暗い海の果て ―Er schläft im Weltraum― 作:七水らむね
朝も昼も無い世界で
研究室の掃除を行ってから数日経ったある日。
修は休憩室の椅子に座り、タブレット端末とにらめっこをしていた。
《結晶病》
その名の通り、全身の体液が次第に結晶化していく病である。
初期症状として関節痛、眼痛、視界のちらつき(閃輝暗点)や末端部の冷え等が挙げられる。
中期症状は全体的な手足の痛み、頭痛、視野狭窄、体温の低下が主であり、末期になると全身に激痛が走り、血管の内側から成長した結晶が皮膚を引き裂きながら現れ、最終的には死に至る。
結晶が氷や宝石のように見える事から『氷血病』『宝石病』『ガーネット・シンドローム』とも言われている。
「”原因は不明。人類の進化により突如として感染力と致死率が上がり、瞬く間に広がったと思われる”か……」
独自回線で創られたインターネットアーカイブに残っていた《結晶病》に関わるサイトや映像を見ているうちに、マグカップに入っていた飲みかけのミルクティーはすっかり冷めきっていた。
どのサイトにも《結晶病》の根本的な原因は書かれておらず、原因不明やら人類の進化が影響しているやらよく分からない事ばかり書かれていた。
中には、サイトの序盤はまとめサイトに似た雰囲気をしていたにも関わらず、サイト後半になると怪しげなカルト宗教への勧誘をしているみたいなものもあった。
海外の動画共有サイトには、結晶が皮膚を引き裂いて出てくる瞬間の映像や、海外で起きた魔女狩りじみた迫害や大規模なデモ活動、暴動やテロ事件の映像もあった。
あまりにも胸糞悪くて一分も経たずにページを閉じてしまったけど……
そもそも、何故自分だけがこの宇宙空間に放り出されたのか。
それすらも分かっていないのに、これ以上ぼくにどうしろと言うのだ。
《第二の地球》? ただでさえ数える程しかないそれが、こんなに広い
そんなもの探さなくても、元の《地球》へ戻ればいいのではないか?
机に突っ伏して、心の中のモヤモヤや不安感を吐き出すように深い溜め息を一つつく。
頭が痛い。精神的なストレスによるものだろうか。
顔だけを上げてこめかみを指で押す。すぐ起きるだろうけど少し休も――「三雲さま」
「おわぁあああ!?」
耳元で突然聞こえた鈴の音のような声に、心臓が跳ね上がり、椅子が倒れて自分自身も床に倒れてしまう。
声のした方を見れば、そこにはハッブルが心配そうにこちらを見ていた。
「少し休憩しませんか? 昨日一昨日からろくに食事もとってませんよね?」
食事……をとってないのはお腹があまり空いてないからなんだけど……
そう思いつつ壁にかかっていた鏡に視線を向けると、自分のやつれ具合に目を見開いた。
目の下にはくっきりと
見るからに不健康そうだ。これじゃあ心配されるのも当然だろう。
「あーいや……あぁ……うん、そうするよ」
ハッブルからのお誘いを了承すると、ハッブルは今までの表情から一転、顔の周りに花のエフェクトが入ったように見えるほどの満面の笑みの浮かべた。
***
操縦室にある大きな窓の向かいの壁に設置されているフードサーバーから、料理
「これは超! 最新技術なんですよ〜♪」
謎にドヤ顔なハッブルを見て僅かに頬がほころぶが、プレートにのった料理は……その……見た目はあまり美味しそうに見えない。
何かをゼリーで固めた緑色のテリーヌに似た何か、乾燥した肉のような何か、クリーム色をしたペースト状の何か、明るい赤色のコンソメキューブ程の大きさをした何か。
全部、原材料が分からず『何かの料理』としか言えない。言いようがない。
”近未来 食事”で検索したら出てきそうな料理だった。
「操縦室の中央には巨大な望遠鏡が付いてます!」
ほんのりと温められたプレートを持って中央へと歩く。そこには、金属で出来た太い柱があった。
ロボットによって置かれていた――この辺りからロボットが万能だと気付いた――クッションに座り、プレートを床に置く。
「これが望遠鏡?」
「ええそうですよ。起動しますね」
ハッブルが「望遠鏡起動」と言うと、ホログラムが天井全体を覆い、無数の星々をまるでプラネタリウムのように映し出した。
目の前にある端末を使って操作して下さいね、なんて言われて、足元に置かれていたガラス板にしか見えない端末を取る。
端末の液晶を指でスワイプすれば、その方向へと星空が動く。
「あれがたて座UY星です。他の星よりも圧倒的に巨大なんです」
「あっ! あれってポルックスですかね?」
「あの超新星残骸は何の星でしょうか……?」
星の事になると嬉々として話し始めるハッブル。
でもやっぱりここにも《第二の地球》は存在しませんね、と隣で呟く子猫に対し、修は考えていた事を口に出した。
「……あのさ。この船を地球に戻す事は出来ない?」
しばらくの間、沈黙が一人と一匹を包んだ。
「…………へ?」そんな沈黙を突き破り、ハッブルは聞き間違いかと目をぱちくりさせて、聞き直す。
「この船を、地球に戻したいんだ」しかし聞き間違いなんて事はなく、修は再びハッキリとした声でそう言った。
「しょ、しょしょしょしょしょ、正気!? ですか!?」
AIらしからぬカミカミ加減に少しだけ笑いつつ、映し出された星を見る。
「正気だ。例えどんなに荒廃してても、既に人類が居なくなってても。ぼくにとっての《地球》は、あの《地球》だけなんだ」
端末を操作する手は、自然と地球を探すように動いていた。
するとハッブルは俯いたまま深呼吸をする。
「本当にそれでいいんですか?」
直前までの楽しげな声は無くなり真剣みを帯びた声が空気を震わせる。
「もしも地球がまだ結晶病のウイルスに侵されていても、人類が自然に
「三雲さまは、地球に戻るという選択を、後悔しませんか?」
空気が更にピリつく。
言葉だけ聞けば、これはかなり重い選択だ。だけどぼくはもう既に腹を決めていた。
「しない。後悔なんて、しないよ」
きっぱりと迷う事無く断言するぼくを見て、ハッブルはやんちゃな子供を見守る母親のような視線を向けてきた。
「……分かりました。では、只今から目的地を『天の川銀河C星域』から『地球』へと変更します」
あれ。でもそういえば。
地球からここまで来る際、とてつもない時間がかかったって……
「安心して下さい。ワームホールをフル活用しますので、十数年後には必ずこの窓から地球が見えるようになりますよ」
地球から離れた際は比較的ゆっくり進んでいただけですよ、と修の心の中にあった疑問が分かったらしいハッブルは言う。
「そっか……じゃあ、よかっ…………」
疲れが溜まっていたのか修は電源が切れたかように突然、ぱったりとその場に倒れ、そして規則的な寝息を立て始めた。
ハッブルはロボットに毛布を持って来させ、修の身体へ掛ける。
「おやすみなさい」
小さく呟いたハッブルは、その実体の無い身体を霧散させた。
***
夢を見た。
そこは息を吐けば白く見えるほどに冷え込んだ、イルミネーションの輝く街だった。
街は人で賑わい、ぼく達も人混みの中で話しながら歩いていた。
そんな中、夜空に一際目立つ明るい光が現れた。
「うわぁ……綺麗」
きらきらと目を輝かせながら空を見上げる千佳を見て、ぼくも空閑も、つられて上を見る。
花火のように瞬くそれは、空に線を引いて爆発した後に消えていく。
直後、星屑が降り掛かってくるように白い花がゆっくりと静かに舞い落ちてきた。
「あ、雪だ!!」
「なぁオサム、雪積もるかな」
ぼくはそんな楽しそうにはしゃぐ二人の姿を後ろから見ていた。
その時の二人の笑顔が、妙に頭に残っている。
まるで、笑顔を見れるのはこれが最後だと、神からのお告げがあったかのようだった。
二人の笑顔を見ているだけで、心臓が苦しくなってぎゅっと強く締め付けられる感覚がした。
「……そうだな」
多分、積もると思うよ。
なんて。
雪すら灰色と赤で掻き消された世界で、何を言っているのだろう。
「あっそうだ! じゃあ積もったら雪合戦しよ!」
「ユキガッセン?」
「チームで分かれて雪を丸めた玉をぶつけ合うの!」
「おお! ならおれとオサムとチカはチームだな!」
「うん!!」
ぼくは自然と涙を流していた。
こんな平和な日々も、既に消え去ってしまっている。そう思うと、とてつもなく切なくなって涙が止まらなかった。
「修くん!? どうしたの!?」
「オサム、目にゴミでも入ったか?」
二人はもう生きていない。
こうやって目の前で焦る二人も、所詮はぼくの脳が生み出した幻想だ。
「……?」
遠くから唸り声に似た音が聞こえてくる。
唸り声? いや違う。これは……サイレンだ。
うるさいほどにサイレンが辺り一帯に鳴り響く。それと同時に、世界が炎で焼かれていく写真みたいに焼け焦げて穴が出来てきた。
二人は動かない。まるでネジの回っていないおもちゃみたいに動かない。
穴は広がって、遂に何も無くなった。
意識が引き揚げられてゆく。
サイレンの音が鮮明になった時、目が開いた。
「……あ」
毛布が掛けられ、身体の下に敷かれたクッションは潰れている。
どうやら自分は何時間か眠っていたらしい。
「なんか夢を見ていたような……?」
ところどころしか覚えていない夢を思い出そうとしたが、慌ただしい空気に消されてしまう。
「え、何?」
キョロキョロと周りを見るも、ハッブルの姿は見えない。
しかし、姿が見えずとも声はハッキリ聞こえてきた。いや、聞こえてきたというか、船全体に響いた。
「おはようございます。今緊急事態で姿を見せる事が出来なくてすみません!」
「緊急事態?」オウム返しをする。
「動力炉内の温度が異常に高くなってるんです!! このままだと船がバラバラに!」
船がバラバラ。
その言葉を聞いた修はさぁっと顔を青ざめさせ、気が付くと走っていた。
当たり前だ。地球へ辿り着く前に船がバラバラになってしまっては元も子もない。
「動力炉はどこに!?」
「地下二階です、三雲さまが目を覚ました場所よりも下にあります!」
「えっ、地下!?」
全力疾走に急ブレーキをかける。
「地下って……レベル五のカードキーが必要なんじゃないのか?」
「はい。ですがカードキーの場所は私も教えられてません!」
「は!?」
どうするんだよ、知りませんよ私も分からないんですから、なんて言い争いをしている間にもサイレンはうるさく鳴り響いている。
「ただ、一つだけ教えられた事はあります」
「は?」
言い争いは案外すぐに落ち着き、冷静を取り戻したハッブルが一言優しく言葉を発した。
「『三雲さまなら、必ず開けられる』と。ただそれだけは教えられました」
その声は小さいながらも、すんなりと耳へ入ってくる。
ぼくなら、必ず開けられる?
思考を巡らせて数日前の出来事を頭の中に甦らせる。
一番最初に目覚めた際に何故ドアは開いたのか。何故その後は開かなくなってしまったのか。
その時にした言動を思い返し、そして修は一つの可能性に辿り着いた。
(もしかしてこれか……?)
休憩室の机の上に置いてあったトリガーを握る。
目覚めたあの日、階段を登って研究室に上がって来た際はトリガーを持っていたが、その後再びドアに向かった際はトリガーを持っていなかった。
一縷の望みをかけ、トリガーを持って研究室のドアへと走る。
「! それは……」
ハッブルも分かったらしく、小さく驚いた声を上げた。
ドアの前にトリガーをかざす。すると認証したのか、プシュ、と空気の抜ける音と共にドアがゆっくり開いていった。
「「!!」」
喜ぶ暇もなく、修はまた走り出す。
本音を言えばめちゃくちゃ喜びたいところであったが、今はそれどころでは無い。
自身の目覚めた部屋を通り過ぎ、階段を降りた先にある床に埋められた形の正方形の鉄扉を開く。
中に見えるハシゴに足を掛けた途端。
「あっつ……!」
じゅう、と焼けるような熱さの風が足首にまとわりついてくる。
一回は足を引っ込めてしまったものの、降りない訳にはいかないのでもう一度足をハシゴへと掛けた。
熱風に負けずに一番下まで降りる。ハシゴも若干熱に影響されて熱くなっている。
一番下まで降りきり後ろを振り返ると、動力炉の全貌が露わになった。
水で満たされた広い円形のプール。その中で回り続ける幾つものタービン。
周囲を絶えず煌々と輝く青白い光が照らしており、目を開く事も苦痛に感じるくらいだ。
「熱暴走してる!!」
あわあわと慌ただしく騒ぐハッブル。
「……もしかして今もまだ船は地球へ向かって動いてる?」
聞くと、今もずっと光速ではないにしろ地球へ向かってこの船は動いているらしい。
「ならこの船を一旦停止しよう、じゃないと熱暴走は収まらない!!」
「はい!」ハッブルの声が聞こえなくなる。
数秒後、重低音が鳴り、船は動きを止めた。サイレンの音がピタリと止む。
青白い光は段々と弱まっていき――数分後には消え、動力炉はプールを照らす明かりだけが灯る薄暗い空間になった。
「よかった……」
安堵の声を上げてその場に座り込む修の前に、ノイズがかった子猫のホログラムが現れる。
「今までにもこういう事は起きた?」
「いえ、初めてです。なのでどうすればいいか分からなくて……」苦笑いを浮かべるハッブル。
今回は船を止める事で収まったが、もし対処しきれない事が起きたらどうすればいいだろう?
そんな事が起こる前に、早く地球へ戻らなければ。それまでは、もうこんな事が二度と起こらないように祈るだけだ。
立ち上がってハシゴを昇る。
開きっぱなしの鉄扉から身体を出し、操縦室に放置しっぱなしだった毛布やらクッションやらを片付けようと通路を歩いて――ふと部屋の中に目が行った。
「…………どうして」
自分が目を覚ました部屋とは違う、少し広めの部屋。暗いその部屋に目を凝らせば、そこには衝撃的な光景が広がっていた。
「どうして
空閑遊真、雨取千佳、迅悠一、小南桐絵、烏丸京介、宇佐美栞。
絶句する修の前には、ベッドに似たガラスに覆われたマシンの中でコードに繋がれて、見知った人が眠っていた。
今まで独りぼっちだと思っていた修は、嬉しい気持ちと共に、深い絶望に囚われる。
眠っている。それがただ単に寝ているのか、それとも死の眠りについてしまっているのかは、今はまだ分からない。
ただ、六人が目の前に居るという喜びと、この船で目覚める前の記憶が噴水の如く溢れ、複雑な感情に、涙を流すことしか出来なかった。
眠る六人も修本人すらも、知らない。
これから修の、永遠とも言えるほどに長い旅が始まる事に――――