周りが冷たいというわけではない。小百合に人を寄せ付けない空気があるのだ。自分に近づかないでほしいという意思が、クラスメイトには目に見えるように伝わっていた。そのうえ、小百合が飛びぬけて容姿端麗な少女である事も拍車をかけている。
小百合の鞄の中からは、いつでも黒猫のぬいぐるみが愛らしい顔を覗かせていて、小百合がそういう可愛らしい物が似つかわしくない感じもあり、それは生徒たちの目を引いていた。
小百合はうつむいて、黒い瞳に悲しげな光を帯びながら街中を歩いていく。両サイドに小さな黒いリボンの飾りが付いた白のハイソックスに黒い革靴をはいた少女の美脚が数人の男性の目を引いた。小百合はそんな視線には全く気付かなかった。
事故で母親を亡くして以来、ずっとそんな様子であった。街行く車のクラクションも、人々の雑踏の音も、悲しみに塗りつぶされた彼女の耳には届いていない。
前から歩いてきた奇抜な姿の少女にも気づかなかった。少女は鍔本に赤、ピンク、黄のチェックリボンの付いた赤紫色のとんがり帽子を被っていた。いったん小百合の横を通り過ぎたとんがり帽子の少女は、すばしっこく走って戻ってきて、小百合の前にいきなり顔を出した。
「あれあれ? なんかすっごく悲しそう!」
悲しみに沈んでいた小百合は少女の突飛な行動に面食らった。
「な、なに!?」
「そんなに悲しい顔しちゃって、どうしたの?」
とんがり帽子の少女はレモン色の前髪を揺らし、人懐っこい笑顔で大きな碧眼を輝かせながら小百合をじっと見つめていた。そんな様子の少女に小百合は自分の悲しみがもてあそばれているような気がして腹が立ってきた。
「あなた何なのよ! いきなり見ず知らずの人に話しかけたりして、失礼よ!」
「だって、気になるんだもん! じゃあ、わたしが何でそんなに悲しい顔してるのか当ててあげるよ!」
勝手なことを言い出す少女に、小百合は呆れて口を閉ざす。
「う~ん、可愛がっていたペットの鳥さんがいなくなったとか~」
いなくなったという言葉に、小百合は過剰に反応した。端正な面立ちが暗い絶望の色に染まり、それを敏感に察知した少女は神妙になった。
「もしかして、もっとずっと悲しい事?」
「……先月お母さんが亡くなったのよ、事故でね」
小百合それを言うつもりはなかったが、思わず口をついて出てしまった。
「うわあっ! それじゃあ、元気なんて出せないよね……。わたしもさ、お母さんいないよ! お父さんもだけどさ! でも、死んじゃったのはわたしがずっと小さい時だけどね! 今まではお祖母ちゃんの家にいたんだけど、そのお祖母ちゃんも最近死んじゃったの~」
少女の明るさと話の内容の暗さのギャップに小百合は眉をひそめていった。
「あんた、一人ぼっちなの?」
「そういうことになるのかな~。あ、そうだ! わたしの秘密教えてあげるよ!」
とんがり帽子の少女は小百合の手をつかんで路地裏へと走り込んだ。小百合は迷惑そうな顔をしながらも、少女に付き合ってあげることにした。
少女はマッチ棒のようなものを出して、それを振っていた。小百合は少女の服装に気を取られていた。白のブラウスに裾にフリルの付いた明るい赤紫のスカート、胸元に帽子と同じチェックリボンが付いていて、その服の上にスカートと同じ色のケープをまとっている。そして黒いハイソックスに赤紫色のシューズ。可愛らしいが、どこか浮世離れしている感じがする。それにとんがり帽子を合せると、まるで魔法つかいのようだ。
少女が振っていたマッチ棒のようなものからいきなり白い煙が沸き立って小百合は驚いて目を開いた。煙の中から少女が取り出したものは黄色い柄の箒であった。その箒の先端には夕日色のリボン、根元の部分には銀色の鎖に赤い月と赤い星をあしらった飾りが付いている。
「な、なに? 手品?」
「手品じゃないよ、魔法だよ」
「はあぁ?」
唖然とする小百合をよそに、とんがり帽子の少女は箒にまたがった。
「箒に乗って空を飛べば、ファンタジックで気分も晴れるよ! わたし魔法は全然駄目なんだけど、箒に乗るのだけはうまいんだ~。 これ、自分用にチューンナップしたレーシング用の箒なんだよ、すっごい早いんだから!」
小百合はもはや少女の言うことが理解できず、口を開いたまま固まっていた。
――この子なんなのかしら? わたしの事からかってるの?
目を細めて疑わしい視線を送る小百合に、少女は無邪気な笑顔で言った。
「後ろに乗って、はやくはやく!」
小百合は少女の大きな碧眼の輝きを見て純粋な好意を感じた。小百合を元気づけようとしている事がはっきりわかるので、無碍に断ることもできない。小百合は仕方なく付き合ってあげることにした。
――バカらしい、わたし何やってるのかしら。まあ、ここまでやってあげればこの子も満足するでしょう。
などと考えながら、小百合は箒にまたがり少女の後ろに付いた。
「いくよ~、キュアップ・ラパパ! 箒よ飛べ~っ!」
魔法の言葉を唱えると、箒の下で空気が爆ぜ、周囲に気流が起こって小百合の長い黒髪や紺色のブレザーと青と赤と灰色のチェック柄のスカートが激しくはためく。同時に足が地面から離れるのを感じた。
「え? え? ええぇーっ!?」
少女と小百合を乗せた箒がどんどん上昇していた。
「本当に飛んでるわ! どうなってるの!?」
「だから飛ぶっていったじゃん」
「箒で飛ぶなんて、まるで魔法つかいじゃない!?」
「アハハ、わたし一応魔法つかいだよ~」
箒はどんどん上昇し、見下ろす街はジオラマのように小さくなっていた。
「ちょっと、あんた、高すぎるわよ!」
「大丈夫、大丈夫! いっくよ~、ご~」
箒は凄まじい速力で飛び出した。小百合は強烈な風圧でのけ反り長い黒髪が水平に泳いだ。
「きゃあああぁっ!?」
二人の乗った箒が通り過ぎた後に小百合の悲鳴が残った。
「あ、あんた、速すぎるわよ!」
「大丈夫だって、わたし箒乗りだけはうまいんだから。この箒は一人用で二人乗りは絶対いけないって先生にいわれたけど、全然平気でしょ?」
「あんた、この状況で何て恐ろしい事いいだすのよ! お願いだから降ろしてちょうだい、落ちちゃうわ!」
「それは心配ないよ。箒と体は魔法でくっついてるから、こんなことしても大丈夫なんだよ」
少女は箒を操って錐もみ回転させる。
「いやぁーーーっ!」
小百合は目を回しながら悲鳴を上げる。その次はジェットコースターよろしく3回連続の高速大ローリング、小百合は悲鳴をあげっぱなしだった。
箒一本に体を預け、足場もない状態での空中曲芸は小百合にトラウマ級の恐怖を与えた。
小百合は高い丘の上にある大木の下で倒れてうつ伏せになっていた。もはや精も根も尽き果てたというような有様である。
「楽しかったでしょ!」
とんがり帽子の少女が言うと小百合がばっと起き上がって憤った。
「冗談じゃないわ! 本当に死ぬかと思ったわよ!」
「大げさだなぁ」
「決して大げさではないわ! もうあんたの箒なんて二度と乗らない!」
「ねぇねぇ見て、夕日がすっごくファンタジックだ~」
そう言われて小百合が視線を街の方に投げると、真っ赤な輝きが目に飛び込んできた。小百合は無意識に立ち上がり、少女と並んでその光景を見つめた。高台から見下ろす街の後方に沈んでゆく夕日が見える。
家々や木々は陽光で真っ赤に燃え立ち、斜めに落ちた影が絶秒なコントラストになっていた。少女たちは夕の輝きを受けながらその光景に魅入っていた。
「ねぇ、少しは元気になった?」
少女にそう言われて小百合は心が軽くなっていることに気づいて微笑を浮かべた。
「ええ、少しはね。ありがとう、えっと」
「わたしラナっていうの!」
「わたしは聖沢小百合よ」
「ひじりさわさゆり? ナシマホウ界の人は長くて変な名前を付けるんだねぇ」
「聖沢は苗字で小百合が名前よ!」
「みょうじ? みょうじってなあに?」
「あんた、本当に苗字がわからないの?」
「魔法界にはみょうじなんてないもん」
「その、さっきから言ってる魔法界とかナシマホウ界ってなんなの?」
「ここがナシマホウ界で、わたしは魔法界からやってきたの!」
小百合は少し考えてラナの言うことを理解しようと努めたが無理だった。彼女は頭をおさえて言った。
「……何だか頭が痛くなってきた。わたしは街に帰るわ」
「じゃあ箒に乗って、送るから!」
「もう二度と乗らないっていったでしょ!」
「でも、街あれだよ」
ラナは遥か遠くに見える街を指さしていった。歩いて帰れる距離でないのは一目瞭然だ。結局、小百合はもう一度ラナの箒に乗るはめになった。
「今度はゆっくり飛んでよ」
「うん、わかった! キュアップ・ラパパ、箒よ飛べ~」
二人を乗せた箒は上昇してから高速で飛び出した。
「ゆっくりっていったでしょ!」
「これでもゆっくりだよぅ」
少女二人を乗せた箒は、暮れ行く街へと降りて行った。
それから数分後に小百合とラナは見事な薔薇の花壇がある広場に着地していた。
「とても疲れたわ……」
「じゃあね、小百合」
「ちょっと待って、あんたの家はこの近くなの?」
「家は魔法界だから全然近くないよ」
「……じゃあ、どこで寝てるの?」
「色々だよ。今日はさっきの丘の上にあった木の下で寝ようと思ってるよ」
当然のように言うラナに小百合は驚愕した。
「の、野宿!?」
「そうだよ~」
「ちょっと一緒にいらっしゃい」
小百合はラナの手をつかむと強引に引っ張った。
「うわわ、どしたの?」
「あんたを家に置いてもらえないかお爺様に頼んでみるわ。……いいえ、必ず置いてもらえるようにするわ」
「え、いいの?」
「女の子を野宿させるわけにはいかないわ。それに、あんたが何者なのか教えてもらわないと夜も眠れないわよ」
「小百合って優しいね!」
こちらを見上げて言うラナに、小百合はあらぬ方向を見て目を合わせようとしなかった。優しいなどと面と向かって言われて、なんだか恥ずかしくなったのだった。
それから少しだけ時が過ぎたところから物語は始まる。