Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn-   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空元(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 名前:霧海(むかい) (りん)(旧姓)⇒影時間終了後の巌戸台で出会った少女。現在の本名や詳細については中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。オリキャラ同然になっている人物もいるので注意してほしい。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は有栖川(ありすがわ)(れい)
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空元(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 キタロー:香月(こうづき) (さとし)⇒妻・岳場ゆかりが所属する個人事務所の社長であり、シャドウワーカーの非常任職員。気付いたらマルチタレントになっていた。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。

・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。



あたり一面地雷原、或いは山積みの時限爆弾

 喜多川祐介が通っている洸星(こうせい)高校には、祐介と瓜二つの教師がいる。

 

 あまりにもそっくりすぎたので話題になったが、自分と彼の間には血縁関係の類は一切ない。三者面談で担任を見た師が『祐介の生き別れた血縁者か!?』と真っ青な顔で腰を抜かしたのは笑い話だ。

 専門教科は生物――特に、植物に関する造詣が深い。花言葉にちなんだ話を中心に、神話や民話、果てには諺や慣用句まで引っ張り出して、立石に水が如く話し続ける悪癖があった。

 話に熱中しすぎて丸々1時間を潰してしまったり、HRが長引いてしまったりするけれど、彼の話には誰もが耳を傾けた。実際に興味深い内容でもあるし、生徒を夢中にさせる話術や身振り手振りが上手いから。

 

 

『僕が教師を目指したのは、父が大学で教鞭を執っている姿に憧れたのがきっかけなんだよ。夢と現実のギャップに何度も悩んだけど、それでも僕は自身の夢を叶えることを選んだんだ』

 

『花言葉の勉強をし始めたのはね、母が花が大好きだったからなんだ。母に喜んでほしい一心で、花のことを沢山勉強したんだよ』

 

 

 彼が教師を目指したきっかけは、喜多川祐介が美術/絵の道を究めようと思ったきっかけとよく似ている。祐介も、師の処女作の素晴らしさに心を打たれ、憧れを抱いたからだ。

 彼が生物――特に植物関係――に傾倒し始めた理由は、祐介が日本画を専攻した理由とよく似ている。師へ『日本画に興味がある』と祐介が告げたとき、師が嬉しそうにしていたからだ。

 

 彼は今年から、祐介のクラス担任を受け持つこととなった。その影響か、クラスの片隅には、彼が持ってきた花の鉢植えや彼が育てた花の一輪挿しが設置されている。どちらも時期や季節で飾られるものが変わるため、季節の移り変わりを強く感じさせていた。祐介も何度かその花々をスケッチ/クロッキーさせて貰っている。

 

 現在、クラスと彼の机にある一輪挿しに挿されている花は真っ赤なオダマキ。オダマキそのものの花言葉は“愚か”、赤いオダマキの花言葉は“心配して震えている”を意味しているそうだ。

 これは全て担任教師である彼からの受け譲りであり、祐介個人は、作品作りのためという大義名分がない場合、“花言葉を積極的に調べようとする”方ではない。

 ……ただ、彼が真っ赤なオダマキを一輪挿しに挿したその日から、どことなく様子がおかしくなった。持ってきた花の花言葉が不穏になったのも相まって、祐介は担任の変化が気になっている。

 

 

「橿原先生」

 

「…………」

 

「橿原先生」

 

「ッ!?」

 

 

 顔を真っ青にして沈黙していた彼――橿原淳は、祐介が数回呼び掛けて、やっと“呼ばれていたのが自分である”ことに気づいたようだ。

 

 

「あ、ご、ごめんね。ぼうっとしちゃった。……ええと、……喜多川、くん、だっけ?」

 

 

 申し訳なさそうに謝罪した橿原は、どこかぎこちない調子で祐介に対応する。以前なら生徒の名前をきちんと把握できていたはずなのに、最近の橿原は自信なさげだ。

 本人は上手く取り繕っているつもりだろうが、橿原と親交の深い教師や生徒たちは、彼の様子がおかしい――心身共に“本調子ではない”ことは既に気づいていた。

 

 

「先生、体調が悪いのでしたら、少し休んではいかがですか?」

 

「は、はは……。だ、大丈夫! 大丈夫だから!」

 

「……分かりました。それじゃあ、俺はこれで失礼します」

 

 

 集めてきた課題を提出し、用件を片付けた後、祐介は橿原を気遣った。空気が読めない方の祐介でさえ、橿原の挙動不審っぷりは気になって仕方がない。

 しかし、橿原は引き攣った笑みを浮かべながらも、頑なに「大丈夫」と主張する。そうなってしまえば、一介の生徒でしかない祐介は黙るしかなかった。

 素直に引いた祐介を見て、橿原は安堵の表情を浮かべる。机の資料に向き直った彼は、再び鬼気迫るような表情を浮かべて俯いてしまった。

 

 

(……赤いオダマキが活けられたのは、雑誌記者のインタビューを受けた後だったような気がする……)

 

 

 橿原が“今を時めく人物”として雑誌に取り上げられた――橿原が雑誌記者たちのインタビューを受けたのは、つい最近のことだ。赤いオダマキが活けられたのも、その直後。

 

 ただ、それ以前――祐介が知る限りでは、去年の時点で既に――橿原は多忙だった。美化委員と園芸部の顧問として方々を駆け回るだけでなく、園芸部の花壇や畑を美術部の被写体として開放したり、自主的に繁華街の夜回りに参加したりしていたからだ。教師として、子どもの将来を憂う大人として、彼は情熱を燃やしていた。

 人間は常に気を張っていられる生き物ではない。きちんと休息を取らなければ、何処かでそのツケが出てきてしまうように出来ている。実際、作品を作ることに夢中になった祐介が授業で体調を崩し、橿原に苦言を呈されたことは一度や二度ではなかった。更に言えば、保護者の責任として、師が呼び出しを喰らって説教されていたこともある。

 

 今の彼は、祐介が未だ職員室から退出していないことに気づく余裕がない。それだけでも、心身共に切羽詰まっていることは明白だった。

 普段から何度も世話になっている身。一介の生徒でしかないと言えど、何か自分に出来ることは無いだろうか――祐介がそんなことを考えたとき、橿原がブツブツと何かを零す。

 それに耳を傾けたのは、橿原という教師を心から尊敬している人間としての興味からだ。……それ故に、祐介は、彼が零した独り言に首を傾げる。

 

 

「僕は橿原、橿原淳。……高校生相手に教鞭を執る教師で、彼等を導く“大人”なんだ……」

 

 

 「だからしっかりしなくちゃ」と、橿原は己に言い聞かせるようにして繰り返す。何度も何度も、執拗に。

 ……その姿に、()()()()()()()()()()()()の姿を幻視したのは何故だろうか。

 

 

 

◆◇◇◇

 

 

 

 秀尽学園高校と怜極学院高校の生徒が勉強会をしている図は、意外と珍しいものではない。学校同士の立地は正反対でも、学生たちが利用する施設の点在範囲が一致しているためだ。故に、“高校進学以前からのやり取りがある者同士”であれば、学校のランク差があったとしても、一緒に行動することにおかしなことはないのである。

 最も、第3者側から見た場合、制服と生徒同士の様子から関係性を察することは困難だ。更に言えば、“誰と誰がどのような間柄なのか”を類推することも簡単なことではない。相当に頭の切れる人物、又は好奇心旺盛な人物が余程注意深く観察しない限り、僕達の関係性が露呈する可能性は限りなく低かった。

 

 

「竜司の成績ってどうなの?」

 

「下の下の下。赤点常習犯」

 

「なら、後は上がるだけだから問題ないね」

 

 

 現在、僕達は来たる定期テストに向けて勉強会をしている真っ最中。会場は学生で賑わうファミレスの一角だ。

 

 【怪盗団】と言えども、僕等の本業は学生である。学業を疎かにするわけにはいかない。“補修で呼び出しを喰らったせいで怪盗家業に悪影響が出る”こと――具体的には、活動時間の減少が原因となり、“巡り巡って『神』との戦いに敗北する”羽目に陥る事態――は避けたかった。

 僕は“一定の成績を叩き出さないと打ち切られる奨学金制度”と“偽の探偵業をしても文句を言われない程度の成績を確保しなければいけない”という事情と、僕自身の矜持が絡み合った結果、入学してから3年間学年TOPの座に君臨している。黎には奨学金制度等の制約は無いけど、地の学力で学年TOPに君臨していた。

 対して、【怪盗団】の中で学業が足枷になりそうだったのが竜司と杏である。特に竜司は、元々体育会系であったのと、ジョゼの勉強方法――花の蜜を吸うことで知識を得る――を羨ましがっていた節も相まって、成績が悲惨だということがより一層鮮明になっていた。

 

 

「頑張れ竜司。先は長いぞー?」

 

「杏も笑っていられないよ。他の教科の点を伸ばさないといけないだろ」

 

「うぐ……。お手柔らかにお願いしまーす……」

 

 

 尚、竜司を笑った杏は、英語以外が等しく壊滅気味である。英語の高得点が他教科の点数で足を引っ張られている形だ。僕から手厳しく指摘され、彼女はしおしおと肩をすくめた。

 モルガナはフォローしようとしたが、学生の苦労を知らなくていい彼には、何の言葉も出なかったらしい。結局、彼女の名を呼ぶだけに留まった。

 

 

「ウチの学校、教科書の勉強だけしてればいい感じじゃないんだよね。先生の雑談で取り上げられた雑学が選択問題や記述で出て来るんだもん」

 

「曰く、『普段から教師の話を意識して聞いているか』ってのを見るんだと。『真面目に話を聞いていれば分かる』って言うけど、普通の高校じゃやらない専門知識ばっかりなんだよなー」

 

 

 2人は顔を見合わせてため息をついた。彼らの話に対し、僕等も顔を見合わせる。『(教師側にとっての)サービス問題』というのには覚えがあったからだ。

 

 

「月光館学園の中等部や、八十稲羽にあった中学校でも似たようなサービス問題沢山出てきたよね」

 

「あったあった。『マクスウェルの悪魔』とか、『シュレーディンカーの猫』とか、『ラプラスの悪魔』とか」

 

「特にこの3つは、至さんの所でお世話になってたときに転校する度に、誰かしらが話題に出してたっけ」

 

「あと、『グノーシス主義に関する神話』とかも結構出てたよね。キリスト教の解釈との違いを記述式で問われたこともあったかな」

 

「「???」」

 

 

 僕等の会話を聞いた杏と竜司は、頭上に大量のクエスチョンマークを浮かべた。ついでに、体の動き共々脳がフリーズしてしまったらしい。

 それもそうだ。『マクスウェルの悪魔』、『シュレーディンカーの猫』、『ラプラスの悪魔』、『グノーシス主義の神話』のいずれも、一般的な高校生が勉強する範囲から逸脱している。

 正直な話、受験対策として取り上げられる可能性も低そうだ。何かの拍子で高校生までの学生相手に出てくるとしたら、精々“興味関心を深める雑学”が関の山であろう。

 

 『マクスウェルの悪魔』を簡潔に表現するなら、“物理学における思考実験”の1つで、永久機関に関する理論と深く関わっている。件の悪魔の存在が証明されれば、エントロピーの減少/温度差によって“冷房も暖房も冷蔵庫も電気なしで使うことも可能”になるとされている。

 しかしながら、一般人にとってはあまりにも難解な理論だったことや、“フィクションにおける解釈”――“存在の証明が難しい”、或いは“『存在しない』と証明された架空の存在”――の方が簡潔であったことから、そちらの方が有名になってしまった。テストの方でも“フィクションにおける解釈”が求められた気がしたか。

 

 『シュレーディンカーの猫』を簡潔に表現するなら、“量子力学における思考実験”の1つだ。「蓋つきの箱の中に猫を入れ、箱の中に――確率によって、条件付きで発生する――毒ガスを注入した場合、“生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なり合った猫”という不可思議な存在が生まれてしまうのではないか?」という疑問や否定を投げかけるための“たとえ話”である。

 多くの人々が“箱を開けるまで、猫が生きているか死んでいるのか分からない”――転じて、“何事も蓋を開けてみなければ分からない”という意味だと誤解しているようだが、それはあくまでも“フィクションにおける解釈”だ。そちらの方が有名になってしまった感があり、記述式のひっかけ問題としてよく出てきた印象がある。

 

 『ラプラスの悪魔』を簡潔に表現するなら、主に近世・近代の物理学分野に登場した“仮想的な超越的存在”の概念である。この“仮想的な超越的存在”は因果律に関りがあるとされ、“ありとあらゆる事象から完璧な未来予測ができる”という理論を成り立たせるための“正確な観測と複雑な計算を瞬時に行うことが可能な全知全能の存在”であった。人はその存在を『悪魔』と称したのだ。

 同時にそれは、“『分からない』・『証明できない』のは、『原理が分からないから予測できない』のではなく、『人間の叡智が足りていないから予測できない』のだ”という側面もあった。嘗ての学者たちは、“時間経過によって新たな公式や原理が発見されれば、全ての事柄を解き明かし、そこから未来を予測できる”と信じていたのである。

 最も、それは近世・近代物理学における理想論でしかない。後に登場した量子力学の分野によって、『ラプラスの悪魔』は存在を否定されるに至った。『未来は確率でしか予測できない』という結論が出されたのである。内容説明の記述だけでなく、存在を否定されたことによる結論を求められたような記憶があったか。

 

 ……『グノーシス主義における神話』で取り上げられたアダムとイヴの違いで、『ヤルダバオートがイヴを自分のモノにしようとした際、その手段として使われたのは性的暴行である』という話題を耳にして消しゴムを真っ二つに引きちぎったのはここだけの秘密だ。

 

 

「前3つはよく分からねーけど、最後の1つがクソだってのはよく分かるな……」

 

「『そういうことをすれば、女は全部自分のモノにできる』って下卑た思考回路が明け透け過ぎるんだっつーの。まるで鴨志田じゃない!」

 

 

 “ヤルダバオートがイヴを手籠めにしようとした”際の話は、つい最近【改心】させた鴨志田の一件とよく似ていたのだろう。竜司と杏の眉間に皴が寄った。

 黎も深々とため息をつく。……彼女の横顔がどことなく暗いのは、獅童に手籠めにされそうになった際の恐怖を再発させてしまったためだろうか。

 

 僕は思わず彼女に手を伸ばそうとしたが、拳を握り締めることでそれを抑え込んだ。――いや、()()()()()()()()()()()

 

 黎の冤罪事件が発覚した直後だったら、僕は迷いなく黎の手を握り締めることができたかもしれない。躊躇してしまったのは、僕にも獅童正義の血が流れているのだという事実を強く認識させられたためだ。

 最近になってから余計、彼女に手を伸ばしていいものか悩む機会が増えたような気がする。こんな形で“自分がアイツの息子である”と意識し、苦しむ羽目になるとは思わなかった。

 そんな機会も未来も、訪れて欲しくなんかなかった。……自分なりに“クズな父親とその血を引く己”への折り合いをつけて、大切な人と一緒に生きて行けるようにと頑張っていたのに――

 

 

「――こんにちわ。貴女たちも試験勉強?」

 

 

 どことなく沈痛な空気が漂い始めたとき、踏み込んでくるような調子で、聞き覚えのある声が響いた。声の方に視線を向ければ――そこにいたのは、秀尽学園高校の生徒会長・新島真さん。

 

 【怪盗団】の存在を疑問視し、『質の悪い悪戯である』と断じた生徒たちの象徴――その乱入に、竜司と杏は問題集を解く手を止めた。自分たちとは正反対の存在に対し、警戒心を強くする。

 2人からすれば、新島さんのようなタイプは“カンジが悪い”、“自分たちにとって不倶戴天の天敵”、“厄介な相手”認定なのだろう。かくいう僕も、以前ならその1人であった。

 

 

「はい、そうですけど」

 

「奇遇ね、私もなの。同じ学校の制服を着ている生徒を見たから、つい話しかけちゃった」

 

 

 にこやかに話しかけてきた彼女に応えるように、黎も静かに微笑みながら対応する。新島さんも微笑み返し――ふと、竜司の解いていた問題集の一文と、解法を書き殴っている途中だったノートに目が留まった。……運がいいのか悪いのか、竜司が零した「嘘つけ」というぼやきは、新島さんに届かなかったようだ。

 

 

「坂本くん。その解法、3段目以降から間違ってるわよ」

 

「へっ?」

 

「もう一度、しっかりよく考えて解いてみて。教科書に載ってる公式を参考にすれば解きやすいから」

 

「えぇ……?」

 

 

 まさか、敵対者(暫定)から勉強についてのアドバイスが貰えるとは思わなかったらしい。竜司は新島さんの指摘に半信半疑になりつつ、3段目以降の解放を消してからやり直し始めた。

 似たような問題に四苦八苦していた杏も手を止め、竜司が解いている問題に釘付けになる。程なくして、竜司の「あ」という間抜けな声が響き、次には「ああー!」という納得の声が響いた。

 教科書の力を借りたとはいえ、竜司が件の問題を最後まで解いたのは初めてだ。問題集の回答と見比べつつ、赤ペン片手に確認を始める。――ノートに書かれたのは、大きな丸であった。

 

 誇らしげにガッツポーズを取った竜司に釣られて、杏も教科書と睨めっこしながら問題文を読み直す。ペンを動かす速度は緩慢ではあったが、彼女もまた答えに辿り着いた。そうして回答集を開き――嬉しそうに、満足気に頷く。

 

 

「――やった! 教科書有りきだけど自力で解けた!」

 

「よーし! この調子でどんどん解いてくぜ!」

 

 

 勉強に対して苦手分野が発生するのは、幾ら悩んでも()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。正解に辿り着けず、躓いている間に、授業や自習で置いてけぼりになってしまうのも深く関わっている。きちんと理解できないまま進めば余計に問題が解けなくなるという悪循環の繰り返しによって、ストレスや苦手意識に直結するのだ。

 得意科目へ情熱を傾けることができる理由は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう。「楽しい」という気持ちを抱いて、「もっと知りたい」という好奇心が沸き上がり、新しい知識を沢山学ぼうと貪欲になれる。もっと上を目指そうというやる気に直結するのだ。

 

 何が目的で僕らの元に近づいてきたのかは分からないが、新島さんは本題を突き詰めるよりも勉強会に加わることを選んだらしい。竜司や杏に対し、積極的に問題の解き方やヒントを教えている。

 問題を解き進めれば解き進める程、竜司と杏が張りつめていた警戒心が解けていく。新島さんの方も、いつしか本気で――とても楽しそうな様子で――2人へ勉強を教えていた。

 僕と黎も顔を見合わせた後、同じようにして彼らの輪に加わる。新島さんと話した機会は少ないはずなのに、いつの間にか僕等は打ち解けて、充実した時間を過ごしていたのだ。

 

 勉強会が始まってから、かなりの時間が過ぎていたらしい。ふと窓を見れば、外は薄闇に包まれていた。街の明かりがぽつぽつと灯り始めている。……そろそろ切り上げた方が良さそうな時間帯だ。

 

 

「今日はごめんなさい。いきなり話しかけた挙句、勉強会にお邪魔しちゃって」

 

 

 お開きにしようとした僕等の様子に気づいたのか、新島さんがおずおずとした調子で切り出した。

 振り返った僕等の視線を居心地悪く受け止めた後、再び彼女は言葉を続ける。

 

 

「私、貴女たちのこと、“大人達が張ったレッテル”でしか見てなかった。……大人たちが言う『問題児』という評価を鵜吞みにして、一方的に思い込んで、勝手に訝しんでいたの」

 

「新島先輩……?」

 

「か、会長サン?」

 

「……今日、貴女たちと話してみて分かったわ。『私が勝手に抱いてた疑念は、みんな見当違いだった』って。――何も知ろうとしなかった私にこそ、問題があったのね」

 

 

 自嘲気味に微笑む新島さんの姿に、僕等――特に、竜司と杏が身構える。新島さんは意を決したように僕等を見返すと、そのまま90度のお辞儀をした。

 

 

「ごめんなさい! 私、貴方達のこと、ずっと誤解してた!」

 

 

 90度のお辞儀は、謝罪を意味するお辞儀の中でも最上級の謝意が込められている。知識としてそれを知る僕と黎も、本能的にそれを察した竜司と杏も、思わず狼狽した。

 

 新島さんは堰を切ったように言葉を紡ぐ。鴨志田が【改心】した後、【怪盗団】に関する調査を命じられた――尚、誰に命じられたかは黎たちに教えなかった――新島さんは、調査を命じた相手の意に反する観点から――鴨志田の被害にあっていた人々から、“鴨志田に関する悩みを誰に相談し、結果、どうなったか”を中心に――情報収集を行っていた。

 結果、一部の生徒が『教師――特に校長に対して――や保護者に相談を持ち掛けたが、握り潰された挙句、最終的には名前と学年・“秘密裏に相談を持ち掛けたという事実”を鴨志田に流され、体罰が悪化した』ケースが殆どだったという。校長や鴨志田本人に対して良印象を持っていた者たちが“善意で相談者の背中を討ってしまった”という構図だ。

 

 

「元・陸上部の部員やセクハラの被害者になった女子生徒達から言われたの。『生徒会長サマは校長の腰巾着だから、校長と鴨志田の味方だろう』、『校長とズブズブな生徒会長なんて、ハナから期待してなかった』って」

 

「うわ……。本人に対してそこまで言う……?」

 

「……確かに、生徒会が『隠蔽に加担するんじゃないか』って思わなかったワケじゃねえけどさぁ……」

 

 

 杏と竜司はバツが悪そうに視線を彷徨わせた。大なり小なり、新島さんに対して似たような印象を持っていたのだろう。

 今回の勉強会が無ければ、2人は“新島さんへの印象”を変えることが無かったかもしれない。

 鴨志田の一件で新島さんへの不満が噴出したのは、彼らの不満を押さえつける要素――鴨志田という王の存在――が消えたためか。

 

 

「彼等の言う通りよ。私は生徒会長なのに、鴨志田の件に関する情報を何も知らなかった。――今思えば、学校ぐるみで隠蔽されていたんだわ。私が教師側に通じているという事実まで使って、助けを求める人達を無理矢理黙らせていたのかも知れない……!」

 

 

 自分を事件から遠ざけた教師たちと、何も知らない/知ろうとせず大人たちの言いなりになっていた自分自身への憤りをあらわにした新島さんの姿を目の当たりにし、杏と竜司が思わず口を開く。

 

 

「……会長サンはさ、もしも、アタシや志帆がセクハラ相談を持ち掛けてたら、ちゃんと話を聞いてくれた?」

 

「鴨志田を殴っちまった俺の経緯も、ずーっと苦しんでた陸上部員たちの訴えも、無視しないでくれたか?」

 

 

 起きてしまったことを変えることなんてできない。壊されてしまった未来は、二度と戻ってくることはない――そうと分かっていても尚、問わずにはいられない『IF』がある。

 杏と竜司の真剣な面持ちを目の当たりにした新島さんであるが、彼女も真っ直ぐそれを受け止めた。負けず劣らず真摯な瞳は、決して2人から逸らされることは無かった。

 

 

「――ええ。私の“正義”に誓って」

 

 

 ――そうして、新島さんを加えた勉強会は幕を閉じた。

 特に寄り道することなく駅に着いた僕たちは、それぞれの家路へとつく。

 僕は黎をルブランまで送っていくので、四軒茶屋の方に寄り道だ。

 

 ルブランの扉を開ければ、仏頂面をわずかに緩ませた佐倉さんが「おかえり」と黎を迎えたところだった。黎も当たり前のように「ただいま」と返す。

 

 俺の知らない間に、黎と佐倉さんは打ち解けていたらしい。その事実に安堵しながら、俺は佐倉さんに頭を下げる。黎と「また明日」と挨拶を交わし、俺はルブランを出た。

 黎が冤罪に巻き込まれ、東京にやってきてから早1ヶ月近くが経過した。少しづつではあるけれど、彼女の周囲には志を同じくする仲間や協力者が集まりつつある。

 

 

(黎は、誰からも愛されるようなタイプだからなぁ)

 

 

 “そんな彼女が選んだ人間が俺だった”――その事実を噛みしめながら、その幸福を噛みしめながら、俺は家路についたのだった。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と覚悟しながら。

 

 

 

***

 

 

 

杏:新島先輩って、想像してたのと全然印象違ったね。

 

竜司:教師側とズブズブな関係だから、俺達みたいな奴等のことは蛇蝎の如く嫌ってんのかと思ってた。

 

黎:早速、新島先輩から教えてもらった知識を駆使しているね。

 

吾郎:用法・用途共に大正解だ。凄いぞ竜司。

 

竜司:褒めても何も出せないけどな!

 

吾郎:テストの点数が上がってくれたら言うこと無しだね。

 

竜司:やめて! プレッシャーかけるのやめて! 分かってるから!!

 

 

杏:周りは『校長の忠実なお人形』、『冷徹な女生徒会長』って言ってたけど、実際話してみると『正義感の強い人』って感じかなぁ。

 

黎:自身の天下を守りたかった鴨志田や体罰を隠蔽したかった学校側にとっては、厄介なタイプの人間だね。今回の一件から遠ざけられたのは必然か。

 

吾郎:新島さんに調査を依頼した人間は、彼女のことを“傘下に収めている間は優秀な『駒』だけど、一度敵対すると脅威に変貌する相手”と認識しているんだろう。どうにか宥めすかしたり、煽てたり、都合の悪い情報をシャットアウトしてでも、“使えるお人形さん”を手元に置いておきたいんだろうね。

 

竜司:鴨志田とは別ベクトルでクズ野郎だな……。生徒会長サンは都合のいいお人形じゃねーのにさ。

 

黎:モルガナが言ってる。『一時敵になりかけたからこそ分かる。ニージマに調査を依頼した奴の分析評、かなり的を得ているな』って。新島先輩と友好的な関係を築けたら、【怪盗団】として動きやすくなるかも。友好が無理になった場合は、せめて不可侵条約を結べないかな。

 

杏:そうだ。新島先輩のお姉さん、吾郎の上司ポジションなんだっけ? しかも検察官。

 

竜司:警察と繋がってる法律関係者だもんな。捕まったら洒落にならねえよ。

 

杏:……でも、なんで急に態度変わったんだろう? 鴨志田が【改心】する前は、アタシたちへの当たりが強かったでしょ?

 

竜司:何かこう、心境の変化みたいなことがあったんじゃね?

 

吾郎:そういえば、秀尽学園高校から撤退する前に、新島さんと話す機会があったんだ。何かあったとしたらそのときじゃないかな?

 

杏:何かって、どんな話をしたの?

 

吾郎:“正義”についての話。

 

竜司:なんじゃそら。

 

 

黎:でも、新島先輩、ちょっと心配だな。

 

杏:どうして?

 

黎:“大人達にとって都合のいい存在”として持ち上げられている場合、大人たちにとって都合が悪くなったら、新島先輩への風向きは十中八九変わるでしょうね。

 

竜司:生徒会長サンが、俺達みたいな扱いを受けるかもしれないってことか?

 

吾郎:あり得そうな話だ。生徒会長という肩書を持っていたとしても、新島さんも僕等と同じ“子ども”だからね。汚い大人達が徒党を組み、本気で潰しにかかってきたら、流石に太刀打ちできなくなる。冴さんが新島さんの窮状に気づいてくれるなら即座に助け舟を出すだろうけど、冴さんは基本的に多忙だからなぁ……。そこを突かれると、どうしても、新島さんは孤軍奮闘しなきゃいけなくなるワケで。

 

杏:新島先輩の印象、“完全無欠の生徒会長サマ”だもんね。教師も生徒も新島先輩に助けを求める姿はよく見てる。

 

竜司:……俺気づいちまったんだけど。

 

杏:?

 

竜司:『生徒会長サンが誰かに何かを相談した』、『何かについて深く思い悩んでいる』みたいな話題、噂話ですら聞いたことないんだ。……幾ら完全無欠っつても、大なり小なり噂くらいは流れるモンだろ?

 

吾郎:完璧すぎるが故の弊害、ってやつだね。自分自身の有能さを理解しているから、善意悪意問わず“誰かに何かを任せるより、自らが解決のために行動する方が効率的で効果的”という結論に達するんだ。なまじ実力もあるから、余計に“誰かに頼る”という選択肢を選べなくなってしまう。周囲の人間は新島さんの優秀さを見せられ続ける間に自信ややる気を喪失し、最後は“彼女に縋り付く”か“彼女から離れていく”から、余計に“頼れる人間がいない”という負のループが形成されるんだ。

 

黎:本日の“お前が言うな”だね。

 

杏:あ、うん。大体わかった。

 

竜司:あ、うん。大体わかった。

 

吾郎:どうして?? どうしてその一言で納得するの???

 

 

黎:心配なんだよ。吾郎も“自分が解決しなきゃいけない”、“他の誰かを巻き込んではいけない”って、1人で何でも背負い込もうとしてしまうから。それを隠し通そうとして、色々無茶してるもの。

 

吾郎:う。

 

黎:片方だけが頑張らなきゃいけない関係って、人間関係的に不健全だと思うんだ。私は吾郎と対等な人間でいたいし、対等な恋人になりたいって思ってるよ。

 

吾郎:……肝に銘じておくよ。ごめんね。あと、ありがとう。キミのそういうところ好きだよ。

 

黎:私も、吾郎のこと好きだよ。ちょっと嫌だなとか、困るなって思うところもあるけど、それも含んで愛しいと思ってる。

 

吾郎:ばか!!!

 

 

竜司:すみませーん。これ、グループ用のチャットなんですけどー?

 

杏:もしかして、まーた誤爆しちゃいましたー?

 

黎:<チベスナ顔で砂糖を吐く猫のスタンプ>

 

 

 

 仲間たちとのチャットを終えた僕は、何の気なしにテレビへ視線を向ける。その筋の有名人や権威、芸能関係者等がコメンテーターとして数多く登場する番組が映し出された。

 丁度やっていた番組は、政治経済に関する話題で盛り上がっている。そのときカメラに映し出された人物と、下部のテロップを見た俺は息を飲んだ。

 

 獅童(しどう)智明(ともあき)――帝都ホテルのビュッフェで邂逅した獅童の息子だ。獅童の懐刀で、『廃人化』専門のヒットマンと思しき男。得体の知れなさを孕んだ『何か』。相変らず、俺は奴の声と顔を()()()()()()()()。分かるのは、穏やかに笑っていることぐらいだ。

 

 奴の肩書は議員秘書見習い。いずれ来るべき時が来たら、獅童の政治基盤のすべてを譲り受けるであろうと言われている天才高校生。

 つい最近まで海外の進学校で飛び級し、政治経済に関することを学んで来たという。探偵王子の弟子が俺なら、奴は政治家の卵と言えるだろう。

 

 

「……コイツ、十中八九『神』の関係者だろ。しかも、上に悪がつく方の」

 

 

 仕事をひと段落させて休憩していた至さんの表情が剣呑なものになる。彼は智明を睨みつけたままでいた。そのタイミングを待っていたと言わんばかりに、MCが智明の経歴を説明し始める。

 

 父親は獅童正義、母親は母親は五口(いつつぐち)愛歌(あいか)という資産家令嬢。当時獅童が懇意にしていた政治家からの紹介で出会い、交際を育んで結婚したという。智明が生まれてからは順風満帆な生活を送っていたらしい。だが、獅童正義に恨みを持つ暴徒が起こした自動車事故によって妻は死亡・智明は意識不明の重体となった。

 奴が意識を取り戻したのは事故から1年後――丁度、今から3年前。僕と黎が【廃人化】のペルソナ使いと遭遇するより1年早いタイミング――で、医者は智明の回復を“神が齎した奇跡”と称した。奴の治療に関わっていた医者へのインタビューによると、『智明が意識を取り戻す可能性は皆無に等しいと思っていた』らしい。

 その後はリハビリや勉学に励み、獅童の援助で海外へ遊学する等して過ごしていたそうだ。日本に帰国してきたのはつい最近で、僕が通っている怜極学院高校の編入試験を文句なしの好成績でパスし、大手を振って編入した。手続きや諸々の関係で、6月から通うことになるとのこと。穏やかな微笑を湛えて語る智明の様子に、僕は何とも言えない気持ちになる。

 

 獅童正義と言う男が資産家の1人娘と結婚した理由は、恐らく政略結婚だろう。僕の母が味わった苦難から逆算すれば、奴と五口愛歌の関係は良くて妻側の一方通行・悪くて仮面夫婦止まりだと予想できる。

 獅童は体面だけは死守したいだろうし、夫婦仲の悪さは致命的なスキャンダルに繋がることを熟知しているはずだ。表社会では鴛鴦夫婦を装うであろうことは、手に取るように分かった。

 

 

『お父様が都議会議員として当選したのは、お母様の命日だったそうですね』

 

『はい。父は『母に良い報告が出来る』と語っていました』

 

(……穿った見方をするなら、“妻の死を支持数稼ぎに利用した”って言えそうだ)

 

 

 MCと智明が笑顔でやり取りしている姿を見つめながら、僕は至さんが淹れてくれた紅茶を舐めるように飲んだ。

 

 バタフライピーの紅茶は青く透き通っており、すっきりとした味わいが喉を潤す。

 しかし、僕が置かれている状況は紅茶の色や味わいとは真逆だ。どろどろした汚泥が纏わりついて離れない。

 

 

(……最初から、アイツは母さんと結婚するつもりなんかなかったんだな)

 

 

 母は水商売の女だから、獅童にとって自由に替えの利く“都合のいい女”だったのだろう。奴は更なる飛躍を求め、権力と結びつきそうな“本命の女”を漁っていた。そうして出会ったのが資産家令嬢・五口愛歌。――だから母は、用済みとなって切り捨てられた。

 政治家として、“交際中に別の女と性的関係を結んでいた”だけでなく“愛人との間に私生児がいる”なんて話は特大の醜聞である。獅童の性格上、口止め料兼手切れ金兼ねた堕胎費用を押し付けられて放り出されれば御の字か。下手すれば、手切れ金すら払わず放り出すやもしれない。

 僕は母との生活を思い出す。質素な生活ではあったが、僕はそれを貧しいとは思わなかった。欲しいものが欲しい時に買えないことが人より少し多いだけで、ちょっと我慢しなきゃいけないことが人より少し多いだけ。母と共に生きた時間はかけがえのないものだし、今でも大切な思い出として心の中にある。

 

 一時は、母と過ごした日々さえもゴミと化しそうになった。それを阻み、守ってくれた人――その筆頭である至さんに、僕は視線を向けた。

 

 丁度そのタイミングで、作り置きしていたと思しき焼き菓子――今回出てきたのは、豆乳を使ったプレーン味のドーナツだ――をニコニコ顔で差し出してくる。

 平和を体現するかの如くお気楽な笑顔に、僕は思わず苦笑しながらドーナツを受け取っていた。ドーナツと紅茶に舌鼓を打ちつつ、再びテレビへ視線を戻す。

 

 

『両親が結婚した当初、父に対して悪い噂が流れていたらしいですね。丁度、母が親戚縁者を一度に全員亡くして遺産を相続したばかりだったのも相まって、余計に色眼鏡で見てくる人が多かったようで』

 

『五口家は大きな資産家でしたからね。当時の縁で、南条コンツェルンとも親交があるとか』

 

『ええ。次期当主の方とは、何度か話をしたことがあります』

 

「……至さん、五口って資産家の家に関して、圭さんから何か聞いたことない?」

 

 

 僕の問いに、至さんは目を瞬かせた。顎に手を当てて、彼はぽつぽつと情報を絞り出していく。

 

 

「昔は南条とも付き合いがあったらしいんだけど、大きな汚職事件に関わってたことがすっぱ抜かれたのがきっかけで『袂を分かつに至った』って話は聞いたかな」

 

「じゃあ、今では殆ど付き合いはないってこと?」

 

「多分。その汚職事件がきっかけで、大分没落したって話もあったか」

 

「なら、獅童智明が嘘をついてるってことになるよな……」

 

 

 獅童智明の話した内容と至さんから聞いた話を総合すると、“どちらかが嘘をついている”可能性が出てくる。しかし、至さんが僕に嘘をつくメリットは皆無だ。

 もっと言えば、至さんの人柄的に、今は嘘をつくような場面ではない。消去法で“智明が嘘をついている”という理論が出来上がるわけだ。

 

 

「圭さんは僕が獅童を調べていることを知ってる。だから、そいつの息子に関する情報を知らないはずがない。……まあ、僕のことを気遣って報告するタイミングを見計らうくらいはするだろうけど……」

 

「南条くんも不審がってたな。『彼を社交界で見たことも無ければ会話した覚えも無いのに、いつの間にか顔見知りだったことにされている』って」

 

 

 『存在しなかった』はずのものが『存在していると“認知”されている』――この違和感を何と説明すればいいのだろう。

 

 至さんはあくまでも圭さんから又聞きしただけで、詳しい情報を知っているわけではない。圭さん本人から聞きだせたら、もう少し詳細が分かりそうな気もする。

 当時の獅童正義のネームバリューは無名。落ち目と言えど、資産家令嬢との結婚話が持ち上がったとなれば、少しは界隈を賑わせそうなものだ。何か情報が残っているかもしれない。

 考え込む僕の姿から何かを察したのだろう。至さんは「圭に聞いてみるね」と言い、スマホのメッセージトーク画面を開いてフリック入力を始めた。相変わらず行動が速い。

 

 僕も同じようにスマホで調べてみたが、五口という資産家に関する話題はすべて『404 Not found』というエラー画面が吐き出されるばかり。五口家の没落を決定づけたはずの汚職事件の内容すら出てこなかった。……昔のことと言えど、何かしらのアーカイブ程度は残っているはずだ。それすらも出てこないとは。情報の抹消が()()()()やしないだろうか。

 ならば比較的最近の話題――獅童智明が意識不明になった事件――を調べようとネットを使えば、そちらは前者と対照的に、幾らでも出てくる。しかし、加害者側の経緯や、当時の獅童正義に関する黒い噂は全て一掃されていた。当時の獅童は都議会議員。それなりのツテを築いていたとはいえ、全ての情報を隠蔽・改竄する力は持っていないはずだ。

 

 “獅童にとって不都合な情報だけ(・・)が、獅童にとって都合よく作用する程度に改竄されている”――そう直感したのは何故だろう。

 

 

『一色さんの理論が成立した場合、認知世界だけでなく、現実世界の書き変えも可能になるのでは?』

 

『“『存在しなかった』はずのものが『存在していると“認知”されている』”という事象を、自力で作り出すことができる』

 

 

 不意に、僕は、航さんが一色若葉さんとの討論で零した言葉を思い出した。この理論を応用した場合、対象に関する認知を自由自在に書き変えることが出来てしまう。

 都合の悪い事実は、認知を書き変えた人間にとって都合のいい光景へと書き変えられるのだ。汚職の隠蔽や犯罪のでっち上げ、()()()()()()()使()()()()()()――。

 

 

(――ッ!?)

 

 

 現実逃避という言葉に、形容できない程の憎悪と恐怖が沸き上がる。心臓を握り潰されるような衝撃と共にフラッシュバックしたのは、狂った楽園を作り上げた男の姿だ。

 

 そこは、誰もが“理想の自分”になれる空間だった。現実で失ってしまった夢や希望も、現実ではもう二度と会うことの叶わない大切な人も、今の自分では到底手に入らないであろう栄誉も、望めば全てが手に入る楽園。――幸福な夢という名の麻薬に浸され続けることを()()()()()狂った牢獄。

 パレスのイメージは病院、主にしてペルソナ使いの外見は医者。理不尽によって愛する人を失った悲しみから“人々の心を侵す艱難辛苦を取り除く”ことを目指したが、人の悪意から齎された2度目の理不尽によって、血と涙の結晶たる研究成果すらも踏み躙られてしまった過去を持つ男だった。

 

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『もういい、もういいんだよ』

 

『もう苦しまなくていい。もう誰かを呪わなくていい。もう泣かなくていい』

 

『無理に強くなる必要なんかないんだ。――幸せになっていいんだよ』

 

 

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「吾郎。そろそろ今日は休んだ方がいいんじゃないか?」

 

 

 至さんの声に、僕は弾かれたように顔を上げた。視界に入ったテレビ画面は、いつの間にか真っ暗になっている。

 時計を見ればもう11時。新聞のテレビ欄に目を落とせば、獅童智明が出演していたテレビ番組は既に終わっていた。

 

 僕は慌てて明日の準備を終え、至さんに挨拶して自室へ向かう。そうして、自室のベットに横になった。

 

 いつもと同じように目を閉じて意識を落とす。

 微睡む中で、誰かの不気味な嗤い声が聞こえてきたような気がした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「――ごめんね、タッくん。今日はテストの採点しなきゃいけないから遅くなるの」

 

 

 テスト明けすぐの放課後、教師用の休憩室へ続く渡り廊下で電話をしている丸喜留美先生を見つけた。彼女の会話に意識を傾けたのは、探偵としての職業病だったのかも知れない。

 

 丸喜先生には夫がいる。机の上には夫である丸喜拓人さんの写真と、彼を模して作ったと思しきぬいぐるみやマスコットが至る所に飾り付けられていた。私物として持ち込んでいたコーヒーカップにすら、丸喜さんの写真――朗らかな笑顔のもの――が使われている。新婚ほやほやにしては、何かベクトルがおかしいような気がしてならない。

 初めて丸喜先生の机――丸喜拓人さんの姿を目にしたとき、真っ先に抱いたのは憎悪と恐怖、そしてそれを遥かに上回る程の困惑であった。丸喜さんを「タッくん」と呼んで、近くにいる人間――教師だろうと生徒だろうと問わずに惚気話を撒き散らかす丸喜先生の怒涛っぷりに気圧されたとも言える。未婚の教師たちが舌打ちしていたけれど、彼女にとってはどこ吹く風であった。閑話休題。

 

 

「でもタッくん、大丈夫? 秀尽学園高校って鴨志田卓の暴力事件で大騒ぎでしょ? 取材陣に取り囲まれたら泣いちゃわない??」

 

 

 「珠閒瑠で発生した須藤竜蔵の汚職事件にも巻き込まれて、大変な目にあってたもの。べしょべしょに泣いてたの覚えてるわよ」と語る丸喜先生は、本気で心配している。

 当時はまだ佐渡谷だった留美さんは、僕等が珠閒瑠市を駆け回っていたのと同じ時期に、僕等が与り知らぬタイミングで事件に巻き込まれていたようだ。

 スマホの向こう側にいる丸喜さんも、須藤竜蔵の汚職事件に巻き添えを喰らっていた。話を聞く限り、丸喜先生が末端だったため無罪放免、丸喜さんは研究内容を怪しまれて警察に拘束されていたとのこと。

 

 

「研究論文の完成も、生徒へのカウンセリングも大変でしょう? 早速今日からお仕事だもんね」

 

 

 ――今日から、丸喜さんは秀尽学園高校のカウンセラーとして赴任・勤務が始まるのか。

 

 そう思った途端、悪寒が背中を駆け抜けた。形容できない程の憎悪と恐怖が沸き上がる。心臓を握り潰されるような衝撃と共にフラッシュバックしたのは、希望を亡くした誰かの慟哭。同時に僕の胸を満たしたのは、『今すぐに黎の元へ行かなくてはならない』という脅迫めいた衝動だった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()――理由は一切分からないのに、どうしてだろう。そうしなければ、永遠に、黎を失ってしまうような気がする。黎を奪われてしまうような気がするのだ。確信にも等しい何かがある。……僕は丸喜さんの人間性なんて、全く知らないはずなのに。

 

 だって、そもそも、僕は丸喜さんと顔を合わせたことがない。実際に交流したことは一度も無いのだ。丸喜先生の机の上やマグカップの写真を見ただけである。

 怨敵の獅童正義ならば形振り構わず黎の元へ向かうけれど、特に何の絡みも無い――絡むとするなら今日からだ――丸喜さんを敵視するのはおかしくないか。

 今すぐこの場から駆け出してしまいそうになるのを抑え込んでいた僕は、そこまで考えてふと気づいた。自分の中にある心の海、その奥底に感じる気配に。

 

 

<……誰か、いる?>

 

<――っ!?>

 

 

 水面の歪みが酷くて全貌は見えないが、黒ずくめの“何か”と確かに目が合った。

 “何か”は僕と目が合うことは想定外だったのだろう。ギョッとした様子でこちらを見返す。

 

 僕が二言目を“何か”に向けようとした刹那――

 

 

「あら、明智くん。まだ帰らないの?」

 

「……ま、丸喜先生?」

 

「その様子だと、放課後空いてそうよね。――丁度良かった。私、誰かとお喋りしたかったの!!」

 

 

 眼前の丸喜先生に捕まってしまった。惚気話を聞いてくれる相手を見つけた丸喜先生は、満面の笑みを浮かべている。手を掴まれている訳でも拘束されている訳でもないのに、僕は漠然と「ああもう逃げられないな」と悟っていた。

 ルンルン笑顔で手ごろな空き教室(本日の処刑会場)へ向かう丸喜先生に従いつつも、僕はスマホのメッセージトークに『今日は一緒に帰れそうにない。ごめんね』と連絡を送った。既読マークはつかなかったが、黎ならば連絡に気づいてくれるだろう。

 

 結果、丸喜先生の惚気話が終わったのは、日がとっぷり暮れた頃である。数時間ぶりに触ったスマホのトーク欄には、既読と一緒に黎からのメッセージが入っていた。

 そこに記されたメッセージ内容に息を飲む。一歩遅れて湧いたのは、悲嘆に満ちた“誰か”の叫び。2()()()()()()()()()()()()という強い後悔。

 “誰か”は口をつぐんでしまった。“彼”の拒絶に呼応するように水面が歪む。それっきり、“誰か”の気配を探ることはできなくなった。

 

 今日はもうこれ以上、僕に何かを訴えるつもりも無ければ、無理矢理突き動かそうともしないらしい。僕はため息をつく。

 

 

“今日から、秀尽学園高校にカウンセラーの先生が赴任して来た。名前は丸喜拓人先生”

 

“鴨志田事件の関係者を中心に、カウンセリングを受けるように言われた”

 

“任意らしいけど、変な疑いをかけられると面倒だから、先生のカウンセリングを受けることにするよ”

 

 

「……カウンセリング受けた方がいいのは僕の方かも。外部の人でもカウンセリング受けられるか聞いてみようかな?」

 

<――やめろ!!!>

 

「うわうるさっ」

 

 

 僕の心の海に居付いている“誰か”をどうするかは、おいおい考えていかなければならないだろう。誰に何を相談しても、大問題になることは明らかだ。

 

 




「アイツ、なんで“俺”に気づいたんだよ……」

「……あそこまで叫び散らして暴れりゃあ、誰だって気づくと思うけどなぁ」


「■■■■さんの淹れた紅茶と焼き菓子、全部ダメになっちゃった……」

「食い物に当たるとか最悪じゃん。もう1回“運動”させた方が良くない?」

「今度何にする? アルカナシフト13連戦はこの前やったから除外で」

「BGMで幼児虐待流したい気分」

「なら御影町の悪夢にしようか!」

「御影遺跡版テッソとテディベアの組み合わせはやめてやれ! キツいから!!」


―――

リメイク版における様々な変化――例/秀尽学園高校に潜入を強行、“誰か”のバックボーンの変化によるトラウマスイッチEtc――によってバタフライエフェクトの影響を受け、色々な描写の追加・内容の変更が発生しました。
様子がおかしい橿原淳、魔改造明智の強硬潜入由来の関係改善が進む真、違和感の下りが大幅変更された獅童智明、トラウマスイッチONから盛大に爆破されて阿鼻叫喚になった結果遭遇が前倒しになった“誰か”と盛りだくさんです。
魔改造明智&魔改造ジョーカー♀と愉快な仲間たちによるペルソナ5(R・S要素ごちゃ混ぜ)珍道中は、どんな景色を経由して、どんな結末に至るのか。興味がありましたら、リメイク前作品共々楽しんで頂けたら幸いです。


【参考】
『マクスウェルの悪魔』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94
https://skawa68.com/2020/05/30/post-39824/

『シュレーディンカーの猫』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%8C%AB
https://skawa68.com/2020/05/28/post-39792/

『ラプラスの悪魔』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115038291?__ysp=44Op44OX44Op44K5IOaEj%2BWRsyDjgo%2FjgYvjgorjgoTjgZnjgY8%3D

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