Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn-   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空元(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 名前:霧海(むかい) (りん)(旧姓)⇒影時間終了後の巌戸台で出会った少女。現在の本名や詳細については中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。オリキャラ同然になっている人物もいるので注意してほしい。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は有栖川(ありすがわ)(れい)
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空元(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 キタロー:香月(こうづき) (さとし)⇒妻・岳場ゆかりが所属する個人事務所の社長であり、シャドウワーカーの非常任職員。気付いたらマルチタレントになっていた。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・この小説における芳澤姉妹は双子で、同学年の別クラス。

・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。


色欲の城 後始末

『鴨志田先生、今日も体調不良で休んでるんだって』

 

 

 ――【改心】が終わったその翌日から、鴨志田は秀尽学園高校に来ていない。

 

 【パレス】は人間の歪んだ欲望の権化であり、今までの鴨志田の性根と行動基準だ。それが崩壊したことが、現実世界の鴨志田に影響を与え始めたのであろう。

 尚、「鴨志田の体調不良」という話は生徒の噂で出回っている情報である。実際のところは、パレス崩壊直後のタイミングで鴨志田が『自主謹慎する』と主張し、ずっと自宅に閉じこもっているのだとか。

 即座に事態を打破できると思っていた竜司は不満そうであったが、全会一致で『鴨志田が大人しくなった(=自主謹慎で家に閉じこもっている)ことで、これ以上被害者は出ない』ことに安堵した。

 

 正直な話、鴨志田の【改心】が終了した今、僕が秀尽学園高校に出入りする必要は無くなっている。しかし、今このタイミングで秀尽学園高校を去るには、情報収集も探偵としての仕事も中途半端であった。そのため、今も僕は『依頼のための情報収集』という名目で秀尽学園を出入りを続けている。

 実質的な業務は『【改心】後の鴨志田がどのような行動をとっているのか』、『【改心】までのラグがどれ程あるのか』、『鴨志田が休んでいる=【改心】までのラグの間、秀尽学園高校の様子はどのように変化していくのか』等の調査にシフトしつつある。集めた情報は、南条と桐条の研究機関に送っていた。

 

 何分、【改心】は今回が初めてだ。現時点では、南条や桐条の研究機関でも分からないことだらけ。強いて挙げるなら、今回の場合、“【改心】という名の事象がある”事実が大きな収穫になりそうだ。詳しい事象を知るためには、多量のモデルケース――具体的には“複数回の【改心】を行う”――必要が出てくる。

 

 

(……果てしなく嫌な予感がするけど、今後の行動方針はまだ未定だな。【改心】の発生を待ってみなければ何とも言えない)

 

 

 現状、南条と桐条に報告済みの現象は“【メメントス】を駆使した殺人”や、“【メメントス】を跋扈するシャドウの生態(?)”くらいだ。どちらも()()()としての情報/データベースである。

 前者は獅童お抱えのヒットマンが行っている暗殺だし、後者は僕が自作自演の名探偵を張り倒すための必須技能。どちらにしても、禄でもない使われ方をしているのは確かだった。

 

 

(【影時間】を悪用して完全犯罪を成立させていたストレガ、【マヨナカテレビ】を“悪意ある重過失”で利用していた八十稲羽連続殺人事件の真犯人に通じるやり方なんだよなぁ)

 

「――はい。吾郎の分のコーヒー」

 

「ああ、ありがとう」

 

 

 思考の海を潜水していた僕を引き戻したのは、ブラックコーヒーの香りと黎の声。視界一面に広がったのは準喫茶ルブランのカウンター席で、向こう側にいた黎が微笑む。スマホに視線を向ければ、最後に時計を見てから1時間半ほど経過していた。

 柔らかに笑う黎をカウンター越しから眺めていると、()()()()()()()()()()()()()()()()を感じる。()()()()()()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 現在“営業時間にして閉店15分前”。店主の佐倉さんは何か言いたげに僕と黎を見つめていたが、僕たちの関係を知っているため、苦笑するに留めてくれた。尚、モルガナはそそくさと屋根裏部屋へと避難していったか。

 

 

「美味しいね」

 

「そっか、嬉しいな。お代わりいる?」

 

「お願いするよ」

 

 

 僕と会話をしながらも、黎は手慣れた様子でコーヒーを淹れていた。サーバーの扱いも様になっている。コーヒー豆の香りが鼻をくすぐった。鴨志田パレス攻略開始とほぼ同時期より、黎は佐倉さんからコーヒーの淹れ方を教わっていたらしい。

 佐倉さん曰く、「『始めて淹れた』にしては素晴らしい腕の持ち主だ」と目を丸くしていたそうだ。僕もこうして黎の淹れるコーヒーを味わっているが、佐倉さんの淹れるコーヒーとは甲乙つけ難い程のものだった。

 

 鴨志田パレス探索時にも彼女のコーヒーは重宝したが、冷めていても充分美味しいと感じるレベルだった。……ただ、苦いものを好まない竜司には苦行だったらしいが。僕はそんなことを考えながら、黎が淹れたコーヒーを啜る。

 

 でっちあげた依頼を使った情報収集等の合間を縫って、僕はなるべく黎の元へ通うように心がけていた。たとえ僅かな時間であっても、直接顔を合わせて喋るというのは重要だと僕は思っている。黎も僕と同じようで、なるべく時間を作れるよう心を砕いてくれていた。

 電話やメール、SNSという連絡手段はあれど、寂しさが募らないわけではない。それ故、彼女が保護観察の名目で東京に出てくる以前は、連休や長期休みになると、僕たちは東京と御影町を頻繁に行き来していた。会える頻度も時間も限られたものだったが、次また顔を合わせる日が楽しみで仕方なかったのだ。

 今は顔を合わせる頻度は多くなったが、時間が限られていたり、怪盗団の仲間としての作戦会議や団欒だったりして、2人だけでゆっくり話す頻度は減ってしまったように思う。更に言えば、秀尽学園内では諸々の理由から、普段通りの振る舞い――恋人同士で触れ合う――ことは不可能。故に、閉店間際のルブランで顔を合わせ――短時間でも――話す時間はとても貴重だった。

 

 

「今日の放課後、私のことを広めた犯人が謝ってきたんだ」

 

「それで? どう落とし前をつけたの?」

 

「『トスを見せて』ってせがんだの」

 

 

 成程。下手人はバレー部員だったらしい。我が身可愛さか、誰かを人質に取られたか、どのような暴力を振るわれていたかも不明だが、鴨志田から脅されていたらしい。

 しかし、何故落とし前にトスが出てくるのだろうか? 僕が首を傾げると、黎は思いを馳せるように遠くを見つめる。

 

 

「彼のトス、凄く上手だったんだ。誰かが望む場所に、望むタイミングで、完璧なトスを出したんだよ。バレー初心者の私でもそう直感できるくらい凄かった」

 

「…………」

 

「だから言ったの。『貴方は、“何かを求める誰かにとって、的確なタイミングで何かをアシストできる”凄い人だ』って。……そしたら勢いよく泣きだしちゃって」

 

 

 僕の脳裏によぎったのは、鴨志田の城で出てきた男子生徒――三島由紀。鴨志田から散々に罵倒されていたバレー部員の1人で、僕の聞き込みに対して知らぬ存ぜぬを貫いていた人物だった。

 

 黎曰く、三島がバレーを始めたのは高校に入ってすぐのことだったらしい。『金メダリストがコーチを務める部』という触れ込みに魅せられ、高校デビューを狙って入部したのだという。しかし、三島に待っていたのは輝かしい高校デビューではなく、鴨志田による地獄のような圧政であった。

 誰かに助けを求めれば、見て見ぬふりをされるか、サボるための口実と認識されて諭される。最悪の場合、助けを求めた人物が鴨志田に情報を齎し、キレた鴨志田から更なる報復/暴力や罵倒を受けるのだ。肉体も精神も疲弊し、心が折れたのは想像に難くない。

 鴨志田が学校に来なくなったことで、彼を縛り付けていたものが無くなったた。故に、三島は自分の身を守るために抑圧してきた感情と向き合う時間ができた。自分が見捨ててしまったもの、傷つけてしまった相手のことに思いを馳せる余裕ができた。……結果、罪悪感から、彼は黎へ謝罪しに来たのだ。

 

 黎への仕打ちだけでなく、彼は様々なことを話してくれた。鴨志田から鈴井志帆を呼び出すよう命じられた生徒は自分であること、どうしようか悩みに悩んだこと、結局自分自身を選んで鈴井志帆を呼びに行ったこと、鴨志田のせいで負った怪我の影響と気が進まなかったことで呼びに行くまで時間がかかったこと――。

 三島の懺悔を聞いた黎は杏を呼び出し、鈴井さんとも連絡を取り、彼女を救出したときの話を聞かせたという。『あと数分遅かったら、杏たちの到着が間に合わず、自分は手遅れになっていただろう』、『三島がギリギリまで葛藤してくれたおかげ』――その言葉を聞いた三島は号泣していたそうだ。

 

 

「『何でもします』って言われたから、『これからは仲良くしてほしい』って返したら崇められちゃった」

 

「この慈母神……!」

 

 

 僕は思わず頭を抱えた。

 

 黎に対して罪悪感を持つ相手が、その張本人から“そんなこと”を慈母神スマイルで言われてみろ。

 贔屓目を抜いても、落ちない奴はいないと僕は考えている。彼女は自分の魅力に無頓着すぎるのだ。

 

 家に帰ったら竜司に連絡して三島の連絡先を聞き出し、三島に対して「彼氏は僕です」と表明しておかなければなるまい。

 僕がそんなことを考えたそのタイミングでスマホのランプが点灯する。メッセージを確認すると、送り主は竜司だった。

 丁度いい、このメッセージに返答するついでに竜司に訊いてみようか――なんて考えながらメッセージを見ると。

 

 

“三島にはしっかり言って聞かせといたから”

 

“しっかりと、しっかりと言って聞かせといたから”

 

“「黎は彼氏持ちだからやめろ」って”

 

 

 僕の幻聴か、どこかから嗚咽を上げる三島の声が聞こえてきたような気がした。声のトーンからして、“男泣き”と呼ばれるレベルのものだ。

 どうやら俺が実力行使をする必要はないらしい。物分かりのいい奴で良かったと思う反面、この物分かりの良さが事件の混迷化に繋がったと考えると複雑な気分だ。

 

 

「そういえば、今回の“依頼”、どうするの?」

 

 

 “依頼”――僕が秀尽学園高校に堂々出入りする手段として用いたでっち上げだ――の後始末が気になったのか、黎が問いかけてきた。僕は佐倉さんに感づかれぬよう注意しつつ、言葉を選ぶ。

 

 

「決定的な情報や確証を得たら、一端引き上げる予定だよ。少なくとも、秀尽の理事会が行われる5月2日までは粘ってみるつもり。出席日数の兼ね合いもあるから、今回はそこまでだね」

 

 

 【改心】前の鴨志田は、『5月2日に行われる理事会で、黎・竜司・三島の3人を退学処分にするために行動を起こす』つもりでいたらしい。しかし、【改心】を終えたその日から、奴は家に閉じこもっている。【パレス】が崩落したことで何らかの影響を受けていることは確かだが、それがどの方向性に転がるかは不明のままだ。

 でっち上げと言えど、建前上、僕は“依頼をこなすために秀尽学園に出入りしていた”人間である。黎と竜司たちの退学騒動/鴨志田が行っていた暴力事件と性的な嫌がらせが解決次第、手を引くのが自然であろう。ついでに仕事――でっち上げの依頼――を優先にしていたため、そろそろ帳尻を合わせなければならない。具体的には、出席日数と単位の確保。

 課題は家で片付いている。小田桐先生には散々迷惑をかけてしまったから、当然の義務だ。今回の一件が片付き次第、暫くは学生生活/学業優先に過ごさなければならないだろう。勿論、上司ポジションの冴さんにも報告済みだ。『学生の本分は勉強だものね』という快い返事を貰えるとは思っていなかったため、内心驚いたのはここだけの話であった。

 

 冴さんは【廃人化】事件を熱心に追いかけている。他の検事でも【廃人化】を追いかけている人はいるけれど、急先鋒、及び筆頭は冴さんだ。

 手伝いで顔を合わせる度に『忙しい』『猫の手も借りたい』と零していたから、ブラックバイト並みの待遇になることを覚悟していたのに。

 

 

「5月2日は全校集会が行われる予定になってるけど、吾郎も聞いてくの?」

 

「それは校長先生の許可次第かな。芸能人としての肩書があっても、許可が貰えるかどうかは別問題だろうし……」

 

「……あー、おほん」

 

 

 暫し談笑していた僕たちだが、佐倉さんの咳払いによって終わりが訪れた。ルブランの閉店時間である。名残惜しいのだが致し方がない。ただ、お互いがそう思っていると感じられることは嬉しかった。

 

 

「それじゃあまたね、黎」

 

「うん。またね、吾郎」

 

 

 互いに会釈しながら、僕はルブランを後にした。ドアベルの音を背にして、僕は夜の街に繰り出す。四軒茶屋の裏路地を抜けて表通りに出て駅へ向かう足取りは軽い。

 

 鴨志田の一件が片付いたわけでもないのに、【改心】が成功するか否かもわからないのに、僕はどうしてか()()()()()()()()()()。【()()()()()()()()と、得体の知れない確証があった。

 ()()()、“()()()()()()()()()()。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”“()()()()()――悲鳴にも似た感覚に、俺は思わず足を止める。

 

 

(――()()()()?)

 

 

 間違った、とは、何を? ()()()()()()()()()()()()()()? それに答える声もなければ、答えを示す術もない。

 けれど、どうしてか、今度は――()()()()()という安堵が溢れだす。()()()()()()()()のだと、根拠もないのにそう思えた。

 秀尽学園理事会まで残り数日。不安だらけにも拘わらず、どうしてか俺は、その日が楽しみで仕方がなかった。――おそらくは、黎以上に。

 

 

 

***

 

 

 

「ただいまー」

 

 

 帰宅の挨拶をしたが、保護者の返事は無い。料理をしている音と一方的に喋る声が聞こえるのみ。電話をしながら料理もこなす――空元至は、割とえげつない並行作業をしてのける人だった。

 普段ならば、僕の帰還を察知して何らかのリアクションを取るはずなのだ。しかし今回、至さんは相手との会話に夢中らしい。興味本位で聞き耳を立ててみる。

 

 

「俺達、今は東京に居るんだ。……ええ? パイセンも東京にいるの!? 何で? ――へえ! 事実上の栄転かぁ」

 

 

 至さんが【パイセン】という仇名で呼んでいる人物を、僕はよく知っている。

 

 

「……その割には、なんだか嬉しそうじゃないね。元気無いし。パイセン、『同棲と結婚式は八十稲羽』、『このまま八十稲羽に居付くつもり』って言ってたのに――」

 

 

 そこで、至さんは俺の帰宅に気づいた。パッと表情を輝かせて僕の名前を呼ぶ。電話越しのアイツは僕の名前に反応したらしい。至さんの顔色が変わった。浮かべた感情は困惑である。

 奴の愛称/パイセンを数回連呼した至さんであったが、ややあって、「切れちゃった」と苦笑した。彼に釣られるような形で僕も苦笑する。……本当、相変わらずの野郎だ。

 

 

「アイツ、今東京に来てるの?」

 

「ああ。『本庁のお偉いさんから声がかかった』んだって」

 

「へぇ……。エリート街道からドロップアウトしたあの自己中キャベツ野郎が、本庁へ返り咲きかぁ」

 

「世の中、何が起きるか分からないな。【八十稲羽連続殺人事件】の頃のパイセンを思い出すよ」

 

 

 しみじみとした様子の至さんに釣られて、僕も思いを馳せる。

 

 至さんがパイセン/僕が自己中キャベツ野郎呼びする男と初めて出会ったのは厳戸台で、当時のアイツはエリートコースを突っ走るバリバリのキャリア組であった。しかし、僕等との交流が途切れた間に何かあったらしい。いつの間にか“何らかの事情”でエリートコースから転落し、八十稲羽に島流し/左遷されてしまったようだ。

 【八十稲羽連続殺人事件】に巻き込まれた頃、アイツは嘗ての栄光――エリートコースを突っ走るバリバリのキャリア組――に対し、大なり小なり未練を抱いている節があった。奴が吹っ切れたのは、とある少女と正式な恋人関係になった直後からだと思う。文句を言いつつも、八十稲羽の住人に馴染む努力をするようになっていた。

 事件解決後、アイツは自分に来た栄転の話――本庁レベルまでは行かないものの、八十稲羽よりも大きな都市に転属の話が来ていた――を断り、今でも先輩後輩でコンビを組みつつ、恋人と穏やかな付き合いを続けていた。アイツのその恋人の仲睦まじい様子は、真実さんとマリーさんに負けず劣らずの名物カップルとして有名である。

 

 事件の黒幕たる土地神がホクホク顔で結婚情報誌を買い漁っていた姿や、僕が送った本――絶対に失敗しない結婚式のスピーチ――を何度も熟読し直す姿が脳裏によぎる。

 此度の栄転話を聞いた『神』が「八十稲羽から出て行っちゃうの!? なんで!? どうして!?」と驚く様子まで鮮明に浮かんできそうで、僕は思わず遠い目をした。

 

 

「吾郎は検察に出入りしてるから、もしかしたら、ワンチャン、パイセンと遭遇するかもしれないな」

 

「やめろよ考えたくない」

 

「いや、街中で遭遇したりして」

 

「だからやめろってば。シャレにならないから」

 

 

 笑顔でとんでもないことを言う至さんを黙らせつつ、僕はキッチンの椅子に腰かける。丁度料理が全品完成したタイミングだったようだ。

 ホクホク顔で席に着いた僕に飛び込んできたのは、当たり前のようにデザート枠で鎮座するパンケーキ。

 キャベツがつけた僕への愛称/蔑称の1つ――おこちゃまorガキんちょorポンコツ二重人格パンケーキを思い出し、何とも言えない気持ちになった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 本日は5月2日。本来であれば、“鴨志田が黎と竜司を退学にさせる”予定日である。【パレス】が崩壊してからここ数日間、結局鴨志田は一度も学校に来ることは無かった。

 僕は現在、秀尽学園高校の全校集会に参加する羽目になっている。『仕事に協力してもらったのでお礼します』と持ち掛けた結果、『全校集会でスピーチをして欲しい』と頼まれたのだ。

 

 今回の集会は、鈴井志帆の一件――本来ならば“鴨志田による強姦未遂”だが、鴨志田の暗躍によって“不審者に襲われた”に捻じ曲げられた――が開催理由。校長曰く、セクハラや性犯罪に関する話題が取り扱われる予定だとか。『事件の最前線に立つ僕ならば、同年代の心を動かせるのではないか』と言われたが、俺はそこまで万能な存在ではない。

 しかし、今の僕は二代目探偵王子。今を時めく有名人だ。獅童に近づき懐に潜り込むために、同年代に影響力を与える存在の確立・及びそれ相応の振る舞いが必須である。引き攣りそうになる表情筋を律し、数多の文句を飲み込んで『分かりました』と言うのは本当に大変であった。社会の闇ってこんな感じだろう。閑話休題。

 ただ今校長のスピーチ中である。スピーチの内容は当たり障りがないというか、何かのスピーチ本や専門家の著書を丸々引用――もしくは盗用?――しているだけの印象だ。あまりにもつまらないため、だんだん眠気が強くなってきた。僕の立ち位置が壇上じゃなかったら、そのままぐっすり眠っていたかもしれない。

 

 しかし、校長渾身のスピーチは中断に追い込まれた。――自主謹慎していた鴨志田が、体育館にやって来たためだ。

 

 

(何しに来たんだ……?)

 

 

 驚く校長や生徒たちをよそに、「自分は生まれ変わった」「全てを告白する」と宣言した鴨志田が生徒の前に歩みだす。

 高圧的な佇まいは鳴りを潜め、背を丸めて粛々と歩く姿が、僕を含んだ体育館にいる人間たち全ての視線を釘付けにした。

 

 

「私は、教師としてあるまじきことを繰り返してまいりました――」

 

 

 それは懺悔の言葉であった。同時にそれは、己の犯した悍ましい罪の告白であった。

 

 鴨志田は、生徒への暴言、部員への体罰、女子生徒への性的嫌がらせを認めた。鈴井志帆が学校を休んだ本当の理由が“鴨志田に襲われそうになった”ことだと認めた。選手として活躍していた頃から、気に入った女性に対して性的な嫌がらせをしていたことも、被害者女性が心を病んで飛び降り自殺を図ったことも、それらの事件をもみ消してきたことも認めたのだ。

 学校を己の城だと思い込み、王のように振る舞い、圧政と言う名の暴力を振るっていた男はもういない。今、僕たちの目の前にいる鴨志田は、己の罪を悔いて男泣きしている。あまりの変貌ぶりに、変貌の片棒を担いでいた僕や黎、竜司や杏も、その異様さに驚愕している。【パレス】や【改心】を知らない教師や生徒から見れば、余計に恐ろしく感じたであろう。

 男泣きしていた鴨志田であったが、自身が「気に喰わない」と思った生徒を退学に追い込もうとしていたことも認めた。勿論、それはきちんと撤回するし、それに必要な手続きがあるなら責任もって成し遂げるという。――これで、黎・竜司・三島の首がつながった。僕がほっと息を吐いたそのタイミングで、黎がちらりと視線を向ける。僕も小さく頷き返した。

 

 

「何の罪もない青少年を、酷い目に合わせて本当に済まなかった……。私は傲慢で、浅はかで、恥ずべき人間……いや、人間以下だ……」

 

(他者を踏み躙ることに何の躊躇も無かった男が、ここまで変貌するなんて……。これが【改心】なのか……)

 

 

 【改心】の効果が如何程か、僕の目の前で繰り広げられる光景が証明する。あまりにも劇的な変化を遂げた鴨志田が、その証拠だ。

 文字通りの劇薬っぷりに息を飲む。大きすぎる程の万能感に眩暈がしそうだ。力に溺れた者たちの思考回路に触れたような心地になる。

 

 ざわめきに包まれる体育館内。僕を含んだ誰も彼もが驚愕している。

 

 そんな中で一番最初に正気に戻ったのは、壇上で鴨志田の告白を聞いた校長だった。彼は弾かれたように首を動かして周囲を確認していたが、咄嗟に、鴨志田へ「壇上から降りろ」と指示を飛ばした。彼の言葉によって他の教師も正気を取り戻したのだろう。大慌てで生徒に解散を指示した。

 しかし鴨志田は動かない。土下座をした姿勢のまま、未だに男泣きしつつ懺悔を続けている。それを終わらせたのは杏の一喝だった。「本当に申し訳ないと思うなら、自分が犯した罪を償ってよ」――その言葉を受けた鴨志田は、ゆっくりと体を起こす。彼は杏に対して行った脅迫――鈴井志帆をレギュラーにする代わりに、関係を迫った――を認めた。

 

 

「今日限りで教師としての職を辞して自首いたします。――どなたか、警察を呼んでくれ!」

 

 

 最早、集会どころではない。教師が解散を宣言して生徒たちを追い払いにかかる。ドタバタと走り回る大人たちの様子からして、僕のスピーチなんぞお払い箱だろう。

 

 

「あの予告状、悪戯じゃなかったってこと!?」

 

「本物の怪盗が現れたの……?」

 

「誰かが鴨志田に何かやったのか!?」

 

「いや、心を盗むとかないだろう!」

 

 

 校長の背中を見送りつつ、ざわめく生徒たちの言葉を拾い集める。半信半疑ではあるものの、人々は“心を盗む怪盗”の存在を信じ始めたらしい。

 ……人々の噂が世界の在り様さえ変質させた、珠閒瑠市の事件を連想したのは何故だろう。『親和性が高そうだ』と思った理由も。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 オリンピック金メダリストの鴨志田卓は、つい先日までは、秀尽学園高校を我が物顔で闊歩していた人気者であった。教師も生徒も彼を褒め称え、「素晴らしい人だ」と言っていた。

 では、【改心】後の5月2日の全校集会で、鴨志田が自分の罪を告白した後、教師と生徒たちの反応はどうだったのか。――答えは簡単。全員、あっという間に掌を返した。

 

 

『学校中、“暴力セクハラ教師の鴨志田”の話題で盛り上がってるよ。……でも、今じゃあ誰も“オリンピック金メダリストで人格者な体育教師の鴨志田”の話はしていない』

 

『一度レッテルが張られてしまうと、周囲の反応は一瞬で変わってしまう。あの掌返しっぷりは“一度体験した”とは言えど、見ていて後味悪いなって思った』

 

『確かに私たちは鴨志田という悪を倒した。鴨志田には罰が下り、奴は一生苦しみながら償うことになる。そのことに後悔はしていない。この判断が間違ったとも思わない』

 

『力がないと言う理由だけで、強い人間が弱い人間を虐げることが許されるなんて理不尽、絶対あっちゃいけないって私は思うんだ』

 

『――けれど、だからこそ、この力で“誰かの人生を劇的に変えてしまった”という業は、私たちもきちんと背負わなくちゃいけない。しっかりと向かい合うべきだと思う』

 

 

 そう呟いた黎の表情は晴れない。貞操と退学の危機を免れてホッとしているのかと思っていたが、この結果に対し――一抹ではあるが――後味の悪さを感じている様子だった。【改心】の効果があまりにもテキメンだったためだろう。

 因縁深き鴨志田を討ち取ってスッキリしていた竜司や杏から見ると、実体験を交えた黎の意見は目から鱗だったようだ。今回は絶対悪に対する【改心】だったとはいえ、むやみやたらに力を振るうことに関するリスクを考えるきっかけになりそうである。

 【改心】の裏に潜む業を背負うと宣言した黎の眼差しは、“フィレモンの化身という特異性ゆえに、ペルソナ使いを戦いへ巻き込む”という業を背負いながらも生きることを選んだ至さんと同じものだ。あるいは、様々な理不尽と相対峙してきたペルソナ使いたちと同じとも言えた。

 

 モルガナは黎の言葉を茶化すことなく、とても真剣な面持ちで耳を傾けていた。

 至さんから何を言われたかは分からないが、彼は“黎の味方で居続ける”ことを選んだらしい。

 

 

『力を得ても、それに振り回されることなく“正義”を貫こうとするその姿勢……成程。芯の強いヤツだな、オマエ』

 

 

 満足げに呟いたモルガナの眼差しは、力司る者が契約者を見つめるときのような眼差しと似ている。と言っても、それは僕の主観に過ぎないものであったのだが。

 

 次に僕たちが行ったのは【オタカラ】の御開帳である。鴨志田のパレスから盗み出した王冠は、現実世界では金メダルに姿を変えていた。現役時代に鴨志田が手にした金メダルと同一のモノではあるが、厳密にいうと“鴨志田の心の支えが金メダルとして顕現したもの”で、モルガナ曰く『本物と遜色ない価値がある』と言う。

 自分の罪を認めた鴨志田は、もう二度と、晴れやかな気持ちで件の金メダルを身に着けられないだろう。そう考えると、やはり、僕らの力――【改心】の凄まじさを突きつけられたような心地になる。この力は確かに武器になるが、それ故に、どう振るうかを考えなければならない。使い方を間違えれば、獅童の『駒』と変わらないからだ。

 

 

『ゆかりさんが言ってたのは、こういうことだったのね……』

 

『玲司さんの言うとおり、難しい問題だな。なんか、考えれば考える程、身動きが取れなくなるっていうか』

 

 

 杏と竜司は難しい顔をして唸っていた。現時点では『てんで袋小路である』と言いたげな顔だった。煮詰めても何も出てこないのは、ただひたすらに辛い。

 とりあえず、僕たちはこの議論を一端打ち切ることにした。『今は、黎(と竜司)が退学という危機を回避したことを喜ぶべきである』と判断したのだ。

 鴨志田パレス攻略と金メダルの売却で手にした報酬を元手に、杏主導の会場で、今回の戦勝と慰労会を執り行うことと相成ったのである。

 

 ――それが、丁度一昨日の話だ。

 

 

(今日の第1目標は、黎と一緒に“金メダルを換金しに行く”ことか……)

 

 

 思い返せば、黎と2人で何かをするのは久々だ。目的はアレだが、これは一種のデートとも言えるのではなかろうか。そう考えると、身だしなみを整えるのに気合も入るってものだろう。

 身支度を済ませた僕は、早速四軒茶屋へと向かった。正直、至さんが「楽しんで来いよ~」と能天気に笑う声に答える暇も勿体ないと思うくらいには浮かれていた。閑話休題。

 

 足取り軽やかに喫茶店へと飛び込めば、丁度今の時間に部屋を出てきた黎と鉢合わせした。彼女は僕と目を合わせた途端、嬉しそうに口元を綻ばせる。僕も嬉しくて、思わず口元が緩んだ。モルガナが瞬時に目を逸らし、店主の佐倉さんが胸やけを起こしたみたいな顔をして眉間の皺を増やした。

 昨日の時点で、黎は僕に“ルブランの手伝いに駆り出されている。暫く手伝いが忙しいかもしれない。でも、明日は抜け出せるように頑張る”とメッセージを送って来たのだ。やはり今日も、佐倉さんは黎を店員として働かせるつもりだったらしい。

 佐倉さんは僕と黎の顔を何度も見合わせていたが、心を鬼にすることにしたようだ。険しい顔をして口を開き――彼の言葉はドアベルの音によって遮られた。音につられるような形で、僕と黎は入り口のドアへと視線を向ける。そこに佇んでいた人物に、僕は目を丸くした。

 

 

「――明智くん?」

 

「冴さん!?」

 

 

 まさかの鉢合わせに、僕も冴さんも驚いた。どうやら冴さんはルブランをご贔屓にしており、こうしてコーヒーを飲みに来ることもあるらしい。「ここのコーヒーは絶品なのよね」と微笑んだ女検事は、ふと、黎へ視線を向けた。

 

 冴さんはすぐにすべてを察したらしい。

 今度は僕と黎に対して、とっても生暖かな眼差しを向けてきた。

 

 

「……そう。貴女が、明智くんの……」

 

 

 ……そんなに微笑ましいものを見るような眼差しで僕を見ないでほしい。仕事上の付き合いが多いから、冴さんから庇護対象者のように扱われることには慣れないのだ。

 なんだか気恥ずかしくなって黎を見やれば、黎もほんのりと顔を染めながら僕を見つめる。ほんの少し潤んだ瞳は、頼りなさげに揺れていた。どうしよう、照れくさい。

 カウンターの向こうにいた佐倉さんの目が死んだ。黎の鞄に忍び込んでいたモルガナの目も死んだ。冴さんの笑顔に悲壮感が籠ったように感じたのは何故だろう。

 

 一番リカバリが早かったのは冴さんだった。彼女は黎に声をかける。同年代の妹/新島さんがいるせいか、とても気さくな態度であった。

 黎も、親戚付き合いで舞耶さんや命さんと仲が良かった。その影響か、年上のお姉さんに親しみがあるらしい。

 

 

「大丈夫よ明智くん。私、貴方から有栖川さんを取り上げるつもりはないし、有栖川さんから貴方を遠ざけるような真似もしないから」

 

「冴さん……」

 

 

 彼女たちの様子を見守っていたら、何を思ったのか、冴さんが窘めるような口調で僕に声をかけてきた。どう反論すればいいのか分からない僕を横目に、冴さんは黎へと向き直る。

 

 

「有栖川さん、貴女の話は明智くんから聞いているわ。彼、貴女のことをとても大切に想っているみたいよ」

 

「知ってます。私にとっても吾郎は大切な人ですから」

 

「ふふ、そうでしょうね。見ればすぐに分かるわ。貴女の話をする明智くん、年相応の顔をするから」

 

「そうなんですか?」

 

「ええ。大人と対等に渡り合う涼しい顔した天才高校生を“とびっきり幸せな男”にさせるなんて、どんな子なのか是非会ってみたかったのよ」

 

 

 にこやかに微笑む冴さんを見て、黎は表情を曇らせた。

 

 

「買いかぶりすぎですよ。私はずっと、吾郎に迷惑をかけ通してばかりですから」

 

「迷惑?」

 

「私、以前、厄介事に巻き込まれたことがあって……吾郎はその件について調べてくれてるんです」

 

「そうなの……」

 

「彼には彼で調べたいことがあって駆け回っているのに、私のせいで無理をさせているんじゃないかと心配なんです。吾郎は辛くても頑張っちゃうところがあるし」

 

「――違う。そんなことない」

 

 

 痛みを堪えるような黎の表情を、これ以上見たくなかった。

 自分自身を責めるように唇を噛む黎の姿を、これ以上見たくなかった。

 そんな風に、表情を曇らせてほしくなかったのだ。

 

 だから僕は黎の言葉を否定する。目を点にする彼女の手を取って、ただ真っ直ぐに黎を見つめた。

 噛みしめるように、僕は言葉を紡ぐ。僕の気持ちが伝わってほしいと願いながら。

 

 

「黎がいてくれるなら僕は大丈夫。何だって平気だ」

 

 

 有栖川黎がいてくれたから、明智吾郎はここまで生きてこれた。得体の知れぬ脅迫概念に突き飛ばされそうになっても、彼女の傍に在りたいと思ったからこそ踏み止まれた。彼女の力になりたいと思ったからこそ、頑張ってこれた。

 

 もし黎がいなかったら、俺は俺の保護者に対して心を開けないままだったかもしれない。件の“おしるし”の一件だって、空本兄弟にアドバイスをしたのは黎だったという。

 悪魔が跋扈する御影町を駆け抜けたときも、至さんの特異体質が原因で数多の戦いに巻き込まれたときも、黎が僕を支えてくれたから乗り越えてこれたのだ。

 

 

「もし“黎がいてくれなかったら”って考えると、ぞっとする」

 

「吾郎……」

 

「黎のおかげで頑張れるんだ。だから、そんな顔をしないでほしい」

 

「……ありがとう。私も、吾郎がいるから頑張れるよ」

 

 

 曇り空の切れ間から光が差し込んだみたいな笑みを浮かべる黎を見て、僕も嬉しくなった。やっぱり黎は笑った顔がよく似合う。多分、愛おしいってこういうことを言うのだろう。

 黎と見つめ合いながらそんなことを考えていたら、冴さんが佐倉さんにコーヒーを注文する声が聞こえた。双方、胸やけに苦しむ人みたいな顔をしている。そして目が死んでいた。

 甘味など一切感じさせない、拡張高いコーヒーの香りが喫茶店を満たす。程なくして、冴さんが注文したコーヒーが完成した。冴さんは半ば一気飲みよろしくコーヒーを煽った。

 

 カップを皿に置く手つきがやや乱暴に感じたのは何故だろう。佐倉さんも店の裏に引っ込んでしまった。彼は流し台で慌ただしく何かを作ると、一気に飲み干す。面白いことに、冴さんと佐倉さんはほぼ同じタイミングで深々とため息をついた。

 

 胸やけの類似症状は治まったらしく、冴さんは知的な雰囲気に戻っていた。仕事上のときと違って親しみやすさが滲むのは、今がオフだからであろう。

 同時に、妹とほぼ同年代である黎に対して姉としての本能が刺激されている様子だった。実際、黎にも妹気質っぽいところがあるから。

 

 

「有栖川さん。これからも、明智くんのことを支えてあげてね。……部外者の私がこんなこと、今更でしょうけど」

 

「そんなことありません。これからも、そうします」

 

「ふふ。大人しい顔して芯が強いのね。今の貴女、とっても素敵よ」

 

 

 凛とした笑みを浮かべて言い切った黎を見て、冴さんは安心したように微笑んだ。そうして僕に向き直る。

 

 

「明智くん。いくら大切な人のためだからと言っても、無理と無茶は禁物よ。何かあったら、私たち大人を頼りなさい」

 

「……はい。頼らせていただきます」

 

 

 パオフゥさんが気にかけていた理由が何となくわかった気がして、僕はひっそりと目を細めた。

 後で彼に連絡を取ったら、冴さんの話をしてみよう。……きっと、遠くを見つめて、静かに笑うのだろう。

 

 僕らは四件茶屋を飛び出して、金メダルを買い取ってくれそうな店を探した。

 

 紆余曲折――聴取をしに来た警察官との遭遇、本物そっくりのモデルガンが入った袋を手渡される等――あったものの、黎が銃を購入したミリタリーショップで金メダルを売却することができた。手元に残ったのは3万円である。怪盗団一同に連絡した結果、戦勝会の会場は帝都ホテルのビュッフェに決まった。

 帝都ホテルは金持ちが利用するホテルであり、建物内にあるこのビュッフェも金持ちご用達の店であった。到底、一介の高校生如きに手を出せるものではない。しかし僕等には、鴨志田から頂戴したオタカラ・金メダルを売り払ったことで手にした3万円がある。宿泊は無理でも、ビュッフェの食べ放題コースを楽しむことは可能だった。

 戦勝会の会場を“高級ホテルのビュッフェ”にしたのは、高巻杏きってのリクエストである。彼女は以前からここのビュッフェ――特にスイーツ――に興味があったらしい。本人の自己申告では『甘いものが大好き』らしく、一仕事終えた後には自分へのご褒美としてスイーツを食べるのだとか。モデルは食事制限が多いため、甘いものに飢えやすそうだ。

 

 

「途中で警察に絡まれたときはヒヤヒヤしたけど、吾郎がネームバリューで殴ってくれたおかげで助かったよ」

 

「こういうときは、『司法関係者に顔と媚売ってて良かった』って思ったね」

 

 

 大切な人と一緒に並んで、休日を過ごす。随分と久しぶりな気がした。――尚、黎の鞄の中にいるモルガナ(チベットモナキャットのすがた)に関してはノーコメントとする。

 

 既に日はとっぷりと暮れていた。夜の大都会は煌びやかな光に包まれており、それが余計に暗闇を濃くしているように感じる。

 実際、路地に入ると光が殆ど差し込まない道だってあるのだ。何が潜んでいるのか分からない気配を感じさせた。

 

 

『日本は沈没しかかっているのです。この国の船頭が――』

 

 

 不意に聞こえてきた声に、俺は反射的に顔を上げた。街頭のテレビジョンに映し出されているのは、マスコミに囲まれインタビューを受ける大臣――獅童正義だ。テレビの中にいる獅童は、別の大臣が辞任したことに関してコメントを求められていたらしい。奴は拳を振りかざさん勢いのまま、けれど理知的に思いを語っている。

 

 正義の字面を己の名として背負いながら、獅童は悪事に手を染めていた。しかも、異世界を利用した完全犯罪だ。奴の犯した罪に気づいているのは俺を始めとした僅かな面々だけだろう。だが、それを表の世界で追及することは不可能だった。

 コメンテーターも獅童の言葉に賛同しており、不祥事を起こした大臣を責め、精神暴走事件に関する各々の推測を述べていた。……この光景すら作為的に見えてしまうのは、俺が“獅童正義の恐ろしさを知っている”人間だからであろう。

 何度も何度も、獅童の映像がテレビジョンに映し出される。俺はそれを睨みつけるようにして見つめながら、横断歩道へ向かった。信号は点滅気味の緑から赤に切り替わる。丁度俺たちが最前列らしい。信号を待つ傍ら、俺はテレビジョンを睨みつけたままでいた。

 

 

「吾郎、大丈夫……?」

 

 

 俺の様子に不安を覚えたのか、黎が心配そうに見上げてくる。俺は努めて笑みを浮かべて「大丈夫だよ」と答えた。

 

 俺のささやかな強がりを、黎は見抜いたのかもしれない。でも、彼女は敢えて何も問わなかった。ただ静かに目を細めて、小さく頷き返しただけだった。僕が自分の口から真実を告げるのを待ってくれる。

 愛しい人。本当なら心のままに彼女の手を取って抱きしめたいけれど、俺の中に流れる血がそれを許さない。俺の父親は――獅童正義は、黎を玩具にして踏み躙ろうとした挙句、冤罪を着せたクソ野郎だ。

 

 俺が触ってしまったら、彼女まで汚れてしまいそうだ。……いいや、きっと汚してしまうのだろう。沢山傷つけた挙句、壊して、最後は捨ててしまうのだ。嘗て獅童が俺の母を捨てたように。

 今はそうでなかったとしても、いつかは獅童と同じ存在になってしまいそうで怖い。――きっとこの恐怖は、僕が黎を愛し続ける限り、死ぬまで向き合わなければいけないのだろう。

 互いに顔を見合わせる。それだけで、どうしようもなく心が弾んだ。きっと大丈夫だと信じられた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「――あ」

 

「ゆかりさんが受けた仕事って、これだったんだ」

 

 

 信号を待つ間、再びテレビジョンに視線を向ける。化粧品のCMに映し出されたのはゆかりさんだ。品物も、つい最近発売されたばかりの新作。

 助っ人に駆けつけてくれた香月夫婦の後ろ姿がよぎったとき――

 

 

(――ッ!?)

 

 

 ――ふと、背後に気配を感じた。ゾッとするような、底なしの闇みたいな気配だった。

 

 振り返らなければならないと分かっているのに、振り返ることができない。()()()()()()()()()()――俺の直感が、そう悲鳴を上げているのだ。

 俺は息を殺しながら、背後の気配の出方を伺う。雑踏の音も話し声も聞こえない、無音の空間に閉じ込められたような心地になった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()だって? ……本当におめでたい奴だな」

 

 

 この声は、聞き覚えがある。メメントスで殺人を犯していた、獅童の『駒』だ。

 

 

「明智吾郎、()()()()()()()()()

 

 

 でも、分からない。()()()()()()

 俺に警告するこの男は、()だ――!?

 

 

「――きゃあ!」

 

 

 一歩遅れて、隣から声がした。何の前触れもなく、黎が体制を崩して横断歩道へ倒れ込む。

 

 

「――黎ッ!」

 

 

 俺は咄嗟に黎の手を掴んだ。彼女の身体を俺側へと引き寄せる。道路を走行していた車が突っ込んできたのはほぼ同時。――間一髪、彼女を抱き寄せるのと、車のブレーキが間に合った。

 ざわめく民衆に紛れるようにして、俺を縫い止めていた殺気は溶け去る。黎にぶつかる数十センチ前で急停止した車から顔を出した運転手は怒りをあらわにしていた。

 運転手からは黎が突然飛び出してきたように見えたのだろう。野次馬たちも同じ意見らしく、「不用心」「あの子、テレビジョンに夢中だったから」だのとヒソヒソ囁く。

 

 ……彼らは誰も、黎を突き飛ばした人間を見ていないらしい。

 

 車は荒々しく発進し、あっという間に見えなくなった。程なくして赤信号は青へと切り替わる。

 何もかもが悪い夢だったみたいに、現実は動き出していた。

 

 

「大丈夫!? 怪我してない!?」

 

「吾郎が助けてくれたおかげで大丈夫だったよ。吾郎は?」

 

「僕は平気。……肝が冷えたよ」

 

 

 僕は黎の手を握り締める。黎もまた、同じようにして僕と手指を絡めてくれた。血潮が巡り、ほんのりと温かな体温を感じ取る。――ああ、やっと安心できた。

 

 周囲を警戒しながら、俺と黎は足を進めた。だが、アレ以降、恐ろしい殺気を感じることはない。……成程、先程の“警告”は俺への挨拶代わりだったのか。

 冴さんの予備司法修習生として検事局を出入りしている俺は、そこそこの有名芸能人クラスであるということも利用しながら、獅童の事務所等にちょくちょく顔を出している。

 獅童とはすれ違うだけの間柄でしかないため、奴には“俺の正体”はおろか“俺の目的”を知られているとは思えない。ならば、奴の『駒』が動いたのは独断だろうか?

 

 

(獅童正義にパイプを繋ぐための足掛かりが揃ってきたから、か?)

 

 

 実はつい最近、俺は獅童派の議員から調査を頼まれたのだ。勿論、自作自演の名探偵でしかない俺はメメントスに潜り込み、奴の敵対者である人物のシャドウから情報を集め、現実世界で証拠を回収して奴に手渡した。

 その議員は獅童派の中では下っ端だが、若手の政治家やマスコミ等とコネがあった。そいつの口利きで、“探偵王子の弟子、明智吾郎”のネームバリューは“近々更に上昇する”ことが約束されている。獅童に取り入るための下準備も着々と整いつつあった。

 

 何故、この時点の獅童を“鴨志田と同じやり方”で【改心】させなかったのかは、“鴨志田のケースがどう転ぶか未確定だったため”だ。もし同じやり方をした結果【廃人化】してしまったら、俺は獅童の『駒』と同レベルになってしまうからである。それだけは絶対に嫌だった。閑話休題。

 

 

(まさか、黎を狙うなんて……)

 

 

 自分が傍にいたのに、黎を危険に晒してしまった――この恐怖と不甲斐なさを、そうして激情を、どう扱えばいいのか分からない。それを向けたとしても、きっと、黎を悲しませるだけだから。

 

 ()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

 

『――危ない、■■■!』

 

 

 ノイズ塗れの世界に響いたのは、凛とした“彼女”の声。

 

 世界の真ん中で、“彼女”が身に纏っていた黒衣が翻る。どうしても目を逸らすことができなかった、鮮烈な色。唯一無二の色彩。次の瞬間、“彼女”は地面に投げ出されていた。倒れ伏した“彼女”は、眼前の敵と戦うどころか、生きているかすらも怪しかった。

 一瞬だった。攻撃が迫りくる中、“彼女”は“自分”の前にその身を滑り込ませた。敵の攻撃から“自分”を庇ったのだ。『嘘だ』、『何故、どうして』――“自分”の思考回路を塗り潰したのは、現実や事実に対する拒絶であり、“彼女”の選択に対する疑問。

 いつか見た【滅びの夢】とは一線を駕す光景に、僕は思わず困惑する。疑問があまりにも多すぎて、何から手を付ければいいのか想像もつかない。途方に暮れかけた僕であるが、程なくして、“隣に黎がいること”を――ひいては“彼女を一番想っている”ことを思い出した。

 

 僕はおもむろに黎の手を握り締める。

 黎もまた、同じようにして僕の手を握り返してくれた。

 

 

 




「大丈夫。大丈夫だよ」


 ――青年の言葉が嘘であることくらい、すぐにわかる。

 でもそれと同じくらい、その嘘を真実にするために心を砕いて尽くそうとしていることも、すぐにわかった。
 青年は“いい人”ではないし、どれかと言うと“しょうがない人”ではあるけれど。


「僕は大丈夫。絶対に大丈夫だから」


 外面だけが“いい人”の玩具にされていた自分を救ったのは、“悪い人”に成り切れなかった道化師だった。
 利己的で打算的な理由であったとしても、それが無ければ、自分は今ここに生きてすらいなかった。
 中途半端でも、どうしようもない部分が浮き彫りになっても、情けなくとも――自分にとっては、唯一無二の大切な人だから。


「――だから凛ちゃんは、なぁんにも心配しなくていいんだよ」


 ずるい大人の嘘を、甘んじて受け止める。今度は自分が、彼の手を握り返して引っ張り上げる番だから。


―――


リメイク前とは、イベントの発生順番と内容が変化しました。不穏な気配を感じつつも、次は戦勝会です。
尚、魔改造明智の深層心理でドタバタしている“彼”の背景がリメイク前とは少々違うため、トラウマやその反応にも変化が見られる模様。
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