Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn- 作:白鷺 葵
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
名前:
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。オリキャラ同然になっている人物もいるので注意してほしい。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
ピアス:
罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
キタロー:
ハム子:
番長:
・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。
「それ、何?」
黎の持っていた“それ”は、懐中ロケットのようなアクセサリーだった。表と裏の両方に、切り絵風の模様が刻み込まれている。ステンドグラスと同じような要領なのか、どこか神々しい雰囲気があった。
表側には、星にじゃれつく黒猫が描かれている。黒猫と言っても、完全に真っ黒な猫ではない。口元と手が白く、透き通った青い瞳を持つ猫だった。
裏側には、おどろおどろしい悪魔の王が描かれていた。襲い来る理不尽を打ち壊し、その運命を与えた存在への反逆を高らかに謳っている。
「“おしるし”っていうんだ。有栖川の家の人間であることを示すマークなんだって」
そう言って、黎は本を見せてくれた。どの家がどんな“おしるし”を有しているのか、誰がどんな“おしるし”を有しているのかが、デザイン画や実物の写真付きで記されている。
“おしるし”は家によって違い、固有のものがあるのだという。本家の有栖川家は【星にじゃれつく黒猫】を家の“おしるし”として掲げていた。他の分家の代表格――僕を引き取った双子である空元家は【太陽に向かって飛翔する烏】を“おしるし”にしている。他にも、一部の分家では【太陽を見上げる舞姫】や【満月を背に立つ巨大な塔】、【手を取り合う日本神話最古の夫婦】が描かれているそうだ。
家の単位だけでなく、個人の“おしるし”を有している者もいる。理由は様々で、その一例としては『双子等の理由で、複数人の子供が同時に誕生した際、長兄に当たることを示す』ため、『生まれてきた子供が病弱なので、病気が治ってほしいという願いが込められている』等がある。
黎の場合は後者で、彼女個人の“おしるし”は【悪魔の王の降臨】だった。医者が匙を投げて首を振るような状況に直面し、『そんな運命なんざぶち壊してやる』という反逆の意志を表したものらしい。逆に前者の意味で“おしるし”を与えられたのは至さんである。彼の“おしるし”は【バタフライマスクの上で羽を休める蝶】だった。
それぞれの所属や繋がりを示す“おしるし”は、帰る場所があることを示す証だ。有栖川家を筆頭とした、絆の証と言っても過言ではない。
目に見えぬ絆や財産は、“おしるし”という明確な形になって存在している。彼や彼女らにとって、精神的支えを補強するものなのだ。
(……いいなぁ)
僕と母の絆の証は、老紳士から手渡された遺品と遺産。金銭的なものはその限りではないものの、両方とも大切な証として残っている。母子の繋がりは、母が亡くなっても消えることはない。
そう考えると、僕と有栖川家の間に、繋がりを示すような物質的証はない。有栖川家の関係者に引き取られてから随分と時間が経過したが、僕は『有栖川の家にとっての異物』でしかない――そんな気がする。
(――やめよう。『親を亡くして親戚に引き取られた子ども』の中で、僕は随分と恵まれているんだから)
僕のことを『要らない子』と言って拒絶した大人たちの姿を思い出す。僕の押し付け合いで紛糾していた大人たちの、身勝手な主張のぶつけ合いを思い出す。
もしもあの場に、僕を引き取った高校生の双子がいなかったらどうなっていただろう。あの場にいる中の誰が、僕を引き取る生贄に仕立て上げられていたはずだ。
僕を無理矢理押し付けられた親戚は、果たして、僕を人間らしく扱っただろうか? 邪魔者として冷遇する程度ならまだしも、心身共に傷つけられる可能性が高い。
人並みの権利が保障されて、衣食住も充分で、邪魔者扱いされることもない。1番大好きな女の子も、兄貴分である双子も、僕と同じ気持ちを返してくれる。
期待をしても、何も貰えなかったら。
自分の希望を述べても、受け入れられなかったら。
むしろそのせいで、3人から見放されてしまったら――
(もう、痛いのは嫌だな)
あの日、僕は一生分、精神的に殴られた。言葉で殴られ、拒絶された。『お前の居場所はもう何処にもない』と、嫌でも思い知らされた。
多分、あれ以上に辛いことが起きることなど早々無いだろう。あれ以上に苦しいことなど起きないだろう。――否、もう二度と味わいたくない。
悍ましい地獄絵図を見なくて済むのなら、僕は幾らでも口を噤もう。
仮面を被って、沈黙を保とう。「もっと」と希い、高望みする自分を殺そう。
人形と揶揄されたって構わない。いざとなったら、化け物にだってなってみせよう。
そんなことを考えながら、僕は黎の話に耳を傾けた。
◆
――
◆
有栖川家は御影町にある旧家だ。地方豪族の流れを汲むこの家は、地元では“由緒正しく有力な家系”として名を連ねている。全盛期時代では、中央の華族や士族等とも深い繋がりを有していたらしい。母屋が立派な日本家屋の建物なのは、当時の名残だという。
時代の流れによって家の在り方は変容し、現在では『富裕層の中の下くらい(自称)』の資産と威光が残っている程度。それでも、母1人子1人で育ってきた僕からすれば、有栖川家の人間たちは『とんでもない金持ち』でしかない。僕や僕の母が味わってきた苦労とは無縁の人間たちだ。
僕が初めて顔を合わせた有栖川家の関係者――双子の高校生は、一目見ただけで『周りの人間に愛されてきた』ことがよく分かる人間だった。
身なりも綺麗だったし、現実的な理由で僕を拒絶した大人たちに真正面から立ち向かっていた。
兄弟の事情を知る前――ひどくイライラしていたときの僕だったら、そんな2人を見て、『
『俺たちのお父さんとお母さん、亡くなってるんだ』
『だから、お前の話を聞いたとき、放っておけないと思ったんだ』
母と過ごした故郷を離れて御影町へ向かう道すがら、僕を引き取った高校生の双子――至さんと
双子が僕と同じ年齢の頃に、2人の両親は事故で無くなったという。家族旅行中、発生した大事故に巻き込まれたそうだ。救助隊が出動する程の規模だったらしく、多くの人が亡くなったらしい。救助隊が出動し、救助活動が終わったのは事故から1か月経過してからだ。後にこの事故は『大規模人災』として、当時の紙面を飾っていたという。
双子は事故発生から3日後に救出されたが、彼らの傍にいた両親は事故直後に亡くなっていた。双子は両親の死体と一緒に過ごし、軽食用に持ち合わせていた僅かな菓子類で3日間を生き延びた。――2人の話を聞いて、
僕の母は病死で、綺麗な死に化粧が施されていた。だが、空元兄弟の両親の遺体は損壊が激しく、特に顔の部分は酷い有様になっていたらしい。当時の医療技術でも、遺体の顔を綺麗な形に復元することは不可能だったそうだ。結果、顔の部分は包帯でぐるぐる巻きにされたという。
どんな気持ちだったのだろう。棺の中に収められた、包帯でぐるぐる巻きにされた遺体を見送った双子は。
どんな気持ちだっだのだろう。母を失い天涯孤独になった僕に、自分たちの過去を語って聞かせた双子は。
少なくとも、不幸自慢がしたかった訳じゃないことだけは確かだ。
(……人は、見た目や立場からじゃあ分からないことがあるんだな)
僕は鏡に映った自分の姿を見つめた。髪は肩に触れるか触れないか程度の長さで切り揃えられている。清潔で小綺麗なシャツとズボンに身を包んだこの姿は、どこからどう見ても普通の子どもだ。
有栖川家に来る前の僕の姿――手入れの行き届かないざんばら髪で、よれよれの服を身に纏っていた。体型は小柄でやせ細っていた――を想像できる人間など、関係者以外想像できまい。
この現実を生きる者は皆、過去の古傷や塞がらぬ傷を引きずって生きている。生きている限り、傷は増え続ける一方。
傷の直りは個人差があるが、多かれ少なかれ時間を必要とすることは確かだ。人によっては、一生癒えぬ傷と向き合わなければならない。
誰もが現実と戦っている。世界は待ってはくれない。それでも抗おうとするからこそ、足掻いたからこそ、勝ち取れるものがあるのだ。
『最近になって、新しい薬ができたんだ。おかげで、家の中ならどこでも行けるくらい元気になったの』
『お医者様の先生も、『これなら秋頃には完治するだろう』って』
そう言ってはにかんだのは、有栖川家の1人娘・黎だった。
彼女は生まれた当初から難病を抱えており、医者から『小学校に入学できるまで生きていられるかどうか』と匙を投げられたらしい。しかし、彼女は生きることを諦めなかった。彼女の両親も、娘の病気を治すために駆け回った。特に父親は、黎が生まれる以前から、その難病の研究を行っていたそうだ。――文字通り、時間との勝負。
闘病生活の果てに、有栖川黎は運命に打ち勝った。小学校に入学する以前に死ぬと言われた未来をひっくり返し、一生病院と自宅を行き来するだけの人生になるだろうという医者の予測も乗り越えて、彼女はこの世界で息をしている。それこそが、彼女が戦い抜いて掴み取った未来だった。
僕は、努力すれば報われるなんて言葉を無邪気に信じられるような人間ではない。その言葉が正しいなら、何故母の努力は報われなかったのか。報われるべきは、救われるべきは、母であったはずなのに。
だけど、どうしてか、思ったのだ。
正直な話、黎と出会う前までは『誰がどうなろうと構わないから、母が報われてほしい』と思っていた。『母こそが、幸せになるべき人間だったのに』と思っていた。
『どうして、僕のお母さんは助けてもらえなかったの?』
『お母さんだって、僕のためにたくさん頑張ってたのに』
『……ねえ、黎。黎と僕のお母さんでは、何が違かったの?』
自分より1つ年下の少女に尋ねるには、あまりにも不条理な疑問だった。質問の体をした、卑劣な八つ当たりでしかなかった。
僕の問いかけに対し、黎は目を真ん丸に見開いて硬直した。みるみるうちに、少女の表情が曇っていく。
『吾郎“
『私のこと、『邪魔だ』とか『早く死んでくれないかな』と言った人たちと同じように』
灰銀の瞳からぽろりと涙がこぼれたのを目の当たりにして、ようやく僕は自分の過ちに気が付いた。
僕が馬鹿だった。言わなきゃよかった。言うんじゃなかった。
たとえ間違っても、絶対に言っちゃいけなかった。
『ごめん』
ようやく出たのは、陳腐な謝罪だった。幾ら言葉を探しても、出てくる言葉はその3文字だけだった。
酷いことを言ったのだから、嫌われて当然だ。でも、僕は、どうしても、黎にだけは拒絶されたくなかったのだ。
途方に暮れてべそべそと泣く僕を目の当たりにした黎は、僕を落ち着かせようと手を尽くしてくれた。
だけれど、彼女がいくら『大丈夫だ』と言ってくれたとしても、僕自身が僕自身を許せない。
僕の情けない泣き声は至さんや航さんの耳にも入ったようで、最後は3人がかりで僕に付き合ってくれた。
『黎が羨ましかったんだ。みんなに助けてもらって、頑張った結果がちゃんとついてきたから』
『僕のお父さんは、お母さんを助けてくれなかった。誰もお母さんを助けてくれなかった。――僕も、お母さんを助けられなかった』
『僕のお母さんは死んじゃった。僕のために、たくさん頑張っていたのに……』
今更『黎を傷つける意図などなかった』と主張したところで、何もかもが遅い。こんなのは言い訳だ。いや、言い訳にもなりはしない。
勿論、空元兄弟から怒られた。けれど最終的には、『自分がしたことの何が悪かったかを理解し、心の底から申し訳なかったと反省し、罰を受けて当然だと覚悟した上で、たとえ無様な姿を晒しても、逃げずにちゃんと謝れたから偉い』という結論に落ち着いた。『大人でも難しいことなんだぞ』と褒められて、頭を撫でられた。
同時に、黎と至さんと航さんの3人は、僕の八つ当たりじみた問いかけに対して真正面から向き合ってくれた。『馬鹿なこと』をと流されても仕方ない言葉をすべて拾い上げて、一緒になって考えてくれた。母の死を引きずる僕を否定せず、想い悼むことを許してくれた。無理に前を向かせようとせず、傍に寄り添うことを選んでくれた。
『誰かが羨ましいって思うことは、何もおかしなことじゃないよ。不幸な偶然だとか、間が悪かっただとか、簡単な言葉で片づけられるはずがない。私だってそうだったもの』
『大事なのは、羨ましいと思った後、自分がどう行動するかなんだ。どうすればいいのか分からなくて苦しくなったら、ちゃんと言うんだぞ? ……まあ、解決方法が出るかどうかは分からないけど』
『問題なのは“嫌な気持ちをため込んだ果てに、『物や人に当たろう』とする”ことだな。そうなる前に言え。誰かに話し、誰かと一緒に考えるだけでも楽になるぞ』
有栖川家の関係者は優しかった。
泣きたくなるくらい優しかった。
僕の方が心配になるくらい優しかった。
優しいと言っても、“相手が望んだものを与える”だけの優しさではない。普通に生きていくうえで当たり前の不条理をつぶさに取り上げては、それを解決するための手段を一緒になって探してくれた。
異物である明智吾郎を受け入れて、傍にいて構い続けることで、1人ぼっちにしないでいてくれた。自分の隣に誰かがいてくれることも、それがが心強いと思ったのも、母以外の誰かで初めてだった。
(……信じても、いいのかな)
手を伸ばせば握り返してもらえるのだと、信じていいのだろうか。助けを求めても見捨てられないのだと、信じていいのだろうか。
そんなことを思う度に、過去によって引き止められる。血縁者たちから悉く見捨てられ、突き放されたときの光景が瞬くのだ。
永遠なんてものは無い。人は何の気なしに誰かを捨てることができるし、自分自信もまた、誰かに捨てられてしまうという危険性を孕んでいる。
僕を引き取った空元一家も、彼らの居候先である有栖川家も、いつか僕を捨てる日が来る。『要らない子』と呼ばれて、放り出される瞬間が来る――その懸念は、今でもこびりついたままだった。
「――吾郎、ご飯できたよ。今日は至さんのオムライスだって!」
ノックの後、扉を開けたのは黎だった。黎の両親は共働きで、勤務時間も不規則だ。家族そろって食事をとることは難しい。代わりに料理番を務めるのは、お手伝いさんか至さんだ。
お手伝いさんのご飯も美味しいけれど、僕らは至さんの作るご飯が大好きである。空元兄弟の亡き父親が料理人をしていたらしく、その才能を受け継いだのかもしれない。
僕を引き取る少し前から、至さんは飲食店でアルバイトをしている。『大分繁盛している店舗を1人で捌いている。店長が忙しいようで、ずっとどこかへ出かけっぱなしだ』と零していたか。
バイトに入らなければいけない頻度が増えているようで、最近はずっとお手伝いさんのご飯だった。
至さんのご飯を食べるのは、随分久しぶりであると言える。僕は返事をし、黎と一緒にダイニングへ向かった。
「わぁ……」
テーブルの上には、湯気が立つ大皿が4つ。皿の上には、出来立てのオムライス鎮座していた。
厚みがあってふわふわする卵には焼き目がない。それが逆に、ケチャップで描かれた星の色合いを引き立てる。ほんのり漂うバターの香りが鼻をくすぐった。
付け合わせの野菜――人参、玉葱、ブロッコリー、とうもろこし――がホワイトソースで和えられていた。洋食屋で見かけるオムライスを、そのまま再現したと言われてもおかしくない。
「至、お腹すいた」
「分かった、分かったから。ちゃんと席について挨拶してからな」
苦笑した至さんに促され、航さんが席に着く。
僕と黎も席について、「いただきます」と挨拶した。
少し勿体ない気がするけれど、オムライスにスプーンを入れる。途端に、中から半熟の卵がトロリと溢れ出てきた。僕は感嘆の息を吐き、ケチャップライスと一緒に卵を頬張る。
ケチャップの酸味とご飯や卵の甘みが口の中一杯に広がった。噛みしめる度に、鶏肉や野菜のうまみで満たされる。どうしてか、母と一緒に半熟のオムライスを食べたことを思い出した。
母に連れられてきた洋食店で食べたオムライス。久々の外食で喜ぶ僕を見て、母も静かに微笑んでいた。1人分のオムライスを2人で食べた、ささやかだけども優しい記憶だ。
亡くしてしまった日々をなぞりながら、僕は改めて目の前の光景へ意識を向けた。
「嬉しいなぁ。病気がよくなったから、おいしいもの一杯食べられる」
黎が幸せそうに目を細め、オムライスを食べ勧めていた。食べる速さがゆっくりなのは、あまり量を食べれなかった――まともに食事をとれなかった時期の名残なのだろう。
勿論、彼女にはオムライスを残すつもりなど毛頭ない。食べるスピードの遅さを指摘して横取りしようと企めば、即座に絶対零度の眼差しを向けられるはずだ。僕はしないけど。
「おかわり」
「もっと味わって食えや! つか、食い方ヘッッッタクソだなお前」
掃除機みたいな勢いでオムライスを喰らい尽くした航さんは、真面目な顔で皿を突き出した。口元はケチャップライス塗れである。
それを見た至さんは文句を言いつつ、手早くおかわりを用意し航さんの眼前へ出した。航さんの腹に消えたものと、寸分違わぬオムライス。
航さんは嬉々として目を輝かせ、バクバク食べ勧めていく。料理を味わう彼の口元は、いつも以上に、盛大に緩み切っていた。
有栖川家に身を寄せるようになってから、当たり前となった光景だ。和気あいあいと笑いあう3人につられて、僕も口元を緩ませてしまう。大人に傷つけられたときに抱いた決意を鈍らせてしまうのだ。
ある意味、開き直っていると言ったほうがいいのかもしれない。『どうせ、いつかこの手は振り払われて追い出されるのだから』と言い聞かせ、『精々、それまでの間は楽しもう』という形で許してしまう。実際その瞬間が来たら、耐えられないのは僕自身なのに。
黎の元から離れることを想定するなら、これ以上、彼女に心を許してはいけないのだ。空元兄弟に心を許してはいけないのだ。心を閉じて、そうと悟られぬよう適度に距離を保ち、いつ離れてもいいように準備をしておくべきなのに――気づいたら、ここを『帰る場所』と認識している僕がいる。
「どうした? さっきから食べてないみたいだけど」
「! あ、なんでもない」
至さんの声によって、僕の意識は引き戻された。先程よりも熱が引いて、ぬるめの温度になったオムライスを口へ運ぶ。――温かい方が味も風味も上だったのに、惜しいことをした。
黎や航さんから心配そうな眼差しを向けられたため、僕は努めて笑顔でオムライスを食べ進める。『満足しています、何も不満はありません』と思っているように振る舞ってみせた。
3人は互いに顔を見合わせる。どことなく不安そうな眼差しに、僕の方が胸が痛くなった。どうか、3人に『僕は大丈夫』だと伝わってほしい。そんなことを思いながら、オムライスを完食した。
「ごちそうさまでした」と僕が手を合わせたときだった。そのタイミングを見計らったかのように、至さんがポケットの中に手を突っ込んだ。暫くして、彼は小箱を取り出し、僕に差し出す。
「……これは?」
「開けてごらん」
誕生日でも何でもないのに贈り物を貰うなんて、非常に珍しい体験をしている。しかもその相手は、生前の母とは一切顔を合わせたことのない
血縁でもなんでもない相手から贈り物やおごってもらったことがないわけじゃない。その相手は母の仕事の関係者だったり、母と懇意にしている男性客くらいだった。
小箱の包装を解いて、ふたを開ける。
中に入っていたのは、懐中ロケットのようなアクセサリーだった。表には切り絵風の模様が刻み込まれている。ステンドグラスと同じような要領なのか、どこか神々しい雰囲気があった。
描かれていたのは【太陽に向かって飛ぶ烏】――空元家の“おしるし”とほぼ同じもの。違いは、飛んでいる烏の色が真っ白なのと、遠くの空に2羽の烏が飛んでいることだろう。
「ねえ、これって――」
「吾郎」
僕は思わず顔を上げた。黎も、至さんも、航さんも、悪戯が成功した子どもみたいな笑みを浮かべる。
「確かにお前は、俺たちからしてみれば異物だ。仲間外れの『白い烏』みたいなモノかもしれない」
だけど、と、至さんは言葉を続ける。
「それが何だ? そんなの、色が違うだけだろう。白くたって、『烏』であることには変わらない。繋がりがあるのだから、一緒にいるのは当たり前じゃないか」
偽らなくともいいと、怯えなくていいと告げるかのように。
「誰が何と言おうと、お前は烏だ。空元の家紋と同じ烏。――“ウチの家の子”だ」
それぞれの所属や繋がりを示す“おしるし”は、帰る場所があることを示す証だ。有栖川家を筆頭とした、絆の証と言っても過言ではない。
目に見えぬ絆や財産は、“おしるし”という明確な形になって存在している。彼や彼女らにとって、精神的支えを補強するものなのだ。
ここは、僕が帰ってきていい場所なのだ。僕がいてもいい場所なのだ。僕を引き取ることを嫌がった大人たちと、彼らは全く違うのだ。
いつ追い出されるかと身構えなくてもいい。怯えなくてもいい。嘘をつかなくとも、強い自分でい続けなくてもいい場所。
「ここは、お前の帰る場所だ」
口元をケチャップ塗れにした航さんが微笑む。
立ち上がった黎が、“おしるし”ごと、両手で俺の掌を包み込んだ。
「不安になるなら、何度だって言う。ここがあなたの帰る場所だって、何度だって伝える」
「黎」
「……いつか吾郎が、自分の意志で、私たちがいる場所を『自分の居場所』だって言ってくれたら、嬉しいな」
言いたい言葉はたくさんあった。言わなければいけない言葉だって、たくさんあった。
でも、頭の中に浮かんだのは、とても簡素な感謝の言葉。たったの5文字。
だけれど僕は、その5文字すら、まともに伝えられる状態ではなかった。
胸の奥底から競り上がってきたものを、何と例えよう。抑え込めずに決壊したものを、何と例えよう。
視界は滲み、喉がひりつき、意味を成さない呻き声が漏れるだけの獣に成り下がる。泣いて、唸って、喚くだけの子どもに成り下がる。恥も外聞も打算も考えられないような、どこにでもいる子どもだ。
周囲の経済的な事情を察知して、手のかからない子どもを演じる必要もない。完璧な子どもでいることを優先して、我慢する必要もない。愛してほしいと希うことを諦める必要もないのだ。
「――――ッ!!」
僕は泣いた。久々に、馬鹿みたいに大泣きした。
誰も怒らなかった。誰も咎めなかった。
黎も、至さんも、航さんも、静かに僕を見守っていた。
(――ねえ、お母さん)
もう会えない母を想う。もう二度と戻れない、母と過ごした日々を想う。
母1人子1人の生活は、あまり裕福とは言い難い。住んでいた家――小さなアパートに風呂はなかったから、近くの銭湯に行っていた。母は夜の仕事をしていたらしく、勤務時間は不規則で多忙だった。アパートに客を呼んで、彼らの相手をしていたこともある。現在僕が住んでいる有栖川家と比べれば、母との日々は『貧しくて慎ましやかな生活』だったと言えるだろう。
それでも僕は構わなかった。衣食住は不安定だったけれど、母と一緒ならそれだけでよかったのだ。どんなに忙しくても母は僕と過ごす時間を作ってくれたし、時折僕を『お客さんから紹介された美味しい店』に連れて行ってくれた。長期間1人で留守番することになったときは、それが終わると、決まって短い連休を取って僕と一緒にいてくれた。
悪い男に惚れ込み、そいつの子どもを孕んだことで、母は僕ごと捨てられた。僕のせいで酷い目にあったのに、父親から僕の堕胎を提案されても、母は決して僕を殺そうとしなかった。
『僕を殺そうとした人間とは一緒にいられない』と言って、家も父親も捨てて、母は僕を選んだ。僕の前では1度も弱音を吐かなかった。『大好きよ、吾郎』と、口癖のように伝えてくれた。
平均寿命80年の中では、あまりにも短い時間。――それでも僕は、確かに母に愛されていた。幸せそうに目を細めた母の笑顔を、僕はちゃんと覚えている。ちゃんと思い出せる。
『吾郎、一緒にいられなくてごめんね。守ってあげられなくてごめんね』
『……あなたを独りぼっちにしてしまうお母さんを、どうか許してね……』
亡くなる少し前の母は、僕を見る度、いつも申し訳なさそうに謝っていた。僕の行く末を心配していた。
母は知っていたのかもしれない。父親不明で非嫡子の僕が、周囲からどのような扱いを受けることになるのかを。
『お母さんとお別れした後も、たくさん辛いことがあるわ。勿論、悲しいことだってあるでしょう』
母の言葉通り、僕は辛い目に合った。悲しい目にあった。祖父に当たる老紳士を始めとした親戚縁者からは拒絶され、自分たちの都合と厄介者である僕を押し付けあう光景を見せつけられた。
人間の汚さや悍ましさを目の当たりにした。僕が『望まれない子ども』で『要らない子ども』だってことを、嫌という程思い知らされた。これが社会全体の反応なのだと悟ってしまえる程に。
『それでも――いつか必ず、吾郎のことを『大好き』だって、『大切だ』って言ってくれる人が現れるわ』
『もしかしたら、吾郎が誰かのことを『大好き』だって、『大切だ』って思える日が来るかもしれない』
『いつかそんな人が現れたら、絶対に、その人の手を放しちゃダメよ。何があっても、一緒にいることを諦めないで』
だから、僕は母の言葉を信じなかった。信じることができなかった。『いなくなる前に、なんて酷い嘘をついたんだ』と思ってしまった。
こんな汚い世界で、僕のことをそんな風に思ってくれる人なんて二度と現れるはずがない。僕に近づいてくるのは、僕に対して何かしらの利用価値があると判断した奴らだけ。
実際、僕の目の前にいた大人たちは皆『明智吾郎は価値のない穀潰しである』とみなしていた。故に、自分以外の誰かを生贄にしようと必死だった。
空元兄弟や黎のことを信じることができなかった。信じようとしても、信じたいと願っても、警戒を解くことができなかったのだ。
今なら、母の言葉を信じられる。母の言葉は正しかったのだと理解できる。ようやく、母の最期の心配を解決することができる。『僕はもう大丈夫だよ』と、胸を張って言える。
(――僕、帰る場所ができたよ)
僕のことを『ウチの家の子だ』と言ってくれた人がいた。僕を『大切だ』と言ってくれた人だった。
僕に対して『お前の帰る場所はここだ』と言ってくれた人がいた。僕を『大切だ』と言ってくれた人だった。
僕に対して『吾郎の帰る場所になれたら嬉しい』と言ってくれた人がいた。
僕を『大好きだ』と言ってくれた人で、僕が『大好きだ』と思った人だった。
永遠なんてものを信じてみたいと思うくらい、信じられると思うくらい、素敵な人だった。
僕は白い烏が刻まれた“おしるし”を握り締める。ここが自分の居場所なのだと、ここに帰ってくるのだと、自分に言い聞かせるように、強く。
『“自分”が知っている■■■■■の名前と、【彼】と一緒にいる■■■■■の名前が違う』?
なんで今更気づいたの?
『最近まで、【彼女】の名前がノイズかかって聞き取れなかったから』?
ああ、だとしたらそれはこちらの不手際だ。すまない、申し訳なかった。
話を戻そう。『観測する世界によって■■■■■の名前が違う』というのは、異常事態の中には入らないんだよ。
【あの子】は“彼女”の並行存在。名前や性格、経歴や環境に差異があって当然だろう。
“キミ”が【白い烏】に成り得ないように、【彼】が“キミ”に至ることも不可能だ。個人レベルだとよくある話さ。
ああでも、『“彼女”と【あの子】の経歴は“ほぼ同一”』というのは本当だな。
…………この件について、
その代わり、今“キミ”が抱いた感情や想いを忘れないでくれ。
*
“キミ”は確かに、烏にはなれない。寧ろ、“キミ”が至るべき答えも烏ではない。
……そうだなあ。“キミ”に似合うのは鳥だろう。そこは【あの子】と一緒だね。
敢えて具体例を挙げるとするなら、“キミ”は――――
2XXX年、3月20日。
東京駅のホーム。
手渡されたのは、懐中ロケットのようなアクセサリーだった。表には切り絵風の模様が刻み込まれている。ステンドグラスと同じような要領なのか、どこか神々しい雰囲気があった。
そこに描かれていたのは――
―――
今回のエピソードで、『A Lone Prayer -Dream of Butterfly- Ⅰ』の章は終了。次回以降から、リメイク前における『Bloody Destiny』/前日譚編が始動します。
リメイク前との設定の変化は、ここら辺から段々と明確になっていく予定です。大きく変わり映えするわけではありませんが、生暖かい目で見守っていただければ幸いです。