ルシファー「ここが、闇の剣がある世界か」
リョウ「そうや。一応言っとくんやけど、気を緩めたら駄目よ。心を狂気に呑まれるで」
闇の剣、ティルフィングを求めてルシファーはリョウと共に異世界へと訪れていた。
世界と世界の境界線を軽々と越える光の扉を潜り抜けると、暖かな光に包まれた天界とは異なる、暗澹とした世界が広がっていた。
出てきた場所は、人や光が溢れるものとは乖離した廃墟はがりが立ち並ぶ都市。
50メートルは優に越えるビル郡が櫛比しているあたり、栄えた都市だったのだろう。
シェオルとは比較にならぬ天と地の差もある光景を目の当たりにし、早くも郷愁に駆られるが、かなぐり捨てる。
そうでもしなければ、理想の未来へと辿り着くことは叶わない。
人や生物の気配が一切感じとることがない一面灰色の世界は、終焉を迎えたのだろうかと思っていたルシファーの心情を読むかのようにリョウが口を開いた。
リョウ「この世界は数年前までは平和な世界やったんよ。争いもない、魔法とかが空想でしか描かれていない現実世界にも似た平和な世界。ある意味ルシファーが望んでいる世界とも言えるかもな。でも、そんな平穏は一瞬にして崩れ去った」
表情を変えることなくリョウはこの世界に訪れた結末を語り始めた。
リョウ「ティルフィングを持った奴が現れて、そいつによって世界は滅ぼされた」
~~~~~
突如、人が栄えるこの都市の雲一つない晴天の空に亀裂が走り、亜空間が口を開いた。
科学では証明仕切れない常軌を逸する謎に満ちた現象に戸惑いを隠し切れず空を見上げることしかできない群衆目掛け、亜空間の入り口から何者かが落下した。
正確には舞い降りたと言うべきだが、着地の衝撃により地面が罅割れ派手に吹き飛び、亜空間を見に来た野次馬や歩行者をも巻き込んだ。
周囲にいた人々は手で払われた埃のように吹き飛び、石の礫と化した地面や吹き飛ばされた乗用車が容赦なく人々に降り注ぎ、原型も保たれないまま潰された者が続出する。
日常は一瞬にして非日常となった。
乗用車が薙ぎ倒され、負傷者が苦痛に満ちた救済の声を求める地獄のような惨憺たる光景の中で、一人狂気に染まった笑みを浮かべる者がいた。
この凄惨な有り様に気が狂った訳ではなく、本心から表れる笑み。
平穏な世界が地獄へと変貌していくことが快楽でしかない。
常人であれば先ず生まれることのない感情。
心の行くままに遊戯として楽しんでいるその人物は、着地により生成されたクレーターから這い出るように歩き群衆の前に姿を露にした。
男ならば誰もが二度見はするであろう美女。
幼い顔立ちをしながらも凛々しくもある顔立ちには似つかわしくない狂気の笑みを浮かべ、手にした漆黒の禍々しい剣を横に一閃した。
瞬間、周囲が爆ぜた。
放たれた強大で膨大、この世界の技術力では抗いようのない力により、建物も人も蹴散らされていく。
訳も分からず人々は逃げ惑うことしか選択肢は与えられなかった。
悲鳴や怒声、怨嗟が跋扈する地獄は、数時間にしてこの世界全てを包み込んだ。
遥か昔から培ってきた技術を束ね矛先を突如現れた謎の美女に向けた。
誰もが一縷の望みを持ち挑んだが、願いは虚しく散る結果に終わった。
未知の力に抵抗する暇すらなく、圧倒的な武力により一方的に蹂躙され、畏怖の念に包まれ文明は一夜にして滅んだ。
~~~~~
端的にこの世界に起きた滅びの一部始終を聞き終えたルシファーは息を呑む。
剣に認められた女性の実力があるのも勿論なのだが、一夜にして世界を終焉へと導いたティルフィングの悍ましい力に改めて脅威だと思わざるを得なかった。
リョウ「その世界の技術力では対抗出来なかったのは確かやけど、それでも身震いするくらいヤバい代物なんよ。伝説の剣ってのは。どうする?引き返すなら今のうちやで」
これから始まるであろう命が散るかもしれぬ激戦を可能であれば避けてほしかったのか、身の心配をする声を掛けるあたりリョウの優しさが滲み出ている。
話を誘っておいてなんだが、一つしかない命を本来なら関与する筈のない異世界で散らすような事態は極力避けたかったのだ。
しかしルシファーの意志は固く、変化することなど有り得なかった。
ルシファー「ここまで来ておいて引く手段を選択したりするか。どれだけ手強い相手だろうと、粉骨砕身の勢いで挑むだけだ」
リョウ「やっぱり変えるつもりはないよな。ほんなら行こうかね」
ルシファー「温情には感謝しても仕切れないが、つくづく貴様は甘いな。普通ならば時空防衛局でもないというのに。異世界を渡ってでも尽力してくれる輩はそういないぞ」
リョウ「自分でもお人好しだってことは分かっとるわいね。でも、前に世話になったから助けになりたいのは本音や。それに、罪滅ぼしでもある」
ルシファー「……ゼルエルの件か。水に流せと言った筈だ」
リョウ「生まれながらにしての友を、わし達は奪ってしまった。其方が罪を許しても、関係者であるわしは自分を許すことなんて到底できへんのよ。お前自身、正直未だに心にわだかまりがあるんやろ?」
ルシファー「ない、とは言い切れない。ゼルエルを殺した、ミュオという少女だったか?意志がなく操られていた状態の者を責め立てても仕方がない。どうしようもないことだからな」
リョウ「………すまない」
ルシファー「謝罪の言葉だけは受け取っておく。俺は貴様達の存在を許しはしないが、恨み憎むこともしないし、罪滅ぼしのために俺に付き従え等という貪欲を抱くこともない。憎悪を抱けば、新たな憎悪を生むこととなる。負の感情をぶつければ己の心だけでなく相手の心まで負の感情に染め上げ、負の連鎖を繰り返す。時には誰かが歯を食い縛り負の連鎖を断ち切らなければならない。それが今回俺だっただけだ」
一人の旧知の友を失った悲しみは消えることはない。
感情を獣の様にさらけ出して良いものならば、当時のルシファーは気が済むまで周囲の目もくれず暴れ狂っていたかもしれない。
しかし彼は己の感情を押し殺し、天使としての道から外れることのない正しく在り続ける姿勢を取った。
感情が怒りや悲しみが混濁したが、憎悪に蝕まれ復讐にひた走るのは悪の道へと片足を踏み入れることと道理。
散華したゼルエルも道を踏み外す行為を望んではいないと自分に言い聞かせ、再度悪魔との戦いに身を投じた。
しかし時が経過し、天使と悪魔の抗争が激化していったことにより焦りが生じたのか、より良い世界を作り上げるため、力を求めて心の隙を作ってしまった。
それが悪魔に漬け込まれることになったことにルシファーは気付く由もない。
暫く歩き続けた先に、大きく開けた場所に出てきた。
都内にある公園だったのだろうか、滑り台やブランコ等の遊具の残骸が地面に転がっている。
公園とは言い難い荒廃した場所の中央に大きめの噴水があった。
当然ながら水は噴き出しておらず、年数が経ち底が見えなくなるまで濁りきった水だけが残っている。
?「やっと来たわね、異世界からの侵入者」
二人の存在に既に気付いており待ち伏せていたのか、噴水の上に座る女性は来訪を喜ぶかのように口角を僅かに上げた。
胸や肩、腕に漆黒の甲冑を付け、白色のシャツに太腿まであるロングブーツを履いた灰色の髪をした女性。
幼さの残る顔立ちながらも、凛々しくも禍々しく闇に染まりきった瑠璃色の瞳は逃がすまいと言わんばかりに真っ直ぐに二人を睥睨している。
ルシファー「貴様か。この世界を終焉に導いた剣の毒に犯された極悪人は」
?「出会って早々痛罵を飛ばすなんてどんな教育してんのかしら。うざったい…」
悪罵にも取れる言葉に女性は気だるそうに溜め息を漏らした。
?「それで、愚問かもしれないけれど何しにここに来たのかしら?」
ルシファー「貴様が所持している闇の剣を我が物にしたいと思いこの世界に来た。良ければその剣を譲り渡してはくれないか?」
?「……あんた本気で言ってるの?私が素直にはいどうぞって渡すと思ってる?」
ルシファー「無駄な争いをしないためにも穏便に済ませようとしたまでだ」
?「頭沸いてんじゃないの?甘く見られたものね…!」
青筋が浮かぶと同時に、女性の体から黒い瘴気が溢れ出す。
足の爪先から頭の毛の先まで寒気に似た感覚が襲った。
悪魔と戦う時とは比にならない、比べようがない程にまで強大にして悍ましい、純粋な闇。
心までもが闇一色に染められ、光という輝かしい存在を塗り潰して上書きされても不思議ではないと肌で実感できる。
?「和平交渉を応じる平和主義な坊っちゃんが使えるような代物じゃないのよ。闇ってのはね、希望とか夢とか、そういう光が一切ない負の存在。好き好んで呑まれる奴なんて自分という存在や自分の運命に絶望仕切った人達でしょうね。私もそうだったからね。あんたはどう?闇に踏み込むような事柄に触れたことはあるのかしら?」
ルシファー「ない。俺は自らに絶望する小心者ではない。俺は自ら望んで闇を求めている。俺の望みを叶えるためならば、闇すらも使いこなしてみせよう」
?「戯れ言を。闇は全てを呑み込む。光ある存在すら、少しの隙さえあれば抉じ開け侵食していく。私ですら、こんな風に闇に染められたんだし。闇に染められてると分かっててあらゆる世界の文明を意味もなく自らの快楽だけで壊滅していってるから、私は終わってるかもしれないけどね」
ルシファー「隙自語は聞きたいわけではない。率直にどうするか述べろ」
?「うざったい。…これが答えよ」
女性の鋭い視線がより一層鋭くなった刹那、紫色の一筋の閃光が光速で放たれた。
目に捉えることすら容易ではない不意を突くような一撃をルシファーは手刀で凪払った。
?「あんたうざったい。話をするだけ無意味だし、殺させてもらうわ」
ルシファー「野蛮な奴だ…でなければ幾つもの世界を破滅に追い込みはしないか」
リョウ「心を闇に呑まれとるから、人の奥底に眠る悪意や本能に従っとるんよ。本来エニュオはあんな感じの女性ではなかったんやけど…剣の毒とも言えるんかね、恐ろしいもんやわ」
エニュオ「へえ、私の名前知ってるのね。私はあんたのことは知らないけど、私が滅ぼした世界の生き残りの死に損ないかしら?それともストーカーとかいう変態かしら?」
リョウ「残念やけどどちらもハズレじゃ。時空防衛局のデータの中にある最重要危険人物の中に含まれたから知ってるだけや。『殺戮の女神』の異名を持つ戦士、エニュオ。元は世界を守護する組織に属する優秀な衛兵で、実力はその世界では頂点に君臨していた」
エニュオ「やっぱりストーカーなんじゃないの?気色悪いから視界から消えてほしいわ」
リョウ「言ってろ小娘が。視界から消えることにはなると思うで」
エニュオ「ふーん…私が死ぬから私の視界には映らなくなるってことね」
リョウ「大正解。危険人物は排除せなあかんからなあ」
エニュオ「時空防衛局の人間がそんな横暴をするのが許されるのかしら?」
リョウ「勘違いしとるみたいやけど、わしは時空防衛局の人間やないで。ただ協力関係にあるってだけや。『世界の監視者』って言えば分かるんやないか?」
エニュオ「へえ、あんたが有名な『世界の監視者』ね。面白いわね。そんな大物と殺り合えるなんて。あんたを殺せば私の名声も博することになりそうね」
リョウ「…ホンマ悲しいもんやな。剣の毒に染められただけでここまで豹変するもんなんやな」
エニュオの過去を資料で僅かに見ただけであったが、彼女の変貌振りを知ると改めて伝説の剣が如何に恐ろしい代物なのかを痛感させられる。
~~~~~
本来、エニュオという人間は争いを好まない穏やかな性格だった。
しかし有無を問わず戦わざるを得なくなってしまった。
エニュオのいた世界では魔物が蔓延る平穏とは程遠い日常が流れていた。
いつ何時魔物が現れ居住区を襲うか分からない恐怖を抱えながら過ごす毎日に、心は押し潰されそうになる。
食料調達も儘ならない過酷な環境下ではあったが、家族や友人、居住区に住む人々の支えが彼女の心に温もりを与えた。
苦楽を共にする大事な存在がいるだけで、どのような状況でも乗り越えられる。
そう思っていたのだが、ある日居住区の周囲を覆い囲んでいた防御壁が決壊し、魔物が侵入してきた。
居住区を守護する戦士達の奮闘むなしく、対抗策を持たぬ一般人は次々に魔物達の餌食となっていき、エニュオの両親もその内に含まれた。
両親の決死の決断により物陰に隠されたエニュオは魔物の急襲を生き延びた唯一の生存者となり、後に組織の人間に保護された。
辛くも楽しくもあった日々は一瞬で壊された。
住む場所を失い、大切な人達を失い、悲しみに暮れていたが、他の感情の方が強く溢れ心を満たした。
魔物に対する怒りと憎悪。
全てを奪い去った魔物に復讐を決意したエニュオは血の滲むような努力を積み重ね組織に入り、魔物との戦いに身を投じた。
エニュオの成長振りは凄まじく、戦いの中で成長していき、成果は百戦百勝とも言える組織の中でも指折りの実力者と成り上がっていく。
しかし組織の人々はエニュオを恐れてもいた。
彼女の戦闘時に見せる顔は、穏やかな性格には似つかわしくない憤怒に染まり、修羅を思わせる精悍なものへと様変わりする。
正に豹変という言葉が当てはまる鬼神と化したエニュオの殺戮は他の戦闘員達をも震え上がらせるほど。
戦闘時にしか表に出ぬ狂気を恐れていたのは組織の人達は勿論だが、当の本人が一番困惑し恐れを抱いていた。
まるで見知らぬ誰かが憑依したかのような錯覚に陥っているエニュオ本人も、自分の心に根付いた憤怒や憎悪を含んだ復讐の念が突き動かしていることに気付くこはない。
しかしいつの日か、魔物の脅威に対する力として自身の内に秘める狂気を認め行使し始めた。
大切なものを全て奪い尽くした魔物を狩り殺し滅びの道を歩ませられるのであれば、何でも有用する。
人であろうと力であろうと、何でも。
周囲からの奇異の目で見られていることにも気にせず魔物を一心不乱に狩り続けていたある日のこと。
エニュオを含んだ四人のパーティで行動をしていたのだが、前例のない巨大で強力な個体が現れ、苦戦を強いられる戦いとなった。
実力の差は歴然で、戦況は一瞬で魔物の方へと傾いた。
エニュオ以外の三人は喰い殺され、エニュオ本人も致命傷には至らぬものの大きなダメージを負ってしまい、命からがら逃走を果たすのがやっとだった。
命の危機を初めて実感し、焦りと不安が募ってはいたが、幾つもの困難を超克してきたエニュオには諦めるという文字は辞書には乗ってはいない。
ただ只管に、我武者羅に、己の命が燃え尽きるまで走り続けた。
───死ぬわけにはいかない。大切なものを根刮ぎ奪っていったあいつらを殺し尽くすまでは。
必ず復讐を遂げるまでは、力尽きるわけにはいかない。
傷だらけの体を突き動かす原動力となっているのは執念だろう。
どれだけ心が折れようが刻苦精進してこれたのは間違いなく、現に満身創痍でありながらも生きることを諦めてはいない。
生きている限り、復讐という名の炎は心の中で燃え滾っている。
死に物狂いに走り続けてどれ程の時間が経過したのだろうか。
一時間か二時間か、それ以上なのか本人に分かる筈もなく、魔物の目を眩ませるために森林内を駆け抜け、偶然視界に入った洞窟に身を潜めた。
入り口は人一人が入れる程度の大きさしかなく、極力物音を立てない限りは魔物に発見されることのない、エニュオにとっての安全地帯となっていた。
人や生物の気配すら感じない暗闇と沈黙が支配する空間は、一時の安らぎを与えた。
周囲の安全確認を怠らず行い、応急措置を済ませ少しでも傷の回復を早めるために仮眠を取ることにした。
死んだかのように熟睡し、夢の世界へと誘われた。
夢の中でエニュオは何もない漆黒の空間に佇んでいた。
夢現の狭間にいるような不思議な感覚に陥っている最中、空間全体に響く声が聞こえた。
『汝、何を欲する?』
耳奥を刺激し、脳内にまで響く低い声。
一体何者が自分に問いかけているのかは不明で、何処から声を発しているかも不明。
不信感を募らせるも、エニュオは自然と謎の声の問いに対し応える。
エニュオ「私が欲しいのは、戦う力。あいつらを滅ぼす、圧倒的な力…!」
自分が今一番欲している、魔物を滅ぼす最良の手段となるものを応えた。
意志疎通が叶わない人間を無差別に殺戮する異形の存在に対抗するためのものは、圧倒的な力。
姑息だと思われても構わない。
奴等を根絶やしに出来るのであればどんな手段を用いる。
『何のために力を欲する?』
エニュオ「決まっているわ。私の家族を、友人を、大切な人達と過ごしたあの場所を奪い去った魔物を一匹残らず殺し尽くすこと…!」
言葉を連なる間に脳内に蘇る思い出したくもないが忘れ去ってはならない記憶が映写機のように脳内に流れる。
大切な人達が恐怖に引き攣った表情で凄惨に食われていく様。
組織で知り合った親しい者達が抵抗虚しく体を引き裂かれていく様。
魔物により住む場所を奪われ、力無き人々が阿鼻叫喚を上げる地獄と呼ぶに相応しい惨状。
目を背けたくなる惨たらしい現実。
自分達の幸福を奪った敵を葬れるのであれば例外なく利用してやる。
特別な有効手段が無い以上実力行使しかない現状、藁にも縋る思いというのもある。
『私怨か。感情が荒れ自我を保てなくなる、若い証拠だ。余程苦境な日々を送ってきたのだろう』
高潔で温厚なエニュオだが、魔物の事となると豹変することを話してもいないのに言い当て、柳眉を逆立てるエニュオを嘲笑うかのように述べる。
『自我を捨ててでも、やり切れる自信は汝にはあるか?』
エニュオ「愚問ね。当たり前よ」
『あらゆる犠牲を払ってもか?自身のことに関与することであってもか?』
エニュオ「勿論よ。この魂を悪魔に売ってでも、私は奴等を倒す力を手にして、奴等を滅ぼす」
自身のことなど最早どうでもいいという自暴自棄に近い考えを持つ程にまでエニュオの憎悪は高まっていた。
自身の未来を、訪れる幸福をかなぐり捨ててでも果たす。
人からすれば、異常とも呼べる狂気だろう。
『汝の激情、利用する価値は大いにある。汝も我を利用してみよ』
エニュオ「どういう意味?」
『現にて分かる。汝の野望を果たすために、我を利用してみせよ。汝には我を使いこなす才能があると見込んだ』
謎の声の発言の意味も意図も不明瞭なまま、意識が薄れていった。
気が付いた時には、身を潜めた洞窟の中。
狭い入り口から僅かに光が差し込むだけの暗闇が広がる岩の天井が視界に映る。
先程見たことは夢だったのだろうが、現実で起きたかのような妙な感覚に陥っていた。
自分が現状の窮地を脱するための渇望が夢となってしまったのだろうと言い聞かせた。
何時までも狭苦しい洞窟に身を潜めていては現状は変化はないため、自分がいる位置を確認するためにも高台を目指すことにした。
睡眠を取ったことにより多少回復した体を動かし洞窟の外へ出た。
エニュオ「え……こ、これは…」
洞窟の外には先程まで無かった物が確かに存在している。
木々が生い茂る自然の中には似つかわしくないそれは、一本の剣。
禍々しくどんよりと重い雰囲気を放つ漆黒の剣が無造作に地面に突き刺さっている不自然さがより一層不気味に感じてしまう。
近寄り難い重苦しい雰囲気は人間に限らずあらゆる生命すら拒絶しているようで、実際周囲に獣や鳥、虫までの気配すら感じ取れない。
エニュオ「あなたが、私を呼んだのよね?」
問いかけるも応えるものはいない。
しかしエニュオには分かった。
眠っている間に聞こえた声は夢ではないと。
剣が意思を持っているなどとは到底考えられないが、何故だか受け入れてしまう自分が不思議でならない。
ただ戦う力欲しさが生んだ幻覚ではないのかと疑念が生まれるかもしれないが、魔物を滅ぼすことに執着し、圧倒的な力を渇望していたエニュオからすれば得体の知れない謎ばかりが深まる物であったしても、己の力になるのであれば受け入れられてしまう。
欲しているとは言え、恐る恐ると言った様子で漆黒の剣に手を伸ばすと、荒く激しい物音が森を掻き乱した。
その音は徐々に接近してくるにつれ音の発信源が理解出来た。
エニュオ「魔物……!?」
地面を揺らし木々を薙ぎ倒す力の持ち主は十中八九魔物であろう。
未だ傷が癒えていない体に加え、装備も不十分なエニュオに勝ち目はない。
目の前にある剣がなければ、だが。
エニュオ「私が復讐を果たすその時まででいい!私の体、精神、魂、何だってくれてやるから…お願い、私に力を貸して!」
その場凌ぎなどとは思っていない。
世界に蔓延る全ての魔物を滅ぼすまで命の炎を燃やし尽くす覚悟を持っている。
例え自分自身を失おうとも、戦い続ける。
悲哀と憤怒の混濁した復讐心を胸に、剣の柄を力強く掴む。
瞬間、体に何かが流れ込んでくるような感覚に襲われた。
視界が黒一色で染められ、周囲の物音が消え去り世界に自分だけしかいないような錯覚を覚える。
呼吸が乱れ、立っていられなくなり地面に膝を着くも、柄を掴んだ手は離すことはなかった。
エニュオ(苦しい…!でも、それ以上に…憎い!)
心の内に溜め込んでいたものが泉の源泉のように溢れ出してくる。
家族や知人を失った消えることのない悲しみ。
大切な人達を根こそぎ奪っていった魔物に対しての激しい怒りと憎しみ。
喜びという感情が生み出される訳もないが、沸き上がるのはあらゆる負の感情。
激しい憎悪に心が蝕まれ、負の感情という名の闇が侵食してくる。
エニュオ「殺してやる…私の、全てを奪い去る者は全て!」
膨れ上がった闇が弾けた。
体全体から黒いオーラを放ちながらゆっくりと立ち上がり、地に刺さった剣を静かに引き抜いた。
木々を薙ぎ倒しながら現れた巨体を持つ魔物は、間違いなく先程相対した、仲間を皆殺しにした憎き存在。
魔物は足下にいる弱く貧弱な人間という種族を軽視すると、岩石のように堅牢な拳を振り上げ、力任せに振り下ろした。
エニュオは回避する余裕などなかった。
否、必要なかった。
振り下ろされる筈だった腕は千切れ、血飛沫を撒き散らせながら宙を舞っていった。
魔物はあまりにも一瞬の出来事に何が起きたのか頭の整理が追い付かず、数秒経過して漸く自身の腕が斬られたことに気付き、斬られたことへの衝撃と激痛に耐え兼ねず悲鳴を上げた。
天に向け森に木霊する金切り声に近い絶叫を張り上げる。
エニュオ「ピーピー喚くな、下等生物」
低く冷たい声で呟きながらの剣の一閃。
その一閃だけで、魔物の首は胴から離れ、血飛沫を散らしながら宙を舞う。
何が起こったのか分からぬまま、魔物の視界は徐々に暗転していき、黄泉の世界へと旅立った。
エニュオ「………ティルフィング?それがあなたの名前…?」
ふと脳裏に剣の名称が過った。
誰かが教えた訳でもないが、自然と剣の名前が口に出た。
エニュオ「………ふ、ふふふ…素晴らしい力だわ…!」
笑いを堪えることなど出来なかった。
日々命を掛けて狩っていた魔物を、況してや複数人でも勝つことすら叶わなかった巨体を持つ相手をたった数秒で葬ることができた。
予想を凌駕する凄まじい力が我が物となり気分が高揚する。
憎き魔物を殲滅することが本当に可能となる一筋の光明を利用しない手はない。
エニュオ「この力で、奴等を皆殺しにしてやるわ…!」
一方的に圧倒し魔物を狩る高揚感と同時に、憤怒や憎悪をも膨れ上がる。
全ての魔物を狩り尽くすまで、沸き上がる負の感情は鎮まることはない。
狂気にも似た執念と殺意を宿した瞳が前を向く。
世界に蔓延る全ての魔物を葬るため、殺戮の道へと歩みを進め始めた。
~~~~~
数ヶ月と経過しない内に、世界はたった一人の少女により急転した。
エニュオが通った場所からは魔物の存在は完全に消失しており、長年人類が夢を見続けてきた、魔物に襲撃される恐怖に怯えることのない、本来の静けさに満ち溢れる平和。
英雄を気取るつもりはなかったが、エニュオは魔物を狩り人々が自由に過ごす日常が僅かながら戻りつつあることに愉悦し、自身は特殊な力を持つ存在だと改めて感じ、人々の平和のために感情を剥き出しにして更に魔物を狩る頻度が上昇した。
しかし一心不乱に魔物を貪り尽くす彼女の姿は凄惨なもので、人々に恐怖を与えていった。
例え傷だらけになろうが、血反吐を吐きながらも、狂気に呑まれ獣のように戦い続けるエニュオの姿は人々の目から見れば到底救世主とは程遠いもの。
いつしか人々の間に流言蜚語が溢れ始めた。
彼女は新たな魔物ではないのか。
魔物を滅ぼした後は人間を滅ぼす。
ありもしない噂だが、吹聴され広まった噂は消えることなく人々に植え付けられ、いつしかエニュオは魔物以上に危険な存在として認識されるようになった。
更には魔物との戦闘の際に出てしまった建造物の破損や人的被害もエニュオのせいだと槍玉に挙げられる始末。
大切なものを根刮ぎ奪った魔物を滅ぼしたかっただけなのに何故自分が追われる身となったのかエニュオは理解に苦しみ嘆いた。
エニュオ「どうして…私は、ただ復讐を果たしたいだけなのに…。どうして…どうして…どうして………?」
ティルフィングの力は膨大で凄まじく、戦闘を行うだけで周囲に甚大な被害を及ぼすので、人々からは罵詈雑言が飛び交うのも無理もないこと。
詫びをしなければならないところだが、その選択は浮かぶことはなかった。
エニュオ「…もう一般人の意見なんて知ったことはないわ。私は、私のやりたいようにやる。邪魔する奴がいれば蹴散らせばいい」
普段の戦闘を行わないエニュオの性格ならば絶対に思うことのない殺伐とした思想は、ティルフィングによる影響だとエニュオ本人は知る由もない。
ティルフィングの影響によりエニュオの思想は徐々に邪悪なものに変化しており、心を満たす憤怒、悲哀、憎悪を引き出し増幅させていく。
自分を敵対視する人間を魔物同様に殲滅する存在として捉え、エニュオの進撃は続いた。
危険分子だと吠え始末しようと武器を構えてくる者には容赦なくティルフィングを振るい命を奪った。
負の感情と狂気に呑まれたエニュオは人の命を奪うことに躊躇はなかった。
当然だが大量殺戮を行ったエニュオを犯罪者として扱われることになり、政府や長年所属していた組織からも目を付けられる事態にまで発展した。
国家に追われようが、エニュオは降伏することなく向かい来る者は誰であろうと容赦はなく、戦った者は皆剣の錆へと変わり果てた。
一年が経過した頃には、エニュオは世界中の人間を皆殺しにしていた。
いつの頃からか魔物に限らず出会い頭に会う人間も問答無用に辻斬りで首を跳ねていった。
女も子供も、老若男女関係無しに。
道徳から乖離した暴虐な殺戮を行った現在のエニュオからは、以前の穏やかな性格は完全に消失してしまっている。
組織に所属していた頃の穏やかな性格があったと説明しても、誰もが懐疑の念を抱くだろう。
魔物が存在しない世界が漸く訪れた。
長年の夢が成就した。
だが、心は晴れることはなかった。
人生の全てを掛けて為そうとしてきた偉業が達成され、歓喜すると思っていたのだが、心に残ったのは喪失感。
エニュオ「以外と、やりたいことが終わると何も感じなくなるものね…。まだ、私は物足りない…まだ…」
このまま何もせず、誰一人として残っていない世界で老いて死ぬだけなのか。
それだけで終わっていい筈がない。
喪失感はあるが未だに残り続けている、殺戮を繰り返す内に生まれてしまった、命を狩りたくなる衝動がエニュオの心の隙間にある喪失感を埋めようとしている。
エニュオ「ティルフィング…私は、まだ物足りないわ。満たされない心を…埋めてくれないかしら?」
エニュオの心に呼応するかのようにティルフィングは禍々しく淡い黒色の輝きを放つと、目の前の何もない空虚に亀裂が走り、亜空間の入り口が口を開いた。
予想外の出来事に目を丸くしていたが、何なのか理解したエニュオはティルフィングが授けてくれた望外の結果に口角を上げる。
エニュオ「感謝するわティルフィング。私を満たしてくれるために、これからも宜しく」
愛する子を愛でるようにティルフィングの刀身を撫でながら、異界へ通じる亀裂の中へと身を投じた。
知的生命体の済まぬ荒廃した世界へと塗り替えた自身の生まれ育った世界を捨て、茫洋たる世界へと歩みを進めた。
以降、あらゆる世界でも殺戮が繰り返される。
自身の心を蝕み未だに溢れる負の感情を消し去り、心を埋めるために。