物足りぬ開幕
都内のあるアパートに住む私には、行きつけの場所があった。行きつけとは言ったものの、実際には週に一度外出するかしないか、という引きこもりチックな生活を送っているため、向かう頻度はそう高くない。だが、錬金術師としては向かわねばならない。多くのコアな図書を集め、中には魔導書なるものもあるからだ。研究者として、追及する者として、知識は多いに越したことはない。
今日は久しぶりの外出だ。さて、とお気に入りのコートを羽織り、久しぶりにドアノブに手を伸ばす。
「髪型オッケーだよね・・・?」
ちらちらと映る前髪を触りながら家を出る。別に髪型を気にするような間柄ではないのに、緊張のせいだろうか、前髪をちょろちょろと触ってしまう。
暫く歩いて、路地裏を通り、少し歩いたところにある、性悪書庫。ここがアンジュの行きつけの古本屋だ。
さて、と錬金術に関連した本を探すため、奥に向かう。奥はレジがあり、男性がそこに座り、本を読んでいる。その隣に二階へと続く階段があり、その先にいつも置いてある。
ふむ、と顎に指をなぞらせ、お目当ての本を探す。お目当ての本はマンドラゴラの育成法についての本だったが、中々見つからない。下の階も含めて30分ほど探したが見つからない。
仕方ない、と一つ息を吐き、店員に声をかける。店員、とはいえ、レジに座っている男性一人だけだ。パッとしない男性で、私の好みではない。
「あの、マンドラゴラの育成法に関する本が欲しいんですけど」
「・・・・・・」
返答がない。どうやら余程読書に集中しているようだ。それほど面白い作品なのだろうか?
「あの~」
「・・・あ、すいません。集中しちゃって」
「いえ、それよりも、マンドラゴラの育成法に関する本を探してるんですが」
「あぁ、それでしたら」
言って男は立ち上がり、二階へと案内する。
こちらです、と指した先は、本棚の最上。なるほど、私では見つけられなかったわけだ。見つけられたとしても届かなかっただろう。
2mはあるだろう高さに軽々と届いてしまう身長に、少し驚きを感じる。
「他にはありませんか?」
「あ、はい、大丈夫です」
そうですか、と返して、男性はレジに戻る。
「三千円です」
「あ、じゃぁ五千円からで」
「はい。じゃぁ二千円ですね」
と言って、男性は机の引き出しから二千円を取り出し、私の手の上にレシートと共に乗せる。
「ありがとうございました~」
笑顔で手を振る男性を横目に、店から出る。そういえば、この店に他の客が出入りしているところを見たことがない。本当にやっていけているのだろうか。少し不安になった。
さて、と家に戻り、分厚い本を片手に、植木鉢に植えられているマンドラゴラの育成にとりかかる。
暫くして、喉の渇きを覚え、冷蔵庫を開ける。
「あ、そうだわ。研究に没頭してて買い物忘れてたんだ・・・」
がくっと肩を落とす。
そういえば、先週にコンビニに買い物に行ったっきりだった。
やれやれ、仕方ない。と重たい腰を上げて家を出る。軽い外出だったため、いつものコートは羽織っていない。なので少々肌寒いが、まぁ別にいいだろう。コンビニまでは5分もない。
「いらっしゃいませー」
店員が呟くように挨拶をした。
ちらと店員を見ると、その顔に見覚えがあった。だが、その知っている人は眼鏡をかけているので、恐らく別人だろう。
一リットルの水と、チョコレートを二つ買って、レジへ向かう。
ピッ、という機械音が三回鳴って、店員が金額を読み上げる。財布を広げ、丁度の金額があったので、そのまま払い、店を出る。
店から出て帰路につこうとした瞬間、ねぇ、と声を掛けられる。
「はい?」
振り返ると、じゃらじゃらとした鎖を首から下げた、焼けた男だった。勿論、背丈はアンジュよりもずっと高い、三人組の、年齢は高校生半ばから大学生だろうか。
「な、なんでしょう、か?」
にやにやと口角を上げる三人に追い詰められるように、路地裏に少し入ったところで壁に退いてしまった。
しまった、逃げ道がない、と考えるのもつかの間、その中心人物となっている、一際ガタイのいい男が口を開いた。
「ねぇ、俺たちと遊んでいかない?」
「え、あ、い、いや・・・」
「でもお姉さん、一人でしょ?」
「あ、あ、あぅ」
視線を逸らし、何とか逃げようと考えるしかできなかった。
どうやって逃げる? 男が三人が私の周りを囲んでいる。後ろは壁、大声を上げようものなら殴られるかもしれない。逃げようとすると強行に走るかもしれない。
「なぁ、いいだろうがよ」
どんどんと語気が荒くなる。返答をしない私に対して怒りが募り始めているようだ。
仕方ない。何をされるか分からないが、従うしかないのだろう。
「わ、わかりまし・・・」
私が何もかもを諦めようとした時、ぱんっ、と何かが弾ける音がした。それと同時に、一番大柄な男性がよろめいた。
「あぁ?」
男の視線が右肩を見る。そこにはオレンジの蛍光色がべったりと付いていた。
誰がやった? とこの場にいる皆が視線をそちらにやると、先ほどの店員が投球した後の野球選手のような体制で固まっていた。顔に後悔はないが、足が震えている。
「う、うちの大事な顧客を勝手に持っていかれては困ります」
震える声は、今日聞いた、あの古本屋で聞き慣れたあの声だった。
「て、店長・・・さん?」
彼は顎をくいとやって逃げろ、と伝えているようだが、私の脳の指令系統は止まってしまっており、足がまともに動きやしない。
「み、耳だけはいいんでね」
ははは、と渇いた笑い声が虚空に広がる。
「てめぇ・・・」
ようやっと現状を理解した男たちが、店員の周りを取り囲み、誰からともなく、拳が振り下ろされた。
「俺はなぁ! 空手二級なんだよ!」
「うちのケンさんに何してくれてんだ!」
次々と罵声がとびかかるなか、店員は頭を守ることだけで精一杯だった。こちらに視線を送ってはいたが、それは助けて、という意味合いではなく、早く逃げろ、という意味だと、すぐに悟った。
だが、私は馬鹿な女だった。武道も習ったことがなければ、別に体格に恵まれているわけでもない。そんな私が、彼を助けようと思ってしまったのだ。だが、それを脳がブレーキをかける。『お前では勝てない。逃げるんだ』と。それに抗う私は、ただ突っ立っているのみだった。
膝裏を蹴られ、体制を崩した彼に対して三人は、頭を、腹を、足を、腕を、蹴り続けた。それに抵抗できない彼は、矢張り頭を守ることのみで精一杯なようで、蹴られる度、呻き声をあげる。
「は~、何か萎えたわ。こいつ抵抗もしないし。さっさと帰ろうぜ」
「うぃっす」
そう言って、男達はさっさと夜闇に消えてしまった。
それがどれだけ続いただろうか。一分、二分、いや、三十分や一時間かもしれない。ただ茫然と見るしかなかった私は、ようやっと終わった、と安心するだけだった。
「だ、大丈夫?」
「あ、あはは、あ、貴方こそ大丈夫でしたか? 変なところとか触れてませんか?」
「わ、私は大丈夫だけど・・・」
男はお世辞にも無事とは言い難いものだった。腕は赤く腫れ、ヒビが入っている、否、もしかしたら骨が折れているかもしれない。足だってふくらはぎが腫れている。腹を蹴られたせいか、口元には嘔吐の痕が見える。
救急車を呼ぶべきか? 私が今するべきことは何だ? 彼の応急処置? 私の錬金術は魔方陣を書いてやっと発動するもの。今ここでパッと出来るものではない。
だが、魔方陣があれば私は何でもできる。回復魔法だって使える。
救急車を呼ぶ時間や、診る時間や治療する時間を鑑みると、私の家に運んで魔法で治した方が手っ取り早いだろう。
「私の家に来て。そこで治すから。立てる?」
「あ、ありがとうございます。女性の肩を借りるわけにはいきませんから」
何とか顔をキメ顔にしたようだが、ぼこぼこであまりキメられていない。だが、私の考えは揺らいでいた。だが、それが何なのか、私の脳に保管されている言葉に該当する感情表現は見当たらなかった。
「あ、その前に店長さんに一礼入れておかないと」
「私がやるから。待ってて」
彼の傷で余計なことをさせる訳にはいかない。そもそも、原因を作ってしまったのは私なのだから、私が謝りに向かうのが筋というものだろう。
私は彼を壁によりかからせる形で座らせ、走ってコンビニへ入る。
「あ、あの!先ほど店員さんに助けられた者ですが・・・」
誰もいないので、大きく声を上げる。
店の奥から、小太りの店長らしき人物が現れる。
「あぁ、あいつが助けるって言った子だね」
「す、すいません。私のせいで大事な防犯カラーボールを使ってしまって」
「いいのいいの。にしても彼、弱かったでしょ。いつも本屋で読書してるから全然筋肉もないし、碌に飯も食べてないから守る肉もない」
「あ、あはは。確かにそうかもしれないですね。でも、助けてもらったのは事実ですので、何かお礼を・・・」
「あ~、じゃぁ、あいつの給料でも上げようかな。それでいい?」
「あ、ありがとうございます」
私は一礼すると、さっさと店を出て、彼の元へと向かった。もうすでに肩で息をしている。
「あぁ、ありがとうございます。えぇっと」
「錬金術師のアンジュ。アンジュ・カトリーナ」
「アンジュさん」
ぺこり、とお辞儀をしてから、彼はよいしょと立ち上がり、私の二歩後ろを歩いている。
二分ほどで自宅に着き、家に案内する。室内は、研究用の図書でぐちゃぐちゃになっていた。机の上にはいくつもの試験管が並んでいる。
買ってきたものを机の上に置き、パッパッと本を払い、男性一人分が寝転がれる程度のスペースを作り、そこにこなれた手つきで回復の魔方陣をチョークで書く。
「お、おぉ、凄い。本では見たことあるけど、初めてみるなぁ」
「感想はいいから。はよ寝転がって」
玄関で関心している彼の背中を押して、さっさと魔方陣の上に寝転がせる。
魔導書で憶えた回復魔法を詠唱する。すると、みるみるうちに傷が癒えていく。腕はどうやら骨折していたようで、回復に一番時間がかかってしまった。ようやっと完治した時は、日を跨いでしまっていた。
「うわぁ、凄い。現実は小説よりも奇なり。だなぁ」
治った右腕を見て、目を丸くする彼を見て、私はふぅとその場にへたり込む。
「おぉ、大丈夫ですか? やっぱり疲れるものなんですね」
「うん。まぁね」
「えぇっと、さっき買ったお茶お茶・・・あったあった。さ、どうぞ」
彼はレジ袋からペットボトルに入った緑茶を取り出して、私に手渡した。それをぐびぐびと一気飲みし、ぷはぁ、と口元を拭う。
「ありがとう」
「顧客には優しくしないと、です・・・しっかし、よく集めたもんですね。お、これはエスペラント語だ。こっちはラテン語?」
「あ、あぁ。錬金術に関する本って、翻訳されてないのも多いから」
「読めるの?」
「うーん、ざっくりと」
あはは、とどちらともなく苦笑する。
それから暫く談笑をしていたら、おもむろに龍二が立ち上がる。
「さて、ずっといる訳にもいきませんし、そろそろ帰るとしますね」
「あ、うん。またお店利用させてもらうよ」
「えぇ、いつでも来て下さい。あ、それと」
男は足を止めると、顎に手を当て、少し悩む。
「何?」
私が訪ねると、彼はそうだな、と口を開いた。
「一応、連絡先を交換しませんか? 最新の情報も手に入れられますよ?」
それは、私にとって願ってもないことだった。性悪書庫のレパートリーは私の知る限り、最も私向けだった。錬金術の本に始まり、非科学的な本を日本だけでなく、英語圏などからも集めているあの古本屋の最新情報だ。
「ええよ」
「ありがとうございます」
と言って、スマートフォンを取り出した彼と私は連絡先を交換し、それでは、と言う彼を見送ってから、私は一人天井を見上げた。
私は今までを錬金術師として生きてきた。確かに彼氏というものに憧れてはいるが、私のハードルは、自分で言うのもなんだが、それなりに高い。だから、該当する者など私の周りにいないものだと思っていた。
だが・・・
興味を持っていただけたなら幸いです。