時には非情になることも必要なのです
セスルームニルの箱部屋のベッドで傷ついたラナが眠いっていた。小百合がいくら名前を呼んでも、ラナは目覚めなかった。眠っているラナとずっと泣いている小百合を、リリンが宙に浮いて上から極度の不安に身を沈めて見つめていた。
「デビ……」
今のリリンにはどうしようも出来ない。ただ涙しながら自分を呪う呪文を唱える小百合を見ているしかなかった。
「何が友達よ、何が親友よ……わたしは最低だわ……」
目の前に自分のせいで傷ついた親友がいる。それに追い打ちをかけて小百合は絶えず脳裏から消えない傷ついたみらいの姿やリコの叫び声に責められていた。
「全部わたしが、壊してしまったんだわ……」
顔を上げ、ラナの顔を見つめた小百合の顔に涙が細く流れた。
「ラナ、お願いだから目を覚まして……いつもみたいに笑ってよ……」
答えがあるはずもなく、ただどこからともなく聞こえてくるセイレーンのいやに寂しい歌声だけがそこにあった。
魔法学校の医務室、そこは医務室というには広く、陽光の差す白い部屋の中は四つの仕切りがあって、それぞれにベッドが配置されていた。その中の一つにみらいが眠いっていて、周りに人が集まっていた。リコはベッドのわきにある椅子に座ったまま、泣きはらした顔でただ黙ってみらいの顔を見つめていた。ベッドの上によじ登ったモフルンが間近でみらいを見つめる。少し離れたところに立っている教頭先生の魔法の杖から光の雫が無数に散ってみらいの上に降り注いでいた。
「怪我は心配するほどではありませんが、強いショックを受けているようです。精神が完全に閉ざされています」
包み隠さずに言う教頭先生の両隣で、校長とリズが傾聴する。リズは気の毒そうで、校長は生徒をこんな目に合わせてしまった自分に怒り少し怖い顔をしていた。状況が状況なので上からみらいを見つめているチクルンを誰も意識していなかった。
「して、彼女はいつ目覚めるのだ?」
校長が言うと、教頭は死の床にいる人を見ている医者のように難しい顔をしていた。教頭はリコのことをしきりに気にしていた。
「いいんです、はっきりと言って下さい。リコもそれを望んでいます」
リズが言うと、教頭は意を決したとでも言うよう話し始めた。
「詳しいことは分りませんが、この状態は普通ではありません。どういったらいいのか、何か途方もない事がみらいさんの身に起こったのではないでしょうか」
「光と闇の衝撃……」
リコの口から言葉が零れる。教師たちの視線が小さくなっているリコに注がれる。それ以上何も言わないリコに代わって、モフルンが大人たちを見上げて言った。
「光と闇が大きくなって、みんなを襲ったモフ」
こんな時はモフルンの方がしっかりしている。それを聞いた校長が今まで誰も見たことがない怖い表情になった。モフルンの話を聞いただけで、彼には何が起こったのか想像できた。
「はっきりいいますよ」
教頭の声でその場に緊張の糸が張り詰める。その糸は今にも切れそうだった。
「みらいさんの精神は眠っているのとは違います。まるで死んでいるように精神の動きが感じられません。このままでは永遠に目覚めないでしょう。目覚めさせる方法を探す必要があります」
それを聞いたリコの体が震えて、ひざの上に置いた手に力が入った。彼女はあふれてくる涙に任せるに言った。
「わたしのせいだわ……みらいは魔法を使うのを嫌がっていたのに……」
「それは違う。リコ君の判断は間違ってはいなかった。何もしなければ、君たちの方が一方的にやられてしまっていだのだろう。そうなれば二人とも命はなかったかもしれぬ」
校長はまるで全てを見ていたかのように言った。
「違うわ! わたしのせいだわ! 全部わたしが悪いのよ!」
リコは感情に任せて叫んでいた。親友を守れなかった、傷つけてしまった自責の前で、ただただ自分が許せなかった。
「モフ……」
リコを見上げるモフルンの瞳には慈悲と悲哀の光があった。モフルンにはすぐ近くで眠っているみらいよりも、リコの方が危なげに見えた。
「妹をすこし一人にしてあげて下さい」
リズが気遣って言うと、校長と教頭は頷き、教師たちは静かに医務室から出ていった。そして、ずっと状況を見守っていたチクルンは、これから最大の敵と対峙でもするような強い気持になって、教師たちが扉を開けた時に一緒に出ていった。
小百合は薄暗い箱部屋で遠いセイレーンの歌を聞きながら、ベッドを背にひざを抱えて座っていた。その隣にリリンも座っていたが、小百合の目はうつろでリリンの存在にも気づいていないようだった。
何も考えまいとしていた小百合の中に、不意にきらめく思考が現れた。バッティが助けてくれた時の情景が浮んで、それから思考が回り始める。みらい達との戦いは思いだしたくなかったが、小百合の中に現れた違和感がそうさせた。
「あんなタイミングで敵が現れるなんておかしいわ……」
おかしいのはそれだけではなかった。バッティは闇の結界が現れた時に伝説のまほうつかいを倒せと言っておきながら、再び現れた時にはみらい達まで助けたのだ。どう考えても理屈に合わない。
「あれは敵の罠だったの……?」
あの時、ダークネスだった小百合は冷静でなかったが、マジカルの冷静になりなさいという声は覚えている。あの時現れたバッティの姿と、闇の結界の土台になっていた月と星の六芒星を見て、小百合はそれがフレイアの意思だと信じて疑わなかった。しかし、いま冷静になって考えると、あのフレイアがこんな悲惨な戦いを望むとはとても思えない。しかし、あれが敵の罠だったとしたら、フレイアから何か話があってもよさそうなものだ。
小百合はいてもたってもいられなくなり立ち上がると、箱部屋の扉を開けた。リリンが寂しそうに出ていく小百合の背中を見ていた。
セスルームニルの薄明りの廊下に小百合の足音が妙に響く。小百合は弱った心のせいで微かな音にも恐れを抱いてしまう。一度は自分の足音に驚いて立ち止まってしまった。フレイアに会いに行くのが恐ろしい。もし真実にフレイアがあの罠を仕掛けていたのだとしたら、そう思うと小百合はまた立ち止まってしまった。
「……怖がっていてもしょうがないわ。真実を知らなければ前に進めない」
小百合は気持を強く持って足を踏み出した。その時に小百合の足音が廊下に大きく響いた。
フレイアはいつものように玉座で微笑を浮かべていた。少しうつむき加減で、微かなセイレーンの歌を聞いて楽しんでいるようにも見えた。闇の女神の元へ小百合が歩み寄る。ダークナイトとバッティはフレイアより一段低い場所で左右に分かれて黙って立っていた。
小百合はフレイアの前で黙っていた。どうしても話を切り出すことができずに苦しんでいた。
「わたくしに言いたいことがあるのでしょう」
フレイアの方から声をかけた。
小百合はフレイアの優しい声を聴き、微笑している姿を見ると、フレイアがあんな卑劣な罠を仕掛けるはずがないと確信めいた。
「フレイア様、わたしたちと伝説の魔法つかいを戦わせたのは、あれはフレイア様の意思なのでしょうか」
「その事ですか。あなたはバッティが勝手にあんな命令をするとでも思っているのですか?」
フレイアから小百合の想像とは全く違う、そして最も恐れていた答えが返ってきた。小百合は心が凍りついた。
「もちろん、わたくしがバッティに命令したのです」
「そんな……。でも! 黒い結界を生み出したのはヨクバールです!」
「ヨクバール程度のものならば、闇の女神であるわたくしにも召喚することはできます」
小百合は悲しみと恐怖に押し出され、無意識に何歩か下がってフレイアから離れていた。
「そんな、どうして……。あの戦いで、ラナとみらいが犠牲になったんですよ……」
「どうしてあなたは敵である伝説のまほうつかいの事まで気にしているのですか?」
小百合は自分に伝説の魔法つかいが敵だと言い聞かせていたが、フレイアからそれを言われると息が苦しくなるほど胸がしめつけられる。
――目の前にいるのは本当にフレイア様なの?
小百合は本気でそう思った。小百合が知っているフレイアとはまるで別人のように見える。言いようのない怖さが底の方からコップから零れる水のようにどっとあふれてきた。そんな小百合にフレイアがよくとおる声で言った。
「時には非情になることも必要なのです」
そのフレイアの言葉は小百合の心をいじめるようで後に残る痛みを与えた。小百合は目が虚ろになると、フレイアに背を向けて去っていった。
箱部屋に向かって来た廊下を戻っている時に、小百合はフレイアからもらった言葉を口にした。
「時には、非情になる事も必要」
小百合はその声が持つ恐ろしい響きと暗い魔力に触れて身震いした。
フェンリルはリリアの厨房で自分で作った
一つ一つが輝きを放つ薄青い切り身が魚の形の中で理路整然と並んでいて美しい。リリアが横からそれをのぞき込んでいった。
「フェンリルちゃん、腕をあげたわね」
「ありがとうございます、先生」
「素敵な料理を作ったのに、なんでそんなに怖い顔しているのかしら?」
「怖い? そ、そうでしたか。ちょいと考え事をしていましてね」
「愛の悩みかしら?」
「そうです」
「まあ! わたしで良ければ相談にのるわよ」
「……先生、わたしにはその愛というやつが良くわかりません。先生にとって愛とは何なのですか?」
リリアは思っていたのとフェンリルの悩みの方向が違ったので少しばかり戸惑った。しかし、愛について聞かれれば、彼女の中には無限の泉がある。
「そうね、愛と一言でいっても様々な形があるわね。わたしにとって大切な愛は、夫、娘たちへの家族愛。もちろん料理も心から愛しているわ。わたしのお友達や、わたしの料理を美味しいと言ってくれる人も愛しているし、わたしが住んでいる魔法界も愛しているわ」
リリアから次々と愛が飛び出してくるので、フェンリルは余計に混乱してしまった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。それじゃあ、何でもかんでも愛せるってことじゃないですか」
「その通りよ、愛は無限なのだから」
「愛は無限、無限か……」
その無限という言葉がフェンリルには妙にひっかかった。
「どうかしらフェンリルちゃん。愛について少しは分かってもらえて?」
「ま、まあ、何となくは……」
フェンリルは全然分からなかったけどそう言った。するとリリアは嬉しそうに、
「じゃあ、いつものやりましょう」
「はい……」
リリアが手を組んで微笑を浮かべてフェンリルを見守る。フェンリルはかっと顔が熱くなるのを感じた。彼女が今まで生きていた中で、もっとも勇気と思い切りを必要とする瞬間が訪れる。しかし、料理を好きになっていたフェンリルに迷いはない。
「愛情、は・い・れ❤」
フェンリルの指で描いたハートが活け造りに輝きを与えた。少なくとも、リリアの目にはそういうふうに見えた。
――あ~、恥ずかしい……。
これをやった後のフェンリルは決まってもどかしく所在ないような変な気持になってしまうのだった。愛というものが分れば、この気持ちも少しは変わるのかもしれないと彼女は思っていた。