僕の彼女は曜ちゃんです⚠再編集中 詳しくはあらすじへ 作:ゆうきoog3
---
Aqoursの九人がステージ袖へ向かっていく。
千歌「行こう!」
「「「うん!」」」
九人は力強く頷き、ステージ裏へ姿を消した。
俺はその背中を見送り、小さく息を吐く。
雄飛「頼んだぞ。」
今、この舞台に立つのは俺じゃない。
だけど、俺にも俺の役目がある。
観客席へ向かう途中、場内には開演を待つ人々の熱気が満ちていた。
応援タオルを掲げる人。
ペンライトを握りしめる人。
家族連れや学生、全国から集まったスクールアイドルファン。
その誰もが、この大会を楽しみにしている。
……その時だった。
「……?」
視界の端に、一人の男が映る。
スタッフ証を首から提げている。
だが、その歩き方に違和感があった。
観客ではない。
スタッフとも少し違う。
何より、周囲を必要以上に警戒している。
(……何だ?)
父さんに昔言われた言葉が脳裏をよぎる。
――『何かを隠している人間ほど、周りを見過ぎる。』
男は人気のない通路へ曲がった。
その先は関係者エリア。
俺はすぐ近くにいた警備員へ駆け寄る。
雄飛「すみません。」
警備員「はい?」
雄飛「あのスタッフ証を付けた人、身分確認をお願いできますか。」
警備員は怪訝そうな顔をする。
警備員「何かありましたか?」
雄飛「確証はありません。でも、違和感があります。もし何もなければ、それでいいんです。」
その表情を見て、警備員も何かを察したのだろう。
すぐ無線へ手を伸ばした。
「警備各員、スタッフエリアの身分確認を実施。」
俺も少し距離を置いて様子を見る。
数人の警備員が動き出した。
男は通路の途中で呼び止められた。
警備員「失礼します。スタッフ証を確認させてください。」
男の肩が一瞬だけ震える。
そして。
突然、走り出した。
「確保!」
数人の警備員が一気に取り押さえる。
男が持っていたバッグが床へ落ちる。
中から出てきたのは。
工具。
ペンチ。
ニッパー。
そして、切断されたケーブルが数本。
警備員の表情が変わる。
「設備担当を呼べ!」
「ステージ裏の配線を至急確認!」
周囲が一気に慌ただしくなる。
雄飛は小さく息を吐いた。
どうやら、俺の勘は外れていなかったらしい。
これで終わればいい。
そう思った、その瞬間。
『こちら地下設備室! 不審者を確認!』
無線から切羽詰まった声が響く。
警備員の表情が変わる。
「応援を要請!」
「地下へ!」
さっきの男は囮だった。
雄飛「……!」
俺も地下へ向かって走り出す。
階段を駆け下りる。
その途中。
ガンッ!!
地下から鈍い音が響いた。
嫌な予感しかしない。
設備室へ飛び込むと、そこには工具箱や切断された結束バンドが散乱していた。
照明設備の制御盤が開けられている。
そして一人の男がケーブルへ工具を伸ばしていた。
雄飛「やめろ!」
男が振り返る。
一瞬だけ目が合う。
「誰だ、お前!」
工具箱が投げつけられる。
雄飛は咄嗟に身をひねる。
ガシャーン!
工具箱が壁へぶつかり、中身が床へ散らばった。
男はその隙に逃げる。
雄飛「待て!」
設備室を飛び出し、長い地下通路を走る。
男は非常口へ向かって一直線。
その先には観客が利用するロビーがある。
逃がしたらまずい。
男は突然振り返ると、消火器を蹴り飛ばした。
ゴロゴロと転がる消火器。
雄飛は飛び越えようとして足を取られる。
ドンッ!
肩から床へ叩きつけられた。
「くっ……!」
痛みが走る。
それでも立ち上がる。
逃がせない。
父さんは言っていた。
――『勝つことより、守ることを考えろ。』
雄飛「……っ!」
非常口まであと数メートル。
男が扉へ手を掛ける。
その時。
雄飛は最後の力を振り絞り、男の足元へ滑り込んだ。
ガシッ!
足首を掴む。
男「離せ!」
男は振り払おうとする。
蹴られる。
腕が痛む。
離さない。
雄飛「……絶対に!」
数秒。
本当に数秒だった。
だが、その数秒で十分だった。
「動くな!」
警備員たちが一斉に駆け込んでくる。
男は逃げようともがくが、すぐに取り押さえられた。
「設備室を確認!」
「爆発物なし!」
「照明設備、一部損傷のみ!」
「大会への影響は最小限です!」
肩が熱い。
制服の袖も少し破れている。
警備員の一人が横に並んだ。
「君、大丈夫か?」
雄飛「俺は……大丈夫です。それより、ステージは?」
警備員は無線へ耳を当て、笑みを浮かべた。
「問題ない。」
「予定通り開演できる。」
その言葉を聞いた瞬間、全身の力が抜けた。
良かった。
本当に、それだけで良かった。
すると場内スピーカーからアナウンスが流れる。
『まもなく、Aqoursの皆さんがステージへ登場します。』
雄飛は静かに目を閉じ、小さく笑った。
雄飛「間に合った……。」
誰にも知られなくていい。
俺の役目は、九人が何の心配もなくステージへ立てるようにすること。
それだけなのだから。
「こちら警備本部。不審者一名、身柄を確保しました。」
無線から落ち着いた声が聞こえる。
警備員たちの表情にも、ようやく安堵の色が浮かび始めた。
雄飛も肩を押さえながら息を整える。
雄飛「これで……終わったのか。」
その時だった。
ピッ――。
警備員の無線機から、鋭い電子音が鳴る。
『こちら中央監視室!』
『まだ終わっていません!』
その一言で、空気が一変した。
『確保した男は単独犯ではありません!』
『共犯者が会場内に残っています!』
雄飛「……!」
警備員たちも一斉に顔を見合わせる。
『映像を確認しました!』
『複数人が別行動を取っています!』
「全警備員、警戒レベルを上げろ!」
無線が慌ただしく飛び交う。
雄飛は思わず大型モニターへ目を向けた。
そこにはステージ袖で待機するAqoursの姿が映っている。
千歌たちは何も知らない。
笑顔で円陣を組み、
「ゼロからイチへ!」
と声を重ねていた。
雄飛「……絶対に、邪魔はさせない。」
その時、一人の警備責任者が雄飛へ近付いてきた。
「君。」
「さっきは助かった。だが、ここから先は我々の仕事だ。」
雄飛は小さく頷く。
その通りだ。
自分は警察でも警備員でもない。
これ以上は任せるべきだ。
……そう思った。
だが。
廊下の奥を横切る、一人の人影が目に入る。
帽子を深くかぶった人物。
顔は見えない。
しかし。
その人物は、一瞬だけこちらを見た。
目が合った。
その瞬間だった。
相手は踵を返し、観客席の方向へ駆け出した。
「待て!」
警備員が追う。
雄飛も反射的に走り出しかける。
しかし、
「君はここで!」
警備責任者に肩を掴まれる。
「我々が追う。」
雄飛は足を止めた。
……そうだ。
自分が飛び出しても、かえって足手まといになる。
だが、胸騒ぎだけは消えなかった。
大型スクリーンでは、司会者が明るい声を響かせている。
「続いて登場するのは――」
「静岡県代表、Aqours!」
客席が大歓声に包まれる。
その歓声に紛れて、
館内のどこかで何かが床に落ちる音がした。
カラン――。
小さな音。
けれど、雄飛の耳にははっきりと届いた。
振り返る。
誰もいない廊下。
……いや。
壁際に、小さな黒いケースが一つ置かれている。
雄飛は眉をひそめる。
(あれ……さっきまであったか?)
警備員も気付き、ゆっくりと近付いていく。
その瞬間、
ケースの小さなランプが、赤く点滅を始めた。
「……!」
警備員の表情が変わる。
「全員、下がれ!」
緊張が一気に走る。
しかし、次の瞬間。
館内スピーカーから流れてきたのは――
♪♪
Aqoursの歌声だった。
九人のステージが、ついに始まった。
雄飛はステージの方向を見つめる。
(頼む……。)
(みんなだけは、最後まで笑顔で歌い切ってくれ。)
歌声は、何も知らない九人の想いを乗せて、満員の会場へ力強く響き渡っていた。
警備員たちが黒いケースを慎重に囲む。
「近付くな!」
鋭い声が地下通路へ響く。
雄飛も数歩後ろへ下がる。
ケースの赤いランプは一定の間隔で点滅を続けていた。
警備責任者が無線へ向かって叫ぶ。
「警察へ連絡! 専門部隊を要請しろ!」
その時だった。
通路の奥から足音が響く。
タッ、タッ、タッ――。
雄飛が振り返る。
「誰だ!」
帽子を深くかぶった男が一人。
先ほど逃げた共犯者だった。
男は状況を見るなり舌打ちする。
「……間に合わなかったか。」
そのまま踵を返し、走り出した。
「待て!」
雄飛は反射的に追い掛ける。
長い地下通路。
男は荷物を投げ捨てながら逃げる。
床へ散らばる工具。
雄飛は避けながら距離を詰める。
もう少し。
あと数メートル。
男が非常口へ飛び込もうとした瞬間、突然振り返った。
ギラリ、と銀色の光が走る。
「っ!」
咄嗟に腕でかばう。
布が裂ける音。
制服の左袖が大きく切り裂かれ、その下の腕に鋭い痛みが走った。
温かいものがゆっくりと流れる。
浅い傷だった。
だが十分痛い。
「離れろ!」
男が再び振りかぶる。
雄飛は正面から向かわない。
父から何度も教えられた言葉が頭をよぎる。
――守るために動け。
前へ出るんだ。
「うおぉぉぉ!!」
その一瞬の隙を突き、雄飛は相手の腕ではなく肩へ体当たりした。
二人とも床へ転がる。
男はナイフ落とした。
男はすぐに立ち上がり、ナイフを拾おうとする。
雄飛は痛む左腕を気にする様子もなく、足へとしがみついた。
男「離せ!」
何度も振り払われる。
制服がさらに破れる。
それでも離さない。
雄飛「Aqoursの、、みんなの邪魔はさせない!!」
数秒。
本当に数秒だった。
しかし、その数秒が決定的だった。
「警察だ! 動くな!」
通路の両端から警察官と警備員が駆け込んでくる。
男は抵抗する間もなく取り押さえられた。
雄飛はその場へ座り込む。
左腕から流れる血。
アドレナリンが切れてさっきよりも肩へ走る鈍い痛み。
息が上がる。
警備責任者が駆け寄ってきた。
「大丈夫か!」
雄飛は苦笑しながら頷く。
「俺より……ライブは。」
責任者は無線を耳へ当てる。
数秒後、安心したように息を吐いた。
「危険物は専門チームが安全に処理した。」
「大会は予定通り続行できる。」
その言葉を聞いた瞬間、雄飛はようやく力を抜いた。
その頃――。
ステージでは一曲目が終わり、大きな拍手が会場を包んでいた。
だが、ステージ袖へ戻ってきた千歌たちは、いつもそこで待っているはずの雄飛の姿がないことに気付く。
千歌「……ゆうくん?」
曜も辺りを見回す。
曜「おかしい……。」
梨子「どこに行ったの……?」
ルビィ「さっきまで、ここにいたよね……?」
花丸「うん……ずっと見てくれてたずら……。」
善子「こんなタイミングでいなくなるなんて……ありえないわよ。」
ダイヤも静かに眉をひそめる。
ダイヤ「……何かあったと考えるのが自然ですわね。」
果南は腕を組み、ステージ袖の奥をじっと見つめる。
果南「……嫌な感じがする。」
鞠莉もいつもの余裕の笑みを消し、小さく呟いた。
鞠莉「This is not normal……。」
誰も答えられない。
その小さな不安は、九人の胸へ静かに広がっていった。
そして迎えた二曲目。
ほんの一瞬だけ。
ほんのわずかに。
千歌の視線がステージ袖へ向く。
曜の動きが半拍遅れる。
それにつられるようにフォーメーションがわずかに乱れる。
観客の多くは気付かないほど、小さなミス。
だけど。
毎日、誰よりも近くで練習を見続けてきた雄飛なら、一目で分かるほどの乱れだった。
二曲目が終わる。
九人は最後のポーズを決め、そのまま深く一礼した。
会場からは大きな拍手が響く。
その歓声は決して小さくない。
だが、誰一人として笑顔ではなかった。
ステージ袖へ戻った瞬間、千歌はすぐに辺りを見回した。
千歌「……ゆうくん?」
返事はない。
曜「まだ戻ってない……。」
梨子「まさか、本当に何か……。」
誰も口にはしなかった。
いや、口にできなかった。
九人の胸には同じ不安が広がっていた。
あのわずかなフォーメーションの乱れ。
あの一瞬の迷い。
誰よりも自分たちが分かっていた。
最高のステージではなかった、と。
その時、スタッフが控室へ飛び込んできた。
スタッフ「Aqoursの皆さん!」
全員が一斉に振り向く。
スタッフは少し息を切らしながら続けた。
スタッフ「大会運営から結果発表まで控室で待機してください。」
ダイヤ「吉田さんはどうされましたの?」
スタッフは一瞬だけ言葉に詰まる。
その表情だけで、嫌な予感は確信へと変わった。
スタッフ「……少し、事件がありまして。」
曜「事件……?」
スタッフ「現在、安全は確保されています。」
「ご本人も命に別状はありません。」
その一言に、全員が大きく息を吐いた。
だが、安心したのも束の間だった。
曜「命に別状はないって……。」
「ケガ、したの?」
スタッフは静かに頷く。
曜の顔から血の気が引いていく。
千歌も拳を強く握り締めた。
千歌「ゆうくん……。」
結果発表までの時間は、とても長く感じた。
誰も笑わない。
誰も雑談をしない。
静まり返った控室には、テレビから流れる実況だけが響いていた。
そして。
司会者の声が会場へ響き渡る。
『続きまして、審査結果を発表いたします。』
最初に名前を呼ばれたのはSaint Snowだった。
スクリーンには二人の姿が映る。
聖良は静かに前を向き、理亜も唇を噛み締めている。
結果は――敗退。
会場から温かい拍手が送られる。
理亜は悔しさを隠せず涙を浮かべる。
そんな妹の肩へ、聖良はそっと手を置いた。
そして、小さく微笑んだ。
その笑顔はどこか寂しく、それでも前を向こうとする強さに満ちていた。
千歌はその姿をじっと見つめる。
ライバル。
北海道で出会い、互いに高め合ってきた相手。
そのSaint Snowが、ここで舞台を去る。
続いて――。
『Aqours。』
全員の身体が強張る。
静寂。
そして。
『――以上の結果となります。』
誰も何も言わなかった。
分かっていた。
あの一瞬の乱れ。
ほんのわずかなミス。
それが勝負を分けたのだと。
千歌はゆっくりと俯く。
曜は目を閉じたまま動かない。
梨子は静かに唇を噛む。
ルビィは涙をこらえきれず、花丸の肩へ顔を埋めた。
善子も何も言えない。
果南は拳を握り締め、ダイヤは静かに目を閉じる。
鞠莉だけが、小さく呟いた。
鞠莉「……終わっちゃったわね。」
誰も返事をしなかった。
その時、控室の扉が静かに開く。
警備責任者だった。
「皆さん。」
「吉田雄飛さんがお待ちです。」
その一言で、曜が真っ先に駆け出した。
曜「ゆうくん!」
千歌「曜ちゃん!」
九人は廊下を走る。
案内された先は救護室。
扉を開けると、そこには左腕へ包帯を巻き、肩へ湿布を貼った雄飛が椅子へ座っていた。
制服は裂け、ところどころ乾いた血が残っている。
曜は何も言わず駆け寄ると、そのまま雄飛へ抱き付いた。
曜「……ばか。」
震える声だった。
曜「もう……本当にばか……。」
雄飛「悪い。」
曜「帰ってくるって約束したじゃん……。」
雄飛はゆっくり曜の頭を撫でた。
雄飛「ちゃんと帰ってきただろ。」
曜は首を横に振る。
涙が止まらない。
その後ろで千歌も涙をこらえていた。
千歌「ゆうくん……心配したんだから。」
梨子は少し離れた場所から、その姿を静かに見つめていた。
胸の奥が締め付けられる。
無事でよかった。
その想いだけで十分だった。
雄飛はみんなを見渡すと、小さく頭を下げた。
雄飛「……ごめん。」
「俺が持ち場を離れたせいで。」
「みんなのステージを壊した。」
千歌はすぐに首を振る。
千歌「違う!」
曜「そんなことない!」
しかし雄飛は苦笑するだけだった。
その笑顔が、いつもより少しだけ苦しそうに見えた。
翌日。
修学旅行と大会を終えた一行は、新幹線へ乗り込み沼津への帰路につく。
車内は静かだった。
窓の外を流れる景色だけが、ゆっくりと時間を進めていく。
誰も昨日の結果を口にしない。
誰も事件について話そうとしない。
それぞれが、それぞれの想いを胸へ抱えたまま。
やがて電車が沼津に到着する。
改札を抜けると、見慣れた空気が九人を迎えた。
沼津へ帰ってきた。
だけど、その表情に笑顔はない。
悔しさも。
無力感も。
そして、守れなかったステージへの後悔も。
すべてを抱えたまま、Aqoursは静かに沼津の街へ戻ってきた。
それでも――。
この敗北が、本当の終わりではないことを。
まだ誰も知らなかった。
夕暮れの沼津駅。
改札を抜けると、どこか懐かしい潮風が頬を撫でた。
北海道の冷たい空気とは違う。
少し湿った、優しい海の匂い。
それだけで、「帰ってきたんだな」と実感する。
千歌「……帰ってきたね。」
誰に言うでもなく、千歌がぽつりと呟いた。
誰も返事はしない。
九人とも、心のどこかに悔しさを抱えたままだった。
駅前から路線バスへ乗り込み、見慣れた海岸線を走る。
夕日に照らされた駿河湾。
穏やかな波。
千歌がいつも「大好き」と言っている景色。
だけど今日は、その景色を眺める余裕は誰にもなかった。
---
十千万旅館。
玄関の戸が開く。
「ただいま。」
九人の声が重なる。
奥から足音が聞こえ、志満が顔を出した。
志満「あら、おかえり。」
いつもの優しい笑顔。
その一言だけで、張り詰めていた気持ちが少しだけほどける。
美渡「大会、お疲れさん。」
千歌「……うん。」
千歌は笑おうとした。
でも、その笑顔は途中で崩れた。
志満は何も聞かなかった。
ただ静かに千歌の頭を撫でる。
志満「おかえり。」
その一言だけで十分だった。
千歌は小さく「……ただいま」と返し、目を潤ませる。
その様子を見ていた雄飛は、小さく笑った。
(やっぱり家っていいな。)
そう思いながら荷物を持ち上げた、その時だった。
志満の視線が雄飛の左腕で止まる。
志満「雄飛くん。」
雄飛「はい?」
志満「その包帯。」
しまった。
制服の袖で隠したつもりだった。
雄飛「あー……ちょっと転んで。」
志満「転んで、そんな切り傷になる?」
見抜かれた。
雄飛は苦笑するしかなかった。
「あとでちゃんと話すね。」
志満はそれ以上追及せず、「無理しちゃダメだからね」とだけ言って台所へ戻っていった。
---
夕食はいつもより静かだった。
テレビも消えたまま。
箸の音だけが部屋に響く。
そんな空気を破ったのは千歌だった。
千歌「ねぇ。」
雄飛「ん?」
千歌「……ゆうくん。」
「ありがと。」
雄飛は首を傾げる。
「何が?」
「みんなを守ってくれたんでしょ。」
雄飛は少し驚いた。
「もう知ってたのか。」
千歌は小さく頷く。
「ニュースで見た。」
「詳しいことは分からなかったけど。」
「ゆうくんが頑張ったことだけは分かった。」
雄飛は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「俺一人じゃないよ。」
「警備員も警察の人もいた。」
「俺はちょっと時間を稼いだだけ。」
千歌は笑った。
「そういうところ。」
「ゆうくんらしい。」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
美渡姉からはやるじゃないかと肩を叩かれた。
一方で志満姉からは無理しちゃだめよと軽く叱られた。
同時に千歌ちゃんを守ってくれてありがとうと頭を撫でられた。
---
旅館の庭先。
風鈴が静かに鳴っている。
雄飛は縁側に腰掛け、包帯を巻いた左腕をぼんやり見つめていた。
電話がなった。誰か疑うわけでもなく電話にでた。
いつもなら他愛もない話をするのだが、
通話が繋がってもしばらくは何も話さない。
虫の声だけが静かに響く。
やがて曜が口を開いた。
曜「……怖かった。」
雄飛「うん。」
曜「もう会えなくなるんじゃないかって。」
その声は少し震えていた。
雄飛「ごめん。」
曜「謝らなくていい。助けてくれたんだもん。」
曜「でもね。」
曜は少しだけ笑う。
「次は無事で帰ってきて。」
雄飛も笑った。
「無事に帰ってきただろ?」
曜「無傷で返ってきて!バカ。」
自然と笑みがこぼれた。
曜「帰ってきてくれて、ありがとう。」
雄飛「ああ、ただいま。」
曜「……おかえり。」
夜風が縁側を静かに吹き抜けていく。
恋人だからといって、特別な言葉はいらない。
こうして隣にいられること。
それだけで十分幸せだった。
---
翌朝――。
浦の星女学院。
久しぶりに十人がそろう部室。
誰もが少し元気がない。
そんな中、ダイヤが静かに立ち上がった。
ダイヤ「皆さん。」
「悔しい気持ちは、わたくしも同じです。」
「ですが、いつまでも立ち止まってはいられません。」
その言葉に、全員が顔を上げる。
ダイヤは一人ひとりを見渡した。
「わたくしたちには、まだ守るべき学校があります。」
「そして、まだやるべきことがあります。」
部室の空気が少しだけ変わった。
その時、先生が部室の扉をノックする。
「皆さんに、大事なお知らせがあります。」
十人は顔を見合わせた。
この知らせが、Aqoursの未来を大きく変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。
部室に入ってきた先生は、いつもより少しだけ表情が柔らかかった。
先生「みんな、お疲れさま。」
誰も返事をしない。
ラブライブ本選での敗退。
そして会場で起きた事件。
まだ全員の心には、その余韻が色濃く残っていた。
先生はそんな空気を感じ取るように、小さく頷く。
先生「今日は皆さんに、大事なお知らせがあります。」
その一言で、部室の空気が変わった。
ダイヤ「何でしょうか。」
先生は一枚の資料を机へ置く。
先生「正式に決まりました。」
「来年度より、浦の星女学院は男女共学へ移行します。」
一瞬、部室が静まり返る。
千歌「……え?」
ルビィ「きょ、共学?」
花丸「ほんとずら?」
善子「えっ、えぇぇぇ!?」
鞠莉は静かに微笑み、果南もほっと息を吐いた。
ダイヤは資料へ目を落とし、震える手でページをめくる。
そこには、共学化に伴う学校改革の概要が書かれていた。
先生「これに伴い、学校の存続も正式に決定しました。」
その言葉を聞いた瞬間だった。
千歌「……。」
大きな瞳から涙がこぼれ落ちる。
千歌「学校……なくならないんだ……。」
曜も笑顔になり、ルビィは花丸へ抱きつく。
ルビィ「やったぁ……!」
花丸「よかったずらぁ……!」
善子「ま、まあ当然よね! ヨハネの加護があったんだから!」
果南は苦笑しながら善子の頭を軽く叩く。
果南「素直に喜べばいいのに。」
鞠莉「Wonderful♪」
ダイヤは目を閉じ、小さく息を吐いた。
その表情は、どこか肩の荷が下りたようにも見える。
雄飛はそんな九人の姿を見つめ、小さく笑った。
ラブライブでは負けた。
でも、守りたかったものは守れた。
その事実だけで十分だった。
先生「ただし。」
再び部屋が静かになる。
先生「共学化は決まりましたが、新しい学校を作るのは皆さんです。」
「浦の星の伝統も、新しく入ってくる生徒も。」
「全部ひっくるめて、この学校を作っていかなければなりません。」
ダイヤが力強く頷く。
ダイヤ「もちろんです。」
千歌も涙を拭き、立ち上がった。
千歌「うん!」
「絶対、もっといい学校にしよう!」
「みんなで!」
「「「うん!」」」
部室に、久しぶりに笑顔が戻った。
その日の放課後。
屋上では、久しぶりに九人の笑い声が響いていた。
ダンスの確認をする果南。
歌いながらステップを踏む千歌と曜。
梨子はピアノアプリで次のアレンジを考え、ルビィと花丸はその隣で歌やダンスに関するメモを取る。
善子は一人ポーズを研究し、鞠莉が楽しそうに写真を撮っていた。
ダイヤはそんな全員を見守りながら、手帳へ今日の反省を書き込んでいる。
雄飛はストップウォッチを片手に、その様子を眺めていた。
(やっと、いつものAqoursだ。)
そう思った時だった。
千歌「ゆうくーん!」
雄飛「ん?」
千歌「ぼーっとしてないで!」
「ほら、タイム!」
「あ、悪い。」
千歌は少し頬を膨らませる。
千歌「今日,元気ないよ?」
雄飛「そんなことない。」
曜が横から割り込んでくる。
曜「無理してる。腕いたい?」
雄飛「……。」
曜「恋人には分かるんだから。」
その一言に、雄飛は苦笑した。
「敵わないな。」
曜は得意げに笑う。
「えへへ♪」
その様子を見ていた果南が笑う。
果南「相変わらずだね。」
鞠莉「ラブラブデース♪」
曜「もう、鞠莉ちゃん!」
部室に笑い声が響く。
ほんの少し前まで沈んでいた空気が嘘のようだった。
しかし――。
その頃。
遠く離れた北海道。
函館。
薄暗い倉庫の中で、一台の古いテレビが静かに映像を流していた。
画面には、数日前のニュース映像。
『ラブライブ本選会場で発生した妨害事件――』
制服姿の少年が映る。
左腕から血を流しながらも、警備員へ支えられて歩く姿。
その映像の下に、小さくテロップが表示される。
『吉田雄飛(17)』
男の目が細くなる。
煙草を灰皿へ押し付けながら、低く呟いた。
「……吉田、だと?」
隣にいた部下がテレビを見つめ、ゆっくりと頷く。
「間違いありません。」
「顔も……あの男にそっくりです。」
男はしばらく無言で画面を見つめていた。
やがて、口元が歪む。
「あの野郎の……息子か。」
低く、押し殺したような笑いが漏れる。
「なるほどな。」
「そういうことか。」
男はゆっくり立ち上がった。
「親父には散々やられた。」
そう呟きながら、もう一度テレビへ視線を向ける。
画面の中で、雄飛が走る。
その瞬間、男の表情がわずかに変わった。
「……あぁ?」
目を細める。
――函館の夜。
濡れた路面を滑るように駆け抜けた一台の車。
あの時、追い詰めたはずの相手が見せた、無駄のないライン取りと踏み込み。
脳裏に焼き付いて離れない、あの走り。
「……思い出した。」
低く呟く。
「親父と同じだ。」
いや、忘れるはずがない。
あの夜、函館で見た走り。
そして今、画面に映るガキの顔。
苗字も、顔も、走りも――全部が繋がる。
男は小さく笑った。
「なるほどな……。」
「そういうことか。」
ゆっくりと煙草を口にくわえ、火をつける。
煙を吐きながら、低く呟いた。
「函館の夜、暗くてわかりにくかったが、どこかで見たことあると思ってたんだ。」
その声には、苛立ちと、どこか楽しむような響きが混じっていた。
「なら今度は――。」
画面に映る雄飛を見つめ、不敵に笑う。
「息子に借りを返してもらおうじゃねぇか。」
静かな倉庫に、その笑い声だけが不気味に響いていた。