Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn- 作:白鷺 葵
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
名前:
名前:
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。オリキャラ同然になっている人物もいるので注意してほしい。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
ピアス:
罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
キタロー:
ハム子:
番長:
・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。
幼い頃の僕は、水族館や動物園等の箱庭系施設が好きではなかった。
彼等は人間の都合で水槽や檻へと集められ、人間の都合で生かされている。本来ならば野生の生き物として広い自然の中を悠々と生きていたはずの生き物が、“人間と言う管理者の世話が無ければ生きていけない存在に成り下がっている”という姿に、薄気味悪さと憐みを抱かずにはいられなかった。
狭い箱庭の中で安寧を享受する存在に成り果ててしまった魚や動物達の姿を見せつけられる度に、『愛情を持って接しています』だの『この子たちの幸せを常に考えています』だのと宣う飼育員の満足気な表情を見る度に、言いようのない嫌悪感を抱いたものだ。反吐が出そうになったとも言う。
そんな僕の意識が変わったのは、至さんの都合で珠閒瑠市に住んでいた頃に発生した出来事――9年前に発生した【JOKER呪い】を端に発した事件に巻き込まれたことがきっかけだ。
『珠閒瑠市以外のすべてが滅び、珠閒瑠市も数年以内に緩やかな滅亡が確約された世界』という、どこをどう見ても絶望しかない世界の存在に触れた僕達は、破滅と向き合うことになった。
滅びの夢から『こちら側』へやって来た達哉さんと過ごしたのは短い時間だったけれど、己の全てを燃やし尽くして、世界と愛する人を救い、罪を清算して去っていった背中は今でも忘れられずにいる。
『――俺、『向こう側』へ帰るよ』
『淳は約束を守った。……今度は、俺の番だ』
全てを終えて、彼はあるべき場所へと帰っていった。
『私、忘れない。もう絶対、あなたのことを忘れないわ……!』
『約束する! 淳は俺が――お前の代わりに、お前の分まで、絶対に守ってやるからな……!』
達哉さんの努力は、ほんの少しだけ報われた。3人のうち2人の仲間が、滅びの世界での出来事を思い出したためだ。けれど、それは達哉さんが望む
達哉さんからしてみれば、『向こう側』で一緒に戦った仲間達には何も思い出さないまま、平和な日々を過ごしてほしかったと思う。穏やかな日常を謳歌して貰いたかったのであろう。
けど、全てを思い出した栄吉さんとリサさんは、『思い出せてよかった』と言い切った。『もう二度と、『向こう側』の出来事や、『達哉さんが『こちら側』を救ったという
『こちら側』の世界が『向こう側』を再現し、滅びが確約されてしまわなくて済んだのは、『向こう側』の出来事を把握し、滅びを回避しようと足掻いていた達哉さんがいたからだ。『向こう側』がリセットされた際、強い後悔や無念を抱いた人々の想いがデジャ・ヴュという形で『こちら側』の自分達に託されたからだ。
大きな理不尽に直面しても尚、『忘れたくない』、『なかったことにしたくない』と願った――それが、無垢なる罪による滅びの始まりであり、滅びの夢に端を発した大いなる罰を覆す唯一無二の対抗策。沢山のしがらみによって逃げを選び続けた少年少女や大人達が向き合うことを選んだからこそ、この世界は今も営みが続いている。
<“
『自分も一緒に行く』と泣いて縋った舞耶さんにキスをして、鳩尾に一発喰らわせ昏倒させて、周防刑事や僕達に舞耶さんを託して『向こう側』へ還る達哉さんの姿を目の当たりにしたとき。
<“
僕達と別れた舞耶さんが、信号待ちの横断歩道で達哉さんを見つけた際、何も言わずにすれ違うことを選び、去っていく彼のバイクを見送った姿を目の当たりにしたとき。
<
バイクで走り去る達哉さん、横断歩道の向こう側へと去っていく舞耶さんの姿を見送った至さんが歩き出した背中を追いかけようとしたとき。
僕はどうしてか、そう叫びたいと思った。そう嘆きたくなった。そう言って泣きたくなったのだ。
当時の僕はその理由を言葉にすることができなかった。何かに突き飛ばされるような感じだったことは覚えている。
けれど、今なら――“誰か”の存在を知覚することができて、意識するようになったことで気付いた。
本当に
ガラス一枚隔てた先に広がる箱庭。海を模した小さな世界に薄ら写る自分の姿を通して、僕はそんなことを考える。
「こういう場所に来るのは久しぶりだ。……チケットを貰わなかったら、もう暫くは、こういうところに来なかったかもしれない」
「吾郎が水族館や動物園に誘うときは、いつも『向こう側』に思いを馳せるときだったね。ここ最近の出来事で、何か思うことがあったの?」
「まあ、そんなところ」
黎の言葉に僕は苦笑した。流石は僕の生涯の伴侶、僕の行動原理はお見通しである。嬉しい気持ち半分、情けなくて不甲斐ない気持ち半分という複雑な心境だ。
多分、獅童智明から水族館のチケットを譲り受けなければ、僕は黎を水族館に誘わなかったと思う。勿論、黎が良い返事をしてくれなかったら、今日ここに来ることも無かった。
黎を出汁にして巻き込むような形になってしまったけれど、水族館に行く――もとい、触れることができないけれど存在している世界に思いを馳せるには、丁度いい機会だったのかもしれない。
「……でも、いつもとはちょっと違うかな。『向こう側』とは違う世界で起こった滅びの夢だから」
魚達が泳ぎ回る水槽へ手を伸ばす。勿論、直でべたべた触るような真似はしない。触れるか触れないかの距離で手を止めて、向こう側の景色を――水槽の内部で泳ぎ続ける魚の姿を通して、“彼”が見てきた滅びの夢へと思いを馳せた。
「ウチの学校にいる丸喜先生の旦那さん――黎には、秀尽学園高校で臨時カウンセラーとして招かれた丸喜さんって言ったほうが分かりやすいかな?」
「知ってる。鴨志田がセクハラで逮捕された直後に赴任して来た先生だね。ちょっと抜けてるところがあるけど、穏やかな人だよ。丸喜先生がどうかしたの?」
「……一言で言い表すとするなら、『『神』になろうとしてた』かな」
きょとんと首を傾げた黎に、僕は手を下ろして彼女の方に向き直る。“彼”から見せられてきた地獄絵図を頭の中で思い浮かべながら、僕はかいつまんでそれらを説明した。
黎は僕の話を遮ることはなかった。時には相槌を打って話を促し、時には神妙な面持ちで耳を傾けてくれる。――それだけでも、僕にとっては救いだった。
“彼”が生きていた世界では、丸喜留美先生と丸喜拓人さんは結婚できなかった。丸喜先生――『向こう側』の留美さんは強盗殺人事件で両親を失い、自らも犯人に襲われたことで心を壊して廃人状態になってしまう。それを救いたいと願った丸喜さんがペルソナを覚醒させた結果、留美さんは記憶の改竄――丸喜さんごと事件の内容を忘れる――によって正気を取り戻す。
勿論、その姿を――或いは闘病中、ずっと苦しみ続けた留美さんの姿を間近で見ていた丸喜さんも、強いショックを受けた。愛する人を救いたいという望みは叶ったが、恋人は自分諸共事件のことを忘れ去ってしまったのだ。その衝撃と混乱に気圧されたのか、丸喜さんは留美さんの前から逃げるような形で関係を断ち切っている。ある種の自己犠牲と言える選択だった。
しかし、結局、留美さんは心因性の病が原因で亡くなってしまう。以後、丸喜さんは我流によるペルソナ能力の鍛錬や自身の研究を完成させるために邁進した。だが、後者は、研究を絶賛していたはずの教授の掌返しが原因で総すかんを喰らってしまう。しかも教授の心変わり――もとい裏切りは、大物政治家・獅童正義に丸喜さんの研究論文を献上するために行われた工作だったのだ。
理不尽な現実によって何度も打ちのめされた丸喜さんは、それでも諦めなかった。大学から追い出されるような形で卒業した彼は、カウンセラーとして働く傍ら、細々と個人で研究を続けた。そして、ついに研究を完成させた。丁度そのタイミングで丸喜さんのペルソナが覚醒・『向こう側』のペルソナ使いが悪神を倒した隙をついて、異世界を乗っ取ってしまう。
「丸喜さんが作った世界を良く言うなら、『艱難辛苦とは無縁の世界』――悪く言えば、『この世界に生きる人々すべてにとって、都合のいいことしか起こらない世界』、もしくは『幸福であることを強要される世界』かな。特に“彼”は、丸喜さんの作った世界を徹底的に否定してた」
「どうして? 幸せになること自体は悪いことじゃないと思うけど――」
黎はそこまで言って、ハッとしたように目を見開いた。
「……もしかして、“彼”が丸喜先生の作った世界に異を唱えた理由は、『“彼”自身が『幸福』だと定義した出来事とそれに関する過程や経緯が、丸喜先生の定義する『幸福』の形と全然違っていた』から?」
「その通り。丸喜さんは“彼”が定義した『幸福』に纏わる出来事と、それに関する過程や定義を『幸福』として認めることができなかったんだ。だから、ペルソナの力でそれらを改竄しようと試みた」
「“丸喜先生が考える『幸福』を“彼”に押し付け、“彼”自身の『幸福』を奪い取ろうとした”んだね。だから、幸福の強要なんだ」
「“彼”はそれを『飼い殺し』と断じて全面的に否定してたけど、黎はどう思う?」
「うーん……難しい話だね」
考え込む黎の横顔を見た途端、胸の底がざわめく。靄のような、漠然とした不安感が纏わりついてきた。
けれどそれは僕のものではない。出所は僕の心の海の奥底、その向こう側――僕と共に生きてきた“誰か”のものだ。
“誰か”は5月の頃――正確に言えば、黎と丸喜さんが接触したときから、彼に対して強い敵愾心を抱いていた。それと同時に、丸喜さんと黎が距離を縮めていくことを不安視している節もあったか。
どちらもここ最近鮮明になった夢の内容からして、“彼”が目の当たりにした滅びの夢が由来だった。理不尽な現実を【曲解】で塗り潰し、今までの艱難辛苦ごと消し去ろうとした優しい狂人。人の身でありながらも『神』を目指した教皇が、楽園の成就のために行使した強大なペルソナと、その力によって倒れた少年少女。残されたのは“彼”1人で、“彼”もまた、成す術無く倒れるしかなかった。
他にも、自分の正義を押し通すためならば、ありとあらゆる手段を講じて相手の意志を曲げにかかる。自身の力によって幸福を得た人々の姿や、他者のトラウマを抉って苦痛に苦しむ姿を見せつけるだけではない。【曲解】の力を行使すれば、死者すら再現することが可能だ。彼等は丸喜さんが作り上げた現実の中でしか活動できないため、丸喜さんと戦うことは彼等を再び殺すことに直結する。疑似的な人質。
<…………>
“彼”は沈黙を保ったままだ。殺気にも似た鋭い気配を蒔き散らかしながらも、何かに縋るように、或いは祈るように、黎の横顔に意識を向けている。
僕もそれに気圧されるような形で沈黙を保っていた。黎がどんな答えを出すかによっては、“彼”の反応も大きく変わるだろう。
もしも黎が丸喜さんの正義を全肯定してしまったら――“彼”の感情に塗り潰されてしまった僕が、黎に何をしてしまうのか分からない。
僕は“彼”を止めることができるだろうか。この場で大きな問題を起こしてしまうのは避けたい。そんなことを考えつつ、黎の反応を待っていた。
一瞬の間だったのか、あるいは数時間が経過したのか。体感時計がまともに機能しなくなってから幾何の時間が過ぎ去っただろう。
黎が口を開き、言葉を発するのが酷くスローモーションのように思えた。ワンテンポ遅れて、僕と“彼”は彼女の言葉を理解する。
「でも、本人がハッキリ拒否しているのに、無理矢理言うことを聞かせようとするのは間違ってる」
“
“誰か”の“大切な人”もまた、理不尽な現実に叩きのめされながらも、『忘れたくない』、『なかったことにしたくない』と願った出来事があった。だから、丸喜先生の正義を否定した“彼”と共に戦うことを選んだ。それに触発された仲間達もまた、“彼”や“彼”の“大切な人”と共に戦う道を選んだのだ。
そんな“大切な人”の決断を――“誰か”と同じ選択をし、同じ志を抱き、同じものを見ていた“大切な人”と共に過ごす時間を、ひいては“大切な人”の笑顔を、“誰か”は曇らせたくなかった。
同じ選択をし続けて、同じ志を抱き続けて、同じものを見続けて欲しいと願った。最後の最期――丸喜さんの作った箱庭が消滅する瞬間まで、自分が認めた好敵手としての姿を見ていたいと願った。
それと同じくらい、思ったのだろう。『もうこれ以上、“大切な人”に嘘をつきたくない』、『どの面下げてと言われようとも、今度は最期まで誠実でいたい』、『共に戦う存在でありたい』と。
だから、“彼”は何も言わなかった。言いたくなかったのだ。……今の僕と同じように。
(……言えるわけないよ。『自分が丸喜さんに生き返らされた存在で、彼が作った偽りの現実内でしか存在できない』なんて、そんなこと……)
もしも僕が“誰か”と同じ立場だったら、黎に本当のことを言えただろうか。獅童と僕の血の繋がりのことを告げられず、躊躇い続けた僕に、それを言う覚悟が持てただろうか。
そんな目にあったことのない僕には想像することしか出来ないし、それが無意味に時間を浪費するだけのことであるのは事実。当事者にならない限り、直面し、判断を下す土壇場まで、答えは出ないだろう。
現に“誰か”も、最後の最後――丸喜さんが“大切な人”との戦いを回避し、自分の正義に賛同させるための切り札としてその話題を切り出してくる瞬間――まで、そのことを言い出せなかったのだから。
「『向こう側』の丸喜さんが掲げた正義は“無理やりにでも人を『幸福』にすること”。しかも、その『幸福』が“丸喜先生の考える形の理想の『幸福』”とは違う場合、そう思っている事実すらも無理矢理捻じ曲げてしまうんだ。捻じ曲げられた本人は、ちょっとやそっとのことじゃその事実に気づけない」
「――
彼女の言葉に息を飲んだのは、どちらの方だったのだろう。弾かれたように黎を見れば、彼女は確信を持った眼差しを向けてきた。
黎の言った内容は、“誰か”から見せられた滅びの夢で実際にあったモデルケースだ。『向こう側』の世界にいた芳澤すみれさん、“誰か”の“大切な人”が率いた仲間達、そして――“誰か”自身が、丸喜さんの交渉カードとして使われた手札だった。特に“誰か”が、丸喜さんにとっての最大の切り札だったらしい。
“誰か”が見出した“大切な人”の根っこは善人であり、心優しい人物であった。他者を踏み躙って嗤う連中を赦すことが出来なくて立ち上がった正義の人であった。それ故に、丸喜さんから突きつけられた交渉材料を目の当たりにして、葛藤しないわけがない。
件の人物は散々悩んだ後、最終的に丸喜さんの正義に否を唱えた。『理不尽だらけの現実へ帰る』と自らの意思で選んだ。最後まで、“彼”と同じ目的のために、同じ志を抱き、同じ相手を倒すべき存在と見据えて、共に檻を壊すことを選んだのだ。――善意の脅迫を跳ねのけて。
「善意で人を脅せるようになってしまった時点で、『向こう側』の丸喜先生が歪んでいることは事実だよ。恐らく、その歪みは【改心】でもさせない限り解消されなかったと思う」
「そうだね。だから、“彼”含んだペルソナ使い達は『向こう側』の丸喜先生と対立することを選んだ。でも――」
「――負けてしまったんだね?」
黎の言葉に僕は頷き返す。話を始めた時点で滅びの夢と言ったのだから、“誰か”と丸喜さんの戦いの顛末は敗北一択しかありえない――黎はそれを察していたようだ。
「本来なら、“彼”は【曲解】に塗り潰され、『向こう側』の丸喜先生が考えた理想の現実を享受するだけの住人として作り替えられるはずだった。でも、何らかの抜け道があって、“彼”は幼い頃の吾郎に宿り、私達と行動を共にしてきたってこと?」
「……凄いな。最後まで言い終わる前に、結論を言い当てられるなんて思わなかった」
「最初は、1人でそのことを考えるつもりだったんだ」と零した僕は、苦笑しつつ付け加える。
「でも、黎が一緒にいてくれてよかったと思ってる。僕1人で考えてたら、きっとドツボに嵌ってただろうし。……1人で考えて決断してきた“彼”には、失礼なことだとは思うけどさ」
「そうかな? 寧ろ、『
「……気のせいかな。なんか、黎の考える“誰か”像、解像度高い気がするんだけど」
心なしか、黎は“誰か”のことについて何かしらの確証を持って話しているように感じる。僕が探るようにジト目で見返せば、黎は何とも言い難そうな表情で視線を彷徨わせた。こういうときの黎は、良くも悪くも“隠し事をしている”ことが多い。そして、それに対して僕への負い目を感じている。伊達に12年間、互いのことを想いあってた訳ではない。
僕は思わず黎に問いかけようとしたが、今までの出来事――僕自身が何も話すことが出来なくて葛藤し続けた日々――が脳裏をよぎった。6月までの僕は、彼女に冤罪を着せた獅童正義との親子関係を話す勇気が持てず、ずっと言い訳ばかりを繰り返してきた。黎に辛い思いを味合わせたクソ野郎の息子だと知られてしまい、一緒にいられなくなるのが怖かったのだ。
この場で僕が黎を問い詰めるのはフェアじゃない。僕が思い悩んでいたとき、黎は『話せるときが来たらでいい』と言ってくれた。僕が自分の口から話せるようになるまで待っていてくれたし、話した後も何かを咎めることなくすべて受け入れてくれた。『一緒にいよう』とまで言ってくれた。……それが、どれ程救いだったか。
僕を伺うような眼差しに対し、僕は静かに微笑み返す。嘗て僕が黎にそうして貰ったように。
『話せるときが来たらでいい』、『何があっても、ずっと一緒にいよう』と言ってくれたように。
「ごめん。何か困らせるようなこと言っちゃったみたいで」
「謝るのは私の方だよ。今はまだ、ちょっと言いづらいんだ。ごめんね」
「大丈夫。無理しなくていいよ。話せるときが来たらでいいし、何なら僕以外の誰かを頼ってもいい。……そりゃあ、一番に僕を頼って貰えたら嬉しいけど、無理強いするつもりはないから」
「……ありがとう。吾郎」
僕から追及されないと悟った黎は申し訳なさそうにしていたけど、それ以上に僕からの信頼を実感できたのが嬉しかったらしい。照れ臭そうに口元を綻ばせた。
そんな風に笑う黎が愛おしくて、僕もつられて笑みが零れる。大切な人が僕の隣にいてくれて、僕からの信頼を受け止めてくれて、嬉しそうに微笑んでいる――なんて幸せな光景だろう。
細やかな幸福を噛みしめれば噛みしめる程、強くありたいと思うのだ。『黎を守れるような人間でありたい』と、『黎の隣にいられるような自分でありたい』と思うのだ。
彼女と一緒に生きる未来を望むからこそ、僕は“誰か”と向き合おうと思った。僕と黎に降りかかるであろう破滅を乗り越える――そんな決意を抱いて前を向く。
僕の眼前には水槽のガラス――ひいては、ガラスを隔てた向こう側にある海の世界が広がっている。正確に言えば、そこは“一部の海域を再現した箱庭”だ。切り取られた世界では、その海域に生息している複数種の魚達が悠々と泳ぎまわっている。この箱庭こそが世界のすべてだと信じ、安寧の中で生き、死んでいく。“誰か”はそれを『飼い殺し』と言い、蛇蝎の如く嫌っていた。
僕だって、魚達に対する憐みがないかと言われればNoである。但しそれは、『箱庭施設の真実を知っている』という前提があってこその感想だ。同時に僕は、その世界の中で全力で生きた命があることを知っている。超えられない壁の向こう側、もう届かないし観測も出来ない場所。それでもどこかで続き、いずれ滅ぶことが確約されている『向こう側』の世界を知っている。
(触れることが出来なくとも、部外者にしかなれないにしても、それでも僕は知っているんだ。『どの世界でも、そこに生きる命は、必死になって
箱庭を嫌う“誰か”もまた、超えられない壁の向こう側――僕の知らないどこかの世界で、己の命を燃やして生きた。誰が見ても十中八九「憐れな結末」と言いそうな終わり方だった。
でも、“彼”は自分が生きた人生を守りたいと願い、その人生を歩んだ結果手に入れた幸福を奪われたくないと願い、丸喜さんの作った楽園を否定した。
自分の存在が丸喜さんの【曲解】によるものだと知りながらも、“誰か”の愛した“大切な人”にとって都合の悪い現実の権化に成り果てても、自分が消えると理解していても、現実への帰還を貫いた。
“彼”の行動に対して、思うところがないわけじゃない。覚悟を決めるために沢山の物を切り捨てて、沢山のことから目を背けて、傷だらけになることも厭わずに突き進んだ――そんな“彼”の全てを肯定するには、僕は生ぬるい世界で生きてきた。沢山の人に囲まれ、助けられながら生きてきた。
どちらの人生が正しいのかとか、優れているのかとか、そんな話はナンセンスである。“彼”には“彼”の地獄があって、僕には僕の地獄があった。“彼”は“彼”なりに『納得のいく人生だった』と肯定しているし、僕にだって『リセットしたくない』と思うくらいには、自分の人生に愛着を持っている。優劣だって甲乙だって付け難いし、ホイホイ付けていいものでもない。
――だけど。
「僕、正直、羨ましかったんだ。“彼”のことが」
水槽のガラス――いや、ガラスにぼんやりと映る僕自身の虚像を見つめながら、僕は訥々と“彼”への気持ちを零す。
「だって彼は、1人で何だってできた。やってたことは褒められる内容じゃないけど、己の意志を最期まで貫ける強さを持ってた。そのくせ、言葉のチョイスは攻撃的で苛烈だったけど、“大切な人”の手を引いて、背中を押してやれるような優しさがあった。素直さは欠片程しかなかったし回りくどかったけど、“大切な人”に対しては深い思慕や愛情を示してた。……僕じゃ敵わないって、今でも思ってる」
「そうなんだ。吾郎は“彼”のこと、認めてるんだね」
「うん。――“彼”が出した【命のこたえ】もまた、尊いものだった。僕じゃあ到底、辿り着くことなんかできないくらいに」
己の人生を燃やし尽くした“彼”の人生は、まるで流星のようだった。見た者へ一瞬の煌めきと鮮烈な記憶を残し、闇の中へと去っていく。
そんな“彼”が愛した“大切な人”の在り方は、北極星のようだった。夜空に在り続ける不動の星は、暗闇を行く“彼”にとっては標そのものだった。
……だから“彼”は、“彼女”の標になろうとしたのかもしれない。“大切な人”が“彼”を人生を照らし、地獄の中に一抹の光を差し込ませたように。
“彼女”と出会ったことで葛藤し、傷だらけになって、命を落とすことになったとしても、“彼女”と共に過ごした日々が“彼”にとっての【オタカラ】だったから。
『“彼女”にとっての“自分”も
「――ならば、猶更、『向こう側』の丸喜先生の正義や【曲解】を認めるわけにはいかないよね。“誰かが辿り着いた【命のこたえ】を勝手に塗り替える”なんて、やっちゃいけないことだもの」
「そうだね。僕達はまだ【命のこたえ】を見つけてないけど、【命のこたえ】を出すまでの経緯やその尊さくらいは知ってるつもりだから、猶更だ」
真剣な面持ちで頷く黎の姿を横目で見つつ、僕も頷き返す。
脳裏に浮かんだのは今までの旅路。『神』に振り回されながらも日常を積み重ね、困難や破滅を乗り越えて、未来を手にした先輩達の背中だ。
あの旅路には確かに苦痛があった。先輩達は沢山傷ついたし、乗り越えた今でも「忌まわしい」と思っている出来事だってあると思う。
それでも――先輩達はきっと、丸喜さんの正義に異を唱えるはずだ。【命のこたえ】の価値を知っているからこそ、『それを覆されたくない』と願うだろう。
僕がそんなことを考えていたとき、不意に、心の海の底が脈打った。
それに導かれるように視線を動かせば、ガラスに映る僕の姿がジワリと滲む。
<――え?>
気づけば、そこは水族館ではなかった。ほぼ透明な膜一枚を隔てた向こう側には、夜明けを迎える前の空中庭園が広がる。青い燐光が瞬く中で浮かび上がったのは、黒い甲冑に身を包んだ青年だ。
“彼”は暫し僕を見ていたが、おもむろに甲冑――否、顔の仮面を外す。僕と瓜二つの顔立ちが露わになった。僕が目を見開いたのと同時に流れ込んできた光景は――恐らく、“彼”の過去。
母を亡くした“彼”は親戚の家を転々とした。どの親戚も“彼”を邪魔者として扱った。最後に“彼”を引き取った親戚は『高校進学は寮付き・無利子の奨学金を得られる場所のみ認める』と言いながらも、“彼”の勉強を妨害してくる始末。“彼”がそれを跳ねのけて超有名な進学校に合格すると、掌を返したように絶賛し援助を申し出てきたが、それを振り払うようにして上京・進学を果たした。
その後、ふとした拍子で第5世代のペルソナ能力を開花させるも能力が暴走させてしまい、意図せず“認知世界を用いた殺人”を引き起こしてしまう。そのプロセスを目の当たりにした“彼”は自分の力に恐れ戦くも、『この力を使えば実父に復讐することが出来るのではないか』と思い至ってしまった。以後は実父に取り入って力を悪用しながら、転がるようにして成功者としての道を駆け上がる。
そんなとき、“彼”は実父から“ある少女”の話を聞いた。“実父に手籠めにされそうになった女性を助けた結果、今度は自分が手籠めにされかけるも屹然と断った”ことが、奴の癪に障ったらしい。奴は“少女”に冤罪をでっち上げて人生を滅茶苦茶にしてやったと言う。奴は未だに“少女”のことを根に持っており、“彼女”が『地元から追われるようにして、1人上京した』ことを突き止めていた。
最も、奴が“少女”に対して執着していた期間は短く、数日もすれば“少女”のことなどすっかり忘れ去っていた。“彼”もまた、実父と同じく、“少女”への関心を失っている。――しかし、巡り合わせとは奇妙なもので、“彼”は“少女”に注視することとなった。
認知世界を用いて人助けを行う集団が現れた。その集団は、認知世界を悪用する実父や“彼”にとって都合が悪い存在である。件の集団を潰すために行動を始めた“彼”は、その頭目と遭遇する。――その人物こそが、実父が冤罪を着せた“少女”だった。“彼女”を殺すために近づいた“彼”だったが、“彼女”との関係を深めていくにつれて、“彼女”に惹かれていく。
復讐と想いを寄せる“大切な人”との板挟みになりながらも、結局“彼”は実父への復讐を諦めきれなかった。泣く泣く“彼女”を犠牲にしたけれど、“彼女”に出し抜かれたことで『騙された』、『裏切られた』と感じて激高。“彼女”と激闘を繰り広げた末に敗北するも、『全てを知った上でも尚、“貴方”を愛している』と言われたことで本心を自覚する。
けど、“彼”が“彼女”の手を取った刹那、刺客が現れる。
そこで“彼”は『実父が最初から“彼”の正体を知っていたこと』、『知っていて、“彼”のことを殺そうとしていた』ことを知らされた。
万事休すとなった“彼”は、何の迷いもなく自分自身を切り捨てた。“彼女”の手を振り払い、“彼女”とその仲間達の活路を開き、刺客と相打ちになる。
だが、“彼”は目を覚ました。丸喜さんによって作られた偽りの現実に、偽りの記憶――“自分”は助かった――を植え付けられて、歪んだ世界に放り出された。
再会を喜び涙を流した“彼女”の姿を目の当たりにし、『借りを返す』と言った“彼”の決意や決断を慮ってくれた“彼女”の笑顔に背中を押された“彼”だからこそ。
『自分は既に死んでいる』ことも、『丸喜さんによって蘇らされた』ことも、『丸喜さんの作った理想の現実が消えたら、それに伴って消滅する』ことも言い出せなかったのだ。
紆余曲折の末、それは丸喜さんによって暴露された。“彼女”は大いに葛藤するも、最後は“彼”を裏切らないでいてくれた。傷つくだけだと分かってて、苦しいだけだと分かってて、全てを理解した上で、“彼”を愛し続けることを選んだ。“彼”と未来の話をしたのだ。
そうして激闘の末、“彼”は丸喜さんに負けた。彼の【曲解】に塗り潰され、彼が齎す幸福を享受するだけの存在に成り果てる――そのはずだった。
“彼”は人ならざる者に拾われ、彼等と契約を交わす。『僕の旅路を最後まで観測できたら、【曲解】を打ち砕く力と共に、この空間から出してやる』と。
<――ああ、そうか。……そんな未来も、あったのか>
今まで想像できなかった未来があった。俺では絶対に思いつかない人生を歩んだ明智吾郎がいた――その事実は、すとんと俺の中に落ちてきた。……だって、世の中には“珠閒瑠市以外のすべての国と町が滅んだ世界”だって存在しているのだ。俺個人のレベルならば、こんな未来/人生があっても何らおかしくはない。
至さんや航さんに引き取られることも、黎と出会うことも、格好いい大人たちの背中を見ることもなく。【怪盗団】の仲間としてみんなと歩むこともなく、実父である獅童正義だけが世界の中心だった。その他の人間たちは、明智吾郎にとっての『駒』にすぎなかったのだ。自分のために効果的に使い潰す方法を考えていた。
“何か”が初めてジョーカーと出会ったとき、“何か”はもう既に、血と罪に彩られた汚い手をしていた。何も知らないジョーカーを嘲笑い、自分が勝者になるために使い潰そうとして近づいた。爽やかな好青年の仮面をかけて近づいた“何か”に対して、ジョーカーは快く対応してくれた。手を差し伸べて、握り返す。
同年代は流されるがままの人間が多い中で、揺らぐことのない真っ直ぐな眼差しに惹かれた。どんな状況下にあっても、自分の意見を相手にぶつけられる強さに惹かれた。
誰かの為に奔走し、誰かの為に嘘をつく――“何か”とは正反対の在り方に魅せられた。正義の義賊として認知世界を駆け抜ける、大胆不敵な笑みに魅せられた。
『おかえり』
『ただいま』
誰に対しても、ジョーカーは優しい。優しさや自己肯定に飢えていた“何か”は、いつの間にか、そんなささやかなやり取りに救いを感じていた。幸福を感じていた。――ジョーカーと共に過ごす時間を、何よりも気に入っていた。
他者から何を思われようと、どんな理不尽に晒されようとも、自己を曲げない強さを持つ者。その在り方は多くの人々を惹きつけてやまない。“何か”もまたその1人であると同時に、ジョーカーの在り方に羨望を抱きながらも、そう在れるジョーカーを憎んでやまなかった。
優しくされて嬉しかったのは本当。優しくされる度に惨めになったのも本当。ジョーカーに憧れていたのも本当。ジョーカーに救われていたのも本当。ジョーカーが憎くて仕方がなかったのも本当。ジョーカーを殺したいと思ったのも本当のことだった。
『もっと早く出会えていたら一緒にいられたのに』と思ったのも、本当だ。あの優しくて温かくて、賑やかで騒がしい場所にいたかったのも、本当だ。
でも、自分はあの場にいられないと分かっていた。本当の自分を――汚い殺人犯である自分を見たら、ジョーカーも【怪盗団】も、きっと失望して離れていく。
“何か”は目的のためなら自分の手を汚すことも厭わないくせに、そんな自分自身のことが何よりも嫌いだった。消えてしまえと願うくらいには。
水底から水面を見上げ、その先にある太陽に焦がれるように。本当は手を伸ばしたいくせに、それには触れられないと諦めているようだった。
もしかしたら、“水面の上にある綺麗な存在には触れてはいけない”と己を戒めているのかもしれない。変な所でプライドが高く潔癖な奴だ。
気持ちは分からないまでもない。俺もまた、“何か”と同じだから。……そう、“何か”の正体は――
<“あんた”は――いや、“あんた”
<――ああ>
僕の問いかけに対し、“誰か”――“明智吾郎”は神妙な面持ちで頷き返した。
水の音と気泡の爆ぜる音が暫し響く中、“彼”は口を開く。
<“俺”は、お前のことがずっと嫌いだった>
だろうな、と、僕は思った。口には出していないけれど、ここは心の海。それを介して僕と“明智吾郎”が繋がっているのは当然のこと。
故に、僕がそう思ったタイミングで“明智吾郎”が眉間の皴を数割増しにして睨みつけてきたのも、当然のことであった。閑話休題。
<お前は“俺”と同じ存在だったはずなのに、たった1つのことが違うだけで、“俺”が手に入れられなかった全てを手に入れたんだ。……だから嫌いだった>
<…………>
<でも、キミは“僕”を『羨ましい』って言ったね。『“僕”の本性を分かった上で認めるような馬鹿なんて、“ジョーカー”以外現れることはない』って思ってたのに……>
自嘲気味に笑う“明智吾郎”だが、僕にはそれが泣き顔のように見えてならない。
“彼”が“彼”になるために切り捨てられてきた弱さには、“人前で涙を流す”ことも含まれていたのだろう。辛くても泣かない人間を強いとする風潮は多いけど、泣かないことは強さと直結しないのだ。……いや、本人が自覚できていないだけで、本当は“泣けない”人間になってしまったのかも知れない。
『向こう側』の丸喜さんとの決戦中、“彼”は“ジョーカー”に庇われている。“明智吾郎”にとっての精神的支柱を(“自分”のせいで)失ってしまった――敗北の引き金であり、“彼”が成す術無く丸喜さんに負けた理由でもあった。そのことで多方面を責めたが故に、自分自身を追い込んでいる節もありそうだ。
確かに“彼”は、罪を償おうとする気持ちを忘れてはいない。けど、罪を償うという目的のために、切り捨ててきたものが多すぎる。敢えて見ないふりをしてきたものが多すぎる。『それらに後ろ髪を引かれれば、“自分”の覚悟が揺らいでしまう』とでも思っているのか。
<“キミ”は、ずっと僕と一緒にいたんだよね?>
<そうだよ。12年間ずっと、キミの旅路を見せつけられてきた>
<なら、僕の人間性も、それが形成される理由になった人達の姿も、知ってるはずだろう?>
凄む僕に気圧された“彼”は一瞬後ずさりしたが、僕が何を言いたいか思い至ったのだろう。鋭く息を飲んだ。
互いの脳裏に浮かぶのは、聖エルミン学園高校の【スノーマスク事件】を皮切りにして始まった12年間の戦いの記憶。
自他の血反吐に塗れても、『神』によってボロ雑巾のように弄ばれても、痛む四肢を引きずって立ち向かおうとする“反逆の徒”。罪と血に彩られて苦しむ人々に対して迷いなく手を差し伸べ、時にはその人物の背中を蹴っ飛ばし、時にはその手を無理矢理掴んで引っ張り出す。自分が相手の血で汚れようとお構いなしだ。
僕の周囲にいた人々の温かさを思い返す。眩しさに目が眩みそうになったのは、“俺”がその温かさに対して強い罪悪感を抱いていたからだ。闇の道を進んできた自分が、あんな温かな場所で救いを貪っていいわけがないのだと。ひねくれた方面で矜持があり、高潔なことが祟って、こんなに面倒な奴になってしまったのだろう。
自分の復讐を考えてきた利己主義者のくせに、それでも“彼女”のことを本気で愛したくせに、どうして“彼”は自分の幸福を考えることができなかったのか――その答えを垣間見たような気がして、俺は苦笑した。苛立ち紛れに睨まれている気配を感じ取る。そんな“彼”を、俺は真正面から見返した。“彼”は目を丸くし、ぱちくりと瞬きしながらこちらを見返す。
けれどそれは最初のうちだけで、“彼”はすぐに真剣な面持ちになった。かすかに口元を綻ばせて、口を開く。
<“僕”は『丸喜の作った【曲解】を打ち砕くために、キミの旅路を観測している』のは知ってるね?>
<そして“キミ”は、僕が黎を助ける力を求めてることを知ってる。使えるものは何だって使うつもりでいることも>
<――成程。話が速いね。その上、キミは“ジョーカー”並みに悪趣味と来た>
<悪趣味なのはお互い様だろう? 並行世界の自分自身すら、取引の相手に選ぶだなんて>
挑戦的な笑みを浮かべて軽口を叩きあう。元々は同じ存在だった者同士であり、数多の地獄を駆け抜けてきた者同士。通じ合うものは確かにあるのだ。
<敢えて訊かせてもらうけど>
<何?>
<壊すだけしかできない奴の力を借りて、どうするつもり?>
<決まってんだろ? ――壊すんだよ。クソったれた『神』が定めた運命を>
『神』の気まぐれで人形にさせられて、理不尽な目にあわされた人たちを知っている。そのせいで、命を落とさなければならなかった男のことを知っている。そのせいで、理不尽や異形と戦い続けることになった“反逆の徒”を知っている。
<顕現してさえいれば、神様は殴れる>――僕の言葉を聞いた“明智吾郎”は呆気にとられた。その様に僕は違和感を覚える。何故なら“奴”はずっと僕の中にいて、その光景を見つめ続けて来たはずなのだ。僕にとっては常識的なことでも、“奴”にとっては非常識だったらしい。
御影町の事件ではどさくさに紛れて至さんがフィレモンをぶん殴るのを見たし、珠閒瑠市では大人たちがニャルラトホテプをぶっ飛ばしていたのを見たし、巌戸台ではニュクスとの実質13連戦に勝利した命さんたちの勇士を見たし、八十稲羽ではイザナミを降した真実さんを見ていたはずだ。
ソースはこんなにあるのに、それを信じられないというのは不思議な話である。ついうっかり<“お前”頭大丈夫?>と問えば、“奴”は<お前の頭の方が心配だよ!>と噛みつくような声で唸った。そんなことを言われたって困る。余りにも腹立たしかったので、僕は言葉を続けた。
<そして何より、俺の大事な人たちを傷つけようとする、ありとあらゆるものすべてを壊すために>
<守るために壊すだって? ……イカれてるな、お前>
暫くぴーぴー騒いでいた“明智吾郎”だが、最終的には観念することにしたらしい。
“奴”は深々とため息をつき、<馬鹿な奴>と嗤った。その瞳は、嬉しそうに細められている。
<俺を連れて行くってんなら、背負ってみせろよ。お前にとっては“謂れなき罪”だ。これを持ち続ける限り、“理不尽な罰”も下るだろう。それでも、背負う覚悟はあるか?>
<ある。その代わり、“お前”も一緒に背負って連れて行く。……見せてやるよ、“お前”が見たかった景色を>
<……ハッ。ホント、馬鹿な奴だな>
吐き捨てるような言葉遣いとは裏腹に、嬉しそうに笑いながら、“奴”は僕に手を伸ばす。僕は奴の手を取った。――刹那、強い風が吹き荒れる。
在るべきものが在るべき場所へ帰ってきたような感覚に、僕は思わず息を吐く。本当の意味で、“明智吾郎”は僕の中へ還ってきたのだ。
胸の奥底から湧き上がってくるのは、“彼”の帰還によって顕現した新たな力だ。青い光がきらきらと舞い上がる。
<
“明智吾郎”の姿に、黒い縞模様のペルソナが重なる。神話におけるトリックスターの1柱、ロキ。
第3世代・第4世代の【ワイルド】が使うペルソナにもロキがいたが、それとは姿形が全然違った。褌マントという奇特な格好をした美丈夫ではなく、破滅を齎す異形としての側面が強い。
ロキ――否、“明智吾郎”は楽しそうに笑うと、思い切り僕を突き飛ばした。水と空気が爆ぜるような音と入れ替わりで、世界が白一色に塗りつぶされる。
「――吾郎、大丈夫?」
「――っ!? ……あ、ああ。うん、ごめんね。ぼうっとしちゃって」
「いいよ、大丈夫。ベルベットルームで色々やってるときの私も、他の人から見れば今の吾郎と同じように見えるみたいだし」
急に鮮明に聞こえた黎の声に、僕は弾かれたように振り返った。いつの間にか空中庭園は消え去っており、現実世界――水族館に戻っている。黎は心配そうに僕を見上げていた。僕は慌てて取り繕う。
黎は僕の変化に対して強く詰問する様子はなかった。彼女がベルベットルームに足を踏み入れている間、その様子を第三者から“虚空を見上げて微動だにしなくなった”と言われていたのが理由だろう。
彼女の話を聞く限り、僕が“明智吾郎”と邂逅していたときの様子は“虚空を見上げて微動だにしなかった”ようだ。その様子から、黎は「僕が誰かと話していた」と思い至ったらしい。僕は頷き返した。
「今さっき、“彼”と直接会ってきたところなんだ」
「それで?」
「取引を交わした。『僕の旅路がひと段落するまでの間は、味方として一緒に戦ってくれる』って」
<勝手に話を改竄しないでくれないか?>
僕が黎に話の顛末――もとい結論を伝えれば、どこからともなく声が響いた。
気配の主は僕の心の海に居る“明智吾郎”。“彼”の表情は不機嫌極まりない。
<一緒に戦うっていう結論は一緒なんだから問題ないだろ>
<丸喜の【曲解】を思い出すからやめてくれよ。訂正しろ。“僕”とキミはあくまでも共犯者同士だ。慣れ合うつもりは無い>
<12年も一緒にいて『慣れ合うつもりは無い』って言うの、大分無茶があるよ>
<喧しい!!>
<はいはい。しょうがないな>
「ごめん。“彼”からクレーム来たから訂正する。『僕の旅路がひと段落するまでの間は、共犯者として一緒に戦ってくれる』んだってさ」
「……ふふ、そっか」
“彼”と他愛のないやり取りをしたことを黎に伝えれば、彼女は静かに目を細めた。吹き出しそうになったのを堪えるみたいな笑い方だ。――まるで、僕と“彼”の会話を正しく視認した結果みたいな。
僕がそんなことを考えたのと、僕と黎の腹の虫が盛大に鳴いたのはほぼ同時。思わずスマホを確認すれば、現在時刻は既に12時半を過ぎていた。僕と黎、それから“僕”と“明智吾郎”が言葉を交わしていた時間は、僕自身が想定していた以上に長かったのだろう。
時間的に“食事施設が込み合っている”のは明らかだが、流石にデートでコンビニ飯は却下だ。……致し方ない。水族館を見て回るのはこれくらいにして、食事ができる施設を探さなければ――僕がそう思ったとき、ガラスにうすぼんやりと映った僕と黎の姿がぐにゃりと歪む。
僕が映っていた場所には、黒い甲冑――怪盗服を身に纏った“明智吾郎”が、やれやれと言いたげに肩を竦めていた。本来なら僕の隣に映し出されているのは黎のはずだが、そこには彼女の姿はない。代わりに佇んでいたのは、認知世界の怪盗・ジョーカーだ。
ジョーカーは“明智吾郎”の横顔を見上げた後、視線を逸らして肩を震わせる。“彼”のリアクションに笑いを堪えているのかもしれない。思わず僕が黎に視線を向ければ、彼女は普段の――服装だけは余所行き用の洒落たものだ――恰好で僕の方を見上げていた。
思わず振り返って確認すれば、ガラスに映し出されていたのは僕と黎の2人だけ。見間違えたか、はたまた白昼夢か、それとも“彼”によるお遊びか。その答えを確認する術は、最早ここには残っていなかった。
***
(……何だろう、この違和感)
慌ただしく水族館を去る中で、僕はふと思い返す。ガラスに映し出された“明智吾郎”の隣にいたジョーカーの姿。
女怪盗が隣にいて笑っていたのに、“明智吾郎”は気にしていなかった。……否、隣に彼女がいることに『気づいていなかった』ように思う。
僕が映っていた場所に“明智吾郎”が立っていたのなら、女怪盗が映り込んだ場所にいたのは――。
◆◆◆◇
<最初はどうなるかと思ってハラハラしてたけど、思った以上に仲良しになったみたいでよかったね>
<確かに。……けど、“明智”があんな面白い奴になるなんて思わなかった>
黎が“彼女”に声をかければ、“彼女”は口元を抑えつつくすくすと笑った。幸か不幸か、“明智吾郎”は“彼女”に気づく様子はない。
“彼女”はそれをよく理解していたから満足いくまで笑っていたけれど、程なくして、その笑みは愉快さを湛えたものではなくなっていた。
仮面越しに伺える灰銀の瞳は真っ直ぐ“彼”を見つめている。“彼”が立ち上がったことへの喜びは勿論だが、それ以上に、どこか寂しさが目立っていた。
<“キミ”が顕現したロキを見てると、何かで見た覚えがあるような気がするんだよなあ。角の形とか>
<……キミが知ってるロキと僕が顕現したロキはあまりにも違いすぎると思うけど?>
<分かってるよそんなこと。下手したらキミの怪盗服に多大な影響が出てそうだよね。竜司の怪盗服がキャプテンキッド由来だったのと同じように>
<おい。今お前『褌裸マントの“明智吾郎”』を想像したな。今すぐやめろ。でないとイメ損で訴えるぞ>
<――あ、そうだ。既視感の正体、思い出したよ>
<なんだって?>
<ロイコクロリディウム>
<そうか、キミは僕のロキの角が『寄生されたカタツムリの目』だって言いたいのか。ようし分かった。イメ損でぶっ飛ばすぞ>
<……何も言わなくていいの?>
早速仲良く喧嘩し始めた吾郎と“明智”の会話をBGMに、黎は“彼女”に問いかけた。“彼女”は静かに首を振る。
<『時が来るまでは、“私”の存在を明かさない』。そういう契約だからね>
<……でも、寂しくないの?>
<寂しいよ。――けど、こうでもしなきゃ、“明智”には分からないかなあって>
寂し気な笑みは何処へやら。女怪盗はどこか挑発的な笑みを浮かべ、怪盗服に身を包んだ騎士を見る。何か悪いことを考えているのは一目で察せる程の横顔だ。
“彼女”と心の海が繋がっている黎は、ワンテンポ遅れて全てを理解した。――だから、黎も悪戯っぽく笑いながら、その件について沈黙することを選ぶ。
例えそれが突き放すための言葉だったとしても、恋する乙女の涙を『その程度』だなんて言い放つのは失言にも程がある。よくもまあ、自分のことを惜しみなく愛してくれる人の前で、躊躇うことなく自分自身を蔑ろにするような真似ができるものだ。
己の破滅すら厭わぬ歪な在り方は、理不尽によって傷つけられ続けた後遺症だ。ありのままの自分を肯定して貰えた経験が乏しかったが故に――或いは、唯一自分の
“彼”が下した答えを否定したり、文句を言うつもりは無い。“彼女”は全部わかってて、言いたいことをぶちまけた上で、“彼”の選択を尊重したのは事実だ。しかし、それはそれ、これはこれ。一発くらいやり返したって罰は当たらないだろう。
吾郎と12年間駆けずり回っても尚、“彼”の悪癖や後遺症は治らないままだ。勿論、吾郎も――程度の違いはあれど――“彼”と同じ悪癖や後遺症を抱えたまま生きている。
<いつか、伝わるかな。……分かってくれる日が来るかな>
<――届くよ、きっと。まあ、どんな答えが帰ってくるかは分からないけど>
<“明智”の場合、顔と耳を真っ赤にして十数分間罵倒コースは間違いないだろうね。そこからどう転ぶかは未知数かな>
<……その信頼の仕方もどうかと思うけどなぁ>
“彼女”による“彼”の認知象が鮮明に流れ込んできて、黎は思わず遠い目をした。
全国模試1位の頭脳を駆使したはずの罵倒の言葉(予想図)はどんどん語彙を失くし、最後は簡単な単語しか言えなくなっている。勿論、顔も耳も何もかもが真っ赤だ。一目で“彼女”を想って一喜一憂していることが丸わかりなレベルだった。<そういうところが好きなのだ>と伝わって来た“彼女”の気持ちは、黎も良く分かる。
“彼”と枝分かれした存在である吾郎もまた、黎関係のことになると語彙を溶かしがちだ。顔も耳も全部真っ赤にして、体温を滅茶苦茶に上昇させて、心臓の音をばくんばくんと響かせて、黎を想って一喜一憂する。そりゃあ吾郎にも格好いい所はあるけれど、そういう面も込みで好きなのだ。吾郎は嫌がるだろうが、それだけは譲れない。
<今までの件を考えると、“キミ”のやり方ってロイコクロリディウムっぽくない?>
<言うに事欠いて何を言うのかな? 喧嘩売ってる??>
<幼少期の僕に干渉してきたときのアレコレを忘れたとは言わさないぞ>
<……それは、その……>
<冗談だって、怒ってないよ。だからそんな泣きそうな顔するなって>
<泣いてない>
<泣けないの間違いでは?>
<間違っているのはお前だ>
愉快なやり取りはまだ続く。ミラーコントみたいだ――なんて口走ってしまったら、2人から揃って苦情を言われてしまうのであろうか。
今は黙って見ているだけだが、いつかは黎と“彼女”も、2人のやり取りに割って入れるようになる日が来るのかもしれない。
その日が来るまでに必要な要素はまだ揃っていないけれど、でも、いつかは――きっと。
◇◆◆◆
時間が過ぎ去るのはあっという間である。太陽は西日であるものの、実際の時刻はもうすぐ夜。今日は丸々1日をデートに費やす予定であるから、ある意味“ここから”とも言える。
今日のデートの〆は、僕や黎にとって行きつけとなったジャズバーだ。僕と黎が店に足を踏み入れると、マスターはニコニコ顔で僕等を迎えてきた。
『いいタイミングで来たね、明智くん。今日はコンサートの日なんだ』
マスターは僕に耳打ちし、僕等を席に案内する。ステージを真正面から見ることができる最前列の特等席だ。……幾ら僕達が店の常連でも、流石にこれは贔屓しすぎではなかろうか。
僕が視線を向けてもマスターは怯むことなく、『ごゆっくり』と言い残してさっさとカウンターへ戻ってしまった。新しくやって来た客の相手をしに行ったとも言える。
善意で出鼻を挫かれるというのは、色々とアレだ。僕は深呼吸を繰り返して呼吸を整えつつ、立て直しを図ろうと頭を回した。とりあえず、ノンアルコールカクテルのメニュー表に視線を向ける。
“明智吾郎”は僕に何かちょっかいをかけるような様子はなく、無言のままジャズバーの内装を見回していた。
懐かしそうな眼差しを向ける先に広がっているのは、“大切な人”と過ごした日々だったのかもしれない。
さんざん悩んだ末に“いつもの”ノンアルコールカクテルと軽食を注文し、コンサートの開演を待ちつつ雑談していたときだった。
『あれ? 吾郎くんに黎ちゃん?』
『命さん!?』
『待て待て待て。どうしてバーに未成年であるお前らがいるんだよ!?』
『真次郎さんまで!?』
『つーか、なんで酒飲んでんだお前等は!? やめろ、体に悪いぞ!』
『いやこれ、ノンアルコールなんですけど……』
コンサート開催まで残り数十分を切ったところで、荒垣夫妻――命さんと真次郎さんが来店し、僕等と鉢合わせた。2人――特に真次郎さんは大いに驚いて声を上げる。未成年である僕等がジャズバーにいること、僕等が当たり前のように酒を飲んでいたこと(誤解)が理由だろう。
更に言えば、荒垣夫婦がこの店を訪れたのは偶然であり、1回目の来店である。店の方針――普通のカクテルとノンアルコールカクテルを見分ける目印――の存在を知らない上に、真次郎さんはカクテル関係への造詣は浅い。混乱してしまうのも致し方なかった。
どうにか誤解は解け、2人は僕等の席のすぐ後ろに座った。コンサートが始まるまでもう少し時間がある。
『ねえ吾郎。ちょっとだけ、命さんと話してきていい?』
『ああ、構わないよ』
『じゃあ、少しの間、真次郎さんに席を変わってもらうね』
『えっ』
久しぶりに命さんとお喋りが出来る――その事実にテンションがぶちあがった黎からのお願いを、僕は断ることができなかった。
それは、久しぶりに黎とお喋り出来るという事実にテンションがぶちあがった命さんからのお願いを、真次郎さんが断れなかったのと同じ理由であろう。
結果、最前列の席には僕と真次郎さんが、その後ろの席には黎と命さんが座ることになった。2人は楽しそうに、声を潜めて談笑している。女2人の談笑はコンサートの開演時間になっても終わることはない。
採取的に、黎は命さんとコンサートを楽しむことにしたようだ。最前列の席に戻ることなく、ずっと談笑を続ける。僕と黎のデートのために気を利かせてくれたマスターのご厚意は無に帰した形となった。
野郎2人でコンサートを見ても致し方ない。やけ酒の代わりに別のノンアルコールカクテルをお代わりした僕と真次郎さんは、虚無のようなモヤモヤを流し込むようにしてそれらを飲み干した。
<……キミ、親戚の姉貴分と天秤にかけられてフラれたんだ……>
<フラれてませんけど!?>
<酒飲んだらウザ絡みしてきそうなノリだな。一生アルコールに手を出さないことをおススメするよ>
<同存在から分岐した“お前”がそれを言うのか……>
ついさっきまで感傷に浸っていたはずの“明智吾郎”が、哀れなものを見るような眼差しを向けてきた。どさくさに紛れて酷いこと言われたような気がする。僕は適当にあしらいつつ、3杯目のノンアルコールカクテルに口を付ける。今の僕はどうしてか、酸味が強めのカクテルが飲みたくて仕方が無かった。
そんな僕を見た真次郎さんは、申し訳なさと困惑を混ぜ込んだ眼差しを向けてきた。「何か言った方が良いことは分かるが、何を言えばいいのか分からない」と、顔と態度が雄弁に語っている。
僕は曖昧に笑いつつ、ステージで歌う歌手に視線を移し、歌詞に耳を傾けた。曲名も歌詞の内容も、曲調までもが物騒極まりないが、強い女性像を連想させる歌が響く。
――丁度、僕等の後ろで談笑する黎と命さんみたいなタイプの。
「……お互いに、苦労してますね」
「だな。恋愛なんざどう説明すりゃあいいか分からんが、世の中じゃ『惚れた方が負け』って言うみてぇだし」
壇上の歌手から最愛の妻へ視線を向けなおした真次郎さんは、苦笑しつつも目を細める。命さんのことを愛してやまないと言わんばかりの眼差しだ。
彼に釣られて微笑んだ僕とは対照的に、“明智吾郎”はしかめっ面で真次郎さんを見ていた。榛色の瞳は複雑な感情を孕んで揺れている。
“彼”が真次郎さんに対してどんな感情を向けているのか――心の海を介せば、その断片に触れることは出来るのだろう。だが、それはやめた方がいいように感じた。
沈黙する僕達をそっちのけで、強い女の主張は続く。
曲が終わりに近づいた頃、真次郎さんはおもむろに口を開いた。
「命と初めて会ったとき、眩しい女だって思ったんだ。……アキや桐条と合流した後、アイツと直接話すようになってから、強い奴だって思うようになった」
事あるごとに命さんを「はねっかえり」と称して苦言を呈していたときの苦労人顔が印象的な真次郎さんだけど、今の彼は、何処までも優しい眼差しをしていた。過去の思い出をなぞる様に、ノンアルコールカクテルの水面を見つめる。
「命のはねっかえりっぷりにぶん回されたのは事実だが、そういう強引さや明るさに救われたのも本当だ。『コイツがいるなら、何も心配することは無い』、『俺が死んでも大丈夫』だって思ったのも、それが理由だったのかもな」
「……すべてが分かるとは言いませんけど、僕も似たような経験をしたことがあります」
「だろうな」
惚れた女に心身を救われてきた者同士、僕と真次郎さんは通じ合っている。
顔を見合わせて苦笑したのは仕方がないことだ。
尚、“明智吾郎”はそっぽを向いて沈黙したっきりである。
「――でも、俺はバカだから」
己を詰りながら、真次郎さんは息を吐く。
「俺はバカだったから、
彼の心は今、2009年の10月3日に思いを馳せていた。『乾さんに殺されてやることこそがケジメである』と信じて、自分自身を罰するために痛めつけていた日々をひっくるめて、裁きの日をなぞっていた。
乾さんが罰を降しに来たときに怖気づいてしまわぬよう、自分の寿命を著しく減らすような真似――ストレガが常用していた、強い副作用を持つ制御剤を服用――をした真次郎さん。死の準備をしていた彼の前に、眩く輝くような強い女を体現したような命さんが現れたのは、あまりにも出来過ぎている。
真次郎さんは自分の罪を忘れたことなど一度もなかった。命さんに惹かれてしまう自分の心に苦悩し、自分と同じように命さんに心惹かれていた乾さんの様子に罪悪感を募らせ、真次郎さんに思慕を向けるようになった命さんの態度に頭を抱えることになった。そうして最後は、押し切られる形で命さんの想いに応えている。
勿論、命さんの想いに応えるという答えを出すまでの間に、葛藤が無かったわけではない。自分の罪と下されるべき罰を理解していても尚、真次郎さんは『命さんを愛している。幸せにしたい』という本心に嘘をつけなかった。性根があまりにも真面目過ぎたためだ。そうして――真次郎さんは『自分の最後の自由時間』のすべてを、命さんのために捧げた。
それが今、彼がこうして生きていることに繋がっているのだ。
世の中何がどう影響するか、分かったものではない。閑話休題。
「『命は強いから大丈夫』だなんて、俺の一方的な思い込みだったんだ。アイツが泣いてるの見て、アイツの涙を拭ってやれない自分の有様に直面して、やっとそれに気づいた」
「真次郎さん……」
「俺はアイツに、俺の理想を無理矢理押し付けてたんだ。――忘れてたんだよ、大事なこと。……アイツだって、泣いたり苦しんだりする、普通の人間なんだって」
真次郎さんが自嘲気味に笑ったのと、歌手が歌い終わったのは同時だった。程なくして、次の曲が始まる。
過ぎ行く日々に別れを告げて、明日に思いを馳せる歌だ。少し寂し気な――けれど爽やかな曲調の曲。
過去の罪は消えないし、過ちを無かったことにはできない。あの日の苦痛や悲嘆を忘れることも出来やしないけど、それでも、人はいつか、昨日に「さよなら」を告げる日が来る。痛みを抱えながら、それでも今日を生きるのだ。来るべき明日、大切な人たちと笑いあうために。
10月3日、真次郎さんは命さんに対して罪を犯した。彼女に自分の理想像を押し付けて、『自分が死んでもそう在り続けて欲しい』という呪いを贈った。彼がそれを自覚したのは、昏睡状態から意識を取り戻した直後のことだろう。具体的には、【放課後特別活動部】の面々から説教を受けたとき。
真次郎さんが過去に折り合いを付けれたか否か――それは僕には分からない。ただ、【影時間消滅作戦】を乗り越えた真次郎さんが、過ぎ去っていった昨日に「さよなら」を告げられるようになったことは確かだ。真次郎さんは僕と向き直り、真剣な面持ちで口を開く。
「吾郎」
「はい」
「……お前は、俺みたいなバカになるなよ」
「……肝に銘じます」
重々しく響いた真次郎さんの言葉を受け止めて、僕は真顔で頷き返した。
丁度そのタイミングで、黎と命さんの談笑は終わったらしい。黎が僕の方へと戻って来た。それを確認した真次郎さんもまた、命さんの座っていた席へと戻っていく。
申し訳なさそうに頭を下げて謝って来た黎を制して「大丈夫」と告げれば、黎は安心したように口元を綻ばせた。彼女が席に座ると同時に、次の曲が流れ始める。
現状維持に甘んじようとする心に喝を入れ、『悪意に塗れた偽りの正義を打ち砕くために、今いる場所から飛び出せ』と激励する歌だ。
終始のびのびした曲調ではあるが、聞き手に語り掛けつつ背中を押すような力強さがある。そんな歌に耳を傾けつつ、僕は黎との談笑を楽しんだのだった。
その間も、“明智吾郎”は何かを言いたげに黎――否、黎を通して“大切な人”の面影を探すかのように――に視線を向けていた。……“彼”の口元は、固く真一文字に結ばれたままだったが。
「キミのペルソナを見ていると、なんだか既視感を感じるんだ。特に角の部分」
「……言わなくていいですよ。禄でもない予感しかしないんで」
「――あ、思い出した。『寄生されたカタツムリの目』!」
「ロイコクロリディウム?」
「そう、それ」
「やっぱり禄でもない話だった。しかも既視感があるヤツ」
「……もしかして、誰かに同じこと言われた?」
「貴方の弟分に」
「へー。そっかぁ。そっかぁ……」
「今の話の何処に照れる要素があるのか、僕にはさっぱり分かりかねますが」
――ここではないどこかに存在する誰かの【パレス】には、ロキの像を見上げた≪カミサマ≫と■■■■がそんな会話を繰り広げる世界があるらしい。
勿論、ここでは関係のない話。
どこかに転がっている、もしもの話だ。
―――
今回のお話は、9割9分が新規エピソードで構成されたお話となっています。
魔改造明智と“誰か”――もとい、丸喜先生に敗北⇒残留ENDルートを辿った“明智吾郎”がついに互いの存在を認識し、共闘関係を結ぶに至りました。
リメイク前はニイジマパレス編で“誰か”の存在を認識してロキを覚醒させていましたが、拙作では大幅に前倒して覚醒を迎えています。
本格的な戦闘パートはオクムラパレス編からになりそうですが、ロキ智覚醒以外にも何やら訳/ひと悶着ありそうな気配。一体どうなることやら。
この世界線における“明智吾郎”にとって、荒垣真次郎は苦手な部類に入ってそうです。覚悟ガンギマリの名残を今でも引きずっている影響も大きいかもしれません。
ついでに、あとがきSSに登場した■■■■にとっても、≪カミサマ≫は(“明智吾郎”にとっての荒垣真次郎とは別ベクトルで)苦手な部類かも。
尚、あとがきSSで≪カミサマ≫と会話している■■■■は、終始不機嫌な表情を浮かべています。