Life Will Change -Let butterflies spread until the dawn-   作:白鷺 葵

49 / 55
【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5系列<無印、R、(S)>、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空元(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 名前:霧海(むかい) (りん)(旧姓)⇒影時間終了後の巌戸台で出会った少女。現在の本名や詳細については中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。オリキャラ同然になっている人物もいるので注意してほしい。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『Life Will Change』をR・S・グノーシス主義要素を足してリメイクした作品。あちらを読んでいなくとも問題はないが、基本的な流れは『ほぼ同一』である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は有栖川(ありすがわ)(れい)
・徹頭徹尾明智×黎。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空元(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 キタロー:香月(こうづき) (さとし)⇒妻・岳場ゆかりが所属する個人事務所の社長であり、シャドウワーカーの非常任職員。気付いたらマルチタレントになっていた。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。

・一部の登場人物の年齢が、クロスオーバーによる設定のすり合わせによって変動している。

・荒垣×女主人公(両想い)、天田⇒女主人公(片思い)の描写アリ。
・上記の理由から、天田関係の設定が原作とは色々違う。

・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・神取鷹久と石神千鶴の関係性、神取鷹久や石神千鶴の好物についてのねつ造設定あり。
・【改心】と【廃人化】殺人に関するねつ造設定がある。



憤怒の王墓、後始末

 

「“我が主”が思った以上に、あの『駒』には耐久性があるようだ」

 

 

 「“我が主”が()()()()()()の『(アイツ)』は、もっと脆かったはずなのに」と、青年は呟く。サングラスをかけたスーツ姿の男は、青年の顔をちらりと一瞥した。相変らず、男は()()()()()()()()()()()()()()()()でいた。

 ……いいや、男だけではない。()()()()()()()()()()()()()()()であれば、誰であろうと青年の顔を()()()()()()()()()()()()()。――むしろ、青年の顔を()()()()()()と思っている人間が“正しい”目を持っているのだ。

 仮にもし、青年の顔を()()()()()()()と思い込んでしまっているなら、それは危険信号である。該当者は既に、青年――および、青年を『駒』としている『神』の力によって、認知を書き換えられている――即ち、歪められてしまったと言っても過言ではない。

 

 “()()()()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 嘗て男が開発したシステムも、後に一色若葉から『認知訶学の前身』と呼ばれることになる理論を使って作られたものだ。

 方向性を調整、洗練した結果が、一色若葉が獅童正義によって奪われてしまった論文――認知訶学研究となった。

 

 

(『神』の手練手管は悪質だということは、私が一番よく知っている)

 

 

 男は俯き、己の手を見た。死した後も闇の手先として暗躍する羽目になるとは思わなかった。しかも今回で2回目である。

 正直もういい加減眠りたいのだが、今回は変則的な理由で呼びだされていた。暫くは眠らせてもらえないことは明らかだ。

 

 ふと、“上司違いで()()()()()()()()()()()”のことが脳裏によぎった。珠閒瑠市での出来事以来顔を会わせていないが、奴もこの異常事態を察知しているはずである。光に与する者であるが、彼もまた『神』の有する『駒』なのだから。

 

 自分が把握していないだけで、彼も既に動いていることだろう。もしかしたら、男を『駒』とする悪神なら、彼や彼の上司である善神の動きを察知しているかもしれない。

 だが、それを直接悪神に訪ねることは不可能だ。今、悪神は望まぬ形で取り込まれており、取り込んだ犯人から()()()()()()()()()()真っ最中なのだから。

 男に与えられた命令は、ただ1つ。悪神を取り込んだ犯人の『駒』として動きながら、悪神を奴から解放するための算段を立てること。勿論、男の生死は問われない。

 

 

(八十稲羽の『神』は、まだ良心的だな)

 

 

 男の脳裏に浮かぶのは、6月に会った年若い警察官。自分と同じ“『神』の『駒』”として選びだされながら、ふとした拍子に『駒』としての運命から逸れることになった人物だ。彼は自分達に迫った滅びの運命を覆し、旅路を終える。舞台は大団円という名の完結を迎え、彼はその舞台から降りたはずだった。

 しかし、今度は青年を『駒』として従える別の『神』によって見出され、無理矢理舞台に引きずり出されている。1柱から執着されるだけでも人生は滅茶苦茶になるのに、複数の『神』から『駒』扱いされる羽目になった警察官の苦労は如何程だろう。……それは、男が見出した“希望”にも同じことが言えるのだが。

 

 

「ねえ、貴方はどう思う?」

 

「何がだ?」

 

「貴方は“我が主”の『駒』に対して、やたらと執着している様子だったから、気になってね」

 

 

 青年の問いに、男は笑うだけで返した。青年に語る必要はどこにもない。

 

 男はちらりと視線を向ける。そこには、少女に詰問されている青年の姿があった。茶髪の髪を少し長めに伸ばし、仕事用のジェラルミンケースを持った彼の姿は見覚えがある。セベクで見たときは男の膝くらいの背丈しかなかったのに、今では自分の目元付近に彼の頭がくる程になっていた。

 闇に魅入られる宿命にありながら、僅かな可能性の違いで光へ踏み出した少年の姿。闇に魅入られたことで足掻いていた自分にとって、あの子どもは“希望”だった。嘗て男がなりたいと願いながら、至ることができなかった道を往くのだと――黒髪の少女と手を繋ぐ少年の姿を見て、男はそう直感したのである。

 生前の自分にも、悪神の『駒』となった自分にも、子どもはいない。生前は未婚だったし、『駒』として甦った際にとある女性と心を通わせたことはあったが、性的な接触は一切行っていなかった。そして何より、件の女性は自分と最期を共にしている。自分と関わったがために、損な役回りをさせてしまった。

 

 

『貴方にとってあの少年は、貴方が行きたかった道を往くであろう“希望の子”なのですね』

 

『父のように、兄のように、友のように、貴方はあの子を見守っている。貴方なりに、少年の旅路に幸あらんことを願っている。……目を見れば、分かります』

 

 

 女性が微笑む姿が脳裏に浮かぶ。彼女の足跡は、今となっては『ワンロン占いという廃れた占いがあった』という話題が思い出したように顔を覗かせる程度だ。

 男がそんなことを考えたとき、茶髪の青年を守るようにして金髪の青年と少女が割り込んできた。2人は女性たちと派手に言い争いを恥じている。

 

 「ケーサツ」「通報」「脅迫」「ストーカー」――男が辛うじて聞き取れたのは、この言葉だけだ。茶髪の青年は少女を威嚇する金髪2人組を制した後、穏やかな態度を崩さぬまま警告した。少女は捨て台詞を言い残し、そそくさと立ち去っていく。

 

 途端に、金髪の青年と少女が纏う雰囲気が一変した。双方、茶髪の青年を心から案じている。それと同じように、茶髪の青年も2人を案じていた。

 その様子に、男は目を細める。但し男は既に眼球を失っているため、実際に細めることができたか否かは分からなかった。

 暫し話をしていた若者たちは、それぞれの道を歩き始める。けど、彼らの眼差しは同じ輝きを宿していた。――その眩しさに焦がれてしまうのは、性分故だろうか。

 

 

「……明智吾郎は、自分に送られてくる嫌がらせの品々の贈り主を、自分のアンチだと認識しているようだ」

 

 

 男は小さく呟いて、青年に視線を向ける。青年が座るテーブルの上には、贈り主不明で明智吾郎宛となっている手紙の束や箱が並んでいた。青年は悪びれる様子など一切ない。むしろ、それこそが己に与えられた使命なのだと言いたげな様子だった。

 

 

「“我が主”に選ばれておきながら、“我が主”の御手から逃げ堕ちた。どうあれども、奴に相応しい末路は破滅だけ。相場は決まっているよ」

 

 

 逃さない、逃しはしない――青年を構成するすべてがそう訴える。顔は一切()()()()()()が、彼が残忍な笑みを浮かべていることは分かった。

 茶髪の青年には、まだまだこれからも災難が続くらしい。自分と彼に早く安寧の刻が来ることを願いながら、男は静かに空を見上げた。

 腹立たしい程真っ青な空を、黄金の蝶が横切っていく。それを見た男は笑みを深くした。――いずれ来るその瞬間を待ちわびるが如く。

 

 

 

◆◇◇◇

 

 

 

 本日、8月28日。ようやく僕は、獅童に突っ込まれた地獄のような日々から解放された。討論番組、視聴者からSNSで意見が送られてくるニュース番組、反明智派からの取材依頼をこなすのはストレスとの戦いである。おまけに民衆の多くが僕を嫌っている訳だから、日常生活でも風当たりは強い。

 僕のファンを自称する少女から詰め寄られたときは本当に面倒だった。そこに買い出し途中の竜司と杏が割り込んでくれなければ、僕は取材の時間に遅れていただろう。『黎も心配していたから、時間ができたらルブランに顔を出して行け』と言い残し、2人は買い出しへと戻った。その後ろ姿に救われたのは忘れられない。

 

 ここ数日は夜に雨が降り続いたため、誰かに背中を押されて水たまりに倒れこむ被害が続出した。以前のように熱を出して倒れないか心配になったが、今回は風邪で倒れることはなかったので本当にセーフである。

 

 黎や【怪盗団】の仲間たちともSNSで連絡を取り合っていたけど、双葉の人見知りは劇的に改善傾向にあるようだ。

 26日には女性陣で水着の試着を行ったらしい。27日にはもう、違和感なくやり取りができるようになったと聞く。

 【怪盗団】の中で双葉と直接交流していないのは、僕以外に存在を視認できない“明智吾郎”を除けば、唯一僕だけとなった。

 

 

(……SNSでのグループチャットでなら普通に話したけど、どうなんだろ……)

 

 

 身支度を整えながら、僕は仲間達のSNSにメッセージを入れる。一同が“双葉を頼む”と返信してきた。黎にもルブランへ向かう旨のメッセージを送った。丁度そのとき、双葉個人からメッセージが入った。

 

 

“黎とそうじろうから聞いた。『花火大会がダメになって、黎と吾郎の浴衣デートがおじゃんになった』って”

 

“そうじろうに『花火をしたい』と提案したら、『夜が晴れてて小さい花火なら、裏手でやっていい』って許可貰ったぞ!”

 

“黎には『黎の浴衣が見たい』って要求した。そしたら顔赤くして頷いてた”

 

“吾郎、浴衣もってこいよ! 忘れるなよ!!”

 

 

「よっしゃあナイス双葉!」

 

<うわうるさっ。脳みそお花畑かよ?>

 

 

 僕がガッツポーズを取ったそのすぐ隣で、“明智吾郎”が面倒くさそうに眉間に皴を寄せた。

 “彼”から見た僕の脳みそがお花畑なら、さしずめ“彼”の脳みそは荒野か。

 

 ウキウキ気分で浴衣を引っ張り出してきた僕を尻目にそっぽを向いた“彼”であるが、心の海を経由して流れてきた感情は何処か寂しげであった。浮かぶデジャ・ヴュは“恋人”との逢瀬。

 

 あるときは制服姿で、あるときは私服で、“彼”は“恋人”と一緒に色々な場所へと足を運んだ。外の景色に興味なんかなかったのに、“彼女”と一緒に見た風景はどれもキラキラと輝いていた。それが薄氷の上に成り立つ現実であっても、他ならぬ自分自身の手で幸福を壊すことを自覚していても、いずれはそれを自分自身の手で捨て去らねばならぬと分かっていても、“彼”はそれを求め続けた。

 自身の目的を達成するために、“明智吾郎”はこの事実を捨て去っている。それを拾い集め、改めて向き合い、悼もうとしているのだ。“彼”が今、捨て去って来た事実に付随する感情や葛藤をどう思っているのか、それとどんな風に向き合うつもりなのか、僕には分からない。僕に出来ることは、“彼”に寄り添うなり、背を押してやるなりするくらいだ。嘗ての先輩達がそうだったように――或いは先輩達が僕にしてくれたように。

 

 

<今回こそ、浴衣デートに水を差すようなことが起きなきゃいいなァ>

 

<花火大会の雨みたいに?>

 

<そう! 7月16日の花火大会は雨で中止になったからね。今回はそれのリベンジなんだ>

 

<……ふうん>

 

 

 クローゼットの肥やしになりかかっていた新品の浴衣を鞄に突っ込む。今年はもう出番がないと思っていたので、凄く嬉しい。鼻歌交じりに準備をする僕を見ていた“明智吾郎”の言動からして、『どこかの場所』の7月16日も雨が降っていたのだろう。

 最後に自分の身なりを確認した後、僕は軽やかな足取りで家を出た。そのまま迷うことなく四軒茶屋へ向かう。程なくして、目的地であるルブランが見えてきた。心が弾みだしたその瞬間、僕の道を阻むようにして少女が現れた。

 

 すらりとした体系に、やたら胸を強調した露出度高目の服を身に纏った今流行(はやり)系の女子だ。彼女はハイヒールでもふらつくこと無く、迷うこともなく、僕の元に突っ込んできた。

 

 

「明智くん! このままじゃ、貴方はダメになってしまうわ!!」

 

(げぇッ!?)

 

 

 突っ込んできた少女は、竜司と杏によって追い返された件のファンである。彼女は突如僕の手を取った。どこか血走った目をした少女は、勢いよく捲し立てる。

 支離滅裂な内容を叫び散らす少女を、どうやって躱そう。できれば穏便に済ませたい。「落ち着いてほしい」と言いきかせても、少女は止まってくれない。

 そうこうしている間にも、僕と少女が騒いでいる図を見て野次馬たちが集まって来る。集まるだけで、助けに入るような人間はどこにもいなかった。

 

 叫び散らす少女によって、僕が明智吾郎であることは完全にバレている。現在、世間の明智吾郎に対する認知は“【怪盗団】を悪と断じる煩いヤツ”だ。

 周りが冷ややかな傍観者になるのは当たり前だろう。下手すれば、野次馬の大半が「いい気味だ」と思っててもおかしくはない。

 

 

「あの、ここだと人の迷惑になりますから。それに僕、急いでいるんで、話をするとしたら別の機会に――」

 

「どうして!? どうして私の話を聞いてくれないの!? 私はこんなにも明智くんのことを思ってるのに!!」

 

(いい加減にしろよクソがぁぁぁぁぁッ!!)

 

 

 地を出して叫びだしたくなるのを堪える。だが、この状況で下手を打ってしまえば、今後の密偵活動にも支障が出てしまいそうだ。

 

 

<“僕”に助けを求められても無駄だよ。ああいう手合いは、みんな纏めて【廃人化】させてきたから>

 

<それ一番ダメなやつ!!>

 

 

 唯一僕と交信できる相手から齎された方法は、あまりにも穏便からかけ離れ過ぎていた。【廃人化】専門のペルソナ使いとして暗躍していたのは伊達ではないということか。

 <勿論、むやみに死なせはしないよ。精々『“僕”への興味が別方向に向かう』程度だけど>と補足されたが、【改心】専門のペルソナ使いとしては何も安心できる要素が無かった。

 

 援軍なんてものは見込めない。頼れるものは僕自身のみ。クソみたいなQTEイベントだ。どうにかして穏便な解決方法を見つけなければ――と、頭を回転させていたときだった。

 

 ルブランのドアベルが鳴り響き、エプロン姿に身を包んだ黎が割り込むようにして顔を出した。「ご予約いただいていた明智さまですね。お待ちしておりました」――黎はあくまで店員として接する。助かった、と思った。

 次の瞬間、少女はぎろりと黎を睨む。黎は接客用の笑顔を崩すことなく少女を見返す。涼し気に微笑む黎の顔に何を思ったのだろう。少女は目を丸く見開いた。彼女の口元が醜悪に歪んでいく。まるで、有栖川黎という人間の弱みを掴んだかのように。

 

 

「アンタ、ウチの学校に転校してきた生徒でしょう!? 私、アンタが最低な奴だってこと知ってるんだからね! 地元でも相当のワ――」

 

「――いい加減にしないかッ! 彼女まで巻き込むんじゃない!!」

 

 

 少女の矛先が黎に向かう。反射で、僕も声を荒げていた。まさか怒鳴られるとは思わなかったのだろう、少女は呆気にとられた顔で僕を見上げた。

 周りから“黎との関係”を察せられぬように注意を払いつつ、僕は黎を庇う。女を張り倒したくなる衝動を抑え込みながら、僕は冷静な口調で言った。

 「お店の営業妨害になりますから、やめてください」――僕の言葉を耳にした女は、途端に顔を歪ませた。何かを言おうと口を開き、けれど彼女は沈黙する。

 

 黎に続いてやって来たのは、明らかに機嫌を急降下させたルブランの店主・佐倉さんだった。基本女性に対して優しい紳士だが、怒るべきときにはきちんと怒る“頼れる大人”である。その後ろには、人見知り故に身を隠しながらも「そ、そうだそうだ。営業妨害反対!」と小声で主張する双葉もいた。

 

 赤の他人に害意を振りまいた時点で、少女を見る野次馬の目は変わった。野次馬の中にはルブランの利用者もいたようで、「あそこの店員さんはいい子だよ。なんでイチャモンを付けるんだろう?」と囁く者が出始める。彼女はあっという間に孤立した。

 それを彼女も察知したのだろう。わなわなと震えた後、踵を返して駆け出した。その背中を見送った後、僕はちらりと目で合図した。黎も同じように合図を返しながら、何事もなかったかのように俺を店内へと招き入れてくれた。店の前のざわめきも、蜘蛛の子を散らすように去っていく。

 

 久しぶりにやって来たルブランは、以前と変わらず落ち着いた雰囲気が漂う。僕が安心できる数少ない場所の1つであり、黎のいる場所だ。

 いつものカウンター席に座り、ほっと息を吐く。それを見た黎も、ふわりと笑みを浮かべた。――ああ、幸せだなぁ。僕はひっそり噛みしめた。

 

 

「いつもの?」

 

「うん、いつもの」

 

 

 ただそれだけで会話が通じる。それ程、ルブランの店員である黎が、常連客である僕と通じ合っているということだろう。なんだか照れ臭い。

 

 

「しかし、お前さんも災難だな。今じゃバッシングの嵐なんだろう?」

 

「……まあ、嫌われるのには慣れてますからね」

 

 

 獅童とブッキングする事件があって以降、佐倉さんは僕に対しても心配してくれるようになった。

 僕との会話で彼が何を悟ったかは知らないけれど、やっぱり少しむず痒い。

 

 母亡き後初めて対峙した大人たちは、みんな僕のことを嫌っていた。「売女の子など要らない」、「どうしてこんな足手まといを残して死んでいったんだ」、「こんな子ども引き取っても利がない」、「コイツも死ねばよかったのに」――ありとあらゆる罵詈雑言が、容赦なく僕の元へと飛んで来たのだ。

 大人はみんなこんなものだと諦めて絶望していた僕の前に降り立った、高校生のヒーローを知っている。ヒーローは今や大人になって、ヒーローと呼べるような存在とはほぼ遠い立ち位置に追いやられてしまったけれど、彼らは今でも戦い続けている。あのとき僕を嫌った大人とは大違いだった。

 あの日の傷は癒えていない。彼らと共に駆け抜けてできた傷だってあるし、まだ治っていない傷だってある。それでも歩いていくことを決めたのだ。傷だらけの手でも掴めたものがあって、手放したくないものがあったから。痛みと引き換えにするにはささやか過ぎる成果が、僕をここに繋ぎ止めている。

 

 

「その年で、そんなことを言わなきゃいけない人生を歩むのはおかしいと思う」

 

 

 僕の言葉に異を唱えたのは黎だった。あの理不尽を諦めて受け止めることに慣れてしまった僕の代わりに、いつも黎は怒ってくれる。彼女にそうさせてしまう自分が情けないけど、僕はその事実がとても嬉しかった。

 黎が淹れてくれたコーヒーを受け取り、啜る。佐倉さんレベルとは言わないけれど、爽やかで華やかな味がする。ボロボロになった俺を掬い上げてくれるようで、ちょっとだけ泣きそうになった。……情けない話である。

 

 

<……“僕”がバッシングを受けてた頃も、“あの子”は“僕”のことを心配してくれたっけ>

 

 

 ――そんな僕に対して、“明智吾郎”は何か思うところがあったらしい。

 

 僕がコーヒーを啜る度、“彼”はぽつぽつと言葉を零す。

 黎のコーヒーから郷愁めいたものを感じたのだろう。

 

 

<【怪盗団】や“彼女”を利用するための一環だった。“僕”がバッシングを受けることも織り込み済み。目的のためならば、嫌われて、居場所がなくなるのも甘んじて受けた>

 

 

 当時の心境を噛みしめるようにして、“明智吾郎”は目を伏せる。断片的に見えたのは、SNSによる誹謗中傷。

 大衆心理を操るための情報収集で、自分自身の名前をエゴサーチをした際に目の当たりにした言葉たちだ。

 

 

<この方法を選んだのは僕自身なのに、時々、本当に辛くなってさ。母が亡くなった後、親戚達に罵倒されたときの夢を見るようになったんだ。……笑っちゃうよね>

 

 

 『必死過ぎてウザい』、『いちゃもんばっかりつけている』、『【怪盗団】を悪く言ってるから嫌い』――母を失って以降、大人達から『要らない子』として扱われ、傷つけられてきた日々を再現するようなものばかり。自分が選んだ手段によって、自分のトラウマを抉られ続けている状態だ。悪夢の1つや2つ、見てしまっても仕方があるまい。

 

 “彼”は“彼”自身が思っている以上に頑張っていたし、無自覚のうちに疲弊していたのだろう。僕と黎のやり取りを見て――黎が僕を労わる様子を見て、そのときの感情を拾い上げたようだ。

 幾ら『計画のため』と自らに言い聞かせて律していたとしても、無理が祟れば心身に影響が出てくる。“彼”にとっては、それが『親戚から罵倒される』悪夢として現れた。

 理由や経緯はアレだが、“明智吾郎”が世間からのバッシングで疲弊していたことは事実。無自覚ながらも、演技どころでは済まない程の疲労を抱えていた“彼”のことを、“彼女”は気遣った。

 

 

<マスターの目を盗んで、ちょっとしたお菓子をつけて貰ったことがあったんだ。マスターの目がないときは、『アレンジコーヒーや料理の試作品作ったから、実験台になれ』って名目で、コーヒーや料理を振る舞ってくれてさ。『キミにとって、ここが少しでも安らげる場所になったなら嬉しい』なんて言うんだよ。“僕”の計画も、“僕”がほくそ笑んでることも知らないで>

 

 

 “()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()、“()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

<でも、悪くない時間だった。……嬉しかったんだ、本当に>

 

 

 そっぽを向いた上で仮面を被ってしまった“彼”の横顔は伺えない。ただ、心の海を介して流れ込んできた感情は、柔らかくて温かなものだった。

 

 大切にしたいと願いながらも、自分自身でそれを引き裂いてゴミにしなければならないという葛藤と罪悪感。本当は殺したくないという願いと、“彼女”を諦めなければ“自分”が獅童に殺されるという現実。頭を抱えて崩れ落ちることすら許されない。逃げるなんて言語道断――そんな葛藤の中で、“彼”は選ばなければならなかった。

 復讐のために生きてきたことを忘れてしまうくらい、優しくて温かな日々があった。探偵王子という偽りの仮面を身に着けていなくとも、完璧な存在でなかったとしても、静かに受け入れてくれたのが“彼女”だった。母を失って以降、『おかえり』や『ただいま』という言葉を交わした唯一無二の相手。ささやかな心の拠り所。

 確かに、“明智吾郎”が“あの子”に近づいたのは計画のためだ。“自分”と同じ力を持つ邪魔者・【怪盗団】を潰しつつ、獅童正義への復讐の足掛かりにするために近寄った。“彼女”との関係を深め、信頼を勝ち取る行為を『ゲーム』のように考えていたのも事実。実際そうやって“彼女”を殺したのだから、何の言い訳もできない。

 

 故に、“彼”は『なかったこと』にしなければいけなかった。“自分”が葛藤していたという事実も、“彼女”と関係を深めていく度に思慕と愛情が比例して大きくなっていくという事実も、己にとって都合の悪いモノだったから。

 復讐計画を遂行していたときも、丸喜さんが作り上げた【曲解】――理想の現実を壊そうとしていたときも、丸喜さんによる善意の脅迫を受けて取り乱す“彼女”を叱咤激励したときも、前へ進むために切り捨ててきたのだ。

 

 

<自分でも『どの面下げて』って思ったし、1月以降は『僕は死んでいるから』資格なんかないって分かってたんだ。だから何も言わないことを選んだ>

 

<今は?>

 

<……もう一度、ありのままの自分の姿と言葉で、“あの子”にちゃんと伝えたい>

 

 

 “明智吾郎”の幸福は、『嘘偽りの姿ではなく、ありのままの自分で在れること』、『それを肯定し、受け入れてくれる存在がいること』だ。

 “彼”は幼い頃からいい子で居なければならず、高校時代は清廉潔白な探偵王子としての体裁を保つために費やされていた。

 その裏側で、獅童正義の『駒』として相応しい頭脳と才能を有していることを示し続けなければならなかった。使えない存在はすぐに捨てられてしまうから。

 

 『キミにとって、ここが少しでも安らげる場所になったなら嬉しい』――そう言った“少女”と関係を深め、心を通わせる。痛みと葛藤の中で積み上げられた時間は、確かに“彼”の心を照らした。いつか手放すと分かっていても慈しまずにはいられない程度には、かけがえのない日々だったのだ。

 

 最後の最期に“彼女”を選んだその瞬間、“彼”は理不尽だらけの現実の中に幸福を見出した。丸喜さんが作った理想の現実では絶対に得られない、尊いものを。

 “彼”はまだ、【曲解】を壊すことを諦めていない。『まだ手遅れではない』という希望を示されたからこそ、“明智吾郎”は嘗て切り捨ててきたモノを拾い集め、向き直っている。

 

 

<だから“僕”は、何としても【曲解】を打ち砕く術を手に入れて、『僕等の世界』に帰らなきゃいけないんだ>

 

 

 そう言って、“彼”は強気に笑って見せた。嘗て泣く泣く切り捨ててきた葛藤と、ひっそり慈しんできた数多の想いを腕に抱いて。

 ……それでもまだ、拾いきれていないものや、見て見ぬふりをしている事実はまだ沢山あるのだろうが。

 

 

「なあ、吾郎」

 

「何? 双葉」

 

「……航から、聞いた。おかあさんに『研究が終わったら、娘さんと一緒に過ごしてあげて欲しい』って提案したの、吾郎なんだって」

 

 

 ――双葉はぽつぽつと話し始める。一色さんが亡くなる直前にした喧嘩の話を。

 

 一色さんは僕との約束を守ろうとしてくれたらしい。双葉と喧嘩した後、『研究が終わったら、好きな所に旅行へ連れて行ってあげる』と約束を交わしていたそうだ。……その約束は、もう二度と果たされなくなってしまったが。

 それでも一色さんは足掻いたのだろう。僕と母の関係性や、母亡き後に僕を邪魔者扱いしてきた大人達の話を聞いていたから――愛された証が遺っていたら、きっと生きてけるはずだと知っていたから、双葉への手紙を遺した。そしてそれを、航さんに託した。

 双葉と航さんを会わせようとしたのは、研究関係の話で盛り上がれそうな人物を探した結果らしい。惣治郎さんや親戚では、研究に関する知識欲や好奇心を満たすことなど不可能だ。一色さんの遺したメッセージ曰く、“誰かと語り合うからこそ発展する研究もあるから”とのこと。

 

 僕が多忙を極めている間に、双葉さんは自身の【パレス】攻略に参加した先輩達――航さん、至さん、麻希さん、真次郎さん、風花さん、乾さんと交流していた。

 特に、麻希さん、風花さん、乾さんとは、オンライン上のチャットで知り合い、以後も言葉を交わす間柄だったという。

 

 

「わたしが思っている以上に、世界は狭いと思ったぞ! 現実のみんなもチャットの時と中身は殆ど変わってなかったし! 特に乾は凄かったな!!」

 

「ああ、開口一番に『フェザーマンシリーズについて語り合いたいんだけど、いいかな?』って話しかけたやつか」

 

「それもあるが、確証を持ったのは『キミもNTRやBSSを読まないか?』だな。……あの異様な圧と雰囲気は“だーあま”特有のものだったから……」

 

 

 その日のことを思い出したのか、双葉はそっと遠くを見つめた。乾さんの性癖は、三角関係の末に、勝負の土俵に立てないまま負けた影響によるものだろう。

 双葉がフェザーマンシリーズに興味があったことから交流の足掛かりになっていたはずなのに、いつの間にか、性癖が本人確認の指標になってしまっているとは。

 乾さんが勧めてきたラインナップは、双葉曰く、「脳が破壊される系のNTRとBSSばっかりだった。わたしにはレベルが高すぎる」ものだったらしい。閑話休題。

 

 

「あと、航と研究の話で盛り上がったぞ! 科学の力ってスゴイな!」

 

 

 双葉はパッと表情を輝かせて、航さんと話したことを教えてくれた。……最も、専門外で門外漢である僕には、2人がどんな会話を交わしたのかを推測することさえできなかったのだが。

 

 航さんと双葉が仲良く話す間柄になったのは、研究者気質がうまい具合に一致したためだろう。他にも、母親の元職場絡みでは麻希さん、PC繋がりでは風花さん、フェザーマン絡みでは乾さんとは比較的早く打ち解けることが出来たらしい。……もし神取が悪神の『駒』でなければ、彼もこの中に加われたのだろうか?

 そんな光景を思い浮かべると、僕の想像する神取から「無意味な妄想はやめ給えよ」と小突かれた。苦笑してはいたけれど、込められた感情はどこまでも優しい。まるで近所に住む世話好きなおじさんみたいだ。実際の僕と神取の関係は、そんな微笑ましいものではなかったのに。

 

 

「そういえば、どうして吾郎はおかあさんにそんな提案したんだ? お前とわたしはそこまで関係が深かったとは思えないから気になってさ」

 

「……一色さんの姿を見ていて、どうしてか納得できなくてね。実体験交えて、ちょっと主張したんだ。僕の家庭環境も色々とアレだったからさ」

 

「アレって?」

 

「母と過ごした時間が、確かに僕の救いになっていたからだよ」

 

 

 コーヒーを啜りながら、僕はできるだけ何でもない風を装いつつ、かいつまんで説明する。物心ついた頃から母1人子1人の慎ましやかな生活を送っていた僕達親子は、それでも確かに幸せだった。それが壊れたのは母の死後。葬儀中、母の父親――僕の祖父に当たる老紳士や他の親戚達から『明智吾郎のせいで母親が死んだ』、『明智吾郎は要らない子どもだった』ことを突きつけられたのだ。

 母は女手1つで俺を育てていた。当時の僕は父親がいなくても、母さえいてくれればいいと思ってた。母は僕の前ではとても優しかったから、僕は母に愛されているのだと無邪気に信じていた。……あの日、空元兄弟が僕を庇ってくれなかったら、母との思い出はゴミと化していたことだろう。“明智吾郎”が母との日々をどう思っていたのかは、未だに不明のままだけれど。

 

 

<……そうか。お前は、そんな目をしながら、母さんと過ごした時間を語れるんだな>

 

 

 僕がそんなことを考えていたとき、“明智吾郎”が静かに目を細めた。“彼”の視線は双葉に向けられる。

 

 獅童正義への復讐を夢見た“彼”が、目的を果たすために踏み躙った名もなき有象無象――その中の1人が、一色若葉さんだった。彼女を【廃人化】させて死に追いやったことが、双葉さんの苦しみの始まり。同時にそれは、『どこかの世界』で“明智吾郎”が犯した罪の権化でもある。心の海を介しても、それに関するアレコレは流れ込んで来ない。

 それが“彼”から僕への気遣いなのか、ただ単に“彼”自身の意地と覚悟――『一色若葉さんを手にかけたことに関する事象や、それに伴う感情、葛藤に至るすべては、“明智吾郎”ただ1人の物である。だから僕には一片も渡さない』――の現れだったのかは分からなかった。心の海を介して流れてきたのはただ1つ、『もう二度と目を逸らさない』という意志のみ。

 僕もまた、双葉が直面した出来事とその顛末を経て、『目を逸らしてはいけない』と思ったことがある。一色さんと双葉のやり取りを聞いて、黎からチャットで又聞きする形となった双葉の話を読んで、母と過ごしてきた日々を改めて見つめ直そうと思った。祖父や他の親戚が振りかざしてきた言葉に尻込みし、耳を塞いで目を閉じてはいけないと思ったのだ。

 

 

『大好きよ、吾郎』

 

『貴方がいるから、お母さんは頑張れるの』

 

 

 母1人子1人の生活は、あまり裕福とは言い難い。住んでいた家――小さなアパートに風呂はなかったから、近くの銭湯に行っていた。母は夜の仕事をしていたらしく、勤務時間は不規則で多忙だった。アパートに客を呼んで、彼らの相手をしていたこともある。今の生活と比べれば、母との日々は『貧しくて慎ましやかな生活』だったと言えるだろう。

 それでも僕は構わなかった。衣食住は不安定だったけれど、母と一緒ならそれだけでよかったのだ。どんなに忙しくても母は僕と過ごす時間を作ってくれたし、時折僕を『お客さんから紹介された美味しい店』に連れて行ってくれた。長期間1人で留守番することになったときは、それが終わると、決まって短い連休を取って僕と一緒にいてくれた。

 

 悪い男に惚れ込み、そいつの子どもを孕んだことで、母は僕ごと捨てられた。僕のせいで酷い目にあったのに、父親から僕の堕胎を提案されても、母は決して僕を殺そうとしなかった。

 『僕を殺そうとした人間とは一緒にいられない』と言って、家も父親も捨てて、母は僕を選んだ。僕の前では1度も弱音を吐かなかった。『大好きよ、吾郎』と、口癖のように伝えてくれた。

 平均寿命80年の中では、あまりにも短い時間。――それでも僕は、確かに母に愛されていた。幸せそうに目を細めた母の笑顔を、僕はちゃんと覚えている。ちゃんと思い出せる。

 

 

『吾郎、一緒にいられなくてごめんね。守ってあげられなくてごめんね』 

 

『……あなたを独りぼっちにしてしまうお母さんを、どうか許してね……』

 

 

 亡くなる少し前の母は、僕を見る度、いつも申し訳なさそうに謝っていた。僕の行く末を心配していた。

 母は知っていたのかもしれない。父親不明で非嫡子の僕が、周囲からどのような扱いを受けることになるのかを。

 

 

『お母さんとお別れした後も、たくさん辛いことがあるわ。勿論、悲しいことだってあるでしょう』

 

 

 母の言葉通り、僕は辛い目に合った。悲しい目にあった。祖父に当たる老紳士を始めとした親戚縁者からは拒絶され、自分たちの都合と厄介者である僕を押し付けあう光景を見せつけられた。

 人間の汚さや悍ましさを目の当たりにした。僕が『望まれない子ども』で『要らない子ども』だってことを、嫌という程思い知らされた。これが社会全体の反応なのだと悟ってしまえる程に。

 

 

『それでも――いつか必ず、吾郎のことを『大好き』だって、『大切だ』って言ってくれる人が現れるわ』

 

『もしかしたら、吾郎が誰かのことを『大好き』だって、『大切だ』って思える日が来るかもしれない』

 

『いつかそんな人が現れたら、絶対に、その人の手を放しちゃダメよ。何があっても、一緒にいることを諦めないで』

 

 

 一度、母と過ごした時間も、母と交わした言葉も、あわやゴミになりかけた。完全なゴミに成り果てずに済んだのは、母の言葉を真実にしようと力を尽くしてくれた人がいたからだ。

 勿論、「自分にとって都合のいい真実を見ようとしている」と言われればそれまでかもしれない。八十稲羽を覆いつくした霧の正体は、万人が望む甘い毒だった。

 下手すれば、僕は自らの意志で霧の中に引きこもってしまうことになるだろう。――でも、嘘にしたくなかった。母がいた日々を、ゴミ屑として棄てたくなかった。

 

 そう思っていた自分の存在や、当時の気持ちと向き合うことができたから。

 

 

「――だから、信じることができたんだ。“母さんと一緒に過ごした時間は、僕にとってかけがえのない時間だった”、って。……情けない話だけど、時々、ちょっと揺らぎそうになるけどね」

 

「吾郎……」

 

「それと改めて向き合えたのも、決意を抱くことが出来たのも、双葉のおかげだ。キミは強いよ」

 

 

 長い話を聞かせてしまったにも関わらず、双葉は真面目に受け止めてくれた。話を遮ったり、話半分に聞き流したりしなかった。

 僕から聞いた話に対して、何か思うところがあったらしい。気恥ずかしそうに視線を彷徨わせた後、彼女は配膳用のトレーで口元を覆い隠した。

 

 

「……ありがと。でも、わたしが立ち上がろうと思えたきっかけをくれたのは、吾郎と黎だよ」

 

「そっか。じゃあ、イーブンってことでいいかな?」

 

 

 僕と双葉の話を聞いていた黎が微笑み、僕の座る席に何かを置いた。見れば、美味しそうなガトーショコラが置かれている。

 

 

「これ……」

 

「私の奢り。双葉にも、後で同じの出すから」

 

「本当か!? ありがとう黎!」

 

「よしよし。今は仕事中だから、終わるまでは頑張ろうね」

 

 

 黎と双葉の姿を見ていると、なんだか本当の姉妹のように見える。姉として振る舞う黎に対し、双葉は存分に甘えている様子だった。

 有栖川関係者の中で、黎は舞耶さんや命さんに妹の如く可愛がられていた。それ故、姉として振る舞う黎を見たのは初めてのことである。

 どうしてか、近々双葉が黎のことを「お姉ちゃん」呼びして甘え倒す予感がしてならない。黎もそれを拒否しないだろうな、とも思う。

 

 ……妹分にとって、姉貴分の彼氏というものはどう見えるのだろう。交際反対を掲げられてネットを駆使されたら非常に辛い。双葉が僕の敵に回らないでほしいと切に願った。

 

 僕はコーヒーとケーキに舌鼓を打ちながら、佐倉さんに視線を向ける。

 佐倉さんは微笑ましそうに目を細めて、黎と双葉のやり取りを見守っていた。

 

 

「ああ、そうだ。マスター、冴さんが……」

 

「あの検事に言っとけ。『何度もしつこい。もう話すことは何もないぞ』ってな」

 

「違います。冴さんが『証拠欲しさに脅すような真似をして申し訳なかった』と謝ってました」

 

 

 検察庁で冴さんが零していたことを伝えると、佐倉さんは目を丸くした。てっきり“僕を使って証拠をでっちあげるのを諦めていない”とばかり思っていたためか、拍子抜けしたように「お、おう」と返事を返した。

 

 ドアベルが鳴り響き、客の来店を告げる。何ともなしに視線を向けて――僕はコーヒーを気管に詰まらせそうになった。咄嗟に奴の本名を口走らなかっただけマシだろう。

 そいつ――神取鷹久(偽名:神条久鷹)は静かな笑みを浮かべたまま、団体席に1人腰かけた。座っている位置は俺の左後ろ。奴は黎にブラックコーヒーを注文した。

 多分、黎や【怪盗団】から話を聞いていた双葉も驚いたに違いない。けれど、奴が客として来店した以上、騒ぎを起こすわけにはいかなかった。

 

 黎も営業スマイルを浮かべたまま、神取にコーヒーを差し出す。神取は「ありがとう、お嬢さん」と礼を述べ、コーヒーを啜る。

 新聞を読みふけっているポーズは酷く様になっていた。そう言えば、こいつは元・実業家なんだよなぁと僕は思った。

 

 暫しコーヒーを啜っていた神取だが、ふと何か思い出したように追加注文を出した。奴が注文したのはチーズケーキである。僕はそれに違和感を覚えた。

 

 

(――もしかして……)

 

 

 セベクで顔を合わせたとき、奴は酒を煽っていた。その酒の銘柄は辛口の日本酒。珠閒瑠で顔を合わせた際も、何かの話題で“神条久鷹は甘いものを好まない”なんて話を耳にしたか。対して、珠閒瑠で対峙した敵――須藤竜蔵の愛人にしてワンロン占いの使い手・石神千鶴は、何かの話題で“一番の好物はチーズケーキ”なんて話を耳にしたことがある。

 神取と石神千鶴が深い結びつきを持っていることは察していた。それがどれ程のモノだったのか、今でも僕のような小僧に測ることなど不可能だろう。ただ、それは決して、汚していいものには思えなかった。神取は運ばれてきたチーズケーキをずっと凝視していたが、彼はコーヒーを追加注文してコーヒーが来るのを待った後、ゆっくりと食べ始めた。

 

 甘いものを好まないという噂は本当らしく、神取は非常に食べにくそうにチーズケーキを口に運ぶ。何度もコーヒーで口直しをしていた。コーヒーお代わりの追加注文が入るため、佐倉さんは文句を言わない。

 

 僕はちらちらと神取に視線を向けた。神取は暫し何も言わず、ぼうっと時間を潰していた。……奴は一体、何をしに来たのだろう。

 時計の針が動く音だけが響く。どれ程の時間が過ぎたのかは分からない。気づけば、外は夕焼けに染まっていた。

 神取もチーズケーキを食べ終わり、口直しのコーヒーを啜っている。もう6杯目だ。佐倉さんもウキウキしている。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

「元気そうでよかったよ。()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そう言って、神取は微笑んだ。遠回しに、奴は双葉さんのことを気にかけていたらしい。

 双葉は挙動不審に視線を彷徨わせていたが、こくこくと首を縦に振ることしかできない様子だった。

 奴は何を思ったのか、こちらに背を向けた。携帯電話を操作する。そのまま、誰かと電話をし始めた。

 

 しかも――僕達には辛うじて聞き取れる声量で、だ。

 

 

「例の件はどうなっている? ……()()()()()()()()()()だ。最近、先生にやたらと絡んできている……」

 

 

 僕は即座にボイスレコーダーを回した。神取もそれに気づいたようで、ちらりと俺を一瞥する。

 

 

「奴は政治家に転身してのし上がろうと考えているようだ。……ああ、その通りだな。そのような器など、奴にあるとは思えない。精々、()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう」

 

 

 双葉がぎょっとした顔をして口を開きかけ、俺と黎がそれを制する。

 神取は思い出したように「そういえば」と声を上げた。

 

 

()()()()()()()()()はどうする? 近々、5月に秀尽の体育教師が起こした暴力事件と、7月に逮捕された詐欺師による学生脅迫事件の件で捜査が入るそうだが……成程。それが先生のご意見か。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 神取は笑いながら、話を続ける。

 

 

「しかし、不思議だな。今まで逮捕された連中を野放しにするなんて。奴等を()()()()()()()()()()()()()? 余計なことが漏れる前に。……そうか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。意外なことだ。……ああ失敬、機嫌を損ねたようだな。許してくれ給え」

 

 

 神取は暫し雑談に興じた後、精算を済ませてルブランを後にした。なかなかの上客――コーヒー8杯とチーズケーキを食べて帰って行ったので、客単価はかなり高い――だったためか、佐倉さんは上機嫌で神取を見送った。

 

 神取の言葉を思い出す。奴はかなり回りくどい方法だったが、僕に情報を流してくれた。今の話は“獅童智明が誰をターゲットにしているかのヒント”になり得る。

 名前は自分で調べろということか。秀尽学園高校校長の本名は学校関係者に訊けば本名が分かるだろうし、オクムラフーズ社長は公式HPを見れば一発で本名を割り出せそうだ。

 後はその情報の裏取りをしつつ――けれど迅速に【改心】させなくてはならない。神取の話を聞く限り、秀尽学園高校の校長の【改心】は急がねばならないだろう。

 

 秀尽学園高校の校長が獅童と繋がっていたことは、以前から把握していた。更に、僕達【怪盗団】は秀尽学園高校に絡んだ連中を【改心】させ、校長が隠蔽しようとした事件を表面化させた。

 獅童にとって、不祥事を連続で起こした秀尽学園高校校長の利用価値は無に等しい。そろそろ切り捨てるべき相手とみなし、そのタイミングに入ったのだろう。

 

 

(検察がどう出るかは分からないが、獅童に切り捨てられた人間が辿る末路は破滅だけだ。社会的死か、肉体的な死か……おそらく後者だろう)

 

 

 本人が証拠を持って警察に自首したという形ならば、獅童にそれなりのダメージを与えることができるかもしれない。そして、獅童の罪を明かすために必要な材料が出てくる可能性もある。

 

 神取の発言を聞く限り、【メメントス】や【パレス】にいるシャドウを【改心】させて心に還せば、認知世界専門のヒットマンでも手を出すことはできないようだ。

 実際、【改心】した獅童の関係者たちは、獅童にとって利用価値がなくなったのに生かされている。今でも、【廃人化】され手を下される様子はなかった。

 ……もしそこで神取を出されて、現実世界に干渉できるペルソナ――ゴッド神取を出されてしまった場合は、彼ら全員の無事は保証できなくなってしまうが。

 

 

「な、なあ。アイツ、敵なんだよな?」

 

「完全な味方とは言い難いけど、敵と断じるには親切すぎる男なんだよ。いい意味で、道化みたいな奴かな」

 

 

 双葉がルブラン出入り口と俺を見比べて右往左往している。俺は苦笑しながら頷いた。黎も、静かに目を細めながら彼の去った扉を見つめる。

 今日はそれなりに客が出入りしていた。佐倉さん、黎、双葉が各々作業するのを見守りながら、僕はコーヒーをお代わりした。

 

 

 

***

 

 

 

 花火大会の再来だ。あのときの浴衣姿で、黎は夜の四軒茶屋に現れた。眼鏡をはずし、黒い生地に青系で描かれた牡丹と蝶の柄が目を惹く。

 対して、僕も浴衣を身に纏う。白基調のそれには、柳と燕が青で描かれていた。生地の色は正反対だが、柄に使われている色は同じ。なんだか一種のお揃いのように思える。

 双葉は佐倉さんが持っていた男女兼用のシンプルな浴衣を身に纏っていた。生地の色は黄緑色で、薄い黄色で鹿の子模様が描かれていた。黎に着つけてもらったと自慢していた。

 

 双葉は自分で花火を買いに行き、無事に帰って来たという。こっそり護衛していたモルガナが「もう大丈夫だろ! これなら海に行っても問題ないな!」と我がことのように自慢していた。

 

 

「それはモナにだって言えることだぞー! ここ最近、『看板猫のおかげで利益ハンパない』って、そうじろうが褒めてたからな!」

 

「理さんも『猫に演技指導するのは人生初だ』って言ってたね。あの困惑顔は忘れられそうにないや」

 

「だー!? オマエら、余計なことは言わなくていいんだよッ!!」

 

 

 僕が探偵王子兼密偵として大忙しだった頃に、そんな面白い話が巻き起こっていたらしい。非常に気になるが、頑なに威嚇するモルガナの様子からして詳細の追及は出来そうになかった。

 毛を逆立たせてうなりを上げる程の拒絶っぷり。こうなると、本人(人???)がいない場所で聞き出す以外なさそうだ。絶対面白そうな話なのに勿体ない気がする。

 

 尚、“明智吾郎”は『猫に演技指導する』という絵面に関して微妙な顔をしていた。理さんが置かれた状況に対し、困惑と憐みを抱いている節があった。

 

 

<コロマルに師事する方がまだ何とかなりそうな気がするんだけど……>

 

「どうしてコロマルじゃなくて理さんにしたの?」

 

「ワガハイは犬でも猫でもないし! 今はこんな姿だが、ワガハイは人間だったんだ。人間に師事すんのが普通だろ?」

 

 

 僕の問いかけに対し、モルガナは当然と言いたげな顔で答えた。当たり前のことを当たり前に言っていると言わんばかりの様子に、僕は一瞬面喰らってしまう。

 そういえば、出会った当初から、モルガナの種族自認は『人間(希望)』である。人間から見ればどこからどう見ても『猫』だから『猫』として扱われるのだ。

 当人の種族自認と他者から見た外見的特徴のギャップが、良くも悪くも、此度の出来事の引き金になったのだろう。尚、モルガナの正式な種族は暫定『人外』である。閑話休題。

 

 今回、ルブランで行われるのは家庭用花火を用いた花火大会である。但し、打ち上げ花火やロケット花火の使用は厳禁。線香花火や普通の花火がメインだ。規模は小ぢんまりとしたものだが、それでも充分だった。

 早速花火に火をつけて、思い思い楽しむ。双葉は2本同時に線香花火を持ち、点火して勢いを楽しんでいた。僕と黎はそんな双葉を見守りつつ、花火に火をつけて楽しむ。色とりどりの炎が夜闇に彩りを添えた。

 

 

「綺麗だね」

 

「うん。本当に……」

 

 

 花火も、浴衣を着た黎も、とても綺麗だ。僕は感嘆の息を零す。

 黎もまた、蕩けるような笑みを浮かべて僕と花火を見つめていた。

 

 

「ゴホッ、ゲホッ! オマエら、ワガハイに煙かけんな!」

 

「え? あ、ごめんモルガナ」

 

 

 風向きの関係か、モルガナがいる場所が悪いのか、花火の煙がすべてモルガナに向かっていく。

 

 

「うりゃあ、2本取りー!」

 

「ひ、人の話をゲフォッゴフオッ!!」

 

「こら、猫が嫌がってるだろ。動物に火を向けるんじゃない」

 

 

 おまけに、双葉がノリノリで花火を振り回すから、余計に煙が発生する。それも漏れなくモルガナの方へ向かっていった。

 モルガナは涙目で必死に抗議するが、花火に夢中な双葉には聞こえないようだ。佐倉さんが深々と息を吐いて窘める。

 だが、双葉はどこまでもマイペースだった。線香花火が爆ぜるのをやめ、火の玉だけになったからだ。

 

 

「すげー、でっかい火の玉できた。そうじろう、見て見て!」

 

「お、おう。気をつけてな」

 

 

 「次は10本取り!」と意気込む横で、モルガナが絶叫する。ならば風向きのない方――僕と黎の真後ろに来ればいいのだが、モルガナは決してその位置から動こうとしなかった。どうしてだろう。

 佐倉さんは何か悟ったような目をした後、モルガナにチチチと手招きする。自分の方なら煙が来ないからとアピールしているらしい。それを察知したモルガナは、即座に佐倉さんのいる場所へ避難した。

 

 酷い目に合ったと愚痴るモルガナを横目に、僕達も花火に火をつける。花火大会のような派手さはないけど、黎と一緒に花火をしているという事実がじわじわと胸を満たした。

 

 時折響く双葉の声と言動を見守りながら、僕と黎は寄り添いながら談笑した。年齢より子どもっぽい双葉を見ていると、同年代の集まりではなく疑似家族じみた光景に思えるのだ。

 僕が夫で黎が妻、双葉が子どもでモルガナがペット――何の抵抗もなくそんな役割に自分たちを当てはめた己自身に目を剝く。幾らなんでも、色々すっ飛ばし過ぎではなかろうか。

 だってまだ、僕は、ちゃんと黎に言ってない。何も、言ってない。その約束を、口に出していないのだ。……言わなければ、今みたいな光景なんて見れるはずがないと言うのに。

 

 

「ねえ、黎」

 

「なに?」

 

 

 僕が口を開いたのに反応して、黎が僕を向き直る。花火に照らされた白い肌、普段は見えないうなじ、光の中から艶やかに浮かぶ黒髪――綺麗だと思った。

 言葉が喉に閊えて出てこない。“これから”を誓うのに相応しい言葉なんて何も出てこなくて、素直な言葉すらも零せなくて、そのまま息を吐く。

 

 

<うわ……>

 

 

 そんな僕の姿を目の当たりにした“明智吾郎”は、眉間の皴を深めた上で後ずさりした。文字通りのドン引きである。

 

 

<お前、ペルソナ関連の事件に巻き込まれても尚、頭の中お花畑なの? それはそれでヤバくないか??>

 

<『それはそれ、これはこれ』じゃないの? 確かに、ペルソナ絡みの事件に対して思うところはあるよ。けど、それに怯えて将来を諦めるってのは違うと思う>

 

 

 憐れなものを見るような眼差しを真正面から見返して、僕は自分の意見を述べた。

 

 “明智吾郎”の憂いは理解できないわけではない。有栖川家に引き取られ、聖エルミン学園高校で発生した【スノーマスク事件】に巻き込まれたのを皮切りに発生した数多の事件。そこで目の当たりにした地獄は、今でも色褪せずに僕の中に残っている。

 数えきれないほどの理不尽があって、無自覚なままに引き金が引かれた罪があった。罪の清算として与えられた罰の大きさに直面し、途方に暮れたこともある。人知れずに迫る世界滅亡。それを迎え撃つ中で、気を抜く暇などありゃあしない。

 特に今回――【廃人化】や【精神暴走事件】を端に発した【怪盗団】の世直しは、現在進行形で僕達が向かい合っているペルソナ使いの戦いである。獅童正義と智明を『駒』として見出した『神』との戦いが迫っているのだ。

 

 戦いが激化すれば、将来を考えている暇はない――“明智吾郎”はそう言いたいのだろう。

 ……でも、僕は知っている。あの戦いの中で、先輩達が育んでいた絆を。

 

 

<至さんと航さん達も、舞耶さん達も、命さんや理さん達も、真実さんや凛さん達も、日常を大事に過ごしながら滅びと向き合った。未来を語ることを諦めなかった。そして実際に、運命を超えたんだ>

 

<……あり得ない未来を語ることが、来るはずのない未来を語れることが、世界の滅びを超える鍵になるって言いたいのかい?>

 

<“キミ”には無いの? 可能不可能は一旦棚上げして、『やりたい』って思うこと。勿論、『元の世界に戻って【曲解】を打ち破る』、『“大切な人”に“キミ”の本心を伝える』こと以外で>

 

 

 “明智吾郎”は相変わらず半眼で僕を見ていたが、僕の問いかけに対して俯く。

 心の海を介して流れ込んできたのは、“彼”が直面した地獄。“彼”にとっての滅びの夢。

 焼け焦げた映画フィルムのように断片的な映像がフラッシュバックする。

 

 

『勝負は“私”の勝ちだ。戦う前にした約束、覚えてるでしょう?』

 

『……覚えてるよ。“僕”が勝ったら“キミ”の命を、“キミ”が勝ったら“僕”のすべてを、だったね』

 

『よし。じゃあ行こうか』

 

 

 20XX年、11月――もしくは12月。黒い甲冑を模した怪盗服を着た“彼”は、戦いに敗北して膝をついていた。そんな“彼”の手を掴んで、“ジョーカー”が笑う。

 有無を言わさず、躊躇うこともなく、当たり前のように手を掴まれた。全てを知ったはずなのに態度を変えぬ“彼女”の姿に、“彼”は苦笑を零す。

 

 “明智吾郎”が“ジョーカー”の手を握り返した直後、そこに刺客が現れた。そいつは“彼”と同じ力を持っており、数多のシャドウを従えている。

 

 普段ならば、刺客を相手することに関して何の問題も起きなかっただろう。しかし、“明智吾郎”や【怪盗団】は先程の戦い――意地のぶつけ合いによって、双方共に疲弊している。そんな状況で数の暴力を受けてしまえば、共倒れになる他に道はない。

 刺客は“彼”に語り掛ける。『獅童正義は全てを知っていた。その上で、“明智吾郎”に人殺しをさせていたし、邪魔になったら殺す算段だった』、『今ここで【怪盗団】を――“ジョーカー”を殺せば、僅かながらも生きる時間を得られるだろう』と。

 復讐計画の破綻と自分の死を悟った“明智吾郎”の前に示された選択肢は2つ。このまま【怪盗団】諸共死ぬか、【怪盗団】を生かすための捨て石になるか。“彼”は躊躇うことなく自分自身を切り捨てた。“ジョーカー”を生かすために手を放し、突き飛ばした上で、隔離障壁のスイッチを撃ったのだ。

 

 

『最期の相手が“人形だった俺自身”か。……“俺”は――!』

 

 

 鏡合わせに向かい合って、銃の引き金を引く。そこで“彼”の記憶は途切れている。

 “彼”は、この時点で『自分は既に死んでいる』と認識していた。

 

 

<20XX年の11月に“僕”は死んだ。キミはどうなるかは分からないけれど、もしかしたら、“僕”と同じ時期に、死の運命と向かい合うのかも知れない>

 

 

 呟かれた今年の暦に、ゾッとするくらいの寒気を覚えたのは何故だろう? “彼”はいっとう真剣な顔で僕に問いかける。

 

 

<これは、キミにとっての“謂れなき罪”であり、“理不尽な罰”だ。――キミはそれらを超えられるのか?>

 

<…………>

 

<越えられなければ、約束なんてできない。お前が夢見る“これから”なんてやってこない>

 

 

 迫るような響きに気圧された僕は、言葉を言い淀む。

 すべてが不誠実になってしまいそうな気がしたからだ。――けど。

 

 

<……でも、やっぱり僕は諦めたくないよ。黎と“これから”の話をすること>

 

 

 僕は“彼”に答えた後、黎に視線を移す。

 彼女は静かな面持ちのまま、僕の言葉を待っていてくれた。

 

 

「……これからも、ずっとこうして、傍にいられたらいいって思うんだ」

 

 

 偽りのない願いを口に出す。不誠実なことは言いたくないけれど、でも、そう願っているのは事実なのだと。

 

 

「すべてが終わった後も、ずっと」

 

「――そうだね。ずっと、一緒にいよう」

 

 

 黎は迷うことなく頷き返して、僕に寄り添う。それがとても嬉しくて――けれど、それが今の自分の限界なのだと思うと、なんだか情けなくて、どうすればいいのか分からなかった。

 

 

 

◇◆◆◆

 

 

 

 明日が来ないことなんて、“俺/僕”が一番わかってた。

 ここにいる“俺/僕”が【作り物】であることも、大分前に勘づいていた。

 もうあの一件以上に、“彼女”に嘘を重ねたり、手酷く裏切って傷つけるような真似はしたくなかった。

 

 

『全部片付いたら、私の実家に行こう』

 

『ウチの両親に“明智”のことを紹介するんだ。――世界で一番大切な人だ、って』

 

 

 ――それでも見てしまった“夢”がある。

 

 

『ああそうだ。“明智”のお母さんにも挨拶したいな。『息子さんを私にください』って!』

 

『お墓参り、連れて行ってよ。案内してくれる?』

 

 

 ――それでも否定できなかった“嘘”がある。

 

 たらればの話はしないと決めていた。あの日、自分が選んだ道に悔いはないと本気で思った。

 “僕”が選んだ選択に、選んだ道に、その果ての結論に、ちゃんと納得している。

 

 唯一納得していなかったことがあるなら、それは――“彼女”の言葉に『否』を突きつけてやれなかったことだった。

 

 “僕”達が変えるべき場所たる現実に、“僕”の居場所はない。本来であれば、“僕”は獅童の【パレス】で命を落としていたはずだった。丸喜の【曲解】によって捻じ曲げられて存在していた【作り物】。

 “彼女”が語る未来は、丸喜と敵対すること――【曲解】を打ち砕くことを選んだ時点で、二度と訪れることはない。そんな未来を望むこと自体が“僕”への裏切りに成り得る。……そのはず、だったのに。

 

 

『……悪くない』

 

 

 “彼女”が語った未来図を、否定することは出来なかった。かといって、完全に肯定することも憚られた。

 『そんな未来があったら良かったのに』と思わなかった訳ではなかったし、丸喜の作り上げた【曲解】を肯定したくなかったから。

 柄にもなく、散々悩んだ挙句の果てに、そう絞り出すことで精一杯だった。出来る限りの譲歩だった。

 

 

<“キミ”には無いの? 可能不可能は一旦棚上げして、『やりたい』って思うこと。勿論、『元の世界に戻って【曲解】を打ち破る』、『“大切な人”に“キミ”の本心を伝える』こと以外で>

 

<……でも、やっぱり僕は諦めたくないよ。黎と“これから”の話をすること>

 

 

 脳裏に浮かぶのは、“自分”とは分岐した可能性の果てを生きる並行存在・明智吾郎の言葉。“自分”とはまた違う方向の地獄――世界滅亡の瀬戸際に直面し続けながらも、未来を見つめる者の姿だ。

 

 『諦めたくない』と奴は言う。そのための努力を続けていることも知っている。進学校の優等生をやっているのも、獅童の懐に飛び込んで密偵をやっているのも、不透明な未来に対して展望を見出そうとしているのも、この世界のジョーカー・有栖川黎と共に生きる未来を手に入れるためだった。

 彼の決意が固まったのは、あの分岐――母の死後に空元兄弟が現れ、『明智吾郎を引き取る』と主張した――で有栖川家に足を踏み入れ、有栖川黎と出会ったことが始まりだった。親戚達から『要らない子』として扱われ、盥回しにされて独りぼっちだった“僕”とは違う。

 

 “僕”の周囲にいた大人達は禄でもない連中ばかりだった。幼少期の“僕”を『穀潰し』と詰ったり、探偵王子として有名になった“僕”から金をせびろうとしてくる奴等ばかり。

 高校進学後から交流を持つようになった冴さんやルブランのマスターに対してはそれなりに信頼できる相手だとは思っていたけれど、本当の意味で心を赦すまでには至らなかったと思う。

 そんな大人達と鎬を削って来たためか、“僕”は同年代に対して冷ややかな目でしか見れなくなったように思う。年相応に能天気な彼等のことを、愚かな奴等としか思えなくなった。

 

 人間の汚い部分を目に焼き付けてきた“僕”は、誰かに心を赦すなんて考えられなかった。弱さを見せれば利用されて踏み躙られるだけだし、価値がないと見いだされれば捨てられる。

 奴等にとっての“僕”は『取るに足らない程度』の存在でしかないように、“僕”にとっての奴等も『そう』だった。“彼女”も、最初は『そんな中の1人』に過ぎなかったはずだった。

 

 

「『守れない約束はしない』主義、だっけ?」

 

 

 聞こえてきた声に振り返れば、シュレーディンカーがコーヒーカップ片手に“僕”を除き見ていたところだった。

 彼女の隣には、呆れた顔をしたマクスウェル。奴は“僕”へパンケーキを押し付けると、面倒くさそうに肩を竦めた。

 

 

「“キミ”は頑なに『“自分”は独りぼっち』で『もう帰る場所はない』って信じてるみたいだけど、いつまで見ないふりを続けるの?」

 

「見ないふり、って……“僕”は事実を受け止めた上で、現実を見ているつもりだけど?」

 

「“あの子”は、“キミ”を『独りにしなかった』でしょ? ――そんな“あの子”のこと、“キミ”も『置いていきたくなかった』んじゃないの?」

 

 

 柔い所を抉られたような感覚に、“僕”は反射的に口を開いた。何かを言い返そうとしたはずなのに、何も言葉が出てこない。マクスウェルは尚も言葉を続ける。

 

 

「“キミ”にもいるじゃないか、傍にいてくれた人が。その人の傍にいたいって思ってるくせに。……あるじゃないか、帰る場所だって。“キミ”が認めてないだけでさ」

 

 

 マクスウェルはそれだけ言い放つと、“僕”に背を向けてどこかへ立ち去ってしまう。シュレーディンカーも彼の背中を追いかけて何処かへ去ってしまった。

 残されたのは、思い悩む“僕”と、湯気が漂うコーヒーとパンケーキ。後者を見て思い出すのは、“僕”が“彼女”達との読み合いに負けた決定的な要因だった。

 ……嫌がらせだろうなと思いつつも、この部屋の関係者から出される飯や菓子類は美味い。更に付け加えるなら、食べないと五月蠅いのだ。色々と。

 

 探偵王子としてメディアに出たときは味に関して色々言ってきたけれど、正直な話、食べ物にはあまり頓着しない。腹に入ればみんな一緒だし、活動するためのエネルギー補給さえできれば何だってよかった。味だって、食べて飲み込むことが出来るならそれでいいやと思っていた。

 好き嫌いを口に出せたのは母と過ごした短い時間のみ。親戚達に盥回しにされ、厄介者扱いされるようになってからは、好き嫌いなんて贅沢は言えなかった。出されたものを食べる以外に選択肢はない。高校進学で1人立ちして、ようやく自分の意志で何かを選ぶ自由を手にすることが出来たのだ。

 

 

(……自分の意志で何かを選べる権利を手にしても、それを行使できた回数は殆ど無かったな)

 

 

 パンケーキを口に運び、コーヒーを飲みながら、そんなことを思い至る。

 

 独り立ちして自由を得た直後、“僕”はペルソナ能力を開花させ、獅童への復讐を夢見て邁進するようになった。それ以降、それ以外の選択肢を意図的に切り捨てて機関室まで突き進んだ。日常生活や探偵王子としての振る舞いも、有象無象の人間を【精神暴走】や【廃人化】させてきたのも、何もかもが『復讐を成就させる』ための必要経費。

 復讐に邁進し続けていく中で、“僕”は『選択肢があったこと』や『“明智吾郎”を気遣う大人や同級生達』の存在自体を『なかったこと』にしてきた。“ジョーカー”だって、最初は『なかったこと』になる有象無象の1つだったはずなのだ。――なのに、どうしてか“僕”は、“彼女”から目を離すことが出来なかった。ずっと見て居たいとさえ思ったのだ。

 復讐に敗れた“僕”は、そこでようやく、自分の意志で何かを選ぶ権利の存在を思い出した。選べる道が破滅しかなくとも、自分の意志で選んだことに意味がある。……故に、丸喜の善意によって歪められ、無理矢理叩き起こされた挙句、“あの子”への脅しの道具にされたことに怒りが湧くのは当然だった。

 

 丸喜の【曲解】を嫌悪し、壊すことを選んだのは事実だ。同時に、奴が生み出した【曲解】の世界を――“あの子”と一緒に生きる未来を望んでいたことだって事実。

 丸喜の【曲解】を受け入れるような真似をしたくなかったから、奴の【曲解】を認めるわけにはいかなかったから、『なかったこと』にした事実だ。

 

 

『全部片付いたら、私の実家に行こう』

 

『ウチの両親に“明智”のことを紹介するんだ。――世界で一番大切な人だ、って』

 

 

 ――照れ臭そうにはにかむ“彼女”の表情は、今でも色褪せずに思い出せる。

 

 

『ああそうだ。“明智”のお母さんにも挨拶したいな。『息子さんを私にください』って!』

 

『お墓参り、連れて行ってよ。案内してくれる?』

 

 

 ――明日の予定を語るような気安い声は、今でも鮮烈に響いてくる。

 

 その問いに対する答えは、『悪くない』だった。

 ……だけど、その答えは、正しい言い方ではない。

 記憶の中で微笑む“彼女”へ、“僕”は苦笑しながら呟いた。

 

 

「……分かった。そのうち、ね」

 

 

 

◆◇◇◇

 

 

 

 本日8月29日、晴れ。海水浴日和に相応しい晴天と天気である。夏の終わりが近いことを感じ取っているためか、遊び納めということもあって、海は人々でごった返していた。

 ビーチパラソルで場所を取り、双葉の様子を確認する。特訓の甲斐あって、ひしめくような人口密度の中にいても平然としていた。真主導の荒療治が効いたのだろう。

 

 

『みんながいるから大丈夫』

 

 

 最も、一番の理由は、双葉が語ったこの言葉に集約されているに違いない。

 

 双葉の気持ちは分かる。崩れ落ちてしまいそうになるときは何度もあったけど、傍に誰かがいてくれた。自分に何かあっても、助けてくれる人がいる――『拠り所がある』という事実がどれ程幸いなのか、僕は知っているのだ。

 僕の場合が黎や【怪盗団】の仲間たち、頼れる大人たちだったのと同じように、双葉にとっての【怪盗団】も同じような存在なんだろう。“明智吾郎”にとっては、それが“ジョーカー”だったという話だ。……もしかしたら、“彼”に自覚がないだけで、“彼”もまた誰かの支えになっているのかも知れないが。

 

 

(しかし、どうしたものか……)

 

 

 気を抜くと、水着姿の黎に視線を向けてしまう自分がいる。黎は普段、露出を控えめにした格好を好む。だから、水着姿になることで露出される肌が気になってしまうのだろう。

 今回の海水浴で黎が着てきたのは、黒いスカート水着である。スカート部分は分割されており、水着のワンポイントになるような形で結ぶこともできるようになっていた。

 泳ぐときはワンポイントとして右端に結ばれていたが、泳ぎ終えた今は結び目が解かれ、スカートとして機能している。裾がはだけてチラリと除いた肌に、僕は生唾を飲んだ。

 

 

「どうかした? 吾郎」

 

「……素敵だな、と思って」

 

「ありがとう。吾郎も似合ってるよ」

 

 

 黎は爽やかな微笑を浮かべて僕を称賛する。どうして彼女は照れることなく人を称賛できるのか、そのライオンハートに太刀打ちできなくて悲しくなってくる。

 性別が逆だったらつり合いが取れるのではないか――遂にそんなことを考え始めた自分がアホらしくなって、僕はひっそり苦笑した。

 

 そんな僕と黎のことを、“明智吾郎”は仏頂面で見つめている。“彼”の唯一無二、もとい恋愛対象者が“ジョーカー”しかいないことを考えると、“彼女”の水着姿に対して何か思うところがあるのだろうか。心の海を介しても詳細が流れ込んで来ないあたり、『この感情や葛藤は自分の物だ。他の誰にも渡さない』という意志を強く感じた。閑話休題。

 

 燦々と降り注ぐ太陽は眩しい。パラソルでそれを遮りながら、僕達は昼食を取ることにした。『海の家で何か買ってくる』と立ち上がった竜司だが、ここで双葉がインスタント麺を持ち込んできたことが発覚した。お湯をどこで調達するつもりだったのだろうか。

 それはさておき、僕達は昼食を調達して食べ始めた。午前中は水着に着替えた後、適度に泳いできている。動けば腹は減るものだ。掃除機を連想する勢いで食べ進める竜司と祐介を横目にしつつ、僕は僕のペースで食べ進める。真横から掻っ攫われぬよう注意しながらだ。

 海の家で購入したホッドドッグは、至さんが家で作ってくれるものと比較すると遥かに美味しくない。だけど、仲間達と一緒に海水浴に来て食べているのだと思うと、この上なく美味しいと感じてしまうのは何故だろう。きっともう、これと同じ絶品には一生巡り合えないとさえ思ってしまう。

 

 

<海、久しぶりに来たな>

 

 

 屋台の料理に舌鼓を打っていた僕は、“彼”の呟きに目を瞬かせる。それから一歩遅れて、僕は“明智吾郎”の呟きに込められた意味を察した。

 

 母の死後、僕は空元兄弟に引き取られて有栖川家に居候するようになった。それからは、自慢の保護者や大好きな人と一緒に色々な所に足を運んでいる。山も海も都会も田舎もコンプリート済み。数多の事件に巻き込まれたこともあったが、それに比例するくらいのかけがえのない思い出があった。

 では、“明智吾郎”の場合はどうか。“彼”の反応を見る限り、母の死後、どこかへ出かけた経験は無さそうである。親戚達から盥回しにされていたことを考えると、旅行等では留守番か関係者のおこぼれにあずかるような形でしか外出できなかったのかもしれない。

 

 超有名進学校への進学を機に上京した後――ペルソナ能力に目覚め、実父への復讐へ邁進し、その過程で芸能界に足を踏み入れた頃からは、探偵王子の仮面を被るために様々な場所に出かけたのだろう。

 純粋な娯楽ではなく、あくまでも復讐計画を遂行するための手段として。時には、テレビのロケで遠出をしたこともあったかも知れない。――諸々の事情で、出かける機会には恵まれていそうだ。

 しかし、“明智吾郎”の場合、僕とは違って『娯楽のために自発的に出かけた』ことは無さそうである。……復讐計画に全てを捧げていたのだから、致し方ないと言えそうだが。

 

 

<“ジョーカー”と来たことは?>

 

<無いよ。“僕”の場合、この時期は【怪盗団】反対派の急先鋒だったし、計画の為に下準備してたから。合流したのは秋と冬だから、海に行くには季節外れだ>

 

<――じゃあ、帰ったら誘ってみたらいいんじゃない? そんなに羨ましそうな顔するならさ>

 

 

 僕の指摘に、“彼”は目を丸くする。“明智吾郎”は徹底した現実主義者であるが、“自分自身”の感情――特に羨望系――に対して非常に疎かった。

 自覚できていたのは“ジョーカー”に対する執着ぐらいで、その他は自他共に伺いにくい。……意図的に『なかったこと』にしてきた弊害なのかも知れないが。

 

 しばしの沈黙の後、“明智吾郎”は目を伏せた。『なかったこと』にしようとした感情を拾い上げ、噛みしめるかのように呟く。

 

 

<……悪くない案だね、それ>

 

 

 “明智吾郎”が目の当たりにした滅びの夢――その経緯から、“彼”は未来の話をすることを頑なに嫌がっていた。『自分は既に死んでいるから、将来の話など無意味だ』というスタンス故の態度。

 同時にそれは、最愛の人である“ジョーカー”、及び“彼女”が大切にしてきた仲間達を傷つけないようにするための配慮だ。“彼”なりに、“彼女”とその関係者を慮ったが故の選択だろう。

 もしかしたら、『最期くらい、“ジョーカー”に対して誠実でありたい。これ以上、“彼女”に対して嘘を重ねたくない』という願いも含まれていたのかもしれない。

 

 過去の経験から、“彼”は長らく『完璧な人間を演じないといけなかった』。『誰かにとって都合のいい存在で居なければ捨てられる』という恐怖に急き立てられて生きてきた。『ありのままの姿で本音をぶちまける』という行動を律しなければいけない環境下で過ごすうち、自分自身の感情まで切り捨てることが可能になってしまった。

 そんな“明智吾郎”が自分の願望を零すのに、どれ程の逡巡があったのか。自分の願望を肯定的に捉えて口に出すまでに、どれ程の葛藤があったのか。心の海を介しても流れ込んで来ない徹底ぶりからして、僕にはそれを察する術はない。分かることは、“彼”の口元が僅かに緩んでいたことくらいだった。

 

 

「真、あんま食べてないな。もしかして、具合でも悪いのか?」

 

「あ……ううん、大丈夫」

 

 

 そんな僕等のすぐ近くで、竜司が真に問いかけた。彼女が食べている昼食の量が少ないことに心配しているのだろう。しかも、普段より食欲が落ちているように見える。

 真は歯切れ悪く答え、視線を彷徨わせた。余程言いにくいことなのだろう。彼女が【怪盗団】に入る前――僕達を危険視してたときのようなよそよそしさがあった。

 

 真の様子を見る限り、人――特に、男性――から指摘されたくないようだ。その気配を察知した僕は、その話題を逸らそうと口を開く。だが、それよりも先に、モルガナが得意げに鼻を鳴らしてうんちくをしゃべり始める方が早かった。

 

 

「分かってねえなあ、リュージは。女子は水着のときは、少しでも細く見せたいモンだ。でも気にしすぎだぞ。朝飯はちゃんと食ったか?」

 

「モナ、デリカシー皆無」

 

 

 自身を紳士と語る黒猫から飛び出したのは、女性の繊細な心理である。乙女心が分からない竜司には大変参考になる解説だったが、それは女性の前で口に出していい話ではない。モルガナの言葉を聞いた女性陣の機嫌は急降下した。

 沈黙してしまった面々の気持ちを代弁したのは双葉だ。自分の発言が地雷だったことを察したモルガナは慌てて弁明しようとしたが、余計見苦しくなるだけだと思ったのだろう。申し訳なさそうに項垂れていた。

 ただ、モルガナが視線を逸らした先には、竜司や祐介に負けず劣らずの勢いで焼きそば・お好み焼き・ホッドドッグを平らげ、炭酸飲料を一気飲みする黎がいた。彼女はのんびりとした調子で「かき氷も食べようかな」と微笑む。

 

 何をどうすれば、その細い体にアレだけのものが入るのだろう。しかも、すらりとした体型を崩すことがない。終いには、彼女は着痩せするタイプだった。特に胸部が。

 完全に、“月光館学園高校の美しき悪魔(荒垣命)のコピー”である。モルガナは暫し黎を見ていたが、「お前は幸せそうな顔してよく食べるなあ」と呟いて苦笑していた。

 

 

「で、この後どうする? ビーチバレーでもするか?」

 

「あーごめん、今から女子だけでバナナボート乗る約束してるから」

 

 

 女性陣が申し訳なさそうに頭を下げる。4人乗りのものを1つだけしか借りられなかったようで、僕達男性陣は取り残されることが確定した。文字通りの荷物番である。

 僕は別にそれでも構わないのだけど――黎と一緒にいられないのは寂しいが、待つのは嫌じゃない。彼女が楽しいのが一番なのだから――、竜司とモルガナが不満そうにぶすくれていた。

 

 

「なんで俺らの扱いが雑なんだよ!? 俺らだって色々頑張ってんだぞ!?」

 

「異世界の中ではいいと思えるんだけど、不思議よね」

 

「お宝は盗めても、女の子のハートは盗めそうにないもんね!」

 

「そ、そんな……アン殿……」

 

 

 バッサリと切り捨てられ、竜司が憤慨し、モルガナが愕然とする。前者は仲間の女性陣から雑に扱われたこと、後者は惚れた相手からショッキングなことを言われたためだろう。

 

 

「そういう訳なんだ。吾郎、荷物番頼めるかな?」

 

「ああ、ここは任せてくれ。楽しんでおいで」

 

「ありがとう。行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 

 申し訳なさそうにこちらを見つめてきた黎に対し、僕は微笑み返して手を振った。黎も微笑み、手を振り返してくれる。女性陣は連れ立って、砂浜の人並みに飲まれて消えた。

 彼女たちの背中を見送り終え視線を向けると、竜司とモルガナが死んだ魚みたいな目をして天を仰いでいた。祐介はどこからともなくスケッチブックを取り出しデッサンを始める。

 黎も楽しんでいるといいな――なんて考えながら、荷物番に精を出す。そんな僕の前で、竜司とモルガナが息巻き始めた。女の子のハートを盗むのだと言って燃え上がっている。

 

 いつの間にか、デッサンを終えた祐介も竜司と同調し始めた。何やら不穏な気配になって来たが、僕は荷物番から離れるつもりはない。絶対にない。

 どうやって2人と1匹を攻略すべきかと思案したのと、竜司・祐介・モルガナが僕に視線を向け――何事もなかったかのようにそそくさと視線を逸らしたのは同時だった。

 

 

「吾郎は俺たちと違うもんな」

 

「だな。ゴローには既にレイがいるもんな」

 

「むしろ、『黎以外の誰かをナンパするくらいなら、今すぐ獅童と心中してくる』とか言い出しかねん」

 

「は? 当たり前だろ何言ってるんだお前等」

 

「お前歪みねえな! 黎に対して執着しすぎだろ!?」

 

 

 竜司が諦めたようにため息をつき、モルガナが己の浅はかさを責めるように首を振り、祐介が頭の中で模写した未来図を憂いて明後日の方に視線を向けた。当たり前のことだと指摘したら、竜司が半ば怒鳴るような調子でツッコミを入れてきた。

 

 彼の言葉は間違ってない。むしろ、僕の中にある異常性をハッキリ指摘している。明智吾郎という人間は、心を許した相手に対して強く依存――あるいは執着してしまうのだ。一歩間違えれば中野原のときと同じように、【メメントス】や【パレス】で歪みとして発現したっておかしくない。

 そうならないのは、ひとえに“一番の対象者である有栖川黎が、明智吾郎を否定せず受け入れてくれる”おかげだろう。黎のことは確かに救いだけれど、それに甘え続けるのはあまり良くないと自覚している。自分を見捨てずにいてくれる黎に応えられるような、まともに生きられるような人間で在りたかった。

 

 

「……そうだね。竜司の言う通りだ」

 

 

 そう呟いて俯いてしまったのは、この執着心が“まともなところから来たものではない”と自覚していたためだ。

 過去に刻みつけられた傷跡が、薄暗さを伴った結果なのだと。

 

 

「好きになった人に対して、まともな好意を示せるようになりたいとは思ってるんだけどね」

 

 

 そう言った自分の顔は、どんな表情だったのだろう。モルガナが解脱した釈迦みたいな顔になり、竜司と祐介が悟りを開いた坊主のような目で顔を見合わせる。

 暫し沈黙していた2人と1匹だが、ややあって、「女の子の心を盗んでくるから荷物番を頼む」と言い残して、浜辺へ繰り出していった。

 

 僕は彼等を見送って荷物番に精を出す。熱中症対策で持ち込んでいたスポーツドリンクを舐めるように飲みながら、今までの出来事を思い出していた。

 

 母が存命だったとき、海に行けたのは片手で数えられる回数だけだった。空元兄弟に引き取られたとき、聖エルミン学園高校の仲間や黎と一緒に海に行ったか。珠閒瑠のときは鳴海区で南条さんのクルーザーに乗ったり、海底洞窟で命懸けの戦いをしたり、珠閒瑠浮上による鳴海区の崩壊で海どころじゃなくなったりしたか。

 巌戸台での戦いがあったときは、桐条財閥の別荘がある屋久島に行った。ラボでアイギスと出会ったり、波打ち際で順平さんを総攻撃したり、英理子さんと麻希さんが空元兄弟とブッキングして話が拗れた結果浜がメギドラオンで吹き飛んだり、別荘に備え付けられたカラオケで幾月のヤロウからチャンネルを奪ったりした。

 八十稲羽では虫取りをしたり、海水浴に向かったり、夏祭りに参加したり、花火で盛り上がったりもした。ただ、“僕らの様子を心配した南条さんがリムジンで乗り付けて来た”という珍事件で田舎町が大騒ぎになったか。――どの記憶も、ペルソナ絡みの事件を棚上げすれば、とても楽しいものばかりだった。

 

 

<お前は“僕”と違って、楽しい記憶が沢山あるじゃないか>

 

 

 <それを慈しむことが出来るなら、少しはマシなはずだ>――“明智吾郎”は噛みしめるように呟いた。どこか他人事みたいに語る“彼”だが、“彼”だって、それらの出来事を僕を通して見てきたのだ。<これは“お前”が見てきた記憶でもあるんだぞ>と言い募ろうとして、僕はふと目を止める。

 人ごみの中に、黎達の姿を見つけた。だか、彼女達はこっちに戻ってくる気配がない。よく見れば、浅黒くなるまで日焼けした男共が道を阻んでいる。……成程。女の趣味とルックスに関する目の付け所だけはいいらしい。僕は即座に立ち上がり、黎の元へ向かった。

 

 

「ねえねえ、俺達の船でクルージングでもどう? 芸能人とか業界人とかいっぱいいるよ~?」

 

「お断りします。私には連れがいますから。連れに口説かれているのも楽しいですけど、連れを口説く方が楽しいので」

 

「そんなこと言わずに行こうよ。ほら――」

 

「――僕の連れに、何か用ですか?」

 

 

 無理矢理黎を引っ張ろうとした男の手を払い落し、僕は庇うようにして黎の前に立つ。それとほぼ同時に、斜め向かいの方から竜司たちがやって来るのが見えた。

 ヤンキーよろしく猫背で不敵な笑みを浮かべる竜司、何故か両手にイセエビを抱えた白フードの祐介、穏やかな物腰に対して殺意マシマシの睨みを効かせる僕。

 黎、杏、真を執拗に誘っていた男達は一瞬たじろぐが、奴は懲りずに声をかける。勿論、【怪盗団】の女性陣は、金や権力でなびくような安い人間ではないのだ。

 

 

「貴方達といるよりも、ずっと有意義ですけどね」

 

「確かにそうだね。そういう訳ですから、女性を口説くなら夜のパーティでどうぞ。私は連れを口説くので忙しいんで」

 

「いつも口説かれてばっかりだから、たまには僕にも口説かせてよ。――あ、そういう訳なんで、どうぞお引き取りください」

 

 

 真・黎・僕の言葉に、男たちは渋々と言った様子で去っていった。その際、僕に対して可哀想なものを見るような眼差しを向けてきたことだけは絶対許さない。杏が憤慨し、真が深々とため息をつく。黎は、男達の背中に呆れたような眼差しを向けて肩を竦めた。

 

 どうやらあの男たち、しつこく【怪盗団】女性陣を口説いてきたのだという。真が奴等に武力行使する寸前だったあたり、男性達は運が良かったようだ。世紀末覇者、鋼鉄の処女系乙女の破壊力を舐めてはいけない。ここが認知世界だったらヨハンナに轢き殺されていたであろう。

 双葉とモルガナはどこへ行ったのかと思ったとき、双葉とモルガナが祐介目がけて突っ込んできた。双方の眼差しは祐介が持っているイセエビに釘付けだ。正直、先程からもがくように尻尾をビチビチ振る甲殻類の様子がシュールで気になっていた。双葉と祐介はそのまま戯れ始めた。

 

 

「なんか、盛りだくさんだし、みんなで海に来た甲斐はあったよな」

 

「うん、そうだね」

 

 

 仲間達は顔を見合わせて頷く。楽しい1日は、あっという間に過ぎて行った。

 

 

 

***

 

 

 

『私、【怪盗団】に入る。お母さんを殺した犯人と、そいつにお母さんを殺すよう命じた獅童正義を、絶対許さない』

 

 

 僕達を真っ直ぐ見返して、双葉はそう宣言した。一色さんの研究を奪って悪用するだけでは飽き足らす、命さえも奪い取った獅童に罪を償わせるのだと。

 明智吾郎と獅童正義の関係を知っても、双葉は『それがどうした? 吾郎は悪いことしてないだろ!』と迷わず言い切った。清々しい笑みに泣きたくなる。

 

 【()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのせいで苦労しても、馬鹿を見る羽目になっても、黎達は僕を掬い上げようとすることをやめないのだ。――その事実が、とても嬉しい。

 

 認知訶学研究は既に完成したが、成果はすべて獅童によって回収され葬り去られた。獅童の行動は、一色さんの研究が自分に都合が悪いものだと知っていたかのような対応だ。

 僕の経験則上、一色さんの研究は“獅童の後ろにいた『神』にとって都合が悪かったが為に、獅童を使って潰させた”ようにも思える。だとしたら、悪神は相当のワルだろう。

 双葉の話を聞く限り、一色さんは次の段階として“人がいなくても世界が存続し続ける理由――即ち『神』の認知に関する認知訶学”に手を出そうとしていた節があったようだ。

 

 

『でも、航さんから“その領域に手を出すのはやめた方がいい”とアドバイスを受けたらしいんだ。……直後、獅童の関係者がお母さんに接触して来た』

 

『それって――』

 

『お母さんの研究は、吾郎の言う『神』の逆鱗に触れた。だから、口封じの対象にされたんだと思う』

 

 

 理不尽過ぎると双葉は憤った。一色さんも、自分の研究が『神』の逆鱗に触れてしまったとは思っていなかったに違いない。

 

 それから話は変わり、双葉の【パレス】が回りくどいことになっていた理由を彼女自身が説明してくれた。彼女は【怪盗団】のことを見極めようとしていたらしい。それが、『シャドウはウェルカム状態なのに、えげつない罠が襲ってくる』というアンビバレンス状態だった。そこからの話は、双葉さんのシャドウが言った通りである。

 本来ならば、僕から齎された一色さんの情報を聞いた双葉さんは“反逆の徒”――ペルソナ使いとして目覚めるはずだった。だが、何者か――十中八九獅童智明だろう――が双葉さんの心を弄り回し、【パレス】を乗っ取って双葉さんの覚醒を邪魔していたのである。結果、【パレス】は本来通りのえげつない仕掛けを作動させてきたのだ。

 

 

『これ以上、お母さんの研究を好き勝手に悪用されたくないんだ』

 

 

 少女の決意は固かった。

 それが、佐倉双葉が【怪盗団】に参加する理由。

 

 【怪盗団】に所属する人間たちはみんな、大なり小なり私的な理由を抱えている。黎は“理不尽に苦しむ人を助けるため”、モルガナが“メメントスの奥地へ向かう方法と、自身の記憶を取り戻して人間になるため”、僕が“『廃人化』の黒幕にして黎に冤罪を着せた張本人で、実の父である獅童正義の罪を終わらせるため”、竜司が“自分が成りたい“カッコいい漢”に必要なものを見つけるため”、杏は“黎を助けるという約束を果たすため”、祐介は“理不尽に苦しむ人々を救いながら、パレスやメメントスから作品の着想を得るため”、真が“自分の理想や正義を貫く強さを手にするため”。

 

 それ故に、双葉の参入は簡単に認められた。彼女のコードネームは自薦の『ナビ』。『勝利に導いてやる』と不敵に笑った双葉は、最年少ながら本当に頼もしい。

 「そろそろ帰りましょうか」――真の言葉に、僕はふと景色に目を向けた。海に沈む夕焼けはとても綺麗だが、楽しい時間が終わったことを示している。

 よく見ると、空の端で星が瞬き始めていた。名残惜しい気もするが、仕方がない。僕達は片付けの準備を始め、ゆっくり家路についたのだった。

 

 

 





『お母さんの研究は、吾郎の言う『神』の逆鱗に触れた。だから、口封じの対象にされたんだと思う』


 『こちら側』の佐倉双葉の言葉を聞いて、気がついた。

 “僕”がペルソナを覚醒させたのも、【怪盗団】の関係者達に理不尽な出来事が襲い掛かったのも、【怪盗団】が【改心】させた大人達の問題が次々と表面化してきたのも、タイミングが良すぎたことに。
 全てが黒幕――『神』の掌の上。『神』にとって予想外のことがあったとするなら、【怪盗団】に倒されたことと、自身の作り上げた領域【メメントス】の権限を無関係な人間に奪取されてしまったことか。


「すべてが『神』の掌の上だったなら、“僕”に纏わる全てのことも、『神』が意図したとおりだったのかな」


 “僕”の呟きを聞いた≪■■■■≫は、空になった皿とコーヒーカップを回収する手を止めた。
 しかしそれも一瞬のこと。≪奴≫は静かに微笑みながら即答した。


「人の運命に干渉することはできるけど、人の感情そのものにまでは介入できないよ。感情の度合いや矛先を、別の場所やものへ変えるくらいが関の山だ」

「具体的には?」

「憎悪や復讐心を煽ったり、1つの存在に対する愛憎や執着心を増大させたり、他のことに対する興味関心を皆無にしたりする」


 「ニャルラトホテプが一番わかりやすい」と≪彼≫は言う。件の悪神は、『向こう側』と『こちら側』を跨いで大暴れし、やりたい放題していた。特に『向こう側』の世界は、奴のせいで滅亡が確約されてしまっている。
 自身に傾倒していた須藤竜也を使って、周防達哉を始めとした高校生と天野摩耶にトラウマを植え付けた。それだけではなく、植え付けたトラウマとそれに伴う感情の矛先を操作することで、【ジョーカー様】に関連する事件を引き起こした。
 周防達哉、天野舞耶、三科栄吉、リサ・シルバーマンの4人はトラウマからの忌避感を増大させられたことで件の出来事を忘却してしまったし、橿原淳――黒須淳に至っては、父親に成り代わったニャルラトホテプに唆される形で憎悪を煽られている。

 結果、黒須淳は【ジョーカー様】として仮面党を結成。ニャルラトホテプの手駒にされ、世界滅亡の片棒を担がせられる羽目になった。


「『神』の介入が解かれれば、数多の事象はその反動を受けるだろう。世界に支障が出ない範囲で適宜調節される仕組みだ。そこは世界側の自浄作用って言った方がいいかな」

「ふうん……。なら、いいや」


 そっと安堵の息を吐く。胸の中で灯る感情をなぞって、“僕”は口元を緩めた。
 “ジョーカー”に向けた数多の想いは、確かに“僕”だけのものなのだ――それさえ分かれば、もう充分だ。



―――

双葉パレス編はこれにて完結。流れはリメイク前とほぼ一緒ですが、多少の追加要素(主に魔改造明智と“彼”とのやり取り)があります。そのせいでかなり長くなりました。
「一旦どこかで切ろうか」と考えたのですが、区切りが良くなかったんで全部乗せした次第です。色々詰め込みまくった結果がこれ。
【A Lone Prayer -Dream of Butterfly-】を挟んだ次は奥村パレス編が始まりますが、リメイク前との変化やR要素がどう影響していくのか、見守って頂ければ幸いです。

そろそろポケモン新作発売日ですね。書き手はダブルパックを予約しました。18日を今か今かと待ちわびています。今作こそ、バランスのいいご当地ポケモン(=新世代)統一パを作りたいなぁ(遠い目)
盾では「どう頑張っても手持ちが物理攻撃型オンリー」、剣では「好きなポケモンで固めた結果、リザードン等の炎タイプが鬼門」の構成になってヒイヒイ言った覚えがあります。
剣盾版は結局ご当地ポケモン(新世代)統一パを作れなかったので、今回こそはと意気込んでいます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。