凍ミカンたべようよ。とってもおいしいんだよ」
「冷凍ミカンねぇ……って、何なのよこれ!? カチコチに凍ってるじゃない!」
「ピーカンミカンをアイスドラゴンのため息で凍らせてるんだよ」
「アイスドラゴンのため息って……」
小百合はもう深く追求する気力はなかった。ラナの前のソファーに座って冷凍ミカンを見つめる。
「こんなカチンコチンのミカンどうやって食べるのよ」
「魔法で解凍するんだよ。でも、校長先生はこのまま食べてるけどね!」
「こ、このままですって!? あの校長先生、肉体派には見えなかったけど……」
ラナが魔法の杖を出して、何やら怪しい雰囲気を漂わせる。ラナにしては珍しく引き締まった顔からは、なにか途方もない事に挑もうとする挑戦者のような強さを感じる。
「小百合、机の下に伏せてて! 冷凍ミカンが爆発して破片が刺さるかもしれないから!」
「ちょっ、止めなさい! そんな危険を冒してまで冷凍ミカンなんて食べなくてもいいわよ! ラナは飛行以外の魔法は使っちゃ駄目っていったでしょ!」
そういう小百合の語気が少し強く、ラナは胸が疼いた。
ラナが魔法学校に入学したばかりの頃、昼食に全員に冷凍ミカンが配られた時があった。その時の先生は眼鏡をかけた少しヒステリックな感じの女性で、ラナはあまり好きではなかった。その先生が食堂に集まっている全員にいった。
「みなさん、今配られた冷凍ミカンを解凍してみて下さい。これも授業の一環です。うまくできなくても構いません、先生がサポートしますからね」
「よーし、キュアップ・ラパパ! 氷よ溶けろ!」
最初に男の子がやりだすと、みんな一斉に魔法の呪文を唱え始めた。ラナだけはしばらく冷凍ミカンと睨めっこをしていた。やがて自分の杖を出し、意を決して呪文を唱える。
「キュアップ・ラパパ、氷よ溶けて~」
ラナが魔法をかけても冷凍ミカンが溶ける様子はない。しかし、ラナがじっと見ているとミカンが小刻みに震えはじめた。「うん~?」とラナが首を傾げていると、ミカンが少し膨らんで悲鳴のように甲高い爆音をとどろかせて爆ぜた。
「うわぁっ!?」
ラナは飛び散った氷とミカンの破片をくらってひっくり返る。ラナの近くにいた子供たちはラナと同じに破片をあびて泣き出し、他は冷凍ミカンの爆裂音に驚いてパニックになった。
「どうしたの!? 一体なにがあったの!?」
先生も少し混乱していた。床に倒れて目をまん丸くしているラナに先生が駆け寄って助け起こす。
「ラナさん、何があったの!?」
「ミカン爆発しちゃったよ、アハハ」
ラナはその時の先生の顔を忘れることができない。まるで化け物でも見るような恐怖と差別が目に見えるように現れていた。
先生はその騒ぎを収拾すると、すぐにラナを校長先生のもとに連れていった。食堂から校長室に行く廊下を先生はラナの手を引いて無言で歩く。手がつながっているのに、ラナには先生と自分の間に隔絶する壁があるように感じた。そうすると校長室に行くことが怖くなった。
校長と対面したとき、ラナはうつむいてその顔を見る事ができなかった。先生は校長に向かってはっきりといった。
「校長先生、この子は危険です。今すぐに学校を辞めさせるべきです」
「これこれ、生徒の前でそんなことを言うものではない」
「しかし、この子は病気なんですよ。そのせいで他の誰かを傷つけるかもしれないのです。今日は幸い誰にも怪我などはありませんでしたが」
「その報告は後でよく聞こう。今はこの子と二人で話をさせてもらえないかね?」
先生が出ていった後もラナは下を向いたままだった。校長先生は微笑を浮かべていった。
「君の病気のことは知っておったよ。しかし、君を特別扱いはしたくなかったのだ。あの先生にも君の病気のことは伝えてあったのだが、わしの方でも気を配っておくべきであった。これはわしの落ち度だ、申し訳なかった」
校長先生が頭を下げた時にラナは顔を上げた。一生徒の自分に校長先生が頭を下げるなんて何だか不思議だった。ラナは気が楽になっていつもの調子を取り戻した。
「校長先生、わたし学校にいない方がいいんでしょ?」
「この学校に必要のない生徒など一人もおらぬよ。君は自分が魔法を使えないと思っているのだろうが、そうではないのだよ。君の持つ病の特徴として、ある種の魔法に特化しているはずだ。君と同じ病に苦しみながらも、それを乗り越えて魔法界に名を遺した魔法つかいは数多い。できない魔法は無理にやらなくてもよい。学校にいる間に自分にできる魔法を探しなさい。それが君がこの魔法学校で成すべきことなのだ」
校長先生の話を聞いている間に、ラナの顔には満面の笑みが咲いていた。
「校長先生、ありがとう!」
ラナは校長先生の横に回り込んで抱きつき頬にキスをした。
「おやおや」
校長先生は少し驚いたものの、ラナが元気になってくれて嬉しそうだった。
ラナの様子が少しおかしいので小百合は心配になった。
「どうしたの、ラナ? 少し言い過ぎたかしら? 傷ついたのなら謝るわ」
「ちょっと昔のこと思い出しただけだよ。大丈夫、ぜ~んぜん平気!」
「そう、らないいんだけど。ところで、この冷凍ミカンなんだけど、あなたが魔法を使わなくっても他にできる人がいるでしょ。リコかみらいに頼みましょ」
「おお、その手があったね! ぜんぜん思いつかなかった!」
「それを思いつかないラナがどうかしてるわよ」
「すぐにみらいとリコのところにいこ~」
二人は冷凍ミカンをもって隣の部屋へ、話を聞いたリコがこころよくミカンの解凍を引き受けてくれた。またテーブルの真ん中に冷凍ミカンを置き、今度は4人の少女たちがそれを囲む。
「前にリコが解凍した冷凍ミカン、すっごくおいしかったよね」
「わたしの手にかかれば、どんな冷凍ミカンだって最上の味になるんだから」
得意げに言ったリコが星のクリスタルの付いた杖を出し魔法の呪文を唱えた。
「キュアップ・ラパパ、氷よ溶けなさい」
冷凍ミカンに魔法がかかり、瞬時に氷が解けて湯気が上がり、さらにミカンの皮が白花が咲くようにきれいにむけた。それを見て小百合は感心した。
「へえ、見事なものね」
「さあ、どうぞ召し上がれ」
「いただきま~す!」
ラナが真っ先に手を出してミカンを一つ口に放り込む。ラナは目を閉じてよく
「これは、シャリシャリのシャーベット状で固くて噛み応えがあって冷たくて、さいっこうに美味しい冷凍ミカンだよ~」
「ちょっと待って、それは冷凍ミカンとして間違ってるわよ」
小百合がいうと、リコがうっと神妙な顔になる。そして、みらいと小百合も冷凍ミカンを口に入れる。二人は食べながら微妙な表情になった。
「リコ、まだ解凍に失敗する時があるんだね」
「失敗なんてしてないし!」
みらいがいうとリコは全力で否定した。そして、さもありというように補足を加え始める。
「ほら、いつもと同じじゃ飽きるでしょう。だから今日は少し硬めにしたのよ。計算通りだし」
「本当にぃっ!?」
「ほ、本当なんだから!」
小百合の容赦のない突っ込みに焦るリコ。小百合は疑わしい目をリコに向けながらいった。
「まあいいわ、そういう事にしておきましょう。それにしても、余計な気を回さなくてもよかったのに。わたしは甘くて柔らかくて冷たい冷凍ミカンが食べたかったのに、本当に残念だわ!」
小百合はわざとらしくいってから、もう一つミカンを口の中に入れた。リコは、「くうぅ……」と悔しそうにうめいた。
「モフルンもミカン食べたいモフ」
「リリンも食べるデビ」
今度はぬいぐるみたちが甘い解凍のミカンを食べる。
「少し硬いけど冷たくておいしいモフ」
「リリン的には、これはこれでありデビ」
ぬいぐるみたちのフォローに、リコは有難いやら恥ずかしいやらで何とも言えない。そんな様子を見ていたみらいが言った。
「リコの計算通りに突っ込み入れてる人なんて初めてみたよ」
「鬼の突っ込みだよね~。わたしなんて、一日百回くらい突っ込まれてるよ~」
「小百合って大変なんだね……」
気の毒そうに言うみらい。ラナは、「何が大変なんだろう?」と心の中で思っていた。