Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn-   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空元(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 名前:霧海(むかい) (りん)(旧姓)⇒影時間終了後の巌戸台で出会った少女。現在の本名や詳細については中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。オリキャラ同然になっている人物もいるので注意してほしい。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は有栖川(ありすがわ)(れい)
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空元(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 キタロー:香月(こうづき) (さとし)⇒妻・岳場ゆかりが所属する個人事務所の社長であり、シャドウワーカーの非常任職員。気付いたらマルチタレントになっていた。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。

・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。

・今回のお話は下ネタ表現が強めなので注意されたし。
・今回のお話は下ネタ表現が強めなので注意されたし。
・今回のお話は下ネタ表現が強めなので注意されたし。




Heartful Cry -Living with determination-
風邪引いたときに見る夢


 

 

「何度見ても納得できないわ! どうして貴方が触手を使う側なの!? 貴方は触手に“ピー(R-18のため規制)”される側でしょう!!」

 

 

 コンプラ違反の塊みたいな――顔半分を覆うタイプの仮面をつけ、水着並みに露出度高めな黒いビキニアーマーを身に纏った――女性が、医者の風貌をした男に対して開口一番に投げつけた言葉がこれだった。

 

 いきなり訳の分からないことを言われた僕等は唖然とし、医者の風貌をした男は小さく身を震わせる。

 言葉の内容には大変困惑しているようだが、言葉自体は言われ慣れているのか、反応は比較的薄い。

 女の発言がこの場にそぐわないこと、これ以上話を深堀りすると碌な方向に進まないことを察した男は、少しどもったような口調で女を嗜めた。

 

 

「■、■■■■。今はその……そういう話はするべき時じゃないように思うんだけど」

 

「今だからこそ、こういう話をすべきときなのよ! 貴方は大事な話を逸らしがちだもの!!」

 

「……ほ、本当に? 本当にこの話、今じゃなきゃダメなのかい……!?」

 

「当たり前でしょ!!」

 

 

 激しく狼狽する男と、何も間違ってませんと言わんばかりに胸を張る女。誰がどう聞いても男の言い分が正しいのに、女の勢いが強すぎて価値観がおかしくなってしまう。立場によってベクトルは違えど、女の発言は、自分達や医者の風貌をした男に対して異様な恐怖を与えてきた。

 女は持論――いや、持論と言うには語弊がある。恐らくだが、彼女の話の内容からするに、これは女側の一方的な物の見方だ。俗に言う『性癖』というヤツだ――を早口でぶちまける。『オタクは好きなことを話す際は早口になる』という話は聞いたことがあったし、僕もそういうタイプの人々の存在を知っている。

 

 しかし、未成年もいるこの場で話す内容としては、大変不適切だ。この場にいる大半が高校2年生=18歳未満で構成されているから余計に。

 

 【パレス】の主は医者の風貌をした男なのだが、彼は仮面の女の手綱を握れるようなタイプではなかった。文字通り、じゃじゃ馬に振り回されている。この有様では、数秒後に【パレス】の主が女に変わっていてもおかしくない。

 この【パレス】のキーワードは『■■(■■■■■)』だが、この調子だと『大人のビデオの撮影会場』になりそうだ。もしくは『大人向け同人誌の即売会場』。多方面において、キーワードとして不適切過ぎる。鴨志田の城とは別方向で洒落にならない。

 

 

「……あ、あの、……どちらさまですか?」

 

 

 話が脱線しそうになっていることを察知した少女――赤い髪をポニーテールに結んだ少女だ。■■■さんと同じ髪型や格好を真似ているだけで、どこからどう見ても■■■さんなのだが、本人は頑なに■■■と名乗っている――は、おずおずといった調子で女性へ声をかける。彼女はつい数秒前まで男が召喚したペルソナの触手に囚われそうになっていたのだが、女の乱入によって気を逸らされたため拘束されずに済んでいた。

 

 男は女のことを『■■■■』と呼んでいたが、女の外見は黄色人種の純日本人。呼ばれた名前は何処からどう見ても海外圏で使われる愛称、或いはキラキラネームの類である。本名とは思い難い。

 一応、僕の知人にも“本名は純日本人だが、愛称が海外風になっている”人物がいた。更に言えば、【怪盗団】の面々が名乗っているコードネームも西洋圏――英語やフランス語の横文字が多かったか。

 “【パレス】の主がペルソナ使いを協力者として迎えている”という例は、■■の【パレス】で実証済み。僕の前には、■■の協力者として暗躍していた名探偵/認知世界の元・暗殺者本人の背中があった。

 

 尚、元・暗殺者は現在、【パレス】の主にR-18な話題をぶつけ続ける女の姿に恐怖を抱いているようだ。閑話休題。

 少女の問いかけに、女は【パレス】の主との口論を中断して僕達に向き直る。女は調子を崩さぬまま、満面の笑みを浮かべた。

 

 

「うふふ。ヒ・ミ・ツ!」

 

 

 「いいオンナはヒミツを沢山持ってるものよ」と語る姿に、僕は既視感を覚える。

 ……ずっと昔、駆け抜けた旅路の中で出会い、別れた人だった。姿を見なくなって久しい相手。

 僕が知っているあの女性(ひと)も、夫相手にこんな調子を崩さない人だった。

 

 

「芳澤さん。ああいう手合いは、相手にするだけ無駄だよ」

 

 

 先程までドン引き通り越して恐怖状態になってた青年は、己を奮い立たせるような――意を決したように口を開いた。敵愾心を剥き出しにして身構える。

 

 

「ヤツは■■の協力者で、僕達の敵。それだけ分かれば充分だ」

 

「えー!? ちょっとくらい聞いてくれたっていいじゃない! 最近の子はせっかちね!!」

 

 

 女性の態度に擬音を付けるなら、『ぷんすこ』や『ぷんぷん』あたりが妥当であろう。

 年齢からして20代以上なのは明らかだが、彼女の態度は非常に子どもっぽい。

 

 さっさと本題に入ってしまおうとした青年の態度に対し、女は口を尖らせた。が、それも僅かな時間。次の瞬間には開き直ったように叫ぶ。

 

 

「いいもん! そっちが聞かないなら、聞かせるまで!」

 

「え、嘘待って。僕何もやってないよ? なのに何で勝手に内装が変わるの?? ここ僕の【パレス】だよね???」

 

 

 女は叫ぶなり、姿勢をしゃんと整えた。その佇まいは、自称■■■と名乗っていた少女が怪盗服を身に纏っていた際に見せていた戦い方――新体操競技の開始を彷彿とさせる。

 誰が指示したわけでもないのに、【パレス】内部の照明が女を照らし出した。【パレス】の主たる男性は混乱の極みに叩き落とされたらしい。狼狽しながらブツブツと考え込む。

 

 

「私が彼の協力者をやってる理由はただ1つ。『神』が計画したくだらない遊戯(ゲーム)のとばっちりを受け、惨殺された恋人を取り戻すためよ」

 

「『神』の計画……? まさか、■■■■■■!?」

 

「ええそうよ。……でも、『駒』として使い潰されたのとはちょっと違う。奴はタッくんを邪魔者扱いした挙句、冤罪を着せた上で、自殺に見せかけて殺したの。――『神』の介入さえなかったら、私はタッくんと結婚式を挙げて夫婦になっていたはずだった」

 

 

 女の主張がまともだったのはそこまでだ。

 次の瞬間、血走った眼を剥いて女が主張する。

 

 

「そうよ。タッくんと結婚していたら、“ピー(R-18/女性優位の男性受け)”や“ピー(R-18/女性優位の男性受け)”、“ピー(R-20/女性優位の男性受け)”や“ピー(R-20/女性優位の男性受け)”、“ピー(自主規制/女性優位の男性受け)”や“ピー(自主規制/女性優位の男性受け)”をして、欲望に塗れた蜜月を過ごしてたはずだったのに!!」

 

 

 勝手に城を魔改造されたことに戸惑う【パレス】の主も、困惑していた僕達も、女を敵とみなして臨戦態勢を取っていた青年も、彼女から目を離すことは出来なかった。先程振り払ったはずの恐怖がUターンを決め、爆速でこちらへ戻ってきたためである。

 

 あまりにも、あんまりな内容だった。聞いているこっちは唖然とするしかない内容だった。「タッくん逃げて」と叫びたくなるような内容だった。

 そうこうしている間にも、女のTODOリスト――もとい、恋人にやりたいプレイ内容(意味深)が次々と羅列されていく。

 内容はアレだが、女の主張は徹頭徹尾変わらない。『自分が掴むはずだった幸福を取り戻すため』、そうして『とんでもない欲望を現実で成就させるため』だ。

 

 

「――やめないか!」

 

「ちょっとぉ!? まだ叫び足りないわ!」

 

「もう充分だろう! お前の発言はコンプラ違反なんだよ!!」

 

 

 女性の叫びは強制的に中断された。青い外套を纏った仮面の男が乱入し、ライフル銃の銃身で殴打を繰り出したためである。外套の男は本気で女を攻撃するつもりではなかったようで、女は簡単に攻撃を回避することができた。邪魔された女はご立腹で、乱入者と口論を始める。

 ……懐かしい人の姿に思うところが無かったわけじゃない。でも、それを考えていられるような状況でもなくて、素直に感傷に浸ることも、現状にツッコミを入れることもままならなかった。状況は説明が難しく、文字通りの混沌である。外面だけでも平静を取り繕っていられたのは、僕と彼女だけだ。

 

 キャパシティオーバーした【パレス】の主と反逆の意志を失った■■■さんが腰を抜かし、ドミノマスクを被った黒衣の少女――彼女と瓜二つだ――が口元を引きつらせ、甲冑の仮面を被った青年がか細い悲鳴を上げて半歩後ずさる。

 

 

「……に、逃げていいか……?」

 

「なんてこった! ■■と戦うことを選ぶ限り、もう逃げられないぞ☆」

 

「えーと、メシアライザーかアムリタシャワー使えるペルソナは……」

 

 

 普段と違って情けないツラを晒した青年に対し、僕はヤケクソで返事をした。

 彼女も深刻な表情を浮かべつつ、自身のペルソナから該当する条件のものを探し始めた。

 

 

 

 

 

 ……何だろう。上手く言えないが、酷い倦怠感に引きずられるような形で意識が浮上した。そのためか、瞼を開くのが億劫でたまらない。再び意識が微睡に沈んでいく。

 

 

「――――」

 

「――――」

 

 

 何処からか、誰かの声が聞こえる。声の主は女性と男性のようだ。何かを言い争っているらしい。僕がそれに興味を持ったとき、誰かの来店を告げるドアベルの音が響いた。

 サイフォンから香るコーヒーと同じ――けれど、それとは違う方面で心地よさを感じる香りが僕の鼻をくすぐる。重い瞼を無理矢理こじ開ければ、3人の人影が見えた。

 

 

「若葉のことなら話す気はない。どうしてもって言うなら、若葉を自殺に追い込むきっかけを作った研究者にでも訊いてみたらどうだ」

 

 

 ――ああ、これは、佐倉さんの声だ。佐倉さんは、非常に機嫌が悪いらしい。

 

 若葉、という名前に引っかかりを覚える。そういえば、一色さんの下の名前は“若葉”だった。

 佐倉さんから追及された女性は何かを言いかけたが、心当たりがなかったのか、重要でないと判断したのかは分からない。

 それ以上の言及をやめて、自分が言いたいことを言うことにしたようだ。

 

 

「それなら、『親権停止もやむなし』ということでよろしいでしょうか?」

 

「はぁっ!? ちょっと待て。何だってそんな……」

 

「お宅の家庭事情に娘さんの状態。有利なものは何一つとしてありませんよ」

 

 

 ――ああ、これは、冴さんの声か。冴さんは、被疑者を追いつめるときみたいな調子で喋っている。

 

 

「家裁に出ますか? 99.9%、我々が勝ちます。虐待の疑い……親権停止は免れないでしょうね」

 

 

 僕の気のせいでなければ、普段よりも刺々しい雰囲気が漂っていた。強い口調で脅しにかかる姿は、いつも――被害者や加害者問わず、理知的な態度と真摯な姿勢で臨む――の冴さんらしくない。向上心が高くて負けん気が強いことは、それなりの付き合いから分かっていたことだ。

 けど、いつからだろう? 検事の権力を振りかざして、他者を意のままに動かそうとするようになったのは。僕が覚えている限り、金城の【パレス】を攻略し始めた前後から、冴さん周りには不穏な気配が漂い始めたように思う。正義を大切にしていた彼女が、出世に重きを置くようになったことが気がかりだった。

 

 ……不穏と言えば、先程、冴さんは妙なことを言わなかったか。佐倉さんの娘である双葉さんについて、“虐待の疑いがある”とは。

 

 4月に黎が初めてこの店の居候/保護観察相手となったときならともかく、それなりの付き合いと関係を築いた今ならば、佐倉さんの面倒見の良さや情深さを知っている身だ。

 虐待疑惑を否定するために声を上げることはできただろう。だが、僕がそう思っている間に、冴さんと佐倉さんの会話は移り変わってしまった。口を開くタイミングは失われたっきりである。

 

 

「認知訶学が【精神暴走事件】と関わっている可能性がある以上――」

 

 

 会話に口をはさむタイミングを失った口惜しさに浸る暇無く、更なる新情報が入って来た。

 

 認知訶学は確か、一色さんが研究していた分野と同じ名前だ。僕の頭は鈍いながらにも回転を始める。

 『自分の研究とペルソナ関連の研究が結びついているかもしれない』と語った一色さんは、航さんと研究の話で盛り上がっていたっけ。

 若葉という人物の名前と、認知訶学という研究の名前――導き出される答えは1つ。佐倉さんと冴さんは、一色さんの話をしているのだ。

 

 起き上がろうとしたが、身体が動かない。指先が、かすかに身じろぎしただけだ。

 そんな中、薄ぼんやりした視界の奥に見知った“黒”を見つける。秀尽学園高校の夏服を身に纏った有栖川黎その人の姿だ。

 

 怠かった身体に力が入る。体は重いままだったけれど、僕はのろのろと体を起こした。

 

 

「あ……おかえり、黎」

 

「――ただいま、吾郎」

 

 

 黎はふわりと僕に微笑み返してくれた。ただそれだけなのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。泣きたくて、愛おしくて堪らない。

 ルブランに帰って来た彼女を迎えたときに「おかえり」と声をかけたのは、今回が初めてのはずだ。なのに、なのにどうして、()()()()()()()()()()()()()()()のだろうか。

 

 「おかえり」と「ただいま」――何気ない会話だ。けれど、その尊さを僕は知っている。()()()()()()()()。嘘と罪に塗れた明智吾郎が持つ、数少ない“真実(ホンモノ)”の1つ。

 

 それを噛みしめていたとき、どこからか咳払いの声が響く。何だろうと思って視線を動かせば、佐倉さんと冴さんが渋い顔をしていた。

 僕は首を傾げつつ、注文していたコーヒーを啜る。随分時間が経過したのだろう。ぬるいどころか、もう冷めきってしまっていた。

 佐倉さんと冴さんは僕と黎から視線を逸らすと、何事もなかったかのようにやり取りを再開した。降参した佐倉さんを見て満足げに笑った冴さんが頷く。

 

 

「今度は美味しいコーヒーを飲みに来ます。……それと明智くん」

 

「……なんですか? 冴さん」

 

「新婚生活の練習は、もう少し別なところでやった方がいいと思うわ。お節介だけどね」

 

 

 そう言った冴さんは真顔だった。航さんとの恋愛が成就する以前の麻希さんと、航さんとの恋が破れる以前――即ち、航さんを巡って麻希さんとバチバチやっていた頃の英理子さんが、至さんを見つめるときの顔と一緒である。「航さんを射止めるために協力しろ」と至さんに迫っていたときの顔だ。

 

 僕はどうしてそんな眼差しで睨まれなくてはならないのだろう。訳が分からず、僕は黎へ視線を向けた。黎も小首をかしげている。

 冴さんは額を抑えてため息をついた後、雑念を振り払うようにして首を振った。そのまま、颯爽とした様子でルブランから立ち去った。

 

 

「ええい、塩撒け塩!」

 

 

 佐倉さんは怒りと不快感を容赦なく露わにしながら、冴さんが去っていった扉を睨みつけた。黎は頷き、佐倉さんの言葉通りに塩を撒く。律儀だな、と、僕はそんなことを考えながら一連の光景を見守っていた。

 機嫌が悪い佐倉さんは黎に向き直る。黎は口を開いた。「双葉って、惣治郎さんの娘さんなの?」――脳裏に浮かぶのは、一色若葉の娘さんの名前だ。一色さんが亡くなった後、娘である双葉さんの行方は掴めていない。

 一色さんと交友があった航さんは、今でも一色双葉さんの行方を捜している。但し、一色さんの親戚たちは航さんを敵視しており、航さんが聞き込みをしようとすると暴力的な手段込みで邪魔してきた。

 

 終いには、瓜二つの顔つきをしている至さんが航さんの代わりに殺されかけたこともあったか。

 “2階のベランダから至さん目がけて鉢植えが降って来た”とか、本当に笑えない。閑話休題。

 

 佐倉さんは「いい加減にしろ」と黎を一喝した。一色さんや双葉という名前の少女について、佐倉さんは何も言いたくないらしい。僕は険悪な空気を醸し出す2人を、ただただぼんやりと見つめていた。

 

 

「追い出されたくねえなら、大人しく学校だけ行ってろ。分かったな?」

 

「――あァ?」

 

 

 今、佐倉さんはとんでもないことを言わなかったか。僕は即座に佐倉さんに視線を向ける。途端に佐倉さんは「あ」と零して顔を青くした。

 

 

「佐倉さんは、“ピー(どぎついR-18)”したり“ピー(どぎついR-18)”したり“ピー(どぎついR-18)”したりしてくる連中が跋扈する中に、着の身着のままの黎を放り出すつもりなんですか?」

 

「い、いや、その……こ、言葉の綾ってヤツだ! コイツの面倒は責任もって見るし、第一、そういうヤツらがいる場所になんて行かせないぞ!?」

 

「僕、言いましたよね。彼女の親戚どもが『保護観察』を出汁にして“ピー(どぎついR-18)”や“ピー(どぎついR-18)”や“ピー(どぎついR-18)”とかを計画してて、僕は『実際に、そいつ等が黎に手を出そうとしていた現場に居合わせたこともある』って。『そいつらを法的手段および物理的手段で潰すのが大変だった』って」

 

「いやいやいやいや、待て待て待て待て。前聞いた話よりもエグくなってないか!?」

 

「惣治郎さん、吾郎の話は実話です。……吾郎がいなければ、今頃私はそいつらによって文字通りの奴隷にされていたと思います」

 

 

 僕の話を肯定した黎の声は、僕のすぐ後ろから聞こえて来た。いつの間に、彼女は僕の後ろに立っていたんだろう。思わず目を丸くする。

 視界の端にいた佐倉さんはもの凄く困惑したように視線を彷徨わせた。何かをブツブツ言っていたが、僕にはよく聞き取れない。

 ルブラン店主をぼんやり眺めていた僕だが、不意に名前を呼ばれて振り返る。黎の顔が一気に近づいて、額にこつんと小さな衝撃が走った。

 

 僕と黎の瞳がかち合う。――ああ、近いな、と思った。綺麗だと思った。額から伝わる体温は、黎の方が少し冷たく感じる。……気持ちいい。僕はゆるりと目を細める。

 

 惹き寄せられるように手を伸ばした。僕の行動から何かに気づいたのか、黎も手を取って指先を絡めてくれた。

 幸せだな、と、ロクに働かない頭で考える。酷く熱に浮かされたような心地になった。

 

 ――なんだろう。クラクラしてきた。

 

 

「じゃあ俺は帰るから、店閉めとけ。……あと、お前も遅くならないうちに帰りな」

 

「――ダメです、惣治郎さん」

 

「は!?」

 

「吾郎、熱出てるみたいなんで」

 

 

 熱? 何の話だろう。黎にそれを問おうと立ち上がったとき、僕の体がぐらりと傾く。

 何が起きたのかよく分からなかった。床の冷たさが心地よい。

 

 黎と佐倉さんの悲鳴を最後に、僕の意識はぶっつりと途切れた。

 

 

 

◇◇◆

 

 

 

 紆余曲折あって、僕と黎は【ザ・ファントム】と共闘することになった。因縁の相手同士の関係が大事故を起こした結果、【ザ・ファントム】の面々だけでは対応できない状況に陥ったためである。

 

 ただでさえ【ザ・ファントム】側は“仲間とは呼び合えないような相手”と共闘することになって複雑な気持ちを抱えているのだ。その上に、倒すべき相手の支援者と関りを持つ僕等も加え入れざるを得ないとなれば、張りつめた空気が漂うのは当然と言えよう。特に、【ザ・ファントム】側から“仲間とは呼び合えないような関係”を築いた張本人である二代目探偵王子(偽)の視線が痛い。

 二代目探偵王子(偽)に対して「自分のことを棚に上げて威嚇してる」と言ったら拗れるし、精神年齢的には僕と黎の方が()()()年上。良くも悪くも“相手を慮って譲る”ということは慣れている。それに、僕等にとっての【怪盗団】と、僕等の目の前にいる【ザ・ファントム】は別物だ。ケジメと境界線はきちんとしておくべきだろう。適度な距離感を模索するのは当然であった。

 

 

(……かといって、妙によそよそしくされたり、露骨に不審な眼差し向けられるのもなぁ)

 

 

 理由は違えど“歪んだ曲解を解く”という目的が結びついたが故の利害関係である。しかし、実際の図式に関しては、僕等が【ザ・ファントム】を『駒』にして、【パレス】の主を『駒』にしている『神』と戦う――いわば代理戦争だ。僕等とあの人の関係から、【ザ・ファントム】側が僕や黎に疑念を抱くのはおかしいことではない。

 ……正直な話、【怪盗団】と瓜二つの存在である【ザ・ファントム】の面々から怪訝な眼差しを向けられるというのは、僕と黎の精神衛生上あまりよろしくなかったりする。適度の距離感を取ろうと言い出したのは僕達側であるが、それでも辛いものは辛いのだ。人間は矛盾を抱えた生き物である。だから心は揺れ動くし、悩みが尽きない。閑話休題。

 

 

「あ、【ザ・ファントム】の面々から招集かかった。アジト集合だって」

 

「了解」

 

 

 僕等が共同戦線――実質的には代理戦争――を張ることが決まってから、初めての【パレス】、及び【メメントス】攻略に関する連絡だ。僕と黎は顔を見合わせて頷く。

 

 本来ならすぐにルブランへ向かうべきだのだろうが、丁度いいタイミングで、僕等の視界に魚屋が飛び込んできた。

 僕はそのままルブランへ向かおうとしたのだけれど、黎が進行方向を魚屋側へ変えた。視線の先には様々な魚介類。

 怪訝に思う僕からスマホを拝借し――諸事情で、黎のスマホは【ザ・ファントム】側に渡っている――、黎は【ザ・ファントム】の共通チャットに書き込む。

 

 僕もスマホ画面を覗き込んだ。僕と黎のスマホは同じ機種だから、片方のスマホが使えなかったとしても問題ない。

 

 

 

吾郎:黎です宜しくお願いします。

 

佐倉:ヒエッ。彼ピッピ、いや、■のスマホから書き込むとか、完全につよつよリア充じゃん……!!

 

奥村:黎さん達のスマホって、【メメントス】や【パレス】でも使える、特別性だったよね。

 

■■:【セベク・スキャンダル】や須藤竜蔵の汚職事件に当主が巻き込まれた南条コンツェルン、【影時間消滅作戦】の中心で動いていた当主と桐条財閥、及び【シャドウワーカー】が関わって作成したもの、だっけ。

 

吾郎:歴代のペルソナ使い達が積み重ねてきた叡智と、私達の保護者が遺した祈りによって作り上げられた技術の結晶だよ。

 

新島:私達の世界でも同じ事件が発生していたけど、事件発生年はかなり時間が離れていたわね。

 

■■:有栖川さん達の世界でこのスマホが出来たのは、あの事件が数年単位のスパンで連続発生したことや、有栖川さん達がその事件に巻き込まれた際に築いたコネクションが影響してると考えていいだろう。

 

奥村:そんなすごいものを貸してくれるのは助かるけど、黎さんは不便じゃない?

 

喜多川:一口でスマホと言っても、機種によって操作が違うからな。大丈夫なのか?

 

吾郎:大丈夫。同じ機種の色違い同士だから。スマホのロックは吾郎が解除した後に触ってるし。

 

 

吾郎:ところで、【ザ・ファントム】のみんなは夕飯どうするか決まってる?

 

坂本:いきなりどうした?

 

吾郎:【パレス】か【メメントス】かは分からないけど、攻略や鍛錬が終わった後の予定は? 解散した後、みんなで何か食べに行ったりする?

 

■:特に決まってない。食べに行くこともあれば、ルブランでカレーを振る舞うこともあるし、そのまま現地解散で個人個人の判断に任せることもある。

 

吾郎:今日から2/2にかけての夕食の予定は?

 

■:まだ決めてない。

 

高巻:というか、そこまで考えてる人はいないと思うけど……。

 

吾郎:じゃあ、取引中は私達が作るよ。夕食。

 

■:えっ?

 

佐倉:えっ?

 

坂本:えっ?

 

吾郎:今、魚屋の近くにいる。

 

高巻:えっ?

 

芳澤:えっ?

 

坂本:えっ?

 

吾郎:魚メインの丼ものと寿司だったらどっちがいいか決めといて。どっちになっても問題ないように、材料だけは揃えとくから。

 

新島:えっ!?

 

奥村:えっ!?

 

喜多川:えっ!?

 

■■:は???

 

 

 

「――というわけだから、買い物と調理の手伝い宜しくね。吾郎」

 

「事後承諾かぁ。了解」

 

 

 悪戯っぽく笑う黎に対して、僕は大仰に肩を竦めて苦笑した。ルブランへ向かうのをやめて、魚屋やその他の店を回って材料を買い揃えていく。

 材料調達をしている間に、【ザ・ファントム】の面々は今日の夕飯を決めたらしい。チャットから“全会一致で寿司になった”という連絡が入った。

 

 

「寿司とは言ったけど、【ザ・ファントム】の面々は銀座の寿司食べてたよね。握り寿司振る舞うのって、そっちと比較されるんじゃないの?」

 

「知ってるよ。でも、私達の【怪盗団】時代と照らし合わせができるなら、()()()()あの面々が食べたことがあるのは()()()()()()()()()()寿()()の方だけだったはず」

 

「――成程。その手があったか」

 

 

 黎が言わんとしたことを理解して、僕はポンと手を叩いた。

 

 脳裏に浮かぶのは、僕等の世界の出来事――統制神を打ち倒した世界の先に待っていた新たな戦い。キャンピングカーに乗って日本全国を回り、新たな異世界の攻略に駆け回っていたときの記憶。もしかしたら、【メメントス】と現実世界の融合を阻止した未来で【ザ・ファントム】が向き合うことになるであろう出来事だ。

 この世界が僕等が体験してきた歴史を辿るか否かは分からない。現時点で色々と大きく差異があるのだから、同じような事件が起きても顛末が全然違うことだってあり得る。【セベク・スキャンダル】を始めとしたペルソナ使い達が活躍した事件が発生した年月日がいい例だった。僕等の1()2()()()は、この世界における2()0()()()を圧縮したようなものだったから。

 

 僕等の世界と【ザ・ファントム】の面々が生きる世界は、非常に似通っているけれど、決定的に違う。本来ならば、異なる世界に生きる僕や彼女達が相まみえるなんてありえないし、ありえてはいけない。

 但し、誰も知らないだけで、そういう奇蹟/悪夢みたいな事件は既に起こっている。事件の舞台が東京ではなく、珠閒瑠という地方都市だから、【ザ・ファントム】の面々が知らないのは当然なのだが。

 異なる世界に生きる者達の邂逅は、元から歪みつつあった【ザ・ファントム】の面々が生きる世界を侵食していく。経験則上、こういう場合は鬼や蛇どころではなく『神』が出てくると相場が決まっていた。

 

 

「……今回、僕達が越えなければいけない『神』は、“あの人”か」

 

「……師弟対決とは言うけど、その実は代理戦争だしね。どれくらいの時間が経っても、“正義の味方を勝たせる”って難しいや」

 

 

 僕と黎は顔を見合わせて、大きくため息をつく。思い出すのは、寂しそうに笑う保護者の姿だ。

 黄昏の中で斃れた『神』、愉快そうに地獄を投下して来たフィレモン、視界を覆った東雲色の光。

 

 なくしたものは沢山あった。けれど、この手の中に残ったものがある。なくしたものを取り戻す引き換えにするには、あまりにも大切なものが増えすぎた。忘れたくないことが多すぎた。

 

 此度の【パレス】の主は、世界のすべてを平等に救おうとする。故に、僅かな痛みや悲しみすら許せない。悲嘆の駆逐を謳いながら、その実、他者の悲嘆を無理矢理引きずり出して足止めしようとしてくる矛盾の塊だ。本人は自覚できていないのかもしれないが、芳澤さんや【ザ・ファントム】の面々に行ったことは立派な脅しである。

 『トラウマを引きずり出されたくなかったら、大人しく自分の提示する幸福を受け入れてほしい』――善意で人が脅せてしまった時点で、【パレス】の主の思考回路が大変なことになっていることは明らかだ。力に目覚めてしまったこと、当人及び協力者たる『神』が認知訶学に造詣が深かったことが【パレス】形成に至った原因であり、不幸だったのだろう。

 【パレス】や【メメントス】攻略にどれ程の影響が出るかは分からないし、僕等がどこまで【ザ・ファントム】の力になれるかも分からない。だが、彼女達に関わってしまった――或いは、“あの人”が【パレス】の主と関わってしまったことを知った時点で、僕と黎が手を引く・諦めるという選択肢は存在しないのだ。

 

 

 

*

 

 

 

「へえ、押し寿司か」

 

「押し寿司?」

 

「関西地域の伝統料理で、大阪の方では箱寿司とも呼ばれてるんだってね。酢飯と具材が重なり合っているのを見るに、大阪風かな?」

 

 

 首を傾げた坂本――関東圏出身者故、寿司と言われて真っ先に飛び出すイメージは握り寿司――に、二代目探偵王子(偽)は立石に水の如く知識を披露する。

 どこでその知識を得たか――更に言えば、どこに使いどころがあったのか――は分からないが、偽物の探偵業を遂行するために多方面で見聞を深めていたのであろう。

 

 メディアに露出していた頃に見せていたであろう爽やかスマイルとは違い、青年の表情は不愛想だ。感情の起伏同様、口調も平坦でぶっきらぼうである。これが彼にとっての平常運転/自然体な姿らしい。

 

 そんな彼を見て、【ザ・ファントム】のリーダーは何を思ったのか、静かに目を細めて青年の方に向き直る。

 開口一番に飛び出したのは、自身の実力の一端を披露した青年に対する純粋な称賛であった。

 

 

「■■は相変わらず頑張ってるね」

 

「…………なんでそういう発想になるのかな」

 

「知識を得るために必要な努力を続けてきたってことでしょう? 今回の共同戦線でも、■■先生の情報を集めてくれたのは■■だったからね」

 

「別に、協力者として当然のことをしただけだよ。優等生を演じる意味もなくなったから、別の意味で行き場がなかったし」

 

 

 他の【ザ・ファントム】の面々が各々の所感を述べつつ押し寿司に手を伸ばす中、リーダーとそのライバルはお互いに向き合う。寿司を味わっていた面々も、自然と2人に注目し、寿司の感想を言い合うのをやめて沈黙する。彼等は寿司に舌鼓を打ちながら2名を見守っていた。

 

 青年はこの世界の異変を察知していた数少ない人間の1人であり、【ザ・ファントム】のリーダーと合流するまでは単身で色々調べ回っていたという。彼は自分の犯した罪――認知世界を用いた殺人――を自覚していたし、現実世界に戻れば“自分は碌な末路を迎えない”ことは察していたようだ。故に、出席日数を稼ぐことは無意味だと判断・学校をサボって調査に宛てていたらしい。

 【パレス】の主によって歪まされた理想の現実は、青年の罪を帳消しにして放り出した。しかしそれは、青年が今まで歩んできた人生そのものに対する否定でもある。部外者である僕や黎が何かを言うのは憚られるため割愛するけれど、青年は自分の意志で行動し、望んだ答え/幸福を掴んだのだ。それを丸々否定されたことが、【パレス】の主に対する憎悪に繋がったのであろう。

 青年が何を見たのかは分からないし、どんな答えを得たのかも分からない。可能性が分岐した果てにいる僕が出した答えと同一か否かも分からないし、青年はきっと何も言わないのだと思う。自然体で過ごせるようになったからといって、隠し事をしなくなるわけでもない。寧ろ、今の調子に落ち着いたからこそ、隠したい/隠さなければならないと思うようなこともあるわけで。

 

 

「確かに■■は嘘つきだったし裏切り者だったけど、傍にいてくれて助かったし、一緒にいて楽しかったのは本当だよ」

 

「…………」

 

「今だって、また一緒に戦えるの嬉しいんだ。――宜しく頼むね」

 

「……キミってヤツは、相変わらずのお人好しだね。バカさ加減はあのときより悪化したみたいだけど」

 

 

 少女の言葉を聞いた青年は、眉間の皴を数割増ししてため息をつく。

 紅蓮の瞳は複雑な色を湛えたまま、少女を見返していた。口から飛び出したのは、鋭利で冷ややかな言葉の刃。

 

 

「あそこにいるバカ2人に感化されたのか、脳みそお花畑のままなのかは知らない。……けど、忘れないでくれ。僕とキミはあくまでも取引関係を結んだだけだ。僕はキミのこと嫌いだし、今回の共闘だって■■を【改心】させれば全部終わりなんだよ」

 

「■■……」

 

 

 青年は少女を突き放すついでに、僕と黎に対しても憎々し気に一瞥してきた。彼は勢いそのままに、店内の一番奥のボックス席に腰かける。少女や【ザ・ファントム】の面々から一番遠い位置に陣取った。

 周囲の面々が何か言いたげに青年へ視線を送るも、青年は我関せずと言わんばかりにそっぽを向く。少女はどこか寂しそうに苦笑した後、仲間達の中心になる位置へ腰かけた。

 少女が仲間達と押し寿司に舌鼓を打ち始めたのを確認して、青年は少女の様子を伺う。その他大勢の存在など眼中にないのか、ただじっと少女だけを見つめていた。

 

 ――眩しいものを見つめるような眼差しで、ずっと。

 

 

 

*

 

 

 

「キミはあのとき、僕と黎やリーダーのことを『バカ』って言ったよね」

 

「それが何か?」

 

「――なら、お前は『クソボケ』だ」

 

 

 少女の気持ちにも、自分の気持ちからも背を向けて、2人の間に結ばれていたモノを断ち切ろうとする。

 偽りの現実と言えど、今ここで抱いている本音を『なかったこと』にしようとしている。

 崩壊することが定められた世界だからといって、嘗ての現実や偽りの楽園で積み重ねてきた本当を『なかったもの』として葬ろうとする。

 

 ――それは、【パレス】の主が“世界中の人々に降り注いだ艱難辛苦諸共、恋人の死を『なかったもの』にしようとする”ことと同義ではなかろうか。

 

 或いは、滅びの夢の果て――終末を目の当たりにした『向こう側』の達哉さん達が、フィレモンに唆されて世界のリセットを行うことになった一件が近いのかもしれない。

 あの一件の場合、土壇場で達哉さんがリセットを拒否したから、『こちら側』がニャルラトホテプに対抗する術が残った。そのおかげで、僕等の世界は皮一枚繋がったのである。

 

 

「自分の人生を否定されたくないって言いながら、リーダーに向ける気持ちは『なかったもの』にしようとする。そういうお前には、『クソボケ』がぴったりだよ」

 

「説教のつもり? 反吐が出るんだけど」

 

「別に。お前の地獄を共有できるとは思わないし、僕の地獄を共有させたいとも思ってない。ただ、そこに在るという事実を認め合えればいいとは思ってるかな」

 

 

 「僕等はそれくらいがちょうどいいだろ」と言えば、青年は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

 

 

*

 

 

 

「今日はシュラスコだよ」

 

「すげえ! 肉だ肉だ!」

 

「切り分けて食べるってすごく贅沢だよね!」

 

「大きく切り分けたのをかぶりつく……。大分野性的だが、ロマンがある食べ方だよな」

 

 

 

「黎さん、今日のご飯は?」

 

「海鮮丼」

 

「ワガハイ、マグロが沢山乗ったヤツがいい!」

 

「どれも美味しそうですね! おかわりありますか!?」

 

 

 

「うぎゃー!? なんだこのニオイ!? 鼻が曲がる!!」

 

「今日はヤギ汁だよ」

 

「ヤギ肉なんてどこから調達してきたの……?」

 

「前々から興味があったんだ。――奥村春、参ります……!」

 

 

 

「嗚呼、嗚呼……!」

 

「ここ最近、祐介ずっと泣いてるね」

 

「蟹は高級食材だものね……」

 

「欠食児童っぷりが凄いもんね……」

 

「取引が終わったら、もう食べられないからな。今のうちに味わっておかねば!」

 

「本能に忠実だなー……」

 

「ははは。蟹すき、気に入って貰えたようで何よりだ」

 

 

 

「うおお!? こ、これがリアルチャンプルー……! ゴーヤが美味いな!」

 

「ゴーヤは美容と健康にいいって聞きます。沢山いただきますね!」

 

「独特の苦みがいい味出してる。でも、だからと言って、ゴーヤ一強にならないように調節されてる。……うん。美味しいわね」

 

「今年の夏はゴーヤを育ててみようかな」

 

 

 

「麺から作るとか、手ぇ込みすぎだろ!! しかも滅茶苦茶うまいし、毎日作って欲しいくらいだぜ!」

 

「――ほう」

 

「死ぬ気か竜司!? 所帯持ちにプロポーズは大問題だぞ!?」

 

「あ、違うんです。そんなつもりじゃないんです。だからそんな恐ろしい目で睨まないでくれ吾郎さん!!」

 

「私が股を開く相手は生涯吾郎だけだって決めてるんで」

 

「断り方が最低なんですけど!? そういうこと言っちゃダメだって!!」

 

「この時間帯でラーメンって、ダイエット期間中の人達にとっては背徳的だよね」

 

「肉だけじゃなく、野菜もいっぱい乗っかってるから大丈夫だよ。心配なら運動すればいいしね」

 

「寧ろ、【メメントス】攻略で疲れてるんだから、疲労回復みたいな感じで丁度良いんじゃない?」

 

「夜の高カロリー麺は美味いよォ……!」

 

「ユースケが壊れた!?」

 

 

 

「――クソッ、バカ軍団総出で餌漬けされやがって! まともなのは僕だけか……!」

 

「クソボケはまともとは言わない」

 

「喧しい!!」

 

 

 

 

 

 

「■■。黎さんに教わって、おばんさいフルコースに挑戦してみたんだ。どうだろう?」

 

「本当、キミはバカだな。…………でも、悪くない」

 

「はー……。クソボケクソボケ」

 

「張り倒すぞバカ」

 

 

 

 

 

 

 

 ――形容しがたい疲労感を覚えた直後、入れ替わるような形で、突き飛ばされるような浮遊感に見舞われた。

 

 それでも、意識は覚醒までには至らない。泥に沈むような微睡みの中、心地良い冷たさを感じ取る。

 僕はゆっくり瞼を開けた。心なしか、黎を迎えたときよりも幾分か楽に瞼を上げることができた。

 

 

「ああ、目が覚めたんだね」

 

 

 視界一杯に映し出されたのは、安心したように微笑む黎の顔だった。彼女は僕の額から何かを取ると、大きなボウルの中に浸けた。氷同士がぶつかる音と、水を絞る音が聞こえる

 黎が僕の額から取ったのはタオルだったようだ。それを黎は再び僕の額に乗せる。……冷たくて気持ちいい。僕は小さく息を吐いて、タオルが齎す心地よさを甘受していた。

 身体を蝕むような熱も、首元を真綿で絞められるような息苦しさも、黎の顔を見ただけで楽になる。症状が和らいだような気がするのだ。何もかもが大丈夫だと、そう信じられる。

 

 このまま眠ってしまおうか――そう思った途端、僕の頭が急速にクリアになっていった。

 

 今俺がいる場所は、黎が下宿しているルブランの屋根裏部屋だ。俺が使っている枕の中身は氷と水で、身じろぎする度に、がらんと音を響かせる。黎を見れば、彼女はリンゴを剝いているところだった。

 状況を理解した直後、一歩遅れて俺は思い出す。ルブランで黎と佐倉さんと話していた後から今に至るまでの記憶が定かではない。最後に見たのは、黎と佐倉さんが慌てた様子で僕に手を伸ばしていたところだった。

 

 

「あ……ッ!」

 

「吾郎、無理しちゃダメだよ」

 

 

 跳ね起きようとした俺を制して、黎はリンゴを差し出す。俺は目を丸くしたが、静かに微笑む黎の姿に促されるような形で体を起こし、リンゴを咀嚼した。

 噛みしめる度に、酸味と甘みが俺の身体に沁み込んでいく。――心なしか、いつもより美味しい。俺は素直に味の感想を告げた。

 

 「食欲が出て来たなら安心だね」と黎は微笑む。リンゴを俺の口に運びながら、彼女は僕が倒れた後の話を聞かせてくれた。

 

 僕が倒れた後、黎は薬を融通してもらっている女医に連絡したそうだ。意識のない僕はルブランの屋根裏部屋に運び込まれ、駆けつけた女医によってテキパキと処置をして貰ったらしい。女医の指示の下、黎はずっと僕の看病をしていてくれたのだと言う。

 病名は風邪。但し、一歩間違えると肺炎になっていた危険性があるらしい。原因は肉体疲労と精神的な疲労。女医の薬のおかげで、僕はどうにかここまで持ち直したそうだ。「武見先生の薬は本当にすごいなあ」と黎は感心していた。……いや、その前に。

 

 

「待って。俺、薬を飲まされた記憶がないんだけど……?」

 

「意識朦朧だったからじゃないかな」

 

「……ちなみに、方法は?」

 

「口移し」

 

「うわあああああああああああ……!」

 

 

 俺は悲鳴を上げて顔を覆った。風邪による発熱とは違う熱が顔に集まる。

 

 そこで俺は気づいた。倒れる前と今起きたときの自分の服装が全く別物に変わっていたことを。

 有名進学校の夏服――ワイシャツ、ネクタイ、スラックス――ではなく、薄手のパジャマに変わっている。

 しかも、発汗による不快感は一切ない。……まさか、と思い、俺は恐る恐る黎に問いかける。

 

 

「……なあ、黎。その……着替えは……?」

 

「至さんが持ってきてくれた」

 

「いや、俺が言いたいのはそっちじゃなくて……」

 

「着替えも汗を拭いたのも私だよ」

 

 

 「……意外と、鍛えてるんだね。吾郎は」と、黎は顔を赤らめながら目を逸らした。耳が真っ赤である。

 普段は超弩級の漢気を見せる彼女の恥じらいに、俺も頭が爆発しそうになった。ああ、彼女も女の子なんだよな、と。

 

 寝たきり状態の人間の汗を処理する場合、服を脱がせる必要が出てくる。――つまり、黎は見たのだ。一糸纏わぬ状態の、俺の上半身を。

 

 

(――こんな形で見られる羽目になるだなんて誰が予想できるかってんだ!!)

 

 

 俺は絶叫した。心の中で七転八倒して悲鳴を上げていた。同時に、自分の欲望や浅ましさが悍ましくて泣きたくなる。……そりゃあ、俺だって健全な高校生だから、性欲がないわけじゃない。いつか、黎と一緒に大人の階段を登れたらいいなあなんて考えたことは何度もあった。

 正直な話、頭の中で不埒な妄想をしたことだってある。その度自分が恐ろしくなって、逆に萎えることも多かった。俺の不埒な妄想に、母を弄ぶだけ弄んで捨てた獅童正義の影がちらついて――時には重なってしまうから、それが悍ましくて頭を抱える羽目になる。

 これでも以前よりはマシになってきた方なのだ。折り合いをつけて、おっかなびっくりだけど、ちゃんと黎に触れられるようになった。手を繋いで、触れ合って、触れ合う程度のキスをして、抱きしめ合うところまではできるようになった。けど、やっぱり、“そういう”行為に対する恐怖と嫌悪はこびりついたままでいる。

 

 裸を見せ合うのはおろか、俺の裸を見られるだけでもダメージがデカい。恐怖と嫌悪と恥ずかしさがごちゃ混ぜになってしまい、思考回路がまともに機能しなくなってしまう。

 奇妙な沈黙の末、俺は視線を彷徨わせながらため息をついた。半ば怯えるような心地で黎に視線を向ければ、黎も何とも言い難そうな顔をして僕を見返している。

 

 ……ほんのりと色づいた頬と耳は相変らずだったけど。

 

 

「ねえ、黎」

 

「何?」

 

「触れてもいい?」

 

「……ん。いいよ」

 

 

 俺はおずおずと手を伸ばし、黎の頬に触れる。黎は表情を緩ませると、俺の手にすり寄って来た。猫みたいで可愛い。

 ああ好きだなぁ、なんて思う。俺が何を考えているのかを察したのか、黎は頬を薔薇色に染めながら目を細めてくれた。

 

 嬉しい、と思う。同時に、悔しいとも思う。

 

 黎が傍にいてくれるから俺は大丈夫だった。頑張れるのは本当だし、救われているのも本当だし、幸せなのも本当のことだ。今だって、ちょっと体は重いけど、立ち上がれない程ではない。獅童親子の仲睦まじい光景を見せつけられようが、探偵業が多忙になろうが、メディアに引っ張りだこにされても平気だって思える。

 でも、俺が倒れたのを間近に見た黎は、ずっと俺のことを心配している。自分のせいだと思っているのかもしれない。果たして俺の予想通り――よく見ていないと分からないレベルで――ほんの少し、黎の表情が陰る。彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。彼女の口が謝罪と自責の言葉を紡ぐのを制して、俺は苦笑した。

 

 

「そんな顔しないでよ。好きな人(キミ)のためなら、僕はどんな無理や無茶だって平気なんだ」

 

「吾郎」

 

「本当だよ。ホントにホント。今回は倒れちゃったけど、いつもはそんなことないんだよ」

 

 

 彼女がいてくれるならば、僕は平気だった。

 何も怖いことなんてないし、苦しいことなんてない。

 あるとするならそれは、幸せすぎることくらいだろうか。

 

 黎と出会ったときから、大人たちの悪意に晒されても平気だった。傷つかなかった訳じゃないけど、痛くなかった訳じゃないけど、その度に救われてきたのだ。

 多分、黎には「そのつもりがなかった」ことの方が多かったのかもしれない。僕の様子がちょっと気になって、何気なく声をかけただけだったのかもしれない。

 

 ……それでも俺にとっては、みんながいてくれたことが救いだった。今も、昔も、これからも、きっとそれは変わらないのだと思う。

 

 

「心配してくれてありがとう。今度はこんなことにならないよう、もっときちんとする。早く復帰できるよう頑張るから……黎?」

 

 

 俺の言葉は最後まで紡がれることはない。黎が突如何かと一緒にペットボトルの水を口に含み、勢いそのまま俺の口を物理的に塞いだためである。

 訳も分からず混乱する俺は、彼女が口から流し込んできたもの――結構な量の水と、僅かな異物――を成す術なく飲み込んでしまう。

 気管に詰まって咳き込まなかっただけマシかもしれない。呆気にとられる俺を半ば抱き寄せるような形にして、彼女は俺の額に自分の額を触れ合わせた。

 

 

「キミが頑張っていること、知ってる。ちゃんと知ってるよ」

 

 

 優しい言葉が、降ってくる。ゆっくりと、それは俺の心に降り積もっていく。

 背中に手が回された。黎は俺の肩口に顔を埋める。

 

 

「吾郎は偉いよ。……でも、たまには弱音吐いて甘えたっていい。私の前でまで“いい子”にならなくていいんだ」

 

 

 温かい。温かい。湧き水が滾々と溢れるように、胸の奥からじわじわと込み上げてくるのは歓喜だった。

 

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「大丈夫だよ。大丈夫だから、ちょっと休もう。誰も怒らないし、責めないし、嫌いになったりなんかしないから」

 

 

 彼女の声が、僅かながら震えていた。俺の視界では黎のうなじを捉えるので手一杯だから、今、彼女がどんな顔をしているのかは分からない。肩口が僅かに湿った感じがする――ああ、黎は今、泣いているのか。俺のせいで。俺なんかのために。

 俺はやや強引に、黎の顔を自分の方に向け直させる。彼女は抵抗するようにかぶりを振ったが、乞うようにして黎の名前を呼べば、おずおずとこちらを向いてくれた。灰銀の瞳には薄い涙の幕が張っている。動いた拍子に、それは溢れて流れ落ちた。

 溢れた涙を掬い上げれば、黎は恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。けど、俺を振り払わずに受け入れてくれていた。暫し俺に為されるがままだった黎だったが、何かを決心したように俺を見返す。灰銀の双瞼は、しっかりとこちらを捉えていた。

 

 

「好き。好きだよ、吾郎。――愛してる」

 

 

 祈るように、黎は言葉を紡ぐ。彼女の手は迷うことなく俺の手に重ねられ、指を絡まれた。そのまま、触れるだけのキスを1つ。

 

 全身全霊を持ってして伝えられる想いを、俺は真正面から受け止める。途端に、俺はそのまま溺れてしまった。返さなくてはと思う度に、黎に応える術が見当たらない。

 自分が持っているものはあまりにも少なくて――それでは黎に返すには全然足りなくて、俺は内心途方に暮れる。それでもいいと言うように、黎は静かに微笑んだ。

 

 今の俺に出来ることはたった1つだけだ。俺は黎の背中に手を回して、細くて華奢な身体を掻き抱いた。

 彼女の体躯はすっぽりと俺の腕の中に納まる。黎の身長は163cmで、丁度抱きしめやすい。

 少々癖がある柔らかな髪を梳きながら、俺も黎に応える。全身全霊を持ってして、だ。

 

 

「俺も、好きだ。――愛してる、黎」

 

 

 触れ合うように、啄むように、角度を変えては徐々に深く深く口づけを交わす。互いの息遣いが荒くて、時折衣擦れの音が響いて、溺れるんじゃあないかと錯覚してしまいそうになった。――ふと、薄ら目を開けてみると、黎は少し苦しそうに震えている。

 正直、足りない。でも、邪な欲望が顔を出そうとするのは実父を連想してしまって恐ろしいし、これ以上黎に無理をさせたくはない。名残惜しいのを堪えて、俺は唇を離した。互いを繋いでいた銀糸がプツリと切れる。

 ……思えば、深いキスをしたのは今回が初めてではないだろうか。甘い吐息を漏らしながら、黎は俺にもたれかかってくる。解放されて気が抜けたせいか、彼女の身体からも力が抜けていた。俺の服を握り締めながら呼吸を整えようとする黎の身体を支えながら、労りを込めて頭を撫でた。

 

 

「……ごめん。大丈夫?」

 

「うん……平気」

 

 

 少しづつ呼吸を整えながら、黎は力なく頷いた。頬を淡く染めて、花が綻ぶような笑みを浮かべて、俺にすり寄ってくる。

 

 好きな人に受け入れてもらえた――その事実が、泣きたくなるくらい嬉しい。

 ……ああもう。どうして彼女はいつも俺を幸せにしてくれるんだろう。

 

 

(――あれ?)

 

 

 暫し、黎の頭を撫でたり髪を梳いたりしていたとき、何の前触れもなく睡魔が忍び寄ってきたことに気づいた。抵抗する間もなく、うつらうつらと意識が漂い始める。

 黎は僕の異変に気づいたようで、体を起こした。「薬が効いてきたんだね」と彼女が零す。――もしかして、先程の口移しで飲み込まされた異物は解熱剤だったのだろうか。

 ……確か、解熱剤だけでなく、薬の類には“服用すると眠気を誘発する”副作用を持つタイプがある。欠伸をかみ殺す程度であるのが常だが、今回の薬は眠気の誘発性が強い。

 

 真っ直ぐ背を伸ばしていられなくなって、俺の身体がずるずると崩れ落ちていく。介護をしようとする黎を制した俺は、どうにかしてベッドの上に体を横たえた。黎は静かに微笑みながら、夏用の布団をかけてくれた。氷枕がガランと音を響かせる。氷水で冷やしたタオルが、また俺の額の上に乗せられた。

 

 布団の中から手を這い出した俺を見て、黎は多分察してくれたのだろう。指を絡めて、俺の手を握り返してくれた。

 ()()()()()。漠然と、僕はそんなことを思った。心地よい睡魔に身を委ねで瞼を閉じる。

 

 程なくして、僕の意識は闇の中へと溶けていった。

 

 

 

◇◇◆

 

 

 

『――危ない、■■■!』

 

 

 ノイズ塗れの世界に響いたのは、凛とした“彼女”の声。

 

 世界の真ん中で、“彼女”が身に纏っていた黒衣が翻る。どうしても目を逸らすことができなかった、鮮烈な色。唯一無二の色彩。

 次の瞬間、“彼女”は地面に投げ出されていた。倒れ伏した“彼女”は、眼前の敵と戦うどころか、生きているかすらも怪しかった。

 

 一瞬だった。攻撃が迫りくる中、“彼女”は“自分”の前にその身を滑り込ませた。敵の攻撃から“自分”を庇ったのだ。

 『嘘だ』、『何故、どうして』――“自分”の思考回路を塗り潰したのは、現実や事実に対する拒絶であり、“彼女”の選択に対する疑問。

 どう考えても悪手であった。“彼女”こそが、この戦いにおける要だった。狂った優しさによって生み出されんとする偽の楽園を打ち壊す存在だった。

 

 

「【怪盗団】の司令塔は倒れ、唯一残っているキミも満身創痍……いいや、戦闘不能、かな?」

 

 

 黒幕は相変わらず穏やかな調子を崩さなかった。規格外のペルソナを持つ男は、取り巻きの触手共々健在である。“自分”たちが死に物狂いで与えたダメージなど、奴らの前では無意味に等しい。

 それに対し、こちらは屍累々だ。戦闘不能者が8人と1匹。司令塔に至っては、生きているかも定かではない。“彼女”に庇われた“自分”だって、体力も精神力も残されてはいなかった。

 

 

「無理もないか。キミにとって唯一無二の拠り所を失ってしまったのだからね」

 

「ッ、黙れ!」

 

 

 ――まだだ。 

 

 まだ何も終わってない。終わっちゃいない。こんな形で、終わらせてはいけない。

 

 形はどうあれ、託されたのだ。共に進むと誓ったのだ。

 折れるわけにはいかない。屈するわけにはいかない。

 ……だって、“僕/俺”にはもう、それしか――!!

 

 

「可哀そうに」

 

 

 “僕”の放った一撃は、黒幕のペルソナによって阻まれる。次の瞬間、別の触手の攻撃が降り注いだ。

 “僕”はそれに対応しきれず、吹き飛ばされた。地面に叩きつけられる。

 

 

「どうしてキミは、自分から、茨の道を進むんだい?」

 

 

 ペルソナを呼び出そうとするが、出てこない。利き手に握っていたはずのビームサーベルは、黒幕の向こう側に転がっていた。ならば銃でと思えば、ホルスターに装着したはずの銃が見当たらない。

 

 

「キミは充分すぎる程に傷ついて、苦しんできたんだ」

 

 

 黒幕が召喚したペルソナの触手が、【怪盗団】の面々に巻き付いていく。

 黒幕の力が発動したのか、彼らの姿が歪み、怪盗服から私服へと変化した。

 黒幕への敵意が消えたから、反逆の意志も失われてしまったのだろう。

 

 敵対心が消えた10代の学生達なら、黒幕が傷つける必要もなくなった。

 故に、体中の傷も、嘘みたいに消え去っていく。――血潮が、巡っていく。

 

 

「もう、いいだろう?」

 

 

 黒幕の触手が、“■■■■■”に巻き付いた。“彼女”の怪盗服は私服に変わり、傷もすべて消え去る。

 

 

「キミは救われるべきなんだよ」

 

 

 ついには“俺”も、黒幕の触手によって捕らえられた。

 凪のような微笑を湛えた教皇の顔が、ぐにゃりと歪んでいく。

 

 

「大丈夫。目が覚めたら、キミは幸せな世界で、痛みを知らずに生きていけるんだ」

 

 

 ――ああ、“僕”は負けたのだ。

 

 悔しいが、黒幕の言うとおりだった。口では否定したけれど、今の“自分”が何を言っても強がりにしかならなかった。最早、虚勢としての機能も果たさなかった。

 “彼女”さえいれば、逆転の目はあった。倒れ伏す仲間たちを立ち上がらせることもできたし、黒幕を倒す力だって充分にあった。――それなのに、それなのに!!

 

 満身創痍の“自分”が残されても、どうしようもなかった。“自分”の価値が如何程か、“自分”自身がよく知っている。

 

 生きていた頃から、誰かの人形として使い潰されるだけの人生だった。父親にとっても、黒幕として降臨した神にとっても、“自分”は『都合のいい駒』でしかなかったのだ。死んだ後でさえも解放されなかった。後からひょっこり現れた人間の黒幕によって無理矢理叩き起こされ、“彼女”を楽園に捕えておくための餌にされた。

 黒幕は“彼女”の重要性を知っていた。“彼女”こそが、奴が作り上げた楽園という名の檻を打ち壊す存在なのだと理解していた。だからこそ、奴は楽園の存続権を勝ち取るため、強硬手段に打って出た。『狂った楽園を受け入れるか、“恋人(自分)”が死んでいる現実へ帰るのかのどちらかを選べ』なんて質問を投げかけたのだ。

 “彼女”のお人よしっぷりは、騙し合いをしていた頃から知っていた。殺し合いを繰り広げても尚、“自分”のことを相変わらず「好きだ」と言ってのけるような馬鹿だった。“自分”が生きていたと聞いて誰よりも喜んだ人だった。――とんでもない大悪党が辿った『当然の結末』に対して、涙を流して悲しんでくれた、唯一の女性(ひと)だった。

 

 

『“キミ”は身勝手だ! 私のことを手酷く裏切っておいて、認知の私を躊躇いなく撃ち殺しといて、本人の目の前で『“僕”は“キミ”のことが嫌いだ』だの『屋根裏部屋のゴミ』だのと盛大に詰っといて、大事なことを最後まで何も言わずに隠し通した挙句勝手に消えようとして、“私”の気持ちや葛藤を『この程度の問題でしかない』なんて切り捨てて!』

 

『最後は“自分”の所業すべてを棚に上げて『“僕”を裏切るな』!? ふざけるのも大概にしてよ。なんで“私”だけ『“お前”の理想像』でい続けなくちゃならないんだ! “お前”は好き放題、勝手気ままにした挙句、“私”を置いていく癖に……!!』

 

『――だったら“私”だって勝手にする! 黒幕を倒して現実へ帰ったら、死ぬまでずーっと独身貫き通してやる! ずっとずっと“お前”のことを想いながら、“お前”のことを忘れないまま、前を向いて生き抜いてやる! 約束が果たされる瞬間まで、生きてる限り、ずぅぅぅぅっと待ち続けてやるんだ!!』

 

 

 『だからここでは絶対手袋帰さない! 全部終わったら、ちゃんと自分で取りに来い!!』と息巻いた“少女”の泣き顔が頭を掠める。

 

 あのときは『不細工な泣き顔だね。まったくもって見苦しい』と茶化したけれど、一番見苦しかったのは“自分”の方だった。“彼女”の泣き顔を見て、不覚にも嬉しいと思ってしまった。“彼女”がした馬鹿な宣言を撤回させなきゃいけなかったのに、早々に諦めた。挙句、“彼女”の言葉に乗っかって、『勝手にしろ』と言ってしまった。渡した手袋を回収しなかった。

 “自分”は、身勝手な理由で多くの命を奪ってきた犯罪者だ。多くの人の未来を奪い、歪ませ、壊してきた張本人。そんな“自分”が最後に壊すのは、この世界――狂った楽園だ。もう何も奪われたくなかったのだ。闇の中を彷徨い歩いて、手を汚した果てに見つけた眩い(彼女)を。人形を辞めて得た破滅(自由)を。優しくない世界で手に入れた、唯一無二の愛する人(オタカラ)を。

 

 

「――キミの負けだよ、■■くん」

 

 

 ――ああ。

 

 これが、偽りの現実へ抗うことを選んだ者たちの結末なのか。

 壊すことしかできない癖に、壊すことすらできなかった人形への罰なのか。

 

 『羨望と愛憎を向けた“彼女”の唯一になりたかった』という意地/我儘の末路なのか。

 

 

(――教えてくれ、“■■■■■”)

 

 

 知ってしまった。『なかったことにしたい』と願う人々が、何を思っていたのかを。何を考えて、くだらない妄想の檻へ引きこもろうとしたのかを。

 知ってしまった。『どうして自分が生き残って、死ぬべきではない人物が死んでしまったのか』という絶望と罪悪感が、如何なるものであったのかを。

 知ってしまった。“自分”では、“彼女”の導き手になるには、あまりにも役として力不足だったのだと。だから、こんな結末に至ってしまったのだと。

 

 

(どうしてお前は、最後の最後に“()()()()を選んだんだ)

 

 

 “自分”の疑問に答えてくれる声は、もう二度と聞こえない。

 

 溢れだした眩い光は、“自分”の疑問ごと世界を塗り潰していく。

 何にもなれなかった“自分”の断末魔は、薄れゆく意識と共に消えていった。

 

 

 

*

 

 

 

 ――途絶えたはずの意識が浮上する。

 

 眼前に広がるのは、辺り一面が宵闇に染められた空中庭園。周囲の草花が青を帯びた銀色に輝いており、それがこの空間の光源になっているようだ。幻想的な光景に面食らった“僕”は暫しぼんやりと景色を眺めていた。ゆっくり体を起こして周囲を見回すが、現実感のない空間であることは変わらない。

 ややあって、“僕”の意識は急激な覚醒を迎えた。意識が途切れる前の一部始終――【曲解】の行使者に【怪盗団】が敗北した――や、【曲解】が成された世界で消滅するはずの“僕”という存在が未だ消滅せず残っている事態に面食らう。更に言えば、“自分”の服装は甲冑をモチーフにした怪盗服のままだった。

 

 

(――ああ、そうか。“僕”は負けたのか)

 

 

 ひっくり返すことのできない結果を改めて突きつけられたせいか、自然と苦笑が漏れる。

 

 

「……情けない」

 

 

 罪を償うこともできず、大事な人が正しい道へ進めるよう導くことも叶わず、再び“彼女”の信頼を裏切った。“■■■■■”のライバル/“彼女”の恋人という絆も、守ることができなかった。

 

 でも、それは“彼女”だってお互い様だ。“僕”のライバルならば、こんな場所で、こんな形で死ぬべきではなかった。歪んだ夢が終われば()()()()だけの“僕”を庇うなんて、頭がいかれてる。躊躇わずに“僕”を切り捨てていればよかったじゃないかと詰りたくなったけれど、そんな人間だったら――“僕”はきっと、“あの子”に惹かれることはなかったのだろう。

 “彼女”はいつだって、“僕”の選べなかった“正しい道”を突き進んでいるような人間だった。突如降り注いだ理不尽にも負けず、めげず、屈することなく、真っ直ぐに立ち向かう人だった。――黒い服がよく似合う、とても優しい人だった。『もっと早く出会えていればよかったのに』と“僕”に思わせた、唯一無二の存在だった。……“僕”の、すべてだった。

 だから突き放した。“僕”は『“あの子”の未練で生まれ落ちた偽物』でしかなくて、“彼女”が望むような未来を与えられるような命ではないと自覚していたから。叶わない約束はするものじゃない。ただでさえ、“俺”は、“あの子”を傷つけてきたのだ。もうこれ以上、『“彼女”を苦しめるだけの人形』になんか、なりたくなかったのに。

 

 最初から、言えばよかったのだろうか。『“僕”はもう既に死んでいて、“キミ”の未練によって生かされているだけの人形になり下がってしまった』と。

 『いい加減“僕”に捕らわれるな。死んだ人間の影を追いかけるなんてマネはやめて、さっさと目を覚ませ』と、もっと手酷く突き放せばよかったんだろうか。

 

 

(“僕”は、何を間違った?)

 

 

 実父への復讐に燃え、悪事に手を染め、多くの人の命を奪ってきた極悪人。同情の余地なんて存在しない、間違いだらけの人生だった。

 だけど、その人生を歩んでいたからこそ、“彼女”という光を見つけた。最初で最後の初恋は、どうしようもない現実によって打ち砕かれた。

 

 でも、無意味ではなかった。無価値ではなかったのだ。――それだけは、誰にも否定されたくなかった。消されたくなかった。“あの子”だって、それに頷いてくれたのに。

 

 

(“俺”は、何を間違った?)

 

 

 “僕”は“あの子”に『何も残せない』ことを知っていた。愛を知らなかった“僕/俺”では、“彼女”に傷をつけるので精一杯だった。あの頃も、今も、それだけはどうしても変わらなくて。

 最後くらい変われたらいいと願い、率先して前に立った。“彼女”や【怪盗団】の前に立って、攻撃を受け止めようとした。『どうせ“僕”は消えるのだから』、『『また明日』なんか要らないから』と。

 “あの子”が現実に帰れるならば――“彼女”をそこまで導いて、背中を押してやれるならば――それだけでいい、と。それ以上を望んだつもりなんか、一切なかったのに。

 

 

(畜生……!)

 

 

 怪盗服を身に纏っているということは、反逆の意志が消えていないことの証拠。だが、“自分”以外の人間――【怪盗団】の面々がいないという現状は、黒幕に敗北したときの光景と何も変わっていない。

 そもそも、ここはどこだ。黒幕が形成した【パレス】とは全く違う光景が広がっている。歪んだ楽園とは違い、この世界は静寂に包まれていた。さしずめ、夜明けを待っているようなものだろうか。

 “僕”は改めてこの空間を観察する。庭園の広さはそこまでないが、開放的に感じるのは、周囲に外の景色を遮る物体が存在しないためだろう。更に言えば、ここから出るための退路に成り得る建造物もない。

 

 見た限り、この空間――空中庭園は、黒幕が作り上げた【パレス】由来のものではない。もしこの世界がそうならば、“僕”は既に扉を開けて、外へ飛び出すことができていた。なにせ、あの世界は『誰かにとって都合がいいこと』ばかり起きる世界だから。下手すれば、黒幕や【怪盗団】のことなど忘れ去っていてもおかしくはない。

 しかし、今僕が閉じ込められている場所は、“僕”にとって非常に都合が悪かった。悪夢に等しい光景を、はっきりと覚えている。故に、“俺”はこんな場所で足止めを食らっている暇などない。早く【怪盗団】と合流し、彼らを目覚めさせ、黒幕を倒して現実世界へ帰らなければならないからだ。……それがどれ程残酷なのか、分かっていて。

 

 

「くそっ」

 

 

 小さく吐き捨てて、扉を殴りつける。

 

 

(知りたくなんか、なかった)

 

 

 “彼女”が“僕/俺”を生み出した原因を、そのとき何を考えていたのかを、嫌が応にも突き付けられる。だけれど、それを弄んだ黒幕を肯定するわけにはいかない。

 消されたくないと叫んだ命として、消したくない傷や痛みを抱える命として、どうしても、あの歪んだ楽園を認めるわけにはいかないのだ。

 『歪んだ大人を命がけで改心させる』――それが、“僕”の愛した怪盗が掲げた美学だ。成し遂げ、積み上げてきた旅路の答え。

 

 

「……成し遂げないと」

 

 

 せめて、それだけは。

 “あの子”に庇われて、最後の1人として残された“僕”が、果たさなくては。

 

 

(――でも、どうやって?)

 

「ここから出る方法、知りたいか?」

 

 

 背後から声が聞こえた。振り返れば、見覚えのない男が佇んでいる。

 

 黒と青を基調にしたクラシカルな衣装が目を引く。青いインバネスコートには、豪奢な装飾と蝶の刺繍が施されていた。ラヴェンツァやモルガナ、あるいはジョゼと雰囲気が似通っているように思う。

 特に印象的だったのは、目元を覆う白い仮面。その左半分には、夜明けを思わせる東雲色の蝶が描かれていた。左耳には、金色に輝く星形のイヤリングが煌めいている。

 

 

「お前、何者だ」

 

「キミをここに招いた張本人、だな。≪■■■■≫とでも名乗っておこうか」

 

 

 そう問いかけながらも、“僕”は直感していた。≪この男≫が、“僕”をこの世界に閉じ込めた張本人なのだと。

 ≪相手≫も“僕”がそれに気づいたことを察したのだろう。≪奴≫――≪■■■■≫は静かに微笑んで自己紹介した後、くるりと手を動かした。

 

 

「これが、部屋から出るための鍵」

 

 

 ≪奴≫の掌の上には、一羽の蝶が羽を休めている。どこからどう見ても鍵には見えないけれど、どうしてか“僕”は、『それで扉が開かれる』と一瞬で理解できてしまった。

 ならばここで立ち止まっている暇はない。“僕”は奴の手の中にいる蝶めがけて手を伸ばす。しかし、蝶は“僕”の手をすり抜けて、≪■■■■≫の掌へと再び舞い降りて羽を休めていた。

 何度手を伸ばしても、蝶はひらりひらりと“僕”の手をすり抜ける。……埒が明かぬと判断したのだろう。≪■■■■≫は苦笑したのち、蝶を消してしまった。“僕”は思わず喰らいつく。

 

 

「おい。その鍵をよこせ」

 

「今のままだと、結末は変わらないぞ? 黒幕の力を()()()()手段は揃っていない」

 

 

 ――黒幕の力を打ち砕く。

 

 あまりにも、あまりにも甘美な言葉だった。成す術なく飲み込まれるしかなかった【曲解】の力を打ち砕ければ、黒幕の望みを阻止できる。黒幕が管理する楽園を壊して、現実世界へ帰ることができる。≪■■■■≫の口ぶりからして、“【怪盗団】がどんな状況にあるかを知っていて、その状況もひっくりかえせるという確証がある”らしい。

 ……けれど、“僕/俺”は知っている。汚い大人たちと交わした取引を、薄汚れた世界の掟を、よく理解している。≪奴≫がそんな力を“僕”に提供するというのだ。なら、≪奴≫は“僕”に対して、何らかの見返りを求めているのだ。“僕”は思わず身構える。■■■■は静かに微笑み、言葉を続けた。

 

 

「≪俺≫、世界を観測してるんだ。行く末を見届けたい世界線があってね」

 

 

 その言葉と同時に、空中庭園の空に何かが映し出される。

 

 見覚えのある子どもと、その子どもの前に鎮座する祭壇。見覚えのある女性の姿が映し出された遺影。涙を零しながら憎悪を剥き出しにする老紳士が、少年に対して罵詈雑言を吐き捨てる――“僕”はその光景を、誰よりもよく知っていた。嘗ての“僕”が体験した過去の光景そのものだったから。

 だが、既視感のある光景は、とある乱入者たちによって塗り替えられた。オコジョの校章が付いた灰色のブレザーを身に纏った双子の青年が、老紳士に喰ってかかったのだ。彼等の言葉を聞いた老紳士は言葉を中断した後、子どもに対して出来る限りの便宜を図って立ち去っていく。子どもは高校生に引き取られることになった。

 そうして子どもは、自分と同年代の少女と出会う。くせ毛がかかった黒髪の少女は、“あの子”の面影が色濃く残っていた。それが何を意味しているかを理解して、“僕”は思わず息を飲む。――ああそうだ。『もっと早く“自分”と“彼女”が出会うことができたら、“自分”の運命は大きく変わっていたかもしれない』。

 

 高校生の双子があの子どもを引き取っていなかったら、子どもは少女と出会うことは無かった。“僕”が辿った人生と同じような道を歩み、復讐心に捕らわれた末に破滅していただろう。

 道を間違ったと理解しても、今まで歩いてきた人生を裏切ることも投げ出すこともできず、逃れられぬ破滅と向き合って、最後の最期で、ようやく――。

 

 

「――キミには、その可能性を見届ける視点になって欲しいんだ」

 

 

 “僕”が辿った人生だ。間違いと後悔に彩られていたとしても、“僕”は“自分”が歩いてきた道を否定したくない。“僕”は確かに、“僕”が望んだ幸福を手にしているし、満足してる。

 けれど眼前に広がる光景は――子どもがこれから歩んでいくであろう人生は、黒幕の【曲解】よりも悍ましい悪夢であることは、容易に想像がつく。

 

 

「随分と、悪趣味な世界を作ったね。お前も『神』の系譜か何か?」

 

「作ったのは≪俺≫じゃない。――幾銭、幾万、幾億もの蝶の群れだ。『そんな世界が、どこかにひっそりと存在していますように』という祈りそのものが編み出した、誰かにとっての夢。あるいは、誰かにとっての“たった1つの現実”であり、“確かな真実”。……≪俺≫は、その可能性を集めて顕現するだけしかできないよ」

 

 

 男は大仰に言葉を続ける。

 

 

「“キミ”は知らなければならない。何を間違ったのか、何が原因だったのか、あの日何をどうすればよかったのか。そうして、今これから何をすべきなのか。何ができるのか、どうしたいのかを」

 

「……そんな無意味なことをして、何になるって言うんだ」

 

「それこそが――いいや、『それだけが、黒幕の【曲解】を打ち砕く対抗手段になる』と言ったら?」

 

 

 ≪■■■■≫の手には、契約書と万年筆が握られていた。契約書の下部には名前の記入欄がある。東雲色の蝶が描かれた、高級そうな紙――そこから漂う神秘的な力を、肌で感じ取った。

 一度サインをしてしまえば、僕はもう逃げられない。奴の出した条件を果たす――奴が提示した『世界の観測』を責任持ってやり遂げるまで、絶対に。

 けれどきっと、それを成しえた果てには、契約は果たされる。眼前で漂う力はごく僅かなものだけれど、黒幕の【曲解】を打ち砕けるという確証だけがあった。

 

 消されたくないと叫んだ命として、消したくない傷や痛みを抱える命として、どうしても、あの歪んだ楽園を認めるわけにはいかないのだ。

 『歪んだ大人を命がけで改心させる』――それが、“僕”の愛した怪盗が掲げた美学だ。成し遂げ、積み上げてきた旅路の答え。

 

 

(……成し遂げないと)

 

 

 せめて、それだけは。

 “あの子”に庇われて、最後の1人として残された僕が、果たさなくては。

 

 だって、“僕”にはもう、何もない。黒幕を倒して現実世界へ戻れば、“僕”はあの豪華客船で死んだことになる。認知世界で命を落とした人間がどうなるかは分からないが、“彼女”の反応からして、おそらく死体すら残らないのだろう。存在した証は消え去り、人々はやがて“僕”を忘れ去る。“彼女”だってそう。最初からそんな人間などいなかったかのように、世界は滞りなく回るのだ。

 “僕”は、自分の未来なんて最早どうでもいい。借りを返すために出頭したときから、極刑を覚悟していた。もう二度と外には出れないし、死刑判決を下されて死刑が執行されることだって視野に入れていた。それは当然の報いなのだから、“僕”には釈明も弁明もするつもりはない。逃げずに現実(いま)へ向き合うと決めた。

 たとえ、どんな末路を迎えようとも、もう迷わないと誓ったのだ。“僕”にこんな決意を抱かせた“あの子”の姿が、鮮やかにリフレインする。積み重ねた日々と絆を、胸に抱く。何も許されなかった“僕”が唯一自分の意志で手に入れた、生きた証。生きていた意味。――大切な、答え。

 

 

「≪お前≫の契約に乗ってやる」

 

 

 “僕”の答えに満足した≪■■■■≫は、契約書とペンを差し出した。それをひったくり、記入欄に“僕”の名前をさらりと書き記す。途端に契約書は溶けるように消え去った。

 

 

 

 

 

 

 ――揺るがぬ意志に突き動かされるようにして、意識が覚醒する。タオルや水枕は既にぬるくなっており、窓の外からは朝日が差し込んでいた。

 

 ベットサイドには、僕の看病用に持って来た椅子に座り、テーブルに突っ伏して眠る黎の姿。寝床を僕にとられたモルガナは、彼女の足元で体を丸めて眠っている。

 女医の薬の効果は凄まじく、昨日までの倦怠感は嘘みたいだ。僕は体を起こし、眠り続ける黎の横顔を見つめる。自然と口元が緩んだ。

 

 

「……ありがとう、黎」

 

 

 看病で疲れているであろう彼女を起こさないように気を付けつつ、僕は黎の頭を撫でた。

 守られてばかりで、情けない姿を晒してばかりの僕だけれど、彼女を支えて守れるような存在になりたい。

 そんなことを考えながら、僕は――彼女が目覚める直前まで――黎の寝顔とくせっ毛の感触を味わっていた。

 

 

 





 『誰かにとっての悪夢は、誰かにとっては自分が生きる現実である』と言うのなら。

 “僕”にとっての悪夢で生きるアイツが見たあの夢は、≪誰≫が生きた現実だったのだろう。
 その答えを知っているであろう≪ガキんちょ≫共も、その≪保護者≫も、今は体を寄せ合って眠っている。



―――

リアルの忙しさや暑さでグロッキーになって、心身共に疲れておりました。少しづつですが持ち直してきたので、また執筆を始めた次第です。

双葉編が始まりました。ですが、今回は風邪をひいた魔改造明智が見た変な夢の数々がメインです。本編:【回顧:旅立ち -星と僕らと-】~【Wiping All Out -Invitation to Freedom-】だけでは現時点では意味不明な夢の数々ですが、番外編ポジションの【A Lone Prayer -Dream of Butterfly】とはちゃんとした繋がりがあります。それでも尚、『現時点では謎が多い』模様。
この作品は2罪世界と2罰世界の関係性――『罪世界は、罰世界にとっての滅びの夢』――に書き手の認知と曲解を組み合わせて構成されているので、しょっちゅう『誰かにとっての悪夢は、誰かにとっては自分が生きる現実である』/『誰かにとっての己が生きる現実は、誰かにとっての悪夢である』系の話が出てきます。……魔改造明智が見た夢は、誰にとっての現実だったのでしょうね。
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