Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn-   作:白鷺 葵

46 / 55
【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空元(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 名前:霧海(むかい) (りん)(旧姓)⇒影時間終了後の巌戸台で出会った少女。現在の本名や詳細については中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。オリキャラ同然になっている人物もいるので注意してほしい。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は有栖川(ありすがわ)(れい)
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空元(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 キタロー:香月(こうづき) (さとし)⇒妻・岳場ゆかりが所属する個人事務所の社長であり、シャドウワーカーの非常任職員。気付いたらマルチタレントになっていた。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。

・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。


ゴローのなつやすみ(前半戦)

 

『初めまして。今日からサポートを務めさせていただきます、マクスウェルです』

 

『初めまして。今日からサポートを務めさせていただきます、シュレーディンガーです』

 

 

 ≪■■■■≫と契約を交わした直後、≪奴≫から紹介されたのが2人の子ども――マクスウェルとシュレーディンガーである。

 

 どちらも≪■■■■≫同様仮面で素顔を隠しており、≪奴≫と同じ青基調のクラシカルな洋装を身に纏っていた。外見上の差異を挙げるとするなら、マクスウェルが栗色の髪を首まで伸ばした少年で、シュレーディンカーが癖のある黒髪を腰まで伸ばした少女であることくらいか。

 身長は≪奴≫の腰より少し上程度で、マクスウェルの方が若干低い。雰囲気や背格好から類推すると、この2人は幼稚園から小学校低学年の精神・肉体年齢なのだろう。この頃の男女は性差が目立ちにくく、場合によっては女児の方が発育がいいこともあると聞いたことがあった。閑話休題。

 

 マクスウェルとシュレーディンガーは、≪■■■■≫とは『主人と眷属』のような関係にあるらしい。『らしい』と付いたのは、≪■■■■≫が例え話で持ち出した話題――ベルベットルームの主とその従者・【力司る者】達――に対し、マクスウェルとシュレーディンガーが『類似なだけで、厳密にはちょっと違う』と激しく主張したためだ。

 話が脱線してしまうことを危惧した≪■■■■≫の計らいや、『この話題は【曲解】を打ち砕く鍵とは無関係である』と判断した“僕”が『さっさと本題に入れ』と主張したこともあり、≪■■■■≫と2人の関係は掘り下げられることはなかった。断片的に触れる羽目になったのは、件の2名が“自らの意思で≪■■■■≫と共に歩むことを選んだ”程度である。

 “僕”はベルベットルーム関係者とは付き合いが皆無――“あの子”からの又聞きや実力試しの戦闘、丸喜の件で潜入した秀尽学園高校の保健室で言葉を交わした程度――なので、件の例え話がどれ程の重みや関係性が込められているかは分からない。ただ、ベルベットルーム側の人外がコンタクトしてきた場合、該当者は世界の存亡をかけた試練に挑むことになるという。

 

 

『今回の契約は、ベルベットルーム側の契約と非常に似通ってる所が多い。第3世代以降――2009年の巌戸台から20XX年の東京で発生したペルソナ使い達の戦いが該当するぞ』

 

『丁度、“僕”や“あの子”が駆け回っていたときまでか。それ以前は、何か違う点があったってこと?』

 

『ああ。珠閒瑠の頃までは『フィレモンが見出したペルソナ使いであれば入れる』空間だった。当時はフィレモン全盛期だったから、割とオープンだったんだぜ?』

 

『でも、ベルベットルームの存在を知るペルソナ使いは【怪盗団】の連中――芳澤さん以外の面々だけ。更に言えば、部屋の主やその従者と深く関わりを持っていたのは“あの子”だけだった。それは何故?』

 

『フィレモンが弱体化した後から、部屋の方向性が大きく変わったんだ。部屋の主がイゴールになって以降、あの部屋に入れるのは“特別なペルソナ使い”――ワイルドと呼ばれるペルソナ使いだけが出入りできるようになった』

 

 

 ≪■■■■≫の話を聞く限り、“あの子”と同じような力――複数のペルソナを自在に付け替えることができる――を有する存在は、定期的に現れていたという。

 彼や彼女達はベルベットルームへ招かれ、部屋の主と契約を交わし、『力司る者』と交友を深め、世界の存亡をかけた戦いにおける中心人物となったらしい。

 

 ……破滅するために選ばれた“僕”と、世界の滅びを覆すために選ばれた“あの子”。今でも“僕”は“彼女”の存在や特別という言葉に対して思うところはあるけれど、『人ならざる者に見出された結果、激動の人生を歩む羽目になった』という意味では同類だったのだろう。

 

 何も知らなかった頃の“僕”は“彼女”の特別性に対して羨望していたけれど、『人ならざる者に選ばれた上で、自らも選び、契約を交わした』ことで初めて“彼女”の苦労に触れた気がした。

 “■■■■■■(統制神)なる存在によって無自覚に破滅への道を舗装されて歩まされた”のとは違い、“(嫌な予感を抱えながらも)自らの意思で選んだ”というのも深く関わっていたのかもしれない。

 

 

『じゃあ、どうして芳澤さん以外の【怪盗団】はベルベットルームの存在を知ってたの? ワイルド以外出入りできないのなら、部屋の存在を知っているのは“彼女”だけのはずだ』

 

『その件に関してはイレギュラーだ。ベルベットルームを乗っ取った■■■■■■(統制神)が、自分の計画にとって邪魔な■■■■■■■とその仲間を隔離するために部屋を利用したのさ。イゴールに成り代わって権限を奪取し、それを悪用したってワケ』

 

『……成程。『神』との最終決戦が12月25日なら、芳澤さんが何も知らない訳だ。彼女が本格的に【怪盗団】と行動を共にすることになったのは1月からだったし』

 

 

 ≪奴≫とそんな雑談を交わした後、“僕”はふと気になって訊ねたのだ。

 『≪お前≫にも従者や眷属のような存在がいるのか』と。

 その答えが、冒頭におけるガキんちょ2名の自己紹介へと繋がる。

 

 どうやら、マクスウェルやシュレーディンガー以外にも同居人はいたらしい。2人は“そいつ”を指し示す。

 

 

「「で、この猫がマーリン!」」

 

 

 2人が指示したのは1匹の黒猫。黒猫と言っても、純粋な黒一色の猫ではない。口元や足元が白いタイプの黒猫であった。瞳の色は透き通ったアイスブルーで、黄色いスカーフを撒いている。

 既視感どころの話ではない。丸喜との最終決戦に挑む直前に見た黒猫そのものだ。奴と違って目は――虚無を湛えて――死んでいるが、明らかにあの喋る猫と同一である。

 マクスウェルもシュレーディンガーも、この猫の名前をマーリンと呼んでいた。頑なに呼び続けた。時々上2文字を言いかけて言い直しているあたり、半分以上ふざけているのだと思う。

 

 

「見え見えの嘘をつくなァァ! どっからどう見ても■■■■じゃねーか!!」

 

「違うよ。マーリンだよ」

 

「マーリンは珍しい品種の猫だよ。チベットモナキャットっていうんだ」

 

 

 流石にふざけすぎである。ゴリ押しにしても酷い。

 

 

「ほらやっぱり■■■■じゃねーか! ■■■■がチベスナ顔してるだけじゃねーか!!」

 

「違うよ、マクスウェル。マーリンの品種はスペースモナキャットだよ」

 

「そうだっけ? どっちも一緒じゃなかったっけ?」

 

「もうやめろォ! ■■■■がガチのスペキャ顔になってるだろォ!?」

 

「■■■■じゃないよ、マーリンだよ」

 

 

 奴等のゴリ押しに対抗できるのは“僕”だけだ。件の黒猫がこんな虚無顔浮かべてたら、“彼女”が悲しむことは目に見えている。

 だから何かと問われると何も言えないけれど、このまま黙っている訳にはいかない。“僕”は声を荒げて訴えた。

 マクスウェルもシュレーディンガーも、“僕”に対して面倒くさそうな視線を向けている。あれは聞き分けのない駄々っ子を見るような瞳であった。

 

 聞き分けのない駄々っ子はそっちの方なのに、何故“僕”がそんな風に見られなければいけないのだろうか。世の中理不尽だ。

 何だか釈然としない気持ちを抱く“僕”のことなど気にも留めず、シュレーディンカーは黒猫の方に向き直って「ねえマーリン?」と念押しする。

 

 ――次の瞬間。

 

 

「ピッピ〇チュウ!」

 

 

 猫の声帯から、絶対に出てはいけない鳴き声がまろび出た。

 

 あまりの出来事に“僕”は凍り付く。マクスウェルとシュレーディンガーは目を丸くしていた。感情の方向性は全く別であったが、この場は沈黙に支配される。

 動き出したのはマクスウェルとシュレーディンガー。奴等は顔を見合わせてアイコンタクトを続けた後、何かに思い至ったかのように手を叩いた。

 

 

「いっけねェ。中身が別人のままだった」

 

「ついさっきまで、スマブラのスピリッツ戦やってたもんね」

 

「■■■■ァァァァァァ!!」

 

 

 “僕”は慌てて黒猫を揺さぶった。黒猫は暫し鼠の鳴き声で返事をし続けていたが、程なくしていつも通りに戻ったことを記載しておく。

 

 

 

*

 

 

 

 ≪■■■■≫と契約を交わしてからどれ程の時間が過ぎたのか、“僕”には分からない。この空間――空中庭園の向こう側に広がる景色は未だ夜空で、夜明けの気配はまだ遠かった。青い燐光が視界の端で瞬いている。

 夜空の中に浮かぶ光景では、幼い頃の“僕”と瓜二つの子どもが能天気に日々を謳歌していた。双子の高校生に連れ出されるような形で引き取られ、“あの子”の面影を滲ませる少女と邂逅してから、子どもの表情は段々柔らかなものになっていく。

 

 ――苛立たしい。ただひたすらに苛立たしい。

 

 ≪■■■■≫と交わした契約が無ければ、こんな光景を目の当たりにしなくて済んだ。“僕”と同じルーツを持っていたはずの存在が、“僕”とは違う道を進んでいる姿が恨めしい。母が死した後、“僕”が歩んできた人生とは180度違う。僕が知っている世界とも違う。

 “僕”が関わった大人達はみんなクズだったし、“僕”のことを『要らない子』として扱った。世界はいつだって“僕”に優しくなかった。だから1人で生きて行けるように強くならなければいけなかった。世の中は弱肉強食。誰かを踏み躙らなければ、“僕”が踏み躙られて終わるのみ。

 『どうして“僕”はこんな目に合わなければいけないのか』と理不尽を噛みしめて。実父への恨みつらみを募らせて。ペルソナの力を経てからは復讐のために奔走して。その最中に出会った“あの子”は、“僕”と類似の環境下でありながらも腐らず眩くあり続けていた。

 

 “あの子”のことは嫌いだ。だって“彼女”が歩んだ道は、“僕”が歩めなかった道だから。『こう歩んでいれば成功だったのに』と憐みを向けられたような気持ちになったから。

 沢山の人に囲まれて、一度も間違ったことなんかありませんなんて言いたげなすまし顔をする――そんな“彼女”が羨ましかった。その眩しさに、ずっと惹かれ、焦がれていた。

 

 “僕”がありふれた人生を歩んでいたら、きっと“彼女”に惹かれるようなことは無かったのだと思う。“彼女”に焦がれることも無かったのだと思う。“僕”の人生は徹頭徹尾『誰かの人形として飼い殺しにされた』ようなものだったけど、“彼女”と出会わなければ、もっと悲惨な終わり方をしていたのかもしれない。最後の最期に、自分の意志で選択することができたのは、“彼女”のおかげだった。

 

 

<吾郎がいると怖くなくなるから。――ね、いいかな?>

 

<……もう、しょうがないな。――おいで>

 

 

 膜を1枚隔てた向こう側では、2人の子どもが笑いあっていた。計画の遂行のために“彼女”に近づき、恋人同士になったときの“僕”と“彼女”の日々の焼き直しみたいに。

 当時の“僕”と“彼女”と違って、あの子ども達は何も憂う必要が無い。葛藤する理由もない。心を通わせ、重ねてきた日々は誰にも否定できない――否定されることも無いのだ。

 

 

<ずっと、こうしていたいなあ>

 

 

 幼子特有の、漠然としていて、それでも単純な、あまりにも強い願い。子どもは無邪気に、『これからずっと』を夢想した。

 騙し合い、葛藤し、切り捨てることを選んだのに焦がれることだけはやめられなかった夜がリフレインする。

 あの子どもは何も知らないのだ。無邪気に夢想する『これからずっと』の価値も、それを切り捨てることを選んだ“僕”の葛藤や苦悩も。

 

 子どもを取り巻く人々や世界は、僕が知っている世界よりもずっと生ぬるい。前者に関しては誰もが何かしらの問題を抱えてはいるものの、それが子どもにとっての不利益になることはなかった。

 だからあの子どもは、能天気に笑っていられる。大きな背中に守られて、焦がれる少女の手を取って、光溢れる道を歩んでいくのだ。“あの子”のように、“僕”が選べなかった正解の道を。

 

 “僕”が生きたかった道を進む“あの子”に対して、自分でも頭を抱えたくなる程の激情を抱いた。汚泥のように醜くて、烈火の如く燃え盛り焦がれたソレを、暴力じみた勢いでぶつけ続けたのだ。――ならば、今、膜1枚を隔てた向こう側の子どもに対しても似たような感情を抱き、ぶつけたくなる衝動に駆られるのは必然。

 

 

(ふざけるな。ふざけんなよ。どうして、どうして――!!)

 

 

 言語化できない激情は膜1枚を簡単に貫いて、能天気に平和と幸福を享受する子どもへ襲い掛かった。子どもの表情が苦悶に歪む。

 

 ≪■■■■≫との契約――この子どもの行く末を見届ければ、丸喜の【曲解】を打ち砕く力を得て、この空間から脱出することができる――さえなければ、“僕”はこんな苦痛を味わい続ける羽目に陥ることなんかなかった。“自分”が諦めた道を突きつけられ、惨めさを抱える羽目になることだってなかったのに。

 届かなかった理想を、選べなかった道を、全部嘘にして切り捨てるしかなかった羨望と思慕を、何の苦悩も葛藤も無く手にすることができる子どもの姿を見せられる。それを拷問と言わず、何に例えればいいのだろう。しかもその間、“僕”はずっと足止めされている。“僕”は早くこんな馬鹿みたいな契約を完遂させて、あの戦場へ戻らなければならないのに。

 一刻も早く、“僕”は丸喜の作った偽りの楽園へ戻らなければ。“僕”なんかを庇い、丸喜の【曲解】に囚われてしまった“彼女”を叩き起こさなければ。勝利の鍵を握る“彼女”なら、あの悍ましい箱庭を打ち壊すことができる。――そうして、“僕”達は帰るのだ。“僕”等が向き合い、抗い、乗り越えて、日々を積み重ねてきた“僕”等の現実に。

 

 いつまでこんなことを続けなければいけないのだろう。こんな光景を見続けなければいけないのだろう。

 これのどこに、丸喜の【曲解】を打ち砕く要素があるというのか――。

 

 

<――――>

 

 

 そんなことを考えていたときだった。“僕”から向けられた感情に振り回されていたはずの子どもの感情が、逆に“僕”の方へと流れ込んでくる。

 見れば、子どもは自分の腕の中で眠る少女に優しい眼差しを向けていた。緋色の瞳は彼女への慈愛と思慕で溶けており、数多の幸福を湛えている。

 

 

<願わくば、僕と彼女に明日が来たらいい>

 

 

 ――この子どもが少女に抱く想いに既視感を抱いたのは、“僕”も同じことを考えた夜があったからだ。

 

 

<目が覚めたら、一番最初に出会う人がキミだったらいい>

 

 

 ――この子どもが少女に抱く想いに胸を掻き毟られたような痛みを感じたのは、“僕”も同じことを考え、葛藤していた時間があったからだ。

 

 

<好きな人の隣にいるという奇跡と価値を噛みしめながら、「おはよう」と挨拶を交わせたらいい>

 

 

 ――この子どもが日常を、幸福を謳歌する光景に対して、羨望や憎悪を抱いたのは。

 

 何もかもを逆なでされ、何もかもをひっくり返されたように荒れていた感情の波が引いていく。今の“僕”に残るのは、膝をつき、言葉すら紡ぐ気力さえ湧かない程の疲労感。

 吐き出せなかった感情は、“僕”の中をぐるぐる回る。引き攣ったような吐息が漏れて、気づいたら視界までぐちゃぐちゃに滲んでいた。情けないことこの上ない。

 

 

「“キミ”が【あの子】に八つ当たりしたくなる気持は分かる」

 

 

 “僕”の傍らから声がした。のろのろと視線を動かせば、テーブルとイスとティーセットを並べ終えた≪■■■■≫が“僕”の隣に並んでいた。

 藤色の瞳は静かに瞬く。≪奴≫は念を押すようにして「これだけはきちんと覚えていてほしい」と言った。

 

 

「“キミ”と【あの子】は繋がっている。文字通りの一蓮托生だ。【あの子】が死ねば、“キミ”も運命を共にすることになる」

 

「…………」

 

「そんなことになってしまったら、“あの地獄絵図”を覆す手立てを完全に失うぞ。“キミ”に起死回生の希望を託した“彼女”の想いまでもが絶たれてしまう」

 

 

 返答する気力すらない“僕”であるが、視線で今の心境を訴えることはできた。

 “僕”の眼差しを真正面から受け止めた≪■■■■≫は、それに応えるように言葉を続ける。

 こちらを見つめる藤色は何処までも優しい。眼差しに既視感を覚えたのは、何故。

 

 “僕”はぼんやりと≪奴≫の言葉を聞いていた。

 そこに込められた言葉の意味を、“僕”はまだ知らないでいる。

 

 

「忘れてくれるなよ、もう1人のトリックスター。――今度こそ、“彼女”を裏切らないためにも」

 

 

 

***

 

 

 

<治ったら、吾郎と一緒にいろんな所に行きたいなぁ>

 

<本当? 僕でいいの?>

 

<うん。2人でいろんなものを見に行こう。……ダメかな?>

 

<うん!! いろんな場所に行って、いろんなものを見よう!>

 

 

 幸せな日々は、『これからずっと』続くのだと信じていた。

 膜1枚隔てた現実(せかい)で生きる子ども達も、それを観測する“僕”自身も。

 

 

<折角だから、吾郎も聖エルミンの文化祭に遊びに来たらどうだ?>

 

<黎ちゃんにも声かけてみたらいいんじゃないか? 『一緒に文化祭を見て回りませんか』って>

 

 

 穏やかな時間が、『これからずっと』続くのだと信じていた。

 膜1枚隔てた現実(せかい)で生きる子ども達も、2人を見守る双子の保護者も。

 それを観測する“僕”自身も、『これからずっと』続くのだと思っていた。

 

 

<『雷に打たれて緊急の精密検査』って、何やってたの……>

 

<ちょっとした儀式。でも、全然何ともないから大丈夫!>

 

 

 愉快な時間が、『これからずっと』続くのだと信じていた。――無条件に、ずっと。

 

 

<園村、大丈夫か!? ――って、何だこりゃあ!?>

 

<嘘だろおい!? 何で部屋が消えてるんだ!?>

 

 

 平穏な日常が終われば、非日常が幕を開ける。

 何かの流行漫画の知識を漁った際、とあるフレーズを見かけたことがあった。

 “幸せが壊れるときは、いつも血の臭いがする”――だったか。

 

 

<にくだぁぁ……! にくがぎだぞぉぉ!!>

 

<貴様等ァ! よくも、よくも山岡を! ――許さんぞ!>

 

 

 昨日まで確かに優しかったはずの世界が、子どもや高校生達へ牙を剥く。

 引き金となったのは、彼等が気絶する前に行った儀式と、襲い来る理不尽への反逆だった。

 

 

<――ペルソナ!>

 

 

 怒涛の情報量で殴られた“僕”は、まだ知らない。

 

 これが神話覚醒の瞬間であることも。

 これからが観測者としての本番であることも。

 これこそが、子ども達が向き合わなければならない理不尽であることも。

 

 羨むばかりでは、憎むばかりでは、恨むばかりでは見えなかった事象に触れていく。

 選ばれなかった/破滅の運命を強いられた“僕”には、それらの事象はあまりにも鮮烈だった。

 

 

 

◆◆◇

 

 

 

 ――何とも言えない感慨深さと共に、僕の意識は覚醒する。現在時刻は5時30分を少し過ぎたあたりで、夏休み生活中の学生ならば二度寝を考えてもいい頃だ。

 

 竜司や祐介のようなタイプの学生だった場合は、理由や方向性は違えど『わあ、丸々徹夜しちゃった。ひと眠りしとこう(要約)』となっていてもおかしくない。

 真の場合、そもそも徹夜するようなスケジュールなんか立てないし、万が一徹夜するにしても、ギリギリ深夜帯で作業をひと段落させていそうだった。閑話休題。

 

 

(双葉さんの【改心】前後から、夢を見る頻度が増えた気がする。光景も段々と鮮明になってきたような……)

 

 

 僕はそんなことを考えつつ、背伸びをしながら体を起こした。朝は比較的涼しいと言えど、今の季節は夏真っ盛り。寝巻や下着は薄らと汗で滲み、何とも言えない不快感があった。

 ダイニングの方角からは包丁の音や蒸気の音が絶えず聞こえており、至さんが朝食――もしくは常備菜の補充――作りに勤しんでいることは容易に想像できた。

 僕の方も長期休みや休日は家事の頻度を増やそうと心がけてはいるが、なかなかうまくいかない。学生生活の他に、対【怪盗団】用の神輿として担がれる日々が続くからだ。

 

 社会人とは違い、学生は拘束時間が少なくフットワークが利く。事件捜査の最前線に引っ張り込まれてしまうのも、探偵王子としての実力――素と【メメントス】の悪用によるズルの両方を加味した上での評価だ――や、小回りと使い勝手の良さを買われたためであろう。良くも悪くも、僕の擬態は成功している訳だ。

 とは言っても、学生は総じて暇人ではない。夏休みの課題だけでなく、高校3年生には受験への準備があった。志望校の日程によっては、夏休み直前から直後の推薦入試を狙う生徒だっている。僕が狙っている大学の推薦入試は総じて9月以降だが、願書のアレコレや勉強の追い込みで校内をうろつく生徒は珍しくなかった。

 

 

(今のところ、模試の判定はオールAだったし、テストの成績は学年1位。……問題は、【怪盗団】絡みのアレコレによる出席日数なんだよなぁ。それをカバーするための代替え講習すら難しい有様で……)

 

 

 小田桐先生が難しい顔で唸る姿を思い出し、僕は申し訳ない気持ちになった。獅童と冴さんとメディアに引っ張りだこ過ぎて、夏休みもあってないような物と化しつつある。特に最近は、今まで『明智くんの本分は学業なんだから、そっちに集中しなきゃいけないのは当然だ』と言ってくれた冴さんが、手柄欲しさに僕を使おうとすることが増えていた。

 夏休み前に体調不良で倒れたことを引き合いに出せば一応引いてくれるけど、視線や嫌味が突き刺さって来て居心地は最悪である。おまけに冴さんは“メジエド”の一件から認知訶学に興味を持ち、そちら側から【廃人化】や【精神暴走事件】を追いかけているようで、『佐倉さん親子は有用な証拠を隠している』という疑いを抱いたままであった。

 最も、一色さんの関係者は口を揃えて『一色さんが死んだのは、娘に研究を邪魔されたため』としか答えないし、研究内容については『一色さんの研究は金になるはずだった』程度の漠然とした認識しかない。研究していた一色さん自身の死もあって、認知訶学の分野は完全に凍結されていると言えよう。そのため、佐倉さんが手渡した研究資料――もとい遺物しか残っていないのだ。

 

 

(……冴さん、手柄欲しさに変な方向へ動きださなきゃいいんだけど……)

 

「お、起きたのか。おはよう」

 

「おはよう。ちょっとシャワー浴びてくる」

 

 

 着替えを片手に部屋を出て、至さんと朝の挨拶を交わし、風呂場へ足を踏み入れる。探偵王子としてメディア露出を始めてから、色々と身だしなみを整える機会が増えた。見た目の清潔感に気を使いつつ、僕の武器である中性的な――悪く言えば女顔に偏っているタイプの――端正な顔立ちを保つための努力と、そのための出資は継続中だ。

 

 割高なメンズシャンプーも、手作り石鹸専門店の固形ボディーソープも、男性用の基礎化粧品も、セルフプロデュースのために購入したものである。

 イケメンの探偵王子を保つためにはそれ相応の手間をかけねばならない。これが本業の俳優や芸能人だったら、もっともっと時間をかけて外見を保っているのであろう。

 芸能界は美貌一本でごり押しできる程甘くない。橿原さんの母にして女優・黒須純子さんが【JOKER呪い】に傾倒するに至ったのも、若い少女達への嫉妬と自身の美貌の衰えだった。

 

 “美しさを保ったまま、順当に年を取る”のは難しいのだろう。自身の外見的な衰えに向き合わなければ、美しさを保ちつつも年を取るために必要な手段を考えたり、実行に移すことは難しい。

 

 僕はどんなふうに年を取るだろうか。どんな外見になっても黎と一緒にいられるなら別に構わないけど、黎と一緒にいても後ろ指差されることなく、黎に横恋慕する連中を追い払える程度にはいい感じの男でありたい。――そんなことを考えつつ、汗を流して体を拭き、さっさと着替えを済ませる。

 今日は探偵王子として活動していた弊害の清算として、出席日数の代替え授業を受ける日だ。授業はほぼ丸一日かけて行われ、解放されるのは午後5時過ぎとなっている。現在時刻は6時15分を過ぎたばかり。代替え授業の開始は8時からだ。僕はダイニングの椅子に腰かけて朝食に舌鼓を打つ。

 

 

「僕が作った料理よりずっと美味しいんだよなあ」

 

「そうか? 吾郎の作ったクロックムッシュも美味しかったけど」

 

 

 至さん作のダッチパンケーキ――オーブンで焼いて作るドイツ風のパンケーキだ――を頬張って感嘆する僕に、至さんは首を傾げる。

 彼が話題として持ち出してきたのは、先日僕が作ったクロックムッシュ。パンもベーコンもチーズにも、想定以上に焦げ目がついた一品であった。

 どこからどう見ても改善点しかないのに、至さんは『おいしい』だの『うれしい』だのと言って平らげていたか。

 

 いつもと変わらない穏やかな時間が過ぎていく。僕は朝食を食べ終わった後、皿を下げながら至さんに話題を振った。

 

 

「最近、夢を見る頻度が増えたんだ」

 

「夢って、吾郎が有栖川に来た頃から見るようになったっていう悪夢か?」

 

「うん。夢の内容も鮮明になってきた。悪夢ではあるんだけど、悪夢だけじゃないって分かったから、何とも言い難いんだよね……」

 

 

 あの夢をどう表現すればいいのか分からなくて――でも、単純に悪夢と言うには、温かくて優しいものも確かに存在していたから――僕は顎に手を当てる。

 しいて言うならば、珠閒瑠に住んでいたときに見たデジャ・ヴュ――所謂、滅びの夢に近いものだろう。結末は滅亡確定(ああ)だったが、達哉さん達と共に過ごした時間は尊いものだったし。

 

 

「断片的な情報ばかりだけど、夢の内容は、大まかに2つの括りで別れているみたいなんだ」

 

 

 1つは、優しくない世界に傷つき、復讐と愛する人への羨望に身を焦がして破滅していった“誰か”が向き合った地獄絵図。丸喜留美先生の旦那さん・丸喜拓人さんが引き起こした滅びの夢だ。あの夢の中で丸喜先生は故人であり、強大な力を得た丸喜さんが“すべての人々を幸せにする”ために現実を歪ませようとしていた。“誰か”はそれに反旗を翻したが、あと一歩で敗北している。

 もう1つは、何もかもを失ってしまった“誰か”の続き。フィレモン、或いはニャルラトホテプの同業者と思しき存在と契約を交わし、丸喜さんの作った【曲解】の破壊と異空間からの脱出を目指し、“誰か”はとある少年を観測することになった。“誰か”は少年の心に干渉することで、少年の言動に影響を与えていたらしい。

 

 夢の中で“誰か”が干渉していた少年の姿は僕と非常に似通っている。

 

 思い返せば、僕は幼少期から“自分の感情とは違う何かによって強い脅迫概念を覚える”ことが多々あった。

 それが吉と出たこともあれば凶と出たこともある。良くも悪くも、それが僕の指針になっていたのは事実だ。

 “誰か”の意図を深く考えるようになったのは、【怪盗団】として活動することになった時期からだったように思う。

 

 

「『サドやんの旦那さんが、何処かの滅びの夢の元凶になってる』――か。にわかには信じがたい話だが、珠閒瑠の一件があるしな……」

 

 

 僕の話を聞いた至さんは顎に手を当てて唸る。珠閒瑠市で発生した【JOKER呪い】の一件は、彼の心にも深く刻みつけられている様子だ。

 

 

「達也さんのときは、『向こう側』の達哉さんの意志が『こちら側』の達哉さんの肉体(からだ)に宿ってて、その間は『こちら側』の達哉さんの意識はずっと休眠状態にあった。だから、達哉さんは【JOKER呪い】に関する記憶の一切合切を有していない。対して、僕の場合、『心の海を通じて、僕と“誰か”の意識が繋がっている』って感じなのかも知れない」

 

「それで、『“誰か”の本意不本意問わず強い感情を抱いた場合、それが吾郎の思考回路や行動に直結しかねないレベルの干渉を与えている』んだな。……須藤竜也がお前に対して色々言ってた理由、今なら分かる気がする」

 

 

 至さんはそう言いながらエプロンを畳み、ダイニングの椅子に腰かけた。

 珠閒瑠市の事件で遭遇した狂人・須藤竜也に思いを馳せた保護者の眉間に皴が寄る。

 

 ニャルラトホテプの干渉によって『向こう側』の知識を得た須藤竜也は、『あちら側』の世界を再現するために暗躍。【JOKER呪い】に登場する嘱託殺人鬼として多くの人々を殺傷し、『向こう側』では同志だった面々――吉栄杏奈や橿原淳さんに接触して無理矢理味方に引きずり込もうとする等の強行の末、『向こう側』同様右目を失い、達哉さん達によって倒された。

 奴は何故か僕に対して色々声をかけてきた。僕に対して得体の知れないシンパシーを抱き、『自分と同類』として扱っていたように思う。当時の僕は奴の勢いに気圧されたのと、“誰か”の存在を察知していなかったのとでドン引きするしかできなかったし、それが精一杯の反応だった。更に言えば、声をかけてきた須藤竜也が僕等の敵対者というのも影響し、受け入れがたかったのであろう。

 

 

『そうかァ……! “お前”、『そこ』にいてずっと、このガキに入れ知恵してたのか! ()()()()()()()()に!!』

 

『――『向こう側』でも、『こっち側』でもない? 馬鹿言うな。だったら“お前”、『どこ』から来た!?』

 

『間違いは正さなくちゃいけないんだ! ――間違い(そこ)に如何なる幸福(りゆう)があろうとも!』

 

『“お前”だって、そう思ったから立ち上がったんだろう!? だから、狂った楽園(あくむ)に反旗を翻したんじゃないのか!?』

 

悪夢(ろうごく)と化した楽園(せかい)を壊そうとしたんじゃないのか!? 奪われたもの、失ったものすべてを取り戻すために!』

 

 

 虚空を見上げて百面相を口広げていた須藤竜也の姿がリフレインする。あのとき、須藤竜也は“誰か”の存在を知覚しているような言動をしていた。何なら、“誰か”と交信し、言葉を交わしていた可能性だってある。僕が当時の出来事を思い返していたことに影響されたのか、心の海の奥底で“誰か”が動く気配がした。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()()()()()()

 『()()()()()、『“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(……須藤竜也と同一扱いされるのが嫌なんだな……)

 

<アイツはどっちかと言うと丸喜側に近しい部類だろう。一緒にするな。反吐が出る>

 

 

 流れてくる思考回路、前よりも鮮明に聞き取れた“誰か”の声。

 やたらと刺々しい雰囲気を感じて、僕は肩を竦める。

 こんな風に、僕の思考回路に対して返答してくる頻度も増えてきたようだ。

 

 

「珠閒瑠の出来事から考えると、僕と繋がっている“誰か”の意識を放置しておくわけにはいかないよね」

 

「遅かれ早かれ、向かい合わなきゃいけないだろうな」

 

「その分、問題も多そうだけど」

 

「だな。何かの拍子に“誰か”に意識を乗っ取られたり塗り潰されたりした場合、状況によっては大変なことになりかねない」

 

 

 僕と至さんの脳裏に浮かんでいるのは、きっと同じ光景なのだと思う。

 

 何らかの理由で人間から異形に変じた者達の姿と末路の数々。ある者は『神』からの干渉によってペルソナに全てを乗っ取られ、ある者は『神』の御業の片鱗を望んだことで、ある者は『神』に見捨てられて、悍ましい異形へと成り果てた。人格を乗っ取られたり、人間としての知性や思考の一切合切を失ったりして、無差別に生き物を殺傷するだけの化け物へと墜ちたのだ。

 考え得る最悪のケースだし、僕の中にいる“誰か”はそこまでのことをやらかすつもりはないだろう。だが、“誰か”の思考回路が僕を使った自傷や他害に向いてしまった場合、僕やその周囲にいた人間、及び他害対象として見出された人間がどのような被害を被るかは未知数である。他にも危惧する点は幾らでもあるし、考えれば考える程キリが無かった。

 

 

<……流石に、お前をゴッド神取(あの)類にするつもりはないよ。僕だって、ああいうのはちょっと……>

 

<“菅原だったもの”や“竜蔵だったもの”は?>

 

<…………絶対嫌に決まってるだろ。あんな成れの果てに至るなんてゴメンだね>

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ……成程。“誰か”も僕と同じ考えを持っているようだ。僕だって『人間やめさせられた挙句、「ITAI」や「GSYA」と鳴く生き物に成り果てる』のは御免被る。

 更に言えば、『自分のルーツに関する一切合切を奪われた挙句、誰かの考えた“理想の幸福”を享受するだけの生き物に成り果ててしまう』というのも、なんだかうすら寒い。

 

 丸喜さんが作り上げた楽園は、確かに夢がある力だと思う。世界がもっと優しければ、人がもっと優しければ、世の中は確かによくなっていくはずなのだ。そうやって無邪気に信じていられる。誰だって、痛い思いなんかしたくない。辛い思いなんかしたくないに決まっている。

 沢山の後悔や苦悩があった。それが無かったら、多分、僕や至さんだって、もうちょっと能天気に生きていられただろう。そんな『もしも』を夢想しなかった訳じゃない。訳じゃない、けど――今手元にあるささやかな幸福の一切合切を対価として支払ってまで手にしたいものではない。あくまでも、ちょっとした夢想なのだ。それは。

 

 今ここにある世界を好き放題に変えたいわけじゃない。『向こう側』と『こちら側』のように大きく隔てられていても構わない。たとえ自分が触れることが出来ずとも、『どこかにそんな優しい世界があったらいいな』という、ささやかな願いと祈りを大切にしていたいだけで。

 

 

「それじゃあ、行ってきます」

 

「いってらっしゃい!」

 

 

 至さんに見送られ、僕は家を飛び出した。

 高校最後の夏休みは、今日も慌ただしく過ぎていく。

 

 

 

***

 

 

 

 双葉さんの【改心】を待つ傍ら、【怪盗団】は学生としての夏休みを謳歌していた。僕の場合は謳歌というより忙殺だけれど、ただ殺されてやるつもりはない。ああだこうだと言い訳――及び、一介の学生としての立場を強調し、ぎりぎり時間を確保しているような状況である。

 僕の態度は、獅童や冴さんからしてみれば苛立ちを募らせる要素にしかなり得なかったのであろう。2人は『所詮はお気楽な学生風情が』等と冷ややかな眼差しを向けてきた。勿論、嫌味も沢山吐き捨てられたので、僕の方だって苛々する羽目に陥っている。時間を融通してもらえるだけマシなのかも知れない。

 今回の一件で獅童が僕を切り捨てなかったのは、智明が『俺も彼の気持ちは分かるよ』等とフォローを入れたためらしい。不快そうにこちらを一瞥した獅童本人がペラペラしゃべってくれた。去り際に『智明に感謝して励め』と言い残していくあたり、親馬鹿を奇妙な方向に拗らせている。シュールな絵面であった。

 

 

『智明さんは、出席日数や課外は大丈夫なんですか?』

 

 

 『ずっと獅童先生のサポートをしていらっしゃるようなので、少し気になって』と疑問をぶつけてみれば、奴は目を瞬かせた。

 奴の目は、学業に対する関心が非常に希薄に思える。現職大臣の息子でありながら、学業や成績を疎かにしているのもそのせいだろうか?

 

 僕がそんなことを考えていると知ってか知らずか、智明は楽しそうに笑った。――と言っても、奴の顔は相変わらず“()()()()()()”ままなのだが。

 

 

『学業に関しては問題無いよ。それに、俺、父さんの仕事の手伝いをしている方が楽しいんだ。やりがいだってあるし』

 

『他の人と一緒に遊んだり、1人でゆっくり過ごすとかしないんですか?』

 

『全然。同年代の有象無象と話をしていても面白くないよ。……そういうことに浪費するより、自分にとって価値があると思うことに時間を費やしたいなって思うんだ』

 

 

 智明は僕から視線を外し、懐かしむように目を細める。

 奴が語ったのは、自分にとって有意義なことに対して全力投球するようになった理由。

 

 

『僕は3年前に事故にあい、1年間も昏睡状態に陥っていた。生死の境をさまよって、奇跡的に生還してから、人生観が大きく変わったんだ』

 

『無意味で無価値な時間を無為に過ごすより、自分にとって有意義だと信じられるものに全力投球することの方が大事だって思ったよ』

 

『一度死にかけたからこそ、自分が興味を持ったものや、良いと思ったことには積極的に取り組むべきだと感じたのさ。時間は有限なんだからね』

 

 

 獅童智明の話は、どこまでが本当なのかは分からない。奴は明らかに『神』の『駒』に連なる存在だ。認知を自在に書き変えることで“怜極学院高校の優等生”を演じている。実際、僕は奴の力によって認知を書き変えられた教師達の言動を見たことがあるのだ。

 智明は獅童からの依頼で、“獅童にとって都合の悪い存在を【廃人化】を用いて暗殺する”密命を帯びている。他にもメディア出演や獅童のサポートで飛び回っており、怜極学院高校に登校して来た様子は皆無。そのため、教師達はいつも『獅童智明の出席日数と成績』を問題として取り上げていた。

 しかし、日数が経過すると、誰もが皆『獅童智明は今まできちんと登校しており、成績も良好である』と口を揃えるのだ。異常を察しているのは僕だけである。……勿論、怜極学院高校の生徒や教師には一切報告していない。この場合、異常者扱いされるのは僕の方だと理解していたからだ。

 

 人間と似通った外見の持ち主だからと言って油断できないことは、ちゃんと分かっている。【力司る者】はその筆頭だった。智明にだって、方向性は違うが同じケがある。

 けれど、どうしてだろう。奴の顔も、奴の言ってることの正否も分からないのに、『自分にとって価値があると思うことに時間を費やすべき』という言葉には、()()()()と思ってしまったのは。

 

 ――『神』の『駒』としての思考回路や行動原理より、『獅童智明という人間の意志』を色濃く感じてしまったのは。

 

 

『……逆に訊くけど、明智くんはどうして全てを完璧にこなそうとするんだい? “無意味で無価値だと思っていること(学生生活や勉強)”にも力を入れているみたいだから、気になって』

 

『それは何もおかしくないと思いますけど……。僕は今しかできないことも、将来に備えるためにしなければならないことも、妥協したくないだけですよ』

 

『――いつ、何時、()()()()()()()()()()()()()?』

 

 

 智明の表情はよく見えない。けど、奴が今、無気味な笑みを浮かべていることは理解できた。奴は突然顔を近づけてきたので、僕は思わず面食らう。それに呼応するかのように、心の海の奥底がざわめく。

 

 断片的に流れ込んできた光景は老若男女の死体ばかり。見覚えのある人物――一色さんや秀尽学園高校の校長――もいれば、見知らぬ人の死体もあった。

 そうして最後に浮かんだのは、僕と瓜二つの顔をした青年とその認知存在。鏡合わせになった2人は銃の引き金を引き、銃弾の音を最後に光景は暗転する。

 

 2()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()

 【()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 1()1()()()()()1()2()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

 心の海を経由して流れてきた“誰か”の感情に息を飲む。僕は“誰か”の想いに反論する術も無ければ、こちらを見つめる智明が再び喋り出すのを止めることすらできなかった。

 

 

『ほら、明智くんは、最前線で積極的に【怪盗団】を追いかけているだろう?』

 

『【怪盗団】にとってキミは目障りな存在だ。“邪魔者であるキミを【改心】してしまおうと企てる”かもしれない。危険と隣り合わせの状況だよね』

 

『“そういう状況”に陥ったときに後悔したって、何もかもが遅いんだよ。――だからこそ、今のうちに、自分にとって価値ある人と有意義なことをして過ごしておかなくちゃ』

 

 

 智明が言葉を紡ぐ度に、心の海から感情と光景が流れてくる。“誰か”は智明の言葉から死を予感し、20XX年の11月後半から12月中盤のカレンダーを何度もリフレインさせていた。

 “誰か”に引きずられるような形で、僕はぞわぞわとした悪寒に身を震わせた。悍ましい存在がひたひたと近づいてくるようなソレは、ニュクス本体と対峙したときのものとよく似ている。

 

 奴は僕に2枚の紙を手渡してきた。頭がよく回らない状況のまま、僕は本能と反射でそれを受け取る。紙の正体は都内にある水族館のペアチケットだ。僕がのろのろと顔を上げれば、智明はにっこりと笑う。――勿論、奴の表情は見えない。

 

 

『父さんの知人から貰ったんだけど、俺には必要ないから。こういうのって、明智くんみたいなタイプの人にこそ必要だと思うからね』

 

 

 智明は満足気に頷いた後、『獅童との約束があるから』と言い残して去っていった。

 僕は黙ったまま、奴の背中を見つめることしか出来なかったのだ。

 

 話は変わるが、黙ったまま背中を見つめることしか出来なかった出来事は他にもある。

 

 その日は冴さんや足立と一緒に【廃人化】や認知訶学に関する資料を纏めていた。冴さんは相変わらず――いや、輪をかけて刺々しい空気を身に纏っている。彼女にとっては、一般の警察関係者も僕や足立のようなペルソナ使いも、等しく道具のように思っているのであろう。

 僕か足立の手が僅かでも止まると嫌味を投げつけてくる。『休憩する時間も惜しい』と主張する冴さんの形相は般若のようだし、人間の集中力の限界を超えようとしているかのように書類やPCに視線を向け続ける冴さんの執念はいつも以上に恐ろしい。

 未だ眠り続ける双葉さんのように、無自覚に限界を迎えて電池切れになってもおかしくない。僕と足立はどうにかこうにかして冴さんを宥めすかせつつ、人間的な労働時間を過ごそうと奮闘していた。勿論、調べものもきちんとしていたけれど。

 

 

『う゛う゛う゛……』

 

『新島検事、一旦休憩しましょう? 資料の扱い雑になってきましたよ』

 

 

 獣じみた声を漏らす冴さんに対し、足立が3回目の休憩を促したときだった。丁度そのタイミングで、奴の携帯電話が無遠慮に鳴り響いたのである。

 

 何事かと身構えながら電話番号を確認した足立は怪訝そうに眉を顰める。表示されていたのは秀尽学園高校の電話番号だ。【怪盗団】による【改心】が一番最初に発生した場所故に、【怪盗団】を追いかける警察関係者はこの番号を登録、もしくは相手先の施設名を把握しているのであろう。

 一般の警察官であれば、秀尽学園高校のことを『【怪盗団】発足と深い関りがある場所』として注視し、玉石混合だろうと気にせず情報を集めていくのかもしれない。だが、足立は僕経由で【怪盗団】の詳細を把握済みであった。

 

 奴の反応から見るに、秀尽学園高校からの情報を受け取る窓口や聞き込みは他の警察関係者に回していた――或いは押し付けていたのであろう。

 だから足立は、学校関係者が自分に電話をしてくる可能性を想定していなかった。故に、奴の表情へ繋がったのだと思う。

 学校からの聞き込みを可能な限り避け続けていた足立に連絡を寄越してくるとは、秀尽学園高校で何が起きたのだろうか?

 

 

『……大変申し訳ありません。お恥ずかしい話、僕は家族との折り合いがあまり良くなくて、実家とは没交渉なんです』

 

『里子である暁くんと顔を合わせたのは片手で数える程程度しかありません。ほぼ赤の他人である僕に連絡を寄越されても……』

 

 

 僕の位置からでは足立の声しか聴きとれないが、奴が厄介ごとに巻き込まれつつあることは理解できた。どうやら里子絡みで、彼に何かあったらしい。

 秀尽学園高校には足立の両親に引き取られた里子・暁も生徒として在籍している。学年は黎と同級生でクラス違い。彼女が転校してくるまで、学年1位だった優等生だ。

 

 

『――え? 『電話に出ない』って、どういうことです? 両親の番号は緊急連絡先として把握しているのでは?』

 

『……成程。僕のときより酷いな……あ、いえ、何でもないです!』

 

『分かりました。手続きや事後処理等は、僕が両親に代わって行います』

 

 

 話が進んでいくほどに困惑を隠さなくなった足立は、最終的に『面倒臭い』という本音を剥き出しにして電話を切った。

 学校関係者に対する応対と声色は人当たりの良さと苦労性を滲ませるだけで済ませたものの、奴の顔は何よりも雄弁に己の感情を発露している。

 しばしの沈黙の後、足立は僕と冴さんに向き直った。奴は申し訳なさそうに視線を彷徨わせた後、重々しく口を開く。

 

 

『新島検事。大変申し訳ないのですが、家庭の事情で早退せざるを得なくなりました』

 

『……驚いたわ、足立刑事。貴方、サボりの口実に里子を使うつもりなの?』

 

『違いますよ! なんで僕が、ほぼ赤の他人である里子を出汁にしてサボんなきゃいけないんですかァ!!』

 

『日頃の行い』

 

『聞こえてンだよこのクソガキ!!』

 

 

 僕と冴さんによる視線の集中砲火を浴びた足立曰く、先程の電話は里子である暁絡みの連絡だったという。

 

 暁は秀尽学園高校で行われている夏期講習に参加していた最中に倒れてしまったそうだ。主な原因は熱中症、ついでに睡眠不足と栄養失調とストレスの3コンボが上乗せされている。後者3つと暑さによって体力を失った結果、熱中症にトドメを刺されてしまったのであろう。

 学校にはエアコンや扇風機は設置されていたものの、節電等の事情で一定温度で運転されていた。自宅で冷房を効かせるよりも多少物足りないが、理論上『常日頃からよく食べよく眠り、水分をこまめに補給していれば乗り越えられる温度』とされている。

 秀尽学園側は“水分補給は休み時間のうちに行う”としつつも、『元々の体力やその日の体調等にリスクを抱えており、それを自己申告してきた』生徒の水分補給には目を瞑っていたそうだ。だが、真面目過ぎる生徒の場合、体調が悪くても我慢して悪化させてしまう場合もあるという。暁は真面目過ぎる生徒に該当していた。

 

 彼が参加していたのは、公務員や難関大学に進学しようとしている2年生――特に、目標は決まっているけど成績が振るわない生徒――向けの講習で、基礎学力の底上げを目的としている。

 しかし、彼は去年の学年1位を総なめし、今年は2位に甘んじていると言えども成績優秀者。どの教師も『彼が望めば何処へでも行ける』と太鼓判を押す人物だ。講習を受ける理由やメリットは薄い。

 

 

『今年の受験を控えてる真や明智くんはともかく、暁くんはまだ2年生なのよね? しかも学年2位の成績優秀者なんでしょう? 体調を崩してでも講習に参加しなければいけない程の状況とは思えない』

 

 

 足立の話を聞き終えた冴さんは、眉間に皴を寄せて顎に手を当てる。話を聞く限り、暁の状況は最悪だ。もしかしたら、朝の時点で体調不良を自覚していた可能性もあり得る。

 しかし、暁はそれでも夏期講習に参加することを選んだ。――いや、“選ぶしかなかった”のだろう。僕と足立は、暁の窮状の断片に触れている。

 

 

『参加を強制されたんでしょう。あの両親ならやりそうなことです』

 

 

 自身の過去に思いを馳せたのか、足立の目はどこか遠い。奴の過去は詳しく知らないが、今の僕と同年代の頃はガリ勉一直線で、常に将来の受験勉強ばかりだったと聞いている。暁も同じ――否、もっと悪い状況に置かれているのだろう。

 僕と足立が知っている限り、暁は夏休み直前の時点で生活費を削られていた。その後も更にペナルティが追加されたことは想像に難くない。今回の夏期講習参加や、熱中症で倒れる遠因となった睡眠不足・栄養失調・ストレスも、ペナルティ由来であることも明らかだ。

 しかも、足立の両親は暁を突き放しにかかっている。里子が重度の熱中症で病院送りとなったというのに、足立夫妻に電話が繋がらないのだ。その上、足立(息子)の携帯番号を無断で緊急連絡先として提出している。足立曰く、『僕の番号が追加されたのはつい最近』とのこと。

 

 つまらないミスで八十稲羽に左遷されることが決まった足立を『傷ついたダイヤ』と評し、『価値はない』と見なして容赦なく突き放した夫婦だ。今の足立夫妻にとって、里子の暁のことも嘗ての足立――『傷ついたダイヤ』で『価値はない』と見なしたのであろう。だから保護者の責任も放棄しつつあるのか。

 足立は非常に面倒臭がっていたのだが、連絡してきた教師に対して『手続きや事後承諾を保護者の代わりに行う』と自分で言ったのだ。後に引くことは出来ないと覚悟を決めたのか、死にゆく兵士みたいな顔をして冴さんに頭を下げる。冴さんは眉間に皴を寄せてため息をついた。

 

 里子の窮状についての実感は持てずとも、足立と奴の両親の関係性が不穏なものだということは冴さんも知っている。故に、今回は何も言わずに見送ることにしたようだ。僕も冴さんに倣い、奴の背中を見送った。

 

 

『はぁーあ。高校生のリア充が羨ましいなァ』

 

『何? 僕と黎への悪口? 喧嘩なら買うけど』

 

『違げーよ。入院した里子見てたら、僕も凛ちゃんに会いたくなっちゃってさー』

 

 

 ――その日の夕方、僕は足立から事の顛末を聞いた。

 

 暁は命に別状はないものの、元からの衰弱や熱中症の症状そのものが酷かったので、長期の入院が必要とのことらしい。足立夫妻は『入院費の支払いには応じるが、後で暁が自分で稼いで返すように』と言い残し、それっきり放置を決め込んでいるとか。

 保護者である足立夫妻が病院に近寄らなくなった代わりに、病院に甲斐甲斐しく足を運んでいるのは烏丸六花だ。暁を取り巻く状況はあまりよろしくないものの、六花の存在は彼の支えになっているようで、明るい表情を見せることが増えてきたという。

 

 

『――けど、不吉なんだよなァ』

 

『不吉って?』

 

『“暁が倒れたとき、僕の両親に電話が繋がらなかった”ってヤツだよ。……奴等そのとき、何処で何してたと思う?』

 

『“足立夫妻にとって『誰にも邪魔されたくない』くらい大事な用事があったから、携帯の電源切ってた”ってことは予想できるけど、これ以上は分かるわけないよ。勿体ぶらずにさっさと言えば?』

 

『うわ、相変わらず可愛くないガキだなー』

 

 

 ジト目で睨む僕に対し、足立は口元を歪ませる。堂島家を守るために凶悪犯を演じていたときと同じ歪な笑い方だ。

 しかしそれは一瞬のことで、次の瞬間、足立は真顔になった。酷く鬼気迫ったような眼差しに、僕もつられて息を飲んでしまう。

 奴の瞳は疑念と憂いで揺れている。それは、八十稲羽に残してきた恋人への愛情や思慕が根底にあるのだろう。

 

 

『八十稲羽で凛ちゃんと会ってたらしいんだ』

 

『不吉以外の何ものでもないじゃん……』

 

『僕の両親のことだから、何か変なこと吹き込まれた結果、自分で自分を追い込んでないか心配なんだよね。凛ちゃん本人に聞いても『何でもない』ってしか言わないし……』

 

 

 『あと少しで凛ちゃんに会えるのは嬉しいんだけど、なんかこう、なんかこう……!』――恋人との逢瀬への浮足立った気持ちと両親が蒔き散らかす不穏の予感に板挟みになった足立は、見事な百面相を披露していた。最近の多忙ぶりも加わって、情緒が迷子になっているのであろう。

 

 凛さんが東京にやって来るのは8月上旬で、3泊4日の予定らしい。

 勿論、僕には全く関係ないことだ。勝手に宜しくしてればよかろう。

 なんだか去年までの僕等みたいだなと思ったけど、それ以上深く考えないことにした。

 

 再び話は変わるが、佐倉家の双葉さんの部屋は南条コンツェルン関係企業による修繕が行われた。費用の大半が航さん持ちだが、直属上司の南条さんも佐倉さんに謝罪の意を示したという。結果、佐倉さんと双葉さんは、十数日間程、南条コンツェルン関連ホテルのスイートルームで生活することになったらしい。

 

 そんな話題を耳にしてから数日後、僕は獅童親子との会食に呼び出された。何の因果か、会場は佐倉一家が仮住まいとしているホテル。

 最初のうちは“こんなこともあるんだな”と軽く考えていたが、後々になって、その認識が甘かったことに気づくこととなった。

 

 

『…………』

 

『…………』

 

 

 会食を終えて去って行こうとした獅童と、ルブランを店じまいして仮住まい(ホテル)に戻って来た佐倉さんが鉢合わせた。――それだけなら、特に何も問題なかったはずだった。鉢合わせた両者が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 派手な睨み合いで火花を飛ばしていた佐倉さんと獅童だったが、最終的には“獅童が佐倉さんを無視して去っていった”ことで事態は決着した。その後ろを智明が追いかけていく。僕は笑顔を張り付けたまま、獅童親子の背中を見送った。対して、佐倉さんは敵意を露わにしていたが。

 

 獅童たちを乗せたリムジンが走り去るのを見送り、僕も黎に会いに行こうと思ったとき、佐倉さんに腕を掴まれた。彼の目は、どこまでも鋭い。

 

 

『――お前さん、どうして獅童なんかとつるんでんだ?』

 

 

 普段よりも一段階低い声で、佐倉さんは俺に問うてきた。その様は、“黎や双葉さんに害意を成す存在”を阻まんとしているように見える。

 多分、僕が思っている以上に、黎は佐倉さんと打ち解けたのだろう。今この瞬間、佐倉さんが“自ら黎を守ろう”と行動を起こす程に。

 佐倉さんが“獅童とつるむ明智吾郎”に危機感を覚えたのは、先程佐倉さんと獅童が睨み合いを繰り広げたところに意味がありそうだ。

 

 

『佐倉さんこそ、獅童正義――……っ、獅童先生とはお知り合いなんですか?』

 

『……昔、色々あってな』

 

 

 うっかり獅童のことをフルネームで呼び捨ててしまいそうになった。そんな僕の態度に訝し気に眉をひそめた佐倉さんは、絞り出すような声色で答える。

 漠然とした答えだが、佐倉さんの態度からして“獅童と関係があった”ことは確かだ。それも、“真っ向な敵対関係”に近しいものである。

 

 

『俺のことはいい。ともかく、だ。……お前さんにどんな思惑があるかは知らないが、悪いことは言わん。奴とは手を切れ、今すぐに』

 

『ご忠告、痛み入ります。僕を心配してくれるのは嬉しいですが、それはできません』

 

『年寄りの忠告には素直に従っとくべきだ。お前さんが太刀打ちできるような相手じゃないし、腰巾着になろうってんなら論外だ。下手したら、黎のヤツが泣くぞ?』

 

『僕は獅童から手を引くわけにはいかないんです。()()()()()()

 

 

 僕は佐倉さんの忠告に逆らった。どさくさに紛れて、獅童のことも呼び捨てにした。他者からの善を踏み躙るというのは申し訳ないが、僕にだって引けない理由がある。今度は僕と佐倉さんが無言の睨み合いを繰り広げることとなった。互いに譲れないものがあるからこそ、派手に火花を散らす。

 

 先に視線を逸らしたのは佐倉さんだった。彼は大きくため息をつき、ばりばりと頭を掻く。『若さってのは、怖いモンだ』と呟いて、僕を見返す。

 彼の眼差しは“僕に誰かの面影を重ねている”かのように感じた。複雑そうに彷徨う瞳は、今ここにいる僕ではなく、昔どこかで見た誰かを映しているのだろう。

 もう二度と帰ることのできない過去に想いを馳せているのだろうか? 真偽は不明だし、たとえ佐倉さんに問うても答えてくれないだろう。そんな予感がした。

 

 結局、佐倉さんはそれ以上何も言わずに立ち去った。僕も、特に意見することなく彼の背中を見送る。

 その日はルブランに行くことは叶わなかったので、自宅へ直帰してSNSでチャットをしていた。

 

 

吾郎:佐倉さんが泊まっているホテルで獅童と会食してたら、佐倉さんと獅童が鉢合わせた。

 

黎:吾郎がこんなメッセージを送って来たってことは、惣治郎さんが獅童に反応したってこと?

 

吾郎:激しく睨み合って火花を散らしてたよ。険悪な関係みたいだった。過去に何かあったことは明白だね。

 

黎:惣治郎さんの過去、か。それに関係する話を聞かせてもらったことはなかったな。

 

吾郎:あと、佐倉さんが俺に警告してきた。『獅童とつるむのはやめろ』って。

 

黎:情報ありがとう。機会があったら、惣治郎さんに獅童との関係を訊いてみるよ。

 

吾郎:かなりデリケートな話みたいだから、直接訊ねても答えてくれそうにないみたいだ。訊くときは注意した方がいいかもしれない。

 

黎:分かった。重ね重ねありがとう、吾郎。

 

吾郎:どういたしまして。少しでも役に立ったなら何よりだよ。

 

 

 黎のメッセージに返信した後、僕はふと思い至った。

 

 鞄をひっくり返して確認すれば、果たして思った通りの“ブツ”が――智明から貰った水族館のチケットが出てくる。お誂え向きとばかりにペア券で、使用期限も近い。しげしげとチケットを眺めていたとき、心の海の奥底が揺れる。流れ込んできた“誰か”の感情は、水族館という場所への不快感。それは“誰か”の嫌う楽園への嫌悪でもある。

 “誰か”は無言を貫いているけれど、十中八九、動物園や水族館のような箱庭施設が大嫌いなのだろう。“奴”が僕に見せる滅びの夢は、丸喜さんが作り上げた虚構の楽園が出てくるからだ。“誰か”にとっては、動物園や水族館で暮らす動物と丸喜さんの作った楽園を享受する人間達は、イコールで結ばれる存在のようだった。

 

 珠閒瑠市を訪れる前の僕も、どうしてか動物園や水族館は好きになれなかった。“誰か”の感情の影響を強く受けたという節もあったけど、僕自身が『飼い殺しにされるのは嫌だ』と思ったのもあった。珠閒瑠市で【JOKER呪い】に端を発した一連の事件に巻き込まれなければ、今でも水族館に対して不快感と嫌悪感を抱いていたであろう。

 ガラス1枚で隔てられた世界、『向こう側』と『こちら側』。滅びの夢は、僕等が知覚できず触れることも叶わぬ場所に隔絶された世界のどこかで、確かに存在している。『向こう側』が今どうなっているかを知る術はもう残っていない。達哉さんは9年前に、淳さんはつい3か月程前に、僕等を助けた後で『向こう側』へと戻っていった。

 珠閒瑠だけが遺された『向こう側』は、20XX年を迎えることなく滅びる。それでもきっと、あの世界に残された達哉さん達は、最期まで諦めずに抗い続けるだろう。『向こう側』の僕と黎も、きっとそうする。大人になれないという事実を突きつけられた上で、それでも繋いだ手を離すことはないのだ。――そんなことを考えつつ、僕はチャットにメッセージを書き込む。

 

 

吾郎:水族館のチケットを貰ったんだ。良ければ明日にでも、一緒に見に行かない?

 

黎:いいね、楽しそう。是非行こう。水族館とだけ言わず、色々な所に。

 

吾郎:分かった。明日、9時頃にルブランに迎えに行くよ。

 

黎:待ってる。デートなんて久しぶりだね。

 

吾郎:そうだね。何度も顔を合わせてるけど、【怪盗団】の面々抜きで遊びに行くのは久しぶりだ。

 

黎:1日中吾郎と一緒に過ごすのも久しぶりだと思う。

 

吾郎:確かに。明日が楽しみだ。

 

黎:私も。それじゃあ吾郎、お休みなさい。

 

吾郎:お休み、黎。

 

 

「っし!」

 

 

 SNSでのやり取りを終えた僕は小さくガッツポーズをとり、勢いそのまま明日の準備を始めた。

 着ていく服や水族館以外のデートプランを早急にまとめ上げねばなるまい。

 

 僕はタンスやクローゼットから手持ちの服をひっくり返して鏡に向き合う。多くの服や小物は2代目探偵王子・明智吾郎の爽やかなイメージを演出するために買い揃えた品物だ。白と青、パッと見て探偵を連想させるようなデザインのものや、アーガイル柄を基調にした清楚系のものが多い。だからと言って、僕の好みが1つも無いわけではないのだ。

 元々アーガイル柄は好きだし、秋冬に着る防寒着は代々トレンチコートだ。当時やってた探偵もののアニメ番組で、主人公の探偵が身に纏っていた服装に憧れた結果とも言える。母はそんな僕をきちんと見ていたようで、クリスマスプレゼントにトレンチコートとアーガイル柄のマフラーを買ってくれた。

 あれから時間が経過して、僕の図体は大きくなった。母から贈られたコートとマフラーは着古してボロボロになってしまい、手放すしかなくなってしまった。――けど、その思い出があったから、僕は今でもアーガイル柄が好きだし、秋冬の防寒着は自然とトレンチコートを選んでいる。至さんや黎もそれを尊重してくれて、冬場の贈り物に選ばれることもあった。

 

 勿論、今の季節は夏真っ盛り。防寒着なんて必要ないし、マフラーやトレンチコートの出番はまだまだ先だ。

 

 色々悩んだ末に、半袖のカッターシャツとネイビーの夏用ベスト、淡いベージュのスラックスを引っ張り出す。

 最終的には、探偵王子路線とも自分の好みとも言えるような言えないような、無難な感じに纏まってしまった。

 

 

「変装用に使うことが多い服は、デートの一張羅に向かないんだよなぁ」

 

 

 以前、メイドによるサービス代行体験やにゅうカマーに潜入した際に着た変装服――真っ赤なパーカーと黒いキャップに白いスラックス、そして真っ赤なブーツ――を視界に収めた僕は思わず苦笑する。見た目に寄らず動き易くて機能性がある服や靴だし、僕個人としても嫌いではないのだが、普段使いしにくいのが難点だった。

 

 2代目探偵王子・明智吾郎のセルフプロデュースにおける方向性とは真逆でインパクトがある。更に言えば、この格好の自分がデート時の黎の隣に並ぶと、絵面が大分酷かった。

 サービス代行体験やにゅうカマーでこの服装を引っ張り出せたのは、黎が『吾郎の変装に付き合う』と言って、僕が着てる服と同じ方向性の服を着て隣に並んでくれたからだ。

 彼女の服装――黒い七分丈のインナーに、少々オーバーサイズ気味で星柄が目を惹く白いTシャツ。所々に色褪せた部分がある黒いジーンズに、動き易い黒基調のスニーカー――を思い出す。

 

 そこでふと時刻を見れば、あと1時間で日付が変わる時間帯だ。服のことで想定以上の時間をかけてしまったらしい。大急ぎで品川周辺の情報収集を行ってデートプランを立てたが、全てが終わったのは日付が変わる1分前であった。

 布団に潜り込んで電気を消したタイミングで、スマホの日付が変わった。これで今日はデート当日である。早く寝なければ、朝の待ち合わせ時刻に間に合わない。でも、デートを意識しすぎた結果、異様に目が冴える始末。ままならない気持ちになった僕は再び電気をつけ、以前黎から譲り受けたアロマセットを引っ張り出した。

 

 

(この香り、好きだな。睡眠導入の効果も高いし)

 

 

 アロマデイフューザーにオイルをセットすれば、程なくして心地よい香りが部屋を満たす。

 何度か深呼吸してベッドの中に戻って電気を消すと、心地よい眠気に意識が微睡んできた。

 これなら気持ちよく眠れそうだ――そんな思考を最後に、僕はそのまま眠りについたのであった。

 

 

 





 “()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 1()1()()2()0()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 ()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 ()()()()()()。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()1()2()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 ……()()、“()()()()()、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


<…………>


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 ()()()()()()()『“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
 ()()()()()()()――“()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


―――


魔改造明智の夏休み、前半戦です。それに伴って様々なイベントや描写が加筆されることと相成りました。何やら意味深な言葉で煽ってくる(言った側の自覚や悪意の有無は不明)智明、両親の暗躍や里子の窮状に思うところがある魔改造足立という不穏要素が該当します。
リメイク前との違いは、夏休み期間中に魔改造明智が『“誰か”と向き合う覚悟を決め、“誰か”が危惧する滅びの夢・理不尽な罪と不条理な罰から齎される破滅を乗り越えるという意志を固めたこと』でしょうか。これがどう影響するかは次回以降に持ち越しとなります。
次回は夏休みの中盤~後半戦を予定。“誰か”側の世界と魔改造明智側の差異、魔改造明智を取り巻く人々とのやり取り、元気にイチャつくバカップルのあれこれも、生暖かく見守って頂ければ幸いですね。今後もリアルの状況と相談しつつ書き続けていく所存です。

画力がクソだけど表紙絵描きたくて、ペンタブ引っ張り出したり、デッサンドール系のフリー素材に触ってみたりしています。特に後者は意外と楽しくて、意外と時間泥棒なことに気づきました。
今月末にはSwitch版のP5Rも発売されますね。新規ユーザーが増えて、そこからまた二次創作界隈が盛り上がるのが楽しみです。怪盗団と明智がわちゃわちゃする小説、もっと増えないかな……。

……まあ、『明智は救済しない方が絵になる』し、『P5R本編で丸喜の救済を拒んだからこそ、“ライバル枠”としてより一層完成した』のも事実なんですけど。

神取と足立を足して、神取風味を多く取り入れたようなタイプに思えるんですよね。特にR明智は、『ニャルラトホテプに反旗を翻した結果、人間として死ぬ権利を得た神取』っぽい感じがします。
神取は(神取なりに抗ったけど)破滅する運命を受け入れてしまったから、死後も永遠にニャルラトホテプの『駒』として使われ続けることが確約されてしまったのかもしれません。
明智は(破滅の運命を受け入れながらも)最後まで『自由』を求めて抗い続けたから、現実世界での生死不明と引き換えにヤルダバオトや丸喜の『駒』から解放されたのかなと思いました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。