「ああ……」
机の上の水晶に影の魔女が現れ、すすり泣きを始める。リズはそれをこれ以上ない恐怖とでもいう目で見つめた。
「どうしたというの?」
水晶はすすり泣くばかりで、なかなか言葉が紡がれなかった。そんな水晶を見れば校長の身によくない事が起こっていると嫌でもわかる。
「魔法界の古き礎が崩れ去り、新たな礎が生まれるとお告げが……」
それを告げた後も水晶は泣き続けていた。リズはあまりに絶望的なお告げに声も出せずに顔を歪めていたが、すぐに気を静めた。彼女は自分でも信じられないくらいに冷静になっていた。
「水晶よ、泣くのはおやめなさい。校長先生は必ずお帰りになります」
「……わたくしは確信しましたわ。魔法界の新たな礎とはあなたのことですわ、リズ先生」
そう言う水晶にリズが予言のように確信的に告げた。
「校長先生は必ずお戻りになります。生徒をおいていくような方ではないわ。わたしたちは校長先生がお戻りになるまで、やるべきことをしましょう」
リズは水晶を片手に持って立ち上がった。
「何をするつもりなのです?」
「教室を見回ります。生徒たちを安心させたいんです」
あんな恐ろしいお告げを聞いても平常なリズに水晶さんは驚いていた。まるで校長が目の前にいるようだと、彼女は思わずにはいられなかった。
校長は部屋の中に死屍累々と遺体が積みあがっている状況を想像していたが、足を踏み入れた巨大なドームの部屋には何もなかった。
「人の存在を消すなど造作もないということか。この部屋で命を絶った者は幸運だったのかもしれぬ。恐らく、痛みを感じる間もなく消されたことだろう」
今まで校長が見てきた遺体には明らかに苦しんで死んでいった痕跡があった。
部屋の一番奥に大きな扉が見えた。校長がそれに向かっていくらか歩んだ時に、円形の石床全体に巨大な魔法陣が刻まれていることに気づいた。それはあまりに大きく全容を把握するのに少し時間がかかった。そして校長はそれの正体に気づくと声をあげた。
「これは!!?」
六芒星の周りに赤い六つの星が配置された途方もなく大きな魔法陣、そして六芒星の中心にある六角形の中に、伝説の魔法つかいを現す五芒星魔法陣が描かれていた。ただ一点違うところがあり、五芒星の中央に赤い三日月が入っている。つまり、伝説の魔法つかいと宵の魔法つかいを現す二つの魔法陣を合わせた形になっていた。それを見て校長は自分が求めている答えがここにあると確信した。
彼は扉に速足で近づいた。長い歴史を感じさせる重々しい黒い扉の中央には、白い線で宵の魔法つかいの六芒星の魔法陣が描かれていた。校長はその扉の前に立つと、それを待っていたかのように扉の魔法陣が赤く輝く。重い扉が内側に開いていくと中央に漆黒の線が入り、扉の動きと共に向こう側にさらなる闇が現れる。校長の召喚した強力な光でもその闇を食い破る事ができない。まるでそこに黒い壁があるかのような異様な空間が扉の向こうに広がっていた。
扉が完全に開ききった刹那、校長は身を押しつぶすような空気に襲われる。かれは反射的に杖を前に出して叫んだ。
「キュアップ・ラパパ! 光よ守りたまえ!」
校長の前に白き光の壁が現れるのとほぼ同時に、真っ黒いものが襲いかかってきた。さながらドラゴンの体当たりのような強烈な圧力が光の壁に押し寄せ、校長は凄まじい衝撃で杖を構えた状態のまま光の壁と一緒に後退した。
「ぬううっ!!」
床がくつ底を削り、白い煙があがる。校長の目の前が漆黒に染まっていた。襲いかかってきたのは黒い炎の塊(かたまり)だった。弾かれた校長は壁の手前で踏んばった。光の壁にはね返された黒い炎の玉は、獣の姿に形を変えて宙を走り、半円を描き、開いた扉によって創造された闇をさらけ出す四角の空間の上で二つの炎に分かれ床に燃え移った。燃え上がる2本の黒い火柱が急速に形を変えて人型になっていく。
「これは一体!?」
漠然とした人型の黒い炎はさらに形を整えていった。二人が影のように黒い顔を上げた時、校長は目を見張った。一人はすらりと背が高く、もう一人はそれと比べると頭二つ分は低い。二人の細くしなやかなシルエットは少女のものだと分かる。背の小さい方が小さめのとんがり帽子をかぶっている事だけは、その形から分かった。
「これがみなの命を奪った闇の正体か。なんということだ、この姿はもしや……」
二人の黒い少女が同時に床を蹴り、獣のように素早く走って校長に迫る。
「キュアップ・ラパパ! 光よ盾に!」
校長の杖の前に白い魔法陣が広がる。それの中央には太陽の中に座す猫の姿があり、その外側には相対した太陽と三日月の紋章がある。その魔法陣に黒い影の二人が右と左の拳を同時に打ち込んでくる。その衝撃に校長は歯を食いしばって耐えた。
「はああぁーっ!!」
校長の一括で光の魔法陣から衝撃が広がり、二人の影を吹き飛ばす。二人は宙返りして態勢を整え、二人並んで着地した。
「この息も乱さぬ連帯、そして完璧な拍子での攻撃、間違いない! 彼女らはプリキュアだ! なぜプリキュアがあのような姿に!?」
校長は黒く燃え上がる二人のプリキュアと対峙する。
「一つだけ確かなことがある。彼女らは誰かのためにここを守っているのだ。この場所を犯すことこと自体が間違いなのかもしれぬ。しかし、そうだとしても引けぬ! わしは何としてもこの先へ行かねばならぬのだ!」
校長が強靭な力で杖を石床に突き刺した。
「光の秘術、生命転魔!」
校長の足元に純白の魔法陣が現れ、校長自身の体が光明を帯びる。
「ゆくぞ! キュアップ・ラパパ! 光よ闇を切り裂け!」
校長の杖に巨大な光球が現れ、放たれる。それに対して闇そのもののような少女たちは後ろで固く手をつなぎ、一方の手を前へ。すると二人の前に大きな黒いハートが現れ、盾となったそれに校長の光球が叩きつけられる。ハート型の闇の盾と光の魔法がせめぎ合い、白い光が炸裂して部屋の中に暴風が吹き荒れた。
無数の光の粒が混ざる白い煙の中から二つの黒い影が跳ぶ。闇の少女たちは全く同じ態勢で空中から空を切る鋭い蹴りを同時に放ち、急降下する飛行機のような勢いで校長に向かってくる。校長が前に飛ぶと、彼が元居た場所を二人の急降下蹴りが穿つ。二人の足が石床に足首ほどまでめり込み、大きく陥没して亀裂が広がり、飛翔した校長は部屋の中央辺りでふわりと着地した。そこへ二つの黒い影が攻め込んでくる。
身体能力の強化と防御の魔法を同時にかけていた校長は、空を裂いて襲いくる蹴りや拳の連続を少しずつ後退しながら紙一重で避けていく。小さい影の回し蹴りが校長の頬をかすめ、長い銀髪の一部を断ち切る。そして長身の影の鋭いパンチに校長は右手を広げ、そこから輝く円盾を出して防ぐ。その強力なパワーに押され、校長は再び立ったまま後方へ弾かれる。そして闇少女二人が跳躍、それぞれ右腕と左腕を引いて力をためる。校長は上から襲ってくる彼女らに杖を向けた。
「キュアップ・ラパパ! 光の盾よ!」
杖の先端から白い魔法陣が広がり、それに二人の拳が同時にぶつかった。凄まじい衝撃があり、校長の両足が石床に沈み、彼の周りがクレーターのように陥没した。
「はあっ!!」校長は気合と共に少女たちの攻撃を押し返し、同時に力ある呪文を唱えた。「キュアップ・ラパパ! 光よ貫け!」
校長の魔法陣から噴き出した白い光の流れが竜の形となって螺旋を描く。光の竜が大きく口を開け、空中にいた二つの影をくわえ、プロミネンスのような雄大な弧を描いて地面に衝突する。瞬間に光の爆発が起こり、白い輝きが半球状に広がっていく。強力な魔法を連続で使い、校長は苦しそうだった。
「どうだ……」光が消えて煙が渦を巻くと、校長の左右にいきなり気配が現れた。間近にある黒い気配に校長の体が凍り付く。
「しまった!?」
二人同時の回し蹴りが校長の腹を痛烈に打った。
「ぬおっ!?」校長は靴底を引きずりながら踏みとどまり、止まったところで腹を押さえて片ひざをついた。その時に、校長の体をおおっていた光の守りがガラスが割れるような音をたてて崩れ落ちた。二人少女の何もない暗黒の顔が校長を見ている。二人とも体中から煙を吹いていた。彼女らは大きなダメージをものともせずに校長に反撃してきた。
闇色の少女たちが左右別々の場所に飛ぶ。そして、二人同時に壁を蹴って、二人同時に校長に迫っていく。その時、校長が杖の底で床を強く突いた。そこから白い魔法陣が広がり、
「秘術! 閃光の障壁!!」
校長の魔法陣の周囲から高く吹き上がった光の壁が一瞬で周りに広がり、校長に迫っていた黒い少女たちは白い閃光にのまれて消えた。光はドーム型の部屋いっぱいに広がった。
部屋から目の眩むような閃光が薄れていくと、禁呪に禁呪を重ねた校長が刃物が突き刺さるように痛む心臓を押さえてうずくまった。険しい顔で苦しそうにうめきながらの、辺りの状況を確認する。そして彼に絶望を与える二人の黒い影が、互いの傷ついた体を支え合ってひざを付いていた。
「くおおぉっ!」
校長が魔法の杖を支えに立ち上がろうとすると、それよりはるかに素早く闇に塗りつぶされた少女たちが立ち、後ろで手と手を握る。同時に二人が出した手の前に三日月と星の黒い六芒星魔法陣が現れた。校長が痛む胸を片手で押さえた状態で杖を構える。黒い魔法陣から暗い色の炎が噴出し、大きな流れとなって校長に向かってくる。
「キュアップ・ラパパ! 光よ守りたまえ!」
光の壁に黒い炎がぶつかり、焔を広げて光を飲み込まんとする。校長が杖を持つ手は震え、そしてついに光の守りは破られた。校長の苦痛の叫びは黒い炎に飲み込まれた。
校長は必殺の炎を受けた後も気力だけで立っていた。全身から煙を上げ、グリーンの目は光を失い虚ろだった。
「倒れるわけには……いかぬ……」
彼のかすむ視界に黒い者が近づいてくるのが見える。倒れそうになっている彼の体を痛烈な衝撃が襲う。闇そのものとなったプリキュアの二人同時の飛び蹴りが校長の体を打っていた。
「ぬあああぁっ!!?」
校長は壁に叩きつけられ、崩れた石壁と一緒にずり落ちた。手放された金色の杖が床に一度跳ねて、高い音がドーム内に響いた。校長は失われつつある意識の中で考えた。
――強き思いだ。君たちは誰のために戦っている? わしは生徒たちのために戦っている。しかし、わしは負けた。あの子らの思いの方が強かったのだ……。
もう校長は指一本動かすこともできなかった。ぼやけてほとんど見えない視界の中に、二つの黒い影の存在だけが際立っていた。そして、部屋を照らしていた魔法の光が力を失い全てが闇にのまれる。彼は、リコ、みらい、小百合、ラナの顔を順番に思い浮かべていった。
――ここまでか……すまぬ……。
彼は目を閉じると、どこまでも続く深い闇に落ちていった。体の痛みも、息の苦しさも、あらゆる感覚が次第に遠ざかってゆく。その過程が意外に心地よく、心を穏やかにしてくれる。校長はこれが死なのだと認識し、そう悪いものでもないなと思った。そして、落ちてゆく闇の先に希望の光が見えた。光は次第に近づいてきて、ついに校長の見ている世界の全てに満ちた。目を開けると、やはりその場所にも光が満ちていた。校長はついに天に召されたかと思う。だが、目の前で光を放つものを見た瞬間にあらゆる思考が吹き飛び、叫んだ。
「なんと!!?」
校長が目覚めた場所は先ほどと何も変わっていなかった。校長の目前で緑色の宝石が温かい光を放っていること以外は。
「リンクルストーンエメラルド!!?」
校長はエメラルドの力で体の傷が癒されていることを知った。エメラルドはひとりでに宙を移動して、床に倒れている杖の先端の中に入った。驚きに満ちていた校長の顔が急に凛々しく引き締まる。彼は金色の杖をつかんで立ち上がった。杖に宿ったエメラルドの優しい光が闇を追い払い、黒い影の少女たちの姿まで照らしていた。
(この子たちを許してあげて。ただ大切な人を守りたかっただけなの)
「ことは君!?」
それは確かに花海ことはの声だった。校長は悲し気な瞳で漆黒の少女たちを見た。二人は足元で黒い炎を散らして疾走した。そして同時に高く跳ぶ。校長はエメラルドの宿る杖を上に向けた。
「キュアップ・ラパパ! 光よ守りたまえ!」
二つの影が光の壁を鋭く蹴った瞬間に、白い衝撃が広がって二人同時に吹っ飛び、双方壁に叩きつけられてめり込んだ。二人は怯まず壁から降りて再び後手に右手と左手をきつく結ぶ。そして、先ほどとほとんど同じシーンが繰り返される。再び黒い魔法陣から噴き出した炎が校長に襲いかかった。
「キュアップ・ラパパ! 光よ貫け!」
校長の杖からでた光の波動と黒い炎がぶつかり合い、光が闇を打ち払い闇色のプリキュアたちをおおい尽くす。二人は同時に床に倒れるが、倒れたまま手をつないで起き上ろうとした。その決してあきらめない姿に校長は胸が熱くなった。
「もうよい。もうやめるのだ。君たちの気持はよくわかった。君たちが長い間守り続けてきたものが必要なのだ。今プリキュアとなって戦い、苦しんでいる少女たちのために」
校長の心が届いたのか、闇色に燃える少女たちは立ち上がるともう動かなった。ただ、仲の良い姉妹のように片方の手だけはつないだまま離さなかった。
校長は菩薩のように胸で片手を立て、エメラルドが輝きを放つ杖で少女たちを示し、そして彼は慈悲の心で呪文を唱えた。
「キュアップ・ラパパ! 光よプリキュアの魂を天へと導きたまえ!!」
校長の杖の先端がさらに強く輝き、そしてエメラルドを挟んで二つの白い光輪が現れる。杖から放たれた穏やかな光の流れが黒い少女たちを包み込む。光の流れの外側を飛んできた光輪が少女たちの頭上に移動しゆっくりと下降した。輪をくぐった部分から少女たちの闇が晴れていく。そして、校長は彼女たちの本当の姿を見た。
「黒いプリキュア……」
桃色の長い髪の少女はキュアダークネス、金髪のショートヘアの少女はキュアウィッチそのものの姿だった。二人は淡い光の中でやんわりと両手を合わせて寄りそい、悲し気な、そしてどこか安心したような表情を浮かべた。やがて少女たちは光となり、人の姿を崩して散っていく、光はまるで春に舞い上がる綿毛のように可憐だった。
大きな三日月の夜に小百合は椅子に座ってラナの寝顔を見つめていた。ラナが起きたらどんな言葉をかけようか、ずっと考えていた。その時、誰かに呼ばれたような気がして顔を上げた。小百合は立ち上がり、誰かに引かれるように歩いて外に出る。リリンもその後についていった。
夜空に無数の星のようなものが見えた。しかし、星ではない。それは星よりもずっと近くにあって、小百合を見つめてでもいるように同じ場所にいつづけた。そして、小百合には微かに声のようなものが聞こえた。
「え? お願いって? あなた達は誰なの? お願いって何なの?」
無数の光が流れとなって名残惜しそうに円を描いてから夜空に舞い上がっていく。小百合には彼女たちが何を言いたかったのか、何となくわかるような気がした。
闇に沈む白い神殿が存在するとある島で、フレイアもまた三日月の上を流れていく光を見ていた。無数の星のような光の流れが形を変えて、二人の人間が手をつないでいるような姿になった。
「そうですか、ようやく母なる宇宙に帰ることができるのですね。どなたかは存じませんが、二人を救って頂いたことを感謝いたします」
目を閉じているフレイアには、解放された親友たちの命の光が見えていた。フレイアに感謝の言葉はなかった。言葉などではとても言い表すことはできない。二人は永遠ともいえる長い時間を、魂だけの存在になって生き続けたのだ、友を守るために。フレイアは赤い宝石の付いている錫杖を三日月に向かって高く上げ、そして唱えた。
「消えゆく命に希望の光を!」
花をかたどった赤い宝石が強い光を放った。その輝きは様々な場所に届き、見た人を悲しい気持ちにさせた。それが二人対するフレイアの別れの言葉であり、感謝のしるしであった。