「ただいま~っ!」
「ただいまデビ!」
家に帰ると小百合は相変わらず勉強に打ち込んでいた。二人が入ってきても気づかず黙ってペンを動かす。
「小百合がんばりすぎだよ~、少し休もうよ」
小百合は無言で教科書のページをめくる。
「お~い、小百合っ!」
小百合はペンを動かしノートに何事か書き込み始めた。ラナの声などまったく聞こえていない。ラナはまるで無視するような小百合の態度に「ぷうっ!」と頬を膨らませた。
ラナはキッチンの方に行くとガチャガチャやり始める。そして小百合の目の前、教科書の上にリンゴジュースの入ったコップをドンと置いた。
「はぁっ!?」
無心に勉強していた小百合がペンを放して声をあげる。面食らって目を丸くしている小百合をラナがふくれ面で睨んでいた。珍しく小百合の方がラナに怯んだ。
「な、なによ……」
「小百合ったら、さっきから呼んでるのに全然気づいてくれないんだもん!」
「わるかったわね。集中すると周りが見えなくなる質なのよ、あんただって知ってるでしょ」
「見えなすぎだよ! わたしさびしいよぅ……」
「わ、わるかったって言ってるでしょ」
「じゃあ、お休みしよう! 一緒にお茶のもう!」
「仕方ないわね……」
「罰として今日はお勉強禁止だから~」
「なんでそうなるのよ!?」
ラナは小百合の意見など聞かずに、キッチンにいって自分の分のジュースを持ってきて小百合の正面に座った。そしてにぱっと笑顔になると、小百合は文句がいえなかった。ラナのあまりにも無邪気な笑顔の前に小百合は敗北したのだった。
「はぁ……」
すっかりラナのペースにはまった小百合はため息をついた。仕方ないと思って小百合がリンゴジュースに手を伸ばすと、ラナはしゃべり始める。
「さっきね、チクルンを魔法学校まで送ってあげたんだよ」
「魔法学校に?」
「大丈夫だよ、みらいやリコとは会ってないから」
慌てて言うラナを小百合が見つめる。そこへリリンが小さなコップを持ってきて飛んでくる。小百合が自分のコップのジュースをリリンの小さなコップに注ぎ分けてあげる。
「ありがとうデビ!」
それから小百合が言った。
「別にそんなこと心配してないわよ。あの蜂みたいな妖精はみらいとリコとも知り合いなのよね?」
「チクルンだよ。モフルンとすごく仲がいいみたいなんだ~」
「ふうん」
小百合は興味なさそうに言った。それからラナは次から次へとおしゃべりしまくった。最初は勉強を邪魔されて少し機嫌の悪かった小百合だったが、ラナの話を聞いているうちにいつの間にか楽しくなっていた。
ラナから今日の勉強を禁止されてしまった小百合は、それならばとエリーの家へとおもむいた。
エリーの指導の元に小百合はだいぶ箒で飛ぶのがうまくなっていた。彼女にとってまったく出来ない事があるのは屈辱で、ものすごく努力したのだ。
「いいわよ小百合ちゃん! その調子よ!」
箒にまたがる小百合の下からエリーの声が聞こえる。それで下を見た小百合は足がすくんだ。下から見上げているエリーとラナの姿は豆粒くらいになっている。
「うう、こ、この程度の高さで何を怖がっているの! もっと気合を入れなさい、小百合!」
小百合は叫びながら思い切ってさらに上昇する。春風に打たれて恐怖を感じて体が震える。普通の精神状態なら心地の良い風だが、小百合にとっては自分を箒から落とそうとする狂風だった。
「ひいぃっ!? こんなに高く飛ぶんじゃなかった!」
弱音をはく小百合を下から追い抜いてきたラナが周りをグルグルまわる。
「すごいよ小百合、こんなに高く飛べるなんて!」
「くうっ、目障りな……」
今の小百合はそういうのが精いっぱいで、怒ったり怒鳴ったりする余裕などない。今度はエリーが箒に乗って飛んできて、小百合のすぐ隣に止まって言った。
「やったわね、小百合ちゃん。ここまで出来ればもう大丈夫よ」
「エリーさん、本当にありがとうございました」
その時、少し強い風が吹いてきて小百合は悲鳴をあげて体を揺らした。情けない姿の相方にラナは呆れてしまう。
「おおげさだなぁ。そんなに怖がらなくてもだいじょーぶだよ」
「大丈夫じゃないわよ!」
エリーが小百合の体を支えると、それでようやく人心地になれた。
「後はしっかり飛ぶ練習をすればいいから、ラナちゃんが見てあげてね」
「まっかせて~」
「そ、そんな!?」
小百合は見捨てられた子猫のように哀れな姿をさらす。
「大丈夫よ。飛ぶことに関してはラナちゃんは魔法界一だから」
「本当に大丈夫なんでしょうか……」
小百合はものすごく心配だった。
翌日、闇の結晶探しがてら小百合はラナと一緒に箒で飛ぶ練習をしていた。ラナは小百合が飛ぶのを見て色々注文を付けていた。
「小百合は重心が変なんだよ。そんな前かがみじゃなくて、もっと背筋を伸ばして!」
「こ、怖いのよ」
「そんなかっこうしてたらあぶないよ~、おちちゃうよ~」
「そ、それはいやっ!」
ラナに脅されて小百合が背筋を伸ばす。
「そうだよ、やればできるじゃん」
ラナにそんな風に言われて小百合は悔しかったが、今は圧倒的にラナの方が立場が上なので黙っていうことをきくしかなかった。
「じゃあ~、もう少しスピードだしてみよ~」
と言ってラナはぶっ飛ばし、小百合の目の前から一瞬にして離れてマッチ棒くらいの大きさになってしまった。
「こらーっ!!」
小百合が叫んでいる間にラナはものすごいスピードで戻ってくる。
「小百合、おそいよぉ」
「そんなバカげたスピードについていけるわけないでしょーっ!!」
小百合の激怒する声がすぐ近くに漂う雲間に響き渡った。
帰って来る頃には、小百合はラナの適当な指導のせいで疲れ果ててしまった。地上に降りると足が鉛のように重く感じる。
「疲れたわ、もう寝たい……」
「小百合ったら、おばあちゃんみたいだねぇ」
ラナに言われて小百合が目を細めてジト目で睨むが、教えてもらっている立場なので文句は言えない。ラナは元気に夕日の落ちるリンゴ村の農道を走り、リンゴの樹の影と夕日のコントラストを越えて家のドアを開ける。すると視線の先にあるテーブルの上にチクルンが立っていた。
「よう、窓が開いていたから勝手に入ったぜ。お前が色々心配してると思ってきてやったんだぜ、感謝しろよ」
「チクルン!」
後から小百合が入ってくると、その腕に抱かれているリリンが笑顔を浮かべる。
「チクルンが遊びに来たデビ!」
リリンが小百合の腕の中から飛んでいってチクルンの前に降りていく。疲れ果てていた小百合はもうかまう気力もなかったが、ラナとチクルンの会話を聞いて意識がそちらに向いた。
「みらいたちは元気だった?」
「それがよ、リコが落ち込んでんだよ」
「リコが落ち込んでいる?」
言ったのは小百合だった。チクルンは小百合の顔を見るなり口をつぐんでしまった。まずいことを言ったという顔をしていた。それで小百合は鋭く察した。
――前の戦いで与えた過去のトラウマが効いたんだわ。
小百合は前の戦いで墓穴を掘ったと思っていたが、今になってあの時に与えた言葉がリコを苦しめている、そう結論付けた。
「わたしは疲れたからもう休むからね」
「ごはんは?」
「もう食事をする気力もないわ……。フレーザーに今朝焼いたパンと、あとリンゴのサラダがあるから、みんなで食べなさいね」
小百合はそういって、奥の風呂場に入っていった。チクルンは小百合がさっき言ったことなど気にしていないように見えたので安心した。
小百合はラナと一緒に闇の結晶を探しながら飛行の練習をして、三日目にはようやく普通に飛ぶことができるようになっていた。
この三日間、散々飛び回ってもあまり闇の結晶が見つからないので、ラナは少し嫌になってきた。
「闇の結晶、ぜんぜんないね~」
小百合が黒い布袋の中身を見て言った。
「三日間かかってたったの7個」
すると小百合のポシェットの中から顔を出しているリリンが言った。
「もっと他の場所を探すデビ?」
「いえ、もういいわ。練習のためにもう少し散歩してから帰りましょう」
小百合が先行し、高度を上げて飛んでいく。
――あれれ、この方向って?
ラナは小百合が魔法学校の方に進んでいることに気づいた。なんだか嫌な予感がした。小百合と横並びになって様子を見ると、明らかに小百合は何かを探すように視線を動かしていた。これはもう決定的だった。みらいとリコの姿を探しているのだ。ラナはどうか出会いませんようにと心の中で祈っていた。
「いたわ」
ラナの願いも空しく、二人は出会ってしまった。眼下に広がる青い海が斜陽を返して宝石のようにキラキラと光る。その上に箒に乗って並んでいる二人の姿があった。ラナは胸が苦しくなって言った。
「小百合、やめようよ。いまリコは落ち込んでるんだって」
「だからやるんでしょう。闇の結晶を奪える機会を見逃すつもりはないわ」
抑揚のない小百合の声を聴いて、ラナは小百合から視線を自分のひざの上に落として無言になった。潤む碧眼が彼女の悲しさを伝えていた。それを見た小百合の表情が少し動いた。
「あんたがどうしても嫌なら止めるわ」
今度の小百合の声には感情がこもっていた。冷徹だった彼女の表情にラナを慈しむ温かさともの悲しさが表れていた。するとラナは半分閉じていた目を開けて顔を上げ、小百合を強く見つめる。
「小百合が本当にやりたいと思うことをやって! わたしはぜったいついていくから!」
小百合はきっとラナがそう言ってくれると思っていた。
「行くわよ」
小百合たちは高高度からみらいたちを追跡する。海面ではみらいたちの影を小百合たちの影が追っていた。注意すれば追跡に気づけたかもしれないが、リコはうつむき加減で時々ため息をつき、みらいはそれを心配して、注意が散漫になってしまっていた。
「闇の結晶みつからないね」
「ええ……」
「あれだけ探してもたったの5個だよ」
「ええ……」
魂が抜けたようなリコの返事にみらいの表情が悲痛に染まる。
「モフ……リコ、元気出すモフ」
みらいに片手で抱かれているモフルンが、みらいの心に呼応して心配そうに隣を飛んでいるリコに声をかける。みらいはリコが持ち前の負けん気で立ち直ってくれると信じているのに、何日たってもリコの元気は回復しなかった。
「……みらい、あの島に寄ってから魔法学校に帰りましょう」
みらいがうんと頷くと、リコがか細い笑みを見せる。リコがみらいに元気を誇示しようと時々見せるそんな笑いが痛々しかった。二人は先に見える巨大な赤い傘のキノコが生えている無人島に向かって斜め下方向へ旋回した。