あくる晴れの日には、小百合は誰もいない校庭の隅でラナから借りた初心者用の箒に跨っていた。
小百合は箒で飛ぶことはできないが、目を閉じて自分が空を飛んでいることをイメージしている。そんな自分が意図しない大ローリングをして空中に投げ出されてしまう。恐怖のイメージで小百合が目覚めると恨めしそうな顔をした。
「ラナのせいで箒に乗るのだけうまくイメージできないわ……」
渡り廊下からそんな小百合の姿を見た生徒の何人かは笑って言った。
「なにあれ、バカみたい」
「あの子、図書館でずっと勉強してる子でしょ。魔法も使えないのにあんなことして、どうかしてるわよ」
その日、リコとみらいも渡り廊下から小百合の姿を見ていた。二人の友達でブロンド三つ編みの大人しそうなメガネの少女エミリー、セミロングの栗色の髪にふわふわウェーブの可愛らしいケイ、ショートの青髪で見るからに勝気そうなジュンも一緒だった。
「小百合すごいね、一生懸命練習してるね! あんなに頑張ってるんだもん、きっと魔法だって使えるようになるよね」
「みらい、それは無理よ。どんなに頑張っても魔法の杖がないと魔法は使えないの。あなただってわかっているでしょう」
リコが言うと、みらいは自分のハートの杖を出して大きな笑みを浮かべる。
「頑張っていればきっと小百合の願いは通じるよ! わたしだって、魔法の杖もらえたもん!」
みらいらしい前向きな意見だが、リコはそうねとは言えない。リコにはあんな奇跡が二度も起こるとは思えなかった。
「ぷふふ」
小百合の姿を見てジュンが吹き出す。
「笑ったりしたらいけないよ」
みらいが注意すると、ジュンは笑うのをこらえて言った。
「わかってる、わかってるんだ。あんな一生懸命なんだから笑っちゃいけないよな。でもさ、あの姿を見るとどうしても……」
ジュンは笑いをこらえるのが辛いというように、小百合から視線をそらした。
「わたしにはあんなこと絶対できないよ」
ケイが怖いものをみるような目で小百合を見つめる。一方でエミリーは神妙な顔をしている。
「わたしはあの人が本当にすごいと思う。魔法も使えないのにあんなに真剣に箒に乗る練習をするなんて、尊敬する」
エミリーは箒に乗るのに苦労しているので、その言葉は重い。みんな黙って小百合が箒に乗る姿を見つめた。その時、リコは恐れている自分に気づいた。小百合が自分の背後に迫ってきている。努力している小百合の姿が自分と重なって、そう思わずにはいられない。そして自分の本当の気持ちが分かった。
――ちがう、わたしは小百合に魔法の杖を手に入れてほしくないと思っているんだわ。あんなに頑張っているんだから、みらいみたいに魔法の杖を手にしてほしいと思うのが本当よ。
そう思ってもどうしても素直になれない。それは、リコが魔法に対して持っているコンプレックスが原因だった。昔に比べればリコの魔法は上達しているが、まだまだリコの理想には遠い。もし小百合と成績を争うことになって、勉強は負ける気はしないが、魔法では負けるんじゃないか。それが小百合に対する恐怖となって現れていた。
周りの生徒が小百合をバカにする程にリコは恐ろしくなった。
――みんな何も分かってないわ。彼女が図書館で勉強を終えて教室に来たら、バカに何てできなくなる。小百合と一緒に勉強したわたしには分かる。
そしてリコは、これから勉強にも魔法にもますます力を入れて頑張ろうと心に誓うのであった。
『キュアップ・ラパパ! キュアップ・ラパパ!』
校庭に生徒が集まって老齢の教師アイザックの指導の元に魔法の呪文を唱和していた。ここにいるのはリコたちよりも一学年下の二年生だ。それを小百合が遠くから見ていて、彼らに合わせて拾った枯れ枝を振っていた。
「キュアップ・ラパパ! キュアップ・ラパパ!」
小百合に恥ずかしいなどという気持ちはなかった。ただラナのことを思って、真剣に枝を振って呪文を唱えていた。
――例え魔法が使えなくても、やるからには全力よ。どうせなら自分は大魔法つかいだと思って、正々堂々と自信をもってやりなさい!
小百合はそう自分自身に言い聞かせて、力強く枝を振って唱える。
「キュアップ・ラパパッ!!」
小百合の声があまりにもよく通るので、アイザック先生が生徒に教えるのを止めて小百合の方に近づいてきた。彼は皺だらけの人の好さそうな顔をほころばせて、きょとんと立っている小百合に言った。
「素晴らしい、あなたの呪文は完璧です」
「あ、ありがとうございます!」
小百合は自分が授業の邪魔になって注意されるのかと思っていたので、褒められて嬉しいと思う前に面食らった。
「あなたも一緒にやりませんか?」
「はい、よろしくお願いします!」
アイザック先生は、小百合をみんなの前に連れていくと言った。
「彼女は魔法が使えません。それでも真剣に勉強しています。彼女の唱える呪文には、魔法つかいに必要な自信、魔力を高める集中力、そして自然と一体となり精霊に呼びかける声、全てがそろっています。みなさんも負けないように頑張って下さい」
生徒たちの間にざわめきが起こり、変な空気が流れ始める。素直に小百合を尊敬して褒める生徒もいれば、魔法が使えないのにそんなこと頑張ってもと思う生徒もいた。
それから少し後のこと、リコが調べ物があって図書館に来た時に小百合と出会った。それを見たリコは強烈な衝撃を受けた。小百合が図書館で勉強をしていることは知っていた。だが、リズに勉強を見てもらっていることは知らなかった。
「お姉ちゃん……」
リコは図書館の入り口に立ち止まって動けなかった。真剣な顔で教科書をめくっている小百合を見守るリズは、どことなく楽しそうだ。リコの心の底から妙な感情が押し寄せてくる。リコが今までに経験したことのない嫌な気持ちだった。リコは図書館に入ることができずに走り去った。そして、中庭の大きな池の前で立ち止まって半ば呆然としてしまう。
「……そうよ」そしてリコは考えた。
――あんなに頑張っている小百合を、お姉ちゃんが見過ごすはずないじゃない。
そう思ってもリコの中に割り切れない思いがある。中学生になってからしばらくの間はリコとリズは疎遠になっていた。今はそうでもないが、いまだに尾を引いている部分がある。リコはまず姉を越える魔法つかいになる事を目標にしていて、リコのプライドの高さから目標である姉に教えを乞うことは今までに一度もなかった。こと勉強に関しては、ほとんど独力でやってきたといってもいい。そんなリコを差し置いて、小百合はリズから直接教えを受けている。リコは小百合に姉を取られたような気持になった。それはリコが初めて経験する気持ちで、自分が小百合に嫉妬しているということには気づかなかった。
リコがそんな気持ちを抱えたまま放課後になり、みらいと一緒に寮に向かって廊下を歩いている時に、またおかしなことが起こった。
「さっき図書館で小百合を見たよ。魔法が使えなくてもあんなに一生懸命勉強して偉いよね。昔のリコにちょっと似てるね」
みらいがいつもの調子で楽しそうに話すとリコはうつむいた。
「違う」
「リコ?」
「小百合とわたしは全然違う! 違うのよ!」
その激しい否定の言葉の底に憤怒が込められていた。近くを歩いていた生徒たちも驚いて少し立ち止まった。みらいは驚くよりも心配そうな顔をしていた。思わず大声を出したリコは後悔して、今度は落ち着いていった。
「小百合は魔法の杖さえあれば魔法を上手く使える、そういう絶対の自信を持っているわ。だから何を言われても平気なのよ。わたしとはぜんぜん違う……」
「リコ……変なこといってごめんね」
「わたしの方こそ、大声出してごめんなさい」
この程度のことで二人の友情が壊れることはないが、みらいはリコや小百合の気持ちが見えていなかった自分を反省した。
図書館に行けば大抵は小百合の姿があるので、魔法学校ですぐに噂になった。魔法の杖がないのに魔法の勉強をする変わり者というのが生徒たちの間にあるおおむねの認識であった。だから大抵はバカにされる。小百合はまったく気にしていないが、ラナは気になっていた。
朝のこと、ホームルームの前に廊下にたむろして少女たちが談笑していた。
「ねえ、レティア聞いた? 図書館のあれ」
「知っているわ。魔法の杖がないのに無意味な勉強をしている人でしょう」
「笑っちゃうよね」
少し太った女の子が気位の高そうな長い赤髪のレティアにいった。その近くにいるレティアよりも少し背の高いやせた女の子が同意して頷く。
それをたまたま近くで聞いていたラナは我慢できなくて叫んだ。
「小百合はすごいんだからね! ちょー頭いいんだからっ!」
少女たちが怪訝な目でラナを見つめる。それからレティアは相手をバカにして笑みを浮かべた。
「あら、誰かと思ったらラナじゃない」
「へぇ、あんた学校に戻ってきてたんだ、逃げ出したと思ってたよ!」
太った方が言ってくっくと笑った。
「小百合の悪口は許さないんだからね!」
「そう。じゃあ、魔法も使えないのに一生懸命お勉強している貴方のお友達の小百合さんは、どんなふうにすごいのか説明してちょうだい」
「え? それはその……」
「どうしたの? 早く説明して」
ラナは黙ってしまった。説明しようにも言葉がまとまらない。レティアはラナが頭の良くないことを知っていて、わざと言葉で追い詰めて楽しんでいた。取り巻きの二人の少女も面白そうに笑っている。
「何をしているの?」
リコの声だった。リコとみらいが近くを通りかかったのだ。
「優等生だ」
とりまきの痩せてる方がレティアに小声で言った。レティアも成績は上位なので、髪をかき上げてリコになんて負けないという気持ちを偉そうな態度に出した。
「ラナの方から因縁をつけてきたのよ」
ラナは指わすらをしながら言った。
「みんなが小百合のことをバカにするから……」
それを聞いてリコは何があったのか大体を察した。そしてリコは、レティアの目を見ていった。
「わたしは小百合のことを少しは知っているわ。きっと彼女は近いうちに首席争いに入ってくる。わたしも、あなたも、敵わないかもしれない」
レティアは驚きのあまり声も出なかった。学業成績トップのリコがいうその言葉は雷撃のように鋭く強烈にレティアの胸を貫いた。
「……行きましょう」
レティアはろくな言葉も返せずに取り巻きと一緒に去った。
「ありがとう、リコ!」
ラナは胸がすっとしてリコに抱きついた。リコは少し窮屈そうにして、ラナが離れると咎めるように言った。
「あんな人たちに関わったらだめよ」
「でも、ラナの気持ちすごくわかるよ! わたしだってリコの悪口言われたら怒る!」
「モフルンだって、許さないモフ!」
みらいに続いて、みらいに抱かれているモフルンまで怒った顔で言うと、リコは苦笑いを浮かべる。
「気持ちは嬉しいけど、平和的にね」
その時にホームルームが始まるチャイムがなり、リコたちは慌てて教室に入っていった。
小百合はすでに授業が終わって生徒たちが帰り始める時間になっても図書館で勉強していた。前の時間はリズの担当の授業がなかったのでずっと付きそっている。小百合が何度か手の中でペンを回してから素早くノートに何事かを書き込んでいると、女の子が図書館の入り口に現れて、なにか言いたそうな顔でまごついていた。リズがその様子に気づく。
「どうしたの?」
リズが気さくに声をかけると、少女は邪魔をするのが申し訳ないという控えめな様子で近づいてくる、ケイだった。小百合は彼女のことを何度か見かけたことがあった。
「リズ先生、教えてほしいところがあって。リコに聞こうと思ったんですけど、何だか忙しそうで……」
「いいわよ、あなたも一緒に勉強する?」
「はい!」
「あなたがリコと一緒にいるところを何度か見かけたわね」
小百合がペンを置いて言うと、ケイは蛇にでも睨まれたような感じでおずおずと答える。
「リコは友達なんです」
「小百合といいます、よろしくお願いします」
小百合が手を差し出すと、ケイがようやく笑顔を浮かべる。
「ケイです、よろしくね」
小百合とケイが握手をすると。近くで座って見ていたリリンが立ち上がって手をあげる。
「リリンデビ、よろしくデビ」
「ええぇっ!? ぬいぐるみがしゃべってる!? モフちゃんと同じ!?」
「モフルンは友達デビ」
「モフちゃんにこんなお友達がいたんだ、よろしくね」
ケイは最初は驚いたものの、動くぬいぐるみはモフルンで見慣れているので、リリンとも握手してすぐにうち解ける。そしてケイがリズに教えてもらいながら勉強を始めると、小百合はその様子を見て一瞬だけ悪女のような暗い笑みを浮かべた。