山の向こうから太陽が顔を覗かせる辺りで、この村は目覚め始める。
クワを携えた農民が畑へと向かい、家畜たちはけたたましく朝の訪れを辺りへと知らせ。 木こりは山へ、老人は竿を片手に川へと歩みを進める。
各々が平穏な、代わり映えのしない日常を始めようとしていた。
その少女に最初に気がついたのは、魚釣りが日課となっている老人であった。
「お嬢さんや、どうした? こんな処でなにやっとる?」
見慣れない服装に、これまた珍しい黒色の頭髪。 そんな村で見たことがない少女が川のほとりで一人泣いているのだから、老人が声をかけた事も納得がいく。
「森で迷いでもなさったか?」
「bbfs@bw@rt? 3k、b;bsf@z4d@wjr?」
「あー、すまんの。 近頃耳が遠くなったみたいでの、もう一回言ってくれるか?」
「q@/q@3…… q2@yz4d@wue、0qd、s@4d94」
しかし、少女の口から紡がれる言葉はどれも老人の耳に馴染まない、未知の言語であった。
それにどうやら少女の方にも老人の言葉の意味が通じていないようで、その頬を伝う涙は勢いを増すばかりである。
「6t3xy……」
「こりゃあ、面倒くさいことに首突っ込んじまったかのう……」
窓から差し込む光が瞼をさした。 目覚めの気分は最悪だ。
頭いてえ、吐き気が酷い。 調子に乗って飲み過ぎたかもしれない。 とうに朝を過ぎて昼になっているようだ。 しかし、今日は別に用事があるわけじゃなし。
もっかい眠ろう。
そう思って再び瞼を閉じたとき、部屋の扉が突然開かれた。
「ヘイ! 起きろ起きろ傷心少年! 村長がお前を呼んでっぞ! ホラホラ早く起きろってトーフ!」
「ハーイ…… モーブさんや、俺は今体調が悪いから行けないって伝えておいてくれよ。 ついでにお水をコップ一杯持ってきてくれ」
うるさい奴が入ってきた。 姿なんて見なくても声だけでわかる。
「どーせ二日酔いだろ! 分かる、分かるぜ! 俺も今朝から頭がスゲー痛えからな!」
カラカラと笑うモーブ。 実に元気そうだ、とても言葉通りの体調とは思えない。
「えー、それ今じゃ無いといけないのか? 冗談抜きに頭痛いんだけど」
「できればすぐにって感じだったな!」
「さいでっか…… あー、すぐ行くって伝えといて」
「あいよ-! ……二度寝、するなよ?」
そう言い残して部屋から出て行くモーブ。 流石長年の兄弟、しっかり見抜いてやがる。
「あーあ、めんどくせえなあ」
一人愚痴をこぼしながら身支度を整えていく。
顔を洗い、寝間着から普段着へ。 そして壁へと立てかけておいた剣へと手にして…… 再び戻した。
もうコレは持ち歩かなくていいんだった。
そうこうして、最低限の身だしなみで部屋を出るとすぐ目の前にモーブが立っていた。
「おっ、二度寝しなかったな?」
「おう。 さっさと終わらせて寝ることにする」
「体に悪そうだな! あっそうだ! 俺と一緒に屋根の修理しよう! 健康的だし、母さんも喜ぶぞ!」
「母さんには喜んで欲しいけどね、この体調で屋根の上なんて上がりたくはないさ」
適当な会話をしながらギシギシと音の鳴る階段を降りていく。
この家も随分と古くなったなあ、俺が入った頃はまだもう少しマシだったと思うけど。
「貯金崩して、この家のリフォーム依頼だしてみるかな……」
「お? なんか言ったか、トーフ?」
「いや、何でも無い。 それよか、母さんは? リビング?」
「朝早くから出かけてるみたいだな! はは、俺が起きたときにはもういなかった」
「ふーん」
他愛も無い会話をしながら外へ出て、この村の外れの我が家から村の中央に構える村長宅へと向かう。
道すがら久しぶりだなと声をかけてくれるご近所の方々へ挨拶を交わていると、帰ってきたんだなあとしみじみ実感する。
「おっ、本当に帰ってきたんだな! 向こうで女でも作ってるかと思ってたぞ!」
「はは…… 生憎そんな事は無かったすね」
ピンポイントで地雷を踏んで来やがったおっさんには乾いた笑いしか出てこないが。 隣で大笑いをしているモーブは後で殴ってやろう。
そうこうしているうちに村長宅に辿り着いた。 相変わらず綺麗に整えられた庭を進み、入り口の戸を叩く。
少しの間を置いて久しぶりの村長が笑顔で出迎えてくれた。
「おー、大きくなったなあ。 ただ寝坊癖はまだ直ってないのは残念だなあ」
「開口一番それですか、お久しぶりです。 ちゃんと無事に帰ってきましたよ」
「まあ、居間で待っててくれや。 茶を持ってってやるから」
「そんな、構わないでくださいよ」
昔と変わらぬ村長とのやりとり。 ああ、懐かしい。
「まあまあ、ついでに面倒事も押しつけてやるつもりだから遠慮すんな」
「ちゃんと茶菓子も持ってきて下さい」
本当、変わらないなクソじじい。
「んじゃ、じっちゃん俺は先帰るな!」
「おー、呼んできてくれて助かったぞ」
「えー、モーブも残ってくれよー、俺だけに面倒押しつけんなよなー」
「悪い! 俺いても役にたてねーんだわ! 頑張れよートーフ」
なんだそれ、訳わからん。
それだけ言って本当に帰ってしまったモーブの背中を見送り、居間へと足を進める。
勝手知ったるなんたるや、子供の頃さんざん遊びに来ていたこの家だけど、昔と比べていくつか入れ替わっている家具が少し寂しい。
でも8割方は昔のままだ。 相変わらず立て付けの悪い居間の扉を開いて中へ進む。
中央の大きなテーブルも、無駄に大きな姿見も、壁に取り付けられた棚も変わっていない。 懐かしい。
俺がいつも座っていたのは大きなテーブルの向かって右側中央、そこが俺の指定席。
だったんだけどなあ……
「あっ、どうも。 初めまして」
俺の席にはなんか知らない人がいた。
黒髪黒目の、どこか懐かしい…… しいて言うなら日本人っぽい見た目の女の子が。 なんか、すげー私落ち込んでますって雰囲気が纏わり付いてる。
俺のいない間に新しく越してきた人だろうか? 少なくとも俺は見たこと無い。
『こんにちは』
「ああ、はいこんにちは」
『私の言葉…… 通じて…… ませんよね……』
「え? 急に何言ってんですか、ちゃんと通じてますよ?」
『ああ、もうヤダ…… 家に帰りたい…… お母さん、お父さん……』
「え、ちょっ、どうしたの!?」
急に泣き出してしまった女の子。 やべえ、訳がわかんねえ。 話も通じてねえ。
「ふーむ。 トーフでもわからんか……」
「うわっ! ビックリした、いつの間に後ろにいたんですか村長」
「今着いたとこだわい。 ふむ、今日な、お前を呼んだのはこの娘についてなんだ」
「はあ」
「今朝リルのじっちゃんが川辺で泣いてるその娘を見つけてなあ、話を聞こうにも今の通りだ。 はあ…… 冒険者として街に行っていたトーフならもしかして__ と思ったんだがなあ」
冒険者を精神科医と間違えてんじゃねえのかこのじじい。
「ポリフさんには診せたんですか? 俺よりよっぽど適任だと思いますけど」
ポリフさんとは、この村唯一のお医者様だ。 精神科医という訳ではないけど、今言った言葉の通り俺よりかは確実に医学に通じてるだろう。
「うん、一番最初に来てもらった」
「あ、はい」
ダメだったんですね。 はい。
『ミライちゃんに…… 会いたいよ……』
俺たちの事なんて目に入っていないようで、女の子はずっと俯いて小さく繰り返している。 ミライちゃん? 家族の名前か?
『もうやだあ…… やっぱり家に引きこもってればよかった…… どうして私夜中にコンビニになんか行ったのよお…… まだクリアしてないゲームもたくさんあったのに…… うう、リアル猫耳少女なんてどこにもいないし…… 神様の頼み事なんて聞くんじゃ無かった…… こんな言葉も通じない世界で引きニートにどうしろって言うのよぉ…… うう、お母さん』
なんか結構ダメ人間的な事をほざき始めた。
てか、神様とか、コンビニとか…… あれ、そう言えばこの女の子が今喋っている言葉って__
「ふう…… せめて何が言いたいのかが分かればなあ、対応もまた違うんだがなあ」
『日本語?』
「え?」『えっ!?』
まさに18年ぶりに口に出した言語。
どうにも、面倒くさい事が起きるような気がする。
お酒の力を借りて…… ああ~、ハイボール美味しいんじゃあ。
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