Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn-   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空元(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は有栖川(ありすがわ)(れい)
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空元(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 キタロー:香月(こうづき) (さとし)⇒妻・岳場ゆかりが所属する個人事務所の社長であり、シャドウワーカーの非常任職員。気付いたらマルチタレントになっていた。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。

・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。


A Lone Prayer -Dream of Butterfly- Ⅰ
フラグメントⅠ.夢の矛先


 赤と黒で彩られた不気味な世界で、誰かが泣き叫ぶ声がする。

 程なくして、大きな炸裂音と断末魔の悲鳴が響き渡った。

 

 足元に散乱するのは赤一色。絵具とは違い、その液体からは、ほのかに鉄のにおいがした。

 

 積み上げられたのは、灰色の人型。顔もなければ特徴もない。何故かは分からないが、“それが死体である”と理解した。そう考えると、眼前の光景は地獄絵図。四方八方死体だらけだ。だというのに、炸裂音と断末魔は途切れることを知らない。音が響く度に、死体の数は目に見えて増えていった。

 不鮮明な視界の中で蠢いたのは、青みがかった黒い影だった。屍の山に囲まれた影の眼前には、小さな事務机と備え付けられた椅子がある。……心なしか、彼の眼前だけは、別の世界から無理やり切り取ってここへ継ぎ足したような違和感があった。

 

 

『――――』

 

 

 影が、何かを言っている。内容は一切分からないけれど、侮蔑と嘲笑が込められていることは瞬時に理解できた。

 よく見れば、事務机に備え付けられた椅子に誰かが座っている。どこかの学校の制服を着た女性だった。

 雰囲気や背格好からして、高校生くらいの年齢だろうか? ……心なしか、見知った人と雰囲気がよく似ている。

 

 

『――――』

 

 

 影が、何かを言っている。内容は一切分からないけれど、歪んだ笑みを湛えていることは容易に想像がついた。

 しかし、女性は無言のまま影を見つめる。凪いだ水面のような態度で。灰銀の瞳は鏡の如く、影の醜悪さを余すことなく映し出していた。

 

 ほんの一瞬、影が揺らぐ。僅かに逡巡するような動作の後、影は動いた。

 

 聞き覚えのある炸裂音と共に、赤が爆ぜる。少女は目を見開いたまま崩れ落ちた。影は暫し倒れ伏した少女を見下ろしていたが、思うところはあったのだろう。少女の死体を綺麗に整え始めた。

 彼女の体に触れる影の手つきは繊細だ。他の死体はそのまま放置していたことと照らし合わせてみても、対応の違いは歴然である。影にとって、この少女は“唯一無二の特別”だったのだろう。

 

 

『――なんでだよ』

 

 

 影の言葉が、はっきりと響いた。

 先程までと打って変わった、湿って震えた声だった。

 

 

『なんで、どうして……! ……ッ、どうして、今更――!!』

 

 

 影が嘆く。

 

 溢れだしてきた感情すべてを、必死に堪えようとしている。他の人間を手にかけたときと同じように、何の関心も示さないように心がけていた。

 でも、一度決壊したものを押し留めることなど不可能だ。それを理解していても、影はずっと必死だった。すべてを“なかったこと”にしようと足掻く。

 その都度、影の脳裏に浮かんだのは、少女と一緒に過ごした時間。――目元を覆い、身を震わせて、影は大きく舌打ちした。

 

 

『計画は動き出した。僕が引き金を引いた。後戻りなんてできない』

 

 

 影は努めて平坦な声を出そうとしているようだった。

 でも、声の震えは端々に残っている。

 

 

『……結局、僕の望みは叶わないんだ。僕は誰の特別にもなれないし、何にもなれやしない』

 

 

 己が歩んできた軌跡を確認するように、影は自分に言い聞かせる。

 自分が見て、体験してきた“事実”こそが、この世界を構成するすべてなのだと。

 

 

『特別だった相手も、今しがた、僕が――』

 

 

 影が言葉を詰まらせた。

 

 最早誰にも許されなくとも。後戻りできなくとも。少女を壊したのが自分自身だったとしても。

 本当は全部間違いだったと理解していたとしても。少女を不幸にした張本人が自分であったとしても。

 できることならば、己は少女の唯一無二でいたかった。少女にとっての己もまた、唯一無二の存在でありたかった。

 

 たった1人の特別を得たからこそ。

 影もまた、相手にとっての特別になりたかったのに。

 

 

『――……もう、何もかもが遅いんだよ……っ!』

 

 

 影が嘆く。悲哀を色濃く滲ませた咆哮が、赤黒い世界に響き渡った。

 

 

 

 

*

 

 

 

 不鮮明な世界の中で、誰かが倒れていた。

 

 赤黒い世界で見た死体の山と違い、彼らには鮮やかな色彩が宿っている。人影は8人、猫みたいな奴が1匹。

 黒い影は、誰かを抱えて呆然としていた。目元を覆う白い仮面と、黒い怪盗服が印象的な少女。

 少女の腕は力なく垂れ下がっていた。固く閉じられた瞳は、もう二度と開かないのだろう――漠然とした予感があった。

 

 眼前には、黄金の鎧と白い法衣を身に纏った、穏やかそうな顔をした男。

 男の背後には、巨大な触手を持つ異形が蠢く。――文字通りの、万事休す。

 

 

『――キミの負けだ、■■くん』

 

 

 世界は光に包まれる。狂気的な善意によって、何もかもが塗り替えられていく。

 

 生きとし生ける者が抱える願いすべてが具現化した、“誰もが幸福のままでいられる世界”が産声を上げる。

 人に襲い来るであろうありとあらゆる艱難辛苦を排除し、該当者の望むままに変貌・変質する世界。

 乗り越えるべき試練も、乗り越えてきたはずの試練も、等しく“存在しないもの”として塗り替えられた世界。

 

 

『畜生……!』

 

 

 犯した罪とそれに対する後悔も、耐え難い傷の痛みや愛おしい傷跡も、過去を引きずりながら歩いた先で手にした希望も、何もかもが消えていく。

 それら全てを食らい尽くした果てに、暴力的且つ一方通行の善意と思い込みや曲解の力で生み出された楽園――否、人を飼い殺し、堕落させる牢獄は完成した。

 

 

 

 

 

 

 

 息苦しさを覚えた直後、僕の意識が覚醒した。胸が潰れるような痛みを帯び、息を吸うたびに切り裂かれるような痛みを覚える。

 眼前に広がる天井は、つい最近見知ったものだ。母が死んで、遠縁の親戚である高校生の双子に引き取られたとき、双子が居候していた家から与えられた部屋。

 部屋はまだ薄暗い。身体も汗でびっしょりだ。こんな時間に目覚めるときは、いつも夢見が悪かったときだ。

 

 

(――()()、夢を見たのか)

 

 

 僕は大きくため息をついた。

 

 嫌な汗で湿った体が気持ち悪い。このまま二度寝するのは辛いので、僕はベッドから這い出した。箪笥から着替えを持ち、なるべく忍び足で風呂場へ向かった。

 この家の家主たちは、僕が夜中に風呂を使うことを許してくれる。他の親戚だったらまともに風呂に入れてもらえなかった可能性もあったから、恵まれているという自覚はあった。

 

 

『うちは24時間風呂なんだ。お父さんやお母さんの仕事の時間が、凄く差があって』

 

『深夜に帰ってくることもあるし、朝早く出かけることもあるの。だから、いつでも湯船に入れるようにしてるらしいよ』

 

 

 家主一家の1人娘・黎の言葉を思い出しつつ、僕は身支度を済ませて風呂場の扉を開けた。白で統一された広めのバスルームは、いつ見てもピカピカに光り輝いている。僕の引き取った双子の兄弟や家政婦さんたちの掃除が行き届いている証だろう。

 母がまだ元気でいた頃の僕は、母に仕事が入れば数百円分の硬貨と着替え一式を持って銭湯で時間潰しをしていた人間である。母と過ごしたアパートに風呂はなかったから、まずは“家に風呂がある”という時点で異質であった。

 そのため、有栖川家にあるバスルームの広さに度肝を抜かれた。今だって、この風呂を利用するのに「無料でいいのか」と疑問に思うレベルである。正直な話、後で何か――金銭的なものだったり、体を使った奉仕だったり――を要求されそうで怖い。

 

 しかし、無力な子どもに、そんな未来を回避する手立ては殆どない。

 できることと言えば、高校や大学の進学を機に飛び出すくらいだ。

 

 

「『誰にも期待しない』、『1人で生きていく術を身に着ける』。……そう決めたはずなんだけど、な」

 

 

 湯船のお湯で体を流しながら、僕はため息をついた。

 

 遠縁の親戚たる双子の高校生に引き取られ、彼らが居候する旧家で暮らし始めて早数か月。時々、素で警戒を解いてしまうことが増えた。

 親戚たちから『望まれない子ども』や『要らない子』と罵倒され、拒絶され、押し付け合いの修羅場を見せつけられた記憶も薄れつつある。

 

 頭を洗い、体を洗い、泡をすべて流した後、湯船に浸かる。わざと“ゆっくり100を数えてから上がる”癖――母が仕事をする際、1人で銭湯を利用していた頃の名残は、まだ残ったままだ。

 双子の兄弟や黎も、それを無理に矯正するような素振りはない。何か言うとすれば、『吾郎はすごいな』だろうか。他者からの否定的な言葉に慣れ切ったためか、未だにむず痒さを感じてしまう。

 肉親で誉めてくれたのは母だけだ。生まれてこの方、父とは一度も顔を合わせたことがない。母の父である老紳士とは葬儀で初めて顔を合わせたが、顔合わせ早々、僕に対して憎悪を向けてきた。

 

 

『お前さえいなければ、あの子は死なずに済んだんだ! お前が殺したんだ!』

 

 

(――あのときのことは、絶対に忘れないと思ってたのに)

 

 

 当時のことを思い返す。僕の祖父に当たる老紳士が、涙ながらに叫んだ言葉だ。

 

 老紳士は僕を身籠った母に対して、『今なら幾らでもやり直せるから、子どもを堕胎したほうがいい』と勧めたらしい。だが、それが母の怒りを買った。母は身重の体で実家を飛び出し、以後は一切、老紳士と連絡を取らなかったという。惚れた男がいくらクズ野郎であったとしても、その男との繋がりである僕を失いたくなかったのだろう。

 老紳士は娘の行方を捜した。方々手を尽くして母を見つけ出したときには、既に僕が生まれていたという。老紳士は母と和解することを望んだが、母には“愛する男との唯一の繋がり――自分の子どもを殺すことを勧めた老紳士/父親の元に帰る”という選択肢など、最初から存在していなかったのだ。

 

 

『お前さえ生まれてこなければ、私たち親子はずっと幸せでいられたのに……!!』

 

 

 母は僕を育てるために仕事に励んだが、生活のために無理をして、体を壊して亡くなった。それは揺るぎのない事実である。

 それを知った老紳士が、『明智吾郎が生まれたせいで自分の娘は死んだ。娘は明智吾郎に殺された』と認識してもおかしくはない。

 

 老紳士にとっての明智吾郎は、どう頑張っても『娘を捨てた憎い男の子ども』にしか思えなかった。

 顔立ちがいくら母と瓜二つであろうとも、『明智吾郎のせいで親子仲が崩壊した』というバイアスがかかっている。

 だから老紳士は、『諸悪の根源たる明智吾郎』から、母に関するものの一切合切を取り上げようとしたのだ。

 

 親戚たちは厄介ごとを避けるためか――あるいは老紳士の主張に全面同意していたためか、彼の暴挙を止めるそぶりを見せなかった。

 

 

『娘を亡くしたあんたの気持ちは分かる! でも、吾郎くんだって、母親を亡くした子どもなんだぞ!?』

 

『あんたにとっての娘は、あの子にとっての母親だ。……あんたは、あの子にとっての唯一の肉親を奪うのか?』

 

 

 老紳士に割り込んだのは、遠縁の親戚として葬儀に出ていた双子の高校生――空元至と航だった。

 暴れる老紳士や、周囲の冷ややかな視線にも負けることなく、彼らははっきりと意見を主張する。

 

 

『あんただって、半年前に奥さんを亡くしたじゃないか。これから天涯孤独で生きていかなきゃいけないのは、あんたに拒絶されたあの子だって同じだろう!!』

 

『無理に受け入れろとは言わない。けど、“あの子もあんたと同じ痛みを抱えて生きていく”ってことだけは覚えててくれ』

 

 

 彼らの言葉がなければ、僕は、母に関するもの――写真や遺品、遺産――の一切合切を奪われていただろう。墓参りだって許してもらえなかったかもしれない。

 

 双子の言葉を聞いた老紳士は、目から鱗を落としたような顔をした。僅かに逡巡したあと、彼は『手切れ金』という名目で、一部の遺品と金銭的な遺産を僕に譲ってくれた。

 『午後に墓参りをすること』を条件に、母の命日や月命日の墓参りを許容してくれた。老紳士は午前中に墓参りをするのが習慣であり、僕と顔を合わせたくないという理由からこの条件になったらしい。

 老紳士はそのまま立ち去っており、以来、僕は彼と顔を合わせていなかった。老紳士の判断は、最大限の譲歩と温情でできていると知っていたから。――まあ、もっとクソな親戚たちが多かったのも理由か。

 

 考え事をしながら、僕は湯船から上がった。体を拭いて、下着と寝間着を着て、忍び足で自分の部屋へと戻る。……隣の部屋で眠っている人物に迷惑をかけていなければいいが。

 あの子はわずかな物音でも異変を察知してしまうタイプだ。いいや、流石に深夜の時間帯に目を覚ますなんてことは。でも結局、それで毎回頭を抱えているじゃないか――なんて考えていたら。

 

 

「……」

 

「あ……」

 

 

 案の定、隣の部屋の住人/黎が目を覚まし、僕の部屋の前で待ち構えていたところだった。凪いだ水面を思わせるような灰銀が、じっと僕を見つめている。

 既視感と、焼けつくような胸の痛み。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――?

 得体のしれない罪悪感――元から抱えていた罪悪感も相まって――に駆られた僕は、反射的に視線を逸らしていた。……情けないことだが、何も言葉が出てこない。

 

 

「吾郎、また魘されてたでしょう」

 

「……ごめん。起こした?」

 

 

 黎は、僕の問いに答えなかった。彼女は静かな面持ちのまま、僕の手を取った。そのまま、僕と手を繋いで指を絡める。

 

 伝わってくる温もりが心地よくて、要らない子と呼ばれた僕の手を取ってくれる人がいることが嬉しくて、自分より年下の少女に縋り付こうとしている己が恥ずかしくて、僕は小さく息を吐く。

 彼女の前では、きちんとしていたい。格好良くしていたい。ちゃんとした年上の人間として、きちんと振る舞いたい――なんて、思ってしまうのだ。一度もそんな風に振舞えた経験など皆無だけど。

 

 

(ああ、すきだなあ)

 

 

 彼女の前で格好つけようとする理由を、僕は既に理解している。ほんの数か月前の僕は、こんな風に想える相手と出会えるなんて、一切予想していなかった。

 あの日目の当たりにした地獄を、ほんの一瞬でも忘れてしまえる瞬間があるなんて思わなかった。どこにでもいる人間として過ごせるとは思わなかったのだ。

 

 母を亡くし、親戚たちから手酷く拒絶されたあの瞬間、僕は強くならなければと決意した。

 

 自分を守ってくれた母はもういない。もう二度と、誰も僕を守ってくれないし、愛してくれやしないのだと。高校生たちに庇われたときも、この家で暮らすことになったときも、外聞を良くするためだとか、後から利用するために恩を着せているのではないかと疑っていた。

 だって、僕を拒絶した大人たちの大半が言っていたのだ。『こんな子ども、引き取っても何もいいことがない。自分たちに負担がかかるだけ。存在そのものが邪魔なのだ』と。大人たちの反応を見た僕は、もう二度と、弱い自分を見せられないと思った。

 ほんの僅かでも弱みを見せたら、容赦なく踏み躙られる。ほんの僅かでも情に流されてしまえば、利用された挙句捨てられてしまう。最初から諦めてさえいれば、最悪の事態に陥っても「どうせこんなものだ」と嗤えば済む話だから。――済む話、だったから。

 

 

「僕はもう大丈夫だから、黎も自分の部屋に戻りなよ」

 

 

 僕は努めて笑みを浮かべ、黎に言い聞かせる。

 半分本当で、半分嘘。嘘の大半は、ささやかな強がりだ。

 

 黎はじっと僕を見つめていたが、ややあって、口を開く。

 

 

「――ねえ、吾郎」

 

「何?」

 

「私“()”、怖くて眠れないんだ。一緒に寝てくれないかな?」

 

 

 ――ずるい、と思った。

 

 僕は何も言ってない。彼女に察してほしいとも思っていない。臆病で寂しがりやな子どもになど、気づかないままでいてほしかった。強い自分のままでいさせてほしかった。

 でも、同じくらいに安堵する。救われたと思ってしまう。これは黎の優しさだ。僕の強がりを許し、僕の弱さを受け入れる――この2つを、同時に行った結果だ。

 

 きっと黎は、全部わかっているのだ。地獄絵図を目の当たりにしたが故に、誰かの手を取ることが怖くて仕方がない僕のことを。

 伸ばした手は悉く振り払われ、手酷く拒絶された経験があるが故に、誰かに助けを求めるという選択肢を選べずにいる僕のことを。

 だから彼女は、僕に手を伸ばして乞うのだ。「助けを求めているのは自分だ」なんて、ひどく優しい嘘をついて。

 

 

「吾郎がいると怖くなくなるから。――ね、いいかな?」

 

「……もう、しょうがないな。――おいで」

 

 

 だから僕も、それに乗っかる。騙されたふりをしながら、彼女がくれた許しに縋り付く。

 彼女も同じように、僕の嘘に騙されたふりをしてくれていると自惚れながら。

 

 手招きをして、部屋の扉を開ける。ここに来たときは、僅かな私物と生活必需品――新品の学習机や小綺麗なベッド、空っぽの本棚やクローゼット、僅かなおもちゃが入った収納用具――だけという殺風景な部屋だった。あの頃に比べれば、学習机やベッドは使い込まれていたし、本棚やクローゼット及び収納用具の中身も増えてきたように思う。

 いつの間にか、僕はこの家を「帰るべき場所」と認識し始めていた。僕を引き取った高校生の双子や、この家の1人娘である黎に対しても、幾分か心を許せるようになった。母以外の人間――しかも、親戚と言えど、実質的には赤の他人同然だ――に対して、家族のような気持ちで接することができるなんて思わなかった。正直、今でもちょっと信じられない。

 

 そんなことを考えながら、僕は黎と一緒にベッドへ潜り込む。間髪入れず、黎は僕のことをぎゅうぎゅうに抱きしめてきた。ふんす、と得意げに鼻を鳴らす少女の姿に、思わず笑みが零れる。

 母の手つきを思い出しながら、僕は黎の頭を撫でた。そのまま背中に手を回し、とんとんと背中を叩く。――程なくして、気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。その拍子に、拘束が緩む。

 有栖川黎は寝つきがいい。御覧の通り、布団に入ればコロリと眠ってしまうのだ。安らかな寝顔を惜しみなく晒す少女の姿に、胸の奥がきゅうと締め付けられる。決して不快ではない。むしろ照れ臭い。

 

 

(ずっと、こうしていたいなあ)

 

<――――>

 

 

 ぞわり、と、背中が震えた。

 

 聞き覚えのある声が頭の中で木霊する。何を言われたのかは分からないが、怒りをぶつけられている気配がした。

 胸を押し潰されるような痛みは、夢を見て目覚めたときに感じたものと同じだ。首を絞められたかのように息が詰まる。

 

 夢の内容は殆ど覚えていない。けれど、覚醒するときはいつも『“誰か”から僕が生きていることを責められ、僕の存在そのものを否定されている』ような心地になった。怨嗟の如き怒りの矛先を、一方的に向けられていると言ってもいい。母の葬儀で大人たちからぶつけられたモノとよく似ている。

 急き立てられているような心地になったのは何故だろう。何かを強要されているような――それができない己に価値はないのだと責められているように感じるのは。それに対して早く答えを出さなければと焦り、今の自分では答えが見つからないと嘆いて泣きたくなるのだ。そんなことしても無意味なのに。

 得体の知れぬ焦燥のせいで、息ができない。このまま酸欠で窒息死するのではと思った刹那、腕の中で何かが蠢いた。花のような香りが鼻をかすめる。何事かと見れば、黎が僕の胸元にぐりぐりと頭を押し付けているところだった。……彼女の瞼は閉じられており、すうすうと気持ちよさそうな寝息が響いている。

 

 

(……息が、できる)

 

 

 いつの間にか、追い立てられるような焦燥感と息苦しさは消え去っていた。

 大きく息を吸って深呼吸し、息を整える。――気付いたら、口元に笑みが浮かんでいた。

 

 

「ありがとう、黎」

 

 

 夢を見て魘されたときも、得体の知れない焦燥感で窒息しかけたときも、黎が僕を助けてくれた。伸ばすか否かを躊躇い彷徨う僕の手を取って、握り返してくれた。それがどれ程の救いだったか、きっと彼女は知らないのだろう。

 

 僕は黎を抱きしめて目を閉じる。彼女の温もりが心地よくて、いとおしくて、どうしようもなく満たされるのだ。こうしている間だけは、誰かに責められているような錯覚から解放される。

 得体の知れない焦燥も、僕という命を急き立てるように響く何かの声も、彼女と一緒にいると怖くない。身も心もすくいあげられたような心地になった。――幸せだ、と、心から思えた。

 願わくば、僕と彼女に明日が来たらいい。目が覚めたら、一番最初に出会う人がキミだったらいい。好きな人の隣にいるという奇跡と価値を噛みしめながら、「おはよう」と挨拶を交わせたらいい。

 

 

<…………っ>

 

 

 僕を責めようとしていた“誰か”の気配が揺らぐ。けれど、“誰か”は何も言わなかった。何かを言おうとして、無理矢理押し黙ったような気配がしたのは何故だろう。

 でも、“誰か”が黙ってくれたおかげで、僕は安心して眠りにつくことができた。翌朝を迎えるまで、夢を見ることも、夢で魘されてまた目を覚ますようなこともなかった。

 

 

*

 

 

 ――窓から差し込む光で、目が覚める。

 

 数時間前の望み通り、僕の目の前には、あどけない寝顔を晒す黎がいた。

 目が覚めて一番最初に出会うのが、一番大好きな人なのだ。その幸運に、胸がじんわりと熱くなる。

 程なくして、黎が目を覚ましたらしい。くぐもった声を漏らし、のんびりと目を瞬かせる。

 

 

「おはよう、黎」

 

「……おはよう、吾郎」

 

 

 ――また、幸せな朝が来た。

 

 

 




 “キミ”が【あの子】に八つ当たりしたくなる気持は分かる。

 ……それでも、これだけはきちんと覚えていてほしい。

 “キミ”と【あの子】は繋がっている。文字通りの一蓮托生だ。

 【あの子】が死ねば、“キミ”も運命を共にすることになる。

 そんなことになってしまったら、“あの地獄絵図”を覆す手立てを完全に失うぞ。

 “キミ”に起死回生の希望を託した“彼女”の想いまでもが絶たれてしまう。


 ――忘れてくれるなよ? もう1人のトリックスター。

 ――今度こそ、“彼女”を裏切らないためにも。


――


今回追加された『A Lone Prayer』の章では、“『大なり小なり本編と関連する』いくつかの関連エピソード(時系列はごちゃまぜ)を小出しにする”形式となります。
そのため、『A Lone Prayer』は「リメイクによって追加された全編書下ろし」。章と章の間に挿入される形式となっていますので、箸休め的な感じでお楽しみいただけたら幸いです。
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