Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn- 作:白鷺 葵
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
名前:
名前:
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。オリキャラ同然になっている人物もいるので注意してほしい。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
ピアス:
罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
キタロー:
ハム子:
番長:
・この小説における芳澤姉妹は双子で、同学年の別クラス。
・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。
俺の大切な人が厄日過ぎる件について
芳澤すみれには、双子の姉がいる。名前はかすみで、家族の中で一番期待されている人間だと言えた。
すみれとかすみは新体操の大会に何度も出場している。すみれは入賞が関の山だが、かすみは出場する度に必ず台乗りする程の実力者で、周囲からは次期オリンピック候補生として注目されている若手選手だ。すみれがどんなに努力しても、彼女の動きをトレースしても、かすみのようにはなれない。
すみれは常に、かすみと比較されてきた。かすみの信奉者たちから「芳澤かすみの汚点」や「芳澤姉妹のパッとしない
期待のエースであった姉に害を加えるより、才能のない妹を叩く方が気易かったのだろう。前者に危害を加えれば、エースを欠いたチームの成績がどうなるかなんて目に見えている。
部員の中には、高校入試――特に、面接を重要視する高校を志望している場合――で部活の成績をアピールしようとしていた者もいた。団体戦の成績を持ち出そうと考えていたようだ。
団体戦に関しては、どの部員もかすみに頼っていたように思う。実際、団体戦の成績をアピールポイントにしていた人々は、個人戦の成績が振るわなかった――入賞すら届かなかった者ばかりだった。
『団体戦の成績を引き合いに出してる子を見ると、ちょっとモヤッとするの。殆どが『芳澤かすみがいれば団体戦は安泰』って感じで構えてたし』
『お、お姉ちゃん。さすがにそれは言い過ぎなんじゃ……』
『実際そうでしょう? 私以外の部員で入賞したのはすみれだけだもの! 努力の成果がちゃんと出てるんだから、自信持って!』
高校入試に向けて準備をする同級生の様子に憤慨しつつ、かすみはすみれの背中を叩いて笑った。
成績では天と地ほどの差が出ているというのに、かすみはずっと、すみれの才能を信じ続けているようだ。
――いつの間に、自分たちの間には差が出てしまったのだろう。手を伸ばしても届かないし、埋めることもできないソレを突きつけられる。
『すみれ! お姉ちゃん、やったよ!』
優勝した姉は、喜色満面の笑みを浮かべて優勝杯を掲げる。輝くスポットライトの下で、多くの人々から称賛を浴びていた。
すみれはそれを、観客席の方から眺めるだけ。薄暗い闇の中で、眩い光を纏ったかすみの姿を見つめることしかできない自分。
正直なところ、すみれは双子の姉に対して快い感情を持ってはいない。かすみが活躍する姿を見つめる度に惨めな気持ちになるのだ。
芳澤すみれが新体操を始めたのは、姉が新体操を始めたからだ。熱中するようになった理由は、練習で上手な演技をしたときにだけ買ってもらえるアイスクリームにつられたからだ。すみれとかすみは、大好きなアイスクリームを食べたい一心で練習に打ち込んだ。
生まれた頃からずっと一緒だった自分たちは、何をするにも一緒だった。2人で新体操の練習を頑張って、2人で新しい技を覚えて、2人ともコーチに褒められて、2人で一緒にアイスを食べる――その時間は、とても楽しかった。
新体操の技の難易度や競技のルールも知らず。
かすみとの間に存在する実力や才能の差も知らず。
『かすみと一緒に切磋琢磨しあえる存在だ』と無邪気に信じていられた。
『――もし2人で世界一になったら、アイス食べ放題じゃない?』
ジュニア大会に出るようになったかすみが、真剣な顔で提案した。
すみれはそれを、今でも忘れられない。そしてこの提案が、芳澤姉妹の目標の始まりだった。
『姉妹で世界一になる』という目標を叶えるために、姉妹は多くの大会に出場した。すみれは姉の才能と実力を目の当たりにし、自分との差を嫌が応にも思い知らされた。『自分はもう駄目だ』と言って逃げることが出来たら、少しは諦めがついたのかもしれない。――だけど、その道を選ぶには、姉の言葉や態度があまりにも重かった。
『アイス、食べなよ。私のことはいいから。折角優勝したんだし』
『いいの! すみれと一緒に食べられる日が来るまで取っておくから!』
かすみは信じていた。いつかすみれが、自分と同じ境地に立てるのだと。すみれには自分と同等――もしくはそれ以上の才能があると信じて、ずっと待ち続けていた。『2人で一緒に世界を獲る』のだと、『自分たち姉妹はそれを成し遂げるのだ』と信じていた。
自分を信じ、健気に待っている姉を裏切ることはできなかった。弱音を吐くことはできなかったし、『新体操を辞めたい』なんて言い出せなかった。元々引っ込み思案だったことも拍車をかけて、すみれは何も言えないまま、半ば義務感と惰性に流されるような形で新体操を続けていたのだ。
すみれの成績は相変わらず低迷したままだけど、地道に大会入賞を重ねていたことが評価されたらしい。文句なしのスポーツ特待生枠を貰ったかすみ同様、すみれもスポーツ特待生枠として秀尽学園高校へ進学することが決まった。
すみれにとって、スポーツ推薦の特待生枠は荷が重かった。特待生枠に選ばれたのは、すみれの実力ではない。かすみの成績に縋っていた部員より成績が良かったから、お情けで選ばれただけだ。
それに、かすみはもっとランクの高い強豪校――
かすみは“すみれと一緒に切磋琢磨できる”環境を用意してくれた秀尽学園高校を選んだのだ。
(いい加減、私のことを諦めてくれればいいのに……)
進学先だって、自身の今後を左右する重要な要素だろう。強豪校に進学すれば、質の高い練習環境や優秀なコーチ陣を揃えてもらえる。部活に打ち込めるよう、サポート体制だって整っているのだ。
それなのに、かすみは“すみれと一緒に切磋琢磨できる環境が欲しい”という理由で、進学先のランクを下げた。秀尽よりも怜極の方が、全てにおいて上だったにも関わらず、だ。
『いい加減、かすみ先輩に縋るのやめてください。双子の妹なのに恥ずかしくないんですか?』
『キミはかすみさんの足を引っ張ってばかりだ。お姉さんに対して、申し訳ないと思わないのか?』
『秀尽のスポーツ特待生枠に受かったのって、絶対お情けでしょ? 本命はかすみさんだよ』
『あんたはかすみさんを手に入れるための巻き餌なんだからね。身の程を弁えなさいよ』
『思い上がるなよ。キミは“かすみちゃんの引き立て役”としての価値しかないんだからな』
秀尽学園高校のスポーツ特待生枠を受けた話は、瞬く間に広がった。結果、かすみの信奉者たちや、彼女の飛躍を望む人々から酷い言葉を浴びせられた。
……とてもじゃないが、姉には言えなかった。言ってしまえば、正義感の強いかすみは彼らに対して真正面から抗議しようとするだろう。昔、そのせいで事態が悪化した経験があるため、すみれは口をつぐむことを選んだ。
かすみを始めとした家族たちに心配や迷惑をかけたくなかったし、これ以上、“姉の輝かしい将来を邪魔するだけの存在になりたくなかった”のだ。才能も未来もないすみれにできるのは、世界の片隅で身を縮ませることだけ。
(……そんな風に言われなくても、私が一番そのことを分かってる)
きっとこれからも、すみれは周囲から責められるのだ。芳澤かすみの栄光を邪魔する存在として。
きっとこれからも、すみれは周囲から求められるのだ。芳澤かすみの引き立て役として在れと。
きっとこれからも、すみれは周囲から比較されるのだ。芳澤かすみの、才能のない双子の妹として。
「――どうしたの? すみれ」
「……なんでもないよ、お姉ちゃん」
秀尽学園の制服に身を包んだかすみは、すみれが抱える劣等感や悩みなど知らない。だから暢気に、爛々とした表情で、こちらに笑いかけることが出来るのだ。
かすみには才能があって、努力もきちんと認められて、みんなから認められて、幼い頃に抱いた夢を未だに追いかけることができる。叶えられると信じている。
才能も無くて、努力しても実を結ばなくて、みんなからは見向きもされなくて、幼い頃に抱いた夢ももう信じられない惨めなすみれとは、何もかもが違う。
「それにしても、満員電車があんなに混むなんて思わなかった! 本当にすし詰めって感じ!」
「そ、そうだね。私たち、中学時代はバス通学だったもんね」
高校生活に夢を馳せるかすみを横目に、すみれは相槌を打つ。かすみに引っ張られなければ、すみれは後ろに隠れて縮こまることしかできない。もう16歳になるのに、引っ込み思案は治らないままだ。
どこに行くにも、かすみが手を引いてくれた。逆を言えば、かすみがいなければすみれはどこにも行けなかった。かすみの信奉者に『すみれが縋り付き、足を引っ張っている』と言われても仕方がない。
夢を追いかけてキラキラ輝く姉は、『自分の後ろを妹がついてくるものだ』と信じて疑わない。だから健気に、ずっと待っている。かすみの前にある輝かしい未来すら蹴飛ばして、すみれを待っている。
「すみれ、早く行こう!」
姉の声に顔を上げれば、姉は階段の手前ですみれのことを待っていた。幾度も見てきた、姉妹の日常光景。
行かなければと思うのに、すみれの足は一歩踏み出すことが億劫であった。自分はかすみのいる場所には行けないことを分かっているし、正直、すみれを待ち続ける姉が疎ましくてたまらない。栄光への道は眼前にあるのに、姉は先へ進もうとしないのだ。約束させた成功への道を、自ら不意にしようとしている。
かすみは笑っていた。輝かしい未来よりも、すみれの方が大切なのだと言わんばかりに笑っていた。自分の後ろを、すみれがついてくるのだと信じて疑わない。もう少しすれば、すみれが自分の隣に立てるのだと信じて疑わない。すみれはもう、そこまで辿り着けないと思い知ってしまったというのに。
『報われない努力を、かすみが望む限り、いつまでも続けろ』と言われた気がして、すみれは気が遠くなった。
この場から逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。かすみにだけは言わないと決めた負の感情が、堰を切ったように溢れ始めた。
足を止めたすみれの姿に疑問を抱いたのか、かすみはきょとんとした顔ですみれの名を呼ぶ。すみれはかすみを睨みつけた。
「楽しそうだね、かすみ」
「そりゃあ楽しみだよ。今日から高校生活が始まるんだから!」
「――私は全然、楽しみじゃなかったけど」
一度火がついてしまえば、あとは燃えるだけ。
ひっくり返った盆の水は、零れて飛び散る以外の末路はない。
「す、すみれ? どうしたの?」
「お姉ちゃんに、私の気持ちは分からないよ。才能があって、努力も報われて、周りの人たちから期待されてるかすみには!」
かすみは驚いたように目を瞬かせる。――……そりゃあそうか。すみれが大声を出し、怒りを剥き出しにしている姿を見たのは初めてだろうから。
「待って、すみれ!」
「いいから、私のことはもう放っておいて!」
すみれは衝動に駆られて駆け出した。後ろからかすみが自分の名前を呼ぶ声がする。こちらに向けて伸ばされた手を振り払い、すみれは階段を駆け下りた。
わき目も降らずに階段を駆け下りていたとき、前の方から階段を上ってきた学生と肩がぶつかる。刹那、すみれの身体は大きく傾いた。
姉の悲鳴が遠くから響く。体勢を崩した身体はそのまま、階段の下へ真っ逆さま――とは、ならなかった。秒コンマの刹那で、すみれの腕を引っ張り上げてくれた人がいたからだ。
飛び出してきたのは、自分と同じ秀尽学園高校の制服を身に纏った女子生徒だった。癖のある濡れ羽色の髪を肩まで伸ばし、野暮ったい黒縁の眼鏡をかけた少女。灰銀の瞳は、宝石みたいに煌めいている。
彼女は躊躇うことなくすみれの手を取り、何の苦も無く引っ張り上げた。細身の身体とは思えない程の力に、すみれは思わず目を見張った。外見からは分からないが、相当鍛えられているのだろう。
野暮ったい眼鏡に隠されてはいるが、よく見れば、同年代であるすみれですら羨ましいと思うくらい肌がツヤツヤだ。猫のようなアーモンドアイは妖艶さとミステリアスさを漂わせている。すみれはいつの間にか、麗しい少女を凝視していた。視線に威力があったら、彼女は跡形もなく吹き飛んでいたことだろう。
「――大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい……」
「立てそう?」
「ひええ」
少し低めのかすれ声に、すみれの聴覚がオーバーヒートを引き起こした。先程から心臓がバクバクと煩い。少女が眼鏡ユーザーでなければ、すみれは即死だったろう。
上手く立てないでいるすみれの様子を見かねたのか、少女はすみれを立たせてくれた。「危ないから」と言って、丁寧にエスコートまでしてくれるおまけつきである。
「貴女、私と同じ制服だね。秀尽高校の生徒?」
「は、はい。今年から通うことになったんです」
「そうなんだ。私もだよ。何年生?」
「い、1年生です」
「そうか。じゃあ、私はキミの先輩だね。今年から秀尽学園の方に転校してきたんだ」
そこまで言った少女は、罰が悪そうに苦笑する。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。私は有栖川黎というんだ」
「私、芳澤すみれっていいます」
引っ込み思案を発揮してオドオドするすみれに対し、少女――有栖川黎は静かに微笑みながら話題を提供してくれた。言葉を交わすうちに、すみれの緊張もゆっくりとほぐれていく。
この世界には彼女と自分しかいないのではないかという錯覚に見舞われたこともあって、気づけば、すみれはもう階段を降り終えていた。黎はふわりと微笑みながら、すみれから手を離した。
魔法が解けるように、打って変わって喧騒が戻ってくる。通学通勤ラッシュの時間帯だから、駅が喧騒に満ち溢れているのは普通のことだった。
「それじゃあ、機会があったらまた学校でね」
「は、はい! 有栖川先輩……!」
すみれは半ば夢心地のまま、黎の背中を見送った。
有栖川黎は女性であるが、女子校で王子様をやっているタイプの女性であった。女性が求める完璧な男性像を具現したような立ち振る舞いを極めている。言うならば、どこぞの女性歌劇団の男性役役者のようだ。女性としての繊細さだけでなく、男としての立ち振る舞い方と魅せ方を心得ているような風格があった。
中学時代の同級生がやたらと『百合の園は素晴らしいぞ』と力説していた姿が脳裏をよぎる。彼女が薦めてきた漫画には、『上級生に見初められた下級生が契りを結び、上級生を『お姉さま』と呼び慕う』シーンがあった。その一場面が勝手に再生される。上級生が黎で、下級生がすみれだ。想像しただけでため息が出る。――なんて、甘美。
「すみれ、すみれ! 正気に戻って! 登校初日に遅刻しちゃうなんてシャレにならないよ!!」
かすみの声によって現実に引き戻されるまで、すみれはずっと、黎との甘美なひと時を思い浮かべていた。
つい数分前まで、かすみに対して酷く苛立っていたのに、そのことをすっかり忘れてしまう程の衝撃だった。
灰色の世界に色彩が宿っていく。――このとき初めて、すみれは秀尽学園高校に進学してよかったと思ったのだ。
◆◆◆◇
今日も今日とてルーチンワーク。授業に出て出席日数を稼ぎ、探偵としての情報収集や調査を行い、時には冴さんの司法修習生(予備)として一定の成果を挙げる1日が始まる。
当たり前のことだし相変わらずなのだが、俺の手は獅童正義に届かない。霞を掴むような話を追いかけているというのは自覚しているけれど、状況が状況のせいでじれったいのだ。
この日もまた、この苛立ちを飲み下す日々が続くのであろう。そんな確証を抱きながら、俺はスマホを見つめた。午前中に入ったメッセージを、もう一度確認する。
“今、秀尽学園に向かう電車の中にいる。東京の電車は凄いんだね”
“ラッシュ時の満員電車は、御影町や珠閒瑠じゃお目にかかれない人口密度だ”
“頑張ってくる。大丈夫だよ、吾郎。私、絶対負けないから”
……もし普段と違うことがあるとするなら、黎の秀尽初登校日ということだろうか。
冤罪というレッテルを張られ、ルブランの屋根裏部屋で保護観察を受けることになった黎。大人たちによる精一杯の善意は、家主であり保護司の佐倉さんに多大な精神的打撃を与えていた。先日顔を合わせた時点で目が死んでいたのだから当然と言えよう。
至さんたちを始めとした愉快な大人たち一同による彼へのアプローチは、俺がどうにか説き伏せたことで一先ずの終息を見た。状況によっては再開することもやぶさかではないという条件付きでだ。これで黎が不利益を被ったら本末転倒なのだが、大丈夫だろうか。
南条コンツェルン関係者、桐条グループ関係者、マスコミ関係者、芸能人、警察関係者、裏社会を網羅する探偵、多方面に活躍せんとする現役大学生一同……。
大なり小なり彼らとコネクションを持ち、且つ、黎のために奮闘する愉快な大人たちの様子に佐倉さんがどう反応するか。吉と出るか凶と出るか、まだ分からなかった。
……多分、現時点では凶寄りだろう。黎の冤罪を止められなかった分、みんな必死になったから。必死になりすぎてしまったから。……かくいう俺もその1人だけど。
「明智くん、どうしたの? 今日はやけに携帯を気にしているようだけど」
僕に声をかけてきたのは、僕の上司である新島冴さんだった。彼女は僕がスマホを気にしていることに気づいていたらしい。
ある意味では無関係者であり、且つ、司法関係者である冴さんに、黎のことをどう説明すべきだろうか。余計なことを言って黎に負担がかかるような真似はしたくない。
それに――冤罪とはいえ――前科者扱いされている人間と繋がっていると知られた場合、冴さんがどんな強硬手段を講じてくるかは未知数である。その矛先が黎に向いたら最悪だ。
(……俺も、クズに落ちぶれたってことか)
黎を守るためと言いながら、俺は何をしているんだろう。黎に冤罪という名のレッテルを張りつけた獅童や、彼女を悪意を込めた目で見つめる連中と同じ思考回路じゃないか。
獅童正義の不正と戦う最前線にいるという点では、冴さんは味方と見ても良いかもしれない。だが、冴さんと関わる人間が獅童の味方ではないと言い切ることは不可能だ。
アイツは確実に司法関係者と結びついている。でなければ、1ヶ月という超スピードで黎を有罪にすることなどできやしない。裁判は最速ですら数か月かかるというのに。
そんなことを考えているなどおくびにも出さず、僕は平静を張り付けて答えた。
「え? あ、その……懇意にしてる親戚の女の子がいるんです。僕より1つ年下なんですけど、事情があって、数日前に東京に越して来たばかりで……それで、今日が初登校日だったから、大丈夫かなーと……」
……嘘は言ってない。同時に真実も言ってない。ただ、我ながら、スマートな答えではなかった。僕はしどろもどろに答えながら、黎のことを考える。
前科者というレッテルを張られた黎の周囲は冷たく厳しい。悪意や奇異の目で見てくる輩だっていよう。それ以上に、謂れのない理不尽が降り注ぐことだってあり得る。
その原因が俺の実父――獅童正義にあることを、黎は知らない。……いいや、俺が教えていないのだ。“彼女の傍にいたい”という身勝手な理由から。
俺にとって、黎はいちばん大切な人だ。同年代との友人関係が壊滅していようが、彼女がいてくれれば大丈夫だと思えるくらいに。
今頃、黎はどうしているだろう。秀尽学園高校に馴染めるだろうか。彼女の事件を知った連中から後ろ指を指されたり、事件をネタにして理不尽なことを強いられたリしていないだろうか。直接傍にいられないのが悔やまれる。でも、その選択をしたのは俺自身だ。頭が痛い。……とりあえず落ち着かなくては。別なことを考えよう。
不意に、この前メールに添付されていた画像が脳裏をよぎった。秀尽高校の制服を身に纏った黎のものだ。七姉妹高校に通っていたときとは違い、黎は黒眼鏡をかけていたか。恐らく、身の安全を考慮した結果、顔を隠せるものとして野暮ったい黒眼鏡が選ばれたのであろう。どちらも魅力的だけれど――いけない、思考回路が脱線してきたぞ。
「……そう、成程。そういうことね……」
冴さんは僕の様子を見て何を思ったのだろうか。
鉄の女とも呼ばれる冷徹な顔が、ほんのわずかに緩んだ気がした。
まるで微笑ましいものを見るかのような眼差しに、僕は思わず目を丸くする。
「明智くん。私、正直心配だったのよ」
「何がですか?」
「大人と渡り合える力があっても、貴方が学生――子どもであることには変わりないわ。でも、ここで仕事してる貴方やメディアに出ている貴方からは、年相応の“らしさ”が感じられなかった。すました顔をして、けれど、とても鬼気迫るくらい張りつめた様子で事件を追いかけていたもの。使っている私が言うのもなんだけど、根詰め過ぎてないかと気にしていたの」
そう語る冴さんは、文字通り「お姉さん」と呼べるような女性であった。子どもを見守る立派な大人とも言えるだろう。
悪戯っぽく細められた瞳は凛々しいままなのに、どこか茶目っ気がある。進展しない捜査に苛立ち、ヒステリックにしている姿からは想像できない。
「今の貴方は、本当に“年相応”っていう感じがしたわ。青春を謳歌する若者そのものだった。……明智くんは、その子のことが大切なのね」
「……はい」
反論する理由が一切ないので、僕は素直に頷いた。口に出したからこそ余計に照れ臭くなってくる。そんな僕を見た冴さんは、相変わらず優しい眼差しで僕を見守っていた。時々からかいのネタにしようかと思案している節もあるけれど、基本は見守るスタンスらしい。
……成程。これが本来の“冴さん”なのだろう。彼女の気質は“検事であるが故に”味わってきた辛酸や理不尽により、どこか歪んでしまった部分があるようだ。仕事上の冷徹な態度やヒステリック気味な一面は、彼女が持つ本来の“らしさ”を奪われたことが原因であろう。
だから、嵯峨薫氏は冴さんのことを心配していたのだ。「冴さんこそ、僕のことをとやかく言えないでしょう? 今の冴さんの方が“貴女らしくて”素敵ですよ」――もしこの場に嵯峨薫氏が居合わせたら言いたかったであろう言葉を、僕が代わりに紡ぐ。冴さんは一瞬ムッとしたように眉をひそめたが、どこか懐かしそうに窓の外を眺めた。
「……お父さん……。嵯峨検事……浅井事務官……」
彼女の眼差しが何を見ているのか、僕には何となく予想がついた。冴さんのお父さん、嵯峨検事、浅井事務官は嘗て、須藤竜蔵の不正を追いかけていた戦友たちだったから。
彼らはそれ以前から交流があり、冴さんとも話す仲だったそうだ。彼と彼女らが、純粋に“正義”を信じていられた頃の記憶。
これは僕の想像でしかなかったし、それを本人たちに尋ねるなんて真似はできない。けど、とても輝かしく、かけがえのない日々だったであろうことは察しがつく。
「不思議ね。こんなときに、昔のことを思い出すなんて……」
冴さんはどこか寂しそうに呟く。こんなときだからこそ思い出したのではないかと言おうとした僕だが、それはなんだか無粋な気がしたのだ。
同時に、冴さん自身がこの空気に居心地悪さを感じているらしい。今の彼女にとって、正義を信じて燃えていた嘗ての日々は、毒のように思ってしまうのだろう。
僕の想像する嵯峨薫氏に助力を頼めば“空気を読むな、壊せ”と言われたような気がした。なので、僕は敢えて話題を変え、自ら道化になることにした。
話題ならある。先程のやり取りのことだ。
今の僕は、青春を謳歌する学生だ。
己にそう言い聞かせて、僕は口を開いた。
「そうだ、冴さん。ちょっと相談に乗ってほしいんですけど」
「何かしら?」
「彼女の周辺がひと段落したら、デートに誘おうかなって思ってるんです。遊びになら何度か行ったことあるんですけど、本格的にデートを意識するのは初めてで……どうすればいいですかね? 誘い文句とか――」
――次の瞬間、冴さんの笑顔が凍り付いた。
表面上は確かに笑顔なのだが、目と気配は全然笑っていない。明らかに苛立っている。何に対して? ――僕に対して。
僕の想像する嵯峨薫氏が「あーあ」とぼやいて肩をすくめたのが見えたのは何故だ。諦めたように視線を逸らしたのは何故だ。
疑問に対する答えを指示してくれたのは、他ならぬ新島冴検事その人であった。
「――それを、私に訊く?」
「え」
「
何か、こう、黒いものを背負って、冴さんが顔を近づけてきた。ああ、これには身に覚えがある。航さんに好意を寄せていた英理子さんと麻希さんが、至さんを自分の味方へ率いれようと画策し、迫ったときの笑い方だ。永世中立と答えた至さんの末路を俺は今でも忘れられずにいる。最終的には『どちらにも同じ情報を開示する』ことで手打ちになったか。
不正と出し惜しみは一切無しの恋愛一本勝負。厳正な勝負の末に、麻希さんに軍配が上がった。そのショックが大きかったのか、英理子さんは腰まで伸ばしたロングヘアーをバッサリ切り落してショートヘアにしてしまった。英理子さんは、もう二度と、髪を――ポニーテールができる程に――伸ばすことはないのだろう。閑話休題。
デート未経験ということは、冴さんは独り身ということになる。同時に、冴さんは「自分が独り身であることに対して強いコンプレックスを抱いている」らしい。まさかのうららさんタイプ。……成程、僕はとんだ失策をしてしまったみたいだ。どう弁明しよう。何にも出てこない。
だって、いい相手に巡り合えるだなんて言えば「無責任」と詰められることは明らかだ。
だからと言って、何も言わなきゃ言わないで雷が落ちてくる。うららさんとの会話で学んだ。
(覚悟を決めよう)
こうなった場合、僕が取るべき行動は1つ。誠心誠意謝罪した後、該当者の気が済むまでサンドバック(比喩)になってやること。実際、至さんが乾いた笑みを浮かべながら粛々とサンドバック(比喩)になっていた姿を何度も見ている。
嵐に対抗することがすべてではない。時には嵐が去るまで耐えることも必要だ。一番の最善は“嵐が来るのを予期して回避すること”なのだが、自分に迫りくるアクシデントのすべてを予期できる人間なんて存在するはずもない。
ましてや、対人関係における失言は地図なしで地雷処理をするみたいなものである。しかも、その地雷の威力は触れて見ない限り分からないのだ。触れて喰らって五体満足なら御の字である。致命傷でも即死でなければまだ何とかなりそうか。
「あの、その、申し訳ありません……」
「……いいわよ。貴方にはいつも世話になってるからね」
冴さんはこめかみを抑えてため息をついた。口元に浮かぶのは、困ったような笑み。「未経験者の理想で良いなら」と、少し拗ねたような口調で承諾の返事を出す。
但し、目はあまり笑ってない。怒りはまだ収まらないようだ。今ここにいる冴さんの姿が飲んだくれるうららさんの姿と重なってしまったあたり、本格的にサンドバック(比喩)にならなければいけないらしい。
交換条件だから致し方なし、と、僕は自分に言い聞かせて頷き返した。冴さんは満足げに笑い、彼女の理想とするデート像を語り始めた。それでも仕事の手を止めないあたり、流石と言えるだろう。僕はひっそりそんなことを考えた。
***
案の定、その日の仕事量は普段より倍増した。僕は耐えた、耐えきったのだ。
よろよろとした足取りで検察庁を後にした僕は、スマホを取り出してメッセージを確認した。仕事中は自分のスマホをろくに確認できなかったためである。
黎は大丈夫だっただろうか。何かメッセージは入っていないだろうか。秀尽学園での生活で何か不都合なことはなかっただろうか。理不尽な目に合っていないだろうか。
僕がスマホに触れなかった間に、黎はいくつかのメッセージを送って来たらしい。半ば祈るような心地で、僕はメッセージを開いた。
“駅の階段から落ちそうになった女子生徒を助けた。私と同じ学校の制服を着ていたから気になっていたおかげで、誰よりも早く彼女の危機に気付くことが出来たよ”
“その子は芳澤すみれさんと言って、私より1歳年下。双子のお姉さんがいて、お姉さんの名前はかすみさんというんだって”
“東京に来て、初めてできた後輩だ。機会があったら、またこうやってお喋りできたらいいな”
佐倉さんの件と比較すれば、後輩――芳澤すみれさんとその姉・かすみさんとの接触は穏便であると言えるだろう。彼女たちが、黎の冤罪に関して何も知らないというのも良い方に作用しているのかもしれない。僕は思わず安堵の息を零した。黎が穏やかに過ごせることは、何よりも喜ばしいことであったから。
……だと言うのに、湧き上がってくるのは、得体の知れない不安だった。『黎が、僕の手が届かない場所へ行ってしまう』という予感なら、新しい戦いに巻き込まれる度に感じていた。けれど、今回の不安は毛色が違う。焦燥というか、警笛というか、とにかく嫌な予感がするのだ。うまくは言えないが。
無意味にざわつく胸の内を押さえながら、僕は改めてメッセージを読み返し――ふと、思い至る。
芳澤という名字には、覚えがある。二代目探偵王子としてテレビに出演していた際、テレビ関係者の中に『芳澤』という男性がいた。世間話に興じた際、彼は『自分には双子の娘がいる』と話していたか。
自身の仕事が影響して、その娘たちがテレビに取り上げられたこともあったらしい。芳澤さんは非常に親馬鹿で、仕事以外はずっと娘関係の話を振ってきたように思う。……双子の姉妹の名前は、確か――
(『姉がかすみで、妹がすみれ』だったっけ。……いや、流石に、同姓同名なだけだよな……?)
流石に、『僕が面識のある『芳澤さん』の娘たちが、黎と会話した芳澤姉妹である』なんてことは無いだろう。もし本当にそうだったら、世の中の狭さに驚嘆するしかない。
この地球上には60億人の人間がいる。そのうち、日本人は1億人だ。「同姓同名の別人と遭遇する確率は1割程度。同姓同名が存在する可能性は、遭遇率より高いだろう」なんて話がある。
それならば、『芳澤かすみと芳澤すみれという双子の姉妹』という条件が一致する“同姓同名の別人”だって、日本のどこかには存在しているはずだ。僕は顎に手を当てて唸った。
……考えたって仕方がない。一端思考を中断し、僕はメッセージ確認の続きを行う。芳澤姉妹との遭遇以後も、黎はメッセージを逐一送ってくれていた。僕はメッセージをスクロールさせる。
“変な場所に迷い込んだ。城みたいな場所だった”
“私のスマホに変なアプリが入ってたんだ。【イセカイナビ】というやつ”
(――え?)
僕は思わず目を見開く。
変な場所――そこは【メメントス】と名付けらた迷宮であり、僕が自作自演の名探偵を遂行するための情報収集に使っている場所だ。
スマホのアプリ【イセカイナビ】――それは、僕のスマホに入っているアプリであり、僕が自作自演の名探偵を遂行するために使っているものだ。
本来、あの異世界では電子機器が使用できなくなるらしい。だが、南条コンツェルンと桐条グループが行っていた研究の遺産――先の戦いで開発された技術を応用した結果、特殊な世界でも使用できる電子機器や機械の開発に成功したのである。勿論、これは
ひな形として使用されたのは、桐条さん愛用のバイクに使用された特殊技術である。“【影時間】でも使用可能なバイク”が活躍したのは2009年5月に発生した『モノレールオーバーラン事件』だったと考えると、件の技術は5年で飛躍的な進歩を遂げたことが分かるだろう。南条と桐条の叡智の結晶であった。
僕のスマートフォンに限らず、ペルソナ使いの携帯電話やバイク等には件の技術が搭載されていた。一般車両に搭載するかはまだ議論中らしいが、航さんを筆頭とした面々曰く『現状では非常に難しい』とのことであった。閑話休題。
頭が爆発しそうになる中で、僕はメッセージをスクロールしていく。
“城で出会った変態に襲われそうになったけど、力が覚醒したおかげでどうにか逃げ延びることができた”
“力の名前はペルソナだった。ちょっと毛色は違うけど、至さんたちと同じ能力だと思う”
“変態は鴨志田卓という秀尽学園高校の体育教師。おかげで午前の授業を受けられず、午後から授業を受けた”
“遅刻した理由はぼかして、『変態に襲われて逃げ惑っていた』と言っておいた。事実だから”
“あと、偶然一緒に居合わせた同級生がいたんだけど、彼には私の言い訳の証人になってもらったんだ”
“ついでに、彼の遅刻理由を『変態に襲われて逃げ惑っていた私を助けてくれたから』ということにしてもらった”
“今回の一件で、秀尽学園高校初の同級生(味方)ができたよ。異世界で出会った鴨志田に対する愚痴で盛り上がった”
メッセージには、その生徒と思しき写真が掲載されていた。髪を金髪に染め、指定の白ハイネックではなく派手な色柄のシャツを着て、サスペンダーを中途半端に下した男子生徒が写っている。
どこからどう見ても、男子生徒の姿は不良であった。ちょっと照れくさそうな困惑顔からは、八十稲羽で出会った巽完二さんを連想する。あの人も外見が厳ついだけで、非常に良識的な人であった。
……ただ、この男子生徒からは、人の好さと同じくらい脳筋の気配がする。恐らく彼は、荒事でこそ真価を発揮するタイプだ。巌戸台における真次郎さんや、御影町における玲司さんが該当する。
単身東京に赴いた黎には、心を許せる相手は非常に少ない。そんな状況で頑張っている黎に、心を許せる相手ができたことは喜ばしいことだった。
でも、その相手が僕だけではないのだと思う度に寂しさを覚える。年甲斐もなく縋り付きたい気持ちに駆られるのだ。
(……縋り付いても無意味なことは、僕が一番知っているはずなのに)
見苦しく縋り付いて連れて行ってもらえるならば、俺は今頃、獅童正義の実子として日々を過ごしていただろう。母さんだって、俺を育てるために命をすり減らさずに済んだだろうし、獅童正義の妻として生きていたはずなのだ。俺を妊娠したという理由で捨てられることもなかった。
『“
あり得たかもしれない家族の光景を押しやりながら、僕はメッセージの続きを読む。
次の瞬間、獅童正義と家族になった想像など、俺の頭から一瞬で吹き飛んでしまった。
“それから、私の前歴(冤罪)が、既に学校中に知れ渡っている”
“前歴(冤罪)については教師くらいしか知らないので、漏れたとするなら教師からだと推測できる”
“まともに接してくれる相手は、私と一緒に変な場所へ迷い込んだ同級生しかいない”
黎が置かれた状況がどれ程危険なのかを理解した途端、俺の身体から血の気が引いた。
俺が仕事をしている間に、黎は超絶怒涛な1日を過ごしていたようだ。俺と同じアプリがスマホにインストールされ、【メメントス】に迷い込み、出会ったシャドウに襲われかけ、俺と同じペルソナ能力を覚醒させた。呪われてるんじゃないかと思うくらいの厄日だ。そうしてダメ押しとばかりに、黎の冤罪が学校中に広まっている。
居てもたってもいられなくなった俺は、家に帰るのを止めて四軒茶屋へ向かった。彼女の下宿先であるルブランまでの道のりが遠く感じる。ようやっとルブランの灯りが見えてきたとき、迷うことなく扉を開けて店内へと飛び込んだ。店主の佐倉さんが手を止めて振り返る。俺の顔を見た佐倉さんは、ぎょっとしたように目を見開いて後退りした。
「お、お前さんは確か……!」
「黎は!?」
「アイツなら今、部屋に――」
それだけ聞けば充分である。俺はそのまま階段を駆け上がり、彼女の住居である屋根裏部屋へと乗り込んだ。
俺の想像した光景よりも随分綺麗な部屋には、簡素なデザインの家具が置かれている。黎はベッドに腰かけて読書をしているところだった。
客人――特に俺の来訪は思ってもみなかったのだろう。彼女は目を丸く見開いて瞬きをした後、花が咲くような笑みを浮かべた。
微笑む彼女を見た途端、俺の身体から一気に力が抜けた。言いたいことは山ほどあったはずなのに、何一つ言葉になりはしない。
俺はフラフラと黎の元へと歩み寄り、そのまま彼女を強く抱きしめた。いきなりの行動に、黎が困惑する気配が伺える。
だが、彼女は何となく察したのだろう。俺の背中に手を回し、そのまま胸元に擦り寄って来る。……まるで猫みたいだ。
「心配してくれてありがとう、吾郎。不謹慎だけど、凄く嬉しい」
ふふ、と、黎は笑った。「色々あったけど、大丈夫」と付け加えてだ。根拠も何もないはずなのに、黎がそう言うと本当に大丈夫な気がしてしまうのは何故だろう。
本当は俺よりも黎の方が大変なはずで、獅童正義と因縁がある俺が頑張らなきゃいけないはずだ。何とかしなくてはいけないはずだ。……なのに俺はずっと、彼女に守られている。
「……ああもう、畜生。不甲斐ないや……」
「不甲斐なくない。キミが来てくれたおかげで、私は明日からも頑張れそうだよ」
「けど」
「吾郎は頑張ってる。よくやってるよ。調べることが沢山あるのに、私の冤罪も証明しようとしてくれて……迷惑かけて不甲斐ないのは私の方だ」
黎は慈母神もかくやと言わんばかりの笑みを浮かべていた。……正直な話、ずるいと思う。そうやって、彼女は俺のすべてを許してしまうのだ。それが温かくて――少し、怖い。いずれこの温もりを感じられなくなる日が来るのだと、そんな可能性があるのだと俺は知っているから。
あと何回、こうやって彼女と触れ合うことができるのだろう。あとどれくらいで、俺はすべての黒幕である獅童正義に手が届くのだろう。なるべく早く決着をつけたいと思っているけど、もう少しだけこのままでいられたら――なんて考えてしまうのは、俺が弱いからに決まっている。
自分が汚い。汚すぎて辛い。それから目を背けるようにして、俺は暫く彼女を抱きしめたままで――彼女に抱きしめられたままでいた。
それからどれくらいの時間が経過したのだろう。外はもう真っ暗で、街灯が頼りない光を放っている。遠くには煌びやかな街並みが広がっていた。
甘い空気を手放すことに名残惜しさを感じつつ、俺は黎に「今日の出来事を詳しく話してほしい」と乞うた。黎は2つ返事で頷き、詳細を教えてくれた。
それらを、俺の持っている情報を照らし合わせていく。
「一個人の歪んだ欲望が迷宮になったのが【パレス】だとすると、俺がよく使う【メメントス】は大衆の欲望ってことか? あそこ、老若男女のシャドウがうようよ徘徊してるからな」
「吾郎の話を聞く限り、【パレス】と【メメントス】は一戸建てと共栄住宅の違いだと思う。一定レベルを超えた欲望を持っていると、【メメントス】では狭すぎるとか。でなければ、秀尽高校をベースにした城なんて持っているはずがない」
「しかし、学校を城に見立てるなんて、自分が学校の王様になったとでも言いたげな奴だな。とんだ自意識過剰じゃないか」
「ピンクのマントにパンツ一丁の変態が王様を名乗るなんて世も末だよ。しかも、私を見た途端、鼻息荒くして無理矢理組み敷こうとしたくらいだし。竜司が割り込んでくれなければ大変なことになってたかもしれない」
「……黎、その鴨志田って教師の前では絶対単独行動禁止だよ。巻き込んだ生徒――竜司、だっけ? なるべくソイツから離れちゃダメだ。いつぞやの親戚連中と同じ……いや、さらにヤバイ邪悪を感じるからね」
「勿論」
「それから、もしまた何かあってパレスに行くのなら連絡寄越して。間違っても、1人で乗り込もうなんて考えないでくれ」
「分かってる。待ち合わせ場所含めて、すぐに連絡するよ」
「鴨志田や秀尽学園の教師陣については調べ直す。黎の冤罪を広めた張本人が、何かのヒントになりそうだからな」
「了解。ありがとう、吾郎。帰り気をつけて」
「気にしないでくれ。それじゃあおやすみ、黎」
大事な作戦会議はこれで終了だ。最後に額と額とくっつけ合って、ささやかな触れ合いを楽しむ。
今後の方針は決まった。決意を新たに、俺は黎の住居スペースを後にした。
階段を下れば、何かを察したような顔をした佐倉さんと目が合った。……どうしたのだろう。僕がそう問いかけるより先に、佐倉さんが大きく息を吐く方が早かった。「アイツのために、ここまで一生懸命になる人間がいるんだよな」と呟いた彼の眼差しは、屋根裏部屋へ続く階段へと向けられる。その眼差しは、心なしか柔らかい。
佐倉さんは黎を厄介だと思っている訳ではないらしい。保護司として中立を保ちながらも、根は世話好きのお人よしのようだ。「黎の話、聞きましたか? 午前中の授業に遅れた理由……」と俺が問えば、佐倉さんは顔をしかめて頷いた。言葉にはしていないけど、黎を襲った変態に対して怒りをあらわにしている。
“酔っ払いに言い寄られた女性を庇ったら自分が標的となってしまい、拒絶したら運悪く相手を傷つけてしまったため訴えられた”――それが、保護司である佐倉さんに伝わっているであろう黎の前歴だ。そんな彼女を狙い、力で組み敷こうとした変態がいる。そんな相手のせいで即退学・即少年院送りにされるのは理不尽だろう。
佐倉さんも分かっている。しかし、やはり黎には問題を起こしてほしくない様子だ。彼は彼なりに、黎のことを更生させてやりたいと――保護観察を穏便に済ませてやりたいと考えているのだろう。遠回しな優しさだ。
僕はカウンター席に腰かけて、コーヒーを1杯注文する。閉店間際のオーダーに対し、佐倉さんは眉間に皺を寄せた。
だが、僕の様子から「話を聞いてもらう対価としてコーヒーを頼む」と察したようで、不愛想な返事をしてコーヒーを淹れてくれた。
コーヒーを舐めるようにして飲みながら、僕は話を切り出す。僕と、僕の保護者達が有栖川本家から請け負った密命を。
「故郷の方でも、黎の冤罪をネタにして、彼女を力づくで組み敷こうとした連中がいたんです。奴らはみんなケダモノのような目をして『黎を更生させる』等と嘯いてました」
「……成程な。だからアイツは、お前さんのいる東京へ送り出されたワケか。さしずめ、お前さんはアイツの“騎士様”ってとこか?」
「それもあります。ですが、“件の親戚どもとコネクションを一切持たない保護司”がいて、“件の親戚どもが近づいて来てもシャットアウトできる人間が近くにいる”環境でないと安心できなかったというのも理由ですね。……親戚同士の繋がりだけでなく、奴らの上位互換が東京に跋扈していることも想定しておくべきでした」
「なんてこった……。こりゃあ責任重大じゃねえか」
佐倉さんの顔は真っ青だ。身近な人と黎の環境を照らし合わせ置き換えることで、色々と想像してしまったのだろう。(冤罪とはいえ)前歴を理由にして体を要求されるなんてことが起きれば、最早更生どころの話ではない。仮に、体を売ることで保護期間を――表面上は――平穏無事に終えたとしても、その後の人生に昏い影を残し続けるに決まっている。
少年少女を更生させる保護司としては、更生を妨げるであろう要素は絶対に見過ごせないはずだ。黎の保護司として、不審者対策に力を入れてくれることだろう。……唯一悲しむべきことは、そんな彼の心遣いはあまり役に立たないことだろうか。何せその犯人は、見えない世界に住まう“一個人の歪んだ色欲”なのだから。
意志を燃やす佐倉さんに内心謝罪した僕は、コーヒーを一気に飲み干して支払いを済ませた。
至さんと航さんに件の情報を報告し、暴れないよう釘を刺したうえで、僕は自宅へと帰還した。
保護者2名は約束を守ってくれたようで、険しい顔のまま僕を迎えてくれた。本当に良かった。
因みに。
自宅に帰った僕は、鴨志田卓の経歴について調べた。どうやら奴はオリンピックの金メダリストのようで、それをウリにして体育教師になったらしい。黎の通う秀尽学園高校も、“オリンピックの金メダリストが勤める学校”というのをウリにしている様子だ。関係性はWin-Win。結びつきは強そうである。
教師陣の名前を洗っていたら、秀尽学園高校の校長が獅童正義の関係者と繋がりがあることに気づいた。……もしかして、保護観察中の黎を受け入れたのは、獅童の命令だったのだろうか? そう考えた途端、僕の背中が悪寒に震えた。――ああ、だとしたら、俺が倒すべき男は本当に恐ろしい相手だ。
<『ここは、“誰かにとって都合のいい世界”であり、“誰かにとって都合の悪い世界”』……>
いつぞや耳にした言葉が脳裏をよぎる。“俺”にそう言った《張本人》は、鼻歌を歌いながら茶会の準備をしていた。
あの言葉の真価は、怪盗団の辿った旅路に至ってこそ重さを増すものだったらしい。“俺”は小さく嗤った。
<『誰かにとっては“紛れもない現実”であり、誰かにとっては“とんでもない悪夢、もしくは地獄絵図”である』、か>
その言葉は間違っていなかった。【彼】の生きる現実は、“俺”にとっての“とんでもない悪夢、もしくは地獄絵図”であることは、揺るぎのない事実だったから。
「ワガハイは変態じゃねぇ! たまたま憑依しちまったガワが、メスの
「■……マーリンどうしたの? 元に戻って以来ずっとあのままなんだけど」
「女性陣が■……
「うわー大惨事。お互いにとって地獄絵図じゃん」
「お着替えピ〇チュウの性別、メス固定だもんね」
<――文字通りだよ、本当に>
―――
『A Lone Prayer -Dream of Butterfly-』系のエピソード章より、本編の更新を優先するスタイルに切り替えた結果、特に苦も無く本編が出来上がりました。前回よりも多少加筆修正されています。
活動報告で零した話にアドバイスしてくださった未確認蛇行物体さま、本当にありがとうございました。この調子で完結を目指していこうと思います。
今後、『A Lone Prayer -Dream of Butterfly-』の章は「書けそうと思ったタイミング、又は書き上がり次第、適宜挿入していく」予定。
誰かにとって都合のいい世界/現実は、誰かにとって都合の悪い世界/悪夢である。
……ならば、この【世界/現実】は、一体【誰】/“誰”にとっての“世界/悪夢”なんでしょうかね?