暗い海の果て ―Er schläft im Weltraum― 作:七水らむね
遥かなる宇宙の真ん中で
――《結晶病》という病を知っていますか?
人類は、今まで数えきれない程の月日を生き延び、そして進化していきました。
あの病は人類が進化した事により、突如現れた病。
そんな病が、
『この事件の犯人は……あなたです!!』
机の上に置かれたままのタブレット端末から光が射出され、ホログラムとして空中に映像が浮かび上がっている。
映像は昔放送されていたテレビドラマだ。休憩室に、刑事役の俳優の声が響く。
「…………」
ベッドに寝転んで、目覚めてから今までの短時間で起きた事をまとめていた。
ホログラム、猫のAI、通って来たはずなのに通れなくなった扉、実験器具、操縦室のコンソール、ガラスに映る宇宙空間。
どれだけ現実逃避しようとも、ハッブルが容赦なく現実を見せ付けてくる為、ぼくは否が応でもこれを現実だと認識するしかなくなった。
そもそも、ここで目を覚ます前の最後の記憶は何だったか。
確か、空閑と千佳と、次のランク戦に備えて作戦を練っていたような。
「……いや違う」
最後の記憶はもっと残酷なものだったはず。
灰色の世界と次々死んでゆく人々。道は赤く染まり、太陽の光できらきらと輝いていた――はず、なのだが。
思い出そうとしても断片的な静止画のような物しか脳内に浮かんで来ず、その肝心の静止画も一瞬で霧散してしまう。
どうしたものか、と悩んでいると、先程まで手に持ってはずの物が無くなっている事に気が付いた。
「あ、そういえば」
ぼく研究室にトリガーとメガネ置きっぱなしだ。
忘れてた。完璧に忘れてた。取りに行かなくては。
身体を起こして階段を降りれば、再びホコリまみれの研究室があった。放置された実験器具も積もったホコリもそのまま乱雑に放置されている。
操縦室と休憩室はロボットの手によって清掃がバッチリ行き届いてるのにどうしてここだけ?
かくなる上は……
「……よし」
研究室の隅っこに放置されていたロッカーを開く。するとそこには予想通りホウキやらバケツやらが置かれていた。
これは……つまり、そういう事だよな?
***
「あの……何をしているんですか?」
「掃除だよ」
ホウキで床を掃き、山のように集まったホコリをちりとりでダストボックスに捨て、テーブルは実験器具を除けた後ホウキで掃いて、タオルで拭く。
それを幾度となく繰り返しているうちに床もテーブルも粗方片付いてきた。
ていうか、ロボットがここだけ掃除しないのも分かる気がしてきた。
よく見ればここには茶色いビンに入った危険極まりない薬品が置いてあるし、実験器具もガラスで作られた物ばかりだ。
ロボットには出来ないから、人の手でやるしかないのだろう。
『あなたには、今から《第二の地球》を探して頂きたいのです』
掃除をしていると無心になれて考え事が捗る。
数時間前に言われた言葉が脳内で反響し、それに対する疑問も湧き上がってきた。
「……この宇宙船はどうやってここまで来たんだ?」小さな声で自問する。
地球から450光年離れた場所っていうけど……それって具体的にはどこなんだ? 数字が大き過ぎて訳が分からない。
ガラス器具についていた塵を柔らかい布で拭い、水道水で軽くすすぐ。
黙々と洗浄している途中、ジジ……とノイズ音が響いたあと子猫のホログラムがテーブルの上に現れ、自問しただけの呟きに答えるようにハッブルが一言言い放った。
「光速運転とワームホールを用いてます」
あっけらかんとそう言い放った目の前の子猫に、集中力がぷっつりと切れた。
「へえ、ワームホ…………え?」
「私が聞かされた話によると、
またまた突然飛び出してきた現実味の無い言葉に、修は毛繕いをするハッブルの方を見る。
「
「はい」
いつの間にそんな技術が?
ガラス器具を洗いながら、どうせなら色んな事を知っているであろうハッブルに聞けば良いのでは、と一度水道を止め、タオルで手を拭く。
「光速って、どれくらいだっけ……」
「一秒に30万km進む速度ですね」
「じゃあ、一光年はどれくらい?」
「一光年は約9.5兆kmです」
「……???」
脳内がはてなマークで埋め尽くされる。
まず一言言わせて欲しい。
桁、桁がおかしいだろ。
9.5兆って……ゼロが十個以上ついてるじゃないか!!
しかも現在地は地球から450光年離れた場所だから……一十百千万……
ゼロが瞬く間に増えていく。
その距離を、ワームホールはあれど移動するだけでどれだけ莫大な時間がかかるのか。
頭がショートする。
「ええと、つまり……今は、あれから長い時間が経っているという事か?」
ハッブルは無言で頷く。
しばらく沈黙が研究室内を包み込み、重い口を再び開く。
「地球は……人類は、今どうなっているんだ?」
「しばらく前までは地球との連絡があったんですが、今は、もう……」
「……」
それ以降口を開かなくなったハッブルに、最悪の事態が目に浮かぶ。
”絶滅”。
その二文字が頭の中で回る。
結晶病という詳細が全く分からない謎の病の事も、太陽系すらも見えない宇宙空間に途方もないほど長い期間をかけて独りぼっちで飛ばされた事も、人類が絶滅している可能性も。
集中力の切れた頭では、思考も掃除も、それ以上先に進む事はなかった。