天体観測してたら原始の女神に捕捉されたショタの話。 作:いしゅキチ
地球は大いなる力を持った者達が集う星である。
が、宇宙から見ればそれは森に延びる大樹の一角に過ぎず、銀河から見ればそれから生えている多くの果実の一つに過ぎない。
“彼女”にとって、それはいつかに過ぎていったとしても変わらない事実だ。
――――――――――
遠く離れた無数の銀河の一つ。
地球とは違う道行きへと進んだ“蒼輝銀河”。
サーヴァント・ユニヴァースと呼ばれるその宙域には、決して立ち入っては行けない場所が複数ある。
その中で、特級にヤバイとされているのが禁忌宙域――
蒼く澄み渡る宇宙とは違う、煌々と輝き続ける赤の銀河。
それは“蒼輝銀河”が産まれるよりも前の、異なる世界法則の残滓である。
後に、トキオミと呼ばれる考古学者モドキが導き出した考証には、このような事実がある。
原始宇宙は、女神である。
そして――女神は、原始宇宙である。
すなわち、原始宇宙とは
世界は神そのもので、文字通り、神は世界そのものだった。
それが原始宇宙。
ヒトがまだ雑多な哺乳類でしかない時代に在った銀河である。
「………………」
神の名は、イシュタル・アシュタレト。
虚弱貧弱無知蒙昧であったヒトを(結果的には)慈しみ守り、そしてヒトの進化の過程で不要と排斥され貶められ、終には世界の片隅に捨て去られ――
「……すぅ……すぅ……」
アシュタレトは激怒した。
必ず無知蒙昧たる人類を原始の塵にしてやると決意した。アシュタレトには自業自得は分からぬ。アシュタレトはただの神である。
気ままに行き、望むまま崇められてきた。
しかし――忘れ去られる事には神一倍敏感であった。
つまり。
利用するだけ利用して、最後にはポイっと捨てられた(と本神は思ってる)。
なおかつその事すらも忘れ、己の存在を無かった事にしようとしている。
その事に怒り狂ったアシュタレトは、貢ぎ物を上げていれば優しくしてくれる創造神から、人類という単語すら消し飛ばす勢いの復讐の女神に変生。
後の銀河である“蒼輝銀河”を消し飛ばさんといきり立ち、その赤の銀河を拡げたのだ。
「むぅ……にゅぅ……」
――のも。
今では過去の出来事である。
アシュタレトは、“蒼輝銀河”の人類であるサーヴァントの精鋭を華麗にボッコボコにしていたら、一矢報いられていた。
所詮はヒト程度と調子に乗っていた
とはいえ、神に相応しいラスボスムーヴをかましていたりするが、
ともかく。
彼女は、そうして
いずれやってくる復讐の刻を夢見ながら。
つまり。
これはそういった時に起こってしまった出来事だ。
「……むっ。むぅ……?」
揺蕩う原始宇宙での微睡みの中。
ぼんやりとした夢の中で、恭順しようとしてきた人類を無下にして、殲滅。高笑いしていた頃だ。
――視線を感じた。
「……だれだ」
千年程度使われていない喉から漏れた声は、凛と鳴る鈴のように軽やかで可憐な声だったが――不愉快に塗れていた。
この原始の女神を不躾に見る不遜に、侮るような侮蔑に彩られた視線。
彼女にはそう感じた。
「不敬、な……」
閉じられた瞳を起こす。
星と月が光点に結び付いた瞳には怒りの色を帯びていた。
これだからニンゲンはどうしようもない。
アシュタレトは落胆を込めて、不躾に見つめてくる目と視線を合わせる。
どうせ、驕りきった哀れなほど愚かなニンゲンだろう。
そう思って、焦点を合わせ――
「へっ……?」
思考が停止した。
彼女を見ていたのは、原始宇宙に入り込んだニンゲンでも、ましてや憎き“蒼輝銀河”のサーヴァントですらもなかった。
数えたくもないほど遠い、光年の先にある銀河。そのたわいもない辺境惑星に棲息している――
塵屑ほどのこどもだった。
「はっ?えっ?…………????」
――意味が分からない。
彼女全体に回る眠気は彼方へと消し飛んでいった。
己の身体の瞳が見開いたのが感じ取れるほどの驚きがそこにあった。
それはこどもも同じのようで。
小さなレンズの先にある小さな瞳には驚きが帯びていて――奇しくも、神と人が同じ感情に支配されていた。
それが終わったのは彼女にとっては直ぐの事。
こどもの視線がブレて合わなくなった。アシュタレトを見失ったのだ。
「……どういうこと?」
彼女が久しく抱いた感情は、困惑だった。
だって道理が合わない。自分と相対するのは人類の選りすぐりの精鋭とか、千年に一度の賢者とか、未知を追い求める冒険者とか、そういった……そういったシチュが必要だと思わなくもない。彼女的に。
しかし、現に己を視たのはただのこども。
それもアシュタレトほどの存在が、双眼鏡を覗く程度の動作をしなければ見る事が出来ないほど離れている辺境の惑星から。
あり得ない事だった。
「…………」
だからこそ、次に湧いた感情は、興味だった。
彼女にとって、離れた銀河系としても
それはせっせと動く蟻を見下ろす人間、のような感覚に似てる。
憎い憎くないよりもまず「なんだこいつ」という上からの興味だけが延びてくる。
――視線を感じた。
「……ふ~ん。また、この私を視れたのね」
こどもがまた己を視ていた。何の苦も無く当たり前のように小さなレンズから、彼女を覗きこんでくる。
その横にはこどもに似たメスの人間がいて、なんかやんのかんの騒いでいた。
実に稚拙で愚かだったが――こどもの感情は手に取るようにわかるほど素直なのは好ましかった。
彼女の銀河は古いもの。
現在のように連綿と積み重なった複雑な世界ではなかった。
一つは一つ。二つは二つ。とてもシンプルなもの。
「愛してる」を「月が綺麗ですね」なんて取り繕うような事が無かった世界だった。
在りし日の己の側にいた人類を見るようで、滲むように拡がる憎悪がほんの少し和らいだのを、彼女は感じた。
視線が外れる。
だが、アシュタレトはこどもを見たままだった。
眠り、目覚め、遊ぶ。凡庸で下らないこどもの遊びを眺めていた。
――視線が合った。
こどもは変わらず、彼女を見ている。こどもに似たオスのニンゲンと話してからはずっとこちらを見てくる。
他の星に目もくれず見てくるのは、アシュタレトの自尊心を大いに満足させた。
「ふふん。さすが私。何も知らないこどもすら魅了するなんて。なんて罪深い麗しの女神なのかしら」
そう呟く彼女の声には、仄かな悦びが見え隠れしていた。
――辺境惑星の原生生命体にしては、物の道理が分かるじゃないか。
復讐を始めたら、この惑星だけは勘弁してやろうとアシュタレトは思っていた。彼女はチョロかった。
銀河級のチョロさは、なびく振り幅も速度も、銀河級に広かった。
――視線が外れる。
アシュタレトは、彼女が在る神殿が、こどものいる辺境惑星へと近づいて行っているのに気付いていなかった。
そのせいで、通りすがりの星が燃え尽きたり、惑星が超新星爆発を起こしたり、ブラックホールを形成していたりと、宇宙環境をめちゃくちゃにしていたが――それに気づくこともなかった。
忘れ去られた己を、見てくれている人間だけに意識が向けられていた。
――視線が重なった。
「ふふ、私を見続けるなんて。なんて身の程知らずな人間なのかしら。直接叱ってやりたいわ。このイシュタル・アシュタレトになんたる不遜なの、って。ふふ」
死ぬほど上機嫌だった。
復讐とはいったい……うごごご……。
――視線が外れた。
それから直ぐに見つめ合うかと思ったが、合う事はなかった。
「…………?」
こどもは慌てるようにキョロキョロと他の星を見ている。
己も瞳に映っているはずなのに、一度も視線が交わらない。
「…………どうして?」
その顔は悲しみに満ちていて。
見るのも辛いほど歪んでいた。こどもの後ろから心配そうに見つめる矮小なオスとメスと近い感情が、アシュタレトを支配した。
どうしてそんな悲しい顔をしているの?
私を見て?そうしてまた楽しそうな顔を見せて?他の星なんて見ないで?
だが――こどもがアシュタレトを映す事は無かった。
「……貴方も」
こどもは暗い顔で俯いていた。
レンズで空を見ることもなく、己を考える事もなく、メスの側で目を閉じた。
「……貴方も、私を忘れるのね」
――アシュタレトの銀河が静かに脈動し始めた。
彼女を復讐の女神足らしめたのは、
それで、根絶を望むほど憎いのであって――己を知ってくれているヒトは憎い訳ではない。
偶発的に己を見たこども。
己の名は知らないだろう。どういった存在で、なんであるかも分からないだろう。
でも、唯一。唯一なのだ。
現在、全ての銀河系の中で――イシュタル・アシュタレトを知っている生命体は。
故に、それは琴線で。
「私を見ろ」
アシュタレトの神殿は、光年の果てに辺境惑星の衛星軌道上にいた。
地球にとって傍迷惑以上の暴挙で、現に「あの……その、帰っ、て……くれません……?」と消極的ながらはっきりと自己主張していた。ガン無視されてるが。
急な特級にヤバイ侵略者の来襲に、地球の防衛機能が作動し始める一歩手前まで行っていた。
地球の空が、彼女の銀河で埋め尽くされ始めた。朝日も昼間も夜空も――赤の銀河に塗り潰された。
しかし、彼女の神殿が見えているのは彼の瞳のみ。それ以外に見せる事はアシュタレトには赦されざる事だった。
――こどもの目はアシュタレトに釘付けになった。
「ええ、そう。そうしていればいいの。貴方は私を見てればいい」
……目に映る場所全てにアシュタレトがいるので、結果的に見るしかなかったという事実は拒絶されていた。
アシュタレトは見上げてくるこどもの目全体に己が映っている事に満足気に見つめながら、考えた。
――己と拝謁する栄誉を与えてやろう、と。
辺境惑星の原生生命体如きが己を視る不敬を贖わせるのではなく、寧ろその直接話をさせてやろうなんて。
「なんて素晴らしく慈悲深い女神なのかしら、私は。ええ、ええ。この私に仕えさせるのも一興でしょう」
であるならば。
彼女は、早速行動を起こした。
己の神殿の一部を分離させ、そこから過去に象った姿見の中で一番で華麗な形を取った。
蒼き髪をしたヒトの少女の似姿。
銀河を統べる者。その象徴たる角の如き大法冠。纏うローブは宇宙そのもので彩ってる。
――完璧だ。
アシュタレトの自画自賛は極まっていた。
これならば、何も知らぬ原生生命体でも己の高貴さを理解出来るだろう。
アシュタレトは、地球の警告を無視して、その領域に踏み入った。
彼女は、似姿の近くに力を持った者達が集まって来ているのを知覚していた。地球の防衛機能――過去の人類の中で、もっとも強い七人が召喚されたのだ。彼女を排除するために。
神殿が攻撃され始めていた。銀河を構成する惑星の一つが、銀河そのものへと攻勢を向けるのは滑稽そのものだった。しかしその苛烈さは、彼女をして驚きに足るものだった。
――そんな事はどうでもいい事だ。
アシュタレトは、こどもの住居に入り込む。
急に視界に入ってきた彼女の姿に、こどもは腰を抜かしたようにぺたんと尻もちをついた。
その様が実に無様で、愛らしいと彼女は思った。己が庇護するに足り得る。
「……っ……っ……!」
――ふふん。どうやら恐れ戦いているようね。当然ね、女神だもの。
畏れ、見上げる彼。慈しむように見下ろす彼女。それはまさしく――
「そう畏れなくていいわ。私の名はイシュタル・アシュタレト。私はあなっ――」
「――おかあさぁん!!不審者が部屋にいる!!!」
――地球の危機は去った。
アシュタレトが、お気に入りに不審者扱いされたのに落ち込んで、金星辺りに下がって行ったからだった。
しかし、彼女の目は依然としてこどもに向けられていた。
その涙目には――強い執着だけが彩られていた。